Diary
日々の記録

任国外旅行編

 任国外研修旅行は、協力隊の制度のひとつ。
 任期を半年過ぎた隊員は任国の周辺諸国に3週間を限度として旅行できる。別段旅行先で研修があるわけではなくて、あくまで自分のモチベーションで他国との比較をはかり、業務に生かす経験をするのが目的だ。
 事務局からは航空料金として最大800数十ドル、宿泊費として最大300数十ドルを世界統一で隊員に援助する。税金からの拠出。かたちはどうあれ(どうでもよくないが)いいものにしないといけない。ちなみに足が出たらそれは自前で。

 事務局がチリから渡航を認めているのは、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ボリビア。隣国ペルーは、大使公邸襲撃事件以来、入国すらしてはいけないことになっている。残念。で、僕が行くのは、実に渡航可能な国全部。

全体の旅程

0331 アルゼンチン(ブエノス・アイレス)
0404 ブラジル(サルバドール、ブラジリア、フォス・ド・イグアス)
0410 パラグアイ(アスンシオン)
0411 ボリビア(サンタ・クルス、スクレ、ポトシ、タリハ、ラ・パスとその近郊)
0420 チリ帰着(アリカ、アントファガスタ)
0423 (サンティアゴ)


Argentina
Brazil, Paraguay
Bolivia
Chile Norte

下に行くほど新しくなります


2000.0331 金曜日
旅行1日目 アルゼンチン1日目
ほどほどの良い天気
 

 ラン・チレ0411便
 サンティアゴ 9:40発
 ブエノス・アイレス 12:30着

 最初の訪問国、アルゼンチンに着く。時差は、チリが日本より-13時間、アルゼンチンが-12時間。だから、飛行機は2時間ほどでこの両国の首都を結んでいることになる。

 空港からトランスファーの小型バスに乗る。高速道路は市街地では高架。窓の外は、まぎれもなくチリではない外国なのだが、首都高速から見る東京に似ていると感じる。チリよりはいちいちが整ってはいるが、せせこましくアパートやペンシルビルが建て込んでいるさまは、ちょっと小うるさく雑然としている。そういうところがあたかも東京のようだ。しかしよく見ると、看板は東京ほど暴力的ではないし、建物はレンガをむき出しにしたものが結構あって、風景のディティールが異なっている。緑もブエノスアイレスのほうが豊かかも知れない。

 この旅行では、1年あまりを暮らして馴染んだチリを、近隣の外国を訪ねることでつかみ直そうという意図がある。

 アルゼンチンは、チリとはアンデス山脈で隔てられた背中合わせの隣国。しかし、チリはいわゆる中進国ないし途上国であるのに対して、アルゼンチンはチリが何もかも優位を認めざるを得ない、「より進んだ」国だ。
 その差異は、空港から郊外を走っている間の道路の植栽であるとかその外の林であるといった、チリでは単に空白としてしか扱われていない部分までしっかり整備されていることを見ても感じた。この点は日本も見習っていいレベルで、郊外の中高層アパートの外構空間の緑の豊かさ、手入れの行き届き方は、全く素晴らしいというほかない。もっともこれは一部であって、かなりがさつな印象の地区もあったのは事実だ。


km: コリエンテス通り

 64 リットルのザックを背負って、市の中心部を歩いてホテル探し。結局繁華街の中の三ツ星に決めた。協力隊員の旅行で使う宿にしては高めだが、ここは日本ではない。荷物を部屋に置いても盗難に遭うことのないような、管理のいいところでないと安心できないからだ。

 日本人としては日が暮れるのが遅い、そんなチリに慣れてしまったので、ブエノス・アイレスの夜が早く思える。ちょっと散歩してみたら日が暮れた。

 夜はパリジャーダの店へ行く。アルゼンチン風の焼肉店だ。店先では、モリのような串で固定された子牛を並べて丸焼きにしている調理場の風景が見られる。
 肉のうまいことではここ南米でも有名なアルゼンチンだが、この店はバツだった。脂身の少ないチリに比べてアルゼンチンは日本並。それが普通はうま味に繋がっているのかも知れないが、しかしこの店のはくどいばかりだった。よく考えると、日本の高級な肉は、かなりのレベルかも知れない。

