Diario
日々の記録






2003.1122 土曜日
晴れ

■帰阪

 午後、新幹線で大阪へ帰省の途についた。3連休なのに指定席が取れてしまい、驚いた。

 東海道新幹線は、途中見られる富士山を期待するものだが、知らぬ間に寝入ってしまい、好天にもかかわらず見過ごした。大変残念。

 夕食は両親と鍋を。ふぐを頂いた。ごちそうさま。

 たまに会う両親。老けてしまっていないかと、いつも気になってしまうのだが、今回は、母親が少し若返って見えて安心した。


2003.1124 日曜日
晴れ

■奈良へ

 午前、K宅。8月に亡くなった彼のお母さんのために、線香をあげた。

 お父さんから、最期の日々のことを聞いた。肺ガンの治療はつらかったようだが、激痛による痛ましいものではなかったそうだ。美しい臨終の相であったという。

 午後、奈良へ。Kと奈良公園近辺を歩いた。意外に関西は冷えていたが、陽気の中をこれだけ歩くと、全く寒くない。
 猿沢池からひなびた街路を抜けて、志賀直哉旧居あたりを周り、春日大社の脇の原始林を歩く。鬱蒼たる森の道を行きながら、鹿たちの姿を時折認めてはすがすがしい気分になった。
 志賀直哉は、この抑制ある名の響きや、質素にして泰然とした姿の写真から興味のある作家だ。近く作品を何か読んでみたい。

 夜、Kと別れ、奈良県文化会館に向かう。ここでIと落ち合う。明日、ここで近畿各県の代表による、吹奏楽のお祭りをするというのだ。高校の先生である彼は、顧問を務めるクラブの指揮をするとのこと。たいしたものだ。

 奈良の繁華街で苦労して店を見つけ、そこで飲む。

 教師をしている友人は、当然と言うべきか、おしなべておかしな世間ずれをしていないことが多い。子供の頃や若い時代に感じたいいところが、摺り切れていないとすれば、友人としては嬉しいものだ。
 Iも、まだいいやつだ。けれど、彼は少し物静かになったのではなかろうか。少し気になる変化ではある。


2003.1125 月曜日

■しまじろう・京都

 もりちゃん一家とともに、夕刻、雨の中を車で京都へ向かう。愛息のたくちゃんは、もう赤ちゃんではなくなりつつある。子供らしく成長した笑顔を見ると、素直に感嘆してしまう。「しまじろう」と一緒に踊る彼のかわいさといったらない。

 もりちゃんたちとは、四条で別れた。京都らしい土産物はないものかと、手短ではあるが百貨店を物色する。いつもながら、京都の女性はエレガントだなあ・・・・

 京都駅から程近いところに住むS氏夫婦を訪ねる。何を携えていったらよいものか悩んだが、結局花束にした。明るいはなやいだ雰囲気を送り届けたかったのだが、初めて伺った彼らの家は、なんだか十分に明るい。

 旦那の料理がふるまわれる。味のある釉薬模様の食器は、いずれもブルガリアのものという。持って帰ってくるのは苦労したろうに。彼は、同期の協力隊経験者だ。

 鯛のあら入りクリームスープ。ピーマン詰めのパエリア。鯛のマリネ。鶏と野菜のポット焼き。以上は、すべてブルガリア風。これにフランスのワインと、ブルガリアの蒸留酒「ラキア」を頂く。
 話の肴もあり。貴重なブルガリアの建築通史写真集、現代美術カタログ、美術史の写真集等である。シルクロードの国々との関連も深く、特にトルコからの文化の影響は大きかったようだ。そういうわけで、アフガニスタンとのかすかならざる類似点も具体的に感じられておもしろい。建築的には、ソ連影響下の近現代の作品は、これは全くアフガニスタンとも重なるものだったので、なるほどというところ。

 夜も更けて、辞した。お互い頑張ろう。


2003.1125 火曜日
雨のち曇り

■幸福の偏差分布

 昨日からの雨は、実によく降った。Kは、今日は京都の大原へ小旅行に向かうと言っていた。天候が気になって仕方のない様子だったが、幸い昼から雨空は小止み模様となった。濡れた大原は、またいいものだけれど、彼はどう感じただろう。

 午後、M脇宅を訪ねる。新婚の頃、一度だけ訪ねたことがある。こんかいは二度目。あれから彼の家族はめでたくひとり増えていた。かわいい男の子である。父親の尊敬する指揮者と同じ響きの名をもらった。
 初めての対面。笑顔で迎えてくれて、嬉しかった。

 M脇は今回自邸を構えることになり、準備に大わらわとのこと。僕も建築をやる人間の端くれだから、少々相談に乗った。

 学校を出て働き出すと、大きな変化は少なくなるような気がしていた。実際はそうではない。彼のように結婚し、子供を持ち、住居についても手を打っていこうとするとき、それぞれそれらは大きな事である。むしろこれからの方が、いよいよ望んでいく山や谷、波の数々は迫ってくる。
 だから、世の中は絶対に平和でなくてはならない。安定していなくてはいけない。せっかくの努力を簡単にうち消してしまうような非情は許されてはならない。等々考える。

