Diario
日々の記録





自然保護区の海

km: 自然保護区の海 

2002.0430 火曜日

 外国語は、そのつどよく考えながら、新しい言い回しなどを覚えては喜びながら使っていかないとどうもだめだ。最近、また言葉がいい加減になってきた。自然に言葉が口をつくほどになっていないのに、これは緊張感の問題だ。
 外国語を使うというのは僕にとっては結構な苦痛なのだが、乗り越えるべし。しかし、いつになったら人並みになれるのだろう。


2002.0429 月曜日

 うらめしいことだが、今日も仕事である。例えば商社などもそうなのだろう。海外で仕事をするばあい、その土地の休日の体系に従う必要があるので、そのときそこへいたが最後、日本のゴールデンウィークなんて飛んでいってしまう。
 そこへ来ると、日本の政府系機関には、本国の休日とその国の休日両方が休みであるというところもある。

 今日は、南の島へ来て、一番暑さを感じた。仮設事務所は折からエアコンが故障しており、激しく照りつける太陽とねっとりした湿気のため、扇風機などまわしても到底追いつかない暑さだ。血が熱くなったまま頭へいくためか、のぼせたようになってしまう。仕事なんてしてられない気分だ。
 が、夕方、日も暮れる前になってようやく電気屋さんが現れて、修理してくれた。冷媒のガスが漏れていたらしい。ともかく明日からまともな生活ができるので、かなり嬉しい。
 いやいや、そうじゃない。日本は連休というのに、地獄のようなオフィスで仕事をしているのがくやしい、と書きたかったのだ。

 ま、どんな連休でも、こんな南の島までは来ることはないだろう。仕事でもなければ。だから、いいか。


2002.0428 日曜日

 昼に起床し、まともな昼食もとらないで午後を過ごした。食傷気味なのは、肉を食べ過ぎているせいもあり、半分断食みたいなことをしたほうが、なんだか身体がすっきりするような気がしたのだ。

 黄昏時の島。南へむかって自転車を出した。今年、全島的にアスファルトで舗装されたので快適だ。バイクや車で、ゆっくりと南北を往来する人がたくさんいるが、端から端まで10キロ少々しかない。南端まで行って分かったが、みんなぶらぶらと走っているだけだった。ちょっとした散歩のドライブなのだろう。子供を前に抱えてぼちぼちと走るバイクのお父さんの姿も多い。

 夕食はジミーの中華。コーンと卵のスープに、ステア・フライド・ベジタブル。これはほとんどがキャベツの野菜炒めだ。こんなに大量のキャベツを見たのは久しぶりで、大喜びで食べる。


2002.0427 土曜日

 夕刻、日が暮れる前に仕事を切り上げ、いつものように自転車をぼちぼちとこいでホテルへ戻る。

 夜は、逗留しているホテルが従業員のパーティとかを催したため、そこへちょっとだけ顔を出し、ローカルの料理などをつまんだ。タロイモ、バナナ、なんだか分からないフルーツのようなもの、それから椰子のジュース。
 椰子のジュースは、よく冷やした椰子の実の芯のてっぺんに穴を開けて、そこへストローを差してあるものを飲む。たっぷりと液体が入っており、ごく自然でかすかな甘さがある。おいしい樹液といった印象だ。前から一度飲んでみたかったので、やっと念願が叶った気分だ。
 が、飲んでみると、わりあい飽きやすい味だった。

 ワインなども飲み、今日は気分良く酔って、そのまま就寝となった。


2002.0426 金曜日

 今日も仮設事務所のクーラーは壊れたままだった。あきらめて窓を開け放した。しばらくして扇風機の差し入れがあった。これでなんとかなった。

 とにかくメールをたくさん書いたいちにち。これはこれで相当疲れる。しかし、こんなのは直接は何の生産にも結びついていないのだ。意味がないというのではないが。しかし、働いたつもりになりたくない。

 いつものように、ホテルに戻ったらシャワーをあびて手洗いの洗濯をし、夕食。このあと、実は毎日建築士の勉強をしているのだが、これがかなりの精神力を要する。苦もなく自己管理を徹底できる人っているのだろうか?

