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Diario
日々の記録
![]() km: 桃の花
2000.0813 日曜日
昼下がりは昼食後の、家族の時間。
晴れたり曇ったり 友人とともにノガレスからアンデスへ向かったまち、サン・フェリペに行く。ひろいひろい盆地。遠く、延々と南米を貫くアンデスの峰が見える。夕日が当たると雪はピンクに、岩肌はバイオレットに輝く。ここに育ち暮らしたものは、もし故郷を離れても、全てアンデスを恋しく思うようになるに違いない。
2000.0812 土曜日
夜からエル・メロンの外れにある松原さんのお宅へお邪魔する。これまでも何度か食事した日系アルゼンチンの方。僕より少し年上なだけだが、身ひとつで入植して花や花の種の農場を経営している。
男は炭を焚き、肉を焼く。女はサラダやお好み焼きを作る。これがチリの流儀。お好み焼きは今日から流儀となったらしい。 奥さんとはディスコで知り合って意気投合。式や披露宴もそのディスコ併設の会場で盛大にやった。もちろん奥さんはチリ女性だ。とてもきさくでよく動く人だった。 それにしても松原さんと会うと、全くいつなりとも淡々としていて頼もしいなと思う。こういう男が多ければ世の中安泰だ。 どうぞいつまでもお花がいっぱいの松原夫妻でいて下さい。
2000.0811 金曜日
何度も繰り返すようだが、早く貧困者住宅の設計を終えないといけない。
今設計しているのは「こみて・うにおん」と通称で呼ばれている購入者組合の連合に対するもので、エル・メロンに建設されることになっている。全部で250戸。そのうち「びびえんだ・ぷろぐれしーば」と呼ばれる種類の住宅が152戸、「びびえんだ・ばしか」が92戸である。「びびえんだ・ばしか」のほうが個人の負担率は高い。つまりほんの少し高級であるとも言える。
ひさびさというか、はじめてというか、このページのトップを変えてみた。こういうことをしている時間があったら・・・とも思うのだが、仕事なんかで追いつめられると、少し逃避しながら視界が狭まって硬直するのを避けようとするのは僕のいつもの癖だ。堂々と正面を突破することができれば一番いいが、どうせ無理なんだからこれでいいと思っている。
2000.0810 木曜日
朝霧が消えても、いっこうに晴れない、ちょっと冷えたいちにち。こういうときには、ピカロネスを食べるのがチリの冬の過ごし方。エルミニアばあさんの家へ入る前、この揚げ菓子を勝手口で作っている最中だった。僕にはいまひとつはっきりしない季節感でも、それなりに大切にしている人がいるということだ。なにか、こういうのは、とてもいいものだ。 最近寝不足で、元気が出ない。いかんなあ。朝ゆっくり家を出たら、たまたま9時からマキシモの誕生会を役所でやっていたという。9時に行ってなくてもいいってのは、全くいい身分です。すいません。僕に知らせるのを忘れていたのだというが、さすがになんとも言えなかった。
2000.0809 水曜日
長崎原爆忌。広島の日は、うどんを食べて喜んでいた僕だった。
遠い国にいてインターネットを通した日本のニュースを見ると、夏になって急に戦争にかんする記事が多くなるのが本当によく分かる。なにか唐突で、少しだけ複雑な気分になる。
歴史上の、特に第二次大戦(太平洋戦争)関係の「つもり」や「いきさつ」にかんしては、教育の場で高校までに語られなければならないのではないか。できれば幕末からの近代の形成期を踏まえて。そして現在へ断絶なく繋がっているものとして。
社会開発系のメーリングリストから、いろいろとおもしろいメールが来る。転載してもいいというので、載せてみた。
だれもが、いろんな背景があって、それぞれ立場があって生きているんだな。なんて考えるとき、相手を尊重するという言葉が語られることがあるけれど、ただ理想的な話で言うのではない。ハイチの話に触れたように、こうしてそれぞれの立場を踏み込んで見ていくなら、だれもが抱く当然のわきまえだと思う。
なんか、ちょっと変だな。なにが言いたいか理解できるとしたら、あなたは傲慢なのでしょうか・・・・?いえ。それは僕がおかしいせいです。
2000.0808 火曜日
うららかと形容するのは、こういう日だというような、そんな日だった。
クラウディアの病気夕方カレラへでかけるコレクティーボ(路線の決まった安いタクシー)で、偶然カリンカと同乗した。彼女は地域振興課の職員で、若いのによく太ってとても図太い、言い換えると強い強い人なのだ。すでに子持ちのお母さん。カリンカはロシア系の名前だという。彼女の同僚のクラウディアは住宅施策の担当で、僕とは貧困者住宅のプロジェクトで一緒に働いているが、最近病気でずっと休んでいる。許可を取っているという風にしか聞いていなくて、実際どうしたんだろうと心配していた。彼女の話になった。「ケン、クラウディアがね、電話でよろしくっていってたわ。」
