Diario
日々の記録

 
 


2001.1010 水曜日
 

 どしゃ降り。早起きして詰め込んだスーツケースをどうオフィスまで運ぶか迷ったが、車にした。到着まで10分しかかからず。荷を降ろして家に戻り、こんどは30分の電車通勤。

 よく降る。秋雨のイメージを越える降り方で、台風の時のように多摩川は巨大な濁流に化しつつある。

 夜になり、不意の落雷。オフィスの中がどよめく。

 明日から出張だ。南太平洋にある小国のプロジェクトの件で。
 団員は4人だが、僕は英語ができないので恥をかくことも多々あるだろう。帰国したら、本気で勉強を始めようと思う。
 2週間ほど、家を空ける。掃除していないので、気になっている。車も大丈夫だろうか。今回の出張2週間というのは長くない。周りを見ていると、ひと月やふた月の出張はめずらしいことではないようなので、今後どうしていくか先輩方に聞いておかないと。

 あ、今日までの支払いを忘れていた。
 


2001.1009 火曜日
 

 連休明け。午前新宿。風が強い。新宿高島屋の前には、JR新宿駅の線路を一気に跨いでかかるデッキがあって、線路の束の向こう岸までを繋いでいる。デッキの上は吹きさらしで、上着や髪が振り乱された人の群が行き交っている。
 ハンズで旅行用品を見てみる。大したものはない。好奇心で使い捨ての下着を買ってみた。何回か洗って使えるという。
 


2001.1008 月曜日
 

 雨。寒い。トレーナーで出かけ、祝日の午後のオフィスで仕事する。
 英文の手入れ。面倒になり、最初は丁寧に読んでいたのに要領に走った。終われないから。

 昨日の夜からアフガニスタンへの攻撃が米英によって始まった。やるせなし。彼らは、僕らは、いったいどんな世界を作ろうとしているのだろう。どんな世の中なら納得がいくんだろう。そして、いままでは、その辺りをどう考えていたんだろう?いや、いたんだっけ?

 ことが起きてからそれを対話で収拾できるのは、おそらく対話で進めてきたことだけなのかもしれない。だから彼らは今回武力で応えるしかないのかも知れない。そして、だから僕のいる国は、主にお金で参加するしかないのかも知れない。
 アイロニカルに言うのではなくて、初めから積極的にたゆまぬ行いを続けることが、迂遠に見えてほとんど唯一確実で平和的な道筋の原則であるように思われる。
 


2001.1007 日曜日
 

 午後起床。電気屋へ夕方買い物に。電子辞書、ペンタブレット、ヘッドホンなど。3万円ほど使った。気分がよろしい。みんな前から買わなくてはと思っていたもの。

 電子辞書は、職場の若手は皆重宝している様子だった。出張前に慌てて購入というところ。
 ペンタブレット。これはデスクトップのマックがADB接続なので、前から持っているタブレットもADBであり、これが今メインにしているパワーブックG3に使えず困っていた。A6サイズなのでかなり小さいが、これでやっと気軽にお絵かきができる。
 ヘッドホン。チリでボロを友人にあげたから、また買わないと行けなかった。耳をすっぽり覆うタイプのものが欲しかった。家でゆっくりと音を楽しむには、いつも欲しいものだ。ソニーの5万円もするものは、さすがの音空間を表現していたが、あれに一番近い廉価なものを探すとaudio-technicaになった。

 買い物の理由を書いても仕方ない。しかし、いろんな人の買い物の中身や動機を聞いて回ればおもしろいとは思う。女性誌では、それに似た特集が見られるような気がする。
 


2001.1006 土曜日
 

 午後、日比谷公園へ向かう。今日と明日の二日間、国際協力フェスティバルというのがある。国内でなんらかの活動をしている、公的機関やNGOが一堂に介するものらしかった。タイヨー君、ミワコさんとともに遊びに行ってみた。ミワコさんは、ここに参加しているとあるNGOの職員だったことがある。
 手頃な大きさの公園は、ほんとにいろんな手合いの、たくさんの団体によるブースで埋められていて楽しかった。関係のない人でも、遊びに行って楽しいかも知れない。夕刻から始まったモンゴルの伝統音楽のライブもなかなかだったし。
 僕は、関心のある分野では、どんな組織があるのかということ、そこがどんなことをやり、どんな情報をもらえるのかに関心があった。
 そこそこの収穫。

 夜から、たまたま上京している人を含めて、協力隊の知り合いが集まって食って、飲んだ。しょっちゅうこんなことをしているようだが、それぞれに違う面々なので職種も人種もちょっとづつ違っている。
 すんなり帰らず、男ばかり4人でサルソテカ(というより、サルサバーかなあ)に行った。朝まで踊る。僕は見物。六本木のSudada(すだーだ)。いい店だ。サルサは、不健康さがなくていい。知らない男女でも、爽やかに踊れる。
 始発で帰宅。おどりぃ〜つかれたぁ〜、と大阪の男が歌いつつ帰る。
 


2001.1005 金曜日
 

 遅くに仕事を終えて帰る。行き帰りの電車では、付け焼き刃の英語のテキスト。出張を終えたら、本気で英語の教室に行ってみよう。聞くのと話すのは、どうしても人間が相手でないと難しい。
 


