Diario
日々の記録

 
 


2002.0331 日曜日
 

 3月最後の日。今日も午後から海に出かけた。今度は、バイクで魚の多い場所まで。

 曇り空なので、撮影がしやすかった。やはり、ここは魚が多い。干潮に近く、珊瑚が浅くなって困るが、潜れない僕にはちょうどよかった。しかし、魚の姿のバラエティには感嘆。どんなセンスで、こんな姿になったのだろうかと思う。顔もそれぞれで、なんだか人間の世の中を覗いているような気分になってくる。全員魚類系の顔なのだが。

 珊瑚礁が終わり、深い海に繋がる縁を泳ぐ。怖ろしいという気持ちと、恍惚とした陶酔があった。
 


2002.0330 土曜日
 

 昼近くになって、僕は海に入った。南緯一桁の太陽が、見上げれば真上にいる。肌には念入りに日焼け止めを塗り、白いTシャツを着たまま泳いだ。
 このあいだ届いた荷物には、新調してきたデジタルカメラ用の防水ケースを入れてもらっていた。

 あいにく、今日はホテルの近くだったせいか、魚が少なかった。遠浅のラグーンは、大潮で、潮の引きかたも大きく、ずっと沖まで珊瑚礁が海面すれすれになって黒々と見えている。砂が白いので、コントラストがはっきりする。黒く見えるのは、死んだ珊瑚が多いからだろう。死んだ珊瑚には、小さな海草がびっしりと生えている。

 太陽が強すぎて、モニターを見ても、水中ではさっぱり確認できない。しかたないので、ほとんどあてずっぽうで撮る。

 午後、すこしだけ天気が乱れたが、日の入りの6時半にはまた穏やかな空に戻っていた。

 夕食。シドニーに住むロビンさんとともに。このひとは、島の給食施設の衛生環境を改善するために、オーストラリアエイドから派遣されてきている。オーストラリアエイドというのは、日本でいえば国際協力事業団にあたるような組織だ。病院の厨房やホテルでワークショップ(講習会)を行っている。よくしゃべって、まったくもって元気一杯の、漫画のようなおばさんだ。
 お話の後半は、ワインを飲みながら、シドニーガイドとなった。それから、Glen Murchattという建築家が彼の国では有名なことも教えてもらった。オーストラリアのデザインを体現しているのだそうだ。
 ぜひ帰りにシドニーには寄るべきだという。会社にはうまくごまかして、いかなきゃだめよ!と元気一杯肩を叩かれた。
 


2002.0329 金曜日
 

 イースターのお休みの始まりか。今日はGood Fridayなのだそうで、祝日だ。
 とはいっても、僕は仕事。

 いつも静かな島である。休みなのか、平日なのか。そんなことはあんまり関係ないような気がする。

 そもそも明治以前は、日本だって、曜日を決めて休む習慣などあったのだろうか?鉄道の導入以降、一般の人に時間の観念が広まったと聞いた。それまでは、おそらくのこと、せいぜい2時間刻みだったのではないか。開国の頃だったか、日本を訪れた西洋人が、日本人の時間のルーズさにあきれていたという。

 えー、とにかく島は今日も静かです。みんなゆったりと暮らしているようにしか見えません。悩みも苦しみもまるでないみたいです。
 


2002.0328 木曜日
 

読む喜び

 引き続き、悪天候。月曜と木曜、週に2便しかない飛行機は、今日、本当にやってくるのだろうかと心配した。昼に近づくに連れ、空模様はやや持ち直して、予定通り飛行機はやって来て、飛び立っていった。

 夜。仕事を終えて今日は、人にもらった探偵小説を読む。内田康夫による浅見探偵シリーズの一冊。
 文体といっていいのか、昨日読んだ小説と較べて、同じ日本語による小説であっても、実に表情が違うなあと、読みながら考えていた。

 内田作品では、時折、文中のシーンの説明が省略されてしまうせいなのか、それによって不思議な感覚を受けることがあったのだが、これは同シリーズの映画化作品をいくつか見たことがある人なら、自動的に決まったパターンの情景や表情を、小説のなかにもおそらく投影してくれるのではないかと作家が期待して、わざとそのように描いているのではないか。そうして、一種独特のおもしろさを醸しているのではないか、などと考える。そうではないとすれば、通常の文章があまりに映像的すぎて、ときどき思わず、その描写に穴が開いてしまっただけなのかも知れない。

 昨日、ひさしぶりに読んだ宮本輝の長編は、いつものように近年の彼の作品らしく、どちらかというと娯楽小説に近いくらいに当たりのいい読みやすさとストーリーテリングだった。彼の文章は、どんなミステリー作品よりも僕にとっては読みやすく、理解しやすい。ただたんに、これは彼の文章と馬が合うからだけなのだろうか。たまに帰った故郷の実家で、そのくにの言葉で家族と話すときのような、かなり身体的な自然さを感じながら読むことができる。

