Diario
日々の記録






image: サボテンの花

 

2000.1208 - 2001.0102

  チリを去って、ただ今旅行中。
 再開と再会は、正月も半ば過ぎになります。

 薄く柔らかな花弁が、けして硬く鋭い棘に傷つけられない。不思議なサボテンの花をよく見ました。

 帰ったら、厚くきっぱりとした椿を楽しみにしたいと思います。

旅行中の緊急連絡は、このアドレスへどうぞ。
matsuokachile@hotmail.com

 では。



2000.1208 金曜日
たぶん、晴れ

チリを出る

 7日にコンピュータも閉じて送ってしまうため、はじめて日記を先に書いてしまった。実際の8日、チリ最後の日は、どんな日になるのだろう。

 今日で協力隊というプログラムを利用した2年間のチリでの生活、建築活動も終わりだ。振り返ることは今はできないので、それは帰国後の作業である。

 ともかくも、ほんとうに多くの人々のお世話になったことだという風に、本心から思う。帰国後、きちんとした再出発をすることが大切だ。

 できるならひとりひとりに会って、お礼を申し上げたい。チリ人に、日本人に、バスク人に、パレスチナ人に、アルゼンチン人に。

 これから旅行だ。
 年が明けて新しい世紀になり、2日。僕は帰国する予定。
 それまで、オランダ、イギリス、スペインを回り、現代建築と古い建築、まちなみを見て来る。

 では、さようなら、チリの大地よ、海岸よ、アンデスよ。
 また、来ます。必ず。


2000.1207 木曜日
薄曇り、のち晴れ

 スーツケースなどをアナカンにて送る。こまごまとして慌ただしい、最後の準備。
 今日でインターネットの契約も終える。来年に入ったら、また日本からアップすることになる。

 夜は、どこかで洒落た食事をする予定。


2000.1206 水曜日
晴れ

 サンティアゴを散歩。
 はじめてこの都市に来たときのように、マリア像のあるサン・クリストバルの丘に登り、大サンティアゴを見渡した。遠くアンデスの山並みにはまだ雪があった。このひとつきで雪解けの水は一気に多くなり、マポチョ川のミルクティー色した流れは、今は奔流だ。ノガレスをかすめるアコンカグア川もそうだった。

 買い物をして、夜はショー付きのレストランへ。正装した男女がエスコートして踊りに参加させてくれる。僕も、チリの伝統の踊り、クエカに誘われ、群に加わった。全くたどたどしかった。

 昼間あれほど暑かったというのに、夜はひんやりとして爽やかなのは、大阪の夏にはないよさだ。


2000.1205 火曜日
晴れ

無関心な豪流

 今日も暑い。昼間は出歩きたくないほどだ。

 午前、大統領府であるモネダ宮殿へ。内務省の地方開発局(?)の担当次官のオフィスへ帰国の挨拶に伺う。市役所などの自治体関連の職場を任地とした隊員が対象だった。
 今月帰国するのは僕を含め5名。ノガレス市役所の僕と、隣のカレラ市役所の千春さん、サンティアゴから南へ行った農村ワラニェ市役所のヤスヒサさん、それに同期のサワコさんは地域の障害児の父母の会に勤務した。この4名が自治体関係と言っていい。あと教育関係では、ノガレスの農業学校で先生をしてきた同期のごっちゃんも帰国する。

 こうして表敬に行くと必ず聞かれるのは、帰国後の進路状況だ。もう決まっているのかと問われ、僕らは毎回苦笑いしながら、いいえ、と答える。どうせ聞くなら何か応援してくれないものかと思うのは、虫が良すぎると分かっている。が、いい加減その質問は虚しいですよと言いたいな、そんな気分になる。

 午後、チリ銀行の口座を閉める。

 あと数日で世話になったチリを後にするというのにサンティアゴは全く大都会で、僕の感傷などには無関心の様子だ。雑多な数え切れない人間がそれぞれを生き、どんどん時間と共に物事が移り変わっていく。一人を振り返ることができそうな気がしたノガレスの静けさは、ここにはない。だけど、時間の流れに素直になろう、身を任せて先へ進もう、そういうつもりなら、一定期間の生活を締めくくるのは都会が適当だと思う。
 帰国後、また新しい生活を始めるだろう大阪や東京は、さらに無関心な表情で、とてつもない豪流のように音を立てて動いている。


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