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Diario
日々の記録
![]() km: 白衣の天使、の卵達
左からCarolina, Marcela, Veronica, Jasmina
まだ雨が降っている。
夜になって降り止む。屋根修理以来雨漏りがしなくなっている。よかった。
2000.0909 土曜日
午後に起きる。ゴミ捨てに出たら、今度はラモンさんの奥さん、マガリおばさんに声を掛けられた。先日頂き物の日本の麩と匂い袋になっている栞をプレゼントしたので、お礼をされた。挨拶とかねた頬へのキス。キスは、スペイン語ではベソと言う。
遅い昼食というか早い夕食というか、を作る。近くの八百屋で野菜だけ買ってカレーライス。ルーは持っていた。
夜。思い立って掃除。たくさんゴミが出た。帰国の時は大変だなあと思った。ものが多すぎる。ほとんど本や書類だ。僕はこうして紙に囲まれていると安心する性質(たち)なのだろう。つまらんたちだ。 夜半、雨が強くなる。停電。パソコンの明かりでワインを飲み、作業の合間に日記を書く。ワインはエストレージャ・デ・オロのカベルネ・ソーヴィニョン。金の星、という意味だ。辛く、渋めな味なので、開けたらしばらく置いておく。よく酸化させると、なるほどまろやかに渋く、うまい酒だと理解される。常識ではあるが、高い酒ほどこうして飲みたい。前の日に開けたっていい。
2000.0908 金曜日
人を眺めて昼食後、またラモンさんの家へ行った。先日のクラウディオの妹カタリナに呼び止められたので。 アユミちゃんが来ていた。以前一度だけ会ったことがある。まだ高校2年生だったと思う。交換留学でうちの県庁所在地であるキジョータで学んでいる、じつにかわいい女の子だ。まるで日本人形。
お喋りは楽しい時間。スペイン語がもどかしくなり、日本語になってしまう。しかし、若いというのは凄いものだ。半年余りでこんなに喋れるようになるものかと唖然。
とかなんとかいって、こんな子が、こうして地の果てでひとり乗り込んで来ているということ、相変わらず元気一杯であることに感心してしまった。俺なら無理だったろうな。 カタもまだ二十歳を超えて、そうは経っていないはずだが、いつの間にか凄く大人びた雰囲気になっていて驚いた。
2000.0907 木曜日
ファンタジーが見たい早く春になってくれ。春らしい春に。ぬか喜びみたいなものだ。このところしばらく肌寒い日が続いている。外では分厚いジャケットを脱ぐのはためらわれてしまう、そんな気温に逆戻りしてしまった。木々の芽吹きだけが正確に季節の到来を告げている。僕は、それについていけていない。 聞くと、いつもはもうとうに暖かなのだというが。 夜になって、この間コンペに出した住宅のCGを作り出した。あのときはそこまではできなかったが、コンペで終わらせるのはもったいないと思った。 僕の持っている設計用のソフトであるベクター・ワークス(ミニキャド8)ではモデリングの機能が弱いけれど、イメージを単純化しつつこれでなんとか立体(建築)を作る。次いでストラタ・ストゥーディオで素材感を割り当てて仮想空間にカメラと照明ををいろいろ設置し、実体の建築さながらに撮影をする。するとこのストラタ特有の、写実と言うよりは幾分絵画的な画像が出来上がる。僕のトップページの画像も、もとはこうして作ったものだ。
手放しの想像の世界をかたちにできるというのは、実に楽しい。
・・・・こうしてファンタジーに遊ぶことは、難しいことではない。ところが実際の建築というのは、「生まれてくる場所」が違う・・・・この、しょせん子供が「人間は臍からうまれるのかな?」と想像するようなファンタジーと、リアルな建築の存在との間には決定的な違いがある。人間は、なにとなにがなにすることによってなにから生まれるのだ・・・・だが、こういうファンタジーがなくては恋もない。臍から生まれたと信じた子供たちは、恋の果てにやがて立派に子を作る。だからファンタジーは種なのだ・・・・いつでも恋するようにこうして夢想を膨らませることは、ほんものを迎えるための準備であるばかりか、それ自体がいつか生まれてくる子供の原形になるとさえ言える・・・・ 優れた建築家達の実作を見ることは、もちろんおもしろいことだ。しかし、彼らがファンタジーで終わらせてしまったもの達もまた、実作に劣らず魅力的であることが多い。ときどき行われる建築展で一番おもしろいのは、こういう「プロジェクト」だと断言してもいい。すでに生まれてしまった単なる「作品」ではなく。