 このような話題は、まじめに続ければ手に負えないのでこの辺にする。小説そのものはさて置いても、ともかく文章が自分のなかでどのように通過していくかということが、読むことの基本的な喜びにとっては、意外なくらい大事なことなのではないか。
 自転車での旅や競技も、そのおもしろさの根本には、ただ自分の足でペダルを回すという行為自体がもたらす喜びがある。そういう言葉をいつか読んだことがあるけれど、同じことなのかも知れない。
 


2002.0327 水曜日
 

美しい花のまなざし

 終日雨模様。

 夜、本を読み始めて、止められず、最後まで読んでしまった。宮本輝「月光の東」。

 おもしろさ、意外性、あるいは感動。そういうものは途中からなりを潜めて、最終的には、人間の群像の、ひとりひとりに対する、好奇から発するのではない眼差しに戻っていく。そういうところが好きだ。
 美しい花があるのであって、花の美しさなどというものはない。云々。そういうことを昔、世阿弥や小林秀雄が言ったそうだが、なるほど、つまりはこういうことでもあるのだと納得する。
 


2002.0326 火曜日
 

島の光景

 頼んでいた郵便が、日本から届いた。受け取って、早速開けた。ざくざくと、いろんなものが出てくる。頼んでいたものも、いなかった物も。嬉しいものだ。
 ありがとう。

 たかだかひとつきと少しの滞在の為には大げさなことかも知れないが、ちょっと帰国が伸びたせいもあって、取り寄せたいものが数点あった。

 坂口尚という漫画作家については、このページでもたびたび名前だけ触れてきた。今日も名前だけにするが、この人の短編集の4巻目が出版なったので、これも箱には入れてもらった。一気に読み、はたと思いついて、人にも送ることにした。あの人は、この作品を読んで、どんな風にこころを動かされるだろうか。漫画なら、そう時間をわずらわすこともあるまい。少し知りたくて、そういうことを思いついた。

 夕食は、ホテルのレストランに頼んで、刺身を作ってもらった。あり合わせなので、きょうはマグロである。送ってもらった味噌汁も出した。久方ぶりの、故郷らしい食膳。

 今日読んだ坂口の作品に、太平洋戦争時、南方の島へ送られた兵隊の話があった。幸い、この「南の島」で、日本兵が交戦した事実はない。しかし、同じように美しい環礁と椰子の葉の揺れる太平洋の島々に、半世紀と少し遡れば、死と狂気と絶望と、飢えと病とウジと腐臭が満ちていた時期があったのだということに、思いをいたさざるを得なくなった。交戦こそなかったが、そういえば僕も利用したこの島の空港は、大戦中に米軍が作ったものだ。

 今日は欠けた月の明るい日だ。雲や海が照らされている。椰子の葉が、驚くほど明るく輝いて揺れる。砂は青白く、底浅い透明の海も、冷たく青白く浮かび上がって見える。
 昨日までならこんな月夜では、ぼんやりと綺麗な景色を眺めるに過ぎなかったろうが、今日はもう一つ、かつての奇怪な出来事の背景として、妙にその舞台が美しかったかも知れないことを知って、この島が、ただ自分と切り離された楽園とだけ受け取ることはできずにいる。しかし・・・。

 窓の外を見る。
 この静かで青く美しい夜、椰子の幹の後ろやタコノキの葉陰に、傷つき息も絶え絶えな兵士が、殺される恐怖と、野垂れ死ぬかもしれぬ絶望のなかで、必死に生き延び、銃を抱えてうずくまっているというようなイメージは、僕にはどうしてもできない。
 57年前のこの3月、そんな光景がどこかで、たくさん見られたというのに。
 


2002.0325 月曜日
 

 忙しくもないのに、不思議なものだ。夕食を食べれば、眠くてたまらない。気付かず、眠り込んだまま明け方を迎えていた。
 


2002.0324 日曜日
 

 未明から激しい雨が続き、午後まで止まなかった。その後も、曇り空が続く。大変涼しく、珍しいことにクーラーがいらなかった。

 勉強なども。土日と休みだと、実際やることが少なすぎて、時間を持て余すところがある。そんな余裕は、本来あるのかなあという気もしているけれど。
 ああ、カヌーでもあれば、漕ぎ出してやるのに。

 夕方、散歩に出た際、すぐそこの空港の滑走路で佇んだ。たくさんの人達が、思い思いに遊んでいる。向こうから、ジョギングしてくる東洋人がいる。某大使館の方だ。丁寧な人なので、走り寄ってきて、握手していった。「まいにち!」と言った。せまいせまい島なので、運動不足にならぬよう、こうして毎日走ってるんですよ、ということだろう。早朝走っている自分を想像してみたが、荒唐無稽である。

 さあ、帰ってビールでも飲みながら飯でも食うか。で、勉強でもすっか。
 


2002.0323 土曜日
 

島の言葉

 休日。曇り日に近かった。ただ、広い太平洋上では、雲が一定の場所をずっと被っていることは稀なようで、複雑な曇り空が時折切り開かれて光が落ちてくる。

 土曜は午前中だけやっている、島の図書館に行ってみた。国立図書館である。日本なら、小学校の図書館くらいの規模だろうか。種々、雑多な本がある。ほとんどが英語によるもの。
 3冊ほど借りてみた。350円ほどを払って会員になると、借りることができる。島の歴史や地理などに関する本が欲しかったが、そうした本は希少なため、閉架書庫(?)に保管されており、閲覧はできても貸し出しはしていないとのこと。残念。しかたないので、おとなしく数冊を閲覧した後、南太平洋関連の書籍を別にいくつか選んで借りた。

