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Diary
日々の記録 任国外旅行編
事務局がチリから渡航を認めているのは、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ボリビア。隣国ペルーは、大使公邸襲撃事件以来、入国すらしてはいけないことになっている。残念。で、僕が行くのは、実に渡航可能な国全部。 全体の旅程
下に行くほど新しくなります
2000.0331 金曜日
ラン・チレ0411便
空港からトランスファーの小型バスに乗る。高速道路は市街地では高架。窓の外は、まぎれもなくチリではない外国なのだが、首都高速から見る東京に似ていると感じる。チリよりはいちいちが整ってはいるが、せせこましくアパートやペンシルビルが建て込んでいるさまは、ちょっと小うるさく雑然としている。そういうところがあたかも東京のようだ。しかしよく見ると、看板は東京ほど暴力的ではないし、建物はレンガをむき出しにしたものが結構あって、風景のディティールが異なっている。緑もブエノスアイレスのほうが豊かかも知れない。 この旅行では、1年あまりを暮らして馴染んだチリを、近隣の外国を訪ねることでつかみ直そうという意図がある。 アルゼンチンは、チリとはアンデス山脈で隔てられた背中合わせの隣国。しかし、チリはいわゆる中進国ないし途上国であるのに対して、アルゼンチンはチリが何もかも優位を認めざるを得ない、「より進んだ」国だ。
64 リットルのザックを背負って、市の中心部を歩いてホテル探し。結局繁華街の中の三ツ星に決めた。協力隊員の旅行で使う宿にしては高めだが、ここは日本ではない。荷物を部屋に置いても盗難に遭うことのないような、管理のいいところでないと安心できないからだ。 日本人としては日が暮れるのが遅い、そんなチリに慣れてしまったので、ブエノス・アイレスの夜が早く思える。ちょっと散歩してみたら日が暮れた。 夜はパリジャーダの店へ行く。アルゼンチン風の焼肉店だ。店先では、モリのような串で固定された子牛を並べて丸焼きにしている調理場の風景が見られる。
ブエノス・アイレスの人々のことをポルテーニョという。港の人と言う意味だ。彼らの印象を少し。チリ人との比較だ。 肌が白く、ラテン系にしては背が高め。髪の色、瞳の色も多様。物腰、ひとあたりがよく、僕と話していても受け答えがしっかりしていると感じる。そういうところが日本人によく似ている。
2000.0401 土曜日
フロリダ通りは華やかな繁華街。ここでアメリカのグループ「スティーリー・ダン」の久々のアルバム「two against nature」を買う。彼らのアルバムは、CDではあるけどほぼ全てを持っているのだが、今年出たばかりのこれ、チリには売ってないのだ。ああ、幸せ。 ブエノス・アイレスはチリの都市と同様、基本的には碁盤の目で、歩いていても大変分かりやすい。ラ・プラタ川の巨大な河口に位置していて、南北に伸びる岸に沿って大通りも走っている。
5月広場へ。カテドラル(大聖堂)と大統領府がある。 カテドラルはギリシャ神殿風の面構えで、どことなくナポレオンがパリに作ったマドレーヌ寺院に似ているが、全体のデザインにまとまりがなかった。 大統領府はピンク色。バラ色の館という意味で「カサ・ロサーダ」と呼ばれているが、いや本当にピンクなのでちょっとげんなり。退色を考慮しているのかも知れないが、ここまでやるのには何か意義があるんだろう。意匠はチリのものより立派かも。 大統領府から裏へ回っても広場があって、コロンブスの記念塔が建っている。ちょっとスケッチ。 ケチャップ・スリ いやはや、旅行2日目でやられてしまった。さいわいクレジット・カードや余分な現金は、万一を思って持っていなかったのだが、手持ちの現金、チリのIDカードの入った財布を盗み取られてしまった。
コロンブスの塔から程近い大通りを歩いていた。車は多いが人通りはほとんどなし。前方に女性が立っていた。後ろから男性がやって来て、鳥か何かの糞が付いているという。見ると結構な量だ。匂いは何かのソース。おかしいなとは思っても、いつやられたのかが気になってしまった。かけた本人が指摘するとは、すぐには思えない。で、立ってた女性も一緒にソースを拭いてくれたのだが、女性は男性とは他人と思うのでまさかグルとは気付かない。で、女性の方にすられてしまった。Gパンの前ポケットに入れていたにもかかわらず、僕は財布を抜かれても気が付かなかった。