 アフガニスタンを見たから言うのではないけれど、地上から悲惨がなくなる気配はまだない様子で、平和も安定も、それはまるで例外的な恩寵のような存在にさえ思える。
 試験結果で偏差の成績がつけられるように、ある一定の安定があれば、やむを得なく不安定や悲惨は存在してしまうものだ、と、そのように考えてはいないか。


2003.1129 土曜日

■雨青梅

 昨日からいかにも降りそうな空だった。今日は雨。よく降っている。正午に起きたリビングにも、雨音がかすかに届いてくるほどに。
 ロールカーテンを上げる。少し斜めに雨粒がばらばらと落ちていく筋が目に残る。どしゃ降りに近い。

 雨空を見上げたりする時間は、短くなかった。ぼんやりと、湿度のある空気と、濡れて薄暗い外の光を感じていた。そうして過ごしてから、僕は久しぶりにひとり車で出かけた。

 青梅からさらに入っていく山間の道。この辺りを称して奥多摩と呼ぶようだ。雨でひかりは少ないけれど、色づいたかたちのいい木々がつらなり、この谷間の風景はうっかりして見逃せないくらいに美しかった。

 気まぐれにトンネル入り口をそれた測道へ入ると、小さなダムがあった。立派な魚道施設もついており、ゆっくり車を停めて、僕は行く秋の山で、雨の風景を楽しんだ。

 晩秋は寒いものだけれど、僥倖のように少し暖かでさえある今日の大気の中で、すでに弱まってはらはらと降る水滴を被るにまかせた。慰めるべき人がいれば、みな今日のこの薄暮の秋の谷に連れてきて、雨に一緒に打たれたいとさえ思った。あるいはいつか、自分を今日の雨の谷間へ連れてくるかも知れない。

 帰宅後、一気に掃除して夕食にすき焼きを食べた。夕方の気分のまま、あかりは天井だけを照らして落とすことにした。とても静かだ。

 夜半も雨は続いている。


2003.1202 火曜日
晴れ

■師走入り

 昨日までとはうってかわって、今日は朝から晴天だった。まるで写真でも建ててあるかのように、多摩の西には富士の姿が見えた。

 休暇をとったので何かと用ができるかというと、なかなかそうはいかなかった。これさいわいと少々昼寝など。なんだかどうも疲れ気味である。

 11月29日、イラクで日本の外交官2名とイラク人運転手が襲われて亡くなったという。自衛隊派遣が控えていたから、そちらに関心が行くのは分かるが、その前に、現在彼の地で活動しているたくさんの人々が、相変わらず危険と隣り合わせであることのほうが気になって仕方がない。
 今回、どのような安全対策があればよかったのだろうか?ピストルなどとは違う、本格的な軍事的装備で狙われている中を動くには、それらと同様の装備がなければどうしようもなかろうと思っている。状況が比較的安定しているのかどうかの確認と判断、さらに必要に応じて活動をストップできる一種の余裕があるのかどうかが、丸腰である場合の生命線だろう。

 戦後復興が重要であることは分かるけれど、こんな事件が発生してしまったのは、本当に戦後とは言いにくい現状だったということなのだろうか。これ以上のいかなる犠牲もあってはならないし、現地の人々の生活における復興が急がれている。みんなが納得して取り組むことが最善の道だが、それができないところに暴力の応酬の続く悲しさがある。今日だってアメリカ人の兵士が亡くなったという。イラク人も犠牲になってはいないのか。

 キルケゴールは絶望をして「死に至る病」と呼んだという。これまで何年も何年も耐えてきたのだから、イラクの人々は、怒りこそあれ、自棄になるような絶望を持たないでほしい。そのためには、圧倒的な希望が注がれる以外にないだろう。
 イラクの人々が、復興支援の手の向こうに人間的な顔を見るのか、それとも得体の知れない意図を疑うのか。これは疑う側の責任ではなくて、手をさしのべる側の本質が問われているのだと思う。その上で、イラクとアラブ・周辺地域の人間達の、ナイーブだが団結が問われている。(どこかの大国は、これも押さえ込んでいるのではなかろうか)

 アフガニスタンの治安のほうも気にかかる。
 こちらも問題山積ではあるが、今月から、ついに、選挙人登録の手続きが始まった。年末のロヤジルガを経て憲法制定が進み、来年の夏には選挙が行われるのだ。これをもって、現在の暫定政府は役割を終え、新生アフガニスタンの正式な出発となる。
 きっとさまざまな勢力が悶着を起こすに違いないので、またあそこへ行く予定のある身としては気になっている。

 気になっているといえば、年賀状の準備のほうも気にかかっている。
 祖母が亡くなったのだけれど、お知らせの手紙を出すよりは、ともかくも相手のめでたい気持ちに合わせてご挨拶したいと考えている。
 考えているけれど・・・。