 この国の現在の人口は1万人あまりで、それでも独自の言語をはじめとする文化をもっているが、これについて詳細な調査や記録が行われ、本となって置かれていることに驚いた。オーストラリアやニュージーランドの人々によるもののようだ。彼ら白人の執拗なまでの緻密さには全く感心する。

 ホテルに戻り、一冊を読んでみる。辞書を引きつつ取り組んだのは、教育における言語、なるテーマのもの。この地域の島嶼国が、公教育その他において、どのように現地語を扱っているのかについて書かれてある。
 ここ南の島には、各島ごとに方言があり、初等教育、中等教育とも、基本的には現地語で行われているが、だんだん英語の比重を増すようになっているらしい。いわゆる国語の時間もあるのだが、決まった教科書などの教材はなく、各教員に任されている。
 執筆は政府担当者へのインタビューのかたちになっていた。この担当者によれば、問題点は次のようなものだそうだ。
 まず、共通語にあたるものがなく、国語の教科教育が困難であること。次に、英語教育のレベルが低いので、より高い教育をうけるつもりのある生徒は、初等教育を終えるか終えないかのうちに、フィジーなど、他国へ行ってしまう傾向がある(つまり、現地語よりも英語に堪能であるほうがアドバンテージになる)。さらに、政府として言語、特に現地語の扱いと国語教育に対して問題意識が低いのだそうだ。

 この国の隣はすぐメラネシアの諸国があるが、ここでは1200もの言語が話されており、実に世界の言語の4分の1に相当するという。南の島が属するとされるポリネシアでは、約30の言語がある。多様性と豊かさが、言葉の消失によってダメージを受けなければよいが、すでに対外的には事実上英語(一部フランス語)でのコミュニケーションが標準であるようだ。この島では、幼い子供以外で、英語を話さない人には会ったことがない。

 とはいっても、ここ南の島では、現地語は全く消える様子がない。みんなしっかり島の言葉を受け継いでいる。

こんにちは:たろふぁ
さようなら:とふぁ
ありがとう:ふぁふぇたい
いいね:んがり(ん、はごく小さく短く、が、は弱く、ほとんど、あ、に近い。難しい発音)

 僕が知っているのは、これだけ。
 


2002.0322 金曜日
 

小説の種

 いちにちじゅう、天気が悪かった。真水の全てを天水に頼るこの島では、いい天気だと言うべきだろうか。

 ホテルの2階の部屋には小さなバルコニーがあって、日中こそ暑すぎて出る気にはなれないものの、目の前には青い海が輝いており、慣れてしまったとはいえ、やっぱりいつなりとも美しい。今日のような天気の日でさえ、鉛色になることはない。

 それとは関係がないけれど、この島へ来てから、窓辺に佇んでいるときや静かな洗面所ですこしくぼうっとしていると、自分でいうのはおかしいけれど、きっとおもしろいだろうなと思う小説の種が、浮かんで来るのだ。
 僕は小説なんて、書いたことがない。しかし、こんな小説なら是非とも読んでみたいものだと、読者の側に立って思えるかどうかというと、そう、自分で読んでみたいと思うような種なのだ。

 今日、いくつも浮かんできたというのではなくて、この島へ来て以来、2度ほどあっただけだ。そのうち今日浮かんできたものは、2度目とはいえ、とびきりいいなと思えるものだった。
 ところがそれは、明け方の夢のように書き留めておくこともできないままに、煙のように記憶から消えて行ってしまった。
 今日の、あの午後、これはと思い、覚えておこうと思ったあの話は、どんなものであったのか。あれからいちにち、ずっと辿ってみているが、どうしても思い出せないでいる。

 目の前の、青く澄んだ海水の海にカヌーで漕ぎ出す。そうして目の前の水面にぷかぷかと浮かぶ、美しいなにものかを、夢のように見つめたまま、みすみす流れて行くに委せてしまった。そんな気持ちだ。
 あるいは、二度と来ることもない国の街角で、名も聞かずに飲んだ酒の味が忘れられず、その後何度も情景だけ思い浮かべて味を反芻する男になってみる。

 そういう後味の世界を楽しませてくれるような、そんな小説の種だったのに。
 


2002.0321 木曜日
 

往来

 ホテルって、当たり前だけど交差点だ。週に2便しかないフライトで、今日はオーストラリアの女の人が出ていった。
 彼女は仕事で1週間だけの滞在だった。毎夜、かならずグラスを置いて、ワインを1本空けてしまう人だった。一人が好きだというのではなくて、誰彼となく捕まえて飲むのだが、そのうちみんなついていけなくて、最後には一人でまた飲んでいる。そういう姿を何度か見かけた。
 昨日は日の落ちる前から、いちばん海に近い戸外の席を取って飲んでいた。海を見ながら。だから、誰もに背を向けているように見えた。少し斜めに座って、横顔が見えているのは、実はきっと、横顔を見せているのではないかと思われた。
 非常によく太った人で、そして大変端正な顔立ちをしていた。挨拶するたび、ちいさい時分はどんなにかかわいい子供だったろうと思った。ほら、よく天使みたいな子供がいるけど、ああいう子供だったんじゃないかな。
 交差点なので、同じフライトで着いた誰かが、入れ違いになっているはずだ。ところが、なぜかホテルは静まり返って、次の登場人物が誰なのかはまだ分からない。
 


