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Diary
日々の記録
km: 霧雨のサンティアゴ
2000.0702 日曜日
晴れのち曇り
来週まで降り続くと予報された雨は、どこかへ行ってしまった。何をすることもないので、美術館に行き、食事して、任国外旅行の記録をまとめる。
国立美術館の裏手の小さな広場にはボテロの彫刻があって、大道芸の練習をする若者達で一杯だ。小遣い稼ぎもやっているのか、ただの趣味なのか分からない。日本では見たことのない道具を使った芸もある。
趣味で大道芸だったとしたら、ちょっと素敵な趣味だ。
2000.0701 土曜日
曇り
午後、隊員機関誌編集会議。若干遅刻した。申し訳ない。この7月でやっと3周年を迎えるチリの青年海外協力隊。機関誌も準備号と1号、2号。今月でやっと3号目だ。
なんやかんやとすぐに夜となる。カレーを作ってくれた。みんなで食べる。大変にうまく、3杯も食べ、苦しい。セルベサ(ビールのスペイン語)がうまい。
親が送ってくれた小包を受け取った。菊正宗の紙パックが入っていた。安い酒だが、懐かしい味。ありがたい。家族がいて、世話を焼いてもらえるということって、いや、ほんとにありがたい。誰もがこうはいかないということをよく念頭に置いて、飲む。
2000.0630 金曜日
降ったり止んだり
特に何もない一日。
明日は隊員機関誌の編集会議があるので、せっかく戻ったノガレスを後にする。
バス
サンティアゴまでのバスは、隣町のカレラ市から出ている。カレラまではローカルバスで20分。そこからサンティアゴ行きに乗り換えて南へ110キロほどの首都へ向かうわけだ。ローカルバスの小型でおんぼろなのに比べ、こっちは日本の観光バスのような大型の立派なもので、後部にはトイレが付いている。ベンツとブラジルの車体会社が作ったものが多い。カレラからサンティアゴまでは2時間。
料金のほうは1200ペソから値上げされて以前は1300から1450ペソだったのだが、この2ヶ月ほどは500ペソと劇的に値下げされている。15分から20分ごとにバスを出して2社が競合しているなか、ある日突然始まった価格競争の結果だ。
ここまでやるのは珍しいとはいえ、チリではときどき商品知識や商倫理を疑うような値段の変更をするのをよく見かける。節操がないなと思うことしばしば。しかし、百キロ500ペソは安い。たったの百円だ。
2000.0629 木曜日
降ったり止んだり
雨は来週木曜まで降るという情報。火曜までだったのになあ。
午前中、歯科へ。中学以来の虫歯のためだ。ごく初期のものということで、簡単な治療だった。
せっかくJICA持ちで治療できるんだからと、歯石取りなどもやってもらった。ほとんどクレンザーのような薬剤で歯を磨くのもやってくれたが、歯がすり減るようで、これはどうも気に入らなかった。
今後、歯磨きを励行のこと。
書店で建築家ジャン・ヌーベルの作品集を買う。彼はフランスの人だったと思う。スペインのエル・クロキィスのシリーズで、日本でもよく売っているものだ。重い。
本屋の明るい主人が、おまけで新聞を1部くれた。サン・テグジュペリの、今日は生誕百周年であることを伝える記事があった。あんまり彼の作品は読んでいないが、例えば「人間の大地」や「夜間飛行」はよかったな。彼は本当にいい男なのだ。たしか、みすずから彼にかんする本がたくさん出ていた。いつか買ってやろう。
2000.0628 水曜日
雨
来週火曜まで雨は続くとのこと。またか。日本の梅雨並だな。うっとおしいが、その代わり普段荒涼としている山々が、春にはいっそう美しい緑に包まれることになるだろう。
明日は午前から首都の歯科へ行くので、いつもの長距離バスに乗り込んだ。半分壊れた手元灯が照らす方へ身をよじって本を読んだ。今回は詩歌。久しぶりにこういうのもいいな。
気味悪いほどこつてりと
寝白粉(ねおしろい)してねたまんま
朝には死んでゐた女
堀口大学「夕顔」
あまりこの娘(こ)を悪く言わないでくれ、
この娘は土偶(はにわ)なんだ、
あの古い追憶(おもひで)の丘に埋(うづま)つてゐたのだ、
うへには青い草が生えてゐた、
それを月夜に俺が掘り出して来たのだ。
・・・・・・
西条八十「土偶」、部分
「鏡を見ろ、泣くな、しつかりと見入るんだぜ
お前の顔がお前を見てゐるぜ
その顔は猿の死顔だ
人間の顔ではない」
・・・・・・
村山かい多「鏡に」、部分
かい、は木へんに鬼
・・・・・・
私のたまたまの我執の闇を優しく照らすために
お前は静かに愛と警告の灯を置いて去る。
尾崎喜八「妻に」、部分
恥ずかしながら高校生のときから喜八が好きだったりするので、その昔買って、なぜか持ってきていた。
経歴からして華麗で才能豊かな大学、高踏派象徴詩(・・・?)の巨人八十、夭折した血気盛んなる画家かい多、照れもなにもあるものか理想主義の喜八。
