Diario
日々の記録



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下へ行くほど新しくなります


以下、下書き版。気紛れにアップする。

2005.0205 土曜日
晴れ

■たんに抵抗ではなく

 個人の成長というのは、めでたいことだ。できなかったことができるようになる。分からなかったことが、分かるようになる。それも、他人よりも深く、高く、上手に。そうであれば、その個人にとって、とてもいい変化であろうと思う。
 けれど、社会というか、世間と言うか、くらしてゆくこの世の中としては、すべて成長を歓迎するあまり、逆に成長がのぞめない場合や、むしろできなくなってゆくようなことがあったとき、それをよしとしないばかりか、忌み嫌う風潮があるのは、僕は好ましくないことだと考えている。社会の成熟ってどういうことをいったものか明らかではないが、この辺りが最も大切なのではなかろうか。
 成長と、競争の結果としての勝利。素晴らしいことだが、それを人生の上でのリトマス試験紙としてしまうことには、僕は寂しさを覚える。
 具体的に挙げられる友人や知人が、競争の現実のなかで、それに果敢に挑んでいくことの美意識に無縁であるが故に、障害などという無遠慮に過ぎる名称を属性に加えられたり、老いぼれ扱いされるのには、受け入れがたい抵抗を覚える。
 個人の欲求として、こうありたい、ああありたいと願い、苦心したり、折り合いをつけていくような作業があるが、それを応援こそすれ、できなかったときに、「我々」は、どう彼や彼女に対していこうというのか、もっと慎重でありたいと思っている。もっといえば、できないとき、しくじったとき、よくなっていくことがのぞめない状況があっても、関わりを避けないで、一緒に困ってみたってよいじゃないか、ちょっとくらい、それにつきあっていこうという、そんな懐があって当然だと思いたいのだ。そうでなくて、どうやって彼は、彼女は、のびのび生きられるというのか。敗残の兵士にみんなで背を向けるのではなく、彼や彼女がそれなりにやっていけなくて、なにが社会の成熟であろうかと思う。
 スポーツも、商売も、うまくやっていくことに魅力をみとめ、価値観において肯定をしていても、生活本体のほうは、そうではなく、もっと広く、深く、あたたかに、あらゆる不格好を容れる寛容があったなら。我々の社会にそうした大きな意味での包容力が備わっていることが、より深い意味での勝利をそれぞれの個人に与えるための用件ではないだろうか。実際激しく、平穏ではすまされない生の現場にとって、勝負というものが実相であるというのなら、そのように思いたい。
 がんばれというのは、くじけている人に、非情にかける声なのだろうか。僕にとっては、苦楽を思い合わせるときに正直に浮かんでくる言葉なのだ。そのままくじけても、なにが悪いか。でも、それでなにもかもに敗れ去っていくのではない、まだまだ、踏ん張る足場はあるぞという他者の声がなくては、もしも僕ならもうやっていられないのではないか?そのように思われるから、だからがんばれといい、踏ん張れとも言いたい、言い合っていたい。

 かつて日記に、「不明系」みたいな言葉で言われる書き方があったが、今日はまさしく不明。懐かしいね。

2005.0219 土曜日

 みぞれが降る、実に寒い一日だった。駅へ向かう道で、手袋をしなかった僕の手の甲が、もうちょっとでしもやけになりそうな、そんなふうに冷たく濡れた。

 新宿。この鉄道駅のまわりに集約された、人間の巨大な交差点は、本当に不思議な吸引力を持っている。どんなに頭の端へ押しやって、とりあおうとしなくても、卓上に置いたティッシュペーパーのように、置いてしまったら使わないでおくことの難しい、そういうものの持っている、いやおうのないところがある。

 新宿港町という歌があったっけ。

2005.0220 日曜日
曇り時々雨

■メモ

唐招提寺展
車を見に行く
土手道の通勤路
遠い殺人

2005.0326 土曜日
晴れ

 新しい車がやってきた。これまで10年に渡ってつきあってきた車は、かなりのオンボロだったのに、最後にひとがんばりの活躍を見せて、下取りをしてもらえた。
 いままで非力なタイプの軽自動車でストレスを感じていたので、今度は普通車にした。時には荷物も積みたいし、本当は室内の広い大きな車が欲しかったのだが、引っ越した場合に駐車場代に悩むようでも困るので、結局ステーションワゴンになった。結構走る車である。
 店頭まで旧車を乗りつけ、そこで新しい車へ変えた。そこから中央道で山梨へと向かい、去年行ったことのあるフルーツパークへ向かった。夜景の美しい、いい公園である。道中、これまでひいひいと唸ったエンジンは、こんどは音が鳴っているのかどうか分からないくらいに静かで、ふらふらとして頼りなかった車体は、どしりと路面に吸い付いて何の不安も感じさせない。なんだかまるで、SF映画に出てくる新旧のロボットを比較しているようだ。古いものを滑稽に感じさせるくらい、新しい車は、それはそれは素晴らしいものだった。
 このあいだ、パソコンが新しくなったとき、10年を目安にして、それくらいの期間を一緒にいられたら、機械といえど、それは僕にとってのひとつの時代をともにしたことになると書いた。車は、まさにその10年をつきあえると思う。
 大切に乗っていきたい。車は、人生のなかで、なにげなく大切なものとして記憶されていく、たくさんのシーンの背景になっていくものだ。

