Diario
日々の記録

 
 
  
 

2001.0819 日曜日
 

夢の風景

 やまちゃんの家に泊まったときのように、また変な夢を見た。

 どこだろうか。中米のようであり東欧のようでもある雰囲気の、しみったれた都会が舞台だった。ビルの低層階の店舗の風景や、夜の暗さ、もう覚えていない登場人物達のあてどない無頼の相貌など、いつかあんな映画でも見ていたのだろうか。そういうこまごました空間設定に凝った夢だった。
 そんなセットと設定の中で、ちょっとした地震にあった。被害はなし。どきりとするのみ。

 本当に稀だが、いつまでも忘れない風景を持った夢を見ることがある。あたかも旅をして、目や身体に焼き付いてしまった風景のようだ。そういったものを、いくつか持っている。それはもう、最近では実体験として旅先などで経験した場所と、どういったらいいのか、そう、等価になりつつある。
 今日見た夢のなかの風景も、そんな風景のひとつになるかも知れない。

 トシユキさんの家を辞して、我が家に向かう。こんどは北の方からおおきく回って、多摩に帰った。渋滞には遭わなかったが、かなりの距離だった。関東平野は大きい。岐阜や福井辺りのような印象も受けたが、いずれともやはり少し違っていた。もっとつかみ所がないような気がした。

 夕食を作る。いつもながら、たまの自炊は嬉しくて食べ過ぎてしまう。
 


2001.0818 土曜日
 

 休日は部屋の掃除などしたいのだが、その気になれず。昼過ぎにトシユキさんの家に車で向かう。埼玉方面。

 地理感がないので、方角と分県地図だけ。渋滞情報などで告げられる地名も、ほとんど知らないものばかり。かくしてだらだらとしか進めず。かなり時間を食ってしまった。
 首都にしてこんな道路網しかないのか、といらいらさせられた。郊外になればなるほど、都心からの放射状の幹線以外が整備されていない印象を受けた。

 朝方近くまで飲みつつ語りつつ。都市計画の勉強をしたい。語るに限界があった。

 トシユキさんの家に泊まる。
 


2001.0817 金曜日
 

 新宿へ出向き、提出を終えたら、とても眠くて仕事どころではなかった。

 夜、上司の送別会。短期間だったが、大変お世話になった方だ。朝方まで酒宴は続く。

 辞めるとなると、あっけないように思われるが、簡単な問題ではない。やはり、あっけないものではない。
 


2001.0816 木曜日
 

 久しぶりに朝方まで作業。たったひとりの単純作業なので、ラジオくらい流したかった。あいにく、前まで職場にあったラジカセが見あたらない。インターネットラジオも、いいものが見つけられない。あきらめて、ただ黙々と続ける。
 


2001.0815 水曜日
 

 午前近くに新宿に出る。ついでに紀伊国屋書店へ寄る。ダイニングテーブルを買ったはよいが、LDKのイメージがまだはっきりしていない。よい事例が載せられた書籍を探す。少なくとも欧米ではその手の本はたくさんあって、ある程度は部屋のしつらえにについて訓練されているという人は多い様子だ。
 目当てのものは見つからず。

 今月は出費がかさむ。厚生年金に入るから、とりあえず帰国してから払っていない国民年金をまとめて支払うと10万円を超えていたし、もちろん家賃もある。忘れていたが奨学金も返しておらず、規定によってペナルティー分多く返さないといけなくなっていたというのもあった。今月ばかりは、入った分、ほとんど支払いで終わりそうだ。
 


2001.0814 火曜日
 

 朝、このところ見なかった夏の青空が雲間に見えた。おかげで暑いが、時期にあっているだけでほっとする。

 夜も11時過ぎまで働いているのに、平行して進めるいろんな仕事と打ち合わせなどが重なり、あまり前に進まなかった。

 6月から更新が滞っていたこのページだが、一昨日に久しぶりに更新するまでの内容というのは、数日に一度覚え書きのように書いたものなので内容にはほとんど見るべきものがないように思う。職務上のことが書きにくいことも以前とは違っていて、大いに足を引っ張っている。
 しかし、書いている本人としては、こんなふうにまともに時間をとって文字を綴る楽しみを中断しがちな時期があったために、思い通りの言葉が綴れなくなってしまっている自分を発見していらいらしている、それが妙に新鮮だなという感想だ。
 何かを掘り下げるような書き方が、やはり読んでいておもしろいものだが、もともとそういうやりかたは、ここが日記でもあってやってこなかった。ただ、夏になれば蝉が鳴き、秋になれば蜻蛉が飛ぶと書くように、そのときどきの僕という水面の、ある部分の波形を、こういうとおかしいが拓本にとるように書いてきた。これからも、そういうふうに書いて続けていくのだろうが・・・・。さて、何が言いたかったのか。
 


2001.0813 月曜日
 

 起きる。ゴミを出す。出勤する。働く。終電近くに退社する。

 このあと、みんなは何をしているのだろう?僕は風呂に入ってもすぐに寝てしまえない性質で、何か自分の時間を持たないと気が済まない。ところが、そのスタイルが未だに定まっていない。
 本を読むとかいうのもいいのだが、あれは通勤電車の中が一番だ。勉強するのも、仕事の後では気が乗らない。こうして日記を書いているのは、いろいろ考えてもなかなかいいものだと思う。夜書いたものは、昼見直さないといけない。そういう言葉を聞いたことがある。たしかに僕も、少し恥ずかしい文章になることが多い。その点がちょっと問題ではある。

