Diario
日々の記録

 
 
 
 


2001.0422 日曜日
晴れ
 

 夜になって冷え込んできたけれど、昼間はまあまあ暖かだった。風が強いのは東京だけではなくて、関西でもそうだと妹が携帯のメールに知らせてきた。
 昼、会社のある駅近くの美容室で髪を切った。チリで正月頭に刈ってからだから4ヶ月経ったことになるが、店のよく太った主人はぴったり言い当てた。カット2100円。安くなったものだ。

 今日も午後から仕事。僕が手伝っているプロジェクトの担当者達は、別プロジェクトが明日から新しいステージに入るというので落ち着かない様子。
 広いフロアのずっと向こうには、ナイスミドルのIさんも来ているのが見えた。使っているのはお下がりだけれど、ちゃんと動く東芝のノート。書類をあっちへこっちへ、コピーしたり印刷したりもする。ふと周りを見渡してみると、まだ慣れているとも言いにくいのだけれど、もう初めてではない風景となったオフィスの像というものがある。

 八王子の駅近くのブックオフを覗いてみた。これも大型の古書店の一種だ。初めて入った。CDを3枚ほど買う。ほとんどは知っている曲の入ったベスト版というのも、買ってみた。ひさしぶりの大貫妙子。
 

突然の贈り物
甘く香る花束
頬をよせて抱きしめる温もり
別れもつげないで
独りぼっちにさせた
いつの間にか六度目の春の日
置き忘れたもの なにもかも
そのままにあるの
幸福でいたなら それでよかった

あなたの気まぐれに
つきあった仲でしょ
いつだって嘘だけはいやなの
必ず待ちあわせた
店も名前をかえた
この街へ戻っていたのね
初めて出逢った時のように
心がふるえる
訪ねてくれるまで 待っているわ

皆とはじめた
新しい仕事にもなれて
元気でいるから 安心してね

   「突然の贈り物」


 坂本龍一の編曲で、彼のピアノと松木恒秀のギターが絡むのがいつまでもあきない。弦と細野晴臣のベースがそれを支えるけれど、なんだか青さがあって、それがセンチメンタルだ。
 昔、試験放送中のFM局にリクエストしたら、かけてくれたことがあった。プロデューサーがいい曲だとうなっている、とDJが言った。

 六年目ね。たしかに、なにか遠い目にさせるものが僕にもある。
 


2001.0421 土曜日
曇り、冷える
 

 午前中、寝床の中。午後から出社。夜更けに帰る。

 出社する前、古本屋に寄った。ブックセンターいとう、という名の店だ。この手の大型でポピュラーな品揃えの店が増えていることは知っていたけれど、初めて入った。文庫ばかり3冊ほどを買ってみる。
 

私は中年男の乗客に「お客さん、収入が少なくても辛抱して、他の仕事についた方が身のためですよ」といった。それは私の偽らざる気持ちだった。

   梁石日「タクシードライバー日誌」

 いや、辞めたいなんて思ってませんよ。
 こういう文章が目に付くだけ。
 


2001.0420 金曜日
曇り、ぱらぱらと降ることもある
 

ちぇき、ちぇき

 仕事を終えて、八王子に戻る。宿には帰らず、M氏と駅近くの店で会う。

 そろそろ代表作と呼べる作品となるようなプロジェクトが欲しい建築家の彼と話していると、話す機会は大切にしなくてはいけない有限なものであって、話題がだらしなく枝分かれして収拾がつかなくなることは、ほとんど悪なのだとさえいえる。そう思っているように感じた。メールでも電話でも、そしてこんな風に顔を合わせて話すときも、そんな態度は一貫している。今日も、話す中で枝分かれしたところまで立ち戻っては、また元の話題や、もっと前に枝分かれしたことについてときどきチェックするのだった。

 誰かと会っていて、たしかにいろんなことを言葉にして語り合うことはあるけれど、最後には一緒にテーマをつかめないことが多い。対話として成り立つものであるからには、枝分かれしていく姿全体を、ちゃんと地図のようにして見ていなければならない。
 ポプラのように枝をむだに伸ばさないように気をつけないなら、あのようにすぐに高い木になることはできない。楠のようながっしりした幹がなければ、あのような葉の茂りを見せることはできない。

 金曜の夜だというのに、店じまいが早くないか?我々は本当の最後の客になってしまった。
 近々の再開を約して別れる。
 


2001.0419 木曜日
午前、小雨降る
 

 携帯電話はJフォンを使っている。しかし、大阪で契約したので東京ではローミングになっている。これが実際損なのか、それともそれほどでもないのか、分からない。会社の近くの代理店で聞くと、別会社のことだから、直接関西の方へ聞いてくれと言う。このせまい日本で、なんでこんなめんどくさい思いをせねばならないのか。旧DDIのPHSを使っていたときは、こんなことはなかったが。

