Diary
日々の記録

 
 


任国外旅行編-2 BRAZIL, PARAGUAY

 さて、アルゼンチンの5日間を終えてブラジルへ、そしてパラグアイへ。

南米全図

全体の旅程

0331 アルゼンチン(ブエノス・アイレス)
0404 ブラジル(サルバドール、ブラジリア、フォス・ド・イグアス)
0410 パラグアイ(アスンシオン)
0411 ボリビア(サンタ・クルス、スクレ、ポトシ、タリハ、ラ・パスとその近郊)
0420 チリ帰着(アリカ、アントファガスタ)
0423 (サンティアゴ)


Argentina
Brazil, Paraguay
Bolivia
Chile Norte

下に行くほど新しくなります




2000.0404 火曜日
旅行5日目 ブラジル1日目
サルバドール1日目
雨のち曇り
 
 

ブラジルに入る

 ヴァリグ0931便
 ブエノスアイレス 800発
 サルバドール 1320着

ブラジル全図 朝5時半にホテルを出る。国際線だから早く空港へ行かなくてはならない。慌ただしい。雨の少ないチリとは気候の違うブエノスは、未明からよく降っている。

 首都だけでアルゼンチンを後にするのはもったいない話だが、日程が許さない。ブラジルの古都、サルバドールへ向かう。飛行機は途中サン・パウロへ立ち寄った。世界有数の大都市だ。鬱蒼とした緑の中にひろがる巨大な都市のネットワークが機内から見渡せた。

 サルバドール空港へ無事到着。ターミナルビルは現在拡張工事が進んでいる。観光に力を入れている証拠だ。
 飛行機からターミナルへ歩いて移動する間にも、むっとするような湿気と強烈な日射し。チリへ来て以来、低い湿度と快適な気温に慣れているから、びっくりしてしまった。なんだ、ここは!
 

ブラジルのプロフィールおよび比較

正式名称−ブラジル連邦共和国
 
ブラジル
チリ
日本
面積 854万7403km2(日本の約23倍) 75万6626km2(日本の約2倍) 37万7837km2
人口 1億5988万人(1997) 1462万人(1997) 1億2557万人(1998年3月末)
首都 ブラジリアBrasilia(182万人,1996) サンチアゴSantiago(508万人,首都圏,1995) 東京(785万人,1998,区部のみ)
住民 白人54%,パルド40%,黒人5%など スペイン系白人および白人と原住民インディオ(アラウカノなど)との混血95%,インディオ2% 日本人,アイヌ,朝鮮人,中国人など
宗教 カトリック74%,プロテスタント23% カトリック90% 仏教,神道,キリスト教など
言語 ポルトガル語(公用語) スペイン語(公用語) 日本語(公用語)
通貨 レアルReal ペソPeso
GNP 7096億ドル(1996) 701億ドル(1996) 5兆1492億ドル(1996)
1人当りGNP 4400ドル(1996) 4860ドル(1996) 4万0940ドル(1996)
農林・漁業就業者比率 19%(1997) 17%(1997) 5.5%(1996)
平均寿命 男57歳,女67歳(1996) 男72歳,女78歳(1995) 男77.19歳,女83.82歳(1997)
乳児死亡率 55‰(1996) 11‰(1995) 3.8‰(1996)
識字率 83.3%(1995,15歳以上) 95%(1995,15歳以上) 100%

サルバドールのプロフィール

ブラジル東部,バイア州の州都。旧名バイア。大西洋に面するトドス・オス・サントス湾口の港市。山手と下町地区を結ぶエレベーターが有名。1549年創建。ブラジル最古の都市で,1763年までポルトガル植民地の主都。製糖業の中心として栄え,黒人奴隷が多数導入された。アフリカ的要素の強い民俗,舞踏,音楽とともに観光地として知られている。近年連邦政府によって,近郊に工業団地が建設された。207万0296人(1991)。
出典:日立デジタル平凡社「マイペディア」


 南米では、チリだけではないと思うが、呼び名としてはサルバドールよりもバイーア、またはサルバドール・デ・バイーアのほうが、通りがいいようだ。
 1763年以降は、主都はリオ・デ・ジャネイロへ移っている。1822年のブラジルの独立以降はリオが首都となり、ブラジリア遷都まで続いた。