 ときどき、小説とか散文などを書いてみようかと考えることがある。しかし、ふらりと書き出して書いてしまえるようなものでもないから、どうも踏み出せないでいる。思いつきで歩き出しても、うまい具合にいい旅になるかというとそうはいかない。そのようなものだ。
 


2001.0812 日曜日
 

 昨日ビールのつまみに食べた「スタミナ漬け物」には、何粒かのニンニクが含まれていて、そのせいか目覚めがよかった。しかし、泊めてもらっている部屋の主のやまちゃんはまだ起きていないので、再び眠る。曇っているのか、とても涼しい。
 昼前に起きて窓から外を見ると、ここは鬱蒼たる里山の中で、斜面に畑がひらかれていた。神奈川の町中に、こんな場所があるとはという思いと、なんでまたやまちゃんはここに住むことにしたのか、分かるような分からないような気持ちがわいてくる。晴耕雨読。静かに英気を養えそうな気がするのはたしか。なるほど、かつて村上龍がこの部屋で仕事をしていたのも、なんとなくうなずける。
 しかし帰り道に僕が読んでいたのは梁石日の「タクシードライバー日誌」だった。じつに素晴らしい。

 起きる前、見た夢がおもしろかったので書いておく。

 僕は誰かと食事していたようだった。ねぎだかモヤシだかのような食材ばかりの料理だった。
 箸を伸ばす。するとどうだ、葉っぱ達が急速に成長するではないか。にゅるにゅると葉が伸び、蔓が伸びる。えっ?と驚いて、箸でつまもうとすると、葉が震えながら箸をよける。なんなんだ?まるでアニメーション映画でも見ている気分だったが、なんだ夢だった。しかし、見たこともないような夢だった。
 昨日食べていた、例のスタミナ漬け物は、そう言えばネギやニラ、タマネギばかりだった。
 


2001.0811 土曜日
 

 先日来足を運んでいた家具店で、ダイニングテーブルを購入。配送は2週間後。今は盆休み中とのこと。
 UV塗装という仕上げで、天板が側面まで真っ白に輝いている。いつまで綺麗にしていられるか分からないけれど、気に入った。

 夜、池袋に出る。うのちゃん、ようこちゃん、やまちゃんと飲む。3人とも協力隊の訓練所以来の仲間だ。
 非常にめでたい話もあり、将来の夢や心配の話もあり。

 飲み足りなかったやまちゃんと僕だったので、やまちゃんの部屋で少しだけ飲み直すことにした。
 神奈川の郊外。地下鉄を降りて歩くこと20分ばかり。鬱蒼たる山の雨上がりの空気が、彼のアパートをとりかこんでいる。新興住宅地を外れると、こんな里山があったのか。静かだ。
 この部屋で、かつて作家の村上龍が仕事をしていたのだという。最近買ったという中古の一人掛けソファは、なんだかハードボイルドしており、男の一人住まいとしては、いけていると思った。
 


2001.0810 金曜日
 

 帰りは少し遅めだった。こころ落ち着かぬ夜。一人には広めと言える家。


2001.0809 木曜日
 

 このところ気圧の配置のせいか、曇り日が続いている。多摩地方は都心と違って、もう十分に涼しい。
 またもう少し忙しくなっていくと思われる。涼しく静かな今を大事にしたい。
 


2001.0808 水曜日
 

 ノー残業デーのはずなので、6時過ぎに仕事を上がったけれど、昨日が早かったから、今日じゃなかったのかもしれない。
 


2001.0807 火曜日
 

 夜から花火大会。社屋のビルの屋上に登って見物。1時間半も続く。こんなに長いのは初めてで、東京の花火はたいしたものだと思う。大阪だっていくつかは大きな花火大会があるだろうが、このクラスのものが、ここではたくさん行われている。
 年配の社員は早めに抜け出したのか、あまり姿を見ない。家でくつろぐ事にしたのだろうか。見渡すと、若い人たちの姿ばかり目立つ。彼らの横顔が花火の光でぽかぽかと浮かんでは暗くなり、明るい声はわいわいと途切れなかった。
 


2001.0806 月曜日
 

 広島原爆忌。朝、テレビをつけたら、平和公園の映像が映った。戦後50年はつい数年前のことだったが、実はもう56年が経とうとしている。
 黙祷。そのひととき、大勢が目を閉じ、頭を垂れる。これだけの人が、こんなに真剣に何かを確認できる機会は、世界でもそうないのではないだろうか。尊いことだろう。

 涼しい一日。早くあがった帰り道、桃を買い求め、切り身にして食べた。
 


2001.0805 日曜日
 

 家具屋に行く。ダイニングテーブルは購入し、書架は作る事にする。無印商品が、家具は買いではないかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。タイで作られたテーブルを購入する事になりそうな気がする。美しい艶のある、白いウレタン塗装の天板のものが気に入った。木の生地が綺麗なものも捨てがたい。こちらはどこで作られたものか覚えていない。どちらにしろ、北欧風のデザインの家具は、いまやアジアで十分作ることができるようだ。
 作ろうと決めた書架だが、僕の「つもり」などはとてもいいかげんだから、これからしばらくは、まだリビングに本が積まれたままになることだろう。
 


