Diary
日々の記録

 
  

2000.0507 日曜日
晴れ
 

 何をするでもなく、ひたすらぼーっとして過ごした。あ、珍しくパソコンでゲームしてみたな。どへたくそで、どのゲームも続かない。全く。

 同期の隊員の中には、帰国までの日にちをカウントダウンしている人がいる。彼女によると、任期が終わる12月7日まで、もうすでに30週間くらいなのだそうだ。
 週末も大事に使わないと、なにかやり残すことになる。
 


2000.0506 土曜日
晴れ
 

 首都の韓国食材店で買い物をする。気分が乗ってきたから、ついでに韓国料理屋へ行く。ここは付け出しのキムチが楽しみなのだ。6皿くらい、量もたっぷり出る。

 日本料理屋は高い。それに、うまさを楽しむよりは懐かしく落ちつくことを目的に行くような気がしている。その点、韓国料理屋はうまいうまいと喜んで食える。日本じゃ韓国料理は焼き肉だけかと思っていたが、当然ながらそうじゃなかった。実際食べてみると、日本人ならどれをとっても喜ぶはずのメニューばかり。僕など、なんでこんなにおいしいのか?と手を合わせたくなってしまう。
 帰国したら、きっと近いうちに僕は朝鮮半島に行くんじゃないか?いや、遊びに。いろんなものが、僕を呼んでるような気がする。

 夜半までかかって、任国外旅行の日誌をまとめる。ちょっと画像が多い、でかいページになってしまった。ま、いいか。
 ご覧の方は、そういうことなので、ちょっと覚悟して下さい。それほど常識外れでもないと思いますが。

 任国外旅行アルゼンチン編

 その他は、後日、追って。
 


2000.0505 金曜日
晴れ
 

 少し夏へ戻ったような、いい天気のいちにち。

 隊員連絡所から借りた文庫本を読んでいた。中島らもの「西方冗土」という本。
 ほとんど彼の本を読んでいない僕だけれど、ちょい読みしても、うまいというか綺麗というか、言うことのない書きっぷりだなあと感心した。内容は、まあ十分おもしろいんだけど、商売で書くならこれくらいでないとという、ほとんど職人かたぎなくらいの気概が伝わってくる。読みやすい。分かりやすい。面白い。くどくない。美しい。
 内容の難しい本は、すべからく彼に執筆を願いたい。ほんまに。
 


2000.0504 木曜日
晴れ
 

 午後、マキシモの家に行く。初めてのことだ。彼は敷地の奥に、彼の世帯の新居を建設中だ。市役所関係の図面は結構な割合を彼に負っている。当然設計も彼のもの。
 2LKと言った方がよくわかる間取りのレンガ造りの家は、壁を斜めに交差させたり、これも斜めに張り出した屋根を載せてあり、好きにやってるなという印象。800万ペソ、約160万円だという。大体40平米くらい。12坪として、坪約13万円である。ほぼ直営で、つまり業種ごとに職人さんと個別に契約してこれだから安い。日本ならどうだろう?2倍くらいするかなあ。でもこれレンガだからな。

 日が暮れて家に戻ると、この2週間近くセミナーに行ったままだったパウラが帰っていた。彼女は今週でセルビシオ・パイースの任期を終える。つまりお別れなのだ。
 ノガレスには、もう新しいセルビシオ・パイースのボランティアは入ってこない。

「でもね、まだ残ってる仕事を片づけなくちゃいけないの。だから来週いっぱいはいるわ。多分出発はその次の火曜日かなあ。」
「次はどうするの?」
「9州に行くわ」

 9州は、彼女が数年を過ごしたところだ。州都テムコの大学を出て、働いていた。

「そこのね、インディヘナのコミュニティで働くの。女性達のためにね。そう、マプチェよ。」

 これもまた、セルビシオ・パイースとして働くのだそうだ。

「海の近くよ。南に来るんだったら電話してね。」

 ここ数日、我が家はにぎわいっぱなし。パウラもそうだが、何人かのうちを使っているソーシャル・ワーカーたちが人を呼ぶからだ。ほとんど集会所の状態。若い歓声が絶えない。ちょっと苦々しいけど、見ていてなんだか明るくなる。

