Diario
日々の記録

 
 
 
 


白衣の天使、の卵達
km: 白衣の天使、の卵達

左からCarolina, Marcela, Veronica, Jasmina


2000.0910 日曜日
夜まで雨
 

 まだ雨が降っている。
 暇を見て、チリ関係のリンク集を作ってみた。新聞や雑誌に、こんなにたくさんサイトが紹介されているものかと驚いた。自分でもまだ見ていないけれど、遊んでみよう。栞のページをどうぞ。(と思ったけど、タイプミス多く後日アップ)
 すごい気軽だな。これでいいのだ。

 夜になって降り止む。屋根修理以来雨漏りがしなくなっている。よかった。
 


2000.0909 土曜日
曇りのち雨、強い雨
 

 午後に起きる。ゴミ捨てに出たら、今度はラモンさんの奥さん、マガリおばさんに声を掛けられた。先日頂き物の日本の麩と匂い袋になっている栞をプレゼントしたので、お礼をされた。挨拶とかねた頬へのキス。キスは、スペイン語ではベソと言う。
 知り合いのアメリカ人に、アメリカへ来いと言われているそうだ。ノガレスは退屈で、その提案に乗り気なのだという。保母でもある彼女は、向こうで働いてもみたいらしい。しかし、夫のラモンさんはこの土地が好きで、頑として聞く耳を持たないと嘆いた。

 遅い昼食というか早い夕食というか、を作る。近くの八百屋で野菜だけ買ってカレーライス。ルーは持っていた。
 エンサラーダ・チレーナ。チリ・サラダのことだ。ただトマトと生タマネギの薄切りに塩と油をかけてあえただけのものを、ここではそう呼んでいる。八百屋に完熟のトマトがあったのでついでに作った。油はオリーブ油で(あまり使われない)、そしてバジル、ワインビネガー(酢もあまり使われない)も入れた。素朴ながら、うまい。

 夜。思い立って掃除。たくさんゴミが出た。帰国の時は大変だなあと思った。ものが多すぎる。ほとんど本や書類だ。僕はこうして紙に囲まれていると安心する性質(たち)なのだろう。つまらんたちだ。

 夜半、雨が強くなる。停電。パソコンの明かりでワインを飲み、作業の合間に日記を書く。ワインはエストレージャ・デ・オロのカベルネ・ソーヴィニョン。金の星、という意味だ。辛く、渋めな味なので、開けたらしばらく置いておく。よく酸化させると、なるほどまろやかに渋く、うまい酒だと理解される。常識ではあるが、高い酒ほどこうして飲みたい。前の日に開けたっていい。
 


2000.0908 金曜日
雲間に晴れ間
 

人を眺めて

 昼食後、またラモンさんの家へ行った。先日のクラウディオの妹カタリナに呼び止められたので。

 アユミちゃんが来ていた。以前一度だけ会ったことがある。まだ高校2年生だったと思う。交換留学でうちの県庁所在地であるキジョータで学んでいる、じつにかわいい女の子だ。まるで日本人形。
 カタリナ、普段のように「カタ」と言おう。カタは、彼女の来智当初スペイン語を教えていた。だから二人は友達同士。カタも同様に新潟にいたことがある。兄のクラウディオは大阪だった。

 お喋りは楽しい時間。スペイン語がもどかしくなり、日本語になってしまう。しかし、若いというのは凄いものだ。半年余りでこんなに喋れるようになるものかと唖然。
 アユミちゃんの夢を聞く。親を気遣いつつ、夢に忠実に働こうかと。しかし待てよ。できれば勉強したら?もしも親が元気なら、子供なんだから甘えればいい。甘えられるときにしっかり助けてもらって、思い切り勉強したり遊んだ方がいい。親なんて、そのためにいるんだ。親孝行は、後でも結構。
 等々、全くいい加減なことではあるが本心を述べると、若い若い、人形のようなアユミちゃんは、明るく楽しく、勉強するつもりになったようだった。

 とかなんとかいって、こんな子が、こうして地の果てでひとり乗り込んで来ているということ、相変わらず元気一杯であることに感心してしまった。俺なら無理だったろうな。

 カタもまだ二十歳を超えて、そうは経っていないはずだが、いつの間にか凄く大人びた雰囲気になっていて驚いた。
 1年、2年という歳月は、短いようで確実に人を変えていくものだ。
 俺はおっさんになってきた。いかん。・・・いかんなと思うのも、今のうちか。後しばらくで、自他共に認めるおっさんになるからなあ。・・・いかんなどと言うのも、半分はポーズ。ほんとは何とも思っていない。
 しかし、いっぽうで、この間役所で「青が似合ってるわね」と言われて嬉しかった青大将なのだ。ええ、一部では僕は青大将で通っているのです。
 