2001.0804 土曜日
 

 昨晩から疲れ気味。なんだかどうもがっくりとしている。午後まで起きなかった。

 慌てて部屋の片付けと、軽い設営。M氏がやって来る。建築について、ちょっとまじめに話そうやということで。あれがいかん、これはつまらんとこきおろすことは簡単だが、建設的な探求なりって意識しないとできないことだ。今日はそういう主旨だったのだけれど、酒が入って散漫になってしまった。それはそれでよし。またやりましょう。そんときは、もうちょっと部屋を綺麗にしておきます。 
 


2001.0801 水曜日
 

 今日より八月。いまさら言うまでもなく盛夏だ。帰国した頃、どか雪が首都圏を襲ったけれど、数ヶ月もすると本当に季節は変わってしまうものだ。その変化のスピードは、慣れようとして慣れない、微妙な早さをもっている。
 今日から一年は嘱託社員の身の上となるが、この会社の場合、実質の入社と考えてもいいものらしい。安堵の気持ち。

 今日はノー残業デー。まえまえからやっているのかどうかはわからない。僕は初めてだ。遠慮がちな人が多い中、今日はさっさと帰ることにした。

 雑誌「BRUTUS」。今号のテーマは「21世紀のいい会社、悪い会社?」。タイムリーすぎる。
 ページをめくると、ほとんどは汗をかいたり油や土で汚れそうにないお仕事の会社だ。雑誌が雑誌なのだが、会社って、お金をまわすところだろうか?ものを作ったり、サービスしたりして、ほうっておいても生まれない価値を絞り出すところじゃないのかな?
 会社は、おしゃれを消費するための舞台ではない。でも、そんな洒落が通じないのも、たしかにおもろない話やな。

 先週末亡くなったコンディさんの亡骸は、火葬せずに空輸し、祖国で埋葬されることとなった。費用が足りないため、仲間からカンパの依頼があった。承諾する。もっとしてあげなくては、と心残り。
 


2001.0731 火曜日
 

 特に眠気も激しくないいちにちだった。夏らしい蒸し暑さ。蝉の声は、どうしてこうも素晴らしくこの暑さを表現しているのだろう。

 明日から8月。今月だけの契約社員は、明日から嘱託社員となる。明日、午前に手続きがあるという知らせがあった。やっとここまで来たか。

 深夜の帰り道。電車を乗り換えるため、100メートルほどを歩く道。これから数年は、ここを往復することになるだろうが、この道でいいのだろうか。この道は僕にふさわしいのか。というよりも、しっくりきているのか?そして東京は、性にあっているのか?いつも感じていることを、今日も意識する。
 はっきり言ってしまえば、合っていないさ。でも、それでもやっていけるまちなのだ。ここは。
 大阪が、相手の目をのぞき込んでくるまちなら、東京はけしてこちらを見ないで、「こっち」を見よと言ってくるまちのように思われる。けれど、こちらが見つめるほどの何かは、まだ発見できずにいる。
 帰属感を得て感じる喜びは、実際のところ大事だろう。それを頼りに、暮らしていく土地を決めるのは、ドラマや小説の世界だけにしなくていい。だけど、それを基準に暮らす土地を決めた人の話を、あまり聞かない。あ、妹がいたか。京都なら、たしかに僕も住みたいと思う。
 


2001.0730 月曜日
 

 早めに帰宅したのに、結局したことといえば、ビールを飲んだくらい。数時間の自分の時間は、どう使えばよかったのか。僕の最も苦手なことだ。本当にゆったりできれば、望むことができるのだろうか。そうではなくて、仮にどうにもならない忙しさの中でも、全霊で動くときは動くだろう。つまり、そんな理由のない限り、ある時間という時間はだらだらと過ごしてしまうのが、僕の本性なのだろう。

 選挙関係のニュースが多い。飽きてきたので教育を見る。猪瀬直樹がやってる文学の人間講座を見る。今日は最終回なのだろうか。三島由紀夫の話だった。おもしろかった。
 彼があれで死なずに生きていたら、どんな作品を書いたろうか。僕の読む限り、話を聞く限りでは、彼が生き続けていくためには、あらたな世界観とか哲学といったものがどうしても必要だったと考えている。僕には、この世の中が、どうしても退屈でドラマのないものとは思われない。仮に僕が三島なら、書くことが多すぎてとても死ねないだろう。書けなくて絶望するほうが、彼には月並みだが共感できるというものだ。そもそもだからって死を賭けなくてもいい。生を賭しこそすれ。
 


2001.0729 日曜日
 

 昨晩はそのままタイヨー君の家に泊まる。午後から、暇だというタイヨー君と共に、車でぶらぶらと。
 大きな家具店に行ってみた。新宿のアクタスなどと比べると、フリッツ・ハンセンのようなビッグブランドは置いていないけれど、それなりのモダンな家具を揃えており買い得と思われた。
 ダイニング兼作業テーブル、書架などを買わなくてはならない。自分で作らないだろうと思うので、ここで買うことになりそうだ。理想は、設計して家具工房で制作してもらうことだが、ちょっと費用的に合わないだろう。