 空港からまちへはバスで。植生は熱帯そのもの。詳しい地図を持っていないが、だいたい南緯12度から13度に位置すると思う。
 郊外や空港付近は貧しげだ。チリに比べて総体としては経済力のある大国ブラジルだが、ちょっと窓の外を見ていても、貧困が相変わらずの大きな課題であることを思わされる。
 が、そんな消極的な面だけ見ても仕方ない。看板や機内でもらった新聞のポルトガル語、何気なく耳にする音楽、そして通りを往き交うひとびとは紛れもないブラジル。チリも異国だが、ここは全くの未体験な文化の土地。ちょっと興奮。

 通貨単位はレアル。2レアル=1ドルといったところ。
 近郊バスは0.8レアル=200チリペソ=0.4ドル=40円(おおよそ)。バス代はチリとほぼ同じか、少し安い。ホテル代や食事も、選べば安い。大国ブラジルはアルゼンチンのように物価高だと思っていたが、チリと変わらなかった。ここは低開発地域といわれるブラジル北東部「ノルデステ」の中だからだろうか?おおざっぱな物価の感覚は、日本の大都市の3〜5分の1程度。

 夕刻、セントロを少し回って早々にホテルへ戻る。
 


2000.0405 水曜日
旅行6日目 ブラジル2日目
サルバドール2日目
曇り、時折スコール
 

 朝から観光。セントロへ向かう。

 サルバドールは大きなまちだが、主だった見所は旧市街の中心地に集まっている。
 山手と海手にまちを分断する断崖をラ・セルダエレベーターが繋いでいる。このエレベーターのまわりが中心部だ。しかし、ちょっと僕にはそこから足を伸ばすことが難しかった。というのは、余りのバイーアの人々の喧噪に気圧されて、ちょっと怖かったからだ。不案内なまちなかを歩くのがはばかられるような雰囲気を感じてしまっていた。そういうまちほど、裏を返せば面白いんだろうが、ちょっと・・・。

 エレベータ前のセー広場を抜けてすぐ、ジェズス広場。ここを囲むようにバイーア建築の主役達が建っている。
 
■オルデン・テルセイラ・サン・フランシスコ教会
ジェズス広場の外れ。スパニッシュ・バロックとネオクラシックの堂々たる教会。わずかなチップで案内人が丁寧に解説してくれた。
この教会は1807年にナポレオンに追われてきたポルトガル王室の教会でもあるとのこと。正面ファサードの銀細工は錆びてしまったか判別できないが、内部は丁寧に保存されている。メインの装飾はいずれも木材に石膏(プラスター)、金箔。僧坊のタイルも見事。修復作業を見学。ほか、マカオから運んだ大理石の象眼装飾やここでは産出しない木材ハカランダの家具などを見る。
大切なのは、この教会はポルトガル人の指導のもとで、バイーアの黒人職人が建設したこと。

オルデン・テルセイラ教会
■バジリカ・カテドラル
17世紀の創建。大きな内部空間は、柱が立たない単廊式。古風でシンプルな表現と感じる。ふんだんで男性的な石材の使い方が、とてもリッチだ。当時の富と技術が十分に表現されていると感じる。他の教会とは格が違うように思う。様式は何というのか分からない。好きな建物だ。
ひととき、ここで佇む。おもてのジェズス広場でやっているカポエイラの音楽や歓声が響く。

バジリカ教会内部
■ペロウリーニョ広場
ジェズス広場から東へ少し行ったところにある。急坂のY字路にできた縦長の三角形の空間で、大きくはないが大変面白い。観光を意識して建物もペイントが綺麗だ。ここからまちを外れていくと、一気によそ者が入りにくい雰囲気になる。壁も湿気でカビが生えているのだろう、黒く煤けたようになっていて、それがまたいい。

ペロウリーニョ広場

 昼食は海手の下町で。夕方には、セントロを去る前にペロウリーリョ広場のそばのバーで、カシーサ(サトウキビの蒸留酒)のカイピリーニャ割を飲む。3レアル。ダイキリに似ているか?スコールの半端じゃない降り方をバーから眺める。

バーから広場を見る

km: バーから広場を見る

 サルバドールは、トドス・オス・サントス湾からの潮の香りを含んだ、まるで浴室の中みたいな熱気がどこにいても充満している。北部に行くに連れ黒人が多くなるといわれるブラジルだが、ここはもうまったくのアフロ・ブラジリアンの土地。白や黄色の肌はあまり見かけられない。コーヒー色した肌が普通だ。喋る言葉にも南部とは多少の違いがある。
 以下、諸々の印象。
 