 また仕事は遅くなった。けれど今日は体もこころも軽かった。なぜだろう。やっている仕事が、やっとつかめてきたような気がしてきたからか、それとも忙しくなるに連れて気合いが入ってきたのか。
 そのせいか、帰りに遅い夕食をとったとき、カレーを大盛りにしてしまった。松屋という、安いチェーンの店だ。カレーにも味噌汁がついてきたのは、これは社長の信念であろうか。

 ぶつぶつぶつぶつ。
 


2001.0418 水曜日
曇り
 

 ああ、慌ただしい一日。

 数年つとめた事務所は、ほとんどが民間の仕事だったから、おおやけの仕事が多い今の会社の環境は、前とは大違いだ。ちょっとした言葉の端に、僕の非常識が出る。関係の業者さんの名前や情報のやりとりには、細心の注意がいる。建前というも、これほどがちんと堅い建前もないものだが、感心してしまう。いやあ、恥ずかしい思いをすることたびたびの一日。

 世の中の仕事の中でも、少し特殊な部類に入るだろうから、あんまりサラリーマンしているという気持ちになりにくい。しかしまたいっぽうでは、こうして獲得していくだろう日常が、なにか僕らしくないもののような気もしている。
 僕らしさなんて、いい加減なもので、きっと何年かして摩滅したり付け足したりしているうちに、また少し違った人間になっているだけなんだろう。それがどんな形をしているのかが分からないから、今はなんだかよるべない気持ちなのだ。
 


2001.0417 火曜日
晴れに近かった?
 

 いままで書いたことがあったかどうか覚えていないけれど、同じ会社の違うセクションに試験採用中でひとり、同じチリの元協力隊員がいる。ガッツと男前で名の知れたタイヨー君だ。彼は僕より半年くらい協力隊では先輩だし、会社でもやはり半年近く早く籍を置いている。僕より少しだけ若いけれど、中国の奥地やスリランカでも働いた経験を持っている、おもしろい人だ。
 そのタイヨー君と、初めてランチを共にした。というか、おごってもらった。ふしぎですねー、いやー、ほんま不思議です。同じ関西出身の彼は、そういって首を傾げて見せた。
 林業や関係の土木が専門分野だが、彼の場合は営業的なセクションから修行が始まっている。スペイン語の力を買われてのことでもあるようだ。
 どうあれ、彼のような人がすぐそこにいるということは、とても心強いものだ。これからどんなふうな、そしていつまでの付き合いとなっていくものか知れないけれど、出会いというか付き合いというか、そういうものがふいに密接なものになるということがおもしろい。

 ついに今日は本当の終電。
 


2001.0416 月曜日

 

 昨日遅くから頭痛と吐き気があって、そのため午後まで寝込んでしまった。悪酔いではなかったはずだ。

 夕方になって仕事から帰った父や母と二言三言話を交わして洗濯した服を詰め込み、東京への帰路に就く。

 新幹線の中で日記を書くのは何度目だろう。この数日を、ポストイットのメモと手帳を見ながら振り返り、書き留めていく。

 今月の末頃に宿を変えたら、6月末までそこにいることになる。その間にどこかへ部屋を探さなくてはならない。7月末には一級建築士の一次試験があるし、暇を見て英語の勉強もしなくてはならない。新しいプロジェクトのためのレポートづくりという仕事ももらっている。夏までの、このてんこ盛り状態の宿題達を、僕は本当にこなすことができるだろうか?
 あんまりシリアスになっていても息が詰まる。どうやって楽しみを差し込んでいこうか。そう考えるのは、やっぱり甘いのか。

 そろそろ母親が持たせてくれた弁当でも食べようかな。列車は、今、名古屋へ入るために減速中だ。
 


2001.0415 日曜日
晴れ
 

みんな全然変わらへんで

 モンテス・アルファのメルローと、コノ・スールのシャルドネ。紅白2本のチリワインをリュックに詰め込んで、芦屋は岩園にある永田・北野建築研究所のアトリエを訪ねた。少し懐かしい事務所は高級住宅街の中にある。27歳の永田先生が設計した住宅を、施主の厚意でアトリエとして借りているものだ。ガラスとコンクリートの箱と言える構成だけれど、それが作り出しているのはとても快適な、ヒューマンな空間。僕はこのアトリエ、住宅が好きだ。

 着いたのは2時。今日は3年目で恒例となった、事務所主催のお花見パーティ。僕と同じく、今は退職したかつての同僚や先輩達もいた。
 先生にワインを手渡し、握手をする。お元気で活躍中の様子。かつての所員が来たことを喜んでいただけたろうか。もうすぐ建築雑誌に掲載予定と思われる某証券会社本社ビルの模型があったのを見た。
 庭でバーベキューの宴。明るく楽しく、ちょっとお洒落な集まりは、この事務所の色がよくでていた。先生の人柄に合っている。