 もう師走か。今年は、なんだか半年くらいしかなかったような気分だ。


2003.1203 水曜日
曇り

■船長と漱石

 ときどきと言わず、朝を起きて夜また寝てしまうまでの間、僕はなんだか旅の中を生きているように感じることがある。
 もしも今の生活の中に、地に足のついた日常を得ていないのなら、それは少々寂しい話だ。
 職場などで、自分が若干場違いなところにいるような気がすることもある。昔の僕なら、そんな気分があれば自分を嫌悪してしまったろう。けれど、今の僕は違う。そういうこともあろうかと思って、たいして取り合わない。むしろ、どのくらい気分が遊離してふわふわとしているのか、その間合いを測ることを楽しむくらいだ。

 最近、夏目漱石の小論・雑文の類をぱらぱらと少し読んだのだが、ちょっと驚くほどにいい文章であったのが印象に残っている。当時のことだから原稿用紙に直接書いていただろうに、一切の無駄もあやまりもない言葉の運びはまったく洗練されており、また力強かった。なるほど、立派な文人である。
 修善寺での大喀血のあと、彼はいたずらに皮肉を気取ることも傲岸にとりすますこともなく、生き残った実感から素直に感謝の念を呼び出している。彼のこうした人格もまた、ちょっとした驚きだった。
 付け足して言えば、そうしたことを通して、なんだかひどく孤独な人のようにも思われた。

 夜半、数度となく時折ベランダに出る。夜気が冷たく、師走の空に息が白く漂う。ちょっとした船の孤独な船長気取りで、堂々と登るようになった冬の星座を見上げたり、とくに古くもない家並みを眺めて伸びをする。航海中に、ふらりと甲板に出てきたというイメージだ。振り返った我が家の窓の向こうは、やわらかく暗い間接の明かりで灯された室内がある。
 旅のように日々を生き、帰ってきたすみか。そのやわらかなひかりの下に置かれた椅子は、まぎれもなく僕の席であるというのに、なんだか他人のものであるかのように感じる、そんな気分になることがある。
 そうした感覚が、そう、ときどきと言わず訪れる。

 孤独な船長と漱石は、なんの関係もない。昨日今日という最近の日々の中で、それらが同時に僕の心の中を占めたという、ほんのたまたまの現象である。ほとんど何の意図もなく、これら二つを並べて置いてみる。実験的なカクテルを味わうような、そういう気持ちがした。


2003.1207 日曜日
晴れ

■嫌いな言葉

 昨日今日と、秋晴れの良い天気である。冬という感じはしない。まだ枯れ葉が落ち続けているくらいの余裕が、今年の秋にはある。今日はとりわけ暖かかった。

 昨日、隣町の大型書店で本を買い込んだ。ほとんど文庫本である。15冊ほどにもなった。小説では、この数年は日本の作家のものが多かったけれど、今回ドストエフスキーの地味な作品とか、マルケス、ボルヘスなども読みたくなったので購入した。いつの日か、本当に読むときが来るはずである。本は、いつもそれくらいのつもりでしか買わない。食べ物ではないので腐ることはない。だから、好きなときに、好きなだけつまみ食いして、気が変わったら、また読みたくなるまで放っておくのだ。

 ストレス解消、という言葉が嫌いである。あれこれでストレスが溜まる、ということは理解する。しかし、好きでやっていることを、ストレスの解消のため、などと陳腐な意義付けをしてしまうのには我慢ならないのだ。好きだからやっているまでである。ストレス解消のため、と言ってしまったら、せっかく好きなことなのにストレスに従属させられてしまうではないか。
 と言いつつも、本をしょっちゅう買っているのは、まったくストレス解消のためだといっていい始末だろう。買い物は実にいい方法だけど、僕の場合、本とかCDなどにそれが現れてしまう。こんなことではあるけれど、このためのささやかな資力があることを、僕は幸いに感じている。

 たとえば、忘れてしまいたいことや・・・・

 ・・・そう書いて、そんな文句の歌があったなと思い出す。

忘れてしまいたいことや
どうしようもない寂しさに
包まれたときに男は
酒を飲むのでしょう
飲んで飲んで 飲まれて飲んで
飲んで飲みつぶれて 眠るまで飲んで
やがて男は静かに 眠るのでしょう

「酒と泪と男と女」河島英五

 この歌はよく言ったもので、たしかに僕だって酒を本当の意味で覚えたのは、この通りの状況があったからだ。恐らく、ほぼ、全ての男はそうだと言えるのではないかと思っている。
 しかし、こういう酒もストレス解消なのだろうか?仕事や人間関係のストレスではなくて、もっと広い意味の。まあ、そう問われればそうだと言える。けれど、それはあまりにも安っぽい。酒は栄養ドリンクではあるまいに。

 今日は出かけたついでに、少々ノートパソコンを覗いてきた。僕のpowerbook G3も、そろそろOSが古くなって不便だ。新しいi bookなどどうかなあと思っているけれど、踏ん切りがつかないでいる。

