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Diario
日々の記録
2001.0520 日曜日
今日くらいは休みたかったが、結局出勤。明日が締め切りだから、恐らくこうなると思ってはいたのだが、休めるだろうというリーダーの言葉が虚しくなってしまい、残念。
とかなんとか言いながら、横目で見ながら、いや、この人達ほどの熱意を自分は持ち合わせていないのでは?と、卑屈で小さな問いをこころのなかで呟いている。 就職活動をしていくなかで辞退した会社の方が言った言葉があって、それを反芻することが多い。その方はベテランの建築家だった。国際協力関係の仕事は、レポートを書いたりと、煩雑で建築とは関係のない仕事が多い。最初からそういうことばかりをやっても、建築するものとしての可能性を狭めてしまうことになるだろう。若いうちは様々な設計にかかわっていくべきだ、と。
間違いではなかった。しかし、残念といわなければならない部分もある。そういうことだろうか。やめてしまえという人もいる。それは確かに忠告だろう。
2001.0519 土曜日
ついに完徹。ついに今の職場で徹夜をしてしまった。そうとう眠くなっているのに表計算ソフトやワープロソフトを触るのは、ほとんど拷問でしかない。 夕刻、雷鳴が聞こえ、稲光が走った。ほどなくして激しい驟雨。ひとときの雨上がり。ビルの9階から多摩川越しに、東京の中西部がよく見えた。虹が出ないかなと楽しみにしていたけれど、あては外れた。 帰宅は、やはり夜。賞味期限を過ぎた食いかけの豆腐や野沢菜でビールを飲む。
2001.0518 金曜日
締め切り近し。今日は徹夜になった。自分が段取りをしていないから、どうもすっきりしない。
2001.0517 木曜日
よく晴れた日。昼休みに外に出たら、思いの外太陽が高いのに驚いた。夏至まではまだ日があるというのに。
帰宅後、NHKで、BBCの作ったボスニア紛争のドキュメンタリーを見た。認めがたい現実。地獄だった。ところが、一度過去となれば置いてきぼりにされたように、世間は一変、平和に見える。何が現実なのか、現実だったのか。残された人に、現在をつかむということは既に難しい。
2001.0516 水曜日
あさ、部屋の外を見たら雨だった。五月雨というには、結構な降り方だった。仕事に出る途中、多摩川に架かる橋を渡る電車の窓から、川面を眺めていた。ほんの少ししか濁っていなかった。全体に浅い川だが、川底はいつでも覗くことができる。割合綺麗な水だと思う。 ずっと文章とか図表を触る作業が続いている。新しい資料を手に入れて、きちんと具体的にまとめあげることは、とても大変なことだ。少し進んでは、ここが足りない。これはどうなっているのかという疑問がわくが、それをその都度ちゃんと解決していかない以上、納得いくものにはならない。今回、そこまでいけるとは思えない。
2001.0515 火曜日
午前から午後にかけて、飛田給駅近くの東京スタジアムへ。ベルディ川崎、じゃなくて、今は東京?の本拠地だそうで、ワールドカップの試合もやりそうな会場だ。ここで、なんのことはない、建築士試験の申し込みをするのだ。(東京FCというのも、今はあるらしい。そこも、ここがホームなのだろうか?) さすがは東京である。受験者が多い。多すぎる。申し込みに来た人を捌くために、会場に着いたらみんなスタンドに整列して座らされ、順に控え室にしつらえられた受付へと向かう。
暑い。ネクタイとシャツという組み合わせが暑い。同時に自分の服のバリエーションが少ないことが気になってくる季節だ。洗濯が多くなるからね。
2001.0514 月曜日
昨日もそうだったが、とてもよく晴れている。ちょっと暑い。 最近、少し会社に慣れてきたような気がする。誰が何を話していようと、どんな人か分かっているので緊張することがなくなった。
2001.0513 日曜日
昨日は8人の同期隊員が集まった。主賓のN君はようやくコロンビアから帰国したが、思ったよりも意気軒昂だった。 だれもがそうなのだが、行く前、というものは、それぞれ各人の思いと、これまでの経験だけがあって、行った後には、それぞれディティールのつまったリアルで具体的なものをいっぱいに詰め込んで来ているものだ。
彼が意気軒昂であると言うことは、自分の中にあるものが何の評価も待たないようなつまらないものでないことを意味している、と思う。これからが楽しみだ。 さて、全員が仲間の一人の家に泊まった朝。いや、昼、僕は次に恵比寿へ向かった。