2001.1004 木曜日
 

 お仕事お仕事。
 


2001.1003 水曜日
 

 要領が悪いのか、やっぱり仕事が複雑なのか、全くいろんなことを処理せねばならず、自分の仕事が進まないで困る。
 各方面にたいする連絡や調整、それにかんする作業など、およそ僕の頭では覚えきれない様々な仕事達は、なんでもかんでも、とりあえずポストイットで書き留めて、デスクの上のノートパソコンに貼りつけ、合間を見て整理しつつノートに張り直している。そして済んだ仕事はDoneのぺーじに移し、内容に変更があれば、また書き直して貼っていく。そうやってなんとか取りこぼしがないようにしている。
 周りを見渡して、同じ様なやり方の人を見ない。みんな忘れないでやっているのだろうか?確かに仕事の流れの上に全てを位置づけていければ落ちはないかもしれないが、それにしてもそんなことではどうしようもないレベルなのだが。

 帰り道。今日の月は、昨日ほど眩しく輝いていない。どうして昨日はあんなだったのだろう。

 夕食はサワラのステーキと、ほうれん草。いずれも一昨日の残りを料理した。買いたてのコシヒカリを頬張る。うまい。もうぴかぴか光る光る、お米の粒が。幸せだなあ。
 


2001.1002 火曜日
 

 長い出張から帰る人あり。これから出張に出かける人あり。オフィスは慌ただしさを増している。僕はその中で、これから短い出張の準備をするくちだ。

 帰り道、空を見上げる。今日は朝から素晴らしく透明な大気だった。夜もまたいい空だ。昨日満月だった月が、昨日曇りだったのを取り返すかのように輝いている。それがどうかしているんじゃないかと思うくらいに明るい。こんなに眩しい月を見たのは初めてのことだ。
 星もよくでている。月夜は星が隠れてしまいやすいのに、それくらい今日は大気がきれいなのだろう。スバルも6つの星を確認できた。

 いい夢を見つつ、眠りたい。
 


2001.1001 月曜日
 

 予報では雨のち曇りだった。しかし、夜になっても降り止まない。新宿に出てきていた。そのまま帰ることにする。秋の長雨の始まりか。

 中秋の名月とのこと。帰宅後、雨が上がり、雲間にぼんやりと月が透けて見えるようになってきた。しかし、あいにくと言えばあいにくの曇り空である。

 秋の十五夜といえば、協力隊の訓練所の二人部屋で同室だったHさんを思い出す。どうしているだろう。
 3年前の中秋の月は、厚い雲の上に輝いていた(981005)。あの時に書いた「横山大観の絵」というのは、ほとんど僕の希望によるファンタジーだ。あるのかないのかも、その後確かめていない。けれど、あったっていいんじゃないか。きっとあるんじゃないか。そう思っている。
 


2001.0930 日曜日
 

 昨晩は京都に住む妹が遊びに来た。散らかった家では申し訳なかったが、機嫌良く一泊していった。これから友人の日本舞踊の舞台を見に行くのだと言っていた。

 昼食を適当にとった後、また眠くなってしまい、午睡。洗濯だけはして置いてよかった。なぜなら、このまま夜まで寝てしまったからだ。

 身体はそれほど疲れていないのだが、たまにはこうして自堕落に寝てばかりいるときも欲しい質なのだ。

 夜から雨が降り出した。夕方には降っていたかも知れない。車を出して、古本屋で幾冊か買った。

 リビングに広げていた本を、作った本棚にやっと収めた。突っ込めば、持ってきていた分くらいは納まってしまったので驚いた。
 


2001.0929 土曜日
 

 昨日遅く帰ったのに、早起きして出かけた。みうらっちが建築の見学会があるからと誘ってくれたのだ。

 箱根の別荘だった。湖水に面した最高の場所。いわゆる山荘の類と言うよりも、ほとんど企業の賓館といった風情だった。
 建築家と、アトリエのスタッフ達がいて、彼らの持っている雰囲気に触れられたのがよかった。
 元関係スタッフのNさんはみうらっちの先輩でもあるのだが、彼の厚意で今回は参加させていただいたものである。ありがとうございました。

 なかなかいい天気で、帰りの車内では気持ちよく寝てしまっていた。今度は自分の車で出かけてみようと思う。そのときは、村野藤吾の箱根プリンスホテルでも見てみようか。
 


2001.0928 金曜日
 

 風がびゅうびゅうと吹いていた朝。思わず台風が来ているのではないかと天気予報を確認した。
 午後、いつのまにか晴れている。会社の窓から、新宿の高層ビルがはっきりと見えている。かなり珍しい。東京西部に隆起している山々の稜線も、鮮やかだ。

 夕刻より気が抜けたのかどうか、仕事に集中しにくくなった。おそらく血圧が低い様子。こういうときは、ともかく眠くて困ってしまう。まえも同じ様なことがあったのだが、たまたまその日血圧を測る機会があって、上が90行くかどうかだった。機械が壊れているんじゃないかと思ったのだが、医者の顔を見ていると病気ではない様子だった。

 夜、職場の仲間と飲む。
 


2001.0927 木曜日
 

 青天の霹靂とは言わないが、来月海外出張するグループの団員になった。担当プロジェクトなのだから行くように、と掛け合ってくれた人がいたのだ。深く、感謝する。

 英語の鍛錬について、まだ本格的に始めておらず、大変心配である。スペイン語ならまあなんとかなるのだが、英語はだめだ。最初だからと大目に見てもらえるほど、プロの世界は甘くはなかろう。