凄いバランスでこれが一冊に収まっていた。僕はこれらを日本食みたいに三角食いしながら読んでいたのだが、酒と違ってチャンポンしても酔わなかった。もちろんバスにも。今日は調子がよろしい。
中公文庫「日本の詩歌17」
2000.0627 火曜日
雨
冬の風景
昨日は前倒しの祝日だった。今週は今日から出勤。
結構な雨が降っている。あさってまで降り続くという。今年は多雨だ。一昨年は雨期の冬にもほとんど雨がなく、次の年に電力不足をもたらした。水力発電が主力だからだ。去年の降りはそこそこだったらしい。
雨の日は冷えることになっている。雪とか北風とか吹き下ろしとか、そういうものが冬の寒さの象徴である日本。ここは雨がその役を担っている。そして雨の降る寒い日に食べるおやつというものまである。ピカロネスやソパ・イ・ピージャというのがそれだ。ほんのり甘く柔らかな揚げ菓子。
夜。小休止の雨天の下、パンを買いに歩く歩道は水たまりだらけで、乏しい街灯の光と軒から落ちる滴の波紋、それに自分の吐く息の白さなどが僕にとってのチリの冬の風景をつくる。
眠くて珍しく早くベッドに入ったというのに、どうにも寝付けなくなり手に取った本がいけなかった。浅田次郎の「鉄道員」。JICAの事務所から借りたものだ。短編で、一杯のかけそばばりの、日本的ないい話である。なるほどな。いぶかしげにページをめくり始めたものの、素直にぐっときた。寡黙でまじめでシンプルな生活を生きる人の多いことを思う。それは、欺瞞だらけでずるくて意味もなく複雑な生活をしている人より、ずっと多いのだ。
「鉄道員」の背景は廃線間近のローカル線が走る冬の北海道だ。
冬か。
僕にとって冬は特に好きな季節ではない。しかし、今が冬であることも手伝ってか、思い返してみると心に残っている映像の断片達は、どうも冬の夜であることが多いように思う。
信州へ受験に向かう車窓から見た黄昏の雪景色。学生時代、安下宿から自転車で貸しCD屋へぶらりと走った京都北山の夜。遅い勤め帰りの、人もまばらな大阪、冷たい雨のプラットホームや暗い風の吹き抜ける地下鉄の階段。地下鉄と言えばパリのメトロのスチームと思われる匂いと陰気くささ。出張先の富山のビジネスホテルからの眺め。静まり返り、縹渺と雨の降る奥琵琶湖の湖岸。
いずれもひとりだった。どれも逃げ出したいくらいに寂しい。妙なもので、それでも僕はそういうひとりの風景のなかにいる甘い痛みのようなものを味わい続けていた。
今日のノガレスの雨の歩道も、印象的な冬の夜のシーンのひとつになっていくような気がする。
えらい、おセンチちゃんやな。
2000.0626 月曜日
曇り
未明に作業を終える。日本の友人にメールで送信。うまくいけばいいな。全く電子時代とはおもしろいものだ。
今僕らは世界で最も離れて協働をしているが、やっていることは同じ町にいてやっているのと変わらず進めていける。逆に言うと、離れていることはそんなに自慢でもないのかなということだ。
夕食。久しぶりに冷や麦を食べる。なぜか冷や麦なのである。そしてたぶん1年分の冷や麦を食べた。
2000.0625 日曜日
曇り
今日も作業。
夕方、サンティアゴのイタリア広場前にあるCTCビルへ。CTCは日本のNTTみたいな会社で、これは本社ビルだと思われる。まだ新しい超高層ビルだ。1階のギャラリーで行われている「Matta(マッタ)展」へ行く。無料。
マッタの印象
きちんと調べているわけではないが、これまで聞いた限りではこのマッタ、チリを代表する画家のひとりである。そして現在も存命中のシュールレアリストだ。
展覧会パンフによると、建築家資格を取得後ヨーロッパへ渡り、30年代22歳のときフランスのル・コルビュジエのアトリエの門を叩いている。当時の建築エリートにおける剛直球である。
彼の活動の全期間を一気に閲覧するような豪華な展覧会。なかでも50年代は彼の40台らしく、僕の目には最高に作品が冴えて見え、彼の作品に共通しているめくるめく展開する立体的な空間に魅せられた。
これまでもチリ国立美術館などで彼の代表作に触れる機会はあった。しかし今日、まとめて見ることで彼の作品の傾向に僕なりに感じ、楽しむことができるようになった気がする。抽象絵画にはほとんど直感的なおもしろみを感じられない僕にはめずらしいことだが(理屈的に楽しむことはできる)、これはマッタが徹底的な抽象を追求することを目標にせず、彼の胸や頭や目の奥にうごめいているイメージを正直に描いているせいではないかと思った。ある意味ではとても具象的だ。これも全くの推測でしかないが。
しかしそれにしても、あそこまでランダムな線や色彩の集合でありながら正確に透視図を構成した絵を見たことがない。彼が若い頃、一流の建築家の卵であったことを思わずにはいられず、僕は彼の作品がいずれも夢想の空間世界や物体の変転そのものを描こうとしているように感じられ、それは建築家が建築のイメージを図面や作品に定着させる作業にほとんど等しいと感じられた。
