Diario
日々の記録

 
 
 
 


image:マルタ
km: 同僚のマルタ  

シンティアの相棒。 
ハチドリみたいな元気な子  
市役所の中庭にて  


2000.1022 日曜日
晴れ
 

ジュニア世界陸上チリ大会

 午後、国立競技場へ。今日は先頃から行われているジュニア世界陸上チリ大会の決勝。
 爽やかな晴れになって、フィールドの芝は青く、トラックは赤く、美しく輝いていた。

 ジュニアばかりだというのに、各国の選手はもう大人の容貌。そして美しい。ジャマイカやキューバの短距離選手は、ほとんど彫刻のよう。

 日本の選手もいる。4x100メートルリレーでは、強豪を抑えて、なんと3位入賞。銅メダルで表彰台に上がった。

 トラック競技のゴールに位置する席で見ていた。フェンスで仕切られた隣のカテゴリーの席には、応援する選手達の姿があった。日本の子たちもいる。大会の終わりにはいろんな国の若者達が肩を組んで記念撮影する姿があった。たくさん友達を作りあったろう。彼らのうちのいくらかは、またいつかどこかのスタジアムで再会する選手に成長することになるのだろうか。

 僕の見ることのできた競技のうち、長距離系の大半はケニヤが優勝していた。何度彼の国の国家を聞いたことか。戦士の栄光を讃えるような、なかなかに感動的な曲だった。

 広い空間で、そして美しい色彩の中であくまでもフェアに行われる陸上競技の大会。見るのは初めてだった。独特でモダンな、そしてとても爽やかなイベントで、帰るときには気持ちが良くなっていた。
 


2000.1021 土曜日
曇り
 

 寒い曇り日。韓国料理の店に仲間と行く。昨日あれほど食べて飲んだのに、今日も食べた。僕はまだまだいける!

 夜にかけて日本文化展のパンフレットづくりを。さてこのイベントは、来てもらう人達に喜んでもらえるものとなるかどうか。
 


2000.1020 金曜日
晴れ
 

 午前、IER(農村教育センター)本部近くの、同組織がやっている民芸品の店SUCAMP(すかんぷ)へ。
 かねてより欲しかったこの国のポンチョなどを購入。羊毛の機織りによるもので、大体3万ペソ。6千円。他の場所だと、たぶんもっと高いのではないか。日本円だと、やはり3万円とかするんだろうか。
 Kへのプレゼントにはマフラーを買う。ほかにも何か選びたいな。彼には恩義を感じている。古い響きだけれど、他にいい言葉が見つからない。気に入ってくれるかな。

 午後旅行会社でチリから日本への帰路旅行の飛行機を予約してしまう。

 夜、機関誌掲載のインタビューをする。JICA事務所のYさんを囲んで。
 大阪出身のYさんは途中入団。数年東京で勤務して、2年前にチリに赴任してきた。
 学生時代からの楽しい話もよかったが、次のチリの秋には初めての子供を持つとのことで、その話題になると本当に嬉しそうだった。
 いろいろと話を聞いているうち、なかなかできた人だなあと思うようになった。今まで、少し誤解していたところもあったな。
 その後、機関誌担当のみんなと共に飲みに出る。更にサンティアゴに2件しかないカラオケにまで。2年ぶりだ。カラオケはいわゆる日本風のスナック。偶然チリ全国紙エル・メルクリオの記者とカメラマンが取材に来ていて、僕も数枚の熱唱写真を撮られた。聞くと、日曜日に付く小冊子に日本文化としてのカラオケが紹介されるとのこと。もしかして、近日中に僕はチリデビューするかも知れない!いや、そりゃ女性が載るよな。
 カメラマンの機材はキャノンのEOS-1。銀塩カメラかと思ったら、デジカメだった。画像も見せてくれた。もうこうして業務にも使われているのか。
 


2000.1019 木曜日
曇りのち晴れ
 

社会開発住宅シンポジウム

 バルパライソ・カトリック大学主宰の貧困者住宅にかんするシンポジウムにクラウディアと共に参加。朝早くから夕方まで。参加者30人程度にはもったいないほど充実していた。
 今年で初回だそうだ。毎年の開催が望まれる。
 たくさんの住宅政策担当のソーシャルワーカーや建築家と顔見知りに慣れた。願わくば、1年前にこんな経験がしたかったものだ。
 


2000.1018 水曜日
曇りのち晴れ
 

 一日中雑務に追われ、まともな仕事ができなかった。これが今の仕事か。
 帰国の準備を考えると、働けるのはのこりひとつき。とてもじゃないが足りない。もし、間に合わないものが出てきたら?
 そのときはトンズラするまでだ!