 どの人も、みんな驚くほどに変わらないと思う。永田先生のパートナー、北野先生は、この世界の人は、みんな全然変わらへんで、と言って微笑んでおられた。

 京橋で、Wさんと飲み、いろいろ話を。見た目は変わらなくても、中身は少しずつ変わっていくものかなとも思わされた。

 帰宅後、なんだか調子が悪くなった。居酒屋のビールの味が、なんかおかしかったのが気になった。
 


2001.0414 土曜日
曇り時々雨
 

琵琶湖周航の歌

 早朝の大阪駅へ、バスが着く。電車で実家へ戻る道。行き交う人達の風貌や衣服はどことなく暗い気がする。東京がカラフルなだけなのだろうか?若い女性のファッションさえ、このところ大阪の方がシックというか、暗い色彩だ。もっと元気がほしいな。

 車を出した。またドライブである。連れと奈良で待ち合わせ、洗車もせずにまだ黄砂にまみれたままの銀色した軽自動車を走らせる。信楽を抜け、琵琶湖大橋を越えたところで昼食をとる。近江牛の丼もの。ここは道の駅のレストランで、大橋のたもと、湖の畔。最高のロケーションだ。

 湖西を北上していく。湖周道路というのがあって、のびのびした湖北への景色が続く。眠くなり、今津を過ぎたところの桜の下で午睡。起きると夕暮れだった。

 目当てのマキノの湖畔の風景や海津大崎の素晴らしい満開の桜は闇の中だった。降り止んだ雨の中を歩いたが、できれば静かな朝の浜を歩いて、遠く桜の並木を眺めてみたいと思った。

 琵琶湖周航の歌

 米原の駅で連れを見送って、一路高速道路で京都へ。妹の家に立ち寄って、手料理を振る舞ってもらう。こういうことは初めてではなかったか。

 未明、大阪へ戻る。
 


2001.0413 金曜日
晴れ
 

 積算作業の成果をまとめ、数名で先方へ出向く。つい半月も前に、元協力隊員として挨拶にも行った、その同じビルに、今度はシビアな世界の一員(の見習い)としてネクタイを締めて来ているという事実があって、自慢の心よりも、なんだか安堵の思いがある。これからの踏ん張りが肝心だ。

 いろいろものになるのかならないのかは、ただ闇雲にやるだけではどうしようもないところがあって、それぞれに対してきちんと時間をとって、安逸の間に時期を失わないようにすることだ。が、それは、僕にとって最大の難事。相撲取りのように、一番一番を勝っていくしかないのだな。

 この週末と月曜日に休みをもらった。一時大阪へ戻る。
 新幹線の最終に乗り遅れてしまい、仕方ないから深夜バスのキャンセル待ちに滑り込んだ。
 


2001.0412 木曜日

 

 このところ続いた作業の締め切りが明日に伸びた。宿に帰ったのは午前も3時近く。最初からハードなことをやってもらってるけど辞めないでよ、と心配げな上司。いやあ、慣れてますから、と言いながら、この調子が続くのは勘弁してもらいたいなと思っている、その目の底の表情は読まれなかったか。

 それにしても雨が降らない。快晴の日もあった。春のうららかな東京中部から西部の風景は、緑も多くてゆったり。好きになれそう。
 


2001.0411 水曜日

 

 関西の友人達は皆どうしてるかなあ。近況を知らせる葉書を出していない人がまだたくさんいる。

 前の事務所から、花見パーティの誘いの電話あり。後輩所員のY君は、相変わらずの飄々とした言葉。東京にいるんだと会社のエレベーターホールで携帯越しの会話。それでは無理ですねと言われたが、いや、五分五分位だと思っといて、と伝えた。挨拶くらいは行っておかないと。
 


2001.0410 火曜日

 

 帰宅、いや帰宿は午前様。なんだか素直に眠れず、近くのコンビニで買ってきたものでビールなど飲む。コンビニ族の気持ちも分かる。
 


2001.0409 月曜日
晴れ
 

 先週から同じ作業が続く。明後日がこの仕事の、とりあえずのリミットとのこと。やくたたずと思われないよう、まず、最初のこの仕事をしっかり終えたい。

 実家から靴が届く。靴の中に数枚の十円玉を入れておくと臭わないのだと手紙に書いて、その通り30円入っていた。ありがとう。

 昼食はとんかつ定食。夜はカレー。明日は何を食べたらいいんだ?外食って、あきるね。
 


2001.0408 日曜日
晴れ
 

 会社のある駅は、京王線でも特急が止まるということで、少しは開けている。午後から出勤する前に、少しあたりを歩いた。7月からはこちらに部屋を借りないといけないので、いやでも不動産屋が目に入ってくる。選べば安い物件もあるけれど、どうだろう。好みから言えば、広い空間をうまく使い分けする方がいいのだけれど、結局いくつかの部屋がないと困るんだろうな。