 ブエノス・アイレスの人々のことをポルテーニョという。港の人と言う意味だ。彼らの印象を少し。チリ人との比較だ。

 肌が白く、ラテン系にしては背が高め。髪の色、瞳の色も多様。物腰、ひとあたりがよく、僕と話していても受け答えがしっかりしていると感じる。そういうところが日本人によく似ている。
 気質が日本人に似ていると言われるチリ人だが、僕にはポルテーニョはより日本人に近いと感じる。それは目の表情ひとつとってもチリ人とは違っていて、目の笑わない人の多いチリに比べると、ポルテーニョは表情豊かだ。話も的確で感心する。道を聞いても、チリなら「あっち」「向こうだよ」「そこ」なんていう、茫洋として要領を得ない言葉しか返ってこないのだが、ここでは日本並に正確。
 結果、住み慣れたつもりのチリよりも、ブエノス・アイレスはリラックスできそうな気分になってしまったのだった。チリよ、ごめん。
 


2000.0401 土曜日
旅行2日目 アルゼンチン2日目
少し曇り
 

 フロリダ通りは華やかな繁華街。ここでアメリカのグループ「スティーリー・ダン」の久々のアルバム「two against nature」を買う。彼らのアルバムは、CDではあるけどほぼ全てを持っているのだが、今年出たばかりのこれ、チリには売ってないのだ。ああ、幸せ。

 ブエノス・アイレスはチリの都市と同様、基本的には碁盤の目で、歩いていても大変分かりやすい。ラ・プラタ川の巨大な河口に位置していて、南北に伸びる岸に沿って大通りも走っている。
 メインストリートは7月9日通りで、世界で最も幅の広い大通りとなっている。真っ直ぐに抜ける通りに立つと、オベリスクがど真ん中に建っているのが見える。
 地下鉄網もあって、切符の代わりに専用のコインを買って改札を通る。しかし、全体として施設はかなり古い。
 市内の移動はチリと同じく、主役はバスだ。最近サンティアゴでは車内の機械で料金を支払うようになってきたが、ブエノスでは以前からこのシステムだったようだ。バス停で一列に並んで待つ風景を見て、思わずここはほんとに南米か?と思ってしまった。大阪人の僕が東京の整列乗車に感心するのと同じだ。

 5月広場へ。カテドラル(大聖堂)と大統領府がある。

 カテドラルはギリシャ神殿風の面構えで、どことなくナポレオンがパリに作ったマドレーヌ寺院に似ているが、全体のデザインにまとまりがなかった。

 大統領府はピンク色。バラ色の館という意味で「カサ・ロサーダ」と呼ばれているが、いや本当にピンクなのでちょっとげんなり。退色を考慮しているのかも知れないが、ここまでやるのには何か意義があるんだろう。意匠はチリのものより立派かも。

 大統領府から裏へ回っても広場があって、コロンブスの記念塔が建っている。ちょっとスケッチ。

ケチャップ・スリ

 いやはや、旅行2日目でやられてしまった。さいわいクレジット・カードや余分な現金は、万一を思って持っていなかったのだが、手持ちの現金、チリのIDカードの入った財布を盗み取られてしまった。
 手口は以下の通り。

 コロンブスの塔から程近い大通りを歩いていた。車は多いが人通りはほとんどなし。前方に女性が立っていた。後ろから男性がやって来て、鳥か何かの糞が付いているという。見ると結構な量だ。匂いは何かのソース。おかしいなとは思っても、いつやられたのかが気になってしまった。かけた本人が指摘するとは、すぐには思えない。で、立ってた女性も一緒にソースを拭いてくれたのだが、女性は男性とは他人と思うのでまさかグルとは気付かない。で、女性の方にすられてしまった。Gパンの前ポケットに入れていたにもかかわらず、僕は財布を抜かれても気が付かなかった。
 で、まんまと目的を果たした彼らは、タイミング良くやってきたタクシーに乗って走り去った。直後、犯行に気が付いて追いかけたが、信号を無視して行ってしまった。タクシーもグルである。

 ケチャップをかけて、親切を装いつつスリをするというのは、よく聞く古典的な手口だ。しかしやられて分かったことは、やられたことのない手口というのは、なかなかすぐには見破れないものだということだ。貴重品は、すべからく紐や鈴をつけたりして防衛しないといけない。泥棒を見破ろうというのは心がけとしてはいいが、実際は難しいということを知る必要がある。

 外国とは、つまり日本以外だ。外国にはどろぼうがたくさんいて、いつなりとも警戒をほどいてはいけない。これは僕のようなのんびりした日本人には、ほとほと疲れるばかげたことなのだが、しかし仕方のない話である。