 仕事があるから、その誘いは断る。それは止めておく。そういうことは、この際しない。何もかもやろう。全てはチャンス。全ては喜び。何かを知る最後のチャンス。
 帰国後もこんなふうにいけたら、大切に生きることができるんだろうな。
 


2000.1017 火曜日
曇りのち晴れ
 

 新しい我が家の住人達がやってきた。今度も市の診療所で実習する看護学生達だ。名前はまだ覚えられない。今までに増して陽気で元気のいい子たちだった。夜が更けるまで楽しいお喋りで家は明るかった。みんなそれぞれ、またもや美しかったりと魅力的なのだった。

 終日、来週月曜日から始まるノガレスでの日本文化展の準備に忙しい。合間を見て、レターサイズの告知というか招待状というかポスターというか、を作る。
 ことごとくチリのペースで進むので、会場押さえが本当にできているか(後から予約を取り消されていないか)や機材の調達が間に合うのか不安だ。止まってしまいそうで、しかし何とか前に進むオンボロバスといったイメージ。全てがぎりぎりになってしまう。
 

桜梅桃李

 自分の本来の仕事もまた、滞りそうなペースになってしまっている。帰国と帰国後を思い、焦る。仲間の隊員(ボランティア)のなかには、次の進路をちゃくちゃくと切り拓いている人もいる。かすかな嫉妬と根拠のない競争心が沸くのに自己嫌悪しながらも、それを薪としてくべて、ちゃんと地に足をつけていこうと思う。
 ようやく薄暗闇になろうとしている夏時間の市役所のパティオを、そう自分に言い聞かせながら2、3周歩いた。

 桜梅桃李という言葉がある。どの木も、それぞれに花を咲かせ実をつける。桜が李を咲かせることはできないし、その必要もない。自分の花を大切に咲かせることだ。
 あの人は、いま蕾を膨らまそうとしている。花の前には蕾があることをちゃんと知っているのだ。僕もそのように蕾をつけていこう。大地や風、雨などの恵み。頼るべきものには頼り、利用できるものは利用しながら、花を咲かせ、実をつけたい。借りはそれで返せる。
 だから今は、小さな蕾や木の芽をつけていこう。ひとつひとつ、たくさん。年毎に大きな木になるように。

 三十過ぎた男の言う言葉じゃないなあと思い、また焦る。
 


2000.1016 月曜日
晴れ
 

ちれ・ばりお Chile Barrio

 午前、チレ・バリオによる住宅地開発、というより街区開発のプロジェクトに関して、公共事業課の建築家ベルナルドと住宅施策担当のクラウディアとを相手に会議。というか、質問会。
 このプロジェクトは、これまで動きが鈍かっただけで新しいものではない。実現までにはこれからまだまだたくさんの停滞を誘う要因があって、それらをちゃんと片づけなくてはならない。

 チレ・バリオは、政府の生活改善プログラムの一種らしい。クラウディアの説明に寄れば、その特徴は次の通りで、なかなか意欲的なプログラムだと思う。

チレ・バリオは、

  • 新しく街区を作る
  • スラム等の住民が地域丸ごと新街区に移住する


3つの側面から、プログラムを進める。

  • 居住環境の整備
  • 住民の組織化
  • 各種の教育・研修


一般にチレ・バリオによる新しい街区は、低価格ながらよく整備された環境を持っている。

  • 広場などの公共空間
  • 集会所
  • 場合によっては(常に?)教会
 午後、今度はずーっとやってる貧困者住宅関連の打ち合わせ。都市住宅局(公団と金融公庫がくっついたような組織)の県代表のエリカさんと秘書、それからカトリック大学バルパライソ校のマヌエル・エルナンデス教授が来訪。この教授は建築家で住宅政策の権威でもあるらしい。なんで来たのかは、よくわからない。どうも都市住宅局の顧問をやっていると思われる。(いいかげんだな)

 このプロジェクトは250世帯と大所帯でもあって、なかなか前に進まない。現在、造成と上下水道計画が滞っている。会議の内容からは、関係各者の連携がとれていないことが原因と伺われる。一帯誰が頭をとっているのかよく分からない。そういうなかで唯一のいいニュースは僕の住宅設計案2案の存在だそうだ。嬉しいが、それではまずいだろう?