2002.0320 水曜日
 

会話雑感

 午後、会議があった。ひところに比べたら、ひらきなおりというべきか、居直りというべきか、英語で臆面もなく何かを発言して苦にならなくなってきた。比較の対象にされて恥ずかしくなるような、同年輩の日本人がいないせいだ。それだけのことなのだが。

 言葉とは、じつに大事なものだと思う。話せることに加えて、当然、伝えること、そして一方、聞くこと、理解することが大切だろう。さらに共感したり、反発を感じたりするレベルとなると、結構高い。
 ただ、高度な意志の交流というのではなく、コミュニケーションツールとしてだけ考えてみて、実は、例えば共感を得ることのできるレベルというのは、それほど遠いところにあるのではないと思っている。しかし、僕自身、そこまでいけないことがあるのはなぜなのだろう。

 時々ご一緒する日本の方がいる。彼は海外経験が長い。が、英語のレベルは高いとは言えない。ところが、相手と意志を通じ合い、その相手本来の表情を誘い出すまでに話し込むことが、すぐにできてしまう。
 たぶん、すり切れた表現だが、彼がそういうことをやってのけることができるのは、裸でぶつかっているからだと、そう感じる。
 言葉とは、人間が、そのひとの全体(全身というと、身体だけになる)で伝えあうところに、本来の力が込められるものなのだなと、感服するのだ。
 


2002.0319 火曜日
 

 よく歩いた。今日のように歩くと、夜はむしょうにビールが飲みたくなる、南の島である。
 ごく当然のことながら、こちらへ来て、夜にビールを飲まなかった日は、記憶する限り、一度あったかなかったか。これは、僕にとっては特異なことだ。ビールと渇きの関係が大きいだろう。いや、それよりも時間がある、ということのほうが大きいのかも知れない。
 さあ、帰って飲もう。
 


2002.0318 月曜日
 

 朝早く起きて、空港に向かう。今日フィジーを発って、「南の島」へ帰るのだ。

 上空から、環礁の島々の連なりが巨大なリングを作っているのが見える。直径はおそらく20キロを越えていると思う。美しい。

 タラップをおりようとした瞬間、むせかえる空気に包まれた。暑苦しいが、なにかしら爽やかな植物の匂いがする。その奥に、暖かな海の香りを感じる。
 僕が、いつかこの国のことを思い出すときがあるなら、それはこの香り、匂いを感じたときだろうと思う。

 などと、気障なことを考えながら、通関を待つ。すでに暑さで汗はだらだら。はやいとこ、どこか涼しいところへ。心はいろんな意味で正直なのだ。
 
 


2002.0317 日曜日
 

 昨晩は遅かったので、起床は昼前。敬虔なキリスト教徒の多い国なので、商店などはほとんど閉まっている。昨日も、午後からは街は閑散としていた。中華で昼食。

 午後、ほとんど寝て過ごした。昨日のサッカーがこたえて、いろんなところが痛い。今日はだらだらと過ごそうじゃないか。

 夕食は、このあいだとは違う韓国料理店で。おいしいなあ、韓国料理。
 


2002.0316 土曜日
 

 お誘いを受けたので、スヴァの学校のグラウンドへ出かけて、ミニサッカーをした。誘ってくれた協力隊員やJICAの方々は、週末によくやっているという。サッカーなど何年ぶりか分からない。それにまともな運動を長いことしていなかったので、まだ30台前半とはいえ、怪我をしないか心配だった。が、そんなつまらないことは置いて、とにかく皆さんと楽しむほうがいい。

 日本の真夏よりはましであると思っているが、炎天下の昼下がり、非常にきついものがあった。頭の中は、ずっとのぼせたまま。懐かしい感覚。息が上がり、汗がとめどなく流れる。

 夕食は、日本料理店にて。磨き上げられた鉄板焼きのテーブルが3つもある。なかなか綺麗で、店員の教育もきちんとしていた。感心。
 


2002.0315 金曜日
 

 昼間の仕事を終えて、食事に出た。韓国料理店。町のはずれのホテルの最上階にある。スヴァでは韓国人はあまり見かけないように思っていたが、意外といるものである。日本人は、もっと少ないようだ。観光客の場合は、ほとんどが国際空港のあるナンディか、ほかの離島に行ってしまい、首都のスヴァには用がないのだろう。 
 


2002.314 木曜日
 

 フィジーに出る。飛行機はあまりゆれることなく、快適だった。

買い物に歩いた。パパイヤも買う。1個が約0.5フィジードル。30円位。

初めてここへ来たのは去年の10月だったが、あのときは、現地の人がみんな大きくて太って見えた。まさに、肥満であるのが普通なのだった。しかし、今回来てみると、それほど太っている人が多くは見えない。なぜだろう?

