Diario
日々の記録

 
 
 
 


2001.0616 土曜日
 

 明日の朝、いまの仮住まいをチェックアウトする。借りた部屋は今日から入ることができるから、まず荷物をまとめて宅配便に出した。その後、府中の無印良品で布団を買った。セミダブルにしたら、配送サイズの限界を超えてしまったので、迷ったけれど手で運ぶことにして電車に乗った。軽いからいいものの、結構人目を引くものだ。
 府中の並木は有名であるそうで、なるほど古く大きな木立だった。しかし、こうはいかなくても、近いような並木はどのまちにもあってしかるべきだなあと思われた。

 夕刻から出社した。うちの部だけ人出が多かった。関係の他社の人もいたのだが、見かけによらず人なつこいところがある人で、便所で一緒になったとき話しかけてきた。

「お休みなのに、たくさん出ておられますねえ。いつもこんなですか?」
「いや、今日は特におおいんじゃないですか?」
「そうですかあ。わたしなんか、電車に乗ったとき、同年輩の男性がリュックなんて背負ってたりするでしょう?ほんとわびしくなったりしますよ。」
「家族連れもいますしね。」
「ええ。私は京都から一人で来てましてねえ。」
「ほんとですか?僕は大阪です。大学は京都だったし。お住まいはどちらなんですか?」
「下鴨です。湯川秀樹の家のまんまえで。」
「そりゃいいところですねえ。憧れの土地ですよ。よく歩いたなあ、昔。」

 などと便所からそれぞれの仕事の持ち場へ戻るまでのひととき、言葉を交わした。

 夜、新しい部屋へ布団を置きに向かった。真夏の夜のしつこい暑さが怖い。そう思っているので、寒いくらいに涼しいこのまちの空気はありがたいと思われた。

がらんどうの部屋にひとしきり佇んだ。どう使おうか。部屋の隅からじろじろと眺め回して、透明な家具や絵などをレイアウトして楽しんでみた。

 堅牢なマンションだと思っていたが、音に関しては油断してはならないようだった。なぜって、隣のトイレの音が筒抜けで、それが明らかに男性のもので、さらに高らかな一発の音色まで聞こえてきたからだ。
 がらんどうの部屋に、僕のあんぐり開けた口から出た押し殺した笑い声が反響して聞こえた。
 


2001.0615 金曜日
 

 結局また徹夜である。成果物を抱えて先方の待つ新宿へ向かう。甲斐あって、とりあえず落着と相成った。

 上司のSさんと、遅い昼食をとる。彼はいつも忙しそうにして、あたふたとしている。貫禄とかそういうものを見せることに何の興味もない人だ。時折仕事の顔でなくなって、そういうときに見せるはにかんだような笑顔はなかなか見られないほどに素敵だと思う。
 少しだけ立ち入った話をする。これだけ一緒に夜中まで仕事をともにやっていると、いやでも気心がしれるものだ。

 夜、新宿へ。トシユキさんと、彼の友人S氏に会う。彼らは大学時代アイスホッケー部の仲間だったそうで、ふたりともモデル並の体格である。
 S氏は、帰国前にずいぶんとコンサルタントの仕事についてメールを通して教えてもらった恩人だ。非常に気持ちのいい人で、清潔感があるとはこういうことかとおもわされた。

 帰宅。余りに疲れてしまい、服を脱いで横になったら、そのまま寝入ってしまった。
 


2001.0614 木曜日
 

 変な夢で目が覚めた。どこだかしれない外国だった。僕は川沿いの道路を走るバスにでも乗っている様子だった。どうやら段丘のまちが対岸にあり、それはおもちゃみたいなヨーロッパの家並みだった。
 突然に、なんと雪崩が起きた。段丘は硬く重い氷でできており、真下のまちを押しつぶしていった。

 あしたが締め切りの仕事。落ち着けと自分に言い聞かせて。
 


2001.0613 水曜日
 

 今日は、何度目かの中間締め切り日。集中力や火事場のなんとか。そういうものって、もうそろそろなくなりかけているような気がしている。ビーバーがかじった木の根本みたいなものだ。あと少しで、木は倒れるところまで行っている。

 午後新宿へ。まったく人の多いところだ。雑雑。
 


2001.0612 火曜日
 

 読めもしないのに、一週間前に会社の近くの図書館で本を借りていた。光文社が出している、テーマ別のアンソロジーで、編者が題名もつけているようだった。

 「わかれの船」という。題名だけに惹かれて借りた。山田詠美に始まって、水上勉で終わる。

 もしも別れがあるのなら、その日たまたま部屋の片隅にでも転がってくれていればいい。そんな本なのだろうか。断崖の手前に手すりを立てるのではなく、ここは断崖である、とだけ書いた札を置くように、あらかじめ別れがつまったものがおかれてあった。と、そういう考えが頭に浮かんだりして、それでなんらかのよすがというものが生まれたりしないだろうか。