 今日は四月馬鹿。これは嘘か夢か。
 

 ホテルへ戻って洗濯に出し、気を取り直して出かける。

 サン・マルティン文化センター。普通のモダンな建築。いわゆるカルチャーセンターで、劇場や教室、美術展示の空間がある。
 マルシア・シュヴァルツという画家の展覧会があった。ブエノスの、どこにもいそうな男女をいやらしいくらいにそのまま描いていて印象に残った。


展覧会パンフから

 国会を見る。広場ではブラジルの舞踏格闘技(というのか?)カポエイラをやっていて人だかり。


km: 国会広場から

 夜、タンゴを見に行く。セニョール・タンゴという店へ。送迎付きで45ペソ。つまり45ドルである。ここはホテルのフロントの男性が勧めてくれた店だ。セントロから南へ車で20分ほど。自分で行くのは難しそうな場所。

 かなり大きな店で驚いた。3層のテラス席を取り囲ませた吹き抜けの真ん中に直径8メートルほどの円形舞台。中央3メートルは上昇出来る。舞台の縁にタンゴの楽団が位置に着き、舞台下にはテーブルに埋もれるようにピアノが置かれ、ほかベースもここで演奏される。
 楽団は弦4+バンドネオン4+ピアノ+ベースで、途中から若手の楽団にも交代する。これは規模を半分にしたものだが、レベルは高い。合間には男女の歌手、それにチャランゴ(ウクレレに近い小さな楽器)を中心にしたフォルクローレの演奏もある。これらもレベルが高い。
 ダンサーは、どうなのだろうか?トップクラスだとしか思えなかったが、結構な陣容で、6組はいたと思う。踊りにはいずれもストーリーがあって、それぞれ体格などの特徴をつかんで個性的な演技をする。

 テラス席に沿って廊下があり、向こう側は食事のテーブル。食事やワインを楽しんだ後、タンゴを見にテラスへ移動するという趣向だ。贅沢な遊び場所というに相応しい。
 普段どうだか知らないが、今日はホールはテーブルで埋まっていて、客は踊らず、もっぱらショーとしてタンゴをやることにしてあった。

 さても、ヒステリックなまでに強く切なく響くバンドネオン。バイオリンは叙情に徹する。聞くほどに、見るほどに、タンゴは都会の紳士淑女の恋がテーマだなと思う。ダンサー達の肉体は、ほとんど完璧なくらいに美しい。アクロバティックなこともやるのだが、バレエのように研ぎ澄まされ無駄を削り取った体ではなく、もっとセクシーだ。

 僕はタンゴのことは全く知らない。以前、映画「タンゴ・レッスン」を見て、いいなあと思ったことがある。それくらいだ。でも、南米をルーツにする最高度に洗練された文化のひとつということで、チリへ来る前からタンゴというものにはただならない期待を抱いていた。今日は、それがちょっと叶う日だったのだ。

 そうして見に来たショーだったが、ショーとしては言うことのないくらいに素晴らしいものだった。しかし、僕自身なにも知らないのでこういうと何なのだけれど、このショーからは、僕には新しい息吹をみてとることが出来なかった。ひょっとしてタンゴはもう伝統芸能化してしまったんじゃないか?そう感じた。できるなら、今度は中年や熟年、老年のペアといった、まったき大人達が群れ踊る、そんなタンゲリーア(タンゴの店)へ行って、大衆文化としてまだまだ強く根を張っているタンゴというものを見たいと思った。そんな大人達の中に若いペアもちらほら見られれば最高だ。
 たしなみ、として浸透している揺るぎない文化。そんな風にタンゴが今に生きていればいいな。しかしこの旅くらいでは、それは確認のしようがない。
 


2000.0402 日曜日
旅行3日目 アルゼンチン3日目
晴れ


km: サン・テルモの猫
 今日は歩くぞ。

 サン・イグナシオ教会、サン・フランシスコ教会を見たところで、またもケチャップ・スリ。今度はだまされない。大胆にも教会で犯行に及ぶ。教会の人と一緒に撃退。
 昨日の件もあるので、近くの警察へ行き、届けを出す。

 全く。でも、こんなことでブエノスの印象を悪くしても仕方ない。やれやれ。

 サント・ドミンゴ教会。ドレーゴ広場。宿のある中心部から、順に南へ歩いている。広場では市が立っていて、骨董街らしく骨董品一色。空いたスペースではタンゴをやっている。ちゃんとバンド付きのもある。
 サン・テルモ教会も近く(写真)。このあたりはサン・テルモ地区と呼ばれていて、古き良き時代のブエノスがどうだったかを忍ばせる。町ごと骨董。生活感もある。