 風邪気味だ。布団にしっかり入って寝るべし。
 


2001.0926 水曜日
 

 午後、新宿へ。帰りに紀伊国屋へ寄り、建築の本を3冊ほど買う。洋書のコーナーに寄ってみるけれど、スペイン語の本は少しだけ。なぜフランス語よりも小さいのか分からない。あと、インテリアの本なども見てみる。これは全く日本の本のたちうちできない世界だ。それなりによくできた美しい本が、じつにたくさん揃っている。こういう本でスタイルを研究し、家を真剣に演出してみる楽しみが発達しているということだ。

 早めに退社した。といっても8時半頃。これくらいなら自分の時間が作れる。と、そのつもりだったのだが、このところ疲れ気味というか気が抜けてしまってきており、ちょっとひと休みと布団に入ったのがまちがい。そのまま朝になってしまっていた。
 最近、このパターンが多い。
 


2001.0925 火曜日
 

 食い過ぎなのかどうか、腹の膨満感がひどくなるときがある。この間、胃薬を買ってみたり。胃薬を買ったのは初めてだった。運動不足が大きいと思う。あと、もっと食べる量を少なくするべきだということだろう。中年太りが始まっていると思われる。

 なにを他人事のように。

 昨日今日と素晴らしい秋晴れだ。暖かく涼しく、ひかりは見通しよくまちを照らして見える。ノガレスを思い出す。冬以外は、それこそ毎日これ以上のいい天気だった。いまごろ向こうは日本なら5月のような、春らしさのなかにある。そしていまひとときだけ砂漠のような乾燥した野原や山肌が、緑に染まっている。

 メールの返事がたまっている。なぜか書けない。

 腹が減ったような気がするので、寝る前にブルーチーズをほんの少し食べた。酒の代わりにミネラルウォーター。さっぱりとしていて、うまい。困ったときは水だなと思う。
 


2001.0924 月曜日
 

 休日。夕刻になって東京へ帰る。

 夜更け。映画「GATTACA」をテレビで見る。ポスターを数年前見て以来、ずっと見たいと思っていた。
 冷たいまでにオーガナイズされたオフィスや住居。建築的にも、ちょっと見物だった。ロケットを飛ばしている企業ガタカの社屋は、数十年前のF・L・ライトの作品であるアメリカはマリン郡の庁舎。
 内容は、意外にも若者の夢や意地や恋といった素朴なもの。舞台は近未来の遺伝子管理の社会だというのに。見終えて、なんだか優しい気分になった。この映画が縁で、主演のイーサン・ホークと助演のユマ・なんといったかな。美しい女性なのだが、とにかく結婚したそうだ。

 映画が終わったら4時。35分頃、なんだかがたがたと建具などが騒がしくなったと思ったら、地震だった。こっちへ来て、もう何度目だろう。いつか大地震に見舞われるかもしれない。覚悟するだけではだめなのだが、何をしておくべきか。5時頃にもまた揺れた。
 


2001.0923 日曜日
 

 午後、M脇の結婚式。ウェスティンホテルへ向かう。

 なかなか奥手で堅物な男だったのだが、そんな表現もちょっと語弊があろう。むしろ?真面目で誠実だと言った方がいいような、そんな柔らかさ?も出てきた。と思ったら、案の定、いい人を見つけてきたなというところ。
 披露宴は非常にしっかりしていて、楽しく、心も温まる、稀にみるいいものだった。これはさい先がよい。

 人より苦労の多い子供達を相手に先生をやって来た男だから、きっとたぶん、いい家庭を作ることができると思う。また、そうでなければ。将来、いろいろと教えてもらうことができそうだ。こちらはまだ結婚はね。といった状況なんだけれどね。
 ともかく、M脇、おめでとう!

 夜、自宅へ戻り、家族と団らん。

 まだ終わらない。たまの帰省は忙しいものだ。次はもりちゃんの家へ行く。こちらは6月に結婚したばかり。が、実質は少し早く事態は進んだものになっていて、来月は嫁さん、臨月だ。楽しいお話。

 さらにさらに。今度はもりちゃんと信楽までドライブ。これがないと、こっちへ帰ってきた気がしない。
 おつかれのところ、もりちゃんよ、ありがとう。
 


2001.0922 土曜日
 

 10月中旬から下旬の気温だそうである。秋晴れが美しく、風は冷たくて清らかに感じる。

 午後、大阪へ帰る新幹線に乗った。最近の電車は消毒をしなくなったのか、ときどき床をはいまわるお客様を見かける。目をやればいるのだから、その数、数知れず。思わず床に置いたリュックを上に上げた。

 飲食店の中には、店に出没するゴキブリを見たら、暗号で呼ぶようにしているところがあるらしい。
 山田さんとか、ジョニーとか。

「山田さん来たよ」
とか、
「はい、ジョニーさん、そこの角ね!」
「はーい、ジョニーさん、お待ち!」
とかとか。
 


2001.0921 金曜日
 

テロ雑感

 はらはらと冷たい大気が流れては顔に水滴をつけていく。ごくうっすらと降る霧雨の中。傘をさすひともない。
 昨日から、ぐんぐんと季節は秋に変わりはじめている。

 このところ早めに退社することが結構あった上に、打ち合わせ等が多すぎ、ほとんど仕事が前に進んでいなかった。終電まで集中したけれど、そのために今度は仲間に誘われたのに飲みにいけなくなってしまった。