 むにゃむにゃと寝床で読んでみて、そのままうつぶせに眠りに入った。枕の港という歌もあったっけ。
 


2001.0611 月曜日
 

 天気はどうだったろう。今日はなにをしたろう。実は週末に回想しながら書いているから、どうしてもぽっかり穴の開いたような日ってできてしまう。今日は、つまりそんな日だったのだ。
 ただ、なんとなく、気分がさわやかであったような気がしている。それがどうしてだったか、やはり思い出せない。
 


2001.0610 日曜日
 

部屋を決める

 気付けばいつだって月日の過ぎていくのは早いものだ。6月も既に中旬となった。

 昼下がりまで出勤。静かなオフィスにほんの数人。

 休みの日の出勤だと私服でいいし、ゆったり自由でいられるからか、誰も皆平日とは違った柔らかな人になっている。いつものぴりぴりとしたものはなく、業務とは関係のない世間話をしてもそれは自由だ。そんななかで、やっと職場にいる人々の、ひとそのものに少しだけ触れることができる。休みの日は休みたいけれど、それはそれでいいことだ。
 持っている顔のうち、人は仕事場でいくつを見せていると言えるだろうか。

 午後、先日ここでいいと決めたマンションを見に行く。
 職場からふた駅の特急停車駅はモノレールと接続しており、3分で部屋のある駅まで行くことができる。このモノレールは12時を越えて終電をだしているので実用に耐えている。部屋から職場までは30分くらいだろうか。
 今回はモノレールを使わずに歩いてみる。歩くと見えてくる、なにかがあるかもしれない。道中入ってみた市立のコミュニティーセンターは、ゴミ焼却場の余熱利用なのか温水プールを持っており、市民でなくとも一律2時間3百円で利用できるとのこと。

 どうも雲行きが怪しくなったと思ったら、にわかに雨が降り出し、軽いスニーカーはみるみる水に浸かってしまったように濡れていく。傘を持っていてよかったが、これなら早く部屋に着いているべきだったろうか。着いて傘を畳んだころは、風雨でずぶぬれ。ほんの5分ほどのことなのに。

 部屋とか家とか言葉が統一できないのは、ここがマンションで2LDKだからだ。けして明るい方ではないが、その分落ち着いていて使いやすいものになっている。
 窓の面積や数をたくさんとると、明るいし換気もよいだろうが、窓よりも壁の取り方がしっかりしている方が部屋というものは自由になる。多少の暗さは落ち着きというものだと解釈していいのではないか。この部屋はそのあたりがうまくいっていて気に入った。華やかさはないが、質実剛健だ。

 歩き出した駅の近くにある不動産会社に行き、契約をする。東京近辺ではそうなのだろうか、敷金が家賃の倍額程度で関西に比べてとても安いので、初期の納入金額は僕の場合50万を切った。ボランティア上がりの貧乏人にはありがたいことだ。

 夕食は駅前の中華屋の広東麺。FIFAの大会に決勝でフランスと健闘する日本チームをテレビで見た。選手達を見ていると、日本人の顔つきや雰囲気がいままでとは違ってきているなと思う。
 


2001.0609 土曜日
 

 今日も出勤。仕事は遅くまで続いてしまう。帰宅は明け方近くになる。タクシーで帰るときの、道の指示の仕方が、だんだん慣れてきた。しかし、まだ頭の中に職場と宿と道路、そして鉄道の関係が理解できていない。車や足で、いろいろ出歩くことができていないからだ。この土地へ来てもう三月にもなるというのに、どうしたことだろう。
 


2001.0608 金曜日
 

ほぼ徹

 二日連続の帰宅なしの徹夜。そのまえには早朝に帰宅しただけだったが、あれは何日か続いたっけ。もう覚えていない。2完徹、1ほぼ徹の、少なくとも3夜連続の徹夜ではある。なお、ほぼ徹、とは、帰宅はしたがほぼ完全な徹夜、を差す造語である。今作った。

 午前、成果品を新宿へ持ってゆき、午後、またその関係で打ち合わせに望む。眠気がさすと、目の焦点が合わなくなってくるし、風呂に入っていないから汚い話、頭が痒い。そうとうひどい状態なのだが、先方はそんなことを知る由もない。なんだか滑稽だ。

 帰宅後、風呂に湯を溜めたのに、知らぬ間に寝入っていた。
 


2001.0607 木曜日

 昼過ぎ、大雨が降ったような気がするが、それは昨日だったっけ?
 


