Diario
日々の記録

 
 
 


2001.0318 日曜日
晴れ
 

 日曜の朝は、どのテレビ局も政治関係の番組をやっている様子。朝食のあと二度寝したら森首相と世間話する夢を見た。単純なことだ。

 京都へ。叡山電車宝ヶ池駅近くの茶室。月一回のお茶の稽古。遅れていくと、紅白の椿が分けて床に飾られており、茶の席には不似合いなくらい硬い筆遣いの軸がかかっていた。
 

塔具美和  (塔組みは)
木の癖組  (木の癖組み)
人の心具身 (人の心組み)


 斑鳩寺工 常一、とあった。

 先生に聞くと、奈良法隆寺の宮大工で、薬師寺の一連の復元工事などで知られる西岡常一棟梁の直筆であるとのこと。建築学生目指して浪人していた頃、良く読んだ本の中には、棟梁の著書もあって、言いたいことは一応分かるつもりだった。まさか彼の手で書かれた文字をもって、述懐のような歌を読むことができるとは思わなかった。
 どこか居住まいを正さずにはいられない気持ちになった。

 初心者なので、とにかく基本の盆略点前を練習する。袱紗捌きはなんとか形になったけれど、一杯茶を点てるのも大変な手順の連続。全てが美しいので許しながらがんばっていく。お菓子がおいしいので稽古に顔を出している・・・・、ということも、また真実か。

 妹が越した家は、ここから近い。今夜は泊めてもらうことにして、京都市内へ。初めてかも知れない。妹とふたりで先斗町(ぽんとちょう)で飲んだ。
 


2001.0317 土曜日
曇り時々雨
 

 冷える日。Kに頼まれていた東京土産の芋羊羹を届ける。ひと箱はうちに置いて、残り5箱を渡した。誰にやるというんだろう?

 夕刻、梅田へ。ホテルのロビーで待ち合わせた仲間は、2年半前に壮行会をしてくれた高校時代からの友人達。和食の店へ移動する。Iは夫婦でやって来たし、Nはもうふたりの子持ちで上の子は今年小学校へあがると言った。YもI崎も一児の母。かろうじて独身のM脇も今年結婚することが決まっている。あらためて考えるまでもなく、僕だけがまだ明確な予定の立たない状況だ。みんな、まあ概ね幸せそうだったか。
 落ち着き出すと、こうして久しぶりにあっても慌てて話を継ぐという気になりにくい。ぼちぼちと近況を報告して楽しむ程度だ。もう少しゆっくり時間をとると楽しいだろう。

 帰り道、ぱらつく雨の道を帰る。濡れたアスファルトの狭い路地は真新しい舗装で、まるで凪いだ夜の海面の上を歩いているように、ぬらぬらと黒く輝いていた。
 


2001.0316 金曜日
晴れていたか
 

 新宿でランチをとって新幹線に乗り込んで帰阪。車中では少しばかりの諸々の作業をしておきたかったのに、溜まってもいない疲れのため熟睡してしまった。
 


2001.0315 木曜日
晴れときどき曇り
 

 就職活動は、今日はオフだ。東京の住宅街をうろちょろとする。意外に昔ながらの商店街が元気なことに気づく。大阪の衛星都市では、すでに寂れてしまったようなスタイルの、生活感ある懐かしい商店街が元気だ。天気は春らしく暖か。どこも、ほのぼのとした風景。

 満室のためホテルを移ったが、ホテル側の都合でいい部屋に入れた。くつろげる!

 昼食をとっている頃、先日訪問した某コンサルタント会社の担当者から携帯へ電話があった。採用というわけではないが、それなりに前進という印象の連絡。進路相談カウンセラーのT氏は、何事も3ヶ月は「ならし」だ、頑張っていれば、そのうち道は開けてくるもんだと言ったが、なるほどそうかも知れないという気がしてきた。ともかくカードが一枚増えたのだと考えよう。これはいいことじゃないか。
 


2001.0314 水曜日
晴れがち
 

 今日も就職活動は続く。しかし、採用を期待しているわけではないと言ってもいい。業界にかんする情報収集や、それによって僕自身のライフプランニングの検証ができれば、今はいいのではないか。今はそれしかできないのではないかとも思っている。それが正直なところだ。

 午前、独立系の建設コンサルタントの方の事務所を訪ねた。草創期の協力隊経験者の方によるもので、国際協力案件を得意としている。話す言葉が具体的でリアルだった。

 午後、日本最大級の設計事務所を訪ねた。先日伺った国際建設技術協会の方からの紹介である。この事務所には国際開発部門があり、そこの一員の方に会うことができた。
 途上国における都市計画などにかんして社内留学された経験もあって、今までの誰よりも鳥瞰的で的確かつ簡潔なコメントをされていた。今後の建築やビジネスの潮流についても忌憚のない意見を聞くことができた。いい刺激になったように思う。

 広尾の協力隊ビルへ。進路相談カウンセラーのT氏とあれこれ話す。政府の協力事業の事務方実務者として活躍された方で、相当お偉いというのに、今はシニアボランティアとしてカウンセリングにあたって下さっていることを知った。目の前でいくつかの会社へ電話までして下さる姿には、まったく頭が下がる。それはともかくと言っては何だが、とても楽しいひとときを過ごせたように思う。

 ほか、帰国隊員支援室のスタッフの方、果ては訓練所時代から仲の良かった守衛さんなどなど、いろんな方々が、それぞれの立場で声を掛けて下さった。暖かく、ありがたいことである。そのおかげかどうか、将来に全く不安はない。今蒔いていく種がしばらくすると芽を出して、何らかの結果や道筋を綾なすように構成していくような気がしている。そのしばらくというのがどの程度の長さになるのかは、まだ分からない。

 などと早めの感慨に耽っていると、電話があった。以前のクライアントへ連絡をとるようにとの、昔の事務所の方からの電話。懐かしく、嬉しい連絡だ。これはこれで暖めていきたい。
 


2001.0313 火曜日
曇り時々晴れ
 

 朝、ホテルを出るなり強い風に驚いた。

 午前、国内有数の総合コンサルタント会社へ向かった。大きなグループ会社の中で、ここは国際開発を専門に独立したかたちになっており、建築のセクションも持っている。
 案件はいずれもタイトなものなので、先方の求めているのは文字通りの即戦力であるプロジェクト・マネージャークラスの技術者ということだった。
 応対下さった次長さんは年の三分の二が海外出張で、家族との時間が取れないことは大きな悩みだと言っていた。それに、この世界特有の状況というものがあって、もの作りを追求する段階へとプロジェクトを持っていくのは異常なほどに困難であるらしく、これもまた辛いことであるようだった。

 午後、東京国立博物館へ。以前からの憧れのミュージアム。420円で同一敷地内の5つの施設を観ることができるというのがいい。コレクション自体は、あと少し押しを感じない地味なものと思われた。法隆寺館は谷口吉生の作品で、妙なアピールのない展示施設として成功しているように感じた。ただ、少し地味だろうか。
 


2001.0312 月曜日
曇り時折雪
 

 午前。先週末に建築・都市計画隊員OB会(EVAA)で知り合ったWさんの会社を訪ねる。新橋。非常に厳しい状況なので採用は考えていないとのこと。ただWさん、彼自身ペルーの建築隊員であったので、いろいろ話をして下さった。JICA専門家として広く活動されているS氏のところを紹介してもらう。

 建築家M氏と銀座の商業建築を見に行く。青木淳という人気建築家による「ルイ・ヴィトン」など。
 昼間見る銀座は、日本でも一番高級な商業地区であるはずなのに、なんだこの程度かという景観しか持っておらず、日本人として残念至極である。

 M氏とあれこれ話した後、協力隊の仲間も交えて、代々木のカンボジア料理店で食べる。なかなかいいぞ、カンボジア料理。
 


2001.0311 日曜日
曇り
 

 浅草に初めて行ってみる。おろしそばを食べ、浅草寺へ行く。仲見世から境内へ抜ける当たりの映像はテレビなどで幾度となく見ているが、来てみると小さくてこざっぱりしたものだった。祭りの屋台のように、もっと雑然として盛大なものかと思っていたが。

 さらに葛西臨海水族園へ。建築家谷口吉生の佳作だ。海を背景にして広い水盤を設け、すぐ手前まで水面が連続しているように見える。エントランスには丸いガラスのドームを懸けて、それを水盤の中心に据えている。詩的で、相当に押さえた表現が楚々として好きだ。冷たい大気の下では、それはちょっと寂しげに見えたが。ほか、近くの休憩施設も見物だった。