2000.0907 木曜日
曇り
 

ファンタジーが見たい

 早く春になってくれ。春らしい春に。
 ぬか喜びみたいなものだ。このところしばらく肌寒い日が続いている。外では分厚いジャケットを脱ぐのはためらわれてしまう、そんな気温に逆戻りしてしまった。木々の芽吹きだけが正確に季節の到来を告げている。僕は、それについていけていない。
 聞くと、いつもはもうとうに暖かなのだというが。

 夜になって、この間コンペに出した住宅のCGを作り出した。あのときはそこまではできなかったが、コンペで終わらせるのはもったいないと思った。

 僕の持っている設計用のソフトであるベクター・ワークス(ミニキャド8)ではモデリングの機能が弱いけれど、イメージを単純化しつつこれでなんとか立体(建築)を作る。次いでストラタ・ストゥーディオで素材感を割り当てて仮想空間にカメラと照明ををいろいろ設置し、実体の建築さながらに撮影をする。するとこのストラタ特有の、写実と言うよりは幾分絵画的な画像が出来上がる。僕のトップページの画像も、もとはこうして作ったものだ。
 もう少し手を加える必要はあるが、だいたい意図は達成されたと感じたところで、時計はもう未明4時。

 手放しの想像の世界をかたちにできるというのは、実に楽しい。
 しかし間違ってはいけないが、コンピュータ・ソフトといえど、もの作りの道具であることには変わりなく、効率がいいだけで、なんでも自動化して代行してくれるわけではない。ワープロが手書きに比べて推敲を効率化(だけではないが)しているようなものだ。勝手に書いてくれるわけでなし、名文にしてもくれない。
 僕の今日の作業も、方法としては、模型を作って写真をとるやりかたと大差ない。ただ、画像化は自動であって、これはとても頼れるし、逆に融通の利かない部分でもある。

 ・・・・こうしてファンタジーに遊ぶことは、難しいことではない。ところが実際の建築というのは、「生まれてくる場所」が違う・・・・この、しょせん子供が「人間は臍からうまれるのかな?」と想像するようなファンタジーと、リアルな建築の存在との間には決定的な違いがある。人間は、なにとなにがなにすることによってなにから生まれるのだ・・・・だが、こういうファンタジーがなくては恋もない。臍から生まれたと信じた子供たちは、恋の果てにやがて立派に子を作る。だからファンタジーは種なのだ・・・・いつでも恋するようにこうして夢想を膨らませることは、ほんものを迎えるための準備であるばかりか、それ自体がいつか生まれてくる子供の原形になるとさえ言える・・・・

 優れた建築家達の実作を見ることは、もちろんおもしろいことだ。しかし、彼らがファンタジーで終わらせてしまったもの達もまた、実作に劣らず魅力的であることが多い。ときどき行われる建築展で一番おもしろいのは、こういう「プロジェクト」だと断言してもいい。すでに生まれてしまった単なる「作品」ではなく。
 世の中が元気であれば、たぶんきっと優れた技術が、より素晴らしいファンタジーを僕らの前に差し出す助けとなっていくに違いない。すでに過去の実現せざる建築を仮想空間に立ち上げるという試みはそこここで始められている。

 インターネットの時代だ。私的であってもいい。いろんな人の夢想のかたちというものを、そのつもりになって見てみたいと思う。それができるのに、まだあまり見ないのは、ちょっと寂しい。

 というわけで、先日はトップページを変えてみたのだが・・・本当か?うまくいったら、今日作ったのも載せたいところだ。
 


2000.0906 水曜日
曇りのち晴れ
 

離婚等、追記

 新聞ダイジェスト。こういう名の雑誌がある。月刊で、ひとつき分の国内有力紙が要約されている。全世界の隊員に支給されている。気が向いたとき読むことにしている。

 先日届いた9月号に、6月30日付けの東京新聞の報道と言うことで、結婚・離婚などなどの記事があった。
 それによると、結婚は約76万組、離婚は25万組だった(1999年の厚生省人口動態統計)。これらが夫婦の総数のうちどれだけを占めるのかは知らないが、しかし結構な数の離婚があるものだと思う。
 こういうことを書くのも、2000.0718で、日本の夫婦の離婚は1割くらいではないか?と市役所のアニタ・フローレスさんとの会話で話したからだ。この記事を読んで、果たしてどうなのかな?と思ったわけだ。