建築家の中にも実作品よりは理論や想像、図面の世界でしか作品を作らないひとたちがいる。マッタは画家というより、僕には逸脱しすぎた建築家だといったほうが適当で、そう扱った方が作品が楽しくなるように思った。
彼の絵は、作品の前に立つ人を幻惑し、描かれた空間の中に引きずり込む。そしてしばらくの間、身体や機械のメタファーの乱れ飛ぶ世界の中でひとを酔わせる。彼の作品の多くが巨大であるのは、そのような幻惑を目論んでいるからだ。僕にはそう思える。
2000.0624 土曜日
おおむね晴れ
昨日から引き続き作業。
今週木曜日の祭日も、先週のように月曜日に前倒しにされているから3連休になるのだけれど、どこにも出ず。ああ、もったいない。連休なんて、そうないのだけどなあ。まあ、あんまりいつも出歩いているよりは、ほんとはじっとしているのが好きだったりもするのだけれど。
2000.0623 金曜日
曇りのち小雨
日本の友人と一緒にやっている建築関係の作業。たまっていたし、締め切りが近い。どんどんやっていく。
自由に何かをつくっていくことって普通の仕事ではそうそうできることではないから、もともとやせた耕地を懸命に掘り起こしては水をまくような、そんなふうにしか進めていけなくなっている。それでもものづくりの喜びや緊張感、集中しているときの感覚というものには今でも完全に虜になる。疑いのない恋みたいだ。こういう感覚は、そう簡単には失われていくことはないだろうと信じているが、いつかきっと、摩滅するように、潮が引くようになくなっていくのだろう。
ごく一流のものづくりに携わる人達は、そんなふうには感じていないのだろうか?
2000.0622 木曜日
晴れ
昨日の午後からほとんど寝っぱなし。で、今日は昼から出勤する。あっさり平熱に戻っている。あの熱は何だったのか?
先週もそうだったのだが、下痢を伴う不調時は、もうあきらめて固形物を食べずに寝るのがよいなという境地に至った。そのほうが腹も休まるようだ。からだの方も、そう何日も断食するわけでなし、かえってすっきりするようで気持ちがいい。これって不健康なのかな?
2000.0621 水曜日
晴れ
朝、起きるなり気分が悪かった。布団が安物である所為か、下に毛布を3枚重ねていても暖まりきらない。それでいつも寒い思いをしている。かぜでも引いたか?
正午過ぎ、帰宅することにする。悪寒。ひょっとして日を挟んで生の貝を食べたのが出たのだろうか?ああ、いかんいかん。でも吐き気はないんだよな。
役所からの帰りに買った桃のネクター1リットルだけが今日の食料。あんまり寂しいから、夜半になってお粥を作る。それだけで今日は過ごす。9度近い熱。何もできない。空気が乾燥するのだが、電気のファンヒーターをつけっぱなしにしておく。寒いのが一番こたえる。
2000.0620 火曜日
曇り、夜半雨
うちの部局のある建物だけ今日は停電。みんな暇そうにしている。パソコンが使えないからだ。
夜、ごっちゃん来訪。明日提出するという書類の作成を手伝う。生徒の成績表だ。ちゃんとクラスをやって、成績まで評価するとは、たいしたものだなと思う。感心。
2000.0619 月曜日
曇り
旅行4日目。フルティジャールをあとにする。12月の帰国まで、きっともうここを訪れることもあるまい。名残惜しい思いでしばらく散歩する。
プエルト・モンのまちの外れの漁港アンヘルモへ。今日は22日木曜日の祭日が前倒しになって休みだというのに、チリでは珍しく、大抵の土産物屋や海鮮レストラン、海鮮市場が開いていた。特に海鮮市場はなかなかの熱気。鮭やメルルーサ、コルビーナといった大きな魚をはじめ、ウニを含む魚介類が、もうわんさと積まれている。新しいのと気温が低いのとで、嫌な匂いは一切無し。売場の隣ではそこここで小さなレストランが卓を並べている。どれも安い。2千ペソ(4百円程度)も払えば、大皿にどんな料理ももられてくる。
僕らは市場のすぐ隣りにあるレストラン棟へ行き、中でもよさそうな店を選んで入った。閉口するくらい客引きは活発だった。平日はもっと凄いだろう。
クラントと呼ばれる肉と魚介の鍋物と、生の貝の盛り合わせを食べる。どれもごく新鮮で、全て同じような海の味だ。ただ、以前ウニで食中毒になっているから、今回は仕上げに梅肉エキスを飲んで用心する。
食事中、店のおばさん達も昼食で、みんな揃ってこちらを向いて眺めていた。ガイジンをやるのも慣れたが、そんなに見なくても。
夜間飛行。翼に雪がちらつくのを見た。首都帰着。南部に比べると明らかに温かい。5度程度はあるか。
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