初めて目にするものは、印象が先に立つからなのだろうか?インド系の人も多いが、彼らはたいてい痩身である。純然たるフィジー人は、背が高く、男は筋骨隆々であり、女は豊満堂々たる体格だ。が、それほどみんな肥満ばかりでもないように見えてきた。
 


2002.0313 水曜日
 

 朝から夕刻まで、ほとんど日が照ったまま。南の島は、やはり暑い。だが、それでもやっぱり日本の夏の方が暑いと思う。

 絵を入れた手紙を一通。絵を描いた葉書を一通作って投函した。我ながら楽しくできたと思った。
 切手は、この国の名物のひとつ。この間はミツバチ(?)の絵だったが、今日は綺麗な緑色したカメムシ、地味なかたつむり、日本のとよく似たカブトムシの切手、3種類を使った。子供のいる友人にも送ったので、喜ぶのではないか。

 明日から数日、フィジーまで所用に出る。ちょっと久しぶりの都会だ。なにより中華料理以外のものが食べたい。たぶん、韓国料理店にいくことになるのだろう。

 夜、荷造りして、日記等を一巡。
 お誕生日、おめでとうございます。

 東京の桜の開花予想は、今月20日であると聞いた。随分早くなったものだ。極地の氷が急激に減っているというニュースもあったが、平和な春の到来をこそ祈る。
 


2002.0312 火曜日
 

 朝ご飯をしっかり食べて、いざお仕事。外はピーカン、目が開けられないくらいの眩しさ。

 午後、ミーティング。英語での会議の司会は、大変に疲れる。島の人々の寛容さに感謝する。

 夕刻より夜半まで、雷鳴と時雨。ときに風強し。
 


2002.0311 月曜日
 

 今日は、コモン・ウェルスデーとかで、祝日。
 天気は朝からかんかん照り。日中はあまり風が出ず、暑かった。午後は早々に部屋へ引っ込んで、少しく勉強。夕刻午睡。

 夜は、恒例となった中華屋で。メニューを置いていないこともあり、何を頼んでいいやら迷ってしまう。

 船乗りの人とご一緒。停泊中も船で寝泊まりしているが、ここ数日来、夜半の嵐のような風雨の中ではさぞ揺れて眠れないだろうと気遣うと、全然気付かない。熟睡している、とのこと。さすがはプロと言うべきか。たいしたものだ。それもそのはず、ヨットレースにも参加していて、最近も南太平洋を転戦してきたという。
 ちなみにこの方は日本人である。松崎茂なみの日焼けと、真っ白な歯。かっこいいね。
 


2002.0310 日曜日
 

海を散歩

 明日が祝日ということで、今日は3連休の中日。昨日は、やや賑やかな島だったが、今日は大変静か。

 午前、バイクを借りて、細長い島の南端まで行き、環礁の内側の海へ。出発前に慌てて買ったシュノーケリングの道具を付けて、泳ぎに出た。

 ちょうど引き潮だったので、珊瑚礁は足で立てる位の深さで広がっている。
 よく知らないが、珊瑚はよほど綺麗な水でないといけないのだろう。岸に近い部分では、ほとんどが死んでしまっており、黒々として荒涼たる風景がひろがっていた。しかし、しばらく沖へ出れば、ちらほらと生きた珊瑚が増えてくる。紫や白、黄緑色したものもあった。数え切れない小さな魚たちがのんびり泳いでおり、さながら楽園である。
 魚の種類を数えてみる。いち、に、さん、し、と続けるが、動き回るので追えない。こちらは数え切れないとはいわないが、しかし、そうとうな種類の魚がいて、僕のすぐ目の前をうろうろしている。彼らにも気に入った場所というものがあるようで、そういうところへ差し掛かると、手の届く範囲内に百ほどの魚が泳ぎ回っている。デジタルカメラの防水ケースを買ってこなかったことを悔いた。
 僕はダイビングをしたこともないし、泳ぎもうまくないので、どうも潜れない。知らない海へ一人できていることもあって、深いところでは、あまり冒険できなかった。環礁が終わる部分では、ぐっと海が深くなっていて、見通しがきくだけに怖い。ゆらゆら大きな鮫でもやってきそうな気がしてしまう。まずそんなことはないのだが。

 午後は午睡。夜は晴れて星が綺麗だ。夜半土砂降りの雨がしばらく降る。
 


2002.0309 土曜日
 

島の披露宴

 今日は休日だ。次の月曜日も祝日だそうで、島はつまり三連休。特にレジャーで遠出する人もなく、若い男達が昼間から大酒を飲んで楽しんでいる姿を見かける。いや、連休を利用して、フィジーなどへ出かけていく人は多いようだった。ただ、遊びで行くのではないかも知れないが。

 ホテルは、飲んでいる人以外は来ないので、やかましいテラスと、静かなフロントや食堂が好対照。

 夜、食事に出かけた。よく行く空港脇の中華料理店である。となりの大きなマネアパが賑やかだ。豚の丸焼きをはじめ、すごいご馳走が並んでいて、ござを敷いた野次馬までいる。結婚披露宴なのだ。