 参議院選挙。自民が大勝した様子。この国は、大きな外圧がないと、絶対に変われない。できうる限り、スムーズにそれは願いたいところだ。

 車や部屋の窓から東京西部のまちを眺めたことを思い出す。今日も、このまちは平和な予感に包まれていた。
 


2001.0728 土曜日
 

 タイヨー君、マサユキさんのチリ仲間とともに、夕方から多摩川の河原で酒宴。その後、タイヨー君宅で続きを。一番歳のいった僕は、知らぬ間に夢の世界でおねむ。
 それにしても、タイヨー君の部屋は楽しくて綺麗。見習うべし。(無理だ。)
 


2001.0727 金曜日
 

 朝のオフィスで携帯がバイブした。とると、前の事務所のH岡さんからだった。コンディさんが亡くなったという。夫のセンダさんとともに、当時事務所で働いていた女性だ。
 この数年、闘病が続いていた。2人の子供は元気な小学生だった。非常に美しいひとだった。おおらかで、賢い母としての横顔が忘れられないひとだった。
 尊敬する夫や、かわいい元気な子供達、ほかにも多くの家族に恵まれて、短いなりに幸せでしたね。よかったね。もう一度みんなでコンゴの地を踏みしめられたら、もっとよかったね。
 思いを残す、異郷での死。祖国の絶望は、まだつづくだろう。他人の僕には想像を絶するやるせなさがあるが、彼らはもう少し違う心持ちでいるように思われて、変なことを言うようだが、それに救われる。彼らは強いのだ。

 夕刻から仕事を上がり、都心に繰り出した。知人とも会う。そのまま泊。
 


2001.0726 木曜日
 

 午後、役員面接。僕はこれまでアルバイトであり、今月からは契約社員。そして来月から嘱託社員となる。この面接は、嘱託になるための試験である。正社員として働くことを希望しているが、中途採用の場合、少なくとも嘱託として一定期間働くことが用件とされている。国際建設コンサルタント業を営む企業としては、それくらい慎重で当然だろう。世の中、人を雇うにあたっては、もっと厳しくて、概ね手控えているから。
 やりとりは上々だった。しかし、実際の業務は、これから勉強しつつ行っていくので、そのときは、役員の方々も、人が変わったように厳しくなるに違いない。
 それにしても、皆さん、開明的だなというのが、お世辞でなく正直な印象だった。僕だってこちらから面接しているつもりだったので、書いておく。

 ほっとした。これで、しばらく、精神的に負担となる関門はほとんどない。
 


2001.0725 水曜日
 

 曇りで朝が始まった。昼過ぎ、激しい雨が降る。多摩川の水位は、それでもほとんど変わったように見えない。

 こうして日記を書いているのに、なかなかアップするまでに至ることができずにいる。後少しの余裕が欲しい。
 せめてもの救いは、片づいた部屋。またしばらくすると荒れてしまうだろうが、人を迎え入れる場所は、それなりでなければいけない。自分の帰宅さえ、歓迎されていないように見えたら、それは部屋が自分から離れて行っているのだ。相手をしてやることって、必要だ。
 


2001.0724 火曜日
 

 精神的なものが、勤務中の眠気のほとんどを支配している。
 以前、そんななかで人を乗せた車を運転しなければいけないことがよくあったので、あのとき訓練されたんだなと思う。徹夜明けの大型外車。ぽかぽか陽気の単調な高速道路を、後部座席で打ち合わせをしているか、午睡を決め込む人を乗せてよく走った。ご丁寧にショパンなどを流されるのである。毎回事故がなかったことが不思議だった。
 とか思い出しながら、今もやっぱり頭をさっぱりさせることはできないのだ。

 英文のレポートを扱っている。書いているわけではない。そのうち、書かないといけなくなってくるだろう。試験が終わったというのに、課題って多いなあ。

 夜、同僚らと飲みに行く。
 


2001.0723 月曜日
 

 日本の夏は、本当に毎年、こんなに暑くて、しかもこんなにひどい湿気があったのだろうか?前にも書いたかな?これはひどいよ。
 インドの人が、インドには、暑い、とても暑い、そして死ぬほど暑い、の3つしかない。そういったのだと、テレビか何かでだれかが言っていたのを覚えている。それよりは、ましなのかな。怖いもの見たさで、どれほど苛烈か体験してみたい気もする。

 超小型のエアコンが付いた洋服を作ったらおもしろいだろうなと、時々思う。リュックを背負うことになってもいいではないか。それを来ていると、チューブを通じて、背中や足に冷風が供給されるのである。廃熱は上部とか、後方へ吹き出す仕組み。少々人に迷惑がかかっても、それは洒落ということにしよう。
 いや、実際売れると思うのだが、どうだろう。クールグレイに塗り分けて、VAIOとか書いてみよう。

 今日はしめたチャンスをものにして、夕刻に退社した。なりゆきのまま、非常に珍しいことだが、梨にメロンにシュークリームにアイスクリームと、食後食べまくった。あ、当然ビールも飲んだ。
 またはけるズボンが減る。
 


2001.0722 日曜日
 

 炎天下、建築士の試験会場へ。中央大学が、こんなに田舎にあるとは知らなかった。立派な校舎とキャンパスだ。大学こそ、最も美しいものだ。と、そういった偉人がいるというが、なるほど。学ぶって、いいことだなあと思いつつ、本番の試験へ突入。

 意外にも、なんとか解答できる問いが多かったが、しかし、どうも合格点には達していないようだった。予想はしていたが、もったいないことだ。時間や手間や、休みをくれた上司のはからいが無駄になってしまう。
 すべからく、勝負は勝たないといけない。繰り返しが許される時期は、実際、残り少ない。この頃、何事につけてもそう意識されるようになった。