2005.0329 火曜日
曇り

■書店にて

 会社は駅前。駅前のビルに去年大きな書店が一つ入ったので、ときどきはそこへ寄って帰る。今日はちょっと久しぶりに入った。月末だから、下旬になってから出る雑誌も間違いなく出ているだろう。そんなことを考えながらの入店だった。

 店に入ってからは、雑誌の棚を縫うようにして歩いた。なんとなく表紙が気になった住宅やデザインの雑誌などを手に取りながら、結局は文庫の棚の方を丹念に見るようになっていた。

 見渡せば、本当にたくさんの本がある。なぜ僕は本屋に来るのが好きなのだろうか。どうひっくりかえっても、僕は読書家とはいえない。ちょっとした積ん読家でしかない。たぶんぼくは、それなりに立派な人間の営為の結果であるところの本がひしめくさまに、青い羨望を抱いているのだと思う。読んでもらうのを待っている果実を「味わいたい」のではなくて、僕にもそのような果実をどのようなかたちであれ生み出せないものかという野望を、思い出しにきているのだろうと思う。

 そのようなことを考え、思い出しながら、数冊の本を選んでレジに進んだ。
 数年来、ずっと頭の中を占めている問題意識を反芻しながら、これを吐き出すための何の努力もしてきていないことについて弱々しい悔恨が浮かび、同時に、今の生活の中に見いだしつつある日常のことが、ひどく矮小なものに思われた。釣り銭を受け取ってから店を出て、駅のホームに立ったら、僕はしゃにむに一冊をまず取り出して読み始めた。学術的なお話の新書だったが、なんだか文章がこなれておらず、少し苦笑させられたけれど、それがかえって著者を身近に感じさせてくれた。

2005.0428 木曜日
晴れ

■無事故で

 例によって、出発は昼前になった。いちにち早くとった連休の始まり。春霞の濃い甲州、信州を抜けていく中央道は、車も少なめで快適だ。

 なにをするにつけ、4月25日に起きた、JR福知山線の列車事故のことが頭から離れない。まだ事故の全貌も原因もわかっていないが、考えられないことが起き、悲惨な事故になってしまった。それにあの路線は、僕がかつて住んだ沿線の延長にあり、まさしくあの車両に、僕は7年前まで乗って生活していたのだ。
 脱線したことや、運転の問題もあるけれど、列車の損壊の激しいことが、一番気になっている。数年前に起きた東京の営団地下鉄日比谷線の脱線事故では、たしか鉄製の車両とステンレス(アルミ?)の車両が接触して、非鉄のボディが大破していた。あのときは、それほどの速度もでていなかったのではなかったかと思うが、やはり側面をやられていた。端的に言って、高速度移動の大量輸送車両としては強度に問題があったと思われる。あるいは、あのように衝突に弱い構造の車両を走らせる場合に要求される周辺環境はともなっていなかった、と言い換えることもできるだろう。
 つまり、安全における死角が多く、甘かったのではないか。それにしても、あんなやわな車体はともかく疑問だ。逆に、マンションの被害が小さくなったのかもしれないけれど。
 その日、実家に電話をしたら、知り合いは誰も事故に巻き込まれていなかった。ほっとする一方、許せない大事故の当事者となった人々のことを思うと、じつにやるせなかった。

 車で帰省することも、事故に遭うリスクを自ら背負う行為だろう。事故を起こしてしまう可能性があるのを承知で、そうしているのだ。そういえば、今朝のニュースで、これも関西から出た長距離バスが、運転ミスで死亡事故を起こしていた。ときどきやるように、僕は今日も「絶対無事故!」と叫びながら、指差し呼唱しつつ車を走らせた。

2005.0429 金曜日
晴れ

■無事故で(その2)

 思い出多い木津川へ、車で出かけた。菜の花なのか、菜の花もどきなのか、かわいい黄色の花が土手を彩り、うぐいすの声で満ちる緑のなかを、昔ながらの美しい日本の春の川が流れていく。今は、そういう場所で車を止めて、これを書いている。

 ぼけてしまいそうなくらいに平和な空気なのに、やっぱり今日も列車事故のことが気になる。新聞を読んだら、昨日噂できいていたとおり、運転士は僕の出身と同じ市の人だった。責任があるとしたら、それはまぬかれるものではないけれど、正直に言って、僕には彼のことを責めるよりも、不憫さばかりが募る。できれば、君のせいではない、とまでいいたい気持ちが、なんの根拠もなくわく。
 それはなぜかと考えたら、ちがった種類の、ちがった次元のものではあるが、彼と同じように、自分の失敗がそのまま安全を侵すリスクにつながりかねない、心配の多い仕事を、僕もまたしているからではないかと思い当たった。
 建築や、建築をともなうようなプロジェクトは、進行していく仕事の中で、安全や経済などの点で、顧客をはじめとする関係者に常に安心を与え続けることが要求される。これは実際、並大抵のことではない。致命的なミスがなければ、ゴールまで持っていけばそれでいいのだが、本当は、竣工したところで、やはり建築は使われていくものだから、それは最初から未来の彼方まで、ずっと時間的に連続していく存在なのだ。だから責任を持つということの重さは、つもりこそすれ、なかなか軽くなってはいかない。言ってみれば、僕らは生まれながらにディフェンディングチャンピオンであることを運命づけられている。
 社会人とは、そういうものなのだ、というと、そうなのだろう。