 アメリカで起きたテロの余波は、どういう拡がりを見せていくのだろう。また、テロなどのインフォーマルな戦闘や騒乱の手法は、どうなっていくのだろう。
 少々長くなるが、考えてみる。

 国家は、無法や犯罪的な行為を見過ごすわけにはいかない。より根本的な解決と安全の保障を追求するための行動をとるのは当然なことだ。
 また、テロリズムは、それがなんらかのアピールを示したり特定の体制の揺さぶりを目的としているが、暴力を無差別に対象へと振り向ける以上、もとより悪でしかなく、どんな大義名分も通用するものではない。

 ことは単純ではないが、しかし、両者の間にはどうしようもないすれ違いがあるように思えてならない。これが僕のいちばん気にかかっていることだ。
 貧困などの負の要因がなければ自然と平和に至るなどというのは幻想である。だが、どうしようもない抑圧とか不満を呼ぶ状況が改善されないのを、黙って耐え忍んでいけたところでそれも平和ではないし、幸福などというものからは遙かに遠い。まずこのことを確認してから考えてみたい。

 テロリズムが最も効果的に働く瞬間は、その社会の中で生きていくこと自体への不安を煽ることができたときだ。社会不安を作り出すこと。テロを仕掛ける人間達は、揺さぶり、打ち壊したい社会の、そのあり方自体に疑問を持っており、彼らの問題意識の中では、犠牲は容認される範囲にある。その辺りの根拠が最も理解に苦しむ部分だが、彼らによれば、打ち壊すべき体制こそが抑圧の元凶ないしは庇護者であり、悪なのだろう。実際は麻薬組織によるテロのように、自らを主張し、存在をアピールして立場を確保できればよいとするパターンもあるにはある。しかし、今回はそれと混同してはならないように思われる。
 一方、アメリカは数ある国家にあってほぼ現代の盟主となっている。アメリカが是とする世の中のあり方については、アメリカ自体は疑問を持っていないようすだ。自由と民主主義の背骨が通っている限りフェアな競争相手として認める枠組みは、たしかに普遍的で優れているように思えるし、少なくともG8とかダック諸国などと言われる先進主要国では、そのやり方でうまくいっている。
 しかし少なくとも彼らが認めるべきなのは、アメリカのやり方は、だからといって無抵抗に受け入れられるとは限らないし、とりこぼしなのかどうか、うまくいかずに貧困や不正などの抑圧から脱出できない社会が実際多いということだ。 並べるのは気が引けるが、イスラム原理主義も、かつて東南アジアや中南米、アフリカを席巻した武力を伴う社会主義革命の運動も、現実の苦しみをなんとかしたいという市民の期待に応えるべく生まれた実験であり提案である(あった)といえる。少なくとも、そんな民衆の声を糾合することができたのだ。民主主義の原則から言えば、自由主義と相容れなくとも、そのかたちは本来的に敵とか悪なのではない。

 もしも今報道されているままに、イスラム原理主義過激派の一派が今回のテロを行ったとすれば、たぶんアメリカと一派の主張はすれ違いこそすれ対話とはなり得ないだろう。
 なぜなら、アメリカはアメリカのやり方に抵抗するものとは対話を拒んできているし、彼らのやり方が貧困を生みだすなにかを内包しているとは認めていない様子だからだ。彼らにとっては、市場経済に入ってくる意志がないような存在は、それだけで彼らの信用を汚す存在となってしまう。
 また、過激派一派にとっては、アメリカの耳を貸さない態度と体制そのものが悪なのであって、そこをあらためない以上対話はできないとみなし、今後もテロを容認し実行し続けるかも知れない。また、彼らが国家のようなフォーマルな形態ではなく輪郭のない組織でいるのも、戦略上劣勢ならば当然だろう。
 もしこれが間違った認識でないならば、問題はブッシュ大統領が言うよりも、もっと長い戦いを呼ぶものとなる可能性がある。どちらか一方が完全にうち倒されない限り、戦いは終息しないからだ。現実的にはアメリカが負けることはないだろうが、もっと確実なのは、現実の生活に不満や抑圧を感じる人がいなくなるわけではないということだ。苦しみのなかにいる当事者達にとっては、テロや攻撃の恐怖が仮になくなったとしても、苦しみと不安、絶望から縁が切れることはない。すなわち、勝者は生まれないし、不幸なバックグラウンドも改善されることはない。

 少なくともアメリカは、軍事行動をとることなく、あくまでも対症療法として、今回のテロの事件を解決するために努力すべきだろう。ビンラディン氏がいうように敵は多いのだから、拡大してしまうと際限がなくなる可能性がある。
 また、体制の中枢にいる人達同士のパワーゲームは無益だということを、責任ある立場の人々は自覚しなくてはならない。より根本的な抑圧の原因を、めんどうがらずに着実に、主義を異にする相手ともあえて協力して解決していかなければならない。人がいいかも知れないが、それほど積極的な行動をとらない限り、状況は改善されないだろう。国連などの第三者機関の強化も望まれる。こちらのほうが、際限がないのだが、あきらめてはならない。

 今の世界は、やくざやマフィアが椅子とりゲームをしているのとほとんど同じである。足りない椅子に座るためには、より強くなり、相手を倒すしかない。話の通じない相手がいたら、彼らは懐に忍ばせた銃やナイフに無意識に手を伸ばしている。違うゲームを考案してみようなどという余裕のある智慧は、まだ彼らにはない様子である。
 暴力への隷属から自由になるのは、非常に困難だ。しかし、非暴力を原則として突然掲げても、有効ではない。ガンジーも非暴力のお題目をただ唱えていたのではなく、具体的な事象をひとつひとつトライしては解決しようと試みていった。そんな骨の折れる作業を誘惑に負けて省略しようとするとき、とても便利なのが暴力なのだ。
 