 さあさあ、あきらめてやりましょう。
 いや、やらねばねば!
 うーん、うーん・・・・・
 学ぶって、たのしいな。
 勉強がやめられなくって。
 やってられるか。ビールだビール。

 さて、今日はどれでいこうかな。気付くとたいてい、うーん、うーん、になっている。しかしビールへ走ってもいない自分がかわいい。


2002.0425 木曜日

 現場近くの仮設事務所。クーラーがどうも故障したようで、ごくときどきしか冷たい風を出してくれなくなった。室外機もほとんど止まっている。センサーがおかしいのだろうか。蒸し風呂に近いところで仕事をするのは、空調に慣れた身にはつらい。

 南の島は、オイルで大きな発電機を回しており、停電などは全くない。役所はたいていどこも空調(といっても、家庭用のクーラー)をしている。いまどきは、どこの国もオフィスで汗をかかなくなっているのだろうか。思えばありがたいことだが。

 数週間前、あまり降らなくなった雨は、その後、また周期的に降り出した。ともかく今年の南の島は例年にない多雨なのだそうだ。そういえば今年はエル・ニーニョらしいという報道を聞いたことがあるが、その年には、南の島は多雨となるのだろうか。
 いや、雨が降ると少しは涼しくなるので。


2002.0424 水曜日

 日も暮れて、晩ご飯の時間になった。自転車でホテルへと戻る。
 自転車をおりて、部屋へ向かう外部階段で、ホテルの向かいの警察署から警官らしいひとに声を掛けられた。またずいぶんと遠いところから挨拶をしてくれる人だなあと思いつつ、知り合いでもないので首を傾げていた。
 と、その本人が、階段を上がってきた。どうしたんだ?

「ちょっとあなた、夜はトーチをつけなさい。」
「は?」
「無灯火はいけませんよ。」
「え?あー、すいません。」

 おお。日本でも言われたことのないほど、とってもナイーブな交通指導だ。

 ここはいわゆる途上国。なんでものんびりだ。こまかいことはなしだ。なんといっても途上国ではないか。
 こんなふうに考えていなかった、とは、言えない。ちょっとびっくりはしたが、きちんとした国民性というか、地域性には、ちょっとばかり感心し、自分の心には少し反省した。


2002.0421 日曜日

食傷

 大変食傷気味。これでも少し持ち直した。

 食べ過ぎるとだめである。ホテルの全く工夫のない、どうということもない食事と、ジミーの中華。あきてあきて、飽きてしまってどうしようもないが、こればっかりは逃げようがない。
 最もよいのは、あまり食べないことだ。どうせほとんど運動していないのだから、栄養的には問題があるにせよ、余分は食べない。腹が空いているくらいがいい。そうすると、単純素朴な食事が続いても平気になるし、とりあえず食べ物がおいしく感じられる。

 協力隊に行くときに、いちばん行きたくなかった赴任先は、狭い島だった。逃げ場所がないこと、外部との接触がとぼしくなること等、閉塞に繋がりそうだったからだ。
 今は食べ物だけだが、1年もいたら、いろいろ問題が出てきそうだ。しかし、それでも、これはこれで新しい世界が開かれるものなのかも知れない。興味はあるが、やっぱり、ちょっとごめんだなあ。


2002.0420 土曜日

 最近、自転車を買った。中国製のマウンテンバイク。変速のギアはついていない。仕上げこそ綺麗だが、なかなか手強い一品で、まずペダルがぶっつぶれる。僕のものはまだもっているが、島の人が、軸だけになったペダルを踏んでいるのをよく見かける。それから、パンクもしやすい。おそらくチューブか、リムとスポークとチューブの相性が悪いのだと思う。文句をいいつつ乗っているのは、これしか売っていなかったからだ。新品。約7千円だった。

 夕刻まで仕事。リュックにノートパソコン等を仕舞い、自転車でホテルへ戻る。のろのろと走る背中が、とりあえずの一日の終わりの風景だ。


2002.0419 金曜日

 仕事を終えたら、もう遅い時間になりかけていた。島では、9時をすぎるとどこも食事をするところはなくなってしまう。今日は、ひとしごとやりおえた気がしていたので、食傷気味だったこの数日とは違い、少し食欲もわいた。レストランへ急いだ。
 コチに似た大きな魚を中華料理屋で食べた。ジミーが苦心して作ったのだろう、卵豆腐のスープも。

