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Diario
![]() 再開と再会は、正月も半ば過ぎになります。 matsuokachile@hotmail.com
2000.1208 金曜日 チリを出る7日にコンピュータも閉じて送ってしまうため、はじめて日記を先に書いてしまった。実際の8日、チリ最後の日は、どんな日になるのだろう。 今日で協力隊というプログラムを利用した2年間のチリでの生活、建築活動も終わりだ。振り返ることは今はできないので、それは帰国後の作業である。 ともかくも、ほんとうに多くの人々のお世話になったことだという風に、本心から思う。帰国後、きちんとした再出発をすることが大切だ。 できるならひとりひとりに会って、お礼を申し上げたい。チリ人に、日本人に、バスク人に、パレスチナ人に、アルゼンチン人に。 これから旅行だ。 では、さようなら、チリの大地よ、海岸よ、アンデスよ。 2000.1207 木曜日 スーツケースなどをアナカンにて送る。こまごまとして慌ただしい、最後の準備。 夜は、どこかで洒落た食事をする予定。 2000.1206 水曜日 サンティアゴを散歩。 買い物をして、夜はショー付きのレストランへ。正装した男女がエスコートして踊りに参加させてくれる。僕も、チリの伝統の踊り、クエカに誘われ、群に加わった。全くたどたどしかった。 昼間あれほど暑かったというのに、夜はひんやりとして爽やかなのは、大阪の夏にはないよさだ。 2000.1205 火曜日 無関心な豪流今日も暑い。昼間は出歩きたくないほどだ。 午前、大統領府であるモネダ宮殿へ。内務省の地方開発局(?)の担当次官のオフィスへ帰国の挨拶に伺う。市役所などの自治体関連の職場を任地とした隊員が対象だった。
こうして表敬に行くと必ず聞かれるのは、帰国後の進路状況だ。もう決まっているのかと問われ、僕らは毎回苦笑いしながら、いいえ、と答える。どうせ聞くなら何か応援してくれないものかと思うのは、虫が良すぎると分かっている。が、いい加減その質問は虚しいですよと言いたいな、そんな気分になる。 午後、チリ銀行の口座を閉める。 あと数日で世話になったチリを後にするというのにサンティアゴは全く大都会で、僕の感傷などには無関心の様子だ。雑多な数え切れない人間がそれぞれを生き、どんどん時間と共に物事が移り変わっていく。一人を振り返ることができそうな気がしたノガレスの静けさは、ここにはない。だけど、時間の流れに素直になろう、身を任せて先へ進もう、そういうつもりなら、一定期間の生活を締めくくるのは都会が適当だと思う。
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