 夜半まで任国外旅行の間の日誌を作る。作るって、そう。まとめる、なんて言えないからだ。僕のこのページは客観的な情報について、全く集約していない。ほとんど主観を通して、主観のままに残したいものを残している、それだけだから。

 それにしても、どうやったら残せるだろう?伝えられるだろう?今日の昼間の空気、そして光は。
 チリ人達の中には、マキシモみたいに寒いなあとしか思わない人もいるが、チリの秋晴れの空気は清涼そのもの。誰かじゃないけど100パーセントのそよ風の中に浸かっている。そして光は透明そのもの。田舎の納屋の扉を開けて、干し草の匂いを嗅ぎながら、光の反射を見つめるような、そんな光だ。
 この日のノガレスは、まちごと山河ごと雲の高さまで持ち上げたみたいに全てが澄み切っていた。広場に遊ぶ子供達は、そういうことには目もくれずに遊び、お喋りに夢中だった。
 彼らは、例えばこんな幸福を持っている。
 


2000.0503 水曜日
曇り
 

 日本では黄金週間真っ最中。今日は憲法記念日で、しかしチリではただの平日。とうぜん五月病もないと思う。

 さて、本当に冬が来つつある。終日ほとんど陽が差さなかったせいもあって、職場は冷える冷える。みんなコートやジャンパーを着たままで働いている。いったい寒くなっても暑くなっても気候がやさしいし、しかも貧しいから、暖房も冷房も設備的にないに等しい。特にうちのような田舎では。というわけで、日本の冬よりも実質的にチリのそれは厳しいのだ。

 ちょっと仕事ではないけど、今日は友人の頼まれごとで、スペインの画家について書かれた文章を、勤務中だけど訳す。

 ホアキン・ソローリャという、19世紀末生まれのスペインはバレンシアの画家。
 僕は知らなかったし、彼も旅行したスペインで知って、そこで資料を集めたのだ。彼によると、まだ十分日本には紹介されていないようだとのこと。そういう作家について母国語であるスペイン語で読めるのは、特に嬉しいものだ。
 いろんな芸術運動の影響は見られても、彼はスタイルとしては終生具象画家で、そのテクニックは目を見張る。実物を見てはいないが、友人の資料を見る限りでは、油彩であってもその技術の底には水彩に見るような、そんな透明感を質感として持っている。あるいは、写真的な画面の作り方も気になってくる。そして、とにかくタッチが格好いい。アメリカのワイエスとは違うが、僕にはなにか似た清潔さを感じる。そういう印象を持った。
 読んでても、分からないだろうなあ。興味があったら、どこかへ当たって下さい。

 ごっちゃんが栗ご飯を作ったので、おすそわけを頂いた。夕食になる。かき込んでから味わって食べるべきだったと気付いた。僕はまだ若いということだな。今月、31歳になってしまうんだが。

 少し重いテーマのメールを書き、送る。電話線では、祈るような思いまでは伝わらないかもしれない。
 


2000.0502 火曜日
曇り
 

 JICA事務所へ行き、任国外旅行で使っていた公用パスポートを預ける。いつもはコピーを持ち、外国人用IDカードで生活するので必要ないからだ。
 ついでではないが、2号報告書を提出。人にことづけていたのだが、行き違いでうまくいかなかった。今度こそ提出。

 秋になり、冬が近づくと、どうしても自分の足下を見てしまう。もう任期は3分の1を切った。帰国してからの身の振り方をどうするか、考えねばと思う。また一方で、今のうちにしておかねばならないこととは何かと考える。

 去年の暮れに帰国した、同じ都市計画隊員のトシユキさんが、ホームページを持ったという。実験のつもりというが、これからの楽しい発展を期待する。なんといっても、企画力とまめさのある人だから。
 ちょっとプレッシャーを。