  • ポルトガル語は、字に書くとスペイン語に似ているが、やっぱりスペイン語とは違う。会話は出来ない。数字だけはよく似ており、助かった。ちょっとしたホテルは英語やスペイン語が通じる。が、町中では全く。
  • ここでのブラジル人の印象は、穏やかで丁寧、きちんとしていて理知的。またとげとげしさがない。アルゼンチンでもそうだった。チリ人に対して僕が抱く(抱いた)奇妙さや、つっけんどんな印象は、ここへ来て相対的にさらに大きくなった。やっぱりチリって・・・、という風に。
  • サルバドールは坂が多く、真っ直ぐな道に乏しい。だから歩くほどに新しいシーンが展開して楽しい。屋根は大抵しっかりしたスペイン瓦で葺かれており、美しい。
  • 日本人の僕から見ても雑然としているが、猥雑さと歴史が重ね合わさっているのがよく分かる。魅力的だ。
  • どこも騒がしく、観光地然としている。落ち着かない。危険も感じる。よほど慣れないとリラックスできない。
  • 貧富の差が激しい。チリでも見かけない裸足の物乞いの子供がいる。よくも悪くもハードなまちだ。
  • 男性も女性も美しい。特に目がいい。


 夜、ホテルのそばの海岸の砂浜を歩く。
 


2000.0406 木曜日
旅行7日目 ブラジル3日目
サルバドール3日目 ブラジリア1日目
雨のち晴れ、時折スコール
 

 サルバドールのセントロの喧噪にも飽きた。この町を出る前に昼の海岸を歩く。

 ベージュ色した砂浜は水をいっぱいに吸っている。程良い大きな波は大西洋から入ったトドス・オス・サントス湾の岸にも寄せてくる。
 ここには四季があるのかどうか知らないが、もう4月というのにこの日射しと湿度。まさに常夏だ。人々の黒い肌は風土に溶け合っている。昨日話をした土産物屋の店主によると、秋は多雨。また、冬でも気温は18から20度位になるそうだ。
 湾の入り口にあるバーハ要塞まで歩いて戻る。

バーハ要塞

km: バーハ要塞

 ホテルのレストランでバイーア料理。カニ入りの黄色いココナッツミルク・ソースでご飯を食べる。

 ヴァリグ0281便
 サルバドール 17:20発
 ブラジリア 19:05着

 飛び立つと夜になった。あのまちをたったの3日足らずで後にするのは惜しいが、また次のまちへ。
 サルバドールがリオの前の古都なら、次のブラジリアはリオの後の新首都だ。近代が生んだ、全く新しい都市。失敗などと批判されてはいるけれど、今の時代はまるごと近代というやり方の遺産の上に立っている。あだ花ならあだ花で、どう失敗しているかを見ることはいい勉強になるし、実はなかなかよかったなら、それはそれでもっと成果になる。

 機内で配られたポルトガル語の新聞。日本の政変を伝えているようだ。昨日のテレビでも森さんが写っていた。皇居での認証(?)風景だったから、どうも首相になったようだが、事態が飲み込めず、心配になる。自由党が政権離脱をしたと聞くが、そのせいか?どうなってるんだ?
 世の中動いているなと感じる。それはともかく、帰国までに景気がよくなって欲しい。こっちは無職、せっぱ詰まっている。そういう個人的な不安があれこれ湧いてくる。

 さて、着陸前に見えた夜景の未来都市ブラジリアは、程良く大きく堂々として美しかった。バスにて移動。ビジネスホテルに泊まる。いつになく頑張って明日の市内見学の計画を立て、就寝。
 


2000.0407 金曜日
旅行7日目 ブラジル3日目
ブラジリア2日目
曇りのち晴れ
 

 さあ、ブラジルの首都ブラジリア建築行脚の開始。
 

ブラジリアのプロフィール

南米,ブラジルの首都。同国中央部,リオ・デ・ジャネイロの北西約1000km,ブラジル高原上(標高1000m)にある。新首都建設計画によって建設された現代的な計画都市。市街の平面形は直交する2本の幹線道路を基にジェット機の形をとり,大統領官邸,議事堂,官庁,大学,空港,住宅地,緑地などが整然と配置されている。新首都建設は公開競技設計によって選ばれたL.コスタのマスタープランにより,1956年開始され,個々の建物はおもにO.ニーマイヤーが設計。1960年遷都。周辺衛星都市整備の遅れが著しい。周辺を含め5814km2が連邦地区とされている。182万人(1996)。
 