2001.0920 木曜日
 

 台風が東京の東を通っている。そのため北の冷たい空気が西から回り込んできている。という想像は正しいだろうか?大変涼しい。
 今日、久方ぶりの長袖だった。

 仕事は今日もあまり進められず。

 夜になって新宿へ。タイヨー君と。チリで協力隊員としてお世話になったS藤さんと会うためだ。仕事上の付き合いとは違うので、今度は話していて楽だなあと思う。楽しい時間。

 ああ、疲れた。飲んだりするとだめだなあ。
 


2001.0919 水曜日
 

 帰宅。早めに帰ったとはいえ、もう9時だ。腹が減ってしかたがない。ご飯を炊く。待ち時間、布団の上に横たわる。

 知らぬ間に、夜が更け、朝がきていた。
 


2001.0918 火曜日
 

 今日は、ディエシオチョ、だ。18日。9月18日である。
 チリの独立記念日。彼の国では正月もすっ飛ぶめでたいお祭りの数日となっている。

 実は、そんな大事な日なのに忘れていた。タイヨー君からメールが来て、初めて気が付いた。
 仕事して帰って、そして寝る。それじゃああんまりだということで、一杯飲んでワインを買って(もちろんチリワイン)。
 そのままその日は帰りませんでした。タイヨー君宅泊。
 


2001.0917 月曜日
 

 新宿に出た。こういう都会に出てくると、どうしてもニューヨークのことが頭をよぎる。そして同様な事件が発生したら、などと考える。
 


2001.0916 日曜日
 

 本を読んだり、読まなかったりして過ごしていた。
 


2001.0915 土曜日
 

 本棚が完成。やはり木材にはタッピングビスでなく、木ねじがいい様子。あっという間に組み上がった。結構しっかりしているし、狙い通りのスケールと存在感。ある冷たさや太さ、というか、そういう感覚に訴える身体感もある。なんだか嬉しい。
 


2001.0914 金曜日
 

 早めに仕事を上がって、新宿に出た。ハイアットの入っているパークタワーのてっぺんにあるカフェで食事。以前から建築関係者の間でも評判のインテリアであると聞いており、期待して行った。
 意外とシンプルというか、そつのないものだった。暗い色のしつらいのなかで見る都市の夜景は、それだけで美しいから、これでいいのだと思う。しかし、この店が一番美しいのは、きっとたそがれ時かと思われた。
 


2001.0913 木曜日
 

 一日中打ち合わせなど。気持ちが少し萎えた。意気揚々と毎日をやっていきたいところ。

 ニューヨークなど。まだ都市機能の回復は遠い見込み。意外と経済などは回っている様子で、安心したのも正直なところ。

 パレスチナで喜ぶ人達がいるという画像をみたり、アメリカで早速イスラム教徒に対する嫌がらせや迫害が始まったりしているという。最悪だ。
 仮にイスラム教原理主義の人達による犯行としても、それをもってイスラム教や、イスラム教徒達への偏見の糧としてはならない。日本でのイスラム教を見る目はどうだろうか。ときに偏見にみちた言動が公共放送などでさえ見られるとも感じられることがある。偏見と未確認の噂とが合わさると、ろくなことがない。テロはなにもかもを分断するということを、徹底して意識するべきだ。

 救出されなければ死んでしまう。そのタイムリミットに近づいているのではないか。

 つくづく、なにがなんだか分からない。仕事でのストレスなのか、アメリカでのテロのせいなのか、この心理状態の原因がはっきりしない。少し行き詰まり。
 


2001.0912 水曜日
 

 ドルは値を下げた。また東京の株価も1万円台を割り込んだ。経済危機の始まりはもういまかいまかと脅されていたが、こんな事件が発端となるとは。

 報道や仲間との話題は、全てアメリカの同時多発テロのこと。と、思っていたら、仕事がすすむにつれ、オフィスではほとんど語られなくなる。語ったところで仕方がないことだし、勤務もある。しかし・・・・。

 とても不思議で、とても気分が悪い。なんなのだろう。

 スペイン語版のCNNでは日本赤軍が実行犯だとの報道があったり、キッシンジャーが真珠湾攻撃を引き合いに出したという報道があったり。悲しい。

 報復という言葉が、ニュースで聞くアメリカ要人達の発言からしょっちゅう飛び出すのを聞く。報復とはなんなのか?断固たる態度と、報復とは、かなりの飛躍を必要とすると思うが。非常に恐ろしい。まず救出のことだけやるわけにもいかないのだろう。

 かりそめでも平和というものが維持されていくことは、やはり難しいことだったのか?今後、安泰と平穏を楽しんできた地域の人間達も、今まで縁遠かった不安を見つめて生きて行かなくてはならないだろう。
 皆が折りあって生きていくことが大事だと考えている。それができないのなら、いくら今回の犯行組織だけを叩いても一時の解決で終わる。
 


2001.0911 火曜日
 

同時多発テロ?