 帰宅後、自宅のエアコン取り付け工事に立ち会う。朝の連続ドラマ「ちゅらさん」に出てくる、主人公の兄に、なんだか似た業者さん。一生懸命働いていた。

 ついに「冷房」。
 ああ、涼しい。これがいままでなかったのか。もう後戻りできないレベルの、快適さ、便利さだ。
 


2001.0721 土曜日
 

 勉強。所定の範囲が全て終われず。
 


2001.0720 金曜日
 

 午前、2週間ほど前に配達された冷蔵庫が、足元ががたつく不良であったため、新品と交換。

 午後、昼食をファミリーレストランでとりがてら?勉強。しかし問題集を忘れたことに気付き、やむなく一度帰宅することにした。

 以後は、冷房のない自宅よりもましということで、近くの堤防沿いの桜並木の下に車を停め、勉強を続けた。
 二つの川の合流点にあるゴミ処理場の北側は、美しい緑の茂る桜の並木。並木に沿って、多摩川の堤防が続いている。道は行き止まり。
 このような場所なので、車で乗り付けてドラムの練習をする人、自転車やジョギングをする人などがたくさんいて、それぞれが誰にも邪魔されない時間を楽しんでいた。
 僕はといえば、しかし睡魔に邪魔され続けてしまったのだった。

 ラジオと蝉の声を聞きながら、並木の梢が夕空の前に黒く沈んでいくのを見ている。パワーブックのディスプレイの明かりが浮き上がってくる。なかなかおつな日記書きの時間。
 蜻蛉が目の前を飛んでいった。
 


2001.0719 木曜日
 

 午後に起床。昼間の部屋は暑くて勉強どころではない。市立図書館に行ってみた。

 ここの図書館は、たぶんできてから25年くらい経っていそうな小さなものなのだが、そこそこ上品にまとまっているだけではなくて、これまたそこそこ計画的にもよくできているらしく、過去の建築士試験の図書館の実例として出題されている。
 ただ、自習するつもりで紛れるにはスケールが足りていないようだった。2階の資料閲覧室のキャレルで、とりあえず2時間を過ごした。

 図書館への往きや帰りで、小さな林や森をたくさん見た。それはまちの中心部の場合もあった。急激というほどではないスピードでこのまちは変わってきたようで、細い街路がうねうねと連なる場合も多かった。水田もよく見られるし、車で走っていると、小山や森のボリュームや蝉の声、水田や平たく広がる家並みが断続した。片田舎と言うよりも、これは田舎の風景だ。図書館の薄暗くほんのりした採光と照明は、こうした風景の中にあって、しっかり寄り添ったもののように思われた。
 武蔵野を僕は知らないが、その太さとか暗さ、匂いのようなものを、まちの風景と図書館の明かりに感じた。とはいえ、一体このまちが彼の武蔵野の一部であったのかどうかも、実は知らないのだけれど。
 これから住み込むまちに、少しでも手がかりとなるイメージが欲しい。それだけのことだったのか。
 


2001.0718 水曜日
 

 法規の勉強はさておき、計画に移る。深夜までやって、終わらせた。

 今夜は、快適。涼しい夜だ。バルコニーに椅子を出して、ビールでも飲んでやろうかと思える。眺めは悪くないけれど、2階だから良いというわけではない。向かいの大きな一軒家と、遠くに見える中央高速位しかキャッチィなものはなし。
 
 

2001.0717 火曜日
 

 建築士の勉強は、今、法規について。建築基準法を中心とした法律が、主な範囲。ほかに一次試験科目は3つある。
 会社から某国のプロジェクトの工事監理に派遣されて行ったS田さんと、以前話したときに言っていたことは、日本の建築法規の複雑怪奇さだった。世界にはいくつかの優れた建築法規の体系を持つ国があるらしく、アメリカのそれは、素人でも運用できるくらいに、よく整理されて分かりやすいのだと言っていた。本当かな。そうだとしたら、今度の改正時には、思い切り取り入れて欲しいものだ。
 しかし、去年の大幅な法改正で、今年は一から勉強し直さないといけないとあって苦しい。大改正は、実際には迷惑な面が大きい。

 暑い。エアコンの取り付けは日曜日。早く来てくれ日曜日。あ、試験日だ。まだ来てくれるな日曜日。僕の内面は、この一週間、引き裂かれるであろう。
 


2001.0716 月曜日
 

 今週いっぱい休暇をとっている。建築士の勉強のためだ。

 一級建築士の試験は、年に一回。一次試験のマークシートを通過したものだけが、10月の二次試験を受けられる。こちらは設計製図である。一次試験を合格すると、仮にその年の二次を落としても、次の年だけは一次を免除してもらえる。
 もう4年前だったか?一次を通過したことがある。今回も、あの時と同じだけの勉強をする必要がある。そういうことが分かっているので、比較して今の進捗の遅さもまたはっきりと分かる。これが大変ストレスに感じる。が、反面不安は少ない。

 今日も生活雑貨の買い出しをしてみた。もともと安いものなのだから、あまり金額を気にせず、よいものを買っておきたいと思っている。しかし、たとえばの話、ゴミ箱を、今、吟味する意味って、どれだけのものなのか?買い物の間中、そんな疑問ばかり沸いてくる。今は、これくらいで手を打っておこう。これで決まりだ。結果、安物で身近を固めたような生活風景が出来上がる。
 