クラウディアは、人の顔をして描かれた太陽に見かけるような、明るい面立ちの女性だ。でも、長い髪には白髪ともつかない、いろんな色が混じっている。心労が重なっていたんだろうか。契約のソーシャルワーカーで、バケーションもとれないし、遠いバルパライソの大学までをしょっちゅう行き来していた。住宅施策のコースを履修するためだ。仕事も行政の住宅関係となると、いろんな人々の切実で頑固な要望やら何やらを調整せねばならない。緊張尽きてがっくりきてしまったとすれば、それは理解できる。
チリの人は、日本人よりものんびりしていて、ストレスとか過労とかいったこととは無縁なんだろうか?そんなことはない。ひとによりけりで、そんなことは人間だもの。世の中だもの。たぶん世界中同じなんだと思う。
2000.0807 月曜日
貧困者住宅について、新しく設計しなければならないのだが、なかなかアイデアがまとまらない。しかたないから、とりあえずできることからやっている。去年の暮れに設計したものの変更。 夜更け、久しぶりに家族宛の手紙を書いてみる。写真もプリンターでの印刷ながら同封。いつも焼き増しが面倒でいけない。友人にもプレゼントしたいものがたくさんあるのだが。
2000.0806 日曜日
モールでショッピング。もう半月以上もセールが続いている。春物と冬物が並んでいるのがおもしろい。紺のコットンのパンツ、薄手の紺のセーターを買う。いつも色目の、つまり赤とかそういうのをよく着ているといわれるので、今日は、紺の人をテーマにしてみた。 夕食。うどんを作って食べた。まあ、上出来。
2000.0805 土曜日
ごっちゃん、千春さんとともに昨日に続いて「寿し花」へ。今度は自腹。のち報告書づくり。まだ3号を書いている。ずいぶん前、提出だ!と意気込んでいたのではなかったか。
2000.0804 金曜日
JICA事務所へ。海外研修員の申請書提出。カルメンは日本に行けるだろうか?来年の5月から6月が出発だ。
事務所のメールボックスには、帰国後の進路希望調査票なるものが入っていた。もうそんな時期なのだ。うげえ・・・。
2000.0803 木曜日
なにやかやとどたばた。
おう。俺は病気だよ。
2000.0802 水曜日
貧困者住宅のスケッチ。前にやったものと同じプロジェクトだが、補助金のセグメントが異なる、もうひとつの住宅を設計しなくてはならない。アイデアが浮かびにくいこと、それからぎりぎりの空間構成というか面積構成で作らないといけないので、色々難しい。当然町並みにかんする配慮もいる。なにせ、今設計しているモノだけでも、98戸も作られる可能性があるのだから。いくつかのタイプを組み合わせることで、なんとか単調な風景にならないようにしたい。本当なら集合住宅としたいが、もうすでに区画は決まっており、僕はその中の住宅をデザインするに過ぎない。 悶々考えてもだめだ。中庭へ出て、そうして中庭にイメージだけで住宅を立ち上げてみる。そうしてスケッチしていく。スケッチしながら、そのイメージの住宅の中や周りを歩いてみる。これは修練のできている人でなくてもできることではないかと思っているが、まあ、端から見ていると、大変怪しい行動ではある。
2000.0801 火曜日
寒さ和らぐ。桃が満開だ。パン屋のおばさんに聞くと、去年桜だと思った街路樹の花は桃なのだと。そうだ。 もう少しで春が来る。日本なら春が来たと言いたいけれど、チリの美しい春ばかりは本当に春になってから「春が来た」と言いたい。だから今は、まだ春を待っている。 そういえば、もう2週間くらい前に新しい我が家の住人がやって来ていた。4人の看護実習生達だ。去年の今頃だったか、そのときも4人来ていたな。今度は全員女の子で、みんななかなか綺麗な子ばかりである。あ、春が来たのか、これは。
「ケン、いつもどうしてこんなに遅いの?待ってんのよ。」
え?ほんと?オンセって、お茶をすることで、まあ夕食代わりの軽食なんだけど、ほんと?
2000.0731 月曜日
このところずっと暖かく暑いほどだったのに、雨が降りそうなほど雲の立ちこめたノガレスは非常に冷えた。日本の冬を思い出した。
買い物をした。最近の心がけで、ひとりで飲むものでも高級ワインを惜しげなく買うことにしている。で、スーパーで選んだ1本だが、レジで値段が出てびっくりしてしまった。同じ銘柄でもreserva(れせるば)とあると、リザーブということで値段が跳ね上がる。これを見落としていた。これまでの最高額の6914ペソ。最近のレートに合わせると1300円程度。これは僕のもらっている手当の水準から言って、日本円で6000円を超えるものを飲んでいるのと同じだ。ちょっと高すぎるが、買った。
kmdesign/MATSUOKA Ken'ichiro
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