 僕が席を外してからも会議は続き、入居者組合の代表者達も加わったとのこと。僕の住宅は彼らにも好評だったそうだ。少々面積が大きいが・・・。
 日本なら、どんないい材料で武装したところで、この類の計画の住民を加えた会議は紛糾するものだ。チリ人は人がいいなといつもながら思う。
 


2000.1015 日曜日
曇りのち晴れ
 

夏時間

 今日から夏時間。1時間時計を早める。これによる生活上の最も大きな変化といえば、昼が長くなることだろう。今の時期なら7時近くまで明るいのだが、これが8時までは暗くならないということになる。真夏なら9時過ぎまで明るい。言ってみれば、アフターファイブのお楽しみが大きくなるということだ。
 例年夏時間への変更は10月第2週の土曜から日曜にかけて行われる。もとに戻すのは、3月のことになる。ただし、この日付の決定は国がその年ごとに決めることだから、前後の変動がある。たとえば渇水で節電を迫られていた去年の春は、4月まで夏時間が続けられた。

 夏時間の良さというのがなんなのか、よくは知らない。節電はそのひとつだと聞くが、日本にあてはまるかは怪しいだろう。昼の活動時間が長くなると言うことは、暑い冷房の入る時間が長くなるということにならないか。夏時間の導入は、結局するんだったかどうだったか。

 ついでに。この制度のめんどくさい点は、変更日をちゃんと知っていないと飛行機の時間などを間違える可能性があることだ。現に昨日任国外旅行に出発していった陽一郎君は、「金曜の夜、夏時間に変更説」というのがあったので、多少あたふたしたのではないだろうか。
 また、秋になって時計を戻すときは遅らせることになるから、これを早まってやってしまうと何事にも遅刻することになってしまう。結構怖いことだ。

 午後、国立美術館へ久しぶりに行く。企画展が準備中だったので、常設展を見るのみ。それにしてもなぜに現代美術はこれほどまでに「?」が好きなのか。
 建築だって同じだ。僕が見て、これは普通のひとにも、まあかっこいい建築だと思えそうな作品を見せても、例えば職場のチリの仲間達は「ふぇおー!(みにくーい!)」と評することがよくある。素人の最初の印象というものはほとんど当てにならないことが多いとはいえ、難しい問題だなあと思うことしきりなのだ。
 


2000.1014 土曜日
晴れ
 

 サンティアゴ東部のアンデスの前衛近くまでバスで向かった。アドベ(日干し煉瓦)でできたロス・ドミニコス教会と、その脇のフェリア(民芸品などの市)に遊びに行く。ここの常設のフェリアはチリ中部の田舎の雰囲気をよく出していて、美しく楽しかった。帰国までにもう一度来よう。

 近くのモール、アルト・ラス・コンデスへ行き、買い物をする。ジーンズとTシャツを2枚。日本円に換算すると、かなり安いと思う。
 帰国までには、ちゃんとした服も買って帰ろうかな。ヨーロッパ仕込みの技術で作られた(と思う)仕立てのいいものが、安く手にはいるから。
 こういう購買欲は「帰国モード」がなせる心理。

 夕食は帰国モード一杯で買った、ちょっといいワインで食べる。Gran Fortuna のカベルネ・ソーヴィニョン1997。まあまあか。

 NHKのチリワインに関するドキュメンタリーを見ながら飲んでいた。チリワインのブームは、ここ十年ほどのものだが、質が急激に上がったのがその原因だそうだ。
 葡萄の根を枯らす寄生虫が、自然条件のおかげで入って来ていないという幸運もあるという。これは農業全般にも言えることで、少なくとも日本などに比べて作物に付く虫は、非常に少ないらしい。以前話を伺った日本人入植者の方によると、以前は農薬なんて要らなかったほどだったという。しかし、この数年、事情が変わってきたとのこと。油断はなるまい。
 春でたくさん花が咲いているのに蝶が少ない。つまりそれもチリの特徴だということだろうか。
 