出典:日立デジタル平凡社「マイペディア」


 国会や省庁など主要な建物の設計を行ったオスカー・ニーマイヤーは、ブラジルだけでなくヨーロッパやアメリカにも作品を作っている建築家で、1907年生まれながら存命中のはずだ。国連ビルやフランス共産党本部も彼のかかわった作品である。ブラジルの誇る世界的巨匠と言っていい。
 ブラジリアの都市計画マスタープランはジェット機型をしていることもあって、普通パイロット・プランと呼ばれているが、これを作った建築家ルシオ・コスタのもとで若き日のニーマイヤーは働いていた。コスタ、ニーマイヤーは、ともにル・コルビュジエを中心とする建築におけるモダンというものを確立した人達だ。
 ここブラジリアはモダニズムによってゼロから作られた首都だから、当時そうとう注目された。コルビュジエもインドで地方の都心の計画などを実現したが、パリにおけるプロジェクトは提案に終わっている。
 さて、実際に見るブラジリアは、そして建築達はどうなんだろう?

 まず歩く。午前北ホテル地区のビジネスホテルを出発。
 

■ドン・ボスコ教会
設計者、竣工年等分からない。
鉄筋コンクリート地上1階地下1階、金属折板屋根。
教会堂は、鉄筋コンクリート柱(300x2000程度)によるアーチを76並べて作った約30メートル四方の大空間。天井高は12メートルほどあり、教会堂中央部に直径5メートル近い1.5トンのシャンデリアが下がる。アーチの開口部は全て青いステンドグラスで作られている。
シンプルな大空間が青い光で満たされていて、大変に美しい。ただ、幹線道路に面しており、車の騒音が空間の静寂を乱している。

ドン・ボスコ教会内部
■ファティマ教会
設計:オスカー・ニーマイヤー(1958)
鉄筋コンクリート。鉄筋コンクリートの吊り屋根の下に、チャペルがある。
全体としてとても小さい。内部もシンプル。三角形の吊り屋根の軒下が下の空間を抱きかかえるようにしており、やさしい雰囲気がある。建都の父であるクビチェック大統領の夫人を記念して建設された。
周囲は住宅地で、利用する人が絶えず、常に数人が深い祈りを捧げている。メンテナンスもよい。壁のタイルや入り口の扉などが新しくなっていた。

ファティマ教会
■国立劇場
設計:オスカー・ニーマイヤー(1958)
鉄筋コンクリート。
角張った山のように、外部は斜面でできている。内部に大ホールと中ホールを収める。
大ホールのメインホワイエは2層で手すりのない大きな螺旋階段で結んでいて美しい。緑が多く、斜めにかけられたガラスルーフから光とともに、明るい印象。
全体に、外観から受ける印象ほど、内部のスケールは大きくない。

国立劇場
■カテドラル
設計:オスカー・ニーマイヤー(1959-70)
鉄骨鉄筋コンクリートか?
16本の曲線の柱を中央で束ね、柱の間を全てステンドガラスで覆った直径約40メートルの明るい大空間。周囲に巡らされた水盤の中をスロープで降り、薄暗い通路を抜けると内部に出る劇的な演出がなされている。
大空間特有の音の響きがいい。白と青を中心とする原色に近い色使い。あっけらかんとした雰囲気。サイドにミケランジェロのピエタのコピーを置く。

カテドラル内部
■ブラジル国会議事堂
設計:オスカー・ニーマイヤー(1958)
鉄骨もしくは鉄骨鉄筋コンクリート造と思われる。
ブラジリアの行政地区を貫く軸線上の最も記念的な位置に置かれている。地下駐車場のうえにホールと議場を置きスラブをかけた水平なボリュームのうえに、二つのドームを載せている。上院には伏せたドーム、下院には上向きのドームを載せている。中央にオフィスを収めた相似な2本のタワーが聳え、その距離は危ういほどの緊張感を持って近接されている。それぞれ上院用、下院用になっている。
大変明快でシンボリックな構成、外観。低層部のテラスには手すりは一切無く、形態の完全さを貫いているかのようだ。射し込む日の角度によって外観が変わっていくさまが、意図的に広く取っているブラジリアの空をバックに映える。
議場は誰でも見学できる。下院議場は建設当初なかった傍聴席へのガラスの壁の設置が施されている。議場への妨害がひどかったからだとのこと。投票は電気化されていた。各議員席にコンソールが付いている。
上院は下院とは管理も別で、少し見学の仕方も厳しく、議場には入れなかった。傍聴席で解説を聞く。上院のドーム屋根の内部はステンレスプレートをちりばめたルーバー。
インテリアは全体に少しずつ手が加えられて、新しい状態で使われている。デザインも上手。
数十年前のモダンの雰囲気そのままだが、ダイナミックであれ、稚拙さはない。これはこれで傑作であると思う。

