Diario
日々の記録

 
 


2001.1231 月曜日
 

 今年最後の日が暮れていく。去年はどうしていたか?アラブの居酒屋を見下ろすフランクフルトの安ホテルで、静かに年越しを迎えたものだ。いよいよこの先どうなっていくんだろうという不安がすぐそこの戸口の向こうにいて、しかしとりあえずの安逸の中にいるような気がしていた。
 今年は、久しぶりの大阪の実家で、家族と紅白を見ながら過ごしている。妹は疲れている様子で早々と床へ向かった。親父は遅くになって出かけていった。僕は、こたつで横になっている母と二人で、今は北島三郎のとりを聞いている。

 不可能性という言葉があるのかどうか知らないが、可能性という言葉があるなら、あってもいい。恐れるべきは、不可能性に取り囲まれることだ。ひとつひとつ、可能性を大切にしたい。不可能性を押しつけることは、悪としたい。
 ゆく年くる年は、節目にあって信仰深くなる人々の、真面目な祈りを綴っていく。
 


2001.1230 日曜日
 

 もりちゃんの実家へ行く。男の子が生まれたので、お祝いのつもりで。一家は、赤ちゃんを中心に幸せが渦巻いて、普段からほんわかしている家は、さらにほわほわと幸せな様子だった。生まれてまだ2ヶ月程度しか経っていないと言うのに、赤ちゃんはすでに立派な子供の顔。凛々しい眉毛など、薄い僕のそれなどよりくっきりしている。

 ほどなくKもやって来た。年末の挨拶に回っているのだとのこと。

 もりちゃんの家の模様替えを手伝い、買い物に付き合った。我が家はあのように生活をしている雰囲気になっていない。

 Kがうちに来て食事。ボーリングをしにゆく。最低なスコア。

 年々、歳末であるという雰囲気が、世間からなくなっているような気がしている。もう少しそれらしくないと、つまらない。
 


2001.1229 土曜日
 

 昼前に車で出発。どこへ?大阪へ!

 中央道から名阪へ、そして大阪へ。僕の小さな車は、なんとか走り通してくれた。

 夜、協力隊の同期たちが集まる梅田の酒場へ。みんな元気だ。相変わらずの人がいる一方、変わったなあという声も聞かれる。どんな風に?女は綺麗になった!と。男は薄くなった!と。

 利害なき友よ。これほど貴重な繋がりは、僕にはそれほど多くない。
 


2001.1228 金曜日
 

 今日は休み。のんびりと過ごす。
 


2001.1227 木曜日
 

 本来明日まで勤務なのだが、今日を納会として全社的に明日は休もうということになっている。
 海外でのプロジェクトばかりの会社だから、どうしても年の瀬など関係ない雰囲気になってしまう。日本以外で年末年始を長く休む国はあまりない。
 


2001.1226 水曜日
 

 本日の富士山:素晴らしいの一言。これほどくっきりと美しい山影を眺めることができたのは初めて。

 年賀状を作る。まだ出していなかった。大変難しい。結局去年と同じレイアウトを使って、絵と台詞だけ変えることにした。
 


2001.1225 火曜日
 

 冬になって空気が澄んでいる日が増えたからか、ここへ来て、朝の通勤で乗るモノレールから富士が眺められることを知ったのだが、それ以来、毎朝の楽しみになっている。
 雪が降っているのだろう。富士は、今日は見えなかった。

 英語学校に、お金を納めてきた。大金である。僕にとってはほんとに大金である。毎回のレッスンは、一回の映画を見られる程の値段だ。無駄にしてなるものか。
 


2001.1224 月曜日
 

 振替休日。クリスマスイヴ。色鮮やかなご馳走で過ごす喜び。幸せ。
 


2001.1223 日曜日
 

 中央道を山梨へ走る。毎日通勤で見ている富士山を間近に眺めるのが目的だったのだが、出発が毎度の如く遅れてしまった。予定を変更して「ほうとう」を食べる旅にする。
 勝沼で地元のフルボディワインを買い、適当な店に入った。ほうとうは素朴な麺の料理で、よれよれとした形がよい。おやきも食べた。どちらも僕は初体験である。

 チリのぶどう農場は平地に延々と続くものだった。こちらでは山の斜面にぎゅうぎゅうと広がっている。まともなワインは、チリと同じくフランスの株をいれたりしているようだ。後は製法の問題である。