2001.0715 日曜日
 

 エアコンが付くのは来週の日曜日。それまで、どうあがいても、我が家は暑い。やけに冷たいものばかり飲むので、ついに腹を壊してしまう。これではまるで子供。

 リビングダイニングに、ダイニングテーブルと食器棚、本棚がないので、まだ全く家は落ち着かず。
 


2001.0714 土曜日
 

 車でダイエー、イトーヨーカドーなどを回る。高尾山近くまで行ってみると、蝉の声がしていた。今年はじめて聞く蝉である。山は、関西の鬱蒼とした茂り方ではなく、幾分涼しげに見える。これはきっと、少し東京が来たにあるからだと思いこみ、濃い山のみどりと、夏の熱気と、蝉の声に、ちょっといい気分になった。

 安く、小さな家財を買い込み、暮れ時の少し混んだ道を帰った。
 


2001.0713 金曜日
 

 ニュースを見ると、今日はこの夏でも、また結構な暑さだったとのこと。まだ部屋にはエアコンがなく、扇風機でやり過ごすのみ。まるで両生類のように肌をべたつかせながら、一応机に向かって試験勉強をしている。

 夕刻から府中へ向かう。前に見て、少し気に入ったダイニング(兼作業用)テーブルを再び見る。幅が1500ミリあるのはいいが、5万円しなくても、ほかをあたればいいのがあるのではないか?やはり買えず。

 夕食をとり、少し勉強を続け、夜半に放送されるスペイン語の語学学習番組を見る。
 


2001.0712 木曜日
 

 今日から来週末まで、ずっと休みである。上司は非常に理解のある人で、自ら休暇予定表に記入してくれた。笑顔の素敵なS課長。

 夕方、まだ買っても取り付けてもいなかったカーテンをひとつ買ってみる。遮光型のロールブラインド。なぜか透光のものより安かったので。一気に部屋が、落ち着いた。

 ヤン・ソギルのタクシードライバー日記を読む。素晴らしくおもしろい。
 


2001.0711 水曜日
 

 夜中までかかってレポートを作成。明日から休むので、必死。

 昨日に続いてタクシー帰り。運転手と話ながら。大阪の運転手よりも、なんだか物腰がやわらかな人が多いと思う。
 


2001.0710 火曜日
 

 レポートの作成。遅くまで作業が続く。
 


2001.0709 月曜日
 

 毎朝、駅を降りてすぐのドーナツ屋で朝ご飯を買うのが習慣になってきており、今日はサービス券でただにしたカレーパンと一番甘くないドーナツの二つを買った。いつもいつも持ち帰りだといっているのに、店員はいつまでたっても「こちらでお召し上がりですか?」と聞いてくる。融通の利きそうなお姉さんなのだが、マニュアルは軍隊並に守らなければならないのか?

 爽やかな夏日。暑さが気持ちよく感じる。これは本当の夏で、しかも理想的な夏だ。おまけに、窓から見える多摩川越しの東京のまちは、めずらしく澄んだ空気に恵まれて見通しがよく、口惜しいけれどなかなか美しいように思った。このままずっと平和にくらしていけそうな予感が、あたりまえに漂っている。この手の予感と、あたりまえさ。日本のまちの最大の美質。

 気分に載せて、近くの図書館で、昼休み、本などを借りた。飯島耕一の詩と散文集。この人の言葉は、僕にはとても馴染みやすい。老練の職人が仕立てた靴に足を入れた時の感動みたいなものが(そんな経験はないけれど)、ひとことひとことに、ページを繰るごとに、ぽっぽっと心に沸いて出てくるような気がする。本の後ろの方を読むと、つい2000年の3月まで明大の先生だったそうだ。まだ生きているのか。会ってみたいな。
 


2001.0708 日曜日
 

 午後、ネットで調べておいた家電などの店を訪ねる。中古やジャンクも扱っており、電話機がたったの千円だったのには驚いた。ちゃんと動くか分からないから、どうも買えなかった。
 結局家の近くの量販店を選んで、エアコンを購入する。続きの部屋で、足すと15畳くらいありそうなので、予算内で最もハイパワーなものを選ばざるを得なかった。それにしても、エアコンは高い。今、ちょうどシーズンだから取り付けは2週間待たされるとのこと。これでもましな方だと店員は言ったが、あながちでたらめでもなさそうだった。

 休みの日。東京西部は、とてものどか。このまま、小難しい問題など起きなければいいのに。
 


2001.0707 土曜日
 

 休日だ。ゆっくり寝られることって、ほんとに素晴らしい。

 午前、先週買った家電の配送があった。炊飯器、冷蔵庫、洗濯機。このうち冷蔵庫は、脚部のゆがみがあって、1週間後に交換となった。
 テーブルや本棚など、まだまだないものはあるが、これでだいぶ家らしくなってきた。冷蔵庫がないために、いままで缶ビールを勤め帰りに買って帰ろうものなら、ドアを開けたその場で飲まなければいけなかったのだから、やれやれである。

 夕刻近くまで寝ていた。最寄りのモノレール駅の駅前に大きなスーパーがある。買い出し。自炊する。料理を少し覚えないと寂しいな。

 テーブルがないのだが、オーディオセットとキャビネットを台にして、製図台を載せた、十分立派な座卓を和室に組んだ。

 夜になってから、建築士の勉強を始める。あと2週間。冷静に考えて、一次試験突破は困難だ。しかし、がんばろう。来週木曜から休暇をとってあるから、そこでなんとかできないかと考えている。