 夜。先日帰国したばかりの同期の隊員ジュキに日本食らしいご馳走を、ということで、なんと銀座で寿司を食った。どうみても高級そうな店内にはまだ客がおらず、お品書きも置かれていないなかで指でネタを差しながら握ってもらった寿司。まあそこそこというところかな。たしかに米はチリよりもおいしかった。
 


2001.0310 土曜日
曇り
 

 渋谷を徘徊。人が多い。大阪や京都と違って複雑な起伏のある都心だ。こういうのには慣れていないので、とても奇妙な感覚に襲われる。

 夜、数人で中華街へ。飲茶を。横浜は清潔で、建物さえ磨いたように綺麗だなという印象。
 


2001.0309 金曜日
曇り時々晴れ
 

 朝、新宿着。東京は結構暖かに思えたが、あまり三月らしいとはいえない。

 午前、国際建設技術協会という社団法人を訪ねる。四谷の上智大の近く。国土交通省の外郭団体である。

 夜、EVAAに参加する。建築・都市計画隊員による、当該職種の専門OB会。まったく良い人ばかりである。

 電話したD設計は、アルバイトの件が本決まりとなった。あとはいつから勤務を始めるかなのだが、これで手をうつことにするかどうかは、まだ考えないといけない。
 


2001.0308 木曜日
曇り
 

 なにやかやとしているうちに夜になる。ニュースでは南日本の雪の模様を伝えている。鹿児島や博多、四国でも雪の様子。
 深夜バスで東京へ向かう。京都ですでに高速道路は積雪があって大渋滞だ。先が思いやられる。
 


2001.0307 水曜日
曇り時々雨
 

 黄砂が大量に混じった雨が降ってくる。中国の彼方から春の使いが、この雨粒にも大気にも、溶け込んでいるのか。

 休日という母を連れて月ヶ瀬梅林へドライブする。三重と奈良の県境の集落は、山間にあって美しい名のまま、いい川の流れる大好きなところだ。ここの梅林は遅いと聞くが、確かにまだほとんど咲いていないので驚く。
 バスの団体客が大きな地域産品販売の施設に来ていて賑わっている。柚子味噌を塗った餅が振る舞われている。僕らも団体の中に紛れてひとつ頂いた。

 就寝前、神泉という名の酒を飲む。生である。香の焚きしめられたような、高貴な香りがあった。飲みやすいばかりの生酒とは違い、のどを通すたびにいろんな感覚を動員して味わおうと思えた。ふうわり柔らかに酔い、床に就いた。
 


2001.0306 火曜日
曇り
 

 あっというまに過ぎてしまったいちにち。さて今日はどんないちにちだったかといって、どうも思い出せないほどになんだか記憶にない。これは少しもったいない。
 


2001.0305 月曜日
曇り
 

 午前、大阪は天満橋にある設計事務所へ伺った。決して大きくない事務所なのだが、扱っているプロジェクトはいずれも公共の大きな仕事であって、財政事情はいまどき珍しく、そう悪くないと見えた。あいにく現在のところ採用できるほどの余裕がないとのことだった。やはりそう来たか・・・。担当してきた建築だけでなく、CGなどの仕事も気に入ってもらえたので、時期さえ良ければなあと思う。

 梅田で坂口尚の本を買う。これは先日見つけたサイトで短編集の発刊を知ったからだ。亡くなってしまった作家の作品が、今になってゆっくりと見直され始めている。

 作家に近しかった人と以前メールを交換したことがあった。「分かって欲しい、と分かってたまるか、を常に同居させている」と作家は語っていたそうだ。どの作品にも、そんな思いがこもっていると感じる。アシスタントを事実上全く使わず、機会を見ては作品に手を加えたりリライトすることも多かった。僕でもそれは分かったくらいだ。
 予定では8巻までの刊行が予定されているという。ただ、販売が思わしくない場合、打ち切りになる可能性もあるらしい。

 
坂口尚「坂口尚短編集 第1巻『午后の風』、第2巻『紀元ギルシア』」チクマ秀版社

2001.0304 日曜日
晴れたり曇ったり、夜雨
 

 チリに遊びに来てくれたオカモトさんが、今度は関西に来たというので、今日だけ京都散歩にお付き合いする。春の嵐になると予報は伝えていたけれど、自称晴れ女の彼女の前に、京都の空は青空すら見せている。ほんまもんの晴れ女かもしれない。

 東本願寺近くの同寺の庭園、二条城、詩仙堂などを訪ねた。京都では、こういう観光コースを巡ると、都会の中の動きや騒音の世界と、名所内の静的で思索的であったりする世界を往復することになり、それだけで心が揉みほぐされるような気がする。

 小説、つまり独立した文章の世界を作ったことがあるかどうか、話した。そうしたら詩仙堂からの下り坂で、ギターケースと反射望遠鏡を手に提げた男性とすれ違った。たとえば、あの不思議な組み合わせの荷物を持った彼を見て、なにか小説のようなものを作るとしたらどうだ?と聞いてみた。

 いちにちは早い。夜になって旅行から帰るのを見送った。その夜は特に冷え込みが強くて、夜半に雪が舞っていた。
 


2001.0303 土曜日
曇り
 

 午後起床。今日はほんとに休日にする。いつも休日みたいなものだが。

 車のテールランプが切れているのかおかしいので点検。球ひとつ外すのにバンパーを外さないといけないのは面倒だった。こういう作業をこの数年というもの全くやらないので、硬いねじを回すだけでどうにも腕や指が疲れてしまう。そのうち始球式でボールが届かない年輩の要人みたいになってしまうのではないかと、本気で心配している。

 なにもしないうちに夜になってしまった。

 以前は月に一度くらいはひとりで車の小旅行をしていた。そして年に何回かは長距離で出かけた。そうして、ほとんど人と話を交わさないで、景色として流れていく自然や田舎の町並みに包まれて長い時間を過ごすということが好きだった。忙しかったり、繰り返す日々の中では、そういう欲求がいつでもあったのだ。今は環境が違っているけれど、何が自分で何がそうでないのかということを見極めるために、そういうことをしたいと思う。こういうことをストレスの発散であるとか、息抜きと呼ぶのは嫌いだ。

 どうも風邪を引いてしまった様子。チリでは声が出なくなったり、下痢だけが続いたり、高熱が出たりと、どうもやんわり風邪を引くということが少なかった。今回は日本風の、ほんとにただの風邪。たぶん親父にうつされたと思われる。
 


2001.0302 金曜日
曇り
 

 午前、隣の市に住んでいる昔お世話になった方の家に行く。用件が済んでもしばらくお話が続く。こういうのが本当の気さくというのかな。奥さんにも久しぶりにお会いできた。もう十年近い。しきりに懐かしがってくれる。

 午後、大阪へ出る。僕が住んでいるのは大阪も東部なので、市内に出るときが大阪へ行くときなのだ。
 もとJICAの専門家として業務調整にあたっていたTさんのお宅へ。なかなかいい感じに旧市街のスケールが残った街区の中にあった。ホームページを作るというので、僕が知っている範囲のことを伝え、実際にサイトを作った。環境系のサイトである。長く続いていかれるように。
 作業を終えて、食事を頂いた。友人の方も加わって話は盛り上がり、日本大改造案までが俎上にのぼる。
 


2001.0301 木曜日
曇り
 

 帰国を報告するはがきを作った。何をどのように、簡潔に伝えるか。受け取る人達の多くは建築関係で、デザインにうるさい。だから、こういうものを作るということは、そうとう緊張を強いられる。それだけにいままで作れずにいたのだが、もう時間が待ってくれなくなった。

 夕刻、Kの家へ。暇つぶしに数学でもやるかという。とことん変わった奴だ。高校時代の教科書と参考書を貸してやった。

 Mと会った。彼の彼女を送っていく道中、そして帰りみち。もし、彼の車にレコーダーでも載せたら、すくなくとも僕のこころの中で、今、なにが大事な話になっているか、みんな録音できてしまうことだろう。
 それはともかく、彼はきょう、人生のなかで、またひとあしを進めたのだという。彼女と一緒に。そのまま、安穏のままになにもかもが進んでいくとは思わない。強くあってください。