 そろそろ勤務し始めて半年になる。報告や連絡など、上司やチーム内の情報共有や意志疎通には、くれぐれも注意し、徹底すべしと反省。

 午前午後とも、栃木の医大病院へ打ち合わせと見学に伺った。かなりの風雨。台風が通過中。
 大きな病院で、手術室だけでかなりの数に上る。運営を間近に見て、かなり勉強になった。

 帰宅して、テレビをつけた。NHK総合の10時のニュース。台風一過。被害の状況。話題はそんなところだろうと思っていたのだが、番組の堀尾アナウンサーは、急遽入った別のニュースを読み上げた。ニューヨークのワールドトレードセンターが炎上しているという。現地の中継も入る。そのとき、画面の端から機影がよぎり、ツインタワーのうち、炎上していなかった方に激突したのが見えた。

 双塔が共に炎上している。考えられない、現実とは思えない事態だ。続いて国防総省も炎上との報が。さらにペンシルベニアに墜落した旅客機があったという。NYのほうは、当初小型機が衝突と報じられていたが、どう考えても、あの巨大なビルと比べてあの機影は小型ではなく、少なくとも中型以上の旅客機、もしくは輸送機に見えた。

 しばらくテレビに釘付けとなっていた。

 テロであるという。ここ数年、世間は思ったよりもその秩序において堅固とは言えず、ある強さ以上の揺さぶりを受けた場合、加速度的にそのまとまりを保つ力を失う。そういう風に思うようになっていた。

 この状況は、ほぼ戦争である。数年前に読んだ中公新書に「現代戦争論」というのがあって、すなわちテロという、規定し難くフォーマルな敵となり得ない相手は、国家にとって最も戦いにくい相手であって、彼らと国家の争いは、今後最もやっかいな問題となっていくという趣旨だった。

 これでことが収束に向かうのかどうかも分からない。世界的な騒乱に、テロリストの思惑通り、進むかも知れない。大統領も遊説中で、すぐには首都に戻りにくいだろう。経済の停滞から、通貨危機や株式恐慌、銀行からの現金引き出しの停止、石油製品の流通のストップ、などがあるかもしれない。

 ちょっと慌てて外に出た。現金をまず引き出そうとしたが、どのコンビニのATMもサービス時間外。しかたなく、電池や食糧を買い込んだ。さらに、家の風呂に、水も溜めておいた。ちいさなポーチに貴重品はすべて揃えた。また、枕元に履き物まで置いた。これらは、震災の時の教訓からきている。

 外にいる間、まちを歩く人達や、店先で談笑にふける若者達を見ていて、ラジオを聴いてみろ、といいたくなった。僕の反応は、大げさだろうか。
 アメリカの事件をどうとらえるか、ではなくて、それによって世間がどのように影響を受けるか、という点において、僕は人より世間を信用できないのだ。世界は、予測というものの範疇には入りきらない。

 帰宅後、ミノル・ヤマサキ設計の超高層ビルが崩れていったのを見た。ワールドトレードセンターが消えたのだ。避難の遅れた人々がいたはずである。空恐ろしい。

 今日はチリがピノチェトの軍政に身をゆだねることとなった、クーデター勃発の日だった。
 


2001.0910 月曜日
 

 台風が接近中。昨夜から、かなりの降雨。多摩川は褐色の濁流だ。これで水害が起きないのだから、全く治水とは大したものだと思う。

 新宿へ出た。戻り、少しの作業後、早く退社。夕食を作る。出来映えはなかなか。食べ過ぎで苦しい。
 


2001.0909 日曜日
 

 午後、初台のオペラシティにあるアートギャラリーへ。建築家とか、アーティスト(?)の合同展。たいしたことなし。カジュアルにやってしまおう。カジュアルに考えてしまおう。そういうのはよくわかるが。

 これには、みうらっちと彼の友人の女性ふたりとが一緒だった。建築に彫刻に美術。普通に、その辺の話題ができるって、素敵なことだし、とても不思議なことだ。
 小難しい話を、こうした仲間でやることってあまりない。ごく普通に、昨日どんなテレビ番組を見た、という話題の代わりに、こんどつくってるのって、こんなのでさあ、と話が始まる。

 思えば、彼らのような、率直で直接的な活動から遠ざかるいっぽうだ。焦りはないが、このままいくとさび付き干からびるものはたくさん出てくる。
 


2001.0908 土曜日
 

 本棚の組立を始めた。木材にタッピングビスは相性がよくないのか、電動のドライバーでうまく締められない。
 


2001.0907 金曜日
 

 昨日はニンニクが多すぎた。口や体臭は大丈夫だが、「行為」の時は我ながら参った。2粒くらいにすべきだった。しかし、朝起きるのは楽だった。これはてきめんな効果が見られたということだ。早起きと風邪には、ニンニクが一番いいと信じている。(臭い・・・)

 今週は帰りが遅かった。仲間も相当遅い。波立つ流れを、こうしてみんなでどんぶらこと流れていくのだろうか。
 


2001.0906 木曜日
 

 やっぱり2時を過ぎてからしか眠れない。時間における貧乏根性の持ち主だという人は、意外にも多いと思っているが、どうだろうか。いやあ、意外にも少ないのか?