2000.1013 金曜日
晴れ
 

 夏のような日射し。気温も一気に上がる。

 ディストリト・ノガレスの中にある低所得者用住宅地の一角に、ちょっとした広場を作ることになったということで、マキシモと共に現場を視察。背中合わせになった住宅地の区画2つ分の空き地が、道路を挟んでふたつ。これを広場、というより、緑地の一種として整備するのだ。いわゆるポケットパークみたいなもの。
 小さいとはいえ、また宿題を増やしてしまった。できるかな。

 昨晩夕餉を共にした4人の看護学生達が、わが市の診療所での所定の実習を終えて帰っていった。カロリーナ、マルセラ、ジャスミナ、ベロニカ。お疲れさま。次は病院での実習が待っていると言った。
 来週火曜日にも、また次のグループがやってくるとのこと。去年の例によれば、おそらく彼女らは年末までいることになるだろう。僕はもう、この家から見送られる立場になるのか。

 夜、バスで上京。今日はクラウディアと一緒だ。彼女の実家はサンティアゴにあるので、週末はいつも帰っている。
 聞くと、彼女の実家は、ターミナルのあるエスタシオン・セントラル(中央駅、の意)のすぐそば。少々物騒な地域だ。生粋のサンティアギーナ(サンティアゴ娘?)ということになる。

 クラウディアに聞いた、チリの名作映画。最初の3つは、特にお勧めとのこと。

  • La luna en el espejo(鏡の中の月):バルパライソを舞台に繰り広げられるラブストーリー。
  • Chacotero sentimental(センチで剽軽):サンティアゴの貧しく明るい生活ドラマ。
  • Historias de futbol(蹴球物語):サッカーを軸に展開するストーリーのオムニバス。
  • Coronacion(仕上げ):ホセ・ドノソ原作の家族劇。
  • Caluga o menta(飴とミント):愛のというより、あっちの話らしい。
  • Julio comienza en julio(フリオは七月に始める):?。白黒の美しい映像。
  • El desquite(仕返し?もしくは償いの意):?
  • Johny 100 pesos(100ペソのジョニー):泥ボー少年ジョニーと仲間達の話、らしい。
  • El Gringuito(リトル・ヤンキー):さらわれた少年が、貧しい夫婦に育てられ・・・。



2000.1012 木曜日
晴れ
 

ケンのカレーライス

 明日でうちを去る4人の同居の女の子達のために、もう恒例となった「ケンのカレーライス」を作った。

「なんていう料理?」
「くりー・こん・あろす!(カレー・ライス)」
「初めてだわ。これが日本の料理なのね?」
「いいや。インド料理。でもね、日本風にアレンジしてあるんだよ。」
「何が入ってるの?どうやってつくるの?私にもできる?」
「かんたんさ。子供でもできるよ。だって、ほら、インスタントだもん。このエッセンスっていうのかな?これを最後に入れるだけでいいんだ。日本人はね、こういう風にいろんな国の料理をアレンジして食べるのが好きなんだ。」

 おなかが減ったと見えて、ベロニカなどは鍋の横に立っていろいろ質問してくる。ルーがどこで売ってるかも聞いてきた。本気で作るかも知れない。
 もったいないことに、チリではシチューなんかも食べないようだ。ハ○スとかヱ○ビーに教えてあげたい。

 チリ人も男の子はカレーが好きな様子。カロリーナの彼氏がたまたま来たので、彼にも食べさせた。早速ビールを買ってきて一緒に飲む。正しい食べ方だ。気に入ったらしい。
 彼、アンドレスはトマトなどの種を作っているとのこと。日焼けに弱いらしく、精悍な顔が酒を飲まなくても真っ赤だ。いつもながら、農業をやっている人は本当に気持ちのいい奴が多いなと思う。

 十分に普通の料理はおいしいチリだが、なにごとも簡単に満足する国民性だ。もう少しの工夫、よりたくさんのバラエティを料理に求めることがなく、おいしいね!と喜んでしまう。
 「もっと、もっと」とあくせくするより、このほうがいいんだろうか。

 食はアジアにあり、という言葉があるのかどうか・・・あるらしいと聞く。こちらで、少ないバラエティの食事に飽きたので、いつかアジアを旅しながら、いろんなものを食べてみたいと思う。そしたら・・・また腹をこわすだろうか?
 わかっていますよ。生はだめなんだよね?生水もね?わかってますとも。
 