 桜の綺麗なまちだ。葉桜になりかけているなか、駅前は桜祭りと銘打って、御輿や太鼓も出て賑わっている。

 夜、調布で食事。
 そろそろ外食にも飽きてくる頃だ。しかしまあ、落ち着いた生活ができないとお金ばかりいることだと思う。電車に乗ったりごはんを食べたり、お茶を飲んだり、買い物をしたり。どれも金がかかる。お金のかからない落ち着いた生活に憧れる。
 


2001.0407 土曜日
晴れ
 

 休み。新宿で建築士試験関係の本を買う。今年合格しなかったら、暗いぞー。がんばろう。
 なにかといえば新宿で動くことになっているけれど、そろそろほかのまちも知りたいと思う。

 ユニクロでパーカーを買う。
 チリへ行く前は堂々とユニクロの紙袋なんて持てなかったのに、この会社は成功したものだ。数年前は「U296」なんて袋に書いたりしていたのだが。
 ユニクロは、例えばシャツのパターンを見ても、値段の割にちゃんと作ってあってそつがないから、僕は恥ずかしながらちょこちょこお世話になっていたものである。このあいだ行ったヨーロッパでもそうだったのだけれど、これからこの手の普通のモノを安くつくる産業は、さらに広がりを見せると思う。しかし、見ている分にはおもしろい格好をしているほうが好きだなあと思う。趣味がいいより、元気がいい方が楽しい。個性的だと言われる格好をした人を見ると、どんどんやれと思う。
 


2001.0406 金曜日
晴れ
 

 土曜だけは休めることになった。かなり嬉しい。おかげで退社のカードを押し忘れた。
 ずっとこんな調子では先が思いやられるなあ。しかしまあ、これくらいは昔あたりまえだったよな。こらえがきかなくなっている。この数年、ゆっくり暮らしたせいなんだな。

 髪が伸びている。いつ切ろうか。この辺を探検したいな。どうしようか。
 ランチに出て仰いだ桜はどれも葉桜になりつつあった。ぐんぐん萌えて、強い調子の緑になっていく桜の葉っぱは好きだ。

 風呂に浸かる。
 


2001.0405 木曜日
晴れ
 

イッセー尾形列車

 そこそこ人数のいるコンサルタント会社のなかで、建築セクションにいる正の社員はわずか10人と少しという。これでやっていけるのは、例えば僕のようなアルバイトであるとか協力者が出入りしているからだ。
 僕は南太平洋の島嶼国とアフリカの小国のプロジェクトに関わることとなった。試験採用らしい扱いをしてくれているような気がする。
 今は忙しい時期なのか、誰もが錯綜する情報そのものみたいにゆったりとしない。ときおり誰もが電話を英語で対応しているのを聞くと、英語が全くできない僕はどうしたものかと思う。
 手始めにやっている作業は、大嫌いな積算のまとめだ。修行僧のような気持ちになって、ここへ来たのは失敗ではなかったか?とか、いろいろ考えても、結局は正解だったのだ、とか。つべこべ心でつぶやきながら観念して取り組む。

 宿は八王子。新宿方面からの遅い帰宅のサラリーマンは、平日というのになべて疲れにまみれているか酩酊に近い酔い客ばかり。こんな光景は見たことがない。どうしてそんなに?どうかしてるんじゃないか?車内で吐いた痕まである。僕も彼らの中のひとり?
 これが東京って言われれば、なるほどなとうなずいてもいい。イッセー尾形の生活形態模写(?)が、まさしく目の前で繰り広げられている。
 


2001.0404 水曜日
快晴
 

上京

 重いスーツケースと若干の本や服の入った箱を宅配便で送り、出発。

 午前7時の太陽の光が、山の緑を透かして差している。桜も木の芽吹きも、つややかだ。新鮮というイメージが、そのまま定着したみたいな風景の中を出発できて、とても幸せな気分。

 東京も美しく見える天気の中を、新幹線が駅に入構する。今月の末まで八王子のホテルで、そのあとふた月を府中のマンスリー・マンションで過ごすことになっているから、まずそれらの場所を訪ねた。先にいい部屋を取っておくためだ。ホテル暮らしの人が多いことにおどろく。

 勤務初日。いきなり込み入った打ち合わせに同席し、面食らう。果てしなく続き、収束する気配がない。苦手なパターンだ。が、全ては勉強。

 うーん。コンサルと言ってもやっぱり建築の仕事って夜が遅いなあと、当たり前のことを再確認した。ひょっとして、と持っていた希望は儚かった。帰宅遅し。あー、またか!
 これが僕の人生だと、早くあきらめなければ。