 正直に言うと、今朝、ちょっと寝坊したのだった。ということで、寝酒に飲むチリはCanepaのカベルネ・ソーヴィニョンには、ブルーチーズをほんの少しと、早起きできないかとよく茹でたニンニク4かけほどを合わせて肴にした。ついでに塩ゆでだったから、そのゆで汁をスープとして飲んだ。なかなかにうまい。このままバターなどを溶かし混みしていくと、スペインはアンダルシアのソパ・デ・アホ(ニンニクスープ)となる、のであろう。そうであろう。きっと。

 ちょっと酔った。明日起きれるのかな・・・。
 


2001.0905 水曜日
 

 仕事は平穏。先延ばしにしているだけのように思うが・・・・。

 いちばんこっけいなせりふは、ベンジャミンが小耳にはさんだやつだ。みんなにポートレートを披露したら、あるカメラマンが「どうしてアンディ・ウォーホルはこんなにマンネリなんだろう?」といったんだ。すると、はなしかけられたもう一人のカメラマンが「何いってんの?アンディ・ウォーホルはマンネリで有名なんだよ」って答えたんだって。
 

 ウォーホル日記 「1983年9月6日 火曜日」から


 ああ、眠い。ここ数日、就寝は3時をまわっていたから。今日は1時間、早く寝ることとする。
 


2001.0904 火曜日
 

死になぞらえて

 先月に入ってからというもの、ぐずぐずした天気が多い。関東は、いつもこうなのだろうか?しかし涼しいのはいいことだ。慌てて駅までを走ったあと、汗をかかずに済む。

 大きな会社って、部門ごとに役職を持っている人が何人かいるものだが、うちは特別かどうか、不思議なくらい自己裁量権がある。お伺いを立てるのではなく、連絡や報告が大切であって、判断は必ずしも上部を通さなくてもよかったりする。

 帰宅後、午前零時のNHKニュースだけ見ようとして、思わず続きの番組まで見てしまった。
 数日前なくなったばかりの作家畑山豊氏の、宮沢賢治と銀河鉄道の夜を追う旅のドキュメント。それから教育でやっていたのが瀬戸内寂聴の人生相談。たまたまだろうが、ともに別れや死を扱ったものだったので、見方も真剣になってしまった。

 寂聴さんに対して持ちかけられた相談の中には、婚約者までいる娘が自殺したという母からのものがあった。実はその夫人は、その半年ほど前(だったか?)に夫を亡くしている。娘は、その死に相当な衝撃を受けていたようだった。しかし、幸せを約束されたような娘までいってしまうとは。しかも自殺である。相談された方の苦しみとは、のたうちまわっても、どうしようもない、およそ想像だにできぬ苦しみだろう。
 ためらわれるが書くことにすると、ごく近しい人に、若い息子を自殺で亡くし、憔悴しきって(としか思えない)亡くなった人がある。
 こと死にまつわることは、全て推測を交えることは許されないし、また部分でのみ語られるのもおかしなことだ。なぜなら、生き死にの問題は、実にそのひと全体にかかわることだから。
 ともかく、番組を見て、その人のことを考えていた。寂聴さんは、つきつめれば「仕方がない」のだと言っていた。時間だけが解決するのだと。忘却とも日にち薬ともいう才能が、人間にはあるのだと言っていた。

 番組中流された「永訣の朝」。賢治の詩。なんという凄い詩だろう。
 こちらは、畑山豊さんの番組。彼は宮沢を丹念に研究してきた人でもあって、賢治が「永訣の朝」にうたう妹トシを亡くしてのちに行った、樺太までの列車旅を、番組の中で作家がトレースしていた。ジョバンニが友人カンパネルラの死を送った、銀河鉄道の旅になぞらえて。
 


2001.0903 月曜日
 

うねり

 涼しい。日が差さなければ、東京西部は真夏からこうだったような気がする。9月に入って、その傾向が強くなってきたようだ。大阪ではこうはいかなかった。残暑は本当に暑くて、なぜ夏休みが8月で終わるのか、子供の頃は不思議だった。

 30も過ぎてこの歳になり、何事も動じることが少なくなってきたように思う。動じないのではない。慌て、ふためき、右往し左往する。叫び、泣き、笑い。そういった反応の振幅はかなり押さえられたものとなってしまった。
 かわりに僕の内部にあるのは、おおきなうねりだ。波打ち際の砕ける波と言うよりも、沖合で船ごと持ち上げてしまうような三角波や、大きなうねり。

 打ち合わせなどを仕事ではこなしたけれど、なにをするでもなくいちにちの仕事は終わってしまった。いけない。どんどん行かなくてよいから、しっかりやろう。
 


2001.0902 日曜日
 

 朝、早く起きて車を飛ばして家に戻った。しばらく後、電車で新宿へ出た。
 ノガレスへ後任として派遣される予定のTさんと、ついひとつき前に帰国したばかりの陽一郎君に会うためだ。Tさんは、正確には後任ではなく、ただ僕がノガレス市役所からの要請を引き出してまとめた農業土木の隊員である。灌漑が主な仕事になる予定だ。

 Tさんはいい目をした、ほとんど言うことのない青年だった。ノガレスの人達は、当たりくじを引いたと言える。僕のことなど、きっとすぐに忘れていくに違いないと思えるほどに。よかった。

 乗換駅の駅前にある書店に入った。この書店には初めて入る。いい店だった。
 雑然だが興味を引かれるままに並べられた本は、白い書架に並んでどれもが手に取られるのを待っているようだった。地方にしてはかなり広めの店の中をくまなく歩いて、僕は気の赴くまま10冊の本を買った。

 帰宅後、先日買った坂口尚を読み、今日買った本のいくつかを斜めに読んだ。いつになく何もかもがはっきりと頭に入ってきたような気がした。まるで長く伸びた前髪を切り落としたみたいに、くっきりとものが見える。そんなふうに。