ケチャップをかけて、親切を装いつつスリをするというのは、よく聞く古典的な手口だ。しかしやられて分かったことは、やられたことのない手口というのは、なかなかすぐには見破れないものだということだ。貴重品は、すべからく紐や鈴をつけたりして防衛しないといけない。泥棒を見破ろうというのは心がけとしてはいいが、実際は難しいということを知る必要がある。 外国とは、つまり日本以外だ。外国にはどろぼうがたくさんいて、いつなりとも警戒をほどいてはいけない。これは僕のようなのんびりした日本人には、ほとほと疲れるばかげたことなのだが、しかし仕方のない話である。 今日は四月馬鹿。これは嘘か夢か。
ホテルへ戻って洗濯に出し、気を取り直して出かける。 サン・マルティン文化センター。普通のモダンな建築。いわゆるカルチャーセンターで、劇場や教室、美術展示の空間がある。
国会を見る。広場ではブラジルの舞踏格闘技(というのか?)カポエイラをやっていて人だかり。
夜、タンゴを見に行く。セニョール・タンゴという店へ。送迎付きで45ペソ。つまり45ドルである。ここはホテルのフロントの男性が勧めてくれた店だ。セントロから南へ車で20分ほど。自分で行くのは難しそうな場所。
テラス席に沿って廊下があり、向こう側は食事のテーブル。食事やワインを楽しんだ後、タンゴを見にテラスへ移動するという趣向だ。贅沢な遊び場所というに相応しい。
僕はタンゴのことは全く知らない。以前、映画「タンゴ・レッスン」を見て、いいなあと思ったことがある。それくらいだ。でも、南米をルーツにする最高度に洗練された文化のひとつということで、チリへ来る前からタンゴというものにはただならない期待を抱いていた。今日は、それがちょっと叶う日だったのだ。 そうして見に来たショーだったが、ショーとしては言うことのないくらいに素晴らしいものだった。しかし、僕自身なにも知らないのでこういうと何なのだけれど、このショーからは、僕には新しい息吹をみてとることが出来なかった。ひょっとしてタンゴはもう伝統芸能化してしまったんじゃないか?そう感じた。できるなら、今度は中年や熟年、老年のペアといった、まったき大人達が群れ踊る、そんなタンゲリーア(タンゴの店)へ行って、大衆文化としてまだまだ強く根を張っているタンゴというものを見たいと思った。そんな大人達の中に若いペアもちらほら見られれば最高だ。
2000.0402 日曜日
km: サン・テルモの猫 サン・イグナシオ教会、サン・フランシスコ教会を見たところで、またもケチャップ・スリ。今度はだまされない。大胆にも教会で犯行に及ぶ。教会の人と一緒に撃退。
全く。でも、こんなことでブエノスの印象を悪くしても仕方ない。やれやれ。
そのままどんどん歩いてボカへ。ここは古くからの港湾地区。中心部とは違って、ちょっとすさんだ印象だ。新しい文化はストリートから生まれるというが、なるほど、庶民の、労働のまちだ。しかしどうだろう?もともと港湾地区なのでしかたないが、人気がなくて寂れて見えた。有名なカミニートも、いまやただの観光スポットに過ぎない。 地下鉄でセントロに戻る。カフェ・トルトーニで軽く午後の軽食。ブエノスで最も瀟洒な通りの、由緒を誇るカフェだ。こういうの日本にないかなあ。
まだ動く。今度はバスに乗って、北のレコレータ地区へ。国立美術館。
近くのレコレータ墓地をかすめてレストラン街へ。初日のパリジャーダの仇を撃とうと、ちょっとだけいい店に。まずまず。しかし、チリと変わらない。この時点で僕の中では、「肉のうまいアルゼンチン」神話は消えた。チリも負けてない。こういうのは愛国心か身内びいきか。いえ、本当。 カトリックの国は日曜日は軒並み店を閉めるものと思っていた。チリは全く敬虔というのかなんというのか。しかし、ここブエノス・アイレスの中心部は日本と変わらない。休みにみんなまちへ繰り出して賑わっていた。
2000.0403 月曜日
さすがというかガードが固い。ロビーにさえ入れてもらえなかった。しかたなく外から眺める。
市街北部のレティロ駅から出ている鉄道で北へ。ラ・プラタ川沿いの郊外都市サン・イシドロとティグレに行く。たいへんゆったりとして美しい。
夜、再度カフェ・トルトーニへ。奥には小さなオーディトリアムがあって、別料金でタンゴを楽しめる。やっぱりというかなんというか、客の大多数は観光客だった。地元の人は、あらためて来ようとは思わないのだろうか?偶然キャンセルされた最前列の予約席をとることができたので、狭い舞台を本当にかぶりついて見る。ダンサーよりも歌手よりも、バンドネオンのおやじがかっこいい。
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