Essay
雑記





いつかの雑記帳から



1995.9写す

波さえ遠慮がちに打ち寄せているのだから、私も成る可くなら静かな足取りで、ゆっくりと盗むが如く歩いて行きたかった。

   母を恋うる記 谷崎潤一郎






1995.9

風鈴を選る風鈴の音の中

   公益社のポスターから





私は自分を嫌悪する


私は自分を嫌悪する。
何故かというに、私はこうした状況の中にあって自分を嫌悪しきれぬので。

どうして私はかくも冷たいのか。
あなたの訴えにもかくも鈍いのか。

所詮私は人の痛み、あるいは言いうる全ての思いの端々を、こうして容れぬ狭量な心の持ち主に過ぎぬのだと自覚するまでだ。

私は、いつか落ち着きの中で、あなたを安心させたものが、実は何ものも与えはしない、こうした渇いた無機の空漠でしかなかったことを、いまさら悲しみのなかに思い知るまでだ。






1995.10.13

・・・小坂乙彦の涙を見たのはこれが最初のことである。小坂と涙とは凡そ無縁なものだと思っていた。どんなことがあっても、小坂はそれに反抗的に立ち向かってこそ行け、彼は自分の胸を悲歎の感情が吹き上げるままに任せておくような男ではない・・・

    井上靖「氷壁」新潮文庫 82ページ


 そういえば、大人の男は泣かない。まず泣かない。それは「大人だから」だと信じられているのではないか。
 子供の頃は泣けたが、今はもう許されぬから泣かないということもある。それでもそうそう我慢することからして少ないはずだ。
 ようするに泣くような状況にならぬのだ。そんな激しい情動に身を置くようなことをしないだけだ。そのうち泣くということも、どんなだったか忘れてしまう。そうしたら、つまりそれが大人だ。
 涙は涸れ井戸に突然涌きだした泉で、心の中に染みていくように広がっていく。そんな痛みに心奪われるように思われることがある。






1992.6

僕には好きな季節がない。正確にいうなら分からない。
春は美しい。つかみどころのない曇り日と萌え始める木々。
夏は美しい。はっきりした陰影。はるかに大きな雲。
秋は美しい。日々短くなってゆく陽の当たる時間。重ね着と落ち葉。
冬は美しい。低い南中高度。厳しいほどに澄んでゆく空気。

けれど、あまりの暑さ寒さは、その季節を嫌いにしてしまう。春と秋はどんなふうだったかイメージがはっきりしない。
等分すれば、ひとつの季節は三月余り。僕にとって三月は短すぎる。
なにかしらの出来事が心に残って、さらに好きにしてしまおうというには、あまりに短い。
僕には好きな季節が分からない。好きになるには、皆短すぎる。
気になりだす頃には去っていってしまう。そういうものはきっと、もっと多いはず。
そういうものは、思い返すことは出来ない。
だからただ、きっと多いのだということを恐れるしかない。






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