Diario
日々の記録




2004.0803 火曜日
晴れたか曇ったか

■3代目


 いろんなタイミングがあって、まあいいやと僕は帰宅の途を延ばして電気店へ向かった。そしてほとんど逡巡なく、このパーソナルコンピュータを購入した。アップルの現行powerbook G4である。

 先日液晶が暗くてどうも、と書いたとおりだが、家に持ってかえればほとんど気にならなかった。とにかく僕は、これからはG3でうるさかったハードディスクの音にも、OSのスペック遅れにも悩まされることはなくなるはずだ。

 14インチのG3は、黒くグラマラスな秘書だったが、こんどの15インチのG4はアルミニウムの銀色で、高級外車のスポーツカーのようだ。使いこなす程のこともないかもしれないけれど、よろしくね。君で3代目のコンピュータです。

 2代目は、5年あまりの付き合いだった。それでもずいぶん長かったように感じる。でも機械は、できれば10年くらいつきあいたいと思う。服や靴もそうだ。僕自身にとっての一つの時代をはかることのできる長さを、ともにあってほしいと思う。


2004.0809 月曜日
晴れ

■おきにいりのジョーク


 夕刻より、新宿にて飲む。アフガンでお世話になった方を囲んで。
 いつもそうだということではないのだろうけど、こんな時間から、しかも月曜日というのに、会社帰りに一杯飲んでいる人が少なからずいるのだということ。
 おおいに羨む。

 帰宅後、メールマガジンでUFJ銀行の合併の話を読む。この件、まさしくボンクラ的な話で、まったくよろしくお願いしたいと思うことしきりだ。ちなみに僕はUFJに口座を持っているので、大丈夫かなあ、と、実は本気で心配している。

 でもちょっと思ったのだけれど、まるで恐ろしい、そして作り話としておもしろい展開。三菱東京グループとまとまりたいUFJさんは、三井住友さんとの約束を反古にしてでも!との決意も固い・・・・けれど、なんと、ふたを開けたら、三菱東京と三井住友が合併!てのはどうでしょうかね?世の中、恐ろしいなあ。いや、それだけはあってはならない、と思う。想像の世界なのだけれど。でもまあ、ここまできたら、仮にそうそういうことがあったとしても、驚いているのは初めだけかもしれない。


 これは、お気に入り、今日いちばんのオリジナルジョークです。いかが?


2004.0823 月曜日
曇り時々雨

■攻殻機動隊


 もう発表されてから9年も経つ作品。押井守監督のアニメーション映画をDVDで見る。
 どうしてだかわからないけれど、なんだか今日は、遅い帰宅だったというのに、こうして何か作品を見たくなってしまった。そして、なぜだかわからないけれど、そういうにはいやに自然に、この作品を見てやろうという気になったのだった。

 ブレードランナー以来でもないのだろう。技術が進み、コミュニケーションが爆発的な量と速度で渦巻くようになってしまえば、はたして自分の依って立つものすべてが、ほんとうなのか、それともつくられたものなのか、はたまた、コピーの成れの果てなのか、といった不安と、疑問と、底なしの寂しさがやってこないか。そんな、脅迫的なまでの恐怖。


2004.0830 月曜日
曇り時々雨、台風迫る

■鍛錬


 健康診断の結果が出てから、もう、しばらく経ってしまった。眼圧が高いとのことで、再検査せよと。健康診断のときは、眼圧なんてはじめて測ったので、恐がりの僕は、あまり目を開けていられなかった。たぶんそのせいで変な数字が出てきたのだと思う。が、気のせいか、このところ目が乾いて、疲れやすくなった気がする。睡眠が足りないということもないのに、困ったものだ。やはり、眼圧?
 たぶん、本当のところは、歳をくったというだけのことなのだろうなあ。

 台風が近い。珍しいほどの大風が、このあたりでも吹いている。

 このところ、こうして書くことが少なくなっている。書くことは、続けていればいるほど、なにもかも研がれ、力づけられ、安定を与えられるもののように思っている。それは、ちょっとした鍛錬である。体も文章も、同じことなのに違いない。だから、こうして書かないことによって、僕のどこかの筋肉は緩慢になり、思う動きも、立ち姿のそれなりの美点も、日々のうちに失われていくことは、ほとんど間違いのないところだ。
 これから、ちょっとづつでも書いていかないか?
 ああ、そうしよう。そうしよう。
 体重が、70キロ台に乗りました。


