|
Diary
日々の記録
![]() km: 同僚シリーズ
ルーチョとコテ ルーチョ(ルイス)は受付のおじさん。
スキーサンティアゴ東部のラスコンデス市に、スキー・トータルという名のスキーツアー店がある。朝8時、僕らは待ち合わせをして借りる道具を選び、ワゴンに乗ってアンデスへと向かった。今日はアンデスでスキーだ。サンティアゴをそのまま東へと1時間半ほど行く。2車線がやっとのつづら折れの道を延々と登っていく。ある標高から突然積雪が増して、快晴の太陽が眩しくなる。路面が雪や氷で怪しくなると、チェーンを付ける作業風景が多く見られるようになる。ほどなくしてバジェ・ネバードのスキー場に着く。 www.vallenevado.com バジェ・ネバードとは雪の谷の意だ。
サンティアゴ近郊のスキー場はほかにも二つあって、いずれもここの近く。エル・コロラド-ファレジョネスとパルバだ。 僕らはみんな協力隊員や日系青年ボランティア(協力隊と似たJICAのプログラム)で、チリとパラグアイの混成グループ。うち、わがチリのコージ君とパラグアイのYさんは1級資格を持っている。聞くとこのふたり、金曜から今日で3日連続のスキーだそうだ。日頃の何かをここで爆発させるスキー・ジャンキー達。
しばらくは新雪もなかったように思われるものの、積雪は十分でたいへん滑りやすかった。この標高では、日が照っても雪が溶け出すことはないのだろうか?また駐車場の関係で入場制限をしているので、リフト待ちが気にならない。スキーもボードものびのびと楽しむことができている。僕は、おかげであまり後ろを気にせずに練習することができた。一日という短時間の割には多少の上達はあったんではないか?満足だ。
リフトで同乗したボーダーや親子連れのスキーヤー達と話を交わすことがあった。誰もがとても感じが良かった。彼らは社会人や学生たちだが、このチリではスキーは庶民に手の届かない贅沢なスポーツであることは事実で、彼らは一部の富裕層か、もしくは北半球からの旅行者なのだということを意識せざるを得なかった。物腰や話し言葉に、違いははっきりと出る。
費用は以下の通り。
2000.0715 土曜日
サンティアゴ。買い物に出かけた。ちょうど今、冬物のバーゲンが行われている。多少ともチリは安いから、コートとかセーターなんかを百貨店で買っておきたい。
ここ数日のチリ中部は暖かい。20度近くまで気温が上がる。このまま春になるのだろうか?
2000.0714 金曜日
JICA事務所へ。後任要請の書類を出しに行く。 夜、帰国隊員のノブタカさんを空港まで見送りに行く。彼はチリ協力隊初めての隊員にして、任期を1年延長した、ミスターチリ協力隊だった。今日、3年目にして彼も帰国の途についた。アメリカを旅して帰るとのこと。
もう少し早い便では、花卉(花の栽培など)のヒトシさんも帰国していった。彼の方はオランダを経由するらしい。チューリップとヒトシさんか。ひとつきもすれば、真夏の長野、浅間山を望むまちにひょうひょうとした足取りでたどり着いているはず。 見送りメンバーで、夕食はペルー料理を。前回はもっとおいしく感じたんだけどなあ、こんなのだったかなと考えながら、チリの高級ワインと一緒に舌鼓。
2000.0713 木曜日
午前、大統領府であるモネダ宮殿、地下のオーディトリアムにてチリ協力隊3周年の式典があった。内務省の主催で、全隊員が招かれた。去年も同じ様な式典をしてくれたが、なかなかに丁寧なお国柄だという。他国ではこうはいかない。うちの市長も来てくれた。ありがたい。ちゃんと応えよう。 夕刻までホテルに戻って昼寝。のち日本大使館へ。JICA関係者向けの安全対策会議。いつも同じような内容の防犯教育。しかし、これが重要なのだ。