 うちのマンションは3階建てで、たった9戸しかない。粗品を下げて挨拶に回るのだが、まだ3軒しかできておらず。どこまで付き合いができるものやらとも思うのだけど、挨拶だけと考えたくないなと思う。たまには近所の人と世間話くらいしたいものだ、と、今だけなぜかそう思っている。
 


2001.0706 金曜日
 

 朝から曇りだったので、ここ数日の強烈な朝日で起こされることがなかった。

 昼食は、できるだけ外の食堂でとるようにしている。他のフロアの人達は、結構な割合で弁当を買い、オフィスで食べるようだ。なにを好きこのんで、休み時間をここですごすんだろう、と、いつも思ってしまう。
 すぐ近くのショッピングモールの中にある豚カツ屋に入ったが、支払いの段になって初めて財布を忘れてきたことに気付いた。
「いいのよー。初めてじゃないんだから。」
 つまり、いちげんさんじゃないんだから、また今度でいいと。ここが、僕の、東京最初の馴染みとなった、ということか。

 来週から、外国への出張から戻ってくる人がいて、その人の机を使ってきた僕は、これで何度目かのちいさな引っ越しである。書類が多すぎるのか、ただせまいだけなのか、机が全員分揃っていない。正社員と、昔からの契約社員達以外は、いつも数カ所だけ空いている、出張中のひとの場所を使っているが、そろそろ自分の席が欲しくなってきた。上司のSさんを始め、みんな僕の席が必要だということを口にしてくれるけれど、そのためには模様替えが必要だ。
 


2001.0705 木曜日
 

 暑くて目が覚めた。強烈なる暑さ。昼に外に出たときなどは、日本の夏がこれほどまでに暑かったのか、自分の記憶にはないような気がして仕方なかった。これでは歳をとって死ぬのが夏でも納得というものだ。

 夜遅くまで作文。今月の末頃、嘱託社員の試験があり、この文章の提出を課されたわけだ。真剣。しかし眠い。
 


2001.0704 水曜日
 

 暑さで目覚める。東向きなのでこうなってしまう。簾でも買わないとやってられない。

 研修3日目、最終日。楽しく終わる。
 


2001.0703 火曜日
 

 研修二日目。楽しい。
 


2001.0702 月曜日
 

 社内にて、PCMの研修。3日間続く。
 PCMは、プロジェクト・サイクル・マネジメントのことで、国際的に通用する、参加型開発のプロジェクト形成手法である。
 これで分かる人は、ほとんど専門家である。しかし、内容は楽しかった。
 


2001.0701 日曜日
 

 幕張へ。集合住宅の新市街を見学に行く。みうらっちとY崎と共に。いろいろあっておもしろいが、レベルは総じて高いとは思われなかった。スティーヴン・ホールの設計になるものが、最もまともなようだった。やはり抜きんでるものがある人なのだなと思った。

 夜、同僚のO木さんが結婚して退社するので、仲間で集まってお祝いした。相手は外国の方。日本語は堪能といってよい。なかなかのハンサム。なかよくね。
 


2001.0630 土曜日
 

 タイヨー君と、夜まで飲む。
 


2001.0629 金曜日
 

 とくに記録なし。
 


2001.0628 木曜日
 

 昨日の疲れがそのまま残っており、一日中眠いことにかけては徹夜明けよりひどい一日。歳を食ったような気になる。

 疲れた疲れたと毎日書いているようだ。読む方が疲れるだろう。
 それにしても風呂はいいものだと、こういう時だからこそ思える。温い風呂に、好きなだけ浸かり、うつらうつらしているだけで、これほどにほぐされるものか。

 梅雨も半ばを過ぎたろうか。いつの間にか合歓木の花が咲く時期をむかえようとしているようだ。鹿児島の方が、ここ何年か、その花の写真をご自分のページに載せて見せてくれており、とても嬉しい。

 といっても、家で見ているわけではない。まだインターネットに接続できる環境がない我が家。会社で暇を見て覗いているのだ。
 


2001.0627 水曜日
 

 昨日夜9時半に大阪を出て、朝6時に東京の新居に到着。日はすっかり明るい。

 一日眠い。辛かった。

 帰宅後、真夜中近いのに車から荷物を運び入れた。全てではない。デスクトップのパソコンやオーディオなどだけだ。3脚の椅子も。小さな軽自動車に、よくもこれだけ入っていたものだと感心する。これらの物品も、まさか東京で使われることになるとは思っていなかっただろう。
 


2001.0626 火曜日
 

 朝まで準備が続いた。今日まで休みをとっている。明日は出社。しかし、出発は夜。だらしない。
 


2001.0625 月曜日
 

 Kの家へ遊びに行ったあと、引っ越しの準備。終わらず。
 


2001.0624 日曜日
 

 あいにくの雨は、式の後、ぐんぐんと広がった晴れ間の彼方に去っていった。もりちゃんとあっちゃんの二人が、今日結婚式を挙げた。

 今頃はアフリカのどこかにいて、この式と披露宴には出られなくなるはずだった。ところが、その出張の予定が、諸般の事情のためなくなってしまった。それで運良く親友の大事な日に顔を出せるようになったという案配。