 関連があるとも言えないが、夫婦にかんする文章という読み方で、この間読み終えた本はじつにおもしろく、よかった。進藤兼人著「ボケ老人の孤独な散歩」、平成8年、新潮文庫(平成5年、新潮社)。

 著者は明治45年生まれの映画監督(手元の本の中では存命中だけど?)。女優乙羽信子を妻に持った。佳作を多く残した筋金入りの職業映画人。
 本は雑誌からの記事を落とし込んだもので、ほぼ全編、自身の映画「ボク東綺タン(変換できない!)」を縦糸に使ったエッセイ集の体裁。映画は永井荷風の小説を下敷きにして、作家の晩年を描いたものだ。

 エッセイのテーマは「ボケ」「安楽死」「老いと性」などといったものが続く。
 窮極の時、というものは、最も深いテーマを提供する。それもいいのだが、それらを追ってページをめくるごとに大きく感じられたのは、「伴侶」というものの存在だった。
 荷風自身は生涯妻を娶ることはなかった。それが、進藤監督が彼のことを書けば書くほど、監督の奥さんへの思いが裏側に流れて見えるような気にさせてくれる。読者は自身のケースに思いをいたすだろう。もっともそれは印象の一面ではあるが。

 文庫版に対するあとがきというのがあって、これは奥さんを亡くしてから書かれているのだが、すこし脳天気なタイトルの著書の意図が、ここまで読んで初めて意味を持ったように思われた。これは結婚の長い男性には、素では読めまい。逆に夫婦仲が良好と言えない人には羨望を呼ぶだろう。
 おもしろく、よかった、と書いたけれど、それは失礼だったかもしれない。そんな気にさえしてくれた。

 彼の処女監督作品は「愛妻物語」。後の妻を撮った。帰国したら、忘れずに見たい。「ボク東綺タン」のほうは、荷風役に津川雅彦、彼の女性には墨田ユキ(合っている?とりあえずアップ)を使っている。
 


2000.0905 火曜日
曇りのち晴れ
 

XII Bienal de Arquitectura

 午前。チリ建築家協会による建築展へ。第12回を数えるビエンナーレ(隔年の展覧会など)である。会場はサンティアゴの旧マポチョ駅。いつかも何度か訪れたパリ・オルセーばりの立派な旧跡を多目的展示場とした美しい会場だ。

 会場は展示キャビン、各賞の受賞作品展示、出版物のコーナーに分かれ、またシンポジウムや講演会が別室で行われていた。

 展示会場の様子。
 海運用のコンテナを3層に積み上げて配置した展示キャビンを、仮設足場が繋いでいる。
 1層目は実作の写真を。テント地のプリントをバックライトが照らしている。ここ2年とは言わず、話題作を集めているようだ。
 2層目、3層目は大学や自治体などの作品を。都市計画的なスケールのものも多い。大学の出品になるものは、建築の学部は5年が卒業年限であるためか、または大学院生の作品も混じっているのか、なかなかレベルが高い。ドローイングや写真、模型などはいずれも元気がよく、コンピュータの利用も盛んだ。題材としては地方都市を活性化するプロジェクトが多く、グループで制作している。ただ、現行の建築のあり方に一石を投じるようなアプローチの作品がなかったのが寂しかった。
 来智当時語学研修で滞在した北部の港湾都市アントファガスタの再整備計画は現在進行中で、地見目のプレゼンテーションながら実現が期待された。これは個人の建築家と自治体が出品している様子に思えたが、未確認。近似の例では、アントファガスタからさらに北部の都市イキケはこのような計画がうまくいった例として有名である。

 総じてこのビエンナーレは、人口わずか1400万人の国としてはレベルが高く、充実した建築状況を物語っていると言える。チリの現代建築は、南米の他国と比べて最も元気だというのが僕の実感だ。確かにチリのオリジナリティというものは、全世界的な傾向に同じくあまり見られないけれど、それでもがんばっていると言える。
 やはり、チリにおける建築の問題というものは、いつも感じていることながら、中央と周辺のアンバランスということに尽きるだろう。あるところにはあり、ないところにはない。そして、ごく普通の建築には、日本と同様、あまり改善の兆しが見えないということ。もう少し、これだけ多くの優秀な建築家が、地方にもまわってくるようになればと思うのだが、やはり先立つ環境がなければどうしようもないのか。
 

