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Diario
日々の記録
2004.1128 日曜日
晴れ
新座市へ。Sさんと会う。
2004.1129 月曜日
晴れ
寒い日。
ちらかっててかたづけようとしたが、ねてしまう。
2004.1130 火曜日
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朝、久しぶりにG3をたちあげようとしたら、だめだった。あらら。悲しいね。
エアコンをつけっぱなしだった。鼻が乾く。
2004.1201 水曜日
晴れ
夜になって、先日借りたDVDで映画「バスキア」を見た。ジャン・ミシェル・バスキアは画家。ハイチ系のアメリカ人だと映画で言っていた。
子供の頃、絵描きになりたいと思ったことが何度かあった。いまでも、本当は絵描きになりたいのではないかと、思うことがある。でも、絵描きってなんなんだろうか?絵を描いて、暮らす人だろうと思うけど、そうじゃないのかもしれない。漠然と、そんなことを思っていたこともあって、なんだか薄幸な画家のようだったバスキアの、流れ星みたいな暮らしを映画で見せられて、思うところが多かった。もっとも、そんな才能があるわけではないから、僕がどうこう思うことが、それこそなんになるだろうとも思うけれど。そう、なんにもならない。
なんになるとかならないとか言い出すのは、じつは子供っぽい自意識のあらわれだ。
ちょっとセンチメンタルな映画になっていると思う。でも、ハードにすることもないはずだから、これでよいのかもしれない。できるなら、もっともっとこどもっぽくつくればよかったのじゃないか。無邪気に。そんなふうにできなかったのは、監督がバスキアの友達だったからだろう。バスキアが仲間に愛されていたというのはきっとほんとうで、この監督は、彼のことが本当に大好きだったのだと思う。
しかし、なんでクスリをやって死んでしまうのかね?絵描きとして生きることで、彼は焦燥感をあおられてしまっただろうか。ニューヨークにすっこんでることはなかったのに。そして、ぼちぼち描いていればよかったのに。
2004.1205 日曜日
快晴
今日とばかりは絵に描いたような異常気象だった。東京都心や埼玉などは、25度くらいまで日中は気温が上がり、未明は40メートルもの風が吹いた。千葉などはそれ以上とも聞く。ときならぬ事象は、それなりに警戒してよいと思う。人間に直接の被害が及ぶまで、鈍感でいないことが大切だと思うのだが。
夕刻、新宿で飲む。協力隊のOBで集まって飲むというのは、年に数度あるかないかだが、いつなりとも懐かしく、大切な出会いの場所になっている。近況報告がこれほどに面白く思える場所もない。たぶん、これはずっとつづいていくだろう。どんなにそれぞれの暮らしに変化がとぼしくなっていったとしても、親しみをもって近づく相手は、自分とはまるで違う境遇だ。そうした差異が、障壁ではないことが僕らにとって最も大切な部分ではないだろうか。違いよりもさらに、共通性から出発しながら、なにげない信頼を捨てずに生きる。きざだけど、それがなかったら付き合いは砂のように無味となるだろう。
気候がおかしかったが、僕にはこのところの空気の透明さが不気味に思える。薄いベールをともなった、少し暗い冬の大気はどこへ行ったのだろうか。今日は「クリスタルブルー」そのままの、かげりのない空があった。夕刻まで富士山がくっきりと見えた。これは、日本の大気としては異例である。
2004.1213 月曜日
快晴
週末に少し雨が降って冷えたほかは、このところ快晴続きだ。一週間前のクリスタルブルーの空は、あれから何度も現れた。今日だって。このひかりは、かつて住んでいたチリの田舎町を思い出させる。ノガレスの午前の広場で、ジャカランダが青い花を咲かせて輝いていた。あれも12月。しかし、南半球だから夏の光だった。低い湿度ときれいな空気のせいだろうか?照らされる地上のものというものは輝いて、目に痛いほどにくっきりした輪郭を与えられていた。今日は、そんな光だったのだ。
仕事でも、仕事を離れても、個人的にいろいろと持っている問題意識があって、いくつかはぼんやりした課題になっている。いずれも、ぼくのふわふわした心の中でできてしまった毛玉のようなもので、ここまできたらちゃんと丸めてとりだしてやりたいものたちだ。
箇条書きでもいいから、並べつつ、ふくらまし、そして整理していくようにしたいと思っている。研究みたいなものだろうか?ものづくりといったほうがよいようにも思う。それにしても急いだ方がいい。少年老いやすく、という言葉を知っているか?