コロンブスが来た日

 今日は本来祝日である。北米のアメリカを含め、アメリカ大陸の多くの国で祝日となっている。なぜか?コロンブスが新世界を「発見」した日だからだ。「いよくにもえたコロンブス」。1492年の今日、「アメリカ」と名付けられた南北の半球に渡る広大な世界で、新しい歴史が始まったのだ。

 臨時なのかどうか、チリでもハッピーマンデーで、9日月曜日が祝日となったのは、今日の記念日を前倒しにしたからである。だから9日は、首都で先住の民族マプチェのグループが抗議運動をしていた。

 ヨーロッパ人には開拓と開発が、はっきりいって先住民にとっては悪夢が、アフリカ人には過酷な労働と待遇が、少し時代は下るが日本人にとっても入植・移住の闘いが、まあそれぞれ一面ではあるけれど、このアメリカの歴史の中に刻まれている。今日は、そんな歴史にあって、日付として最も大きく難しいテーマを持った日だということか。

 それはともかくといった風に、現実には、既成事実の積み重ねを肯定しながらしか世の中動いていかないなと感じるし、少なくとも今のチリは、これはこれで十分安定した社会を形成しているように思える。歴史的にはついこの間と言える東西冷戦の時代にラテンアメリカ(北米もか?)を吹き荒れた社会主義革命の熱気と軍政の嵐。それももう夢の彼方の出来事のようだ。僕のようなつまみぐいの外来の人間には、名残は欠片くらいしか見えない。あのとき人生が変わってしまった人はまだちゃんと生きているというのに・・・。

 今のアメリカの姿を見たら、コロンブスはなんと思うだろうか?
 


2000.1011 水曜日
晴れ
 

 ノガレス。終日、簡単な打ち合わせであるとかを多数。

 午後、終業までの少しの時間をカルメンの日本語講座とする。日本料理店へ行く日を決める。

 夜、行きつけの美容院(?)「ねるだ」へ行く。女主人と助手一人の、非常に小さな店。この主人、ジュディ・オングになんとなく似ている。常に客が数人順番を待っている。誰もが少し気取っていて楽しそうだ。お洒落談義や家庭の話題が多い。

 夜読書。

 新たな試みを始めようとする者は、まず自らより始めよ。

 ガンジーがそう言ったという言葉が気になった。厳しい。
 


2000.1010 火曜日
晴れ
 

 サンティアゴの旅行会社へ行く。帰路変更旅行の計画を相談するためだ。三谷旅行社という日系の会社があって、そこの日本人スタッフと話をする。彼らはどんな生活をしているんだろう?
 

キロヘン

 帰路変更旅行(キロヘン)は、任期を終えた協力隊員が帰国までの帰路を旅行(研修)に当てる制度で、任国外研修旅行(ニンコクガイ)と似ている。どちらも義務ではない。
 旅費は上限があって、それを越えると当然ながら自己負担となる。任国外旅行と違って、帰路を勝手に変更するのだから宿泊費も出ない。
 期間は一般の隊員が4週間。現職のまま参加している隊員は通常最大2週間だったと思う。公務員は出向のような扱いで参加するため、かわいそうに直帰であり、帰路変更はできない(例外はある)。キロヘンのための予算は縮小の傾向にあって、僕らの二つ後の隊次からは、より短い期間に変更されている。

 このところ同期隊員の間で交わされるメールでも、キロヘンの話題が多くなってきた。
 僕は考えあぐねていたが、時間切れで手続きをせざるを得なくなり、仕方なく旅行社へ出向いたわけだ。

 今のところ、スペインをぐるりとまわり、ほかにドイツ、オランダ、イギリスをつまみ食いして、主要な西欧の建築や都市のうち見ていないものを潰していこうというプランだ。
 つい先日まではメキシコやキューバ、はたまたドミニカなんかの中米へも行こうと思っていたのだが、1ヶ月という時間は、ちょっと中途半端なのだった。正直に言って、ラテンアメリカは少し飽きたというのもある。その代わり、現代建築でおもしろいものをたくさん見たいという欲求が大きくなっている。そうして、今のうち勉強のためもあって見たい建築が集中している地域を考えると、どうしても西欧となる。

 もし機会があったら、その機会は今度はいつになるか分からないが、次はアジアやイスラム圏へ行きたいと思う。
 まあ、それはいいや。今ははやいとこ計画を立てないと。しかし、それにしても現代建築の情報が少なくて困る。
 


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kmdesign/MATSUOKA Ken'ichiro