日智デザイン談義

 夕方、オンセを2件隣りのラモンさんの家でとる。息子のクラウディオはグラフィックデザインを大学で勉強している。3年生。高校時代日本に留学しているが、ぜひ院を日本で卒業したいという。単純に考えると、アメリカで勉強する方が彼にとってはアドバンテージがありそうなのだが。それにチリは結構デザインの分野は進んでいる。
「チリは、みんなアメリカのまねしてる。そのまま。僕はチリのデザインが嫌いです。違うものを勉強したい。」
 このくらいの日本語は話す彼である。
 正確な概念というか定義は知らないけれど、コミュニケーション・デザインをやりたいのだそうだ。ポスト・ペットっていうのが日本で流行ってるらしいと言うと、随分興味を持った様子だった。あれを作ったアーティストはおもしろいよ、例えば・・・・。

 日本語で少しでも話せると、なんと深くテーマを追えることかと思う。スペイン語を交えて、どっちにしろ難解な単語は使っていないのに、どうしてだろう?同じことがスペイン語では難しい。
 


2000.0904 月曜日
晴れ
 

第7州旅行3日目最終日

 今日はウニダー・ナシオナル(国家統合の日?)。祝日。だから3連休になった。いわれについて詳しくは知らない。ともかく、1970年に選挙で社会主義政権に移行し、さらに73年の軍事クーデターで市場経済への移行を急進的にすすめたチリの現代史において、今日は重要な意義を持つ日であることには間違いない。

 さて昨晩、眠ってからしばらくして起きてしまった。どうも気分が悪い。気持ち悪くなって起きるなんて、初めてのことだ。昨日食べたものが悪かったのか。貝類の鍋であるパイラ・マリーナ(ソパ・デ・マリスコス)と地元の白ワインをとったのだが、生ものではなかった。
 朝になって起きると、幸いなんともなくなっていた。

 午前、再び海岸を散歩。釣りをする親父を見物したりして過ごす。

 午後移動。内陸へ。カウケネスは昨日飲んだ白ワインの産地。のどかそものの農業地帯の中心地だ。が、ここはサンティアゴへのバスの乗り換え地としてだけ、短時間の滞在。

 羊の群れる乾燥地帯を抜けてタルカ付近をかすめ、途中渋滞に巻き込まれながらもなんとかサンティアゴ着。
 昨日の夕食を覗き、ほとんどがファーストフードに毛が生えたようなものばかりの食事だったので、今日の夕食は日本食とする。僕はご飯を食べないと落ち着かない、大の米好きだ。が、食べるのはチリ米。でも、結構うまいのだ。
 


2000.0903 日曜日
晴れ
 

第7州旅行2日目

 ホテルを出、タルカのセントロを歩く。タルカは地味ではあるが、かなり大きなまちだという印象。ところが日本と比べると実際はそう大したことはない。人口にして16万に過ぎない。が、美しく整ったセントロのあるまちだ。

 ここは、もう帰国して半年近く経つタカシさんの任地だった。彼は純正の沖縄人で、まったく人が良かった。お人好しかどうかは知らないが、人間がいいのだ。今はどうしているだろう?あの彼は、こんなまちのそばで暮らしていたのか。
 人の記憶を旅して辿っているようで、何とも言えない気持ちになる。

 午前のうちに、またバスへ乗る。海岸のほうへ向かう。4時間近くかかって海沿いのまち、コンスティトゥシオンに到着。地図ではなにか魅力的なまちではないかと期待させたのだが、実際はなんてことはなかったうえ、海岸の工場が絶えず猛烈な白煙を上げており、これが悪臭を持っていた。何というのか、漬物屋の匂いが町中漂っているといった感じか。ちょっと耐えられない匂いだ。

 海岸を南下し、チャンコというまちへ。このルートはガイドでは四ツ星の景観を誇っていた。なるほど、ドライブすると楽しそうだ。周辺は松林が限りなく続き、合間に成長の早いユーカリ林も見られる。製材所も多い。
 途中バスを乗り降りする乗客はいかにも田舎者。日なたの匂いがするようだ。

 チャンコから更に南下。海岸の町、クラニペ着。観光のまちだそうだ。ここのペンションに泊まる。夕暮れまで海岸を散歩。
 田舎だからなにもする事はない。枕元にドイツビール。輸入品。昨日もそうだった。うまい。日本のものとは大違いの味。こういうものと比べると、僕はあんまり日本のビールを評価できない。
 そのうち就寝。静かな夜だ。
 