途上国開発における建築と建築家について
イメージがつくられ共有されていく過程と意味について
与条件の意識的な無視による奔放な建築とその可能性について
もしもこれから、これらが取り組まれていくときがあったら、そこにたちあらわれてくるものは、僕にとっては魅力的でしかも新しく、想像することもできなかった具体的な姿をしているだろう。まるで創造的でない絵を描いていても、それが予想もしなかったレベルのおもしろさを帯びた作品(もどき)となってきた経験はたくさんある。僕は、そのことが無邪気に楽しくて仕方がなかったが、これと同じタイプの、けれどまた別の大きな経験ができそうじゃないか。
乱暴に言うが、たいていのひとは、かたちは違っても、それぞれなにか「毛玉」を持っている。それらの毛玉がみんな大切に、具体的な姿にまで育てられ、現れてきたらさぞ面白いだろうと思う。
まっしぐらな夢もよい。こんなもやもやした毛玉もよい。胸の中で魅力ある錘となってきたそれらは、もっと大切にされてよい。いやむしろ、なおざりにされてはいけないのではないか・・・・・
2004.1215 水曜日
曇り
今日は白い大気の日。冬らしい空だった。
11時からのNHKドラマを見る。「アイ’ムホーム」。なかなかおもしろい。「砂曼荼羅」の話もよかった。
2004.1229 水曜日
雪
午後、雪の中、車を出して八王子の温泉へ行く。都市型の娯楽施設。年末だから、さぞかし混んでいるだろうと思ったら、それほどでもなくて程よかった。僕は久しぶりに大きな湯船につかって、目を閉じてゆったりと時を過ごした。
大型でよほど特化したものでない限り、公衆浴場の類いにあっては、日本では、男女がまざってよい、すなわち水着を着るタイプのスパは、まだ少ないようだ。それはたぶん、全くの裸で湯につかる時の気持ちよさが、単純に捨てがたいからだろう。
健康に資するから、というだけの、技術的な観点だけならば、水着を着ていてもよいだろう。でも、そんなことよりも、シンプルな快感とくつろぎを追求したい。そういうことではなかろうか。
こんなことを考えるのも、男女で一緒に楽しく、大きな風呂を楽しみたいのに、なかなかそうはいかない現実があるからだ。なんでかね?この問題は、現代の風呂文化にとって越えがたく、越えるべき課題ではないでしょうか?