インターネットの時代だ。私的であってもいい。いろんな人の夢想のかたちというものを、そのつもりになって見てみたいと思う。それができるのに、まだあまり見ないのは、ちょっと寂しい。 というわけで、先日はトップページを変えてみたのだが・・・本当か?うまくいったら、今日作ったのも載せたいところだ。
2000.0906 水曜日
離婚等、追記新聞ダイジェスト。こういう名の雑誌がある。月刊で、ひとつき分の国内有力紙が要約されている。全世界の隊員に支給されている。気が向いたとき読むことにしている。 先日届いた9月号に、6月30日付けの東京新聞の報道と言うことで、結婚・離婚などなどの記事があった。
関連があるとも言えないが、夫婦にかんする文章という読み方で、この間読み終えた本はじつにおもしろく、よかった。進藤兼人著「ボケ老人の孤独な散歩」、平成8年、新潮文庫(平成5年、新潮社)。 著者は明治45年生まれの映画監督(手元の本の中では存命中だけど?)。女優乙羽信子を妻に持った。佳作を多く残した筋金入りの職業映画人。
エッセイのテーマは「ボケ」「安楽死」「老いと性」などといったものが続く。
文庫版に対するあとがきというのがあって、これは奥さんを亡くしてから書かれているのだが、すこし脳天気なタイトルの著書の意図が、ここまで読んで初めて意味を持ったように思われた。これは結婚の長い男性には、素では読めまい。逆に夫婦仲が良好と言えない人には羨望を呼ぶだろう。
彼の処女監督作品は「愛妻物語」。後の妻を撮った。帰国したら、忘れずに見たい。「ボク東綺タン」のほうは、荷風役に津川雅彦、彼の女性には墨田ユキ(合っている?とりあえずアップ)を使っている。
2000.0905 火曜日
XII Bienal de Arquitectura午前。チリ建築家協会による建築展へ。第12回を数えるビエンナーレ(隔年の展覧会など)である。会場はサンティアゴの旧マポチョ駅。いつかも何度か訪れたパリ・オルセーばりの立派な旧跡を多目的展示場とした美しい会場だ。会場は展示キャビン、各賞の受賞作品展示、出版物のコーナーに分かれ、またシンポジウムや講演会が別室で行われていた。 展示会場の様子。
総じてこのビエンナーレは、人口わずか1400万人の国としてはレベルが高く、充実した建築状況を物語っていると言える。チリの現代建築は、南米の他国と比べて最も元気だというのが僕の実感だ。確かにチリのオリジナリティというものは、全世界的な傾向に同じくあまり見られないけれど、それでもがんばっていると言える。
日智デザイン談義夕方、オンセを2件隣りのラモンさんの家でとる。息子のクラウディオはグラフィックデザインを大学で勉強している。3年生。高校時代日本に留学しているが、ぜひ院を日本で卒業したいという。単純に考えると、アメリカで勉強する方が彼にとってはアドバンテージがありそうなのだが。それにチリは結構デザインの分野は進んでいる。「チリは、みんなアメリカのまねしてる。そのまま。僕はチリのデザインが嫌いです。違うものを勉強したい。」 このくらいの日本語は話す彼である。 正確な概念というか定義は知らないけれど、コミュニケーション・デザインをやりたいのだそうだ。ポスト・ペットっていうのが日本で流行ってるらしいと言うと、随分興味を持った様子だった。あれを作ったアーティストはおもしろいよ、例えば・・・・。 日本語で少しでも話せると、なんと深くテーマを追えることかと思う。スペイン語を交えて、どっちにしろ難解な単語は使っていないのに、どうしてだろう?同じことがスペイン語では難しい。
2000.0904 月曜日