 新郎は、ばっちり決めたタキシード。新婦も純白のウェディングドレス姿。新郎と新婦の隣には、二人ずつの若い男女が、これもタキシードとドレスで決めて座っている。マネアパの中央は広く開けられ、ここでダンスなどが披露されていく。その周りに、親類なのか、たくさんの人が取り囲んで座っている。場内は編んで作ったござが敷き詰められ、全員が日本と同じように椅子を使わず座っている。
 とても和やかでリラックスした雰囲気だ。踊りに出てくる人達も、みんなを楽しませるために思い思いの振りで踊る。厳格そうな親父さんが出てきたと思ったら、ものすごいユーモラスなダンスでみんなを沸かせ、スルと呼ばれるスカートをまくって見せたりする。場内は悲鳴を織り交ぜての大爆笑と大拍手。

 この島では、そして逝く人々はどう見送られるのだろう。生まれくる子供達は、どう迎えられるのだろう。
 


2002.0308 金曜日
 

ひーひー

 少しだけバイクを借りて、昼食を初めての店に行って食べた。中華焼きそばで、鶏肉が入っているもの。中国人がやっている様子だ。ちょっと脂っこすぎたが、まあまあだろう。何よりめずらしく冷房が効いた店なのだ。

 続いてバイクを走らせ、島の南端まで走ってみた。海沿いの道が気持ちいい。しかし、強烈な太陽が照りつけている。長時間は肌をさらしていられない。どうも肌が弱くなっているのか、少しの日焼けがとても痒いのだ。顔は普通に焼けるだけなのだが、腕が痒くて仕方がない。

 夕食は会食会。僕は担当プロジェクト関係者の隣の席だが、他に一緒になったのは教会の偉い方だった。やわらかい物腰の人なのだが、喋る言葉を追うのが大変。必死に外国語を聞くことは、能力の低いものにとっては、他に比べるものが少ないくらいしんどいことである。

 例えればなんだろう。延々続くわんこそば。時速180キロで続ける高速道路走行。長時間に渡る試験。倍速での長時間読書。まさに「ひーひー」いうほどの苦しさ。
 緊張を切らすことは許されない。相づちですますことのできる話ならよいが、最後に何を聞かれるか分からないのだから。和やかを装っているつもりなので、目に必死の形相が現れていないかと、そっちにも気を配らねばならない。

 もうひとつ挙げれば、こちらから話題を振ってみることもまたしんどい。例えば、この島の民話について知りたいが、どこへ行けば情報がありますか?とか。おそろしくまじめな話題を切り出してひっくり返りそうになりながら、やはり牧師さんはおおまじめに答えてくれるのである。

 これ以上滑稽なことも少ない。
 


2002.0307 木曜日
 

譲る

 夕方の島の道を歩いてみる。体が温まったのか、だんだん蒸し暑くなってきた。ほとんど赤道直下の島だが、しかし東京や大阪の夏の夜に比べたら、ずっと過ごしやすいのは確かだ。

 様々な日本からのプロジェクトが重なったので、今はたまたま日本人が多くなっている。それで、会食会となった。みなさんお立場もある立派な方々でもあり、話す内容もそれなりにおもしろい。
 この島や、日本のこれからのことを、オブザーバー的な観点から話し合ったが、どうなのだろうか。ありうべき姿を描くということが、何にしても必要なのだろうが、高度成長期に生きてきた人は、その時持っていた感覚が指標になりがちなようすだった。確かに地域の実情に合わせることが大事である、とは皆が一致しているのだが。僕などは、高い水準は商売を盛んにはするが、無理を生じないかといぶかしんでしまうのだ。

 日本の世の中では、盛んに景気回復が叫ばれて久しい。いっとき構造改革だ、という話が先行していたが、ここへきて、どうも景気をなんとかしてほしい、つまり金回りという結果をいい加減によくせよというトーンになってきたようだ。

 ここで、どの位のレベルの金回りと仕事が実現され、どの位のレベルの生活ができるのかということについて、今よりは高いということが、暗黙の絶対的基準、指標になっているのかな、と僕は思っている。

 僕は、きっともう日本はかつてほどの大規模でドラマチックな経済の動きの元で、ある程度豊かとされた暮らしをしていく必要はないのではないか、と考えている。いってみれば、もっと削れるものは削って、生活には困らないラインを守れればいいのではないか。資源の無い国は、人間が価値を生産して行かなくては食べていけないが、それにも程度がある。分をわきまえて、もっと静かな暮らしで成り立つようなものでいいのではないだろうか。
 攻撃は最大の防御である、との言葉があるが、いつも真実であるとは限らない。今の生活を守りたいという気持ちはあるが、その絶対的な基準を、あきらめて譲ってもいいのではないか。そして、構造改革は、それでもなんとかお金が安心して回る世の中と、国際的な立場を確立するということを目標にするべきではないだろうか。