 どんなかたちであれ、開発を要する地域にもいい建築ってできないだろうか。そのことに挑戦しながら可能性を探ることが、これからしばらくの僕の課題であり仕事だ。その軸足を見失わないように。
 


2001.0403 火曜日

 

 明日は上京というのに、昨日は遊んでしまった。今日だけで準備できるのか?そういう不安も何のその。Mと夜半まで話をしていた。
 あいのりラブワゴン。そんな名前のテレビ番組があって、Mと斜めに見ていた。若い男女がぴいちくぱあちく、ワゴンで旅するというのだけれど、なんとチリがロケーションに選ばれていたのだ。映像で見ると、妙に美しい国だったりするものだなと思う。

 さて、準備。結局、完徹になってしまった。チリに行くときも、帰るときもそうだった。またか。
 


2001.0402 月曜日
晴れ
 

信楽行

 Kと、車で信楽へ向かう。Mのいないのが玉に瑕。
 かつて、何度信楽やいろんな田舎町を流して走ったか知れない。中学の頃出会った僕らは、最初自転車でよく遠出したものだ。全く体力があったものだと思う。そのうちバイクが現れ、乗るモノが車になりしたけれど、相も変わらず田舎の風景の中にいるのが好きだった。おかげで関西一円と言っては大げさかも知れないけれど、ほとんどのドライブ・ツーリングコースはくまなく走ったつもりだ。
 その思い出のコースの中でも一番のお気に入りが、大阪から木津、和束を抜け、高原の国道を走る滋賀は信楽への道だった。

 僕がチリに行ったのとほぼ同じ時期から、Kは病と付き合うことになった。よくなったけれど、まだ療養は続いている。

 仕事で自分の時間がなくなり、流されて惰性に陥っていたときに、足繁く様子を訪ねてくれたのが彼だった。雨の日も風の日も、と言うけれど、本当にその通りをやったのが彼だ。
 あれから今までの僕の道のりは、エキサイティングな暗夜行路というほどものでしかないけれど、ずっと思い描いてきた方向性に照らして、間違いではなかったと思っている。彼は、僕をそのスタートに立たせ、怠惰な背中を押すという、非常に面倒で困難な作業をしてくれたのだ。

 家族を説得して外出の許可をとった彼をひろって、昼下がりのいつもの道を走った。家族は、根負けしたのだと言って笑った。
 大きな河原を流れる木津川を低く眺める道。まだちらほらの見事な桜の老木のある谷の道。
 信楽高原鉄道信楽駅で入場券を二つ買い、狸のスタンプを割り印で押したり、記念に写真を撮ったりと、おそらく端から見れば非常に怪しいこともした。
 帰り道、京田辺の同志社大学キャンパスの脇を通る。黄昏時に入学式帰りの新入生の正装姿が行列をつくっていた。

 彼の家へ着く、そのぎりぎりのときになって、やっと礼の言葉を言えた自分がいた。口惜しいことに、このまちを出るということは、つまりKのところへ顔を出せなくなるということだ。僕は彼と同じことを返してやることが結局できなかった。
 君は君で頑張れ。僕は病気を治す。そういう意味のことを彼は言ったと思うのだけれど、よく思い出せない。けれど、そのときの彼の声のやさしさがしっかりと残って消えない。
 


2001.0401 日曜日
晴れ
 

感覚交換

 まだ冷える。しかし、快晴。

 江東区にある東京都現代美術館へ。広い公園の中にあって、春の空が広い広い。桜花は満開を過ぎてうららか。見本のような花見客がたくさん。

 ここのところ毎週日曜、「視聴覚交換マシン」の体験ができるというのでやって来たのだ。
 これはポストペットを作ったアーティスト八谷和彦さんの、別の代表作である。彼はこういったコミュニケーションアートを得意としている。結構有名な作品なので、知っている人も多いかも知れない。

 ついたときには、もう説明が始まっていた。眼鏡の小柄な青年が、やっと聞こえる声で、とっても親切な説明を行っている(様子だった)。後で知ったが、この人が八谷さんその人だった。

 八谷さんのページはここ。解説もあり。

 順番が回ってきたのは2時間近く後。
 ふたり一組なので、連れと参加した。妙にかわいい専用コスチュームを着たアシスタントの人に、マシンを装着してもらい、陰陽文のサークルの中に立つ。

 マシンの構成は、カメラの付いたスクリーンゴーグル、イヤホン、羽毛の翼の付いた機械入りのリュック。
 つまり、こうだ。自分の見たものが、相手のスクリーンゴーグルに映される。イヤホンからしか聴覚情報がないので位置情報は声の方向でつかむことができない。だから、このマシーンをつけたふたりは、互いの視覚を完全に交換し合うことになる。運良く向かい合って見つめ合うことができても、彼らは互いに自分の姿を見ているのだ。相手が飛べば、自分が下を向いていても、視覚はジャンプ!相手は飛びながら下を向いた画像しか見ていない。少し離れてしまうと、相手に触れることも困難だ。これは、やってみないとなかなか実感の難しい、へんてこな経験である。