ブラジル国会議事堂
■11標準省庁
設計:オスカー・ニーマイヤー(1958)
鉄骨造もしくは鉄筋コンクリート造と思われる。
国会から続く中央軸線の両側に並ぶ省庁は、全て同じ合理的なデザインの事務所建築。無駄が一切無く、ずらりと並んでガラス面にブラジル高原の空を映しだしている。退屈とは感じなかった。美しいかもしれない。

省庁
■大統領府、最高裁判所
共に設計:オスカー・ニーマイヤー(1958-60)
共に鉄骨鉄筋コンクリート?
省庁から国会を通った、さらに向こうにあり、互いに軸線を挟んで向かい合っている。これらと国会で作られる3角形の空間は三権広場として、建都記念館や芸術を顕彰するパンテオン、バスターミナルを置く。
最高裁はともかく、大統領府は水盤に浮かんでいるとはいえ、大変開放的な造りなので、美しいが警備が大変。写真を撮りたいので歩いて近づくと、「池から3メートル以内は進入禁止です」と兵士に警告された。それでも縄を張ったりしないのがいい。

バジリカ教会内部
■外務省
設計:オスカー・ニーマイヤー(1962)
軸線の向かいに立つ法務省と共に、省庁のうち最も国会に近い場所に配され、独自のデザインを持っている。
広い水盤の向こうにコンクリートアーチで立方体を作り、その内部にガラスボックスの事務空間を置いている。ガラスボックスの屋上部分は、コンクリートアーチの立方体の天井に守られ、コンクリートルーバーから落ちる光が美しい庭園となっている。モダニズム草創期からの装飾的とも言える華麗な構成を用いて、他の省庁の合理一辺倒な設計とは趣を異にしている。
実際の事務空間はこの建築の後ろにあるオフィスに集中させてあり、この外務省はゲストを迎えるために専ら使われているようだった。水盤を橋で渡ったホールには、国立劇場で見た階段をさらに洗練させた、大きなコンクリートの螺旋階段があり、大変美しい。
■法務省
設計:オスカー・ニーマイヤー(1962)
構成上外務省に似るが、こちらは野性的な印象。アーチから水盤へ落水設備を持っている。ちゃんと故障せず動いている。ラテンアメリカらしからぬメンテナンスの良さ、といったら叱られるか。

 全体に行政地区がニーマイヤー建築の見所だろう。「非人間的なまでに大きく、広すぎる、スケールを無視した計画」などという言葉を聞くが、歩いてみると、そんなことはなかった。例えば東京などと比べても、むしろ圧倒的にコンパクトで便利なくらいのスケールと言っていい。国会から歩いて10分ほどの距離に全ての省庁があるというのは、広すぎると言えるだろうか?たしかに中央軸線は幅ゆうに100メートルはある緑地帯であり、横断歩道もない道路が走っているけれど、歴史のない平原にうち立てた首都の中心部に、強力な軸線という都市形成の脈絡を持ち込むためにはこれくらい必要なのかも知れない。少なくとも視覚的にはとても計算された設計で、意図したことは完全に達成されているのではないだろうか?

 だが、生活のためのまちという視点ではどうか?行政地区はオフィスワークや政治討論、決断といった目的のはっきりした機能的な地区だ。しかし、住宅地区は?