唯一のスマートな解決法は、お金をかけて、家族風呂のある高級温泉旅館、もしくはその類いの施設に行くことのようだ。それは庶民にはちょっと、なかなか、ね。
2004.1230 木曜日
晴れ
何も片付けず、掃除もしないまま、新幹線に乗って大阪へ帰った。東京はうんざりするほどの人の多さと明るさがあったが、大阪は、比べてしまうと寂しいくらいに落ち着いて、静かに感じた。
時間が遅いことがあったかもしれないが、年々、大阪はにぎやかさを失っていっているような気がしてしまう。にぎわいの中心がミナミに移ったからかもしれないし、東京、特に新宿の様子に慣れてきたからかもしれない。人々も、なんだか垢抜けない気がしてしまう。でも、そんな中で遠慮なく響いてくる、親しみある大阪弁。僕にとっては、気の置けない、世話好きな、気配りに満ちた言葉。
僕は、年末年始、この気の置けない土地で過ごす。あー、ええわええわ。ほんま。これやでこれ。
と、書きながら見ていたNHKの「地球大進化」。NHKスペシャルである。最終回の再放送だろうか。結論は、言葉、だった。盛者必衰のことわり、というやつであるが、その時の地球のコンディションに最高に適応したものは、異変によって必ず滅びていくというのが、長い長い前ふりだった。人間は、この、いわばジンクスを避けようと思うならば、遺伝子による突然変異と淘汰のシステムとは別の、言葉による戦略で立ち向かうしかなかろう、という結論なのだ。
現在、言葉は文字によって、そして高い精神、心、記憶によって、非常に深くて広い内容の情報でさえ、古今東西、文字通り時間と空間を越えて伝えることができるようになっている。
でも、どうだろうか。多分、これから先の人間、社会、人類にとっての壁は、言葉と精神の力が、高度化し過ぎてしまった感のある現実の社会を貫くように働くことができるのか、ということではないかと思う。つまり、例えば専門化することでより深くなっていくそれぞれの分野があって、それらを複雑に統合して運営している現在の瞬間がある。そうした巨大なシステムを、うまい具合に導いていくには、結局のところ、壮大な問題意識と、解決のための壮大な編集作業があり、裨益し影響を受ける人々に、納得ないしはインボルヴされていくための用意を促すまでの大運動が必要になるだろう。その作業を、果たして人間が、言葉を介して行うことができるのかということだ。
言葉はしかし、媒介でしかない。核心としての精神が伝えられていくかは、たんに記号としての言葉だけでは伝えられるものか疑わしい。スピードだって、ネット時代とはいえ、現実はいまだに苛立つほどに遅い。国境や体制、思想や伝統、歴史。そうした差異による障壁もある。もちろん、言語も多様だ。個人は砂粒ほどに多く、グループは川ほどに多く、民族は、国は、などなど、差異と断絶の多様さは、もうほとんど生物の種ほどの、違いと多さに渡っているだろう。そうしたものを越えて、「滅びない」ためにコミュニケーションを武器にしていくことはできるのだろうか。
現実的には、滅びるかどうかよりも、目前の問題の中で、せめて全地球的なインパクトのある課題に対して、今どのように対処するかということだろうか。そして、そのような大きな問題が、個人と呼ばれている、狭い空間と短い時間で完結しているとされるそれぞれの人生と、どこまで深くリンクされていくようになるのか、あるいはそんなイメージを、個々人に実際に持ってもらえるようになるのか。そういうことではなかろうか。
時代、権力、事故などなど。およそ説明にならないものに、それを委ねたくないなあ。そんなことになったら、それは愚かというものだ。賢明でありたい。個人だけでなく、たくさんの人々が賢明にならないと意味がない。そのために、これまで宗教や哲学や科学、技術が発達してきたということは事実だ。
少なくとも、個人や集団の階層すべてにおいて、貪りと、他者や環境の破壊を伴う自己の満足の追求については退ける必要があるだろう。それからなんだろうか?