 そこまで高い営業目標を掲げ達成しなくては、本当に会社は、日本はつぶれるのか。(つぶれるかも・・・)大量に消費するために、大量に生産し、過剰に働く必要はあるのか?
 デフレを投資側の目だけで見たらただの害だが、安物だって普段は十分じゃないか、とみんなが気付いただけなのではないか。他国で作ったものしか買っていないのは問題だろうが。
 何かを、ちょっと譲っていくことによって、なんだ、これでいいじゃないかというところって、きっとあると思うのだ。あれは、貧乏根性だったのだと気付くようなことが。
 


2002.0306 水曜日
 

 午後から雨模様。ときにスコール様のどしゃ降りとなる。 夜、窓の外から聞こえる波の音が、荒々しい。
 


2002.0305 火曜日
 

マネアパ

 日中、かなり時間があった。大変優雅なことである。もちろんやるべきことはあるけれど。

 夕刻から、またパーティ。大臣と食事したりする。ほんとうに小さな国だからできることだ。もっと英語が話せたらと思う。

 席は、ダンスと歌につられて会場ごと移る。すぐちかくの大きな屋根のある建物へ。

 日本にも類似の伝統的な構築物はあると思う。柱と屋根があり、壁がない、象徴的な空間だ。神社なんかによくある。ここでは祭事空間として、よく使われていて、マネアパ、とよばれる。なんと国会もここでやるんだそうだ。オープンという意味で、大変民主的な会場でもある。

 伝統的で、楽しいダンスと歌。おもしろいことに、二つの島から、ふたつのコミュニティのチームが並び、交互に出し物を披露していくのだ。僕も腰蓑を付け、花輪を被って参加した。最後はふたつとも合同の歌と踊りで締めた。

 帰宅後シャワーを。きのうと同じ轍を踏むまい。超高速で済ませた。
 


2002.0304 月曜日
 

 ここ、南の島は週に2便だけ飛行機が飛ぶ。いずれもフィジーと結ぶ線だ。30人くらいは乗れるプロペラ機で、それほどボロくはない。
 久しぶりに会う人が降りてくるのかどうか、静かな島だから、飛行機が着陸するときには、小さな小さな空港ターミナルの前は、たくさんの人が集まってくる。僕も用があって、その中の一人になってみた。

 夕刻から、とあるパーティに参加した。マグロや鰹(かな?)の刺身も出た。ちょっと前にいた日本人の水産専門家の啓蒙で、刺身を醤油で食べることが定着しているのだ。
 ホテルに戻って、シャワーを浴びた。あまりに小さな島なので、井戸がない。だから、どこも例外なく天水、つまり雨水を屋根で集めて、それを溜めて使っている。で、たぶん、高架水槽に揚げた水がなくなったせいかと思うが、シャワー中に水が、あろうことか止まってしまった。
 ちょうど体中の石鹸を流すところだったので、大慌てだ。ほとんどでなくなった水をタオルで受けて、それで拭いて解決した。
 他になにも不便を感じないが、水だけは大事なのだ、この島では。
 


2002.0303 日曜日
 

 午後、勉強などしてみる。夕方近くなって、いっちょ泳いでみようと思ったら、スコール。あえなく中止。
 


2002.0302 土曜日
 

散歩

 曇っている。午後になってから起きる。今日は実質の休みだから、どうにも疲れのたまった身体を休ませないといけない。
 ホテルの外は、すぐに海。かすかな波の音だけが聞こえる。

 夕刻になって、1時間ばかり散歩する。ゆっくりゆっくりと、歩く。
 パンの木、バナナの木、マンゴーの木(パパイヤだっけ?)、それから椰子の木。タロイモだかの葉も見える。細長い島は、2本のストリートが南北に延び、梯子のように小さな道が、そのストリートを結んでいる。ストリートに沿って歩いていると、たくさんの食べ物のなった木々が並んでいるのだ。
 椰子の木は、高いものも低いものもあり、どれもたわわに実を下げている。昨日、落ちてきた実に当たって怪我をすることはないのか?と仕事の途中でこっちのひとに聞いてみたら、聞いたことないよ、と答えていた。そんなことはない。絶対誰か怪我人がいると思いながら、ときどき不安な目で上空を眺めながら歩く。
 チリにいて、これは正確な洞察ではないが、なんだか野良犬を見ていると、その国の国民性が見えてくるような気がしていた。この島を歩いていて、同じ気持ちになった。
 痩せた犬がごろごろいるが、どれもぎらついたところがなく、ただただのんびりとしている。人に追っ払われても、蹴られても、走って逃げるということがない。今時の日本では、野良犬も見かけなくなってしまって、せちがらさも極まってしまったが、ともかくここでは、犬を見て恐ろしく感じない。
 子供がかわいい。ちゃんと目があったら挨拶してくれる。手も振ってくれる。大人達も、だれもが優しく友好的だ。表面的な部分かも知れない。しかし、ちょっとない話ではないか。僕はひとつきしたら、この島を離れて帰ってしまう。友人ができるかどうかは分からないが、しかし美しい場所として、この島が記憶されることは間違いがない。
 