 参加者は、それぞれいろんな楽しみ方を編み出していた。僕らのやったのは・・・

  1. あっち向いてほい(左右は難しいから、上下で)
  2. 本の朗読
  3. 八谷さんの顔をスケッチ(相手に八谷さんを捕まえてもらって、僕が手元を見ずに描きとめた。サインを入れてもらった)


 楽しい体験が、キュートなデザインでまとめられているところが良かった。翼にはアンテナが入っているそうである。聞いたら、待ち時間を見学で楽しく過ごしてもらうための工夫でもあるとのことだった。

 感覚を交換することで、自分と他者との境界線を絡ませる興奮。映画の一本くらい、すぐにできそうなアイデアだと思ったら、「マルコビッチの穴」って、ちょっとそれっぽいような気がした。

 夜、帰阪。
 


2001.0331 土曜日
みぞれ、雨、雪
 

 ほとんど桜は満開、であるというのにこの寒さ。横殴りにみぞれが降るなかを出かける。

 井の頭公園は、素敵な公園。乗り換えた電車は凍える桜の花の雲の上を走り抜けていく。

 永福町というまち。大勝軒というラーメン屋。ここを目当てでやって来たのだから、あきらめて行列に加わった。これで東京のラーメン屋に並んだのは恵比寿の山頭火に続いて二度目だ。なにが嬉しくって、たかがラーメンのために並んでいるんだろうかとぶつぶついいつつ、やっぱり自分も待っているのは、これは東京の持っているなにか得体の知れない力のせいなのだ。きっと。

 驚きの一杯千円。びっくりの量。和風だしが意外。

 夜、元チリ隊員の同窓会。調整員のS氏が帰国したので集まった。平成9年春からの歴史では、初代の隊員は今日集えた仲間達が見知った関係の限界だ。
 それにしても僕らの関係は、幼なじみとも学生時代の友人とも、その他いろいろある知り合いの関係の中ではどれとも違った、これはこれでとてもいい関係であることだと思う。
 


2001.0330 金曜日
天気記録せず
 

 午前、会社へ出向く。僕が関わることになるプロジェクトについて、具体的な説明が担当者よりなされる。それによると、勤務の開始は4月4日。来週の水曜日じゃないか。まいったな、という言葉を飲み込んで観念する。これまでほとんど息つく暇もなくやってきたつもりだったが、仕上げは一番慌ただしいことになりそうだ。日曜に大阪に戻ったら、2日間で上京の準備をしなくてはならない。

 人間と同じように会社というモノは、懐に入ってみるとそれぞれ雰囲気が違うものだと思う。東京郊外のこの会社は、プロジェクトを必死にこなすために発生するとげとげしさがないように感じた。なんだかとてもほんわかしている。優秀な人が多いのだろうか?そうでなくては、当然あるべき緊張感に代えることができない。所属するセクションの方々と食事しながら、そんなつまらない値踏みをしていた。来週の今頃は、僕はひとりでベソをかいているんじゃないかという不安の裏返しだ。

 去年の4月に任地を訪れた同期の音楽隊員ユキエさんと新宿で会った。ピアノの先生を育てる仕事をしていた彼女、もうすでに仕事に就いていた。次のステップのための準備を兼ねているそうだ。黒のスーツ。首からストラップで下げた携帯電話。大きな声。きっぱりした生き方。

 阿佐ヶ谷泊。
 


2001.0329 木曜日

 

 上京。なんだか疲れていて、ホテルに着くなりずっと寝ていた。食事に出たけれど、飲み屋でさえ閉店が早くて困った。銀座泊。
 


2001.0328 水曜日
曇り
 

嗅いだり嘗めたり噛んだり

 午前も遅く、Kの電話で起こされた。自宅療養中で暇だから、たびたび電話をかけてくる。僕が東京へ行く前に、なんとか信楽へドライブしたいなと言った。

 あっという間に夜になる。用事が済んだので、少し車を出した。
 京都と奈良の県境付近の田舎に建設が進められている国立国会図書館関西館を見た。すでにガラスのスクリーンが取り付けられ始めていた。いつ竣工の予定だったろう?今年中にはできそうに思える。

 奈良市内へ向かった。じつによく通った東大寺南大門へ。運慶と快慶らによる金剛力士像は、今日も、あ、うん、と睨みをきかしていた。鹿の糞が境内の石畳に落ちており、獣の匂いがふいに漂ってくる。
 JR奈良駅界隈へも行った。こちらはほとんど開発が進んでいなかった。ホールだけが屹立して寂しそうだ。