 シャワーを浴びて、窓の外を見た。
 しばし、あかりを消した。

 極度に凪いだ環礁の内海は、直径20キロメートルのレコード盤のように、シルクの溝模様を月明かりに見せている。

 半月が傾き出す時間だった。眩しく、重々しく、舟形の月が西の水面へと降りていく。岸辺から水平線の彼方まで続くのは、みずもに映る月の明かりで、ごく細くまっすぐに月へと延びている。
 湿気を帯びたコバルトブルーの夜空には、明るく光る星も多く、中には月と同じように水面に星影を落とすものもあった。
 巨大な、ゆらめくレコード盤は、プロセニアムアーチのない劇場のように、月と星の影を背景に掲げて、いずれしらぬ劇か踊りを待っているようにさえ見えた。

 今夜の同じ月が、同じ地上の、あるは海上の世界で、千変の舞台のいずれのもとにも影を落としているのはたしかなことだ。想像の届かない、そのいちいちの舞台について思った。


2002.0418 木曜日

PROTAGONISTA「プロタゴニスタ」

 スペイン語で「主人公」のことだ。
 人生を劇や小説に譬えるのは、僕にはなんだか勇気のいることなのだけれど、ともかく人はそれぞれの人生を主人公として生きている。しかし、いつだってそうなんだろうか?

 先日、友人がお世話になっている御婦人が夫を亡くされた。彼女にとって、彼は脇役だったか。いわゆるパートナーとして、数十年を共にしてきた夫は、彼女には脇役でもあり、同時に主人公でもあったのではないだろうか。
 要するに、男女間の引き離し難い愛情が成立しているときや、あるいは一方通行であれ、本気で人を愛するならば、そのとき人はその人生の劇における主人公の座を降りて、思いをかける相手にその座を譲っているのだと思う。

 若いうちは、それが時に自己犠牲の連続となってしまったり、自分を見失ったり、所詮他人は他人であると思うに至ることもよくある。けれども、僕が出会った多くの夫婦には、そんな無理は何かに昇華されてしまって、それぞれに違った香りや味わいの様なものになり、すでにもう烈しいぶつかりあいは無くなっている。代わりに彼等に訪れたのは自我と他者の間のくびきの変成といえるだろうか、明らかに他の他者との関係とは違った共同の自我だ。

 これは夫婦賛美であり、憧れをかさねた見方かも知れない。正確に想像してみれば、引き離し難い何かさえあれば、それでいいのかもしれない。憎しみであろうと何であろうと。ひろく中立的に考えたときの「とらわれ」の心は、どんなエゴイストにも簡単に、その身をとらえた他者へと、プロタゴニスタの座を引き渡さしめる。
 そう考えると、今度はこういう風に考えを改める。どうであれ、自らをしっかり生きなければ危険ではないかと。その上でかつ成立し、価値もありそうな共同の自我というものもあると。
 ひきずり、ひきずられるということ自体には、正の価値も負の価値もない。何にどうひきずられようというかという部分での舵は、自分で持っておきたい。

 1999.0219のメモから。英語で言っても、protagonist。


2002.0416 火曜日

パシフィック

 オセアニア地域は、こっちじゃ、もっぱらパシフィックとして呼ばれている。例えば、ニュージーランドは英国系の国と言うより、どうもポリネシアの端っこの国で、ほかの島国との強い連関の中で存在感を持っているという印象が強い。マオリはただの先住民というより、立派に存在感のあるポリネシアンなので、たまたまマイノリティになっているに過ぎない気がする。もっとも住んでみれば、どう感じるものかは分からない。日本がアジア東部の一角であるようなものなのだろうか。ともかく、こちら南の島々では、どこもそれなりの独自性を持っていながら、ぜんたいとしてはやっぱりパシフィックの文化圏を形成しているように思う。ぼくにとっては、それはみんなの豊かな体格に、それから音楽にあらわれていて分かりやすい。
 ちょっとこんな話は、大きすぎた。これにて。