 帰り道、中古のCDを買った。
「LUCY」、大貫妙子、東芝EMI 1997
「2000 millennium BEST オフコース・ベスト」、オフコース、東芝EMI 2000
 すごい選び方だ・・・・
 大貫の曲は、うまいから好きだし、ずっとアレンジを坂本龍一がやっていて、どこかつきはなした空気があるのもいい。ルーシーというのは、初期人類の中で最も古い化石の名前だそうだ。この女性が、人たるものの母なのか。TANGOという曲だけ、坂本の曲のカバーとなっている。
 オフコース。なぜかいちまいも持っていなかった。センチメンタルもここに極まれりという歌の数々。小田和正は早稲田の建築だったそうだけれど、20年経っても十分聞けるサウンドというのは、日本人のポピュラーでは珍しいと思われ、それはきっと妥協のない建築家の気質のせいじゃないかと、勝手に決めつけている。しかし声が高い。一緒に歌えない。
 


2001.0228 水曜日

 

 冷たい雨が、降ったり。そして止んだりした。
 家にいると、きりきりするような静かな空気があったのは、もうこの間まで。着ているものをいちまい軽くするような、暖かさが見える。

 相変わらずも気になるのは就職のこと。そういえば、以前あの人が何とか言ってたな。紹介できる事務所があるよと。とにかく会ってみようかな。何気なく、そんなことを母に話した。
 引っ越した妹のために、昼間ホットカーペットを買いに行く。小さなディスカウントの店だった。通路を歩いていた。そうしたら、さっき話していた人に出会った。十年ぶりかもしれない。電話番号が分からないと言っていたところだった。もう定年で仕事からは身を引かれたということは聞いていたが。お元気そうで。
 偶然と言うには、あまりに偶然な出来事。いい加減なことには希望を持つべきではないが、まあ楽しいことだなと思う。ごく近いうちに伺うことを約しておいた。

 日中、母校の同窓会誌に寄稿する小文を書き、送った。

 今日は早く寝てしまおうと思っていたのに、これも偶然のように、あるサイトにぶつかってしまい、床に就くどころではなくなってしまった。
 たびたび書いている、作家坂口尚。漫画家というと、どうもイメージが違う。
 そのサイトによると、彼の短編集が発刊中だという。漫画は消費されるために出版されるものか、時期が終われば絶版し、その後作品が日の目を見ることはなくなってしまう。残酷なまでに、寿命が短いものなのだ。それを思うと、これは奇跡みたいなものだ。死後見直される作家は、今の時代に似合わないと思っていたのに。
 


2001.0227 火曜日
晴れ
 

 午後いちばん。大阪は肥後橋へ。D設計を訪ねる。
 JICAのT氏が、ここの方を紹介して下さったのは、おそらくほとんど個人的な親切心であったかも知れない。会って下さった取締役も、T氏は役人らしからぬ熱血漢だと評していたか。

 まだいろいろと当たり始めて間もない状態だから、これで就職を巡る環境を判断するのは早計だろう。が、概してきちんとした企業ほど引き締め方は顕著と見えた。設計でもいわゆる意匠系は場合によっては首切りの対象になっていたり、そこまで行かなくても肩を叩かれるということは珍しくないらしい。
 ということだから、予想通り今日のところはすんなり採用とはなるはずもなかった。とりあえず1年程度をめどにアルバイト(契約社員というか、社内外注というか)しつつ、これを研修と考えて欲しいとのこと。こちらの資質と相手とのマッチングがよかったり、予期せぬ展開があれば本採用となる可能性がある。
 資格的にまだ二級建築士しかもっていないのは、痛手とのこと。実際は関係ないんだれど、しかたない。ただしスペイン語は国際事業関係で需要があるらしく、それは評価の対象になるという。その関係で採用されてしまうと、例に漏れず東京勤務となってしまうが。

 途上国開発と建築の関係を見つめ続ける。そのために最もよいスタンスをとるには、こうした大きな組織事務所が向いているのではないか。これが今のところの僕の認識だ。建築というところに軸足をしっかりおくためにも、それがいい。また、ある程度の規模のある集団ということは、実質的に必要と思われる。

 書いておきたいが、実際にチリへ行き日本へ戻ってきて分かったことは、やはり自分は建築をしたいということが第一なのではないかということだ。絶対に譲れないとは言わないけれど、途上国というも先進国というも、千差万別のプロジェクトにおける差異の中にあって、その一部のたてわけに過ぎない。それだけに固執するのは建築者として本来おかしなことだと。そのへんの思いがあって、今は組織設計事務所に興味が向いている。

 まあ始まったばかりだ。これを担保にして、動き回っていこう。

 ネットで個人的な就職の状況まで書いてしまうのは非常に抵抗があるのだけれど、これまでの日記の流れからいうと、そこまで書いておきたいと思う。歩みは、足を上げることにあると同時に下げることにある。今の時期や、今後しばらくの動静まで書かないと、僕にとってこの日誌は片手落ちになってしまうように思える。
 ちょっと、せっぱ詰まっているな。のんびり生活風景をつづれる身分に、早くなりたいものだ。

 久しぶりの大阪のビジネス街は、よく晴れて暖かだった。いい始まり方じゃないか。
 


2001.0226 月曜日

 

 夜、梅田へ出る。協力隊の同期の仲間達と飲む。先日も会ったナオヒッサが、いよいよ明後日コロンビアへ発つからだ。来月下旬、彼の地で結婚するためである。関西にいる仲間達がはなむけの言葉をかける。

 それにしても仲間は結婚ブームだ。今日集まった僕を含めて8人は、ほやほやの新婚1名、まもなく結婚1名、近く結婚2名という内訳。中には逆転サヨナラホームラン的な展開のひともいる。協力隊マジックと呼ぶこともあるけれど、ほんとうだ。そういう場として考えてやって来る人がいても、それはそれでいいんじゃないか?

 健康が基だ。友だけが砦だ。希望が幸せを約束する。頑張れよナオヒッサ。

 ・・・お前もがんばれよ。そう、にわかに頭の上から聞こえてきた。
 いや、ほんま。

 帰宅後、徹夜で明日のための履歴書と経歴書を作る。まったく準備の悪い。
 


2001.0225 日曜日
曇り時々雪
 

初日

 京都へ。修学院離宮が借景となす丸山を望む邸宅の奥の、六畳の茶室。庭の向こうには高野川の清冽な流れがあり、音が届いてくる。炭が炉の中にしつらえられていく。そこにも様式・形式の美は怠りなく追求される。重い鉄の茶釜がかけられて湯のよい音がし始める。点前の稽古もよいが、濃茶の練り加減を覚えることは重要だと先生がおっしゃる。練る茶筅がどんどん重くなっていくのは、顔料のように鮮やかでかつ深い緑色した茶が甘みを増していっているということだ。とある重要な茶室でのお点前で十三回入れたことがあるが、自身納得できたのはそのうち三度だけだと先生が言葉をついでいく。曰くお茶がおいしいことが大切だ。しかし、それに気が取られると作法が乱れることもある。もてなすというのは、茶というのは難しいものですよと。

 エリさんの紹介で、今日からお茶の稽古を始めることにした。ひとつは純粋な興味から、ひとつは日本建築というものをちゃんと理解しておきたい。そんな理由からである。

 生徒さんは八、九人ほども来ていたか。若めの人は、僕とエリさんだけ。特に若い男性は貴重なのだと先生は言った。
 お茶なんて、まねごとを一度やったことがあるだけだった。先生はまだ三十代半ばくらいでとてもソフトかつフランク、そして格好いい男性である。奥さんが、これまた美人である。生徒さん達も親切で素直な方ばかりで、わきあいあいと楽しんでいる。これなら続きそうだ。月一回。

 茶道はたしかに総合芸術だ。茶室や庭といった建築・造園の要素もあり、もちろん料理やお茶の要素もあり、四季の花々や歌の数々、それらを愛でた軸や器、それに道具。このような道具立てだけでも多いのに、美意識や教養、そして哲学でもって全てを束ねなくては茶にならない。
 素人にはわからない趣味的な目ばかり強調されて受け取りがちであったのだが、やっぱり実際に触れてみると、たしかに、とにかくお洒落である事が分かる。ファッションというも、ここまでくれば道となるのか。

 茶の道は、なんと言ったか。武蔵野のようなものらしい。そういう歌が、今日の床の間の軸として懸けられていた。読めない草書をななめに見やりながら、和菓子とはうまいものだと思い、自分の怪しい点前にうっとりし、足の痺れにうなり声を出しそうになる。
 こうしているうち初めてのお稽古は終わった。稽古中、外は、はらはらと雪が止まなかった。
 


2001.0224 土曜日
曇り
 

 深夜バスで東京駅着。朝10時から四谷にて青年海外協力隊シニア語学資格試験。スペイン語で受験する。折角だから、なんでも資格にしていきたかった。ほかにインドネシア語やらブルガリア語やら。まあこれだけ多様な言語の試験を一斉にやるのはここだけだろうと思う。

 今回はわりと優しい筆記試験だった。正午過ぎから面接試験。個室に入ったらガイジンが一人座っている。メキシコ人だそうだ。

1.最近の青少年問題について
2.21世紀における日米関係について

 どちらかについて述べよと言われた。すでに僕のスペイン語はかなり辛い状態。まあなんとかなった。僕によると、日本はもっと自立していかんとならんそうだ。経済的にも軍事的にも。米中関係の間に立ってるし。ほんまかいな。ということで、なぜか2を選択したのだった。
 それにしても聞き取りもすこししんどくなっている。長いセンテンスを美しい言い回しでやられると弱い。

 試験は点数によってA級とB級に別れる。さてどうなるか?