2004.0904 土曜日

■七夕を過ぎて


 年に数度くらいは、まともに空を仰いで星を見たり、月を眺めることがある。まともというのは、一分以上、というほどの時間。一瞥ではなく、見つめると言える、そんな長さ。
 このあいだ、N君からメールをもらった。七夕について。ちょっとすてきなお話だったから、ことわってここへ載せておく。

ついでに、七夕の話ですが、
本当の意味での七夕は旧暦なので、今年は8月22日でした。

重要なのは月の欠け方と軌道です。
夜10時位の下弦の月を、空に浮かぶ船に見立てます。
それが丁度、ベガを通過して、天の川を横切りアルタイルまでたどり着きます。

ちゃんと天の川を船で渡るんですよ、織姫は。

 ・・・なんだって。月の船で渡るのか。知ってましたか?これは見なければ。せっかく七夕を知ってはいても、このことを知らないでいるのは、なんとももったいないと思いませんか?

 似たような話で、ずっと前に「青梅」が、なぜ梅が青いかと書いたとき、何人かの方から、それは梅の実が青いからだよ、とおしえてもらったことを思い出す。梅と、ひとことで呼んだとしても、それは木のこと、花のことであったり、実のことであったりする。


2004.0907 火曜日
曇り時々雨、そして風

■ずっと


 ずっとずっと、というほどではないのかもしれないけれど、学生のときに出会った、一枚の音楽アルバムがあって、僕はたびたびダビングしたテープでそれを聞いていたものだった。映画のサウンドトラックで、タイトルは「Birdy」。アメリカのアラン・パーカー監督の作品だ。有名な監督だが、作品の方は地味な佳作といった評価だったのだろうか?ほとんどお目にかかることがなかった。
 働きだしてから、CDを見かけることがあって、そのとき、ちょっと迷ったが、僕はこれを買った。聞けばわかるが、ピーター・ガブリエルの曲が続くもので、普通の人なら、あんまり寂しくて冷たくて、そしてなんだかおかしくなってしまいそうで、きっと、聞きたくない、そんな一枚である。まあ、僕にしても、それからしょっちゅう聞いていたわけではなかったけれど。
 こころがうずくまるように思える日、少しだけ甘く、そして冷たい雨に、風に、打たれ、あてられるままになっていたい。それは誰にでもある感情だろう。そんな気持ちを締めて、しばらくを過ごしても大丈夫な人は、ちょっと聞いてみてほしい。

 今日は、夜中から、映画のほうをDVDで見た。このあいだ、たまたま店で見かけたので借りたのだ。置かれていたのは、これ、たった一枚だった。

 ピーター・ガブリエルは英国の人。監督はアメリカの人。この組み合わせでよかったと思う。見終えて、人生の中の、なにか大事なことのうちのいくつかを、ちゃんと見せてもらった気になった。そして、つなぎとめ、掬いあげたい対象が、いつも、すこしずつ離れ、こぼれ落ちていくものであることも。

 今日から少し、寂しい音楽の聞き方が変わるような気がする。


2004.0911 土曜日
曇り

 とてもとても眠い。締め切りが迫っている。仕事の話だ。ろくに眠ることもできない。いや、それは帰宅してから、どうしても数時間の自分の時間がなければ耐えられない、僕の性癖によっていることなのかもしれないが。
 とってもとっても忙しいときに、寝る時間だけは好きなだけ眠ることができる。そんな不可能が可能となった日には、どんなに幸せなことだろう。無理かなあ、そんなことは。

 今年も911が来た。


2004.1005 火曜日

 朝から土砂降り。雨も、もう3日目だ。多摩川の水位は、今年一番の高さまで上がっただろう。このいちねんばかり、京王線の鉄橋の下ほどちかいところへ住み着いた人たちの小さな集落がある。彼らの家たちの不安げに軒(?)を並べた様を見て、仕事中も気になってしまった。