 帰宅後食事しながら早速飲んだ。と、これが驚いた。99年のカベルネ・ソーヴィニョンでモンド・セレクション金賞受賞とラベルにあったが、まともなワインだった。深みがもう少しほしいけれど、さらりとしており、幼稚な味では全くなかった。日本のワインはどれも甘い果実酒としての枠を出ないと考えていたけれど、こんなのも作れるのかと認識を新にした。2千円の価格がこれでもう少し下がればよいと思う。
 


2001.1222 土曜日
 

 昨日は早めに休んだ。午前は大事をとろうと思い、二度寝して昼に起きた。

 気分は悪くないが、まだ憂鬱な感じが残っている。それには構わず、洗濯や掃除をする。ついこの間買った掃除機が、やっと活躍。大変便利なものだったのだなと再認識。

 午後、新宿のインターコミュニケーションセンターに向かう。NTTがやっているメディアアート専門のアートセンターだ。「信用ゲーム」とかいうタイトルだった。貨幣とかトレーディングというのか、そういうのがテーマであるようだった。本来深いテーマであって、もっとおもしろくなる可能性がありそうだが、どうも投資が足りなくて信用を生むに至っていないように思われる展覧会だった。

 みうらっちと来ていた。食事し、飲む。独立系の(という言葉があるのか?)建築家である彼にとって、今年はどういう年であったのか。そしてその話を聞いて、では僕はこの一年をどう過ごしてきたのか。そういうことを話したり感じたりのひととき。
 ものを考えたり、作り出すとき。スタートはいつもひとりでなくてはならない。また、対話は原則として二人、つまり一対一である。さしなのだ。
 お互い、そんなことも強く意識された午後だった。
 


2001.1221 金曜日
 

 契約調印式なるものを見学。ちょうちょうはっしの方々による、けんけんがくがくのたまものなのであろうと、大いに感心する。

 帰宅する前から、どうもがっくりと疲れが出てきた。ここ最近流行っている風邪は、嘔吐を伴うと聞く。うつったのだろうか?もしや変な病気ではないか?
 実にがっくりと来ており、しかも精神的にもかなり憂鬱。こんなことは、しばらくなかったのだが。
 


2001.1220 木曜日
 

 会社の忘年会。ふぐが食えた。幸せ。全部忘れてあげます。
 


2001.1219 水曜日
 

 早めに仕事を切り上げて、ノー残業デーなのになかなか帰ろうとしない同僚達を構わずオフィスを出た。

 オフィスは駅からすぐの場所にあるが、そんな短い経路の途中にあるのが駅前留学とか言って、たくさんの教室を全国に持っている英語教室である。先週末に話を聞きに行ったが、今日は無料のお試しレッスンと、申し込み、レベルチェックのテストまでをやってみた。つまり、ここで英語の勉強をしようかというのだ。
 教師としてどうかはよく分からないが、講師はまずまずまともな様子だった。レッスンなのかテストなのか、そんなことはまず置いても、思い切り苦手な英語で笑いありの意志疎通ができたことは嬉しかった。しかしこれからは、まともな能力をみにつけていくつもりだ。
 それにしても、20万程度のお金は出ていってしまうことになる。途中で辞めれば、解約と言うことでお金がある程度戻ってくるらしいので、それはちょっと安心に繋がる材料だった。
 


2001.1218 火曜日
 

 奨学金の返済2年分であるとか、この間の買い物で目減りするだろうカード口座への預け入れであるとかで、預金の残高が一気に減っていく。ある程度からなかなか貯金が貯まらない。今はあれこれと出費が多くなってしまう時期なのだろうか。
 いくら蓄えがあれば大丈夫だと思えるだろう?大丈夫という言葉よりも、安心のほうが近いだろうか。
 


2001.1217 月曜日
 

 富士が今日も美しい。車でなら、すぐに行けそうなほど近く感じられる。実際、どれくらい離れているのだろう。

 部内の担当外のプロジェクトで入札があり、手伝う。来年、僕のプロジェクトも同じことをせねばならないが、それまで行われる入札は今回のものだけだ。今回の例をよくよく勉強しておかなければ。

 今週から少し仕事は楽になる様子。振り返れば年末ではないか。
 


2001.1216 日曜日
 

 銀座に出る。クリスマス商戦のまっただなか。ものすごい人出。狙っていったある店では、人が多すぎてゆっくり見れない状態だった。
 銀座まで来ると、さすがに皆豊かそうに見える。どこでそんなにお金を稼いでいるのだろう。