2001.0606 水曜日
 

 今日は家に帰らずの徹夜作業。しかし収束が遅いものだ。
 


2001.0605 火曜日
 

 朝、ほんの3時間程度だけ家に戻った。ひとりになって、自分に帰れる時間がない。普段だって、いくらほどもあるとは言えない。以前、あれほどそういった時間が好きだった自分としては、これは不本意なことだ。しかし、仕事が不本意だということではない。
 


2001.0604 月曜日
 

 朝一番で新宿へ。

 京王の本線は、JRなどよりものんびりした雰囲気だなといつも思う。仕事や生活が袋からはみ出てがさがさしている感じがしない。だれもが平穏に沿線で暮らしている。そんな気分がする。
 


2001.0603 日曜日
 

 家を決めてきた。申し込みをした。どうもゴミの焼却場から近いようで気になるけれど、静かだし、職場へのアクセスもまあまあだし、安くて広くてしっかりした部屋だし、ということで、とあるマンションの一室を借りることとしたのだ。あとは契約するのみ。

 河原が近い。歩いてみた。すでに夏の草が茂っている土手を少しのぼり、土手道を歩いた。
 綺麗に整備されているとは言えない河川敷だが、自然のままに近い姿を意図的に残していると看板が立っていた。おじさん達のソフトボールの試合、子供達のサッカーの試合が行われていた。家族連れ、晴天のしたの幸せの絵。

 風がよく抜ける土地のように思う。多摩川沿いの広い低地は、もっとも新しい開発地のひとつのようだった。

 人と会うため、渋谷へ出る。遅い昼食を食べていると、腕や顔に発疹のようなものが出ているのに気付いた。発疹など無縁だったので、ちょっとびっくり。何かへんなものを食べたのか、それともかぶれるようなものにふれたのか。
 チリが夏へ向かう頃に北半球へ戻ったので、かれこれ1年半近く夏を体験していないことになる。そのためか色白な人になってしまっている。突然の日焼けに皮膚が過剰に反応したのではないか。そう、人には言われた。
 新居にまつわるなにかに由来するものでなければいいがと思い、心配。昨日訪れたときは問題なかったので、それはおそらく違っている。
 


2001.0602 土曜日
 

 午前、出勤して打ち合わせ。

 午後、家を探す。たまたまタイヨー君とばったりあったので、居酒屋で飲む。時間の経つのが早いこと。終電を乗り過ごすところだった。

 どうも、今日見たところで手を打てそうな気がする。このあいだは、住むところは家もまわりも気に入らないとだめだなんて書いておいて何だけど、まあ、これならいいか。そう思わせるような家だったのだ。
 鉄骨の3階建てマンションの2階だ。あんまりかっこよくないけど、うん。まあ、これならいいんじゃないか?
 案内してくれた女性は歳のいった中年で、口数の少ない人だった。なにか悪いことを隠しているような気がしてきてしょうがなかった。
 


2001.0601 金曜日
 

 朝はやく、いったん家に帰って、また出勤。午後、新宿へ。

 テレビスペイン語会話を見て、だらだらしていたら、知らぬ間に寝てしまっていた。
 


2001.0531 木曜日
 

 作業は徹夜に。今回、やるべきことがいちいち微妙で、なにをどうやったらいいのか、なかなか踏ん切りがつかない。そのうち社内のこのフロアに誰もいなくなってしまう。大きな声で歌でも歌おうか。

 朝日を見た。朝焼けが綺麗だった。
 


2001.0530 水曜日
 

 雨。梅雨のようだ。

 午後、昨日からの作業の結果を持ってマネージャー達が先方へ出かけていった。そのあとの作業のだるいことだるいこと。
 一仕事おえたら、一息つきたい。それができないようでは、やってられなくなってしまわないか。
 こういう時間にエクセルで積算をしていくのは、当人がつらいだけでなく、仕事の成果そのものにとって危険とならないだろうか。是非終わって帰るべきである。そのとおり。あなたもそう思う?当然でしょう。やっぱり?そうだよね。そうだよ。

 なんでラーメン食って会社に帰るのか?
 