 昨日、首相の諮問機関が、武器輸出にかかる原則を、対米に関してのみ、緩和する内容を含めた報告書をまとめ、提出したのだと聞いた。深夜のラジオで聞いたが、一時代を画すことになるだろうことを、そらぞらしいばかりの表現で伝えて聞こえた。
 この間の国連総会での常任理事国入りの意思表明といい、イラク支援といい、この数年で、日本はどうやら国連中心主義の看板をはっきり降ろしてしまったように感じる。もともと国連も、人類の議会と呼べるものにはなっていなかったし、冷戦後のパラダイムを決するための主体的な役割は打てないでいたのは確かだ。けれど、今の日本の行動は、いちいち孤立主義に走るアメリカを追認しては、それをバックアップする立場を必死で守っており、不安に思える。アメリカに対して対等な立場でいられるほど、常任理事会での日本は堂々とした国ではないと思うし、ようするにヨーロッパでドイツが入ったら、アメリカだって日本にでもついてもらおう、そんな場面での役回りしかできないのではなかろうか。いじめられっ子になるにはおあつらえ向きだ。
 白日のもとに日本は態度表明しないで、これまでのように、地味ながら民間の分野をまじめにやっていくことに徹することはできないだろうか?それをもって、戦略とも、基本路線とも言えないだろうが、危うい背伸びよりも身の丈にあった行動ではなかろうか。
 テロ、テロと騒ぐけれども、たぶんきっと、それはどこまでも口実、もしくは都合の良いスケープゴートとして使われているに過ぎない。世論に、間接的な納得を強いるために、きっかけを引っ張っているだけだと、僕は思っている。かつてのゲリラが、対立する、別の体制の確立を狙っていたのとは違って、純粋に我々の暮らす世界の成り立ちへの対抗をしているように見える、内容の見えない、宣伝されたテロは、大国であるほど利用しやすい純粋な敵にすることができる。大国は、共通の利益のためのシステムにとって保護者であり、テロリストの仇である。そういう図式だ。相手は、びっくりするほど小さな組織なのだけれど。そんな小さな暴れん坊のことを喧伝して、何か別の動きのために利用することはないだろうか。というより、ほとんどそれだけのことだろうと思っている。それが、グローバリズムの強化だけかというと、そんな単純なこともないと思える。
 だが、国家のような、法の支配にもとづく、理屈で成り立つシステムは、本質的なインフォーマルセクターであるテロリストが苦手である。ブッシュは「戦争」と言って、法を逸脱することを回避しようとしたが、ほころびも出てきている。法の支配が崩れてきたとアナンが苦言を呈したのは、国際舞台での出来事としてはばつが悪すぎたけれど、今さら何とも思っていなさそうな世間の雰囲気はどうかしていると思う。恐ろしいことだ。
 どうであれ、この国が極端な保守に走って、自己防衛の布石ばかり打つことに終始するようにならないことを願う。どこかの横暴な国も、分裂しようとする地域を押さえつけて不満を取り除けない国も、大多数の食えない人々の目をしらじらしくさせていることは、どうにも事実だ。自給できない日本は、食えない人々との付き合いの中で、絶対に誠実さを捨ててはならない。慢心は、裸の王様が座る王座だ。
 また、日本が孤立主義的になっていけば、風当たりもあるだろう。そうしたときに、また国家主義のような、集団への信仰に迷い込むことはなかろうか。もしくは、そうもならないで、鬱屈した状況にならないだろうか。それも心配だ。

 新聞の政治コラムみたいになってしまった。でも、憂慮甚だしいのです。教条的にならないで、大人の論議をつくしつつ、納得のみちゆきを共有していくような流れはできないものでしょうか。それこそ、過剰な期待でしょうか。


2004.1022 金曜日
晴れ

 早朝、成田に着く便で帰国した。1週間ほどの出張だった。猛暑だった今年の夏も終わって、日本は秋。しかし、この時期でもカンボジアはやっぱり暑かった。

 中途半端な長さの出張だったから、計算してできるだけ少ない衣類を持っていき、高いホテルの洗濯代を節約したくて、たくさん汚れたままで持ち帰った。出張前も忙しくて、それなりにたまっていたから、まとめて今日は洗濯。疲れているので、わざわざ出社もしなかったし。
 3回洗濯して(・・・・多い)、やっぱり眠いので風呂につかって寝た。ああ、いい天気だったのに。