 阪奈道路を西に向かい、家へ。大声で歌を歌い、抜いたり抜かれたりする車達を見、いまさらどんな新しい感情も喚起されない風景の中を走る。そういうことが、自分をよくつかませてくれるように思える。犬が、記憶を埋蔵させたような物品を、嗅いだり嘗めたり噛んだりするように、僕も今のうちに行っておきたい場所ややっておきたい事柄があるなあと思う。
 Kが、信楽へ行きたいと言うのも、要するにそういうことなのだ。

 明日から数日上京。
 


2001.0327 火曜日
曇り
 

銃殺のまち

 大阪のまちを歩く。心斎橋から難波界隈を。アメリカ村は以前にも増して賑わっていた。若い人が実に多い。三角公園であたりを見回す。みんなのかっこは、元気はいいが似通っていないかな?でも、僕のかっこは、普通すぎて退屈で死にそうに見えるだろう。今、半径50メートル以内の最高齢者を銃殺だ!なんて言ったら、俺が殺されるんだろうな。そんなことを考えながら歩いた。

 帰り道、難波グランド花月前のジュンク堂に寄って本を買う。またこの作家か。でも他人と比べると、どうしても引力を感じるもの。
 


2001.0326 月曜日
晴れ
 

 天気予報では雨が降ると言っていたけれど、暖かな陽の差す好天。

 午前、宝塚花のみちへ。ここはS設計とともに設計をすすめたのだけれど、先方の担当者の一人、センジさんと会った。一緒に食事をし、彼の自宅兼アトリエへ向かった。彼は去年の春、独立して事務所を構えている。

 雑誌の賞を獲得しているこの自邸、古い建て売り住宅を完全に日曜大工のせかいで手作り改造したものだ。あえてローテクで、ざっくり好きなように作ってあった。特に謙遜も自慢もしない、堂々自由な披露の仕方であって、なによりそこに感心してしまった。なかなかこうは行かない。生き方に、てらいがない。

 連れと三宮の山手へ移動して歩いた。昔まとめて見て歩いた安藤忠雄の初期の作品がいくつもある土地だ。今見ると、今の僕の目線から気になってくる点はある。けれど、それらの作品はやっぱり未だに魅力的で、しばらく忘れていたものをあらためて思い出させるような力があった。内包している空間が、建物全体から愛おしまれて成り立っているように思われたから。

 夕刻、兵庫駅で待ち合わせ。神戸市で小学校の先生をしているキースの新居へ向かう。彼も協力隊の同期の元隊員で、パラグアイに小学校教諭として派遣された人だ。今、彼は新婚ほやほやで、文句なく幸せで落ち着いた生活を始めている。
 キースというのはパラグアイで使っていたニックネームだ。えらい気障やな、と突っ込んだら、お前もケンてゆうとったやろが、と返された。
 奥さんの手料理と、持参したチリのワインやなにやらを飲んで、楽しい夜が更けていく。

 話が盛り上がる。ただ、こうした話がストレートに伝わったやりとりができるのは、似たような経験を共有しているからだ。普通の友人とは、したくてもできないことだな。そうキースが言った。たくさんいる、それぞれユニークな友人ひとりひとりと、この経験について話ができたらどんなに素晴らしいだろうと思うけれど、実際にはほとんど難しい。そんなむずがゆい思いのことだ。

 パラグアイからの送別の品が壁に張ってあった。パラグアイ国旗に寄せ書きをしたものだった。
「あなたの周りは、常に人で一杯でした」と書いた一文があった。彼をして一番素敵な部分を、よく言い当てた言葉だなと思って記憶している。
 その彼の夢は、将来エル・サルバドール(エルサルバドル)に義務教育の学校を作ることだ。真剣である。

 キース邸泊。
 


2001.0325 日曜日
曇り時々雨
 

何もしない

 大阪の中心部まで出る。TOEICの試験。会社に本採用になるために、600点をとらなくてはならない。山にたとえれば、僕はその2号目くらいじゃないか?
 いやあ、ほんとに分からん。昔勉強したときは、もう少しましだったのに。スペイン語に英語の脳味噌が乗っ取られたせいだ、ということにする。500点行ってますように。

 4月になれば、またいろいろ勉強だのなんだのとやるべきことがある。今日からしばらく、俺は何にも建設的なことをしない。そういうことにして、帰りに百貨店に寄って高級ステーキ肉を買い、生ハムやフランスパンを買って帰る。母親に料理を頼んで、チリから持ち帰ったとっておきのTorreon de Paredesの高級な赤を開け、みんなで飲む。飲みきれなくて、空けたとは書けない。