 新幹線で大阪へ。夜妹の引っ越しの手伝いを。
 


2001.0223 金曜日
曇り
 

 スーツを作った。ついでに礼服も買った。さらについでにズボンも3本買った。しめて約10万円だった。つらい。でもまあ、安く上げた方だろう。

 チリでどうして服を作ったりしなかったのかと思うことがよくある。例えばディオールで上下を買っても、日本円で2万円したかどうかだったと記憶している。カシミアなどの高級ウールのコートなんかもそんな値段だった。
 


2001.0222 木曜日
晴れ
 

 車で宝塚へ向かう。世の中ちゃんと労働する人で溢れており、道路が混んでいる。

 素晴らしくぽかぽか晴れた天気に、午後早い陽光はほとんど春。「花のみち1番館・2番館」と名付けられた店舗と集合住宅からなる建築は、柔らかなクリーム色して嬉しそうだ。就職に当たり、職務経歴書に入れる担当作品として、この建物をカメラにおさめる。

 この作品は数グループによって争われた設計競技に勝って実現されたものだ。ほかのグループの作品がどうであったか、はっきり覚えていないし、そもそもきちんと見ることもなかったが、どうあれ我々の「花のみち」で本当によかったと思う。花のみちがどういうものであるべきか、ということは、永田祐三によって示されたこの作品がよく物語っている。「・・・であるべき」などという考え方自体、失敗への入り口であると思える。
 まあそう大上段に構えるものでもない。でも、花のみちが、「花のみち」によって、ほんとうに花のみちになったように思う。震災復興と聞いたときの悲壮感はない。宝塚は、ころんでもただでは起きなかった。

 調子を崩して勤務を休んだ筈の母を連れてきていた。「かわいい花」という小さな店では、本物の小さな花々を樹脂でコーティングして、アクセサリーにしている。マーガレットを気に入って求めていた。
 


2001.0221 水曜日
曇りのちぱらぱら
 

 午前、梅田へ。協力隊の進路相談カウンセラーのところへ行ってみる。そういうものがある。これまであれこれとやりとりのあったのは東京の方。今度は大阪の方だ。
 行ってみても就職斡旋、という雰囲気ではなかった。これはケースバイケースなのだろうと思う。行くほどのことではなかったけれど、頭の中を整理するきっかけにはなったろうか。カウンセラーを勤めている方は、メーカーの人事部長をやっておられたという。関西弁によるはっきりした物言いが豪壮で、気持ちがよかった。彼は薬もオブラートで包むことはないんじゃないか。

 いったん家へ戻り、とある設計事務所と連絡をとる。僕が考えているよりも、事態は先の方へと進んでいた。ワープ。そんな風に言った方がいい。さて。

 夕刻、もう一度梅田へ。エリさんと待ち合わせて百貨店の茶道具売場へ。和装品が低い視線の中にずらりと並んでいて、目に優しい華やいだ色彩。
 袱紗、懐紙、扇子、楊枝、懐紙入れ(だったか?)などを買い求める。安いものだなと思う。お茶を飲みつつ、今度の稽古について聞いておくべきことを。
 おっかなびっくりだ。まだまだ自分にとって新しい世界は多い。茶道がいくら古いものであろうが、やっている人達にさえ、それはいつも新しいものであるらしいというのに。

 百貨店の柔らかで明るい店内は、どこもかしこもぴかぴかして、新品ばかりおいてある。そういう風景が何回も思い出される。
 


2001.0220 火曜日
覚えていない
 

 テレビで、この二日ほど暖かだと言っている。そうだったのか。室内にいるので分からなかった。春になると、家ごと暖めてくれるようになるだろうか。

 夜、妹の引っ越しを手伝う。一人暮らしは初めてではないけれど、今度のは長くなりそうだ。

 引っ越しの帰り、本屋へ寄った。「心の先史時代」という本を探しています、というと、あいにく切らしているとのことだった。勧められても買うところまで行くことは希なのだが、これは欲しいなと思わせられた。
 仕方ないので、ちくま文庫の「YASUJI東京」を買う。杉浦日向子。帰宅後読んだ。このように、ほかの都市を描いたものも読んでみたいと思った。
 

武蔵野は月の入るべき山もなし
草より出でて草にこそ入れ

この原野の上に
今現在展開されている
<東京>という現象は
人々の想念のカタマリだ。
人々もまたこの地の<意>によって
吹き寄せられた<動く土>で
家並やビル群は生い茂る<葦>だ。

原野が私達に夢を見つづけさせる。

踏みしめるアスファルトの下の<原野>を想う時
嬉しくて懐かしくて
身ぶるいがする。
そしてこれは
生まれてからずっと
感じたかったことの
ような気がする。


と書いて描いて、そして
 

なんだか
あんしん
しちゃったよ


と主人公に言わせている。
 


2001.0219 月曜日
覚えていない
 

 アメリカ大陸の最南端には、パタゴニアがあるが、たぶんもうそこはパタゴニアと呼ばれないと思われるのだが、何かにつけて「世界の果て」と呼ばれる本当の南端がある。僕もマゼラン海峡からその地を望んで、これほどまでに水平な世界は見たことがないと思った。ティエラ・デル・フエゴだ。火の地、という意味だろうと思う。そこから葉書が一枚届いた。
 


2001.0218 日曜日
曇り
 

 今年の冬は、なんだか曇り日が多いように思われる。清澄に冴え渡るような、冬の朝の青空が見たい。

 午後Kの家へ遊びに行く。ほぼ週に一度の割合で訪ねることになってきた。彼とは趣味が合うわけではないので、どうにも手持ちぶさたになる。できれば外出してしまいたいのだが、そうもいかない。大人になってしまうと、どうしてこう不器用なトキの過ごし方しかできなくなってしまうんだろう。

 はなはだ運動不足。食欲は旺盛。体に脂肪がついてきたのが分かるようになってきた。1キロか2キロ増えただけなのだが、この差が大きく感じられるのは、もともと体形がやばい境界線上にいるからだ。
 腹八分目を意識すべし。しかし、運動はどうしたらいいのだろう。
 


2001.0217 土曜日
曇り時々晴れ
 

 航空便がひとつ届いた。嬉しい荷物があって、これだけで今日はなかなか幸せ。

 夜、I邸にて鴨鍋。男が3人、がつがつ。
 買って帰ったワインを、今日初めて自分で飲んだ。カスティージョ・デ・モリーナのカベルネ・ソーヴィニョン。この間阪急百貨店で見かけて、なんだかがっくりもし、嬉しくもあった銘柄。うまい。Iも、そこそこ気に入った様子。
 スペイン語圏の音楽をいろいろかけてみたが、反応は今ひとつ。多少玄人受けはするはずだと思うのだが、僕の選ぶ音楽というのは、どうも万人受けしない。ようするにポップでないということなのか?
 