 彼のページ:tcsato
 


2000.0501 月曜日
曇り時々雨
 

 午後アケラルレのビチュケン湖を去る。その頃まで降っていた雨は止んで、バスを待つ通りには人が出てきていた。
 ビチュケンの集落を抜ける間、チリ中部の典型的な町並みが見られた。昨日ゆっくり観察しなかったのを悔いた。

 3時間のクリコまでの車中はぎゅうぎゅうの満員。日に2本のバスでは少なすぎないか?と思う。
 クリコはよく知られたワインの産地。1本買って帰った。

 この3連休は、どういうわけかチリじゅう旅行を楽しむ人が多かったようだ。地下鉄でもどこでも大きな鞄を持った若者や家族連れが夜遅くまで見られた。日本と違って、連休でもこぞって家を出る人の少ないチリなのだが。
 


2000.0430 日曜日
曇り
 

 午前中パドル・テニス。
 午後湖畔を散歩。夜はビリヤード。
 食事はすべてハムとチーズのシンプルなサンドイッチ。これは、カードも現金もなかったので、しかたなく。
 昼寝。よく休んだ。
 


2000.0429 土曜日
曇り
 

 第7州、海に近い山地に埋もれるようにVichuquen(びちゅけん)湖はある。サンティアゴから南へ約200キロ下った町Curico(くりこ)へバスで。さらに乗り換えたバスは、途中から未舗装路に変わって、120キロ程走る。そこがビチュケン。
 とんでもない田舎だが、湖畔に、そこだけ別世界みたいなリゾートホテルがある。そこにとまった。

 つい先週まで長い旅行をしたばかりだというのに落ち着かないことだが、振替休日という制度のないチリなので、5月1日のメーデーで3連休となるこの週末は貴重。帰国まではできるだけいろんな場所に行ってみたいので、強行軍。

 来てみて知ったが、この辺りがAquelarre(あけらるれ)。このアケラルレって、チリにいる人なら多分誰でも知ってる、最近までやっていた人気テレビシリーズの題名である。チリの農村が舞台のホームドラマで、つまりここはそのご当地なのである。
 


2000.0428 金曜日
晴れ
 

 夜7時過ぎから市の集会所「文化の家」にて、総括市政報告演説が、市長によって行われる。パワーポイントなんか使って、プロジェクターの画面で解説していた。日本より進んでいるのではないか?
 今年の暮れには市長選挙があって、人気の高いフェルディナン市長は再選が確実だが、今日の演説は選挙に向かってアピールできるいい機会。
 しかし、僕には半分も分からなかった。予算などの数字が並ぶのも興味が失せる。壇上に僕の作った広場の模型があったので、ほんとに気に入ってもらえてるんだなと確認できたのが嬉しかった。
 


2000.0427 木曜日
晴れのち曇り
 

 5月になったら、1年一緒にいたパウラはセルビシオ・パイース(チリの国内版協力隊)の任期を終えてこの家を出る。代わりに二人の大学実習生がやって来た。パウラと同じソーシャル・ワーカーで、ジェリーとセレステ。ふたりとも女の子である。今年いっぱい、木曜と金曜だけ来て、うちに住むとのこと。また、冬の間だけ、同じく役所で働いている同僚男二人も住むことになるかも知れない。
 たぶん、僕にとっては彼らと一緒にすむことは、どちらかというとプラスなんだろうが、任国外旅行で同期の仲間達が一人暮らしを楽しんでいるのを見て、そろそろ僕も、などと考えてしまう。しかしまた、引っ越しするのは非常にめんどくさいし、冷蔵庫やベッドのマットなんかを新たに買うはめになるのもごめんだなあ・・・ここにいよう。

 買い物に出たついでに、ブラジルはサルバドールで買った、ボブ・マーリィのTシャツを、友人のホルヘにやった。バス会社に勤めている知り合いのキコの影響で、彼はレゲェが大好き。営んでいるキオスコで、折りを見てはレゲェを流している。
 かくて、彼は大喜び。目なんて溶けてなくなりそうな顔で、よろよろとTシャツを抱きしめている。