 住宅地区は行政軸と交差する道路網を中心に、ジェット機の翼に相当する部分に分布している。道路は中央から順に高速、中速、そして低速な住宅地へのアクセス道路というように、ヒエラルキーが分けられて、信号や交差点ができるだけできないようになっており、それが一束になっている。商店のある部分、公園や教会のある部分、中層住宅のある部分、低層住宅のある部分など、道路と平行に帯を作っていて、完全なゾーニング手法の適用が見られる。
 中層住宅はこれもモダニズムの代表的な設計例で、1階は柱だけのピロティとして開放し、横長に柱の見えない窓を通した住戸階が積み上げられている。ただ、足下の柱には石が張られるなど、ちょっとエレガントだし、配置も単調にならないようになっている。また緑も多い。
 宗教施設は、ある決まった距離でほぼ等間隔に配されている。多人種、多文化の連邦国家らしく、キリスト教やイスラム教、果ては日本の仏教寺院までがある。これも人間の意志で一度に作った都市らしい。
 退屈といえば、商業地区だろう。特定の道路に面した部分にしか商店がなく、しかも建物が画一的なので、どこも同じに見え、活気が感じられない。多種多様で、雑多なものを感じない。これではちょっと都市に住む楽しみが半減だ。

 ブラジリアはパラノア川をせき止めた人工湖に囲まれているうえ、周りは見渡す限りの未開の森だ。郊外へ行けば、山こそないが自然は十分に豊かと言える。ただ、衛星都市の整備が遅れているのは大きな問題という。そこまでは見ることができなかったが。

 総括すれば、建都以来40年も経っており、なにはともあれ成熟しつつある都市だなというのが一番の印象だった。正直に言っても、失敗であるとは思わなかった。こんなものだ、これで十分な成功じゃないかな?というふうに、ちょっとまちなかを歩いただけではあるが、思った。
 少なくとも、ここは全てがある、なんでも行き交う、巨大な交易と産業の場としての都市ではないだろう。そこを割り切れば、これでいいんじゃないかな。輝かしい成功ばかりに包まれた、完全な人工都市というのがあるほうが気味の悪い話だ。そういう都市は、どのような手法で計画しようが、結局時間を経なければ成立しにくい。ブラジリアはこれからなのだ。
 また逆に、自然発生的に魅力ある都市ができるかというとそうとも言えない。世界中の集落を調査した建築家の原廣司は、都市、あるいは集落にかんしてこう言ったことがあり、僕も賛同する。
「集落を自然発生的につくられたものとするのは、明らかに誤りです。誰かが、信じられないような独創的な構想を示し、長期にわたって多くの人びとがこの構想に従って部分的な計算をあれこれとめぐらせた結果出来あがったものが、私たちが今日見る集落の姿なのです。」
 自然発生的ということが、だいたいないのだ。そして、人間の営為や自然という、複雑で多様で執拗なものに鍛えられているかどうか、構想のもつイメージの豊かさがどれだけの強度を持っているかが都市の魅力を左右する。計画的であるからと、何も卑下することはない。そしてブラジリアは効率だけを構想に持ってきたような、そんなつまらない都市でもない。僕はブラジリアに夢を感じた。しかし、その夢が急速に過去のものになりつつあるようにも感じた。だからブラジリアの場合、人々がこれからその夢をどう鍛え、現在や未来の世界へ順応させることができるかということが大切なのではないだろうか。都市は結局そのまちにかかわる人達のものだ。ニーマイヤーやコスタが亡霊になって徘徊する弱いまちでなく、かかわる人々は彼らのブラジリアというものを積み上げて強いものにしていかなければならない。
 正直な話と言えば、日本の都市のほうが危ない。今の日本の都市は、特に地方の小都市は、いずれも同じような顔かたちになってきている。どこも同じ論理、おなじ構想で更新されつつある。つまるところいかに経済的に生き残れるかという効率に従属している。それをうまくデザインして住みこなす技術がついていっていない。簡単に言えば、どこも所帯じみていて退屈になりつつある。ブラジリアを笑えるだけの、強い夢のあるまちがあるだろうか?過去の遺産を食いつぶしていない歴史都市があるだろうか?
 まあ、こうして妙に反省的になって、努力をあおるようなことを言うのって、まさに日本的だなあと思う僕なのだが。でも、魅力あるまちって見たいな。
 


2000.0408 土曜日
旅行8日目 ブラジル4日目
ブラジリア3日目 フォス・ド・イグアス1日目
晴れ
 

 ヴァリグ377便
 ブラジリア 1015発、サンパウロ 1145着
 ヴァリグ164便
 サンパウロ 1430発、フォス・ド・イグアス 1700着

 到着したフォス・ド・イグアスは、サルバドールほどではないが強烈な日射しと湿度。なんという暑さ。熱帯だ。バスで市内へ向かうと、予想を裏切って、かなりの大都市なので驚く。近代的な観光都市。高層アパートもたくさん並んでいる。
 夜、ホテルで待ち合わせて某国の同期協力隊員マユミ嬢と、郊外のレストランへ行く。ここではショーがあって、ブラジルのカポエイラ、パラグアイのフォルクローレと踊り、さらにボリビアやアルゼンチンの踊りなども見ることができる。ドイツ、アメリカの観光客多し。フランスもいたな。なにせここは世界一の滝、イグアスの滝のあるまちなのだ。
 