 夜半から、やり残していたために持ち帰った仕事を片づける。かったるいものだ。こういうことはしたくない。


2003.1209 火曜日
晴れ

■逍遥

 素晴らしい空の青さだった。そういう朝だったから、フレックスぎりぎりの20分前だというのに、僕は自転車に乗って会社へと向かうことにした。
 会社までは、多摩川の土手を一直線といっていい。途中、堂々と雪化粧した富士をみながら、冷たい風と、明るい初冬の陽光を受けながら走った。土手の下を見やれば、川の流れの緩急が見て取れる。ふわふわとした思考のペースを楽しみながらの15分余りだ。

 夜半、久方ぶりにワインを飲んで過ごした。軽く重く、頭の中は、正しく呆然と酔ってくる。これがワインというものだ。
 肴はチーズのみ。ワインはコンチャ・イ・トロのカシジェロ・デル・ディアブロである。言わずと知れた、チリワインの雄である。廉価ながら、十分に楽しめる質がともなったワインという意味で、これぞチリワインと言える銘柄である。そういうことで、おおげさながら雄と呼んでみた。
 けれど、2002年のディアブロはなんだか少し薄い気がした。ほとんどフルボディといっていい香りと飲みごたえが魅力だったはずなのに。

 久方ということでは、さらにワインを飲みながら楽しんだのは、日記才人(サイト)に登録されたたくさんのWEB日記だった。
 ときどき、どきっとさせられたのは、不倫ものだった。いくつか散見したのは、ただの不倫ではない。妻による不倫だ。しかも子供までいたりする。彼女たちにとって重要なのは、彼と過ごす夜であり、眠りの時間のようだった。でも、どうやってそんな生活ができるのだろうか?夫は、夜、妻がどこでどうすごしているのかいぶかしく思わないわけはないと思うのだが。ましてや子供は?しかしまあ、人も境遇もさまざまだから。

 さて、そろそろ寝ようか。


2003.1216 火曜日
晴れ

■アフガン映画祭

 午前、健康診断の結果を聞く。全く健康とのこと。中年に少しずつ近づいているから、実際のところ、かなり真剣になってきた。診断を受けるのも、結果を聞くのも。

 今日は休暇をもらっており、そのまま午後は都心の東京都写真美術館へ。アジア映画祭が行われており、今日はアフガニスタンデーとなっている。
 メインの「オサマ」が午後1時からと午後6時45分からの2回。その間に、NHKのプログラムが1本、それからアフガニスタン・ショートフィルムズとして、短編5本のオムニバスを1本という構成である。

 「オサマ」は、思ったよりもずっとできた作品で驚いた。カンヌだったかの賞も獲得しているだけあって、美しい映像である。筋の運びも分かりやすい。すべて素人を使ったと思えない役者たちも凄い。
 主演の少女は、カブールに住むマリナちゃん。物乞いをして家計を支えてきた少女だ。僕も現地でたくさんの物乞いの子供を見た。難しいことを思うよりも、みんながんばっているなあと思い、偉いなあとも思っていた。マリナちゃんは、そうした暮らしから、少しだけ抜け出せたようだ。映画の報酬があったので、学校へ通えるようになったためだ。学費が必要だったからというのではない。家計に回せるようになったのが理由である。

 現地の子供達は、みな、とても子供らしくてかわいかった。おおきな袋を肩に掛けてゴミ捨て場からペットボトルだけを集めていく女の子達も、わいわいと話しながら働いてけなげだった。僕の事務所へも、何人かの少年が入れ替わりで靴磨きをしにやってきていた。
 映画では、アフガン社会の現実や、すぐにはいかんともしがたい因習のようなものを描いていたけれど。

 それにしてもマリナちゃん、泣く泣く。あまり泣かさないでほしかった。短編のほうにも出ていた。こちらは最近撮ったものか、ちょっと気の利いた演技をしていた。これから女優のホープになっていくのかも知れない。


2003.1219 金曜日
晴れ

■三浦半島へ

 なんとか早めに仕事を切り上げて、タイヨー君と三浦半島へ車を走らせる。ミワコさんの家で飲むのである。

 夜も更けてから、鍋を囲んだ。1年前、ぐずつく空の下の秋川でバーベキューをしたのを思い出すけれど、あれから1年が経ったのだ。もっと時間は過ぎたような気がする。なぜだろう。

 あれこれと話をするには、ひと晩では短い。話したところで、なにごともけりがつくとか、そういうことではない。なにか、こころの変化があれば、なにか、新しい経験をとおして感じたものがあれば、それを見て取りたいということだろうか?