第7州旅行3日目最終日今日はウニダー・ナシオナル(国家統合の日?)。祝日。だから3連休になった。いわれについて詳しくは知らない。ともかく、1970年に選挙で社会主義政権に移行し、さらに73年の軍事クーデターで市場経済への移行を急進的にすすめたチリの現代史において、今日は重要な意義を持つ日であることには間違いない。 さて昨晩、眠ってからしばらくして起きてしまった。どうも気分が悪い。気持ち悪くなって起きるなんて、初めてのことだ。昨日食べたものが悪かったのか。貝類の鍋であるパイラ・マリーナ(ソパ・デ・マリスコス)と地元の白ワインをとったのだが、生ものではなかった。
午前、再び海岸を散歩。釣りをする親父を見物したりして過ごす。 午後移動。内陸へ。カウケネスは昨日飲んだ白ワインの産地。のどかそものの農業地帯の中心地だ。が、ここはサンティアゴへのバスの乗り換え地としてだけ、短時間の滞在。 羊の群れる乾燥地帯を抜けてタルカ付近をかすめ、途中渋滞に巻き込まれながらもなんとかサンティアゴ着。
2000.0903 日曜日
第7州旅行2日目ホテルを出、タルカのセントロを歩く。タルカは地味ではあるが、かなり大きなまちだという印象。ところが日本と比べると実際はそう大したことはない。人口にして16万に過ぎない。が、美しく整ったセントロのあるまちだ。 ここは、もう帰国して半年近く経つタカシさんの任地だった。彼は純正の沖縄人で、まったく人が良かった。お人好しかどうかは知らないが、人間がいいのだ。今はどうしているだろう?あの彼は、こんなまちのそばで暮らしていたのか。
午前のうちに、またバスへ乗る。海岸のほうへ向かう。4時間近くかかって海沿いのまち、コンスティトゥシオンに到着。地図ではなにか魅力的なまちではないかと期待させたのだが、実際はなんてことはなかったうえ、海岸の工場が絶えず猛烈な白煙を上げており、これが悪臭を持っていた。何というのか、漬物屋の匂いが町中漂っているといった感じか。ちょっと耐えられない匂いだ。 海岸を南下し、チャンコというまちへ。このルートはガイドでは四ツ星の景観を誇っていた。なるほど、ドライブすると楽しそうだ。周辺は松林が限りなく続き、合間に成長の早いユーカリ林も見られる。製材所も多い。
チャンコから更に南下。海岸の町、クラニペ着。観光のまちだそうだ。ここのペンションに泊まる。夕暮れまで海岸を散歩。
2000.0902 土曜日
第7州旅行1日目サンティアゴはセントロ(市街中心部、ダウンタウン)のまさに中心部の広場に面して中央郵便局がある。EMSで昨日作ったコンペ作品を発送する。日本へは4日で届くとのこと。よかった。 局内の係のひとりのおじさん。たいへんな読書家らしく、日本のことにも詳しかった。関東大震災や阪神・淡路大震災の日付も正確に、防災の話をしてくれた。さらに大政奉還の日付から始まって維新政府がどうのこうのというような、およそチリ人らしくないほどの日本通を伺わせる話題まで。こんな人が、こんな風に、何気なくいることが凄い。
旅の出発。長距離バスにてタルカへ。Talca。第7州の州都。首都からはパンアメリカン・ハイウェー(国道5号線)沿いに南下して4時間。
カトリックの国であるチリは、土日は商店が閉まっているものとばかり思ってきた。去年はどこも土曜は午前中だけ。午後は全て閉店だった。それが今年はちょっと事情が違うようだ。ノガレスもそうなのだが、ここタルカも同じ。土曜だというのに、結構な賑わいが商店街では見られる。 セントロ付近のホテル泊。 夜、テレビでサッカーのワールドカップ地区予選であるチリ・コロンビア戦を見る。サンティアゴで行われている。結局応援虚しく1−0で負けてしまった。南米の地区予選のレベルは高い。しかし、ブラジルに3−0で完勝した勢いは今回見られなかった。ああ、残念無念。チリは、本戦参加ラインから一歩退いた。コロンビアーノ達の応援団が、なんと嬉しそうなことか。
2000.0901 金曜日
新建築誌の、某設計コンペに出す作品を仕上げる。いつになく素晴らしい中途半端ぶり。ええねん、ええねん。自己満足やから。 頭の中の理想をはっきりさせる。ちゃんとかたちにする。それを間違いなく伝える。一連のこの流れを、疑いの入れようもないほどに、すっかり完成したものにしてみたい。あるいは可能性のかたまりみたいに魅力的に提示してみたい。そして相手のイマジネーションを拡大させてやりたい。