2000.0409 日曜日
旅行9日目 ブラジル5日目
フォス・ド・イグアス2日目
晴れ
 

 早起きし、イグアスの滝へ。バスが出ているのだ。よほどの秘境で、行くだけでも大変なんだろうと思っていたのに、1時間もすると目の前まで行けてしまう。われわれはその手前で降りて、ジャングルの中を抜けて滝の下流に出た。そしてボートに乗り込んだ。川から近づいて見てやろうということだ。
 

イグアスの滝のプロフィール

ブラジル,アルゼンチン国境の大滝。パラナ川支流のイグアス川が幅4.5kmにわたって,最高で約80m以上も落下する。岩や島で300余の滝に分かれ巨大な水量が流れ落ち,その規模はナイアガラより大きい。付近は原始林で,両国の国立公園になっている。ブラジル有数の観光地である。
 
出典:日立デジタル平凡社「マイペディア」


 なお、滝のあるイグアス川はパラナ川となり、ずっと下ればブエノス・アイレスのあるラ・プラタ川として大西洋に注ぐ。

イグアスの滝(ブラジル側) ボートで遡ると滝が見えてきた。右手はアルゼンチン、奥と左手がブラジルだ。大小の滝で埋め尽くされ、迫力もあるが、それよりも美しさにうたれた。一番奥にある「悪魔の喉笛」と呼ばれる部分は、さすがに大変な水量で、恐ろしさを感じる。以前転覆したボートがあって死者が出たそうで、それ以来、あまり奥までボートが行かなくなってしまった。それでも結構な激流を遡ってくれた。小さな滝で水浴びのサービスもしてくれる。カメラが濡れないようにするのが大変だった。

イグアスの滝(アルゼンチン側) ワゴンで送ってもらって、今度は上から。滝付近は綺麗に整備されており、とても原始林の中とは思えない。そして目の前は遊歩道。さあ、ご覧下さいといった風だ。こんなにお手軽でいいのか?とさえ思う。子連れでもOKだ。
 人慣れしたアナグマがたむろしていて、触ってもいいほど。蝶もたくさん飛び交っていて、500種を超えるという。遊歩道では至れり尽くせりのコースで滝を満喫できた。

 午後はアルゼンチン側へも行ってみた。こちらのまちはとても小さい。公園の整備の仕方も、ブラジルとは違っていておもしろかった。滝の規模はブラジル側に譲るが、箱庭的な美しさのあるシーンがたくさんあり、水と滝、蝶や虹、ジャングルの美を楽しめる。ただ、風がなく大変蒸し暑かった。

 僕はいつも自然とか芸術作品といったもの、あるいは人の営為全般から受ける力(感動だけでない、負のものも含めて)といったものの印象を、体で覚えておきたいと思っている。この滝は何とも消化しきれない大きさがあった。ひとつの作品のようなものではなく、例えば海、に似ているかも知れない。
 ただ、世界有数と言っても、そのスケールは有限だった。正直に言うと、実はもっともっと大きいと思っていたのだ。だから、地球は有限なのだなと感じた。この重力や水や空気やといった環境下で成り立つ滝のスケールの限界がこれなのだろう。地球は、思っているよりも優しい環境を作り出す。

 それにしてもなんと大きなジャングルであることか。機内から見ても360度全部が緑だった。有限でありながら、なんと無限に近いのか。

88番をつけた蝶

km: 背番号88

 夜、ブラジルといえばということでシュラスコの店へ。飲み物を入れてもひとり9レアルくらい。これは500円程度だ。なんと安いのか。

 ブラジルでは感嘆の声が多くなる。
 


2000.0410 月曜日
旅行10日目 ブラジル6日目 パラグアイ1日目
フォス・ド・イグアス3日目 シウダー・デル・エステ、アスンシオン1日目
晴れ
 
 