 ぼくらは、それぞれ専門がちがうけれど、途上国開発の現場で働いてきた経験において共通したものを持っている。ただ、そうはいっても、やはりそれぞれは別のものだ。仕事について互いに評価し合うようなことはないし、そもそも難しいことである。こころづもりを見られればそれでいい。

 つぎは、あたたかい季節に、海岸で海風にあたりながらといきたいね。


2003.1220 土曜日
晴れ

■六本木にて

 朝、三浦の海岸を見下ろすファーストフードの店で、軽く食事をして、出発した。次の目的地は、六本木。

 湾岸の高速道路を選んで走ったのだけれど、さすがに少し渋滞している区間もあった。

 苦労して公共駐車場を見つけ、車をとめたら待ち合わせ場所へと急いだ。協力隊の同期の仲間と会うのだ。

 寒い風の吹く六本木だが、ちゃんとみんなでおちあえた。女性ばかり3人。僕はうれしい黒一点である。

 六本木ヒルズを訪ねた。森ビルが開発した大きな街区である。事務所と集合住宅の足元は、坂に展開する商業店舗の構成。建築雑誌などで紹介されている写真に較べて、実際は落ち着いた雰囲気があった。ここを歩き、喫茶店で話す。

 みんなで不満だったのは、わざわざ出かけてくる人も多いというのに、ゆっくりできる喫茶店が少なかったこと。また、それらいずれの店も小さい。レストランはたくさんあるのだが、喫茶店がこれではちょっとあんまりである。たしかに冷やかしの客がたくさん滞留しないようにしたいという狙いはわかるけれど、冷たい態度としか思えなかった。

 女性達は、僕がいることで好きな話ができなかったのではなかろうか?そこのところが気になっていた。それにしても、みな元気だった。みんなに出逢って、もう5年経ってしまった。30歳前後の5年はなかなかに面白い時期だから、会うたびごとに楽しいものである。


2003.1228 日曜日
晴れ

■帰省

 正月は実家で過ごそうと、帰省の途についた。気持ちの悪いことだが、少々とも言えない仕事を宿題に抱えながら、車で中央道を西へ向かった。

 道中、富士や八ヶ岳が美しかった。大した寒さではなかったから、こうした山の気候に慣れていない僕にはありがたく、サービスエリアや走行中、ゆったりした気分で姿を眺めることができた。

 今年の年末年始のお休みは長い人が多くなるので、帰省の日取りも分散しているのだという。そのため渋滞にもほとんどひっかからないで済んだ。

 道路公団の民営化などが検討されて、具体的に動き始めているが、驚いたことに、すでに滋賀から大阪へのルートはもういろいろと増やされていて、巨大なインターや片側3車線を標準にしたような長大な高架道路が、ある程度完成されていたのだった。
 何年もかけた工事なのだが、完成すると、まるで魔法でできたかのように立ち現れる全体像に出会ってびっくりしてしまうものだ。まったく、日本はお金があるね。というよりも、無理矢理回しているのだろう。
 国家財政の蓋が開けられる、そんなに遠くない日のことを思うと憂鬱だけれど、すいすい走るのは気持ちのいいものである。せめて維持管理ができる力は残り続けて欲しい。


2003.1230 火曜日
晴れ

■信楽行

 Kとドライブ。午後から信楽へ向かう。たわいないけれど思い出多い道を辿る。

 信楽駅の入場券を買った。前回も買ったが、2001年の4月の日付である。あれから2年半以上経ったのか。

 年末なのに、まだ明けている焼き物の店がときどきあった。小皿や湯飲みなどをいくつか買い求める。シーズンを外れているので、値切りの交渉を言い出せなかったのが残念だった。もっとも、とりあってもらえたものかは分からない。


2003.1231 水曜日
曇りときどき雨

■大晦日

 実家の大掃除を。両親と僕の3人である。僕は窓拭きを担当した。歳をとると、窓というモノは掃除が簡単にできない大きさであることに気付く。台に乗って拭いたって、やっと半分しか拭けないものだ。台所の窓なんて、それもやりにくい。こういうことは、若い者にやらさないと危険ですらあるのだな。
 東京の自分の家は、実は掃除機くらいしかあてていない。窓も汚いままだ。新年のお清めといくことにしよう。

 夜になり、休み中に持ち越しになってしまった仕事をそこそこに終えて、蕎麦を食べ、料理と酒を楽しみつつ紅白を見た。

 僕は紅白が割と好きである。注目度の高い、名誉あるステージだ。出演者は、ただ1曲だけしか歌えないから、埋没せず、聞く人、見る人の心に残るような、あるいは楽しんでもらえるような、そんな出番にしていきたいだろう。
 出演者達は、この条件下でどうなのだろうか。表現者として、どうしていったらいいのかと悩むところだろう。そこで大事なのは技術はもちろんのことだが、歌に込める思いの深さ、強さだろうか。けれど、がなりたてて押しつけるような歌になれば、聞く側はげんなりしてしまう。どういうのか適当な表現が思い当たらないけれど、あえて挙げれば「包容力」。そういうものが、そこで大事になってくるのだろうと感じた。若い歌手は、奇をてらわないで生(き)の部分の凛としたものをだすことだろう。