2001.0216 金曜日
曇り
 

アトリエ分析

 これから必要になってくる書類やポートフォリオのために、各種のプリンターの用紙を買ってくる。2年前にくらべて、どうも安くなっている。

 暇ではあるのだけれど、処理しないといけないことってあるものだ。溜まってしまう前に、ひとつづつ、ぱっぱとやってしまう。うまい順序とか体系を考えるよりは、たいていの場合目の前のものを順にやっていくほうが早い。僕はロバ並の脳しか持っていないので、目の前にあるものを全体で捉えると、そこで迷ってしまうからだ。

 昨日の話の続きのようだが、建築家の作業空間というのはおもしろいもので、雑誌などで見かけたり実際に訪れてみると、その傾向は大別してふたつのパターンになる。
 あくまで見てくれの比較に過ぎないが、ひとつは整然として無駄なものがなく、ゴミひとつ落ちていない、いかにも建築家の事務所らしい空間。もうひとつは、大学の製図室なみに散らかっていて、図面や書類、模型が作業台(製図台だったり、ただのテーブルだったりする)という作業台にばんばんのっかっているタイプだ。

 僕の経験では、全体としては、すっきり整然タイプよりも雑然タイプのほうが多い。これは作業空間の大小ではなくて、散らかっている事務所は、どんなに広くても散らかっているし、整然とした事務所は、小さいなりにやはりすっきりしてチリひとつ落ちていない。
 広いのに雑然タイプの代表格はオランダのレム・コールハース率いるOMA。同じく伊東豊雄の事務所も結構混沌として見える。小さいのに整然としている(いそう?)なのは日本の斉藤裕(少し字が違う)が上げられると思う。安藤忠雄の事務所は小さくはないが、かなり整然としているほうだろう。谷口吉生なんかも、きっと整然としているに違いない。
 恣意的だけど、研ぎ澄まされた清澄な空間を作風としている作家の制作空間は、やはり同じように整えられているように思われるし、先端的なデザインポリシーを感じさせる作品を多く出している事務所は、錯綜した情報やいろんなスタッフの意見が飛び交っている様子を見せて混沌としているようだ、という印象がある。
 そのどちらでもない、ごく平均的な事務所ってどうなのか。これはね、中間なんです。平凡ってやつです。
 机の上には、その「ひと」が出るという、結局はそういうことなのかなともいえるが、文学などを含めた作家たちのなかで、作業場を覗いてみて最もおもしろいのは絶対建築家だと思っている。機会は少ないが、もしテレビや雑誌で見ることがあれば注目してみることだ。

 僭越ながら、僕はどちらか。整然を目指しているけど、混沌として崩れているといった感じだろうか。つまりは平凡?
 いや平凡でない。あの散らかり方が普通と言えるのか。友人はそう言ってくれる。そういう非難も、僕が先進的な建築をやる人間であることを補強しているように聞こえてくるから不思議だ。

 ちょっと無理がありましたか。
 


2001.0215 木曜日
雨のち曇り
 

 思いついては設計事務所などのウェブページを覗き、ファイルしていく。そうしていくと、これからの時代、建築を含むプロジェクトを進行させていくスキームのありかたというものは、どうも設計と施工がはっきり別れる傾向に進んでいくらしいということが分かる。設計施工を一貫してやってしまう総合請負建設業(ゼネラル・コントラクター=ゼネコン)の立場がどうなっていくのか分からないが、欧米流にプロジェクトのマネジメントは独立させて、クライアント側に寄り添うようにしていくほうが自然だということだろうか。

 書類や資料、書籍の整理が付かない。とりあえずチリからの荷は開けてしまって押し込んであるが、どうしたものか。アルミの腕木の上にMDFボードを載せただけのアトリエの書架は、危ういくらいにものを載せて、いつ崩れるか分からない。地震でも来れば、金属疲労で一発でいかれてしまうだろうと考えてぞっとする。
 その一方で、頭の中で理想のアトリエと家具を描いて、しばしうっとりしてみる。
 


2001.0214 水曜日
晴れたり曇ったり
 

繋がり

 家の窓から見える雲間の空が、はっとするほど青い。このまちの背景をなす飯盛山の斜面は雑木林で、冬枯れの落葉樹の林が低い山頂まで続き、木々の枝先は品のあるシックなグレーに輝いている。

 昨日からどうしたものか胃がとても元気だ。何をいくら食べてもすっきりと幸せな満腹感があり、しばらくするとまた腹が減ってくる。太っていくときは大抵食い過ぎが続いて、いつも満腹感が消えないものなのだが、今回のようなことはあまり経験がない。運動不足なのはずっと前からつづいていることだから、せめてあまり食うまい。

 先日一緒に九州に行ったエリさんから、茶会に呼ばれた。ありがたく乗る。

 夜、Mから電話。友達って、ほんまありがたいもんやなあと言うと、横の繋がりはだいじにせんとあかんで、と。

 寒い一日。しかしこの間まで過ごしたチリは、今頃がバカシオネス。夏のバケーションのまっただ中だ。この冷たい空気の中でも、あの輝かなチリの夏が今同時に思い描かれる。
 明るいノガレスの街路は、今ごろアルムエルソ(昼食)の時間で静まり返っているだろうし、ビーニャの金のプラジャ(砂浜)には、凍えるほどに冷たい寒流の大波が打ち寄せて、束の間霧を発生させているだろうとかいう風に。
 


2001.0213 火曜日
曇り
 

歌舞伎を見る

 近くに住む同期の元協力隊員マキちゃんを誘って、歌舞伎を見に行く。難波は松竹座。市川猿之助の二月大歌舞伎。僕らはふたりとも歌舞伎を見るのは初めて。

 母からもらった只券は5列目の中央で、最高の席。
 菅原伝授手習鑑から「車引」、長唄囃子連中付きの「黒塚」、それから人情劇の「一本刀土俵入り」の3本。

 最初の作品は大変形式張ったものでちょっと難しいのだが、その分何もかも新しく感じて楽しかった。ほとんどおっかなびっくりである。特に日本語による発音表現には、これほどに表情があったのかと思い知らされた。見たこともない動物が鳴くのを目の当たりにするような感じだった。
 「黒塚」は、バレエなどから西洋劇の技法を多く学びつつ洗練されてきた作品とのことで、なるほど眠くなることもあったけれど美しかった。筋も気品があった。
 最後の作品は、そのまま演歌歌手の特別講演の演目になってもおかしくないようなものだったが、分かりやすく庶民的で、それが僕みたいなものには歌舞伎を楽しいものと印象づけさせた。

 今日の出来はよかったのかどうか分からない。が、観衆の盛り上がりはどうも今ひとつのようだった。大阪の人は非常にクールな反応をすると思っているので、いい評価がされていないということだったのか。

 和食店で夕食。どうも腹がよく減る日だ。帰り道、ふたりでドーナツでお茶をする。
 


2001.0212 月曜日
曇り
 

福岡旅行3日目

 磯崎新の初期の名作、北九州市立図書館を見る。実際に見て気が付いたが、最近の氏の作品との類似点があって、興味深かった。

 北九州市立美術館。これも磯崎作品。斜面地に堂々と建てられた、彼らしい作品。企画展のせいか、とても人の入りが多かった。
 アネックスと名付けられた増築があって、地域の美術活動の成果を主に発信している。こちらがなかなか楽しかった。数名の元気一杯のアマチュア絵描きさんの作品は、見ていて元気をもらえた気がした。ああいう絵を描いてみたいな。

 名残惜しく、夕刻、S野くんと別れて僕とエリさんは関西へ戻る。
 彼には実に世話になってしまった。早く大阪へ来てもらって恩返しをしないといけない。昨日のひれ酒に匹敵するものを、彼にはお返しせねば。たこ焼きでは怒るだろうし・・・。
 S野くん、それにエリさん。素敵な連休をありがとうございました。勉強もできました。これは、いい旅でしたよ。
 


2001.0211 日曜日
晴れ
 

福岡旅行2日目

 今年の寒い冬には珍しいほどの、いい陽気。

 福岡市博物館や福岡アジア美術館(の入った建物)を訪ね、日本設計の作品だったと記憶している複合施設アクロス、それにアメリカの設計事務所によるキャナルシティなどをばんばん見る。
 福岡はバブル崩壊後も、しばらく景気の勢いを持続し続けることのできたまちだけあって、都心は巨大な商業施設で埋まっている。それらは大概複数の用途の施設をパッケージした複合建築で、ストリートの片面を信じられないほどの長さで埋め尽くす壁を持っていた。京都駅ビル並の規模のビルが、いくつもある。そんな印象を受けた。
 が、客の入りが当初予想を大幅に下回るようなケースは、やはりあるらしかった。

 夜、下関へ向かい、「ふく」づくしの料理を頂く。ここではふぐとは言わない。音からして有り難い、白い魚よ。

 この宴席には、エリさん、S野くん、僕の3人のほか、繋がり繋がって、さらに3人の女性が加わっている。いずれの方も文化財関係のお仕事をされている。大学資料館、地域資料館、それから建築文化財の専門家の方々。
 世の中、こうして真面目に文化財を発掘し、研究し、守り、更に広く世の中へ公開していくために、それこそ一生懸命になっているひとがいるものなんだなあ、と、真剣に感心する。僕は建築をやっているけれど、それは全くビジネスの世界から離れることのできない分野で、文化財という考え方からは、実はとても遠いところでしかやっていけない。それだけに、彼ら彼女らの取り組みというものが眩しく思われた。
 それから、そうそう。美術館や各種資料館の展覧会を運営している側の人から聞くはなしというのは、楽しいものだった。開展30分前に、扉の中で学芸員達が走り回りながら展示品のキャプションを取り付けている姿など、想像したこともなかった。どのようなことも、当たり前ではない。ほほえましいほどに手作りなのだ。