2002.0415 月曜日

 仕事は仮設の事務所で行っている。地元の技術者が配線をしたのだが、どうやら問題があった様子。照明がダウンしてしまい、部屋の天井に4カ所ついている蛍光灯は、現在ひとつしか点灯しなくなった。

 あ、ぜんぶだめになった。

 あわてて工事用の照明を持ってきてもらい、取り付ける。あまりに煌々と明るいもので、外を通る人々からは、何事かと覗かれる始末。どうにかしてくれ。でも、なんだか楽しい。


2002.0414 日曜日

 今日も天気がよい。このところ、夜になってもまともな雨が降ることがなくなってきた。水不足にならないといいけれど。
 というのも、何度も書いたように、ここではどの家も真水は雨だけ頼りにしているからだ。屋根に受けた雨水を樋に集めて、貯水タンクに入れる。どの家も、このシステムである。ホテルも役所も病院も、例外ではない。
 井戸を掘ればいいではないか、と考えるかも知れない。しかし、あまりに小さく、細長く、平らなこの島では、地下1.5メートルから下は海水が浸透していて、潮に合わせて水位も変わる位なのだ。
 ついでに書くと、だから野菜はほとんど取れない。タロイモが少しと、バナナ、パンの木、パパイヤ少々。あとは椰子のみ。これで生きていくことはできるようなのだが、さすがに今では外部から輸入して、食は若干多様化している。が、現実は理想には遠く、栄養学的には相当な偏りがあると思われる。いたみやすい野菜よりも冷凍すれば何とかなるうえに人気のある肉が多くなることもひとつだ。また、そもそも輸入しなくては成り立たない世の中というのは、離島では望ましいのかどうか。
 ともかく、島に3、4軒あるスーパーでは、冷凍の肉類や冷蔵での野菜が少しだけ売られている。


2002.0413 土曜日

 台湾の艦船3隻は、今朝早く出航していった。
 午前だけのつもりが、終日の勤務となってしまった。

 夕食は、ジミーの店で。昨日予約しておいたロブスターを食べる。これは伊勢エビなのでは?


2002.0411 木曜日

 今日は、ちょっとした異変が島に訪れた。
 いつもは穏やかなラグーン(環礁の内海)に、巨大な船影が現れたのだ。3隻の軍艦である。港のすこし沖に停泊した艦船から吐き出されたのか、午前のうちに、島は、みるみる海兵姿の若い軍人や兵士によって埋まって行くかのようだった。
 台湾の海軍がやって来たのである。土曜の朝までの寄港という。

 世界に、いくつ、台湾と国交を持つ国があるか数えたら、片手ほどしかないのではないかと思っている。いわゆる中国と、それから台湾の関係のデリケートさは、そのまま彼らとの外交のデリケートさとして現れる。いうまでもなく、日本は台湾とは形式としての国交(といういい方は適切でないが)がない。
 ただ、こちらの台湾関係者によれば、別段国交がなくとも艦船の寄港はこれまでもやっているそうである。たとえば東南アジア各国などへ。
 まあ、とにかくめずらしいものを見たものだ。

 島にとっては一大イベント。島内各所で踊りや歌で出迎え、兵士達からはブラスバンドや空手の披露があったという。伝聞調なのは、もちろん仕事中でやむなく見聞できなかったことによる。
 僕にとっても、数少ないお楽しみの娯楽であったのに。
 つくづくもったいない。仕事がなんだ!(・・・本気か?)