 さても、そうして年が明けた。思うところは整理も何もできていないまま。
 ともかくも、今回の帰省では、奥琵琶湖の湖畔を訪れたいと思っている。そこで、ひとり佇みたい。こころをあらためて、新年を迎えるやりかたや、一日に疲れて床に就き、朝を迎えることと同じ気分で、僕は新年の早々、奥琵琶湖の湖岸に立つつもりでいる。
 ちょっと劇的な書き方だね。とても楽しみにしているものだから。


2004.0101 木曜日
晴れ

■元日

 新しい年が明けた。昨年、祖母が亡くなったから喪中ではあるけれども、一方で新年は祝うべきものだ。実家でも鏡餅もあるし、おせち料理もそろっている。会う人には新年の挨拶をする。

 年が明けたら、家族が揃って、そして礼節を尽くした身なりであらたまり、挨拶をし、食事して、今年一年の抱負を述べ合ってみる。そうして書き初めを行う。
 そういう正月というものを迎えたことがないけれど、この先、いつかやってみるのもおもしろいなあ、などと思う。

 習俗のなかで重きを置かれるもののほとんどは、儀礼であり、行事だろう。それらのほとんどは、かつての古い時代でさえ、普段の生活とはあまり関連を持たないものであったろう。非日常的なものを、年間の季節や節句であるとか、人生の節目に持ってくる。そうしたことが、社会的に、みなで共有されたものとなっている。それは、特定の地域内であったり、ある程度閉じられた範囲でだけ行われるものでしかないかもしれないが、この歳になって、それはそれでなんだかいいものだなあと思えるようになってきた。

 今日も我が家には客人があり、僕ももてなしの側に連なった。さまざま、その近隣の客とわいわい飲んで話す楽しさがあり、こうした交友のあることが有り難く思えてならなかった。


2004.0102 金曜日
曇りときどき晴

■たっくん

 暖かな正月2日目。夕刻から父と連れだって梅田まで出かけ、そこで先に出てきていた母と落ち合い、皆で食事。
 買い物も目的だったのだが、父はそういうことに付き合うタイプの人ではないので、本当に食事だけして帰ってしまった。
 百貨店は今日が初売りなのだろうか。なかなかの客の入りだった。

 食料品売場で珈琲を引いてもらい、それを土産にもりちゃんの家へ訪ねた。年始の挨拶だ。
 彼ら一家は、僕の実家の数軒隣りの家に引っ越してきたので、ますますご近所様である。
 奥さんに早速珈琲をいれてもらい、皆で味わう。なかなかのものだが、値段ほどには味は比例しないものだな、とも思った。

 こたつで談笑している間中、かわいい「たっくん」に遊んでもらった。まだ二つである。なにやら覚えたたての言葉で、いろいろと話しかけてきてくれる。僕は、小さい子供が得意な方ではないのだけれど、彼のほうが大人が得意なようだった。まったく彼と遊ぶのは楽しかった。
 帰宅後、なんだか気分がいいのに気がついた。少しばかり悶々としたものがあったはずなのに、明るく、爽やかな気分になっている。これはきっと、たっくんのおかげ。いやあ、すごい!

 ありがとう、たっくん。また遊びにいくからね。


2004.0103 土曜日
晴れのち曇り

■湖北にて

 寝正月に近かった大阪での数日を終えて、荷物をまとめ車を出した。信楽で買い求めた陶器のほかに、実家で蔵入りしたままだった貰い物の食器をいくつかと、父が昔無理して買ったステレオシステムの大きなスピーカーをひと組、土産にさせてもらった。遅い昼食の前だったから、少しひまだったのだろうか。両親とも表に出てきてくれた。

 息子も娘も、家を出てしまった。まだ還暦前ではあるけれど、寂しい思いをしていると聞く。寂しいというのは、今現在そうだからというのではなくて、きっともう、子供達は家には戻ってこないのだろうと考えているからだ。特に母は、妹は1年もしたらニューヨークから帰ってくるつもりだろう、そのほうがいい、そうは思わないか、とよく話す。そのうちまた、せめて好きな京都で妹が暮らし始めてくれればと思っているのだろう。実際、僕もきっとそうなると思っているが。

 僕は関西が好きだ。大阪や、京都で暮らすのが性に合っている。性にあうというのもおかしいが、くにがそうなのだから仕方がない。けれど仕事の拠点が東京にあれば、いまはどうしようもない話である。若干の我慢だ。だが、親と日帰りも難しい距離にいるのは申し訳ない気持ちがしている。ラテンアメリカで、みな近くで寄り合って暮らす良さを見ているので、余計にそう思う。

 東京への帰途、湖北に立ち寄った。京滋バイパスから名神に乗り、栗東で降りた後、琵琶湖大橋を渡った。そうして大好きな湖西のみちをたどって、僕は久方の湖北、奥琵琶を臨む松並木と浜の美しい湖岸に着いた。

 日中の大阪は快晴だったのだが、北陸に近いせいか、湖北は曇り空だ。日暮れ時で、雲間から差す冬の西日が暗い北の空をバックにして、松やらすれ違う車、古い瓦の家並みを、枯れたこがね色に照らしていた。