 眠気と酔いと疲れとなにやかやがあって、とってもいい気持ち。
 食事の後、酔いこそすれ、何もしなくていいというのは幸せだ。共働きになったら、この幸せを妻にも約束しないといけないのかな。
 ああ、酔っている。
 


2001.0324 土曜日
晴れときどき曇り
 

 昨日電話で合否確認をした協力隊シニア試験の通知が来る。ああ嬉しい。採点結果まであって、驚いた。

 Kの家に行き、すこしドライブ。こいつ、もう大丈夫じゃないかな?完全復活までは、もう近いぞ。

 明日はTOEICの試験。受験料7千円弱を無駄にせぬよう、一応勉強するのだが・・・・。
 


2001.0323 金曜日
晴れ
 

 今の時期は、花曇りとは呼べないのだろうか?まったくすっきり青い空の見えないことだ。晴れても曇りのよう。これが春ってモノだったっけ。

 TOEICの勉強。非常に低級な勉強。付け焼き刃にも、一夜漬けにもならず。まあ、今回は試し。初体験でいいのだ。

 協力隊シニア語学試験の結果が、まだ来ない。痺れを切らして電話する。A級に合格していた。ほっとする。これは一般の検定試験2級相当とされているそうだ。1級が非常に難しいことを考えると、まあまあじゃないの?大変気分がよろしい。

 いちにち家をでることなし。
 


2001.0322 木曜日
晴れ
 

進路を決め、退路を断つ

 諸事情を鑑みに鑑み、進路を決定する。先方に電話。来週、念のため上京し、最終打ち合わせを行うこととした。
 あれこれ言ってきたけれど、途上国開発と建築という分野のリンクするわずかな世界を、より正面から企業活動として取り組んでいる某コンサルタントの方に行くことを決めたのだ。

 本来僕には敷居の高すぎる会社。タイミングや諸々のことがあって、いまだけわずかに開いた門戸だったのだと思う。このチャンスを逃したら、この世界にまともに取り組めるチャンスは二度と回ってこないだろう。反対にD設計のほうは、実にもったいない話なのだけれど、まだ業種としてはチャンスがあるかもしれない。昨日、友人の娘が苺大福の苺だけを食べたように、真っ直ぐ道をつけてみようじゃないか。そう思った。
 ただし、大見得を切るに能わず。まずアルバイトからだ。さらに契約社員から試用がはじまって、うまくいくと本採用になる場合もある。この会社は中途採用しかとらないので、常にそのようにしているらしい。心許ない線路だけれど、まず苺を食べようか。
 もう少し結論は待ちたかったが、返事を急ぐ事情というものもあったのだ。やむなし。

 これで退路は断たれたことになる。
 勤務はいきなり東京。これから上京の時期や住居などの詰めを行っていく。おそらく4月の上旬から中旬が上京の時期になる。

 ・・・決めないといけないからって、昨日今日でなんとかしなければいけなかった。それが、それほど悩まないでできたのは、これはチリで触れたラテン的生き方のせいというものだろうか。そういうことにしておこう。
 


2001.0321 水曜日
晴れときどき曇り?
 

苺が好き

 大学時代の同級生の家を訪ねる。決断を迫られている進路について、相談するためだ。彼は大手の組織事務所へ契約から入っていった経験があるし、なにより落ち着いたものの考え方ができる男である。
 いろいろ情報をもらったけれど、「気持ちの向いている方へ、行ったらええんとちゃうかな」というひとことが、とてもクリアに聞こえた。

 2歳にまだ少し届かない、かわいい娘がいた。苺大福を土産に下げていった。彼女は苺が食べたいらしい。餅もあんこも放っておいて、彼女は苺だけ食べてしまった。こういう素直さのまま進めるときに、進んで行こうか、僕も。
 


2001.0320 火曜日
晴れ
 

 春分の日。

 Mの新居に初めて行った。結婚間近なので、照明やらなにやらの必要な備品を揃えて運び込んでいく。物がないから、室内はまだ広く感じる。

 ひょっとしないでも、僕も近々引っ越しするかも知れない。そのとき、僕はどんなまちで、どんな家に住んで、どんな風景の中を通勤したり帰宅したりすることになるのだろう。それは半月も先ではないかも知れない。それなのに、まだ具体的に分かっていないというのは不思議なことだ。
 


2001.0319 月曜日
晴れ
 

 妹の家を出て、市バスに乗った。月曜は岡崎公園の国立近代美術館が休館かも知れない。だからバスを手前で降りて、南禅寺へ向かった。
 琵琶湖疎水の水を北へ引いていく煉瓦造りの水道橋が塔中の中を通っている。今日も美しかった。
 9時にもならない時間から拝観の窓口が開いていた。4百円を払って国宝の方丈などに入った。

 南禅寺を出て、美術館に向かったが、やはり休館。大阪へ帰る。
 


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