 いい加減空腹に耐えかねたのでレストランに入る。インド・パキスタン料理の店。ナンが食べ放題とかで、2回もおかわりをしてしまう。結局ほかに客は来ず、日曜の夜はかなり稼ぎがしんどい様子がうかがえた。

 雑貨店ではクリスマスカードや年賀状の関連商品がよく見られる。まだ全く書いていない。チリにはきちんと出さなくてはいけないだろう。やばいな。
 


2001.1209 日曜日
 

 よく晴れた秋空。風が時折強く、日射しの割にやや寒く感じた。そんななか、都心を歩くことにした。

 営団地下鉄が主催するお散歩ラリー(?)に参加してみた。代々木公園の駅から、公園を抜け、明治神宮から伸びる表参道を歩き、青山墓地を抜けて、明治天皇夫妻の事跡を展示しているという聖徳記念絵画館前の真っ直ぐな銀杏並木を通って青山通りの神宮外苑駅までを歩くものだった。およそ7キロの行程である。

 表参道は、真っ直ぐな通りが緩い勾配を持っており、見通しがいい上に楽しい店舗が壁面線を守って並んでいるから美しいと思う。いつもはもっと若い人で埋まっているのだろうが、今日は徒歩ラリーに参加する年輩者のせいで平均年齢が上がっていたろう。
 青山墓地では、偶然、道路に面した区画にあった松岡洋右の墓を見た。運が悪かったのかも知れないが、戦時中の日本の軌道をあやまらせた要人のひとりとされている。たまたま何度か言葉を交わしたラリーの役員が、彼の墓を見た後にも二言三言語って行った。

 行程を歩き通したら景品が出た。小さなタオルだった。こういうイベントに参加したのは初めてだったが、ささやかながら、街をのんびりと楽しいものにしてくれる、いいものだと感じた。

 昼食。秩父宮ラグビー場横の槇文彦設計によるテピアでイタリア料理を。日射しが暖かく、食後すぐに眠気で動けなくなってしまった。
 


2001.1208 土曜日
 

 夜、協力隊のチリの仲間の忘年会を新宿で。みなそれぞれ、働いている様子。なんだかお洒落になっているのを見て、ここは日本なのだと思うに至る。
 


2001.1207 金曜日
 

 研修終わる。長かった。楽しいものではあったが、時間を工面するために、多方面に迷惑をかけたし、気も使った。相当疲れてしまった。
 


2001.1206 木曜日
 

 研修と、持ち場での仕事の往復。帰宅遅し。余裕のない生活。早く仕事を覚えてしまいたい。
 


2001.1205 水曜日
 

 晴れれば見える富士山の姿を、通勤時に見るのが楽しみだ。いつからか、白雪を常にいただくようになっている。

 残業なしの日だが、そんなことはお構いなしにお仕事である。自分の時間が取れないのが僕にはしんどい。
 


2001.1204 火曜日
 

 余りに忙しく、まともな食事がとれない。こういう生活をずっと続けている人もいるが、よほど頑健か、病気かどちらかだろう。絶対よくない。
 ちょっと昨日の余裕がないな。

 落ち着いて本を読んだり思索をしたい。ゆっくり人と会って、ゆっくりと建設的な意見を交換したい。そして、さまざまな行動の中に前進感を感じていたい。しかし、そのためには余裕を作り出すだけの、自分のキャパシティを持つことが必要だ。結局成長するしかない。
 


2001.1203 月曜日
 

 早朝出社。午前研修。開発プロジェクトの評価にかんするもの。楽しみにしていたが、本来の業務が忙しく、午後は出れなかった。今週いっぱいあるが、8割の出席が必要だ。難しいかも知れない。

 大変慌ただしかった。しかし、精神的な余裕はまだまだある。
 


2001.1202 日曜日
 

 朝まで作業。帰宅。午後、また少し会社へ顔を出す。よく晴れて暖かな日だった。夜まで所用。また会社へ戻るつもりだったが、さすがに眠くて、明日早く行くことにした。
 


2001.1201 土曜日
 

 午後、出社。作業する。
 


2001.1130 金曜日
 

 ここで働き始めて8ヶ月が過ぎようとしている。よく雪の降った前の冬から、慌ただしくここまでを転がって来れたけれど、時の過ぎるのはなんとも早い。
 明日から師走。

 連絡や相談を、なぜか欠かしてしまうようなことが、このところ多くなってきたように思う。慣れか、慢心かのせいだろう。これはちょっとした事故みたいなものだろうとは思わぬこと。