 ひれ酒。黙っていたけど、本当にうまかった。なぜ黙っていなくてはいけなかったか。車を運転するため、ふくを目の前にしてお茶しか飲めなかったS野くんの隣では、それは禁句だったからだ。

 夜更けの門司にも寄った。下関を対岸に望んで、静かな港はきらきらと明かりで飾られていた。
 小倉泊。
 


2001.0210 土曜日
曇りのち晴れ
 

福岡旅行初日

 始発の新幹線で博多へ向かう。エリさんと一緒だ。昨日から結局一睡もしていなかったというのに、おしゃべりに夢中のまま、九州に入ってしまった。

 S野くんはブルガリアの考古学隊員だった。彼のいる北九州と、近くの博多を訪ねること、それから下関のふぐを食べる。これがエリさんのこの旅の趣旨で、僕もそれにのっけてもらうことになったものだ。

 エリさんは日本美術のコレクションで名の通った美術館の学芸員である。S野くんの、同窓の親しい先輩。文化財というポイントで、彼らの専門分野は繋がることができる。建築とは、遠いけれど、まあ浅からず繋がっているし、僕は多いに興味がある。

 政令指定都市の北九州市、小倉に降りて、車で博多へ向かう。

 河口のまち芦屋で、茶釜の資料館を訪ねる。ここの浜で採取された砂鉄から作られる芦屋釜は、古来珍重されてきたという。
 僕は茶室の図面を少しだが引いたことがある。その癖まったく茶のことは知らない。ふたりから解説を受けながら真剣に見る。
 きれいなものだなと思う。ひとの愛着というものを、これらの器具はちゃんとうけとめられる。

 博多の湾を眺めながら車を走らせる。博多は豊かな港を持っているうえ、周辺の自然が美しい。さらに日本の都市には珍しく地下鉄で数駅行けば空港にも行ける。遠望した大都市は、なかなか素晴らしいバランスを持っている様子を示して、ごみごみした大阪からの客人を羨望させるに十分だ。

 福岡市美術館へ。前川国男の作品だ。常設展示の中には、最近購入されたというダリの大作もあった。

 「海だったり、空だったり」、だったりしたろうか?そういう名前の海鮮居酒屋で夜の食事をする。3人で楽しいおしゃべり。出される料理は、同じような値段でも、大阪にくらべると量が違った。
 九州。いいところじゃないか。

 博多泊。
 


2001.0209 金曜日
晴れ
 

 昼頃、東京のカウンセラーT先生から電話あり。さあこれから動くからねということで、確認事項。まさか無給ではないだろうが、しかしまったく素晴らしいボランティア精神というべきか。スペイン語ではボルンターということばは、やる気を意味する。頭が下がる思い。先生、たのんまっせ・・・・。

 午後、梅田へ出てスペイン語の経済用語の本を買う。その際、偶然、坂口尚の文庫本を発見する。彼は5年前に亡くなった漫画家。手塚治虫の愛弟子というか、信頼された作家である。講談社が、彼の長編3部作を文庫化していた。彼の理想を追求する姿が、大出版社をして、死後、作品をのこさしめたということだろう。僕が現在持っている漫画の本は、単行本としては彼のものだけしかないが、それは決して捨てられない、なければなんとか探したい、どうしても残しておきたいと思わせるものがあるからだ。

 その三部作とは「石の花」、「あっかんべえ一休」そして「VERSION」である。また忘れてならない物語集「12色物語」がある。
 今日は、持っているのだが、これまで未収録だった短編がボーナスに付いていたという理由で「VERSION」上下を購入した。
 今、なんとしても欲しい、読みたいのは「12色物語」である。誰か情報をもっていたら教えて欲しいと思っている。

 坂口尚。彼の作品が、ひとりでも多くのひとに読んでもらえたら。

 おっと勉強。しかし、やっぱり読んでしまった。気付けば夜中。
 


2001.0208 木曜日
薄曇り
 

 午後、京都の母校へ。よくぶらりと訪れもし、仕事でも来ることが多かった京都。北山へは出町柳駅からバスで向かう。懐かしい地名のアナウンスが流れる。2年と少しという時間ではこの千年の都は変わらない。が、急に立派になった洛北高校の校舎などが目に付いたり。いや、よく通った牛丼屋はそのままだったり。

 学内の校舎は増えてはいたが、恩師の部屋はそのまま。もう何年ぶりだろうか。確か退職直後に一度会ったので、5年も経っていないか。

 チリから持ってきた飲んだこともない銘柄の、最も高価だったかと思われる赤の一本を差し上げる。先生は年々優しくなっていくように思う。訪問を喜んで下さっている様子だった。一人の建築者として、好奇心というと野暮だが、そういう心は今も全く衰えない様子。話してわくわくされるのが、僕も一番嬉しい。

 院生室で暫く遊んで帰った。僕らの頃とは違って、今は就職が本当に厳しい時代だということを、やっと実感した。あの頃はあぶれる奴などおらず、先生が全員の進むべきみちを割り振って下さっていて、ほとんど誰も就職活動めいたことはしていなかったものだ。

 先に希望が持ちにくいのって、どうも学生の志気をを落としてはいないか。そう感じた。そんな中でひとり元気だったのは、インドネシアからの留学生ヘルナンさんだった。ちょうど今日、院の合格発表だったという。

 今度ゼミその他を集めて僕がレクチャーをせよと言われる。恥ずかしいが、何か伝えられるものなら伝えたいし、彼らのどこかに新しい引き出しがくっつくかも知れない。

 廊下で同級だったKとばったり。今は助手か。他にも数名大学に残っている。そのうち会いたい。

 学食できつねうどんを食べて帰ることにする。この間行った東京芸大にくらべると、ここ母校は身綺麗とはいいにくい学生が多い。俺はどんな格好をしていたろうか。ここでは携帯電話を見ることがなかった気もする。
 ここは、時間がゆっくり流れている、いまどき不思議な空間なのだ。そういう台詞を頭の中で言ってみる。
 


2001.0207 水曜日
覚えていない
 

 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をやっと見たのは、そう。5日の月曜日だった。どうにも割り切れないと言うのか、へんてこな気持ちになってしまった映画だった。

 Kの家に夜、訪問し、夕食を頂いた。調子はよさそう。肥満対策に母親が作ったという豆腐入りのハンバーグがうまかった。

 あのビョークの映画。巷で感動だと宣伝されているが、それはちょっとずれてるんじゃないだろうか。たしかに悲しくて、どこか美しくもある映画ではあるのだが。

 その昔、NHKのFM放送で、映画「第三の男」の音楽をやったツィター奏者を題材にしたラジオドラマを聞いたことがあった。アントン・カラスといったっけ?あの奏者。(違ってたら教えて下さい)
 若い日本人女性がハープの修行をあきらめようとしていたとき、彼と交流するストーリーだったように思う。
 「負けるものには、負けるものの音楽がある」
 と、ドラマ中のカラスは言った。映画でビョーク扮するミュージカル狂いの女性を見ていると、その台詞が思い出された。しかし、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に見るその負け方、その音楽には、ほとんど型というものががない。負けるものたちは、例えば負けるものの音楽をよすがに生活をつなげていけるかも知れないという、そういうフィクションが通用しないレベルにまで型というものがない。どこまでも止まらないで進むうち、彼女のたどり着いたところは絞首台だったのだ。
 あの映画に、あえて整理することなんか意味はないのかも知れない。が、あそこまで行ってしまったら、彼女のよすがだった「ミュージカル」が「負けるものの現実」と対決させられてしまう。絶望と救いが、なんであんなふうに隣り合わせにさせられないといけないのだろう。

 Kよ、現実はそんなにコンパクトじゃない。
 そんなに何度も言うなよ。4月になったら、僕らはあそこへドライブに行くんだ。分かってる。俺は俺の目標を、その間かたちにするよ。
 