 薄暮の近江の風景はことのほか趣があるものだ。盛夏や桜の春の美しさといったらないけれど、晩秋や冬の湖北もまた美しくて、早朝や日暮れ時は格別である。
 老年は、湖北のように過ごす時間でありたい、とさえ思う。

 とっぷりと日が暮れてしまい、暗い曇り空からは冷たい雨がはらはら降ってきた。僕は車の後部を浜へ向けて停め、ハッチを開けて屋根代わりにし、荷台へ座り込んだ。時折通過していく車の他には、誰が来ることもない。聞こえてくるやさしい波打ちは、凪いだ奥琵琶の、冷たくて澄んだ湖水の音だった。湖岸をめぐる街道に沿って明かりが灯っており、はるか対岸は雪が降っているのか、その乏しい光も遮られがちになっていた。

 湖北、奥琵琶は、僕の最も好きな場所である。土地という言い方になると、人や風土まで入ってしまうのでできない。けれど、この場所の、この浜で、ひがないちにち過ごす日々があったとしたら、僕は何の条件もなしに憧れるだろう。
 しかしここは、僕にとって甘美な安逸の場所なのだろうか。放棄や停止の表象なのだろうか。実際、そうであるのかもしれない。

 忙中閑有り。
 空から見た、えんえんと打ち寄せていく南洋の波、南アメリカで見た赤い砂漠の風景。思い出せないくらい何度も感嘆してきたさまざまな自然の精妙な姿。僕の大切にしている場所や映像はたくさんある。
 謙譲な人間が住まってきてできた湖北の風景は、それら自然の風景と同じように、時折行き詰まり、閉塞していく僕の弱い気分の背景にあって、常に静かで美しく、そしてかけがえのないものとして心に置かれてしまっている。

 次にここへ来るのは、いつになるだろう。どんな時になるだろうか。

 僕は、ここへ何かを捨てに来たことはない。何かを得て帰ったこともない。今思い出せるのは、かつて何度も来て過ごしたとき、うらさみしい気分の奥になにかがあって、いつも、今も、それが何かよく分からないという気分である。けれど、それを感じながら過ごす奥琵琶の時間は、ほかでどのようにしても過ごす能わざるひとりの時間になってきた。

 いい旅とは、まずは新しい自分に出会う旅だといえるだろう。それはその時であるとは限らず、時間が経ってからそう思えるということもある。僕にとっての湖北での時間は、僕がかわり続ける限り、そうした経験のできるものとしてあるような気がしている。

 波音が少し高くなってきた。また次に来たとき、続きを書くことができればいいと思いながら、ひとまずはここで書くことを終える。


2004.0104 日曜日
晴れ

 おんぼろの車で大阪から帰ってくるのは重労働で、昨日しみじみ長々と湖北で過ごした後の道中は、たびたび休んで睡眠をとりながらのものになり、結局東京の家にたどりついたのは朝の5時半になってしまった。
 風呂に入ってから床に入ったけれど、せっかくの晴天も棒に振って、起きたのは夕刻になってしまっていた。ロールカーテンが遮光タイプなので、安眠できるかわりにいつまでも目が覚めないのだ。と、いつも理由をつけている。

 夜、新宿で友人と飲んだ。正月の明けていく雰囲気があった。いつもながら東口かいわいは若い人が多くて、暖かな冬の夜に、やわらかい湯気でもたてているような感じがした。


2003.0117 土曜日

■雪中行

 冬の澄んだ大気の中に聳える富士を近くで見たいと、ずっと思っていた。そして予定を組み、ようやく今日、それをやってみることになった。

 ところが、雪の中の出発となってしまった。
 なんと運のない。昨日までずっと晴れていたというのに、今年初めてのまともな雪の日だ。家に閉じこもっているのもつまらないし、出かける気分を大事にした。

 スタッドレスをはいているものの、慣れていないので雪の中での車はおっかなびっくり。中央道まわりで富士吉田にでて、御殿場まで。富士はとうぜん雪雲のなかなので見えなかった。
 せっかくだからと、夕方から御殿場のアウトレットモールをひやかした。

 また日を改めて、もういちど出かけようと思う。


2003.0118 日曜日
晴れ

■感覚延長

 昨日の雪からうってかわって晴天である。まったくうらめしいばかりだ。すれ違う恋のように、富士は遠くで聳えるだけなのか。

 夜半、映画「マトリクス」の第2作「リローデッド」を見る。
 仮想世界で活躍する人々。
 銀河鉄道999と設定は似ている。同じかも知れない。機械の社会への、生身の人間の挑戦。

 パソコンを使いはじめた頃、頭が痛い感じがあった。そしてとても気持ちが悪かったことを思い出した。あれはまるで、自分の中にコンピュータの論理や精神性が入り込んだか、あるいはこちらから向こうの世界へ進出していく違和感のようなものではなかったか。そう感じていたのだ。感覚延長というか、浸潤というか。