 親族と、ごくごく親しい友人だけの質素な式と披露宴。会場はたいそう豪勢だったけれど、手作りで肩の凝らないものにしたいと常々言っていたとおりのものだった。

 たぶん、この二人はずっと大丈夫だろうと思う。こちらがいずれ手本にしたい夫婦になるんじゃないか。
 


2001.0623 土曜日
 

 午後、帰阪の途に就く。明日はもりちゃんの結婚式で、式と披露宴に出席することになっている。

 大阪駅。東京よりも、若者達の格好がおとなしいという思いは、さらに補強された。それくらい、今大阪の若者のファッションは暗いというかシックというか。かつてのぎんぎらぎんのイメージは、ない。

 Kが帰阪を待ちかまえており、焼鳥屋へ。痩せた様子。目標体重までは、しかし、まだ遠い。
 酒の苦手な彼。ウーロン茶を片手に、始終にこにこしていた。
 なぜか、このあと人数が増え、カラオケまで突入。
 


2001.0622 金曜日
 

 この半月以上徹夜徹夜の連続で、さすがに参ってきたのか、一晩がんばっただけでもうかなりしんどい。たぶんしばらくないと思われるのだが、こんどこそどうなんだろう?

 夕刻に帰ることもできず、仕事は夜まで続いてしまった。

 帰宅後、この部屋で初めての自炊をした。このあたりは何にも店がない上に、材料を買える駅前唯一のスーパーも9時で閉店している。しかたないからコンビニでそばとつゆを買い、安いからとモヤシもつけた。

 部屋にはまだ食卓も椅子もなく、もちろん座卓さえない。フローリングの上に置いたガスレンジが入っていた段ボール箱に、布団を入れてあった白い綿布をかけて、そこで食べた。
 食器はどうしたか?この3日毎日ひとつの紙袋を下げて、要らない食器やタオルなんかを職場のTさんが持ってきてくれていたのだ。以前はモデルをやっていたとしか思えない素敵なご婦人である。そばを食べる前に、手を合わせたのは、食事にではなく、彼女の親切に対してだった。
 しかし、貧しい食事であることよ。
 


2001.0621 木曜日
 

 数日続きのぐずつく天気のため、今日はそれほど暑くならなかった。外に出る予定もないので、ネクタイなどせず家を出て、そのまま夜まで楽な格好を通した。
 さらにそのまま、徹夜の態勢になっていくのだった。
 


2001.0620 水曜日
 

 昨日からの徹夜。疲れてしまった。

 駅のガード下は小綺麗に整備されて店が連なっている。最近シュークリームだけを売る店ができて、大して安いとも思えないのだがおおはやりとなっている。一度食べてやろうと思うのだが、いつも行列ができており、並んで買うほどの気もなくて、未だに味見できないでいる。今日もその店を横目に見て、すぐそこの百貨店に入っている洋菓子屋のシュークリームを買った。たぶんこっちのほうがうまいんじゃないかと思う。値段は同じだ。

 東京へ来て、なにかと行列しているのをよく見る。この土地ならではの心理か習俗か。待たされるのが嫌いで実利を尊ぶ関西人には、ちょっとしたエキゾチズム。
 
 
 

2001.0619 火曜日
 

 テレビも新聞もない。ラジオは建物の影響か、あまり入らない。家についても、外の情報が入ってこない。その上、夜ともなると、恐ろしいほどの静けさだ。
 だれか、受験生にでも間貸ししてやろうか。

 それくらい、静かで涼しい我が家である。
 


2001.0618 月曜日
 

 午前新宿。ゆったりと仕事をし、遅くに帰る。静かなまちだな。

 家の中を片づけていて、布団袋を包んでいポリエチレンの袋を覗いて驚いた。ノミがいたのだ。
 日本でノミを見たのは、大阪の実家の飼い犬、夢千代の腹を自在に動くノミだけだ。チリじゃあるまいし、布団にでもついていたのだろうか?たぶん、電車の中で入ってきたんだろう。
 チリでも指ではつぶれなかったが、日本の小型のノミも、それなりにしぶとかった。
 


2001.0617 日曜日
 

 仮住まいを引き払って、新しい部屋へ。生活用品を少し買い揃え始める。ガスレンジなどは近くに置いていないので、少し電車に乗ったところにある大型のディスカウントストアまで買いに出る。あまり安いとは思われない。田舎だからこれでも通用しているのではないか?

 車がない中、非常に大変な思いで部屋まで運ぶ重い荷物を部屋に入れ、疲れたからと畳の部屋で大の字になる。そのまま午睡。

 夜、都心のY崎邸へ、M氏とともに向かう。先日サザ・パーティをしたばかり。今日はジンバブエで建築をやってきたYが、2年の協力隊の任期を終えて帰ってきたからだ。YとY崎は、学生時代からの、いわゆる親友だから、東京に帰ったら、まず彼のうちへと行き、そうしたら仲間を呼んで楽しく過ごすのは、当然の成り行きである。

 今日、もういちどサザが出る。今度は2年、この食事に慣れ親しんだYの手製であり、彼の食べ方の見本付きだ。何せトウモロコシの粉を半練りにしたものを手で食べるのだから、こつがいる。

 ゆっくり、すきなだけ語り合うことが、あまりできなかった。彼が今持っているものが、まだ心の中で形になってしまう前に、できれば、これから戻る郷里の丹波へ行って、聞いてみたいと思っている。
 


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