ともかく、こうした当たり前のことが、本来的に求められるようになってきているのは確かなんだろう。
ただし、例えばつい数日前に起きたインドネシアスマトラ沖の地震と津波被害について考える。これほどに発達した技術や通信、教育があったにもかかわらず、そしてスリランカのように数時間もの猶予があったにもかかわらず、あれほどの犠牲者がでてしまった。発達していると信じられているものは、本当は地球のほんの少しの範囲でしか成り立っていないし、それさえも不完全だということの証明だろう。防ぐことができた被害を、未然に防ぐことができなかったのは何故か。よく考えたい。
人口比で、いわゆる先進国は25%程度である。ほとんどは途上国。頭で思ったことは、体に伝わらない。そもそも、背中合わせに存在している危機さえも意識できずにいる。これが人間の世界の現実だ。でも、絶望するのは愚かだろう。ここから応戦していくところに、あの番組の続きをおもしろくしていく次のドラマがあって、僕はそっちに興味がある。絶望にも魅力はあるけどね。オチが早くて簡単だから。
それにしても出演していた山崎努。いいねえ。あの脚本、うまくこなしていたので感心した。
2004.1231 金曜日
曇り
実家にて午後起床。天気はよくない様子。雪が降っている地域も多いようだ。車で帰らなくてよかったのかもしれない。
夜になり、Kが来て、親父と3人で半分凍ったままのおせちをつつきながら紅白。裏番組で曙がまた敗れるのを見たり。こうして2004年は暮れた。
2005.0101 土曜日
曇りのち晴れ
新年明ける。親父と歩いて出かける。年始の挨拶みたいなものだ。午後、近くのYさんやNさんがうちにきて、4人して飲む。
2005.0102 日曜日
晴れ
どうにも眠くて昼間も寝ていた。寝正月の見本である。食っちゃ寝、食っちゃ寝。ミナミにでも行ってみようと思っていたのだが。これもよし。
2004.0103 月曜日
晴れ時々曇り
午後、京阪電車で京都へ向かった。JRから京阪に乗り換えるときに通るショッピングモールやラーメン屋、京阪の大きなガード下。そういえば数年、このルートで毎朝毎晩、通勤したのだった。
駅には「京阪のるひと、おけいはん」という、電鉄会社のキャッチフレーズがたくさん。
京橋駅を特急が出ていくと、大阪東部のまちなみがどんどん流れてくる。右手には生駒山系があり、左手には箕面や能勢、遠く六甲へ連なる山々が見える。住宅や商店が多いまち、松下の工場などが連なる産業のまち、そうした雑多な風景が山々を背景にして続いていく。
正月の特急は特別なのか、最近変わったのか、以前は停車しなかった枚方や樟葉(くずは)と行った駅にも列車はとまる。そうしてどんどん、京都へと列車は向かう。
三条。駅をおりて、地上へ出ると、鴨川にかかる三条大橋のたもとだ。新年明けて間もない京都だから、相当寒いだろうと思ってセーターを2枚、コートの下に着ていたのだが、どうということはない、ほんわかとしまらない、京都にしては優しい冬の気温。
喉が渇いたので、京都らしい、大人っぽい喫茶店でコーヒーでもと思ったけれど、そういうのには偶然あたることがない。ふらふらと西へ歩く。錦小路通の市場も覗いてみたが、開いているのは半分ほどで、かわいい賑わい。少し変わったのは、一風堂であるとかの、東京近辺でも見るラーメン店が、小さな店舗を出していること。四条通の近くの裏道に開店していて、そのどれもに行列ができている。古い京都の住人が、ラーメンに行列するとも思いにくい。正月の京都の町に繰り出した若者が、少ない食事どころにガイド片手に群がった、ということろなのではなかろうか。
四条大宮まで出て、ここから京福電鉄、嵐山へと向かう路面電車に乗る。京都洛中の西部は湿地帯だったこともあってか、東部とはちがって、暗く沈んだような、それでいて生活の息づかいを強く感じさせる、そんな独特な陰を持った土地だ。1両ぽっちの車両は、そうした家並や大通りをゆっくりと走る。