2000.0902 土曜日
晴れ
 

第7州旅行1日目

 サンティアゴはセントロ(市街中心部、ダウンタウン)のまさに中心部の広場に面して中央郵便局がある。EMSで昨日作ったコンペ作品を発送する。日本へは4日で届くとのこと。よかった。

 局内の係のひとりのおじさん。たいへんな読書家らしく、日本のことにも詳しかった。関東大震災や阪神・淡路大震災の日付も正確に、防災の話をしてくれた。さらに大政奉還の日付から始まって維新政府がどうのこうのというような、およそチリ人らしくないほどの日本通を伺わせる話題まで。こんな人が、こんな風に、何気なくいることが凄い。
 市井には、天災のように隠れた(?)、多くのおもしろい人間がいるものだ。

 旅の出発。長距離バスにてタルカへ。Talca。第7州の州都。首都からはパンアメリカン・ハイウェー(国道5号線)沿いに南下して4時間。
 タルカ周辺はチリでも有数の穀倉地帯だ。特に米。Zarrol(さろーる)というブランドの米は全国どこでも売っているけれど、例えばそれもここタルカのものだ。
 長粒種ながら日本風に炊いてもおいしいのは、このサロールやバンケテ(Banquete)である。

 カトリックの国であるチリは、土日は商店が閉まっているものとばかり思ってきた。去年はどこも土曜は午前中だけ。午後は全て閉店だった。それが今年はちょっと事情が違うようだ。ノガレスもそうなのだが、ここタルカも同じ。土曜だというのに、結構な賑わいが商店街では見られる。

 セントロ付近のホテル泊。

 夜、テレビでサッカーのワールドカップ地区予選であるチリ・コロンビア戦を見る。サンティアゴで行われている。結局応援虚しく1−0で負けてしまった。南米の地区予選のレベルは高い。しかし、ブラジルに3−0で完勝した勢いは今回見られなかった。ああ、残念無念。チリは、本戦参加ラインから一歩退いた。コロンビアーノ達の応援団が、なんと嬉しそうなことか。
 


2000.0901 金曜日
晴れ
 

 新建築誌の、某設計コンペに出す作品を仕上げる。いつになく素晴らしい中途半端ぶり。ええねん、ええねん。自己満足やから。

 頭の中の理想をはっきりさせる。ちゃんとかたちにする。それを間違いなく伝える。一連のこの流れを、疑いの入れようもないほどに、すっかり完成したものにしてみたい。あるいは可能性のかたまりみたいに魅力的に提示してみたい。そして相手のイマジネーションを拡大させてやりたい。
 そういう風にものが作れたらなあと思ったところで、お仕舞い。

 夜、明日から旅行のため、上京。路上で偶然隊員のヒロカズ君に会う。疲れているらしい彼を無理矢理誘って、フエンテ・デ・ソーダ(いわゆるbar、ばる?というほどでもない)で少し飲む。お互い細い目をしているが、彼は疲れのため、さらにその目が閉じていた。
 


2000.0831 木曜日
晴れだったか?
 

さだまさし再び

 ナスカさんからの包みが届く。これで3度目か。入っているものの選び方に、気遣いを感じる。というか、こちらの言葉をよく覚えていてくれていることが嬉しい。

 そのなかのひとつ。いつか、さだまさしのことを書いたことから、彼の曲のナスカセレクションをテープにして同封してくれていた。職場のデッキにセットして流す。申し訳ないがタイトルを知らないのでなんともいえないけれど、さだメロディーとしては特にニューミュージック色の強い曲ばかりが選ばれていたんじゃないかと思う。そういう曲が、今日のノガレス市役所のテーマになってしまったわけだ。うーん、なんか違うけど、なんかいいぞ。それにしても、こういう曲もあったのか・・・ほとんど知らなかった。

 寝床でもイヤホンで聴きながら。ノリのいい曲が多くて、逆に目が覚めた。
 


2000.0830 水曜日
晴れ
 

 大気が透明だ。実質春になった陽気を差してくる光は、本当に美しい。矛盾してるけど、大気ごと玻璃のなかで乱反射して眩しくなっているような、しかしどこまでも透明であるというような、そんな光だ。宮沢賢治だったら何と形容するだろうと想像してみる。光というものに対して、彼ほど豊富な形容の仕方を知っている人を知らないので。
 いつかボスにお供して同席した打ち合わせの席で、とある証券会社の社長が言った台詞。実感がこもっていたのでなんとなく覚えている。先生、南仏の太陽は、あの光は違うな。プロバンスや。空の色が、違うな。あれは先生、なにがどう違うんやと思う?空気が違うんやと思うで、わしは・・・・。というようなことを仰っていたかと思う。今日のような陽の光に出会う度、あの社長の台詞を思い出す。南仏は列車旅で横切ったことしかないけれど、このノガレスの大気の晴朗さときたら、プロバンスもかなうものではあるまい。と、そう思うのは、この土地をひいきにしているだけなのか。