2001.0206 火曜日
雨のち曇り
 

 東京からの夜行バスは、8時間かけて大阪駅へ到着。あれだけ東京は天気がよかったのに、こちらは雨だ。

 夜はスペイン語の勉強。忘れていく速度というのは、全く甚だしい。日本語だって、日々使うから忘れないでいられるだけなのだろう。

 夜半、ここ数日の日記を編集しつつ、キー入力していく。久しぶりだ。楽しいものだなと思う。
 


2001.0205 月曜日
曇り
 

 ここ数日過ごしてきた東京は、日中、夜、共に風は冷たいものの、寒さはそれほどでもないという印象。あまりに寒いと、僕はいじけてしまうのでありがたい。

 銀座。
 国土交通省のM氏とは、去年の暮れ、互いに旅行中のオランダはロッテルダムで出会った。その時のことをまだちゃんと覚えて下さっていて、今日の機会を作っていただいたわけである。上司のS氏が、以前建築分野でJICA専門家として赴任した経験を持っているので、昼食の時間を利用して引き合わせて下さった。ありがたい話だ。

 S氏は、メキシコで3年近く地震対策関連の仕事をされていたという。若かったろうに、たいしたものだ。
 種々伺った話のなかには、かなりいい情報源もあった。ようし。

 夜遅く、大阪行きの高速バスに乗り込む。約束のある往きは安全をとって新幹線だったが、帰りは雪で幾ら遅れようと構わないのでバスだ。安い方をとらなくては。
 隣は卒業前の学生だった。久しぶりの大阪弁が耳に優しい。大阪府警に就職が決まっているという。警視庁の試験も、ついでに受けに来たのだと言った。人情味のある、さわやかな警察人の卵だった。
 こちらは就職活動やねん、と言うと、頑張って下さいねと励ましてくれた。君は警察やろ?あんじょうよう頼むで。
 


2001.0204 日曜日
天気不明
 

心根のきれいな時代

 夜までずっとホテルを出ず。気持ちよく寝ていた。

 カレーで夕食。
 チェーン展開しているような小さなカレー屋って、なんだかどこも似た雰囲気を持っている。店長や店員のキャラクターが、少しのサービスの動作や言葉に見て取れてしまうようなところがある。だから、よくがんばっている店は気持ちがいいし、適当な店はなんだかつまらない。

 阿佐ヶ谷のホテルに泊まっていた。近くに夜半まで開いている書店があった。中規模の真面目な書店で、本屋に来たなという喜びをくれた。文庫本ばかり4冊を買う。ホテルに戻り、買って帰ったドーナツと適当に作ったビールのカクテルを飲みながら読み始めた。

 小林秀雄「モオツアルト」。これはかっこいいけど、やはり調子が異質な文体(あれは日本語というよりフランス語?)と語りについていくのが辛く、すぐに次のに手をつけた。

 他のも読みつつ、うって変わって宮本輝「私たちが好きだったこと」。
 以前からなんだか変わった題だと思っていた小説の一編。僕は読むのが遅いのだけれど、結局読み切ってしまった。どうも大阪弁で素直に読める彼の作品は性に合うなというところ。これはちょうど僕の年代の男女4人の物語だった。多少は自分に引き寄せて考える部分もあった。

 読後、昨日訪ねた叔父夫婦の話を思い出した。
 大学を出て就職後、すぐに結婚と出産、そして子育て。大会社に勤務しているとはいえ、慌ただしく貧しかった時代の話。間借りの部屋からスタートしたと語るふたりの顔はノスタルジーに浸っていたか。いいや、少しも懐かしげではなくて、まるで昨日のことのように、今もなおそんな暮らしを続けているかのようだった。ただたんなる、甘い記憶ではないのだろう。そんなふたりが、とても素敵だった。
 彼らふたりの間にある、語られようとして特に語られはしない、いちいちのことというものは、今でもリアリティを当時のまま失わずにいるのだと思われた。微笑みながら切り離せる、そんな過去ではないというところだろうか。

 小説にも、叔父夫婦の話にも、なにか似た匂いを感じた。僕も卑屈にはなりたくないな。

 小説家は「心根のきれいな時代」と書いていた。
 


2001.0203 土曜日
晴れ
 

 午後、東京芸術大学。大学美術館というのがあって、藤木教授の退官記念展が行われている。藤木教授。知らない人である。僕は今日、M氏に誘われて、関連行事のシンポジウムを目当てにやって来たまでだ。

 「前世紀後半、住宅は進化したか?」というのがお題。
 内容はまあどうでもいいようなものだったかも知れない。ただ若手建築家として活躍中の塚本由晴氏は切れる奴だとよく分かった。彼の目や口元を見ているだけで、なんだか自分のそれらがゆるんでいるような気がしたもの。それにナンシー・フィンレイさんもなかなか。がつがつしないでチャンスをものにできるって、やっぱり人種が違うなと思う。あ、ほんとに人種が違うのか。
 M氏は、友人達がこういうシンポジウムなんかに興味が薄いらしいと嘆いていた。僕はおもしろかったよ。

 調布の叔父夫婦の家にお邪魔して、夕食を頂いた。東京にいる時間があったのに、挨拶にさえ行けずにいたので、気になっていたのだ。
 結婚のなんのという話題になる。僕は何事も、半分以上ひとごとみたいに話すことができる特技があって、結局彼らのカウンセリングみたいな具合になった。そういう話の仕方が、お互い楽しいということもあって自然。

 この間生まれた孫の写真を見せながら、叔父はほんとうに子供みたいに喜んだ。どうやってもこの幸せや喜びは隠せない。そんな風で失礼ながら、かわいかった。

 料理、ごちそうさまでした。大変おいしかったです。チリワイン、モンテス・アルファ、おいしかったでしょう?
 


2001.0202 金曜日
曇り
 

 新幹線で東京へ。痛い出費。

 午後3時。国際協力事業団市ヶ谷総合研修所。
 Y氏は、建築設計・監理分野の国際協力専門員。当該分野では彼が唯一の専門員だ。先月、協力隊の技術顧問I先生に紹介していただいた方。四十台前半の男性。
 6時近くまで、種々お話しして下さった。ただ頭が切れるだけでなく、誠意とか情熱のこもった言葉を持っている人だと感じる。大変幸運。
 今後の進路を考えるに当たり、彼の話は全体を俯瞰するために力になる。ただしかし、彼のような立場には、なろうとしてなれるものではない。そういうことがよく分かった。彼でさえ、成り行きに任せて取り組んできた結果が今だと実感しているらしかった。

 6時半、飯田橋で待ち合わせ、Y 、それにタカコさんと食事。彼らふたりは既によき人生のパートナーだ。
 彼らの家に今日は泊めてもらう。家具のほとんどは、Yの設計と組立によるもの。ちゃくちゃくと独立の準備は整っている様子だった。どうにかこうにか、うまい具合に独立していってくれよ。

 持参したコノ・スール社の赤ワインを。ひとりチリの思い出を消費するように飲むのもいいけれど、どうせなら仲間にあの国の文物を宣伝しておきたい。

 今度、また来い。ふたりで来い。そう彼らに言われ、嬉しく暖かな気持ちになった。
 きっと来るから、またよろしく。
 


2001.0201 木曜日
曇り
 

 夕刻、Kの家へ向かった。
 自宅療養とは辛いものだ。彼の家へ行くまでは、日に何度か電話をもらったりする。こちらもまだ無職だから、あいつも暇に任せてそうするんだろう。持て余す時間、そして寂しさがよくわかる。
 


2001.0131 水曜日
晴れていたか
 

 協力隊の進路相談カウンセラーT氏と電話で話す。規則や制度上の問題もあって、就職の斡旋は行っていないのだが、かなり良心的に動いて下さっている様子。その間、関係の企業の研究をしておくようにとの指示がある。かなりほっとする。心が晴れるような思い。
 このまま、そううまくいくとも思わないと自分にいい含んで置いても、なんだか歩く足が軽い。
 


2001.0130 火曜日
曇り
 

 アトリエにしている部屋を、やっと使えるかたちにできた。崩れそうな書棚の向かいには、畳一枚分もある大きな白い天板の机を置いていて、これがすっきりしつらえられていないと気分が出なかった。
 よし、という感じだ。

 夜、M脇と近くで飲む。
 


2001.0129 月曜日
晴れ時々曇り
 

 JICAに電話など。片づけも。アトリエの棚が山積みの本の重みで落ちそうで心配。

 そう言えば今日は地震の夢で起きた。先日起きたインドの地震のショックからか。大変怖い夢だった。

 備えよ。さなくば、さらに憂いあり。
 


2001.0128 日曜日
曇りだったか
 

 夜、M達と車で宝塚方面へ。Mは、今日、両家の正式な挨拶を済ませてきたばかりだと言った。結婚の話だ。助手席には、今、彼女が乗っている。彼女の家へ送って行くところなのだ。ああ、ついにこういう時代が僕らに来たのねえ。
 さて、結婚式はいつになるのか。それは今度集う僕の帰国記念鍋パーティーにて発表されるはずだ。