 幸せは、ひとそれぞれであるといい、
 それぞれの幸せがそのひとそのものであるかも知れず

 悩みがひとそれぞれであるといい、
 そのそれぞれの像が、そのひとそのものであるかも知れず

 人間は海みたいなものだ
 しかし、結句ひとつづきの水なのだ、と
 ゲーテは言ったというが
 


2001.0901 土曜日
 

シーカヤックに乗る

 三浦半島の舳先の街は、三崎町。細長いのが半島である。ぼくらは朝食で東京湾を望んだ。しかし、それから訪れた海岸からシーカヤックで漕ぎ出す海は、相模湾なのだった。
 天候は悪くない。晴天は日射が強いから、今日のような柔らかな曇りは、シーカヤックにはかえっていいのかもしれない。

 三浦市の同好会として活動中の方々に交ざって、僕とタイヨー君とミワコさんは漕ぎ出した。二日分の参加費6000円。船も借りて、全面的な手ほどきもある。安すぎるほど安い。一般の参加者は、僕らともう一人だけ。

 木のフレームに防水布を張った、川用のフォールディングカヤックは持っているが、このようなプラスティックのリジッド艇(船体が硬いもの)は初めてだ。しかも、全長が5メートルと少しあるシーカヤックも初めて。

 安定のいい艇を借りたので、横幅のないシーカヤックの割には、怖い思いをほとんどしなくて済んだ。

 午前の練習を終えて昼食をとったら、午後からはシーカヤックで早速散歩に出かけることになった。数キロ漕いで、小さな入り江まで。みなさん僕らより年長で、中年の入り口から中に入っている人ばかりなのに、子供みたいに遊んでいた。
 帰り道、少し遠い岸と、遙かな沖を交互に眺めながら帰った。目を凝らして、黙っていつまでも景色を眺めていると、とりとめもなくいろんな思いがわき上がっては消えていく。一人の旅や、こんな船の遊び、あるいは自転車でのツーリング。どれもに共通するような体験だ。懐かしい思いがした。

 夜、港のまちに出かけて食べ、飲み、続いてミワコさんの家でも飲みつつ語りに語った。
 美しい思い出。
 


2001.0831 金曜日
 

人波

 午後新宿へ提出物を届けに出た。

 JR新宿駅の南口は、いつも人群が川や潮のようにうねっている。そこで人波を見つめた。

 皆が皆ではないが、なぜ人波は皆、背を向けているように思われるのだろう。それは、実際はただおびただしい数の群衆によるすれ違いに過ぎない。ところが人波は、けして誰かが現れてくるところではない。誰かの背中が紛れて行くところなのだ。

 帰社後、できるだけ早く退社して、車を出した。三浦半島へタイヨーくんと向かうのだ。三浦には、ミワコさんの家がある。ミワコさんもチリの隊員だった。しかし、強い印象を持っている割には、実際はほとんど会ったことがない。途上国の開発に、ずっと強い関心を持ってきた人だと受け止めているが、違うのだろうか?ともかくここ数日の約束で、僕らは明日、シーカヤックをすることになっている。

 事故なく到着。しばし飲む。今、僕は振り回されるくらいに人に会ってみたい気がしている。

 実は三浦に出発する前、会社から家に戻ったとき、一通の葉書が届いているのに気が付いた。ナオヒッサからだった。見方によっては、彼こそはカヌーで大海に漕ぎ出したような青年なのだ。
 彼の手紙は、いつも大きくしっかりした字で認められており、極端なまでに短い。そんなスタイルで書いた今回の文面には、全くカヌーみたいな生活だけど意気揚々と疑わない、本当に彼らしい報告があって、僕は少なからず感動した。だから、大切なものとして、部屋に置いてきた。

 心通う仲間と会い、また仲間の手紙をもらう。
 なんということだろう。感謝したい。
 


2001.0830 木曜日
 

 昨日に続いてISO研修。いろんな業種の人が来ており、グループワークの時は、なかなかに楽しい。ほぼ全員僕より年輩なので、少し恐縮したが。

 夕方には終わったので、ちょっと出かけてみた。横浜はみなとみらいへ。
 関東へ来てから、まちを美しいと感じたことはなかったが、ここはたしかに美しく、楽しい。
 ホテルやオフィス、さまざまなレストランなどの輝くさまと、海がここから開けていくという期待感。停泊した帆船の華やかさ。
 観覧車に乗り、食事までした。また来てみたい。
 


2001.0829 水曜日
 

 ISO9001の内部監査員研修。中野に出かける。この手の話は、全く予備知識がないので、最初講義についていけなかった。大きな会社は、全く悠長というか面倒で豪華なことをやっているものだと感心した。
 たしかに、業務について、どこを切っても品質が管理されているのは重要なことだと思うのだが。国際的に相互の信頼関係をはかるためには、これくらいしないと仕方がないのだろう。
 


2001.0828 火曜日
 

 特に記録なし。
 


2001.0827 月曜日
 

 特に記録なし。
 


2001.0826 日曜日
 

 この間買ったダイニングテーブルが、やっと届いた。真っ白な天板のテーブルである。

 車で出かけ、自分で作る本棚の材料を買った。帰り道、たまたま見つけた高級家具店のアクタスを覗いてみた。いいものは、やはりいい。しかし、とてつもなく高い。
 


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kmdesign/MATSUOKA Ken'ichiro