 いくつか作ったビビエンダ・バシカのプラン(間取り)の略図をうちの局の秘書エリアに見せてみる。普通の中年女性の意見を聞くのは、何より重要だからだ。確認された一般事項は、以下の通り。
 

  • 戸建て住宅では、リビングや食堂といった共通のスペースが、おもてや通りに面して配置されるのをチリ人は好む。奥の庭のほうへは、寝室などを置くのがいいらしい。これは日本も同じか。
  • 保守的な婦人は、台所を完全に隔離した室としてもらいたいものらしい。換気設備が発達していない上(田舎では換気扇があるのはまれ)、オーブンを使ったり匂いが出る調理をしょっちゅうするからだ。リビングなどと繋がった台所は、アメリカン・タイプなどと呼ばれている。

2000.0829 火曜日
概ね晴れ
 

 ビビエンダ・バシカのスケッチが続く。だいたいのアイデアは、もうこれで固まったとしようか。
 

馬糞スパゲッティ

 昼食は、今日は自炊。フィデオをアルバアカのパスタでからめて食べた。日本の言葉で言うと、スパゲッティをバジルのペースト(ジェノベーゼ)でからめて食べた、となる。
 瓶詰めのバジルはほとんど脂気がなかった。取り出してみると、それは見た目、馬糞そのままだということに気が付いた。チリに来なければ、まさかこんな想像をすることもなかったろうと、2年近く住んでいるというのに苦笑する。馬や山羊の糞なんて珍しくないから。で、これからジェノベーゼのパスタは「馬糞スパゲッティ」ということになってしまうかも知れない。僕の頭の中では。
 食べるときには、ちゃんとオリーブ油と塩で練りました。念のため。
 しかし、インパクトのあるタイトルになったものだ。

 夜、遅い就寝。それが寝付かれず困った。
 


2000.0828 月曜日
曇り
 

 うちを出て数十歩南へ歩く。パンアメリカン・ハイウェー沿いを歩く。そうするとノガレスの広場に出る。チリでは、町の中心たる広場は、ことごとくといっていいくらい「ぷらさ・で・あるます」と名付けられている。そのままに訳せば軍隊広場となる。ここ、ノガレスの広場は「ぷらさ・で・あるます・で・のがれす」となる。

 プラサの前には少し大きな建物があって、これは「ぼんべろす」。つまり消防団だ。チリは通常の消防活動を全てボランティアの消防団に負っている。

 「ぼんべろす」の隣には「でぃでこ」がある。市役所地域振興課の略称だ。
 ここの課長はクリスティアン・キンテロという。歳はほぼ僕と同じだろう。あるいは少し若いかも知れない。フィアットの小型車に乗っている。小太りの短躯だが、整ったマスクで人好きのするタイプだ。珍しくしゃきしゃきしたチリ人である。

 クリスティアンがそのフィアットを降りてディデコの窓へ向かって何か言っているところへ出くわした。クラウディアはどうしているかと尋ねた。彼が直接の上司だからだ。
 前に彼女の同僚カリンカに訊いたときには先週までの休みといっていた。チリ人の言うことというと失礼だが、話半分だったのだろうか。それともさらに休暇は伸ばされたのか。クリスティアンは来月の下旬までは休むと言った。電話してみたらいいと勧めるが、仕事だけの付き合いしかない僕が声を掛けることは気が引ける。

 夜、一緒に住む4人の女の子達と共にお茶をする。先日買ったジャスミン茶を出した。中国語では茉莉花茶と書き、日本でも茉莉という名の女性がいるとジャスミナに言った。ジャスミナはイタリア系かと思われる面立ちで、ちょっと綺麗な子だ。彼女は「マリ」よりはジャスミンと呼ばれる方が似合っているような気がする。
 ほかの女性達の名は、それぞれマルセラ、カロリナ、ベロニカという。珍しくない名ばかりだが、みなその名の響きに似合った雰囲気を持っている。
 お茶を飲みながら、院展と辻村ジュサブローのカタログをみんなでめくった。
 


home
backnumbers
latest

kmdesign/MATSUOKA Ken'ichiro