ひとりではなかった。半分は懐かしく、またいつもお世話になっている人達と、そして半分は初めて会うくせに、これまたいつもお世話になっている人達と一緒だった。どくだみ荘を通じて知り合った仲間が、今日は実際に集まったのだ。
2001.0512 土曜日
マンスリーマンションの4階の部屋にいるのに、ベランダから蟻が入ってきていて、昨夜は困った。それはいいのだが、同じ小さな虫で、羽虫のような蚊がベッドの枕にとまっていた。
起きると、もうそろそろ陽が傾きかけていた。最近には珍しくよく晴れている。
2001.0511 金曜日
昼食はタイヨー君の家で頂いた。会社から歩いて5分位のところにあるアパートの2階なのだが、まわりにはそれ以上高い建物はほとんどないうえに、窓の外は十分ひろびろしている。とても快適な家だった。家と言うからには、いちおうワンルームではない。いわゆる2DKである。
さて、昼食はカレーでした。ごちそうさまでした。それにしても、男の部屋とは思えないほど、ちょっとした工夫が随所に光る!と見出しをつけたい、素敵な家でした。それに、今日の朝声をかけて、そのまま他人を通せる状態というのが凄い。これはほんとうに凄いよ。
2001.0510 木曜日
この数日来、プロジェクトの提案書を書いている。途上国に教育施設を作るための仕事の一環だ。まだ調査に行く前だというのに、こんなに分厚い文書を作るものだとは知らなかった。いわゆる政府開発援助(ODA)の基金によって、この仕事は実施されていくのだが、たしかに血税を注ぐんだから、いくら緻密なレポートや設計をしたっていい。それはなされるべきだと思う。 設計事務所にいた頃とは、まるで違った作業だ。こちらへ来て、ワードとエクセル以外のソフトはほとんど触っていない。メールを書いたりする程度か。これはよくないと思ってはいる。 それはそうと、提案書が通れば、現地調査のメンバーに入れるかも知れなくなった。ひとつきとか、もう少し長いとか、それくらいのものだが。ついこの間までのことを思うと、チャンスの多い、いい環境にいることに感謝している。一歩というものが、踏み出せていると実感できる。 全くの善意から情報をくれ、名刺のコピーを渡し、してくれた人、アドバイスをくれた人。この数ヶ月だけでもお世話になった人は両手に余る。
2001.0509 水曜日
ブックセンターいとうが、安い中華料理屋のとなりにあっていけない。今日もまた昼休みに一冊買ってしまった。何年か前に芥川賞の候補になった作品だそうだが、背表紙も表紙も、裏表紙も、いろんな文字で埋まっていて題名が判然とせず、そういうところから始まるこの本の変わっているところに惹かれて買ってしまったのだ。レコードならジャケット買いにあたる。 よく見ると、どうも横書きの1編と縦書きの1編、計2編だけの内容らしく、つまり裏表紙がない構成である。二つある表紙には、それぞれの題名が書かれている。 「平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された秋寺伸彦博士,並びに,」
これが題名である。石黒達昌、福武書店1994。
そうそう、昨日給料の振り込みを当て込んでディナーの席についたのに、今日聞いたら、それは仮払いのもどりだという。給料日は次の月末が正しいとのこと。あ、そう。そうだったのね。
2001.0508 火曜日
昨日付けで初めての給料が振り込まれると聞いていたから、記念に新宿に出て食事をした。舌平目の名前は小説なんかで目にするが、食べたのは初めてだった。 歩く道は霧雨で濡れそぼっており、カーフのブーツの底が減っていて滑る滑る。それにしても、なんて湿気だろう。沖縄では梅雨入りしたとか聞く。
2001.0507 月曜日
これまで手伝ってきたプロジェクトの担当者達が、現場の遙かな国へと発っていった。ひとつき足らずの出張だが、せっかくの南洋を少しは楽しめるのか、普段の忙しさを思うと疑問。 またほかの国のプロジェクトがあって、その企画段階から入らせてもらえることとなった。とりあえずの締め切りは目前で、その割りにのんびりした空気がながれているから不気味に思えた。 帰宅後、建築士の勉強を少しやってみた。大変しんどいが、会社の若い社員の人も受けると言っていたし、勉強してるらしい。負けていられないとの思いで。 就寝近く、ビールを飲んだ。発売間もないサントリーのモルツ、スーパープレミアムを。たしかにうまいと思った。
空が白んできた。鳥がさえずっている。慌てて寝ることにする。
kmdesign/MATSUOKA Ken'ichiro
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