太秦(うずまさ)で降りる。駅前すぐに山門。広隆寺だ。国宝の弥勒菩薩半跏思惟像で有名な寺である。ここの講堂は現在の京都で最も古い建築となっており、創建までさかのぼれば聖徳太子にゆかりを求められる古刹だ。弥勒さんは学生時代にも見損ねていたから、今日はいい機会である。
有名な仏像だから、日本人なら誰でも写真くらいは見たことがあるはずである。しかし、そのやさしく優美であり、かつ、つつましくもある姿の写真の多くは、その全貌を伝えやすい斜めからのアングルのものが多い。だから、僕もそれらの写真と同じアングルで見られる場所に立つことにした。宝物を納めた建物は割合ゆったり作られていて、僕は自由に動きながら、斜めの角度を変えながら、好きなだけ、小さな弥勒を眺めて過ごした。それで満足したのだけれど、出て行く前に、正面からも見ることにした。
そのとき驚いた。少し前にかがむようにして座る弥勒は、僕が正面に立った瞬間、ただ思索しているのをやめて、片手の指をあごからほおにかけて当てながら、すなわち、もったいないくらいの緊張感をたたえながら、僕のことに集中して、耳を傾け始めたのだ。
僕は、ほかの仏像のことをぐるりと見回した。いずれも、何かをあらわしながら、僕と対峙したり、ただ屹立している。私は、**だ!とでもいうように。しかし、弥勒だけは違った。正面にたった僕のことを、これ以上なく親身になって、話を聞いているのである。傾いだ微笑みの顔は、正面から見ると、鋭さをぎりぎりで押さえた集中力と真摯さを伝えてくる表情になっていた。
少し飛躍するけれども、僕は、真正面から親身に耳を傾ける弥勒の姿に、対話の姿勢の、美しい典型を見るような気がした。いわゆる仏像は超越的に前に立ったり座っているものが多く、かなり積極的な関わりを、我々は、自分から仕掛けていかなければならない。けれど、この弥勒は違う。僕は、大きな発見をしたような気分だった。彼は、ひとり思索しているのではない。目の前の人間の苦しみに対峙して、真剣に悩み、考えている。それも、一緒になって考えてくれている。平たく言えば、そういうことだと思った。
夕刻からは白川通りへ。学生時代からの友人Yと、彼の奥さん、かわいい娘さん2人と食事。昨日急に電話したのにもかかわらず、快く会ってくれた。懐かしく、楽しいひととき。
帰路も京阪電車で。その前に、三条河原町の六曜社へ寄った。古い喫茶店だ。地上階の店と、地下の店がある。一度だけ、地下の方へ昔入ったことがある。今回も地下へ。濃いブレンドコーヒーをブラックで飲む。客は皆学生のようだった。1階は大人ばかりで、地下は学生。いつまでもスイートな、思い出そそる、そんな要素がよくつまった場所である。
明日はもう、東京へ戻る。帰宅後、両親にお年玉を。
ちょっと長くなったけれど、メモをつける感覚で書いた。正直にいうと、実は和辻哲郎の「古寺巡礼」を読みながら帰ったので、その影響がもろにでているだけなのでした。ただし、和辻さんが取り上げているのは、ほとんど奈良の寺ばかりです。
2005.0109 日曜日
晴れ
■伊豆へ
伊豆は、これまで何度訪れたことがあるだろうか?2度?いや、1度だけ?その伊豆へ、車で出かけた。
はじめての伊豆は、以前つとめた事務所を辞めて、のびのびとした気分で美術館を訪ねた旅だった。大きく、克明な鉛筆画で有名な木下晋(すすむ)の展覧会を見に行った。まだそんなに古くなっていなかった僕の軽自動車は、夜中の伊豆の山中を抜けて、東側に出て、そこで谷間から急に開けた海に案内してくれた。異常なくらいに照り輝いた月が、海の上に波を光らせていた。
今日は、あのときと同じ車で、昼間の伊豆を巡った。東側は関東の行楽客がひしめいて、道という道は混んでしまっていた。おかげで海をゆっくり眺めながら走ることができたものの、ほとんど停滞しており、その間、昼の「のど自慢」をラジオで全部聴けてしまった。