2001.0529 火曜日
 

 会社にちょっとした激震。ちょっとした激震もなかろうが。
 しかし、みなのんきなものだ。さすが大きな会社だなあと思う。それなりに優秀な人ばかりだから、変に深刻にならないのだろうか?感心すると同時に違和感を感じる。

 ああ、徹夜コース。
 


2001.0528 月曜日
 

 昨日会ったS藤さんは、お昼を半額のマックのハンバーガーとジュースだけにしてるそうで、僕も夜をそれにならって節約してみた。

「ハンバーガーとチーズバーガーひとつづつ、持ち帰りで。それだけ。」

「153円になります。(語尾挙げ気味)」

 すごいなあ。しかし、切ない。

 店内に響く高校生たちの声をかきわけるようにして出ていく。
 


2001.0527 日曜日
 

 先日行ったところより、さらに少し田舎へ行った駅前の不動産店へ行き、実際に物件を見てまわった。
 田舎の方が、住むところとしても、働くところとしても好きだ。それはいいのだが、住むところは、働くところ以上にどんなスケールで見ても気に入らないと、僕は気が済まない。部屋の中も、その建物の回り、半径5メートル程度の範囲も、そして、近辺の雰囲気なども。無数にある家々の住人達は、その辺について、みんなそれぞれの妥協をして住んでいるのだろうか。

 まだここだ!といえる家にぶつかれていない。僕はどんなところで妥協することになるだろう。

 夜、渋谷で飲む。S藤のお父ちゃん、と呼んできた男とである。3つほど年上で、ブルガリアのSE隊員だった。同期の仲間である。
 会って驚いた。無類の風呂好きの彼が訓練所で見せていたあの太鼓腹。今はすっきりスリムになっている。こっちは逆の現象が起きているのに。

 奥さんと幼い子供さん達を置いての派遣だった。正直言って、今日会って話を聞くのは少し怖かったのだが、それは杞憂だった。家庭がうまくいっているのか心配だったのだ。ところが失礼ながら彼の家族の絆は、僕の想像よりもずっと深いものだった。全ては奥さんの理解の深さに比例しているとも言えるけれど。

 今は東京の企業に再就職を果たしている。関西にいる家族を、もうしばらくしたら呼び寄せると言った。流れの速いSE業界に生きる人間として立派にカムバックしたということだ。彼の満面の笑顔には、誇らしくも伸び伸びしたものがあって、よかった。
 


2001.0526 土曜日
 

 昨日はよく飲み、よく喋った。おかげでちょっと二日酔い。トシユキさんの家でタイヨー君と共に泊めてもらった。今日は、遅い朝である。

 夕刻からYの家でサザ・パーティーがあると聞いて、出かけた。サザとは南部アフリカのジンバブエで食されるところの主食で、白トウモロコシの粉を鍋で練ったものである。このあいだ、向こうへ旅行してきたので、彼の地のスライドを上映するということもやった。(そっちがメイン?)
 集まったのは建築をやっているひとなどなど。こういう場を時々でいいから継続的にやっていって欲しいものだ。Yのように独立して建築をやっているひとにとっては、交流をいいものにする機会でもあることだし。
 しかし、主催するのってなかなか大変で、自分でやるとなると、とてもとても。だいたい、僕は、自分でできるチリ料理の材料さえ持ち帰っていないではないか。準備の差というのか、なんというのか。
 


2001.0525 金曜日
 

 マンスリーマンションのくらしも来月中旬までだから、家を探さないと行けない。今日は思い切って休みを取って長めの週末をつくり、不動産のお店をまわることにした。

 いろいろと資料を見せてもらい、いくつかを見て回った。収入がまだどの位になるのか分からない時期なので、どこまでが予算上の限界か分かりにくく、従って選ぶのもむずかしくなる。
 アフリカへの調査が終わってから契約するのか、その前にしてしまうのかだが、その前となると、6月中旬までになってしまう。時間の余裕がほとんどない。いままで休みが仕事でつぶれてきた上に、件の調査が入ってきて、6月末までに決めればよいというわけに行かなくなったのが恨めしい。

 それでも、家探しというのは結構楽しいものだ。暇だったら不動産屋を冷やかして回るのも、ちょっとしたデートのネタに使えそうなくらいのものだと思う。

 夜、新宿でトシユキさん、タイヨー君とともに飲む。いずれもチリ協力隊の仲間。
 


2001.0524 木曜日
 

 32歳になった。

 協力隊へ行く前には、当然いろいろと気がかりというものがあった。チリでの活動は、それ自体が目的ではなくて、ある大切なステップだったから、帰ってから初めて迎える誕生日に自分がどのような状態でいるのかという問題は、具体的な日付を伴ったもっとも大きな気がかりのひとつだった。