2002.0301 金曜日
 

 プロジェクトの敷地を確認しに行ったりで一日は過ぎていった。

 この国のオフィスアワーは、聞いてみたら8時から始まって、夕方(?)4時までだという。これは役所の時間だが、概ねどこも同じ様なものだろう。と簡単に推測してみようと思ったが、待てよ、役所以外に、会社のオフィスなんて見たことがないなあ。ああ、銀行と電話局があったか。電話局は、役所だったかも知れない。とにかく、お仕舞いはとても早いのだ。
 日没はだいたい6時半ごろだから、仕事が終わって日が暮れるまででも結構ある。みな、家族や友人とゆったり過ごしているのだろう。
 そもそも、産業社会とも、貨幣による高速な経済体制とも、まだ縁が薄いようである。ちゃんと生活してゆけるなら、なにも所得やGDPが低いといって外から評価されても、どうでもよさそうに見える。

 空港脇の中華レストランに行った。場所がよい上に、味もよく、しかも店員が走り回るくらいサービスがいい。ここばかりは「南の島」とは違う時間が流れている。
 イカの入った中華焼きそばが出てきた。なんということはないが、野菜も輸入しなければ存在しないと言うのに、ちゃんと入っている。と、口に入れて、イカのうまさに唸った。

 太って帰る可能性が高い。
 


2002.0228 木曜日
 

南の島へ

 午後の便で「南の島」へ到着。去年の10月に来て以来、2度目だ。
 1万人と少し。それだけしか人口がない国である。いくつもの群島から成る国で、首都のこの島は、面積的にもかなり小さい。国というものは、大変に大きなスケールのもの。天下国家などという言葉があるように、それはそれは大変なものなのだ・・・なんてことは、必ずしも世界共通でないことの実例だ。小さな国というのは、たしかに規模の大きな国のように自立していくにはあらゆる面で困難だろう。しかし、人間社会の運営のやり方に定石はない。漁業権や他国からの援助、国際間の出資による基金の運用益。これでちゃんとやっていっているというのが、僕などには返って感心させられる。

 これから担当しているプロジェクトは実施段階に入っていく。だから、なんだかんだと人に会うのが忙しいのだ。今日も何人の人と会ったろうか。
 とかいって、これも他の海外援助プロジェクト関係のパーティが自分の泊まったホテルで行われていたので、参加していたから、ということもある。

 パーティでは「南の島」の伝統的な歌と踊りも披露された。60人はくだらないだろう群衆が輪になって座り、中央の網代で組んだ低いテーブルを叩いたり、手拍子を打ったりして、大迫力のコーラスが延々と続く。輪の輪郭に、十数人の男女が、伝統に従って着飾り、踊る。
 前回は見られなかった、この土地の香りを嗅いだように思えた。おもしろいもので、観客はご祝儀よろしくダンサーやコーラスの人々に、香水を振りまきに行くのだ。だから会場は甘いにおいで一杯になる。美しい花輪を頭につけた群衆から、声と、色と、動きと香り。五感全てに訴えながら和気あいあいとして肩肘を張らない、しかし力強い芸能だ。
 


2002.0227 水曜日
 

神々の怒れる空

 フィジーの首都スヴァにいる。明日、目的地の国「南の島」へ行く前に、ここであれこれと出歩いた。
 今年の今の季節は、例年になく雨が多いらしい。午前は綺麗に晴れていたのに、午後は決まってスコール(かどうかは知らない)が降る。6月頃までサイクロンシーズンだと昨日のタクシーの運転手は言っていたが、恵みの季節なのだから仕方がない。

 しかし、このフィジーの空の表情というのは実に厳しい。神々の怒れる空、とでも言いたくなるような雄大な不機嫌さ(?)を曇り空に感じる。大地は赤く、緑は濃く、人々の体躯は大きく豊か。その上空を雄大な雲が動き、白と黒の無限の色模様を見せている。

 夜は、一緒に行動している他社の人とともに船上のレストランへ。僕はココナッツを使ったローカル料理を。結構なお味。タロイモもうまいものだ。
 


2002.0226 火曜日
 

 フィジーのナンディに着いた。国際空港である。日本からの預かり荷物の超過料金たるや、大変なものだったが、このナンディから首都スヴァへ移動する国内線ではびっくりの安さ。タクシーにした方がいいのかなと迷っていたが、いちもにもなく飛行機で。

 フィジーは島国。飛行機から見ても、この本島はなかなか大きい。中央部の山岳地帯は急峻で、鋭い岩山が天を衝いている。

 ホテルについても、明日からの仕事の準備。就寝遅し。
 


2002.0225 月曜日
 

 昼まで会社で準備を行い、午後、あわててシュノーケリングの道具を買って成田へ。いよいよ「南の島」へ、仕事に旅立つ。今度は、うちの会社としてはただ一人での乗り込みである。大変に不安。

 夜の便にて飛び立つ。田舎の上空を飛んで海へ出てゆき、日本を離れていく。チリへ飛んだときのことが思い出される。

 ビジネスクラス。いやあいいものだ。が、いちばん前の席なので壁があり、周りに比べて足元が狭い。不満。お隣の席はポリネシア系の小さな女の子。お父さん、お母さんは?と聞いたら、お父さん、パイロットなの。運転してる、だって。
 


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