 住まいの辺りは、一段冷たい夜気が漂うようになった。帰り道、ほとんど丸くなって、よく輝く月を見上げた。
 


2001.1129 木曜日
 

 夜、仕事を早めに切り上げて新宿へ向かった。叔父に会う。3年ぶりだろうか。
 種々、種々語り合う。非常に楽しい。
 


2001.1128 水曜日
 

 快晴。朝、通勤の道から富士が見えた。非常にクリアで美しい。
 


2001.1127 火曜日
 

 昨日歯に詰めた金属が、まだかちかちとして違和感がある。そのうち慣れるのだろうか。
 


2001.1126 月曜日
 

 午前、新宿へ出た後、歯科へ。今日は奥歯の患部へ金属を詰める日だ。先々週の金曜から仮の詰め物だったので、今日からは、食事中とれやしないかとびくびくせずに済むから嬉しい。
 予想に反してほとんど痛みのないまま、金属は装着された。少し合っていないような感覚があるけれど、削って合わせることができる。さんざんやってもらったが、あとは様子を見ることにした。

 帰宅後、語学の勉強をしてみたが、あまりに眠く、すぐにダウンしてしまった。情けない。
 


2001.1125 日曜日
 

 天気予報に反して、今日も快晴。渋滞しやせぬかと心配なので早々に帰路に就く。関越道は、ほとんどスムーズに抜けることができた。
 どこへいくともなく、そのまま都心へと車を走らせてみた。目白の東京カテドラルを見ていく。いい建築だ。
 武道館を見、皇居をかすめて国会議事堂、霞ヶ関。おお、首都なり、と感心してみて、渋谷を経由しながら西へ針路をとった。
 用賀で長浜風のラーメンを食べる。柳屋と言った。まあまあ。

 三連休が、終わった。
 


2001.1124 土曜日
 

 ドライブと歩きで群馬の山間を楽しむ。スケッチ程度の日記。

 照葉峡。いけず。
 奈良俣ダム。
 一の倉沢。20分ほど歩いた。沢の水が冷たかった。絵を描いた。
 藪そば。まあまあって程度。そばは、そばだ。されど、しかしやっぱりそばなのだ。
 


2001.1123 金曜日
 

 勤労感謝の日。快晴の関東地方。断続的な渋滞を抜けて、関越道を北へと進む。関東平野は、広い。

 電話で予約していた奥利根のホテルに入ったのは、午後も遅かった。ホテルというより、大きめの旅館だろうか。冴えないけれど、ひさびさに大きな谷の山間を抜ける道を走ることができただけでよかった。今日から3日間の、リゾート。

 疲れました。早速ゆっくりとしよう。寝ます。
 


2001.1122 木曜日
 

 ここ連日は積算の作業が続いている。設計業務の一環だが、全てを理解しつつやっていくことはまだできない。デザインの人間としては、かつてはこのような仕事はあまりかかわりたいとは思わなかったが、本来避けて通ることはできないこと。やってみれば、それはそれで、なんだかおもしろいかも知れない。建築をどう捉えるかというときに、経済の目で、細部から全体までを見ることができる。

 終電近くの時間に退社し、近くのバーへ同僚と出かける。話題はさておいても、面子のそれぞれの個性が楽しいと思う。帰宅は久しぶりのタクシー。
 


2001.1121 水曜日
 

 会社では東芝のノートブックを使っている。・・・・遅い。それにどうもウィンドウズの操作感が好きになれない。
 


2001.1120 火曜日
 

 ハンバーガーしか食べていなかったので、帰宅後湯豆腐など食べる。

 リビングが散らかったままなので、思い立って片づける。片づかない。整理程度に終わる。が、押入にしまったままだったCRTモニターをテーブルの上に出してみるなどする。軽く未明3時を過ぎてしまう。

 食卓の白い天板の上に、南の島国の硬貨を並べてみる。フィジーで求めた杯に入れてあったものを取り出して。
 おもしろいもので、蛸や飛び魚がかたどられた文様が浮き彫りになっている。目玉だと思っていたウミガメの硬貨を探す。友人に1枚あげてしまったのだが、実はあれだけしかもっていなかったようだ。少し後悔。
 


2001.1119 月曜日
 

 落ち着いてものを考えたり、動いたりしながら、しっかりと自分というものに僕は今生きている。そう確認できるひとときが欲しい。しかし、実際はうまくいっていない日がほとんどだ。
 メールや電話、コンピュータとのつきあいによって物事が運ばれる。このことは、僕の中では、まだどうしても有機的に一体化できない、異質な自我の一部を育てているように感じられる。