安全・・・が終わったら、その場で立食パーティ。日本食とワインなどが振る舞われる。 何故、日本食と言うんだろう?日本では和食といっていたが。考えるに、洋食の類も厳密には日本的なメニューであることが多い。和牛のステーキ、カツ、カレーなど。これらも含め、日本で食べられている、ごく普通のメニューであれば「日本食」と呼んでいるようだ。 さて、今日で健康診断や隊員総会といった半期に一度の行事もお仕舞い。そして、12月に帰国する僕には、最後の行事となった。帰国が近いなと、感じる。
2000.0712 水曜日
午後、隊員総会。しゃんしゃんで終わる。平和。 夕方、韓国料理店「キル・モック」で新隊員、帰国隊員の歓送迎会。焼き肉の煙とキムチの匂いのなか、わいわい。
匂いを染みつかせて連絡所へ向かう。隊員機関誌の画像関係などのデザインは、マックの使える僕に比重がかかっている。統括のごっちゃんの指示で明け方まで作業。その間、ごっちゃんはもくもくと裏方の作業を続けていた。頭が下がる思い。
2000.0711 火曜日
なにもなし。寝まくり。
2000.0710 月曜日
午前中、定期健康診断。クリニカ・アラウコにて。胸部レントゲン、採血、検尿、検便、内科検診、眼科検診。 このクリニックに、30名を越える隊員達が今日と明日の二日間詰めて検査を受けるわけだ。が、以前もそうだったように、今回もまたか、という事件(?)があった。 内科の医者はくりくりと縮れた頭髪で、頬や鼻、顎にこれまたたっぷり髭を蓄えた50がらみの中年男性。この医者、どうも行動がよくないのだ。男性・女性にかかわらず、意味もなく「全部脱がせる」、「触る」のだ。
責めれば、きっと医者としての専門にかまけて、自分のやったことの正当さを語り出すに違いない。その辺がまた卑怯この上ない。
分科会午後は隊員連絡所にて、土木・建築系隊員分科会。会場は、東京からミッションが来ていると言うことで、断りなく会場の変更を強いられてしまった。気分の悪い話である。こっちだって遊びではない。ひとこと言って欲しかった。 今回の分科会は活動報告を中心にして行った。座長も、今回からヤスノリさんに交替してもらっている。恒例にしていたサロンは、今回はなし。
時間が押してしまい、分科会は全ての予定を消化できなかった。例えば任国外旅行の報告は、僕だけしかできなかった。はみ出てしまった人には、全く申し訳がない。こういうことはしてはいけない。 振り返って、少し。
2000.0709 日曜日
午後、隊員機関誌の編集会議。というよりも、編集作業だ。遅くまで作業する。楽しい。
2000.0708 土曜日
健康診断のため、サンティアゴに上京。土曜だし、映画でも見るか。ミッション・インポシブル2。
夜は、いつぞやに飲んでおいしかった赤ワイン。トレオン・デ・パレデスのカベルネ・ソーヴィニョン1997を買って飲む。こんなに辛かったかなと思う。しかし、これくらいうまくて普通じゃないのかな。
外は冷えるいちにちだった。
2000.0707 金曜日
僕の所属する企画局のボス、アロンソから協力隊の要請書を受け取る。健康診断等で来週はべったり上京するから、ついでに内務省の関係部署へ僕の方から提出することにした。
せっかくの七夕。今日はどうしようもない曇りだった。しかし、スペイン語では天の川は「道」であって、恋人を隔てる川ではない。晴れた日に、好きなだけ逢瀬を楽しめばいい。サンティアゴはともかく、ノガレスならいつだって「道」が出ている。
2000.0706 木曜日
今日も報告書やらなんやらでばたばた。こういうのもまあ、楽しいか。本来の市役所の仕事なんかそっちのけ。
2000.0705 水曜日
協力隊で義務づけられている定期報告書だのなんだので、寝る間なし。辛い。なんでいままでやらなかったのか。
2000.0704 火曜日
長雨が去ったら、冬至を過ぎたばかりだというのに春に近づいたような陽気だ。薄茶色した緑少ない山々が、にわかに草穂の色に染まりだした。だが、まだ春は来ない。