「おお・・・さいこうだぜ!」

 日本の友達に送ってやりたいから、なんかいい音楽教えてくれと言うと、宝物にしているというチリのレゲェグループ「ゴンドワナ」のライブを自分でエアチェックしたテープをくれ、さらに「オロ(黄金の意)」というアルゼンチンのロック・グループのCDを貸してくれた。

 夜半まで、隊員機関誌「かっちゃい?(お分かり?)」の記事作成。
 


2000.0426 水曜日
晴れのち曇り
 

 昨日ほどではないが、少々冷える。
 秋らしさとは、例えば紅葉であったりするが、見渡してもそういうものにはお目にかかれない。落葉が目立つかなといったくらい。いつの間にか冬になってしまうのがどうも口惜しい。気温は変化しても、日本のような四季折々の風物にチリは乏しいということを再確認せざるを得ない。

 昼食は、久しぶりのエルミニア婆さんのペンシオンで。ダニエラが恥ずかしがって挨拶してくれなかったが、そのうちまた慣れてきてじゃれる。最近買ってもらったという絵本のシリーズを、一冊ずつ持ってきては何か言う。母親のマリアが、僕のいないあいだ、ダニーからケンはどうしたのかとよく訊かれたと言った。

 旅行中の写真の整理や、チリの隊員機関誌の原稿書きなど。原稿は、時間がなくて、どうしても既存の書籍から抜き書き・まる写しになってしまう。

 夜半、腹が減ったので「ケンミンの焼きビーフン」を食べる。これって全国区?

(ナスカさんより、全国区であると教えていただいた。彼女は鹿児島の人。他の友人からも、東京で売られているということを知る。

「けんーみんーの、やきーびーふん!」

 失礼しました。2000.0502)
 


2000.0425 火曜日
曇り
 

 午後、久しぶりにノガレスに帰る。

 2件隣のラモンさんが、マガリー夫人とともに昼食に招いてくれた。重いリュックを担いで歩いている僕を見つけて、来いという。

 この夫婦の3人の子供達のうち、クラウディオとカタリナは高校の時、日本に留学したことがある。そのクラウディオは大学の試験前というのに風邪で寝込んでいた。チリでは風邪を引いても、ひとにうつすから会うのを避けるというような習慣がないようで、父親のラモンさんは是非会って話をしていけという。少々ありがた迷惑だが、息子はグラフィック・デザイナーの卵。話をするのは面白かった。

 おう、ケン。ひさしぶりだなあ!
 市役所に顔を出したら、みんな嬉しいくらい懐かしんで挨拶してくれた。自分の部局の企画局の仲間に土産を配る。ブラジルには誰もが憧れるらしく、全ての女の子がボリビアでなくブラジルの首飾りを選んだ。

 郵便物が少し。

 南部アフリカのジンバブエから、友人のYの小包が届いていた。地元の音楽テープ2本と、写真が数葉。
 早速かけた。寒々としたオフィスに、ちょっと安物のラジカセの音が響く。あいつは、こういう声の中に住んでるのか。こっちからも、そうそうに送ってやろう。

 妹からも封書。
 人の逡巡に声をかけたくて、それが自分を励ますことも、見つめ直すこともあるということを思う。
 


2000.0424 月曜日
曇り
 

 終日の曇り日。冬のサンティアゴは、ひどい大気汚染で有名だ。今日、窓から見る風景は気持ちガスがかかっている。秋を飛び越えた冬の到来なのか。通りを行き交う人は冬支度を済ませたと言っていい、そんな格好。実際寒い。

 ちょっとした都合で首都に残ったことも無駄に終わった。連絡所で洗濯。その間、平成9年度3次隊のみんなが、僕の旅行中に大方帰ってしまったことを思った。あの人も、あの人も、今は帰国までの旅行中か、それとももう日本にいるのか。

 地下鉄の駅の写真屋に出したフィルムの処理は、数時間で終わった。フィルム15本分の写真は重い。
 ちなみに、36枚撮りフィルムを現像・プリントすると、このアグファの店ではほぼ4000ペソ。約800円だった。
 



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