 夜。めずらしく回転寿司で夕食をとった。2回目か3回目ではないか。なんだかおしゃれな店だった。

 深夜。DVDを借りてきた。前からなんだか見たかった作品「猟奇的な彼女」。韓国映画だ。ポスターのイメージは、ちょっと内容とずれている気がした。
 笑えてほろりとして優しくなれるけど、韓国人は結構気が利いたものをつくるなあと感心した。少しロマンチックにしすぎた嫌いはあるかもしれないが、キャスティングが最高で演技が生きており、これも感心。韓流はほんものだ。


2004.1026 火曜日

■詩人の死


 川崎洋さんが、21日に亡くなった。74歳だったと言う。プノンペンでメールをチェックしたついでに見た新聞のWebではじめて知ったと思う。僕にとっては何度目かの、全くの他人に対する哀悼と、信じられないというおそらく一種の喪失感とその拒絶の気持ちを覚えた。
 彼は、現代日本ではめずらしい、かなり名前や業績の浸透した有名な詩人だった。高校生の頃、手軽に読める文学として(?)、詩はいろいろ読んだのだが、川崎さんの叙情的で、しかも洗練され、いや、なにより清潔な作品には、どんな作家より引き寄せられるものがあった。
 彼の作品は、なぜだか僕には中性的なイメージを与えるものが多い。植物的といってもいい。美しく光を反射する葉をたくさんつけた、不思議な木、といったイメージだ。


2004.1103 水曜日
晴れ

■甲州へ

 天気もよく、文化の日のお休み。もったいないから、午後になってでかけることにした。中央道を走って、甲州へ。
 富士山を間近に見たいと思っているのだが、ずっと果たせないでいる。今日も少しガスがあって、それほど良いコンディションではないと思われたので、富士吉田への道にはそれないで、中央道を走り続けた。
 サービスエリアで休憩を取りながら、そういえば、建築家長谷川逸子の作品が、山梨にあったことを思い出した。県立のフルーツパークである。インフォメーションで道順などを教えてもらい、ついでに「ほうとう」のおすすめのお店の情報ももらった。高速道路のインフォメーションは、たいしたサービスを望めないと思っていたけれど、そんなことはなく、とてもフレンドリーで親切な対応だった。

 夕刻のフルーツパークは寒く、かわいい公園だった。春や夏はほんとうにいいところだろう。
 ほうとう。有名な店の様子だった。ふうふういって食べた。馬刺もあったが、これは高くてやめた。


2004.1106 土曜日
晴れ

■?


 ?
 なにか書いておきたいことがあったが、どうしても思い出せない。


2004.1113 土曜日
晴れ

■霧ヶ峰の道


 秋深まった週末。冷たい風が吹いた晴れの日。山を見たくなって車を出した。向かった先は長野、ビーナスライン。

 霧ヶ峰の近辺は、自転車やバイクでも走ったことのある思い出の道。3時を過ぎると、晩秋の日は大きく傾き、晴れて陰影の強い黄金色の風景を作る。

 白樺湖のほとり、池ノ平ホテルのそばに、公営の温泉があったので入った。いい湯だと、ほかの客がくちぐちにいうのを聞いたが、僕にはどうも熱すぎた。ゆっくり入っていられない熱さである。のぼせないのかな?せっかくだから、ゆっくりゆっくりつかりたかった。


2004.1114 日曜日
曇り


 先週の土曜日に、天気まで書いて、やめてしまっていた日記の下書きがあったのに、今日気づいた。もう一週間以上経っている。早いな。なんだったのだろう。何か書きたいことがあったはずなのに、もう思い出せない。

 昼からどうも眠くて横になると、知らぬ間に夜だった。夜になってDVDを借りてきた。「アメリ」と「竹山ひとり旅」である。ちょっと前に借りて、見ないまま返した「チェルシーホテル」を見つけられなかったので、その反動だろうか、自分でもすごい取り合わせになったと思った。