夜、明日から旅行のため、上京。路上で偶然隊員のヒロカズ君に会う。疲れているらしい彼を無理矢理誘って、フエンテ・デ・ソーダ(いわゆるbar、ばる?というほどでもない)で少し飲む。お互い細い目をしているが、彼は疲れのため、さらにその目が閉じていた。
2000.0831 木曜日
さだまさし再びナスカさんからの包みが届く。これで3度目か。入っているものの選び方に、気遣いを感じる。というか、こちらの言葉をよく覚えていてくれていることが嬉しい。そのなかのひとつ。いつか、さだまさしのことを書いたことから、彼の曲のナスカセレクションをテープにして同封してくれていた。職場のデッキにセットして流す。申し訳ないがタイトルを知らないのでなんともいえないけれど、さだメロディーとしては特にニューミュージック色の強い曲ばかりが選ばれていたんじゃないかと思う。そういう曲が、今日のノガレス市役所のテーマになってしまったわけだ。うーん、なんか違うけど、なんかいいぞ。それにしても、こういう曲もあったのか・・・ほとんど知らなかった。 寝床でもイヤホンで聴きながら。ノリのいい曲が多くて、逆に目が覚めた。
2000.0830 水曜日
大気が透明だ。実質春になった陽気を差してくる光は、本当に美しい。矛盾してるけど、大気ごと玻璃のなかで乱反射して眩しくなっているような、しかしどこまでも透明であるというような、そんな光だ。宮沢賢治だったら何と形容するだろうと想像してみる。光というものに対して、彼ほど豊富な形容の仕方を知っている人を知らないので。
いくつか作ったビビエンダ・バシカのプラン(間取り)の略図をうちの局の秘書エリアに見せてみる。普通の中年女性の意見を聞くのは、何より重要だからだ。確認された一般事項は、以下の通り。
2000.0829 火曜日
ビビエンダ・バシカのスケッチが続く。だいたいのアイデアは、もうこれで固まったとしようか。
馬糞スパゲッティ昼食は、今日は自炊。フィデオをアルバアカのパスタでからめて食べた。日本の言葉で言うと、スパゲッティをバジルのペースト(ジェノベーゼ)でからめて食べた、となる。瓶詰めのバジルはほとんど脂気がなかった。取り出してみると、それは見た目、馬糞そのままだということに気が付いた。チリに来なければ、まさかこんな想像をすることもなかったろうと、2年近く住んでいるというのに苦笑する。馬や山羊の糞なんて珍しくないから。で、これからジェノベーゼのパスタは「馬糞スパゲッティ」ということになってしまうかも知れない。僕の頭の中では。 食べるときには、ちゃんとオリーブ油と塩で練りました。念のため。 しかし、インパクトのあるタイトルになったものだ。 夜、遅い就寝。それが寝付かれず困った。
2000.0828 月曜日
うちを出て数十歩南へ歩く。パンアメリカン・ハイウェー沿いを歩く。そうするとノガレスの広場に出る。チリでは、町の中心たる広場は、ことごとくといっていいくらい「ぷらさ・で・あるます」と名付けられている。そのままに訳せば軍隊広場となる。ここ、ノガレスの広場は「ぷらさ・で・あるます・で・のがれす」となる。 プラサの前には少し大きな建物があって、これは「ぼんべろす」。つまり消防団だ。チリは通常の消防活動を全てボランティアの消防団に負っている。 「ぼんべろす」の隣には「でぃでこ」がある。市役所地域振興課の略称だ。
クリスティアンがそのフィアットを降りてディデコの窓へ向かって何か言っているところへ出くわした。クラウディアはどうしているかと尋ねた。彼が直接の上司だからだ。
夜、一緒に住む4人の女の子達と共にお茶をする。先日買ったジャスミン茶を出した。中国語では茉莉花茶と書き、日本でも茉莉という名の女性がいるとジャスミナに言った。ジャスミナはイタリア系かと思われる面立ちで、ちょっと綺麗な子だ。彼女は「マリ」よりはジャスミンと呼ばれる方が似合っているような気がする。
kmdesign/MATSUOKA Ken'ichiro
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