 30歳までに人生の方向付けをしたい。そのように思う人はほかにもいるようなのだが、僕もそうだった。振り返って、概ね方向は出ているように思っている。今回の就職は、たんに仕事を決めるだけでは済まない意味があった。その辺では、十分すぎるほどの手応えをもって方向を補強できたと感じている。ただ、ビギナーズ・ラックのようなものだったかも知れないのだが。
 それでもまあ、当初の気がかりを解消させるものにはなったろう。

 次に、30代以降の軌道というものを、がっしりしたものにしていきたいと思う。相撲の一番一番を勝っていくように、野球のイニングを一回一回積み重ねるように、ある方向を向いて具体的な岐路をちゃんと踏み込んでいくような、そんな軌道というものに。しかし、立派な軌道も方向性に照らしてうなずけるものでなくては意味がない。そこを鍛えるために必要なものは何か。

 祝いにカジュアルな南欧料理を食べる。ごちそうさま。さて来年、何を食べようかな?
 


2001.0523 水曜日
 

 小泉さんは、とても人気があるらしい。報道は、どこもそう言っている。だからかどうか、最近奇異なのが、景気対策云々のことばが聞かれないことだ。構造改革だのなんだのという話はあっても、この間まではそうじゃなかった。どこもかしこも景気の話。自民党の総裁選では、橋本さんも構造改革を焦って失敗したぞ、今回は方向転換だ、さあ景気をどうする!と、うるさいくらいに聞こえてきたあのフレーズが、今はぱったり聞かれなくなった。まるで誰も景気のことなんか気にしなくなったみたいに。
 なんかあるんじゃないのか?と思ったりする。

 景気も国の財政も、ただ金勘定の問題じゃない。マネー・ゲームがうまく運んだとて、人間はたくさんいて多様なものだから、そこをぐいとなんとかしなくては。なんとかね、なんとか。
 


2001.0522 火曜日
 

 午前、明後日に迫った誕生日の前に、慌てて向かったところがある。東京だと警視庁と名が付くのか。免許の更新のため、府中の運転免許試験場へやって来た。途中、まだ「文部省」という言葉の残る銘板がそのままの国立天文台の前をバスが通った。
 大阪よりも施設はボロいが、処理は簡単でとても早かった。ちょっとびっくり。

 申請用紙に今日の日付を書いて、気がついた。妹の誕生日だった。手続きが済んでから、せめて電話してみた。あの妹も、もうこんな歳か。だが、本人は、この歳になったことがとても嬉しいのだという。こんな嬉しい誕生日は、そうなかったと。

 しごとは少し暇なくらい。マクドナルドが閉まる前には宿のある駅に着いたので、駅前のそのバーガーショップへ入った。若いスーツ姿の客が多かった。ちょうど今安くなっているビッグマックを買ってみた。

 風呂上がり。真夜中。今度はのどが渇いたので、宿の1階に入っているコンビニで発泡酒を買った。ZIMAという、クアーズが出している透明なやつだ。うまいようで、香りがだめだった。どうもトイレ用の洗剤みたいで気にくわない。ラベルを見て、保存料として安息香酸やソルビン酸が入っていたので、しまった、と思った。そのラベルには、アメリカでは人気だと書いてあるが、ちょっと・・・。
 


2001.0521 月曜日
 

 正午が、ここしばらく取り組んできた仕事を先方に届ける期限だった。新宿にある、それはそれは大きなビルの一角へと出かけていった。

 提出には僕と、もうひとり、営業担当のSさんとのふたりで出向いた。帰りの電車で、疲れで眠ってしまうまでのひととき、ぼつぼつと言葉を交わした。

 いくつかのやりとりがあって、まあ、使ってもらえるだけでもありがたいものだと感じている、そう言ったら、Sさんは、なんといっていいか難しいが、それではいけないと思う、使ってもらっているという発想はだめだ、もっと自分から組み立てていくものがなければ、何にもならない。会社にとっても。そんなようなことを言った後、目を閉じてしまった。

 そのあと、電車が駅に着くまでのあいだ、彼は眠りながらガムを噛んでいた。これが最後の営業担当だという。このあと彼は、元いたセクションへ、ほんらいの土木の専門家として戻って行くと言っていた。

 宿に帰ると、郵便が一通。母校の同窓会誌。この号はゼミの恩師が編集担当とのことで一筆寄稿していたのだが、ちゃんと載っていた。なんだか恥ずかしいものだ。
 


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