 宝塚。手塚治虫と宝塚歌劇のまち。しかし、僕にとってはまた別の意味を持っているまちだ。
 駅前再開発事業として、また震災復興事業の一環として建設され、去年竣工をみたプロジェクトコード「花のみち」は、事務所勤務時代最後の担当作品だ。13階建ての集合住宅の低層部3階は商業スペースで、駅から宝塚大劇場へと続く「花のみち」に沿って、やさしく楽しく、立体的な街路を展開している。
 夜で、しかも雨降りではあったのだが、僕は仲間と一緒に、この「花のみち」と初めて対面した。

 立派にできていた。竣工が終わるまで、ちゃんと監理をしたかった。申し訳なかったという思いと、この2年あまりの歳月、そして関係者の努力を思った。
 


2001.0127 土曜日
雨のち曇り
 

 昼間ほとんど休んでいた。夕方になって伊丹へ向かった。

 阪急伊丹駅は震災で無惨に全壊したので、今はすっかり建て変わってしまっている。周辺もちょっと様相が違うらしい。待ち合わせたヨシフミ君とナオヒッサがそう言った。ヨシフミ君はこの間もあったボリビアの元隊員。ナオヒッサはコロンビアだ。どちらも同期である。いわゆる同じ釜の飯を食った仲というやつだ。

 ほかでもない、ナオヒッサは向こうの彼女と3月に結婚することになっている。今日はちょっとした祝いである。が、本当の祝いの会は、今度みんなでやることになった。ということでいいだろうか。思わず割りかんにしてしまっていたのに、書きながら気付いた・・・。
 いずれは二人で日本に帰って来るつもりらしい。将来設計について、あれこれと心配の声があるそうだけれど、どうして彼は希望に満ちているし戦略もある程度持っているようだった。今の彼にとって全ては障害というよりも、乗り越えることを待っている課題だ。

 がんばれよ、ナオヒッサ。なんだか、君たちはきっと幸せになりそうな気がするぞ。伝わってくるんだ、何かが。
 


2001.0126 金曜日

 

 夕食をKの家で頂く。ニンニクを効かせた鳥の唐揚げ、味噌汁などがおいしく、3杯もごはんが進んでしまう。その後、テレビで「もののけ姫」を見、さらに「探偵ナイト・スクープ」を見る。療養中とはいえ、ただ家にすっこんでいてはあまりに辛かろう。いつか彼がしてくれたようにはいかないが、まあ僕が時々飯でも食いに行けば、ちょっとは気晴らしになるかもしれないと思っている。
 長居。

 玄関を出て別れる。雨が降っている。冷たい。「飲ませて下さい、もう少し」と「氷雨」のワンフレーズが出てくるのがしみったれているなと思う。しかし、本当に冷たい雨の夜というのは、雨音以外ほんとうに静かだ。車のエンジンがなかなか暖まらず、しんとしたなかをのろのろと走る。
 


2001.0125 木曜日
冷たい雨
 

 荷解き、片づけ。まだ終わっていなかったのかと自分でも情けなくなる。また引っ越すだろうから、どこまで意味のあることなのか。

 就職で要求されると聞いたTOEICの模擬試験をCD-ROMでやってみた。
 実は中学レベルの英語さえすっかりスペイン語に置き換わってしまった(というと聞こえがいい)ので、ごくごく簡単な単語や文法事項さえ怪しい状況なのだ。このことは、帰路変更旅行で寄ったヨーロッパで嫌と言うほど自覚させられていた。例えば、人称代名詞とかBE動詞は、忘れてしまってとっさには出てこなくなっているし、YESかNOで答を迫られると、思わずSI!と答えてしまう有様だ。なので、今僕の暇なときに読むことにしている本のタイトルは「中学・高校6年分の英語が3週間で分かる本」である。電車の中だと少しだけ恥ずかしい。
 と、長い言い訳をしたうえで、今日の模試のスコアを。449点!かなりひどいけど、思ったよりましだというのが正直なところ。
 目標は600点。昨日申し込んだ試験の実施日は3月25日である。150点アップって、やっぱり難しいんだろうなあ。なんとかならんか。

 ちなみにスペイン語の検定試験も受けようと思っている。就職活動との時間的精神的な比重のかけ方が結構難しい。甘い考えや行動は避けないといけない。
 


2001.0124 水曜日
曇り
 

 大阪、日本橋の電気街へ行く。

 携帯電話を契約、購入。J-PHONEである。これが通話料を比べると安いのだと聞いていたので。デジタルカメラが付いた機種を選んだ。カラー液晶と言い、着信音といい、そしてこのカメラといい、えらいことになっているなと思う。
 使い方がよく分からない。料金体系が飲み込めない。その辺が困る。

 ソフマップで、パワーブックのキーが売られていた。かなの印刷されていないほうがかっこいいからと、交換したい人がいるのだそうだ。セットで買わないといけなかった。こんなプラスチックの小片に5千円も払うのは合点がいかないが、まあ、仕方ない。

 帰り道。駅から家までの十分間。ごちゃごちゃと建て込んだまちの街路を、右に左に折れながら抜けていく道。足が覚えていて、僕は下を向いたり上を仰いだり、考え事をしながら歩いていればいい。昨日もそうだったが、家に着く頃になんとなく出される考え事の結論は、毎回実行されないでいる短期、中期の予定を立てることだ。

 昼間過ごしやすかったのに、なぜこんなに冷える?

 夜半、Mとドライブ。国道307号線は、滋賀に入ったところで路線が付け替えられていた。この道の先に信楽がある。きれいで大きな道が抜けてしまうと、その先のまちのイメージまで変わってしまうように思われた。
 


2001.0123 火曜日
曇り
 

 午後、大阪キタの中心、梅田へ。語学関係の参考書などを買う。就職へ向けての準備の一環ということなのだが、どこまで意味があるものかと自分で疑ってもいる。

 スペイン語には、JICAでやっているシニア語学資格と文部省認定の検定試験がある。どちらかだけでも資格というかたちとして残しておきたいものだ。英語の方はTOEICのスコアの提出を要求する企業もあるので、これも取り組むことにする。が、続かないかも知れない。600点が目安らしいのだが、これは僕にとって越えられそうにないレベルなのだ。
 が、千里の道も一歩から。時間のかかりそうな目標には、とりあえずとりかかっておくのがいい。投げ出すのはあとでもできる。やり始めるのは今だ。・・・だからなんだ?などと言うなかれ。そう自分に言い聞かせた。

 夜更け。帰国までの旅行の写真があがったので、サービスでもらった簡易アルバムにそれらをおさめ、続いて豆腐で酒を飲んだ。
 飲みながら、昼間ついでに買った小説を読んでいた。そうしたら、数日前親父に買ってやったが好みでないから吸わないと言われた軽めのピースが気になって、珍しく一服吸いたくなった。
 キッチンの換気扇の前で、吸えないタバコを吸ってみた。しかし、思ったほどのうまさはなかった。

 いつか子供の頃、親父に連れられて行ったパチンコ店で、知らない男が吸っていたタバコの煙が、「紫煙」と言うけれど本当にそんな色をしてきれいだなと思ったことがある。幼いなりに確かめた銘柄は「ピース」だった。煙の香りも、どことなく香ばしく、この男がピースを吸う理由が分かる気がしたものだ。
 普段全くたばこをやらないし、たばこはむしろ大嫌いなのに、どうかした拍子で欲しくなることがあるのかと、少し驚いた。まるで思春期の少年が、新しい自分の感情に驚き、喜んでいるような、そんな気分だ。
 


2001.0122 月曜日
曇り
 

 それほど寒くない日だった。このくらいなら、寒さでめげないで済む。

 荷物の片づけを少し続けた。先日親父が近所へ持っていった一本を引いて11本となったチリワインを並べて楽しんだ。それぞれのボトルやラベルのデザインが楽しい。誰にもやりたくなくなってくる一方で、あの人にはどれを持っていくのが「効果的」だろうかと、胸算用的な思案をしたりもした。

 夜、M脇とファミリーレストランで会った。2年ぶり、お互いつもる話で窒息しそうな感じだった。一生でも、こんなに胸の膨らむ思いをする時期というものはあるまいと思われる。いい季節にいるな、今はそういうふうに形容したい時期だ。それくらい、僕はともかくとしても、彼は掛け値なしに素晴らしい時期を、今、過ごしている。

 今年の秋、ひとまずのゴールイン、スタートを、大事な人と切るのだという。ほとんど愛しいまでの思いで応援したい。俺のほうもしっかりしなくては、と思う。
 


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