 「アメリ」、すぐに見終わった。フランス映画に出てくる人たちの動きは、ばたばたとしてこうるさく、子供っぽく、そして気が利いている。演技も。

 未明。オリーブを二粒。粒で数えられる食べ物って、なんだかいいね。おやすみ。


2004.1116 火曜日
晴れときどき曇り

■ひとり旅


 先日借りた映画「竹山ひとり旅」のDVDを見る。進藤兼人監督の作品だ。彼の愛妻であった音羽信子も出演している。津軽三味線の大家であった高橋竹山の青年時代までを物語る、一種の伝記映画だが、竹山本人も語りや演奏、音楽で出てくる。音羽さんも高橋さんも今はもうない方がただ。今はもう彼らを失った、進藤監督の哀切が映画を見ている間、ずっと感じられてしまった。

 Nさんが亡くなったとのこと。父の友人だった。たんに飲み友達というだけではない人。心筋梗塞で倒れたまま、独り身の彼は、2日近く発見されないでいたのだという。しかし、1週間近く、これまで入院してがんばってきた。それが、今日になって力つきたのだ。
 僕も小学生のときから知っている。懐かしい人だった。


2004.1118 木曜日
曇りのち雨

■弔辞によせて


 会社の帰り、ホームセンターに寄った。もう何年か使っている自作の食器棚兼カウンターのテーブルトップにタイルを張ろうと思っていたが、やっとタイルを買うことができた。
 夜。もう12時を過ぎているというのに、さらに思い立って、今日のうちに張ってしまおうということになった。100ミリ角のものを60枚。
 タイルをいちまいいちまい、目地をきれいにとって貼付けるのは、きっと難しいのだ。そう思っていた。けれどやってみれば意外ときれいにできるものだということを知った。
 横1500ミリ、奥行き400ミリの天板をきっちり張り上げるのは、しかし骨が折れるけれど、わくわくと楽しかった。やはり本来、僕はこういう仕事が好きなんだろうなあ。

 そういえば今日は、Nさんの通夜。明日は葬儀だとのこと。夜に母が電話をくれて、明日、親父が読むという友人代表の弔辞を聞かせてくれたのだった。
 父は最近早期に退職したから時間があった。だからNさんのところへ毎日通った。そんな彼は看病のときから努めて明るく、今日も5行くらいの弔辞の下書きを残して母に続きを書くのをまかせ、通夜なのか飲み会なのかわからないけれど、どこかへ行ってしまったとのこと。

 途中、涙でなんと言っているのかわからなかったが、我が両親合作の弔辞は、心のこもる、すなおな言葉でつづられており、なによりNさんがよく偲ばれるものだった。そうしてそれはたんに、親の世代が別れの季節にさしかかっていることを思わせるだけでなく、ゆるやかに、僕自身にもそれがつながってきていることを自覚させてくれた。
 生も歓喜。死も歓喜。両親は、そう述べた。生死で世界が反転するようなくびきを想定していては、そんなことは言えない。死にゆく人も、いまは生き、やがておもむいていく人も、同じ方向へと流れるなにかのなかで、おもいをかけ合っている。そこにある無限のつながりを想像していると、たんに生物としての生を超えて、僕らはずっと広く長いスパンの軌跡を描いているようにおもえてくる。

 年賀状が売られているのを見て、来年が酉年だと知ったよ。それで来年が年男ってことに気がついたと言って、母と笑った。そういう母も、父も、再来年は還暦だ。早い。


2004.1120 土曜日
曇り

■チェルシーホテル


 チェルシーホテルという題名の映画を、DVDで見た。前に借りて、見ないで返したもの。ちょっと好きな映画である「GATTACA」に出てくる、いまは夫婦のイーサン・ホークとユマ・サーマンたちによる映画だ。ミニシアター系なのだそうである。
 チェルシーホテルは、言わずと知れた、ニューヨークのいわくあるホテル。かつて、名のあるたくさんのアーティストがここを根城にしては巣立っていった。いかにも現代のアーティストがあやかりたい場所である。
 そんなこんなを枕にして、孤独な人間模様が、とても自然な不器用さの描写とともに描かれてあった。同じ境遇だったら、僕は励まされるだろうか。幼く甘美な連帯感を抱いたろうか。
 きっとこれだけはいえる。うまくいって、「はまる」こと・・・例えば、小説が売れるとか、画壇に名前がとおるとか・・・それらだけが彼らの満足を促すものではないだろうということ。でも、それではどうしたらよいというのか。彼らの孤独は、どうやってもたぶん、どうしようもなさそうに思える。
 でもこれって、アーティストだけのカッコいい寂寥感じゃあないよな。