 そのままどんどん歩いてボカへ。ここは古くからの港湾地区。中心部とは違って、ちょっとすさんだ印象だ。新しい文化はストリートから生まれるというが、なるほど、庶民の、労働のまちだ。しかしどうだろう?もともと港湾地区なのでしかたないが、人気がなくて寂れて見えた。有名なカミニートも、いまやただの観光スポットに過ぎない。

 地下鉄でセントロに戻る。カフェ・トルトーニで軽く午後の軽食。ブエノスで最も瀟洒な通りの、由緒を誇るカフェだ。こういうの日本にないかなあ。


トルトーニ 今も構えは同じ

 まだ動く。今度はバスに乗って、北のレコレータ地区へ。国立美術館。
 展示や運営には国民性が出るなと思う。アルゼンチンの人は、知る限り結構エネルギッシュなのだが、物事が系統立っていない。かくてこの国立美術館も、大量の名作がフルコースの梯子のごとく並べられている有様だ。しかし、それもコレクションの自慢の仕方のひとつかもしれない。

 アルゼンチンのアーティストとしては、有名なのがルシオ・フォンタナ。カンバスをナイフですぱっとやった、あの作家。初めて見た。でも、向こうに前世紀の古典が置いてあるところの壁に、ちょこんと置かれてもなあ。ありがたみがないじゃないか。
 そういうごった煮みたいな環境でも存在感を失わなかったのは、意外なことに宗教画や関係の彫刻だった。それらには黙して迫ってくるような存在感があった。これは、16世紀スペインの彫刻のスケッチ。

 近くのレコレータ墓地をかすめてレストラン街へ。初日のパリジャーダの仇を撃とうと、ちょっとだけいい店に。まずまず。しかし、チリと変わらない。この時点で僕の中では、「肉のうまいアルゼンチン」神話は消えた。チリも負けてない。こういうのは愛国心か身内びいきか。いえ、本当。

 カトリックの国は日曜日は軒並み店を閉めるものと思っていた。チリは全く敬虔というのかなんというのか。しかし、ここブエノス・アイレスの中心部は日本と変わらない。休みにみんなまちへ繰り出して賑わっていた。
 


2000.0403 月曜日
旅行4日目 アルゼンチン4日目
晴れ
 

 世界三大劇場のひとつであるコロン劇場へ。しかし、なんということだろう!修復中のため、内部へは入れないとのこと。じゃあ、出し物でもみてやろう。なにかやっていないのか?明日ならやっているって?しかし、明日ここを発つのだ。ああ。
 せめて絵はがきでも見て心を慰めることにしよう。

 さすがというかガードが固い。ロビーにさえ入れてもらえなかった。しかたなく外から眺める。
 この建築は今世紀に入って完成している。まだ若い。それをこのようにネオ・クラシックでがちがちに作ったのは、当時の繁栄と、ポルテーニョたちの故郷のヨーロッパ並になりたいという願いの強さのせいではなかったろうか?
 そういえばここにはイタリア系の移民が多い。オペラを忘れないでいるための、劇場は砦みたいなものだったのではないか?「母を訪ねて三千里」のマルコ少年って、そういやイタリアの港町ジェノヴァからアルゼンチンへ来たんではなかったかな?アニメによれば。

 市街北部のレティロ駅から出ている鉄道で北へ。ラ・プラタ川沿いの郊外都市サン・イシドロとティグレに行く。たいへんゆったりとして美しい。
 チリの郊外の戸建て住宅は、トタンや波形セメント板のような材料で屋根を葺いた住宅が多い。隣国ではどうなっているかが前々から知りたかった。これらのまちでは、そのあたりを知ることが出来る。
 さて、アルゼンチンはスペイン瓦が大多数を占めていた。この国は地震がないのか、構造が全てレンガなどの組積造(積み上げて作るやりかた)であることも普通だった。チリで瓦を嫌う理由は価格だけでなく、地震時には軽い材料が有利なためだ。そのかわりみすぼらしくなってしまう。

 夜、再度カフェ・トルトーニへ。奥には小さなオーディトリアムがあって、別料金でタンゴを楽しめる。やっぱりというかなんというか、客の大多数は観光客だった。地元の人は、あらためて来ようとは思わないのだろうか?偶然キャンセルされた最前列の予約席をとることができたので、狭い舞台を本当にかぶりついて見る。ダンサーよりも歌手よりも、バンドネオンのおやじがかっこいい。


km: タンゴ・トリオ





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