2002.0408 月曜日

 明日に大切な式典を控えて、今日は大忙し。いつもどおり、浴びていると皮膚が痛い(痛いくらい、ではなく、いたい)強烈な日射しのもと、働く。

 夕食。ビールがすすむことすすむこと。

 この島には、ビールは3種売られている。オーストラリアのFosterとVictorian Bitter(VB)、それに中国のReeb(力波)。僕はどう考えてもFosterが最もうまいと思う。が、島の人々が好んで飲むのはVBのほうだ。


2002.0407 日曜日

自然保護区へ

 南の島は、島嶼国。火山のカルデラのてっぺんだけが出ているのが、首都のこのリーフだ。このリーフは小さい島ばかり30程の集まりだが、空港のある島以外はとても小さいので、ほとんどが無人島となっている。自然保護区は、その無人島のうち、半分ほどが指定されている格好である。ここは、泊まることはもちろん、何ものも持ち込んで残してはならず、持ち出してもいけない。
 午前から、小さなボートをチャーターして、自然保護区へ向かった。ちょっとした遠足だ。
 あいにくの満ち潮で、珊瑚礁の海を散歩することはできなかった。一周たったの10分ほどの小さな小島は、満ち潮でぐんぐん小さくなり、立派に波がうねっている。泳ぐのも少ししんどい。危険だから、珊瑚までいくのはよしたほうがいいとガイドに言われた。このガイドの兄ちゃんは、休暇中の船乗りで、英語がだいぶ怪しい。僕も怪しいのだが、酔っぱらっていないのでましだと思う。船乗りは酒好きのようす。

 サンドイッチを食べ、椰子の葉陰に逃げ込んで珊瑚の砂の上で昼寝。

 風が出てきたせいで、いつもは穏やかな内海に、ちょっとした波が立った。そこを乏しいガソリンしか積んでいないボートで突っ切って帰る。なかなか怖いものがあった。

 帰国までには、できればもう一度やってきて、美しい珊瑚の海を潜りたい。ただ透明で青いというだけで、感動してしまうほどの美しい海である。このままでは帰れないだろう。


2002.0405 金曜日

 お仕事。


2002.0404 木曜日

ジミー

 日中、晴れて大変暑い。陽光はじりじりと痛く、ひなたで感じる風は苛烈な熱風である。おそらく気温は、それほど高くなく、30度そこそこなのだろうが、日陰でないと体感温度は相当高い。こんな環境で、現場の仕事をするひとびとの苦労を思う。

km:黄昏前 


 島には僕の知る限り、食事できるお店は3軒しかない。ホテルと、中華レストラン2軒である。
 このうち、まともなレストランといえそうなメニューを出す店は、空港脇の中華だけ。今日は昼と夜、両方をそこで食べた。ランチには鶏の中華焼きそば、ディナーにはシーフードと野菜、麺の入ったスープにスチームドフィッシュ。

 コックはジミーという東洋系の若い男で、表にもよくでてきてあいそがいい。ちょっとだけハンサムである。そのうちインタビューしてみたいなあと思う。まるで雑誌の取材みたいに。
 どこから来たのか、いつからやっているのか。家族はいるのか。ここへやって来たいきさつは。夢はなにか。いちにちをどうすごし、どんな人々とやりとりしながら暮らし、その目は何を見ているのか、どのようにこの土地に根を下ろしていっているのか。
 せまい島のことでもあり、人気のあるジミーの店は、毎日客がひきもきらず(人口が人口なので回転はすくないが)、テイクアウトの注文も多い。稼ぎだけを考えても誰もが注目しているはずで、くちさがなく噂されていることだろう。

 東洋人の彼の顔つきは、いまどきの日本の若者よりずっと意気揚々として、さらに毅然たるものを感じさせる。

 がんばれ、ジミー。


2002.0403 水曜日

スコール

 ここへ着いた頃、そう、ちょうどひとつきほど前は、日中よく晴れて夕刻スコールがあるといった案配の日が続いた。それがしばらく前から曇り日ばかりとなり、いつ雨が降るかよく分からない日が続いていた。ここ数日は、またもとのようにカンカン照りが続いている。前と違うのは、夜中や明け方に、豪雨があることだ。ちょうど今、降り出したところ。夜中の2時である。
 これはスコールというのかどうか知らない。ともかく物凄い雨で、これ以上強くならないくらいまで出したシャワーのように雨が降っており、ごうごうとうなりをあげている。風も強くて、廊下がテラスのように外に面したホテルのドアには雨が叩きつけられ、どんどん部屋の中に浸水してくる。
 いったいどんな雨雲ならば、こんな雨を降らせることができるのだろう。
 おお、雷もなりだした。龍神、雷神。ほんとうにいるのではないか。