パラグアイに入る

パラグアイ地図 フォス・ド・イグアスから、パラナ川にかかる「友情の橋」を徒歩で渡った。そこはもうパラグアイ。自由市のあるシウダー・デル・エステだ。ここも大きなまち。ブラジルからもたくさん買い物客が来る。電気製品などが取り引きされている。マユミ嬢も気に入っているとか。香港のような、不思議な活気があるのだと言う。

 バスに乗り、首都アスンシオンに向かう。聞いていたとおり、山がない。そして土が赤い。目が痛くなるほどに。

 協力隊ではパラグアイ、略してパラは、とにかく退屈でつまらない、なにもないところだと言われる。パラの隊員が言うのだから、よっぽどなんだろう。山もなければ海もない。赤い土と灼熱の夏。その土は、雨となれば粘土のような泥と化して足にこびりつくため、学校は休みになるという。で、暑いときはとにかく冷たいマテ茶「テレレ」をいついかなる時でも回し飲みしているのだという。
 それでも日本人の入植地(コロニー)はあるし、現地人のグァラニー族は今も元気で、地方ではスペイン語と日常語としてのグァラニー語が普通に話されている。通貨だってグァラニーだ。
 まあとにかく、短いなりにどんなところか見てやろうというのがパラでの狙い。

 ちょっと結論を言うと、僕の目には十分に発達した文明国だった。道中見た家は、どれも煉瓦と瓦のしっかりした造りで、チリのようなトタンやセメント板ではない。また田畑も荒廃していない。パスターミナルも立派だし、道行く人々の身なりもいい。何だ、いいところじゃないか・・・・、この暑さを除けば!
 全くうだるような暑さ。日射し、湿気。これで秋なのか?日本の真夏である。パラの夏がどんなものであるのか、想像がつかない。ちょっと住むのは嫌だな。パラの隊員には、帰国を指折り数えているひとが少なからずいるそうだが、なんだか分かるような気がする。これでは、隊員もパラの人も、何もする気が起こらないはずだ。
 ただ、付け加えておくが、僕の行ったような都会や街道沿いではなく、もっと普通のまちで働く隊員達の環境はこうはいかないというのは言っておく。

アスンシオン市街

km: アスンシオン市街

テレレ中 午後はアスンシオン市内を観光して歩く。パラグアイ川に内陸の海軍(?)の軍艦が停泊している。大統領府の脇では警備の兵士がテレレをやっている。どことなくユーモラスだ。
 同期隊員のお勧めの場所へ行き、アルテサニアを物色する。工芸品、民芸品のことだ。レースや銀細工、皮製品、織物など、なかなか優れたもの多い。余りに安く、素晴らしい品々なので、なかば信じがたい思いがした。チリは完全に負けてる!と比べっこをしてしまった。
 夜はパラの同期隊員とともに、わいわい韓国料理店へ。つもる話を。泊まりは隊員連絡所で。ここではテレレで話が続く。

 明日は、もうこの国を発つ。
 

パラグアイのプロフィール

正式名称−パラグアイ共和国
 
パラグアイ
チリ
日本
面積 40万6752km2。(日本の1.07倍) 75万6626km2(日本の約2倍) 37万7837km2
人口 509万人(1997) 1462万人(1997) 1億2557万人(1998年3月末)
首都 アスンシオンAsuncion(50万人,1992) サンチアゴSantiago(508万人,首都圏,1995) 東京(785万人,1998,区部のみ)
住民 メスティソ96%,白人2%,インディオ(グアラニー人)2% スペイン系白人および白人と原住民インディオ(アラウカノなど)との混血95%,インディオ2% 日本人,アイヌ,朝鮮人,中国人など
宗教 大部分がカトリック カトリック90% 仏教,神道,キリスト教など
言語 公用語はスペイン語であるが,日常用語としてはグアラニー語 スペイン語(公用語) 日本語(公用語)
通貨 グアラニーGuarani ペソPeso
GNP 92億ドル(1996) 701億ドル(1996) 5兆1492億ドル(1996)
1人当りGNP 1850ドル(1996) 4860ドル(1996) 4万0940ドル(1996)
農林・漁業就業者比率 36%(1997) 17%(1997) 5.5%(1996)
平均寿命 男68歳,女72歳(1995−2000) 男72歳,女78歳(1995) 男77.19歳,女83.82歳(1997)
乳児死亡率 39‰(1995−2000) 11‰(1995) 3.8‰(1996)
識字率 92.1%(1995,15歳以上) 95%(1995,15歳以上) 100%
出典:日立デジタル平凡社「マイペディア」




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