それにしても、海がきれいだ。海岸線をゆく道は、和歌山の道によく似ているけれど、もっとアップダウンが大きい。山の植生も、まったく南国のものだ。じつに険しい自然だ。
昨日慌てて予約した宿で泊。
2005.0110 月曜日
晴れ
■伊豆2日目
今日は南伊豆と西伊豆に。昨日までの道は、まだ穏やかなものだったとばかりに、ますます自然は荒々しさを増してゆく。風が強くて寒いけれど、空は晴朗。つぎつぎと変わってゆく景色に心が研がれるような気がしてきた。こんな所に住めたなら、僕はもっと畝の耕された心の持ち主と成っていたろうに。気持ちがよい。
岬を巡った。歩いて半島の南端へと向かった。海は紺碧。風に煽られた波が、白い波頭を砕けさせていた。いっそすがすがしかった。ここの灯台守になって、分厚い日記帳を詩で埋める。そういう夢を描いた人も多いだろうな。
西伊豆。別荘くらいしか家がない。富士を望む入り江が多い。笑ってしまうくらいに日本的なつくりの風景もあった。青く荒い海と、急峻な山、美しい小島、岩礁、浜の砂。遠く駿河湾の背景に聳え立つ富士。富士は北斎の絵のようだった。どんどんと稜線が伸びてゆき、本当に尖った、美しいかたち。あれはデフォルメではなかったのだ。浜に車を止めて眺めている間、吹き付ける風がしぶきをかけ、砂粒をぱらぱらと降らせてきた。
夜の道を帰った。たぶんきっと、この伊豆旅行も僕は忘れない。こうして書いた光景を背景にして、心に残っていくものがたくさんあったから。
また来ようと思う。
2005.0129 土曜日
曇り
■三重へ
所用で三重へ。新幹線を名古屋で乗り降りしたのは、昔、信州へ行ったときくらいだ。あれも真冬で寒かった。冬の駅は、未来への不安やおののきの詰まった、そんな空気が流れているものだ。
夜には辞して、また東京へ戻った。用を終えて、ほっとする思いがあるのではないかと思ったが、それは外れた。たぶん、刀を抜いたら、その抜身を持っている間は緊張感を捨てられないというのと、同じようなものなのだろうと、今はそう思う。
2005.0130 日曜日
晴れ
■麺、二軒
ゆっくり起きて、昼食に蕎麦を。日野館(ひのやかた)。甲州街道沿いの店は、文化財だとかで工事中。市役所の近くへ新築の店舗を建てて、引っ越してしまっていた。あの古い屋敷がよかったのだけれど。
なめこのせいろを食べる。デザートは、日本一うまいと思うアイスクリーム、蕎アイス。蕎豆腐の黒蜜がけも。
夕食。こんどは高雄駅近くにおしゃれなラーメン屋ができたと聞いていたので冷やかしに、「凛として」。メニューは、比較的廉価な気がするのだが、お店が大きく、デザインをがんばっている。大丈夫かな?つぶれない?と思ってしまうほど。が、なかなかではないか。
味はそこそこ。サンマ節とホタテをベースにした出汁だそうである。ご飯ものが、実はおいしい気がする。
風邪を引いた模様。のどがいがいが。咳が出始める。昨日の電車でもらったのだろう。
2005.0202 水曜日
晴れ
■寒風
この数日、めっぽう寒くなった。これくらいでなければ2月とは言えない。しかし、日本海側は記録的な大雪で困っているという。
風邪引きは、今日は咳が少し出るので、いやいやながら風邪薬を飲んでマスクをかぶった。この歳になるまでわからなかったのはおかしいけれど、風邪を引いたらこうして周りに気を使わないといけないのだなあ。薬も、別に病気が治ってしまう訳ではないのに飲むのは、これは症状を抑えて、平常をきどっておきたいだけのため。そして、咳やくしゃみで風邪をうつさないようにするためなのだと理解している。変?
Kの具合がよくないとのこと。昨日、電話で知った。あいつ、こちらに動きがあると、必ずなにかやってくれるなあ。
がんばるよ。がんばれよ。
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