2004.1122 月曜日
晴れ時々曇り

■災害ボランティア1日目


 何日か前から、長靴などを買い出しておいた。協力隊以来、押し入れにしまったままだったDoiteのアタックザックを取り出して、それらや寝袋をパックした。
 未明の出発予定は、例によってずれこんでしまい、飛び石連休の平日の早朝、出発することになってしまった。圏央道までの道が、少しだけ込んでいた。

 新潟中越地震の発生から、明日でひと月になるという。本震で最大震度7、余震でも震度5がめずらしくない、そのような容赦のない地震である。たとえば山古志村は、その複雑な山間の地形もあって、村全体が避難してしまうような事態となっている。山古志でなくとも、未だに数千人の人々が避難所暮らしを続けている。そのようななかで、せめてもの手伝いができないかと思い、僕はようやくではあるがボランティアに行ってみることにした。

 新潟は遠い。けれど、多摩地方からは4〜5時間で着く。

 災害ボランティアは、ふつう、県や市町村ごとに組織があって窓口をもっているものがあるので、それを通して申し込むことにした。僕は、そのような町の中でも、インターネットでの情報から短期のボランティアに対して受け入れが柔軟な印象を持った、川口町へ向かった。

 昼前に到着。熱心で親切なボランティアセンターで受付をすませて、ガムテープに名前や番号を書いた名札を上着に貼った。僕は1時からの「瓦の搬出作業」に参加することになった。

 作業は10名ほどの男性ばかりで行った。15分ほど歩いて現場へ。長靴でぞろぞろ、シャベルを持って行列を作って歩くのはなんともいえない雰囲気があった。町では自衛隊の姿をよく見かけた。ボランティアセンターの前にも、炊き出しをしている自衛隊がいたが、ご苦労様である。でも、どうしても話しかけにくい雰囲気があったのは不思議。

 川口町は、信濃川や支流の魚野川などの流れる、水に豊かな土地柄だ。地震があってはじめて知ったが、コシヒカリで名高い魚沼は、ここ川口町を含む地域のことだった。
 大まかに言って、なだらかな丘陵の連なる地形で、小さな畑や水田、民家が続く里の風景が印象的な、とてものどかな田舎である。

 日本有数の豪雪地であるため、どの民家も柱が太い木造で、背が高い印象だ。屋根の勾配も急で、家によっては雪下ろしの必要がない急傾斜のものもある。そうした頑丈さを備えた建築の特徴は、今回の大規模な地震にも有効に働いており、古い民家でも、倒壊したものはほとんどみなかった。基礎や壁の部分的な損壊、屋根瓦のずれや落下が主な被害で、建築士会等の診断結果を張り出した紙はほとんどが黄色だった。黄色は、倒壊の危険はないが、要注意であることを示すという。
 ひとくちでは言えないが、ここは豪雪地帯である。冬期の雪の加重を考慮すると、少しの構造的な損傷も、時間差の倒壊や事故に繋がりかねず、注意が必要なのだろう。

 さて瓦。個人のお宅の屋根瓦が山積みになっており、それらを土嚢袋へ詰めておくというものだ。運動不足で鍛えの足りない肉体しか持っていない僕には、非常につらい重労働だった。いちにち続いたら持たなかった。僕らのグループには、こういう作業になれた人々もおり、技術的に大変助かった。シャベルの使い方一つとっても、技術や熟練が必要なのだ。