 遅い時間のオフィス。そろそろ同僚達の数も減ってきた頃だった。背の高いパーティションに仕切られた向こうから、厳しく人を責める声が聞こえた。隣の部門の人のようだ。だれか後輩か部下に対して厳しい言葉が延々と続いた。
 広い意味では、こうしたことは、諭しの部類に入るのだろうか。それとも、たんに責め、虐めているのだろうか。
 


2001.1118 日曜日
 

 稲城に出かけることがあった。里山の中の住宅地は、イタチや狸の住処でもあるということだった。

 夜更けも未明近くから、すぐ近くの多摩川の土手に出た。獅子座流星群を観察するのだ。昨日のような曇りがちな夜なのに、今日は明るい流星がたくさん見られた。楽しい。思わず電話をかけて、見て見ろ、と大声で話していた。見回せば、意外なくらいの数のひとびとが表に出て星を眺めていたのだった。ここ数年のことではないだろうか。流星群というものがあり、実際に見てみようとするひとが増えたのは。
 


2001.1117 土曜日
 

 夕方まで起きたり寝たりを繰り返す。

 その夕刻になって、銀座に出た。北海道からアリヒロさんが上京しているからだ。正確に言うと、海外の仕事から郷里へ戻る途中である。彼もチリの協力隊員だった。水産が専門だ。今日はアリヒロさんを囲んで、海産物たっぷりのスペイン料理店へ向かった。

 帰宅後、車でしばらく走ったところにある人工湖まで行ってみた。獅子座流星群が観察されると言うので。
 やっと見つけた観測場所で星を見上げ始めたが、雲が多くなってきたため、ろくすっぽ流星を拝めずに戻らなくてはならなくなった。
 明日も流星群は見られるというので、明日に仇をかけることにして戻った。
 


2001.1116 金曜日
 

 シチューを食べた。野菜だけのシチュー。チリには無かったシチュー。
 ごちそうさま。
 


2001.1115 木曜日
 

 やっていて、お世辞にもおもしろいと言えない文書を作る作業をしていた。ワードのファイルである。夜も9時を回るまで、こつこつと仕上げてきたのだが、とつぜん一部の文字がおかしくなっているのに気が付いた。これまでサーバーから直接文書をいじっていたので、慌ててデスクトップに保存してみた。しかし、何度やっても、サーバーのファイルもデスクトップの方も、ファイルは壊れてしまっていた。
 何かおかしな操作をしたのだろうか?もしかしたら、これが噂のウィルスだろうか?家で使っているマックでは、ウィルスなど全く縁がなかったけれど、オフィスはすべてウィンドウズ。
 どうでもいいが、僕の一日の仕事は、たぶんこれでぱあになったのだろう。明日、仕事をしたくない。
 


2001.1114 水曜日
 

 ノー残業デー。しかし、仕事場を抜け出すのは毎度のことながら一苦労である。
 新宿に出て、仕事用のシャツを2つと靴を1足買う。靴は高い。これは、履いていて楽で、どう履いても脇役になってくれるチャッカーブーツを選んだ。いままで履いてきたのが、もうそろそろ限界まで傷んできたから。これから、この型の靴は、1足は必ず持つことになっていくと思う。
 


2001.1113 火曜日
 

 行き帰りの通勤の電車に乗っている時間は、30分とか40分でしかない。しかし、無駄にすまいと思って毎日英語関係のものを無理にでも手にしている。ところが、これに取り組むか否か。毎朝、心の中で格闘となる。けれど、やっぱりちゃんと朝以外にも時間をとってやらないと、この格闘ははっきりいって無駄になる。予選をやって、本戦に出ないようなものだ。
 どうでもいいが、人生、これに似たようなことは多いと思われる。
 


2001.1112 月曜日
 

 建築関係のプロジェクトをすすめていくには、それこそとてつもなくめんどくさい作業の積み重ねによるしかない。調査だろうと、計画だろうと、設計だろうと、施工だろうと、なんだろうとである。それでも実現までこぎつければ、具体的な成果物が巨大な実体をもって立ち現れるから、達成した喜びをつかみやすい。これは、なかなかほかに望めないものだ。だからみんな、このめんどくさい仕事をやっているのだろうと考えている。
 だが、実際の日々の作業は、ときに酷なくらい量が多かったり、気の遠くなるような手間を要することがある。
 オフィスには、疲れているであろう横顔が多い。楽しくやれているか?と聞いてみたくなるときもあるが、もちろん聞けない。
 


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