2002.0402 火曜日

背景の海

 単純すぎるとしか思えない、この島の人々の暮らし。育ち方が僕のような人間とは違うから、だからここの人々は平気なんだろう、などというふうには考えたくない。
 では、僕には空白としてしか感じない部分に、何が詰まっているというのだろう。それは、ちょっとやそっとで理解することはできない。ただ、たぶん確かなのは、この島の人々にとって、海が、いつなりとも彼らの意識の背景に広がっているだろうということだ。

 重力を伝え、大地を踏みしめることができる安心は、宇宙飛行士になってみればはっきりするはずだ。船乗りだって、陸が不動であることをもって、船を降りたことを知り、休息するという。また以前、砂漠のまちに住む若者が、非情にさえ見える砂漠を、何ものにも代え難い、もっとも美しいものとして語るのを聞いて頷いたことがある。
 船乗りには、波のうねりと大地の安定が、砂漠の若者には、並ぶもののない砂漠の美しさが、心の中の大事な部分に背景として広がっている。

 学んだり、知ったりしたところで、それはにわかに身につけられるものではない。蓮と桜では育つ土壌が違うように、この島の人々の意識の背景は、僕のそれとは 全く違っているのだろう。

 僕の意識の背景には、何があるだろうか。関西の、山がかならず目に入る街の風景だろうか。東京の都心は、なにがって、山が全く意識されないことが、僕にはなによりよるべなく寂しい。
 山と言えば、富山に行った時、平地のどこからも美しい立山の連峰が屏風のように聳えて見えていたことを思い出す。きっと、ここから出ていった人達は、あの立山を望むときにこそ故郷に帰ったことを実感するのだろう、つまり彼らの心の背景には立山があるのだろう、と感じたことを思い出す。

 変わってしまった街の界隈や、ダムに沈んだ谷の集落の風景。回復されることのないものに、背景を持つ人々も少なくないことを思う。ユーゴスラビアのように、美しかった故郷が戦乱によって理不尽に破壊された例もある。

 話が全く大きくなって途切れないが、こうして延々と心の背景であるだろうものを連想していくことは、ちょっと楽しく意義のあることではないかと思っている。表面的には理解する余地を与えない他者の、どこか深い部分を想像してみることができるかもしれないからだ。
 差別(差異)の世界であるこの世間を、それゆえに味わえるものにしてくれるし、冷厳に他者が他者であることを理解させてもくれる。
 風土論や、人文地理学といったものも、こうした観点を含むものなのだろうか。人生地理学と呼ぶ学問を提唱した人もいた。

 敷衍して言えば、個人や自我というも、それを取り巻く環境と切り離して考えることは困難だ。自我は、実はその人の皮膚から外側へ、その存在の境界を滲ませて果てしなく広がっている。人生の諸相のあらゆる出来事について、一面では自分自身のなかに何ものか原因をたどることができるのは、実は、自我が、そのひとを取り巻く全ての繋がりの総体をも含んで成り立っているからだ。主体と環境は、観念で切り離せても、現実には一体である。

 ちょっと飛躍してしまったが、ついでに書けば、だからこそ、なんらかの事象の追求を自己の内面に求めることは意味がある。けれど、もうひとつ大切なことは、小さな自己でなく、自身との繋がり全体に自分の存在を見いだして、より大きな自我に生きることではないか、と思う。いわゆる、大我というやつだが、実際はなかなか難しいことだ。ことが起きたときに、我が子を包容する親のような気持ちに、いつでもなれるかというと、そのような人格者はそうそういまい。逆に、自我の中の欲望を、際限なく外へ拡大していくような人は数多い。

 さて、こんな飛躍はさておいても、この海を背景として、多くの人のこころが成り立っていると想像してみるのは楽しいことだ。


2002.0401 月曜日

 エイプリルフールだとはしゃぐ人はここにはいまい。今日はイースターの祭日。しかし僕はというと、会議などの仕事がつまってしまい、いつになく忙しかった。

 西日強し。強烈な太陽。


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