 すべてのボランティア作業は、午後4時までに終了しなくてはならない。僕らの作業は3時半には終わって解散となった。
 宿泊は、近所の小学校がボランティア用に用意されており、自衛隊の作った仮設風呂も利用していいそうだが、僕はあるボランティアさんがキャンセルしたために泊まる人を募集しているというホテルを利用させてもらうこととなった。僕は無料だと言う。短期だから断ったのだが、いいじゃないか、どうぞ使ってくださいよとセンターのコーディネーターさんに言われたので、筋肉痛をいやすには風呂にもゆっくり入った方がよいだろうし、考えを切り替えてそこへ向かった。

 行った先は塩沢のスキー客用の大型ホテル。びっくりの規模。これは運を使い果たすぞと思った。だって利用者はたったの3組。大浴場は貸し切り状態。露天風呂で空を見上げると、青い寒空には月がこうこうと照り輝いていた。僕は月にちなむ歌を歌いたくて仕方がなかったのだが、どうにもいいのが出てこなかった。
 湯沢も塩沢も、被害は全くないようなのに、観光客がほとんどいなかった。観光がさかんな地域である。不謹慎と言わず、ここへきて紅葉でも楽しむことは、立派な災害に対する支援だし、本気でそれが求められていると感じた。
 ということで、地ビール2本をあけて寝た。


2004.1123 火曜日
晴れ

■災害ボランティア2日目


 昨日の夜、念入りに風呂に入っては体中をマッサージしたにもかかわらず、腰や足が痛くてたまらず、しかたないのでチェックアウトを遅くした。
 今日のボランティアは、とある農家の収穫の手伝いだった。昨日よりは楽そうだ、と、ホっとした。

 来月に入れば、どんどん雪が積もるようになる。冷えてもくる。霜が降りてしまうと、せっかくの作物が傷んでしまうので、今は収穫を急ぐ時期である。ところが各家庭は地震後の片付けその他であまりにもいそがしくて、手が回らないのが実情だ。そこでこのお家ではボランティアを要請したという訳である。
 ボランティアの仕事は、このようなこまやかなニーズの吸い上げとコーディネートによって作られていくもののようだ。しかし、仕事の全容は、実際に働いてみないとわからないこともある。無理を言われることもあれば、危険なこともあるかもしれない。ボランティアはそんなとき、自主的に判断して、自己責任で行動しなくてはならない。
 しかし今日の収穫作業は、ほかに2人の女性とともに行う、「ネギ」と「里芋」の収穫で、危険とはずいぶん遠い、ほのぼのした楽しい仕事だった。とはいえ、昨日の今日では、腰も痛いし楽な作業でもなかったが。ともかく、これらの収穫の仕方を学べたことや、ほかのボランティアさんやこの農家の人たちとの語らいはとても楽しかった。

 土産のネギひと抱えを下げて、泥だらけになって車へ戻った。今日は晴天が続いたからよかったが、今週も後半になれば雨が降る。そうなれば、寒さのなかで暗い作業になるだろう。今年はどんな冬になるだろうか。春が来れば来たで、融雪が怖い。

 帰りは小千谷市を通って。この町は意外なくらい都会だったので、被害も痛々しく感じる。開けられないでいる店が多いアーケードの商店街が象徴的だった。

 道中で聞いたNHK第一放送では、いくつものラジオドラマが流されていた。親孝行の話なども。年配の母親になって女優が語る台詞は、有無を言わせない。母は強し。息子は弱し。

 阪神淡路大震災以来、ボランティアによる活動は即応力も力量も備わってきているように思われた。今年の新潟は水害でも大きな被害を受けており、ボランティアの活動が盛んであったために、中越の地震にも対応がしやすかったこともあったかもしれない。
 災害は、生活の再建が成らなければ克服できたとは言えないだろうから、今後は行政や民間による圧倒的なまでの仕事が望まれている。平時でも大変なのが生活だ。災害時ともなれば、各位の疲労はどれほどのものになるのかは見当もつかない。しかし、一歩も引かないでがんばってもらいたいものだ。


2004.1127 土曜日
快晴

■午睡


 午後、あまりに眠くて午睡。起きたらもう夜の9時だった。ははは。

 DVDを返しに行き、また新しいのを借りてきた。「千年女優」と「バスキア」。これはオタク的な選択ですな。


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