 こと、いのちにかかわることならば、それは責任をとるといっても、実はとれないのだ。巨大な負担を背負って贖罪を乞い続ける、そんなことしかできることはない。だから、人が死ぬような失敗は、どんなことがあっても起きないようにしておくしかない。それを、失敗をした個人だけが悪いなどということがあったら、あきらかな怠慢である。失敗が起きた「システム」にかかわる人たちは、自らを含むシステムによって失敗を背負わないといけない。本来的には。

 以前、「過剰な期待」と題して書いたことが、この事故でもあてはまるのかもしれない。昔に帰ることはできないが、いつでも僕らは後ろへ下がってよいし、今までのことを捨ててもいいのかもしれない。高度すぎる芸当を全員が続けなければ、どこで破綻するか心配な、そんな社会システムというのは滑稽だ。僕は、見飽きた映画に描かれる、いびつな未来社会は、もうとっくに追い越してしまっている気がして仕方がない。911や、そのあとのNY大停電。映画でも見たことがない光景だって、僕らは既に経験済みだ。そんな事件に監督がいるとしたら、彼に選んでもらえそうな次の脚本は、世界中のハートウォーミングな映画の脚本より、たぶん多く準備されるだろう。そんなふうに、そう、信頼では成り立たなくなりそうなくらい、今の社会システムは先鋭化してしまっている、ともいえる。
 優秀なものを愛でるあまり、だれもがそれほどしっかりした存在ではない、ということに目をつぶってしまうのは危険だ。みのほどをわきまえよう。食っていくためだと言う理由を大事にするのは、もう少し考えてからにしよう。なんだか、そんな気持ちがする。
 成長の熱狂に酔いつづけるほど、僕らは幼いとは思わない。たとえば地球温暖化への対策は、既に実行に移されている。ビジネスもちゃんとついてきている。こちらもまた、あまり信じてはいけないけれど、でも、僕らの成熟を示していると思う。

2005.0626 日曜日
上空は晴れ

 2週間と1日の旅行を終えて帰国した。ニューヨークの隣、ニュージャージー州ニューアーク空港から飛んで、ちょっと退屈な半日以上のフライトの後、僕らは無事に成田に着いた。かっぱらいにも、置き引きにもスリにも遭わなかった。ああよかった。おめでとう。
 それにしても、日本はむっとする暑さ。亜熱帯。

2005.0627 月曜日
曇りがち

 
2005.0628 火曜日
曇り

2005.0818ー2005.0829

■初めての中国

 仕事で初めての中国へ。今度は珍しく援助関連の仕事ではない。一般的な枠組みの中での建築の仕事だ。仕事の卵にすぎないが。
 行って、帰ってきて気づいたのだけれど、やはり中国というのは、常に僕の意識の背景に重要視されてきていたということ。言い方がおおげさだけれど、そのように言うのが妥当だと思う。時事的な話題にも事欠かないし、自分自身に近い文化にかかわることには、分離しがたく関係している。まるで僕は中国の培養土の上に芽を出して育ってきたかのようだ。
 ふだん、つべこべと経験や想像を巡らしてきた中国に、僕は今回初めて行った。漢民族の壮年達の見開き強く輝くような黒い目や、抗日や革命以来の、働く女性の田舎のにおいのするような赤い頬は、本当は幻だったのかどうか、見ることができる、そういう機会だった。

 たかだか10日そこそこの日々だったが、僕は福建省のアモイへ行った。1泊だけだったが、上海も訪れた。これらの大都会に行ってみて、少なくとももう中国は「革命」の国なんかではないのだなあと感じた。人民服や毛沢東は、もう紙幣にしか見ることのできない代物で、現代の都会は、その果実がとっくに芳醇な酒になってしまっていた。そしてそれは、とてもじゃないがのんびりしたものではない。世界で最も強く輝き、最もダイナミックに変化して、上昇をやめない・・・なんだろう?巨大な台風みたいなものだった。
 この間見たマンハッタンなんて、小さいものだ。上海の果てしなきビルの海と水のまずさは、そこが人間でできた巨大な大陸であることを示していた。アモイのまちなかの平均年齢ときたら、20代だった。40以上の人を見つけることが難しいくらい。みんなどこへいったのか?改革開放しか知らない世代が、清潔で明るい服を着て、楽しそうに歩いている。治安だって抜群にいい。
 と、羅列しているけれど、しかしなにより、みんなにこやかで人なつこく、まともだったことには驚いた。なあんだ、普通じゃないか。


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