 会社でも、仕事はそのほとんどをパソコンでこなされるようになっており、かたちを変えた依存症が、知らぬ間に異常ではないと認められたかのように感じられることがある。はたしてどれだけ、生産的な活動になっているといえるのだろう。書類はもういい。こまやかなコミュニケーションもほどほどでいいではないか。

 それはともかく、僕らはすでに仮想世界をあらたな感覚と作業の空間その他として違和感を感じないほどに受け入れている。それはまるで社会制度や権力や貨幣を受け入れたときのように、気がつけば僕らは新しくて戻れない次の世界に生きてしまっている、そういうパターンだ。
 本質的にはマトリクスや銀河鉄道999と変わらない。どこまで行くのかというだけ違いではなかろうか。機械と人間相互の浸潤が。

 だが、ほんとうは物語のようにそれらは対立して見えて来にくいのだろう。現在の僕が、無毛の肌の人間として生きるときに衣服をまとうことが、ほとんど空気と同じようになにげなく、けして僕と対立したものとして感じないように。夜に明かりのある生活が、人類にとって当然の風景となったように。外に出るときにお金を持つことや腕時計をつけることに違和感を感じないように。
 すでに僕は、ペンで字を書くことのほうに、パソコンよりも違和感を感じるようになってしまっているのだし。
 きっと感覚の延長と浸潤は、もっとスムーズに違いない。僕が覚えた、あのときの頭の痛みを、今の子供達は大人になって感じることはないはずなのだし。


2004.0119 月曜日
晴れ

■Plia、脇役の椅子

 Pliaという名の椅子がある。イタリアで作られている折り畳み椅子だ。普通の折り畳み椅子と違うところは、少しだけシンプルなことと、座面・背板が透明なプラスチックで出来ていること。

 ずうっと、Pliaが欲しかった。で、今日、配達されてきて、僕はPliaを手に入れたのだった。
 たまたまインターネットで通信販売をしているのを見つけて、ほとんど迷わず注文したのが1週間ほど前だった。

 調べてみると、このPliaは1968年にジャンカルロ・ピレッティがデザインしたもので、現在までカステリ社によって作られてきた。折り畳みの机もあるようだ。

 折り畳み椅子というと、どうしても野暮ったくて安っぽい、会議用のあれを思い浮かべるものだ。普段見かける折り畳み椅子は、省スペースと経済性だけに存在理由を得ているにすぎず、人の愛着など受け止めるべくもないような代物が多い。
 Pliaは、それらの折り畳み会議椅子の祖形として生まれていながら、家庭のダイニングチェアとして使っても耐えられる力を持っている。いつだったか、建築雑誌の中で見た、窓辺の食卓に寄り添った4脚だかのPliaの、しっとりとして静かなたたずまいが忘れられない。

 この椅子は座面と背板が透明なプラスチックであることによって、透き通った、やさしい反射の風景を部屋の中につくりだすことが出来る。それが、なんともいえない光の柔らかさを部屋にもたらしている。確かにそうなのだ。そしてその姿は、自然光の豊富な窓辺だけでなくて、夜の部屋の明かりであっても、また違った存在感を示すことができる。
 つまり、椅子が美しいというよりも、その部屋の光を柔らかく教えてくれる、そんなやさしい脇役なのだ。


2004.0129 水曜日
晴れ

■勇気

 数日前、つくづく勇気とは大切なものだと思い至ることがあった。実はそれはたびたびのことでもあった。
 それにしても勇気は、その都度たびたび発揮していかなければならないものだということを思った。いってみれば、勇気は、積み重ねていかないと意味をなさないのだ。その時、まさにその時といえるときに勇気を持ってあたれるのかどうか。そうしたことが積み重なるところにしか、実は勇気が生きてくることはないのだと思う。そうでなければ、長い間ほうっておかれた状況の上に、突然ふって落とすような勇気が示されるはめになってしまうだろう。それではその勇気は、どうしても無駄で迷惑な蛮勇にしかなりえないというものだ。


2004.0201 日曜日
曇り

 朝から久しぶりに日曜出勤。午後まで。休みの日に会社に出てくること自体は嫌いだが、休みの日の社内の静かななかを、ひとりになって仕事をしているときの気分は結構好きだ。普段からこんなふうに仕事をしてみたいものだと思う。

 アフガニスタンの仕事は、そろそろ最終段階。また行くはずだったが、残念ながら僕はそのお役目を終えることになってしまい、また次の、ほかの仕事にとりかかることとなった。とはいえ、手が切れるわけではなく、平行して面倒をみさせていただく。この夏、アフガニスタンでは選挙が行われるはずなのだが、どうか平和裏に終わって、僕らのプロジェクトは必ず無事に終了させてもらわないといけない。

 あと1週間と少しで、次の仕事の出張が始まる。嵐の前の静けさは、どうやらもう終わったようで、身辺ざわざわとして落ち着かなくって困る。次はひとつきくらいだから期間はたいしたことはないけれど、そのぶん忙しいのだ。


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