任期延長と進路青年海外協力隊の任期は通常2年。今年12月7日が、僕の任期満了日。規則では配属先の要請があれば、あと1年任期延長が認められる場合がある。仕事の行方や内容によっては、2年では足らず3年働く人も実際いる。そう多くはないが。いっぽう1週間とか数ヶ月、あるいは半年という人は結構多い。この手続きは早いほうが予算の関係上有利だが、最低でも4ヶ月前には所定の手続きをとらなくてはならない。僕にもその時期が近づいてきた。どうしようか。 もともと延長するつもりはなかった。しかし、2年では語学や業務の慣行等を身に付けるには短いのは確かだし、当初目論んでいた仕事をやるにも実際足りなかった。だから、せめて数ヶ月でも延長するのはどうなのだろうか・・・。 結論からいえば、おそらく僕は任期の延長をすることはあるまい。ゼロ号報告書でも書いたように、協力隊での経験は、今後のために現段階で実地を見ておくことを最大の目的としていたので、長い目で見れば、今は延長するよりも次の段階へと進んでおいた方がいい。延長してできることは、たぶんたかが知れているだろう。経験と能力に乏しい今の自分に必要なのは、自分を鍛えることだ。延長してもそれは望めない。 そうなると、気になってくるのは帰国後の進路だ。この4月に帰国した建築隊員のノリヒコさんからのメールでは、建設・建築業界は相変わらずの不況で、意中の就職は大変困難だという。延長も検討した方がいいと助言してくれたが、さて。
身の丈を知ること。次へと進むこと。生活をつくること。などなど。年間千名にもなる帰国隊員たち。現職を休職するなどして参加したひとはともかく、多くはこういう経験をそれぞれ乗り越えている。 断っておくが、別段ここで協力隊ガイドを僕は書きたい訳じゃない。僕自身の経験を、それはそれとして留めておきたいだけだ。
昼夜、3号報告書を書く。雑事等。
2000.0703 月曜日
出来てしまった午前、上司のアロンソ、同僚のマキシモと共にメロンへ向かった。体育館を見に行く。これは先日偶然立ち上がっていることを知った、僕の設計の体育館だ。工事は8割方終わったというところ。マキシモ達は、もとの設計と相違がないかメジャーを持って調べている。僕はカメラを手に、うろうろ。 元の設計は、予算やらなにやらの制約があって、自分でも疑問ののこるものだった。今立ち上がっているのは、更に譲歩して変更された結果のようだ。公共事業課のベルナルドが中心となって変更を行ったようだ。仕方がないとはいえ、何か悲しい。また、変更によって今後つきまとう不都合も多少出来てしまっている。ただ、施工はチリの田舎の割に、まだましかも知れない。いつもながら、細く頼りない鉄骨の構造メンバーには不安を覚える。台風が来ないから、これでいいのか。 続いてメロンにあるスタジアムへ。去年ちょこちょこと設計を指示した階段席やその屋根、国旗掲揚のポール、得点表示板、便所の増築、キオスクの建家。すでにこれらは使用されている。今まで見に来なかっただけだ。いずれも大小の変更や、省略がなされている。こちらは体育館と違い、大変荒い工事。キオスクなんか、小さくてかわいいだけに、雑さが目立ってしまっている。が、まあいいのかな。日本では考えられないような低予算で作られるモノは、少なくとも使用に耐えればよい。こういうものなのだろう。少なくともスタンドの屋根が先日の大風でも飛んでいないのだ。これで十分かな。 設計をしたり、提案したり、助言したりといった仕事達が、帰国までになんらカタチにならないことになったら。心配していたことは、これでなんとか回避できた。が、設計はあれで本当によかったか?工事の監理にかんして、なにもしていないのはおかしくないのか?といった疑問が残った。
recent
|