Diary
日々の記録

 
  

 

1年ぶりに帰ってきたマプチェマン
でも、ほんとはマプチェと別の種族のものです
うーん、いつ見ても夢に出そうだな
チリ国立自然史博物館蔵
2000.0319 日曜日
晴れ
 

 正午近く、起床。日曜とは、こんなに静かだったのかと思う。いつ起きようがここは静かなのに。

 よほど外へ出ようか、買い物にでも他の町へ行こうかと思い、ついでに昼食をとろうかと考えたが、結局母が送ってくれたレトルトのカレーを食べた。

 先週末から来週末まで、セマーナ・ノガリーナと題して、つまりノガレス週間ということで、家からそれほど遠くない市立スタジアムでサッカーの大会をやっている。自転車で冷やかしに行ってみた。無料ではなく、500ペソを入場券の購入にあてさせられた。スタジアムといっても、たいした施設ではない。しかし、階段席と、芝が整備されたサッカーコートと、コートを取り巻く金網だけはちゃんとある。どんなまちにも芝のサッカー場があるというのは、日本では考えられまい。
 せっかく金を払って入場したのに、サッカー観戦にはすぐに飽きて、通りを自転車で走った。近くでは、モトクロスの大会もやっているようだった。2サイクルのエンジンの、落ち着かない音が町に届き、響いていた。

 帰宅後、全くご無沙汰していた部屋の掃除をする。幾つも山になっていた紙の山も整理する。いつもながら、どうやったって整理のつけようがなく、部屋の外へ何か出さねばなるまいと思って整理を始めても、やってみると不思議になんとか収まるのだった。当然ゴミも出るのだが。

 夜の来るのは早かった。満月が昇ってくるようだった。正確には、明日か。

 なにやかやと作業しつつ、クラッカーとサラミとクリームチーズ等でいい加減な夕食を摂りながら、小説を読んでいた。今日からは下巻に入った。コーヒーも紅茶も飲まなかった。買い置きの紙パックの赤ワインを飲んだ。

 小説を読んでいると、蓼科や霧ヶ峰のあたりは霧が多いとかいう描写があった。それで、いつかバイクであの信州の道を訪ねたときのことを思い出した。
 あれはいつだったか。学生だったのか、もう働きだしていたのか、忘れてしまった。
 親父が年甲斐もなく乗り続けているバイクを借りて、僕は何日かだけの大阪から信州へのツーリングをした。往きには、湯殿辺りで延々続く渋滞に巻き込まれたことを思い出す。
 蓼科を、僕はあの時登りの道として走った。もう夜だった。とにかく霧が濃くて、前が全く見えなかった。車もバイクも、ほとんど走っていなかった。歩くようなスピードで走り、沿道の山荘で食事して、その後白樺湖に着いた。
 ツーリングは、バイクの時も自転車の時も、いや車の時でさえ、ひとりなら宿はとらずキャンプや野宿、車中泊だったので、その夜はやっと見つけたキャンプサイトで、そぼ降る雨と濃い霧と、夏の癖に凍えるような寒さの中、中では背筋も伸ばせないような小さな一人用のテントで眠った。白樺湖畔から近い、ゴンドラ乗り場の施設の下だった。
 雨具を着ていようが、走っているうちに濡れてしまうものはどうしようもなかった。次の日、白い朝を迎えた頃には、しっかり風邪を引いていて熱さえ出ていた。それで仕方なく、貧乏なのに高速に乗って家まで真っ直ぐ帰った。250ccのヤマハのアメリカン・バイクは非力で、しかも風を直接乗り手に受けさせるので恨めしかった。
 今思えば、宿で休めばよかったのだ。多分金がないというだけで、家に帰ろうと思ったんだろう。体力に自信がなくなったのが大きかったかな。

 あの道は、他にも数度通っている。下りの道として、自転車でツーリングしたときや、そして・・・・

 酒を飲むと、だらだらと思い出話をしたくなる。
 


2000.0318 土曜日
晴れ
 

 仕事ではないが、好きでパソコンで作業をしていた。何ページかに渡る文書を作るのだが、これを僕はページ・レイアウト・ソフトで作りたかった。
 Page Maker 6を持っている。英語版だ。マニュアルがなく、英語のヘルプを読んで、理解しようとした。即席では、実際に使えるようにはならず、結局少しは使い慣れているイラストレーターのほうに切り替えたが、しかし、その英語のヘルプを読みながら、分からないなりにも、昔よりも文を追えるようになっていることに気がついた。

 日本人からしたら、欧米の言語は大抵似たようなものだ。こちらの人間にとって全く違う言語の英語は、しかし、今日まじめに読んでみると、全くスペイン語によく似ているのだった。
 大学受験の時でさえ、長文の英語には、どういう構造で文が成り立っているものか判断できなかったのに、今は単語が分からなくても、なんとなく文の構成が読めるような気がする。関係代名詞がなぜ入っていないのか分からないけれど、ああ、こういう風になっているということが分かる。
 語学の先生も、また事務所時代の同僚であった外国人のひとも言っていたように、外国語を複数学べば、より言語を理解しやすくなるというのは本当だなと思った。
 断っておくが、そうはいっても、何を書いてあるかは、あんまり分からないというのは本当だ。まあ、いきなり国会の答弁でも聞いてるようなものなのである。

 夜出かける。くだけた、普通の言葉は聞きやすい。しかし、おそらく美しい言葉で話しているのだろう人の言葉は、分からないなと思う。
 


2000.0317 金曜日
晴れ
 

 昨日プレゼンテーションをやって一段落したから、一息ついた。
 今日も、昨日とは別の住民自治会へ行って、広場にかんする説明をするというのだが、今日になって言われても、約束があって行けなかった。

 月が日に日に満ちてくる。いい時間に昇ってくるからよく分かる。小さくのっぺりした丸い天体が、なぜあんなに明るいのかと思う。
 


2000.0316 木曜日
晴れ
 

 ノガレス市役所には、小さいが芝生の綺麗な中庭がある。そこで陽光の下、完成した模型の写真を撮った。

 JICA事務所から荷物が転送されて届いた。最新の「新建築」誌も入っていた。勤めていた永田・北野建築研究所の作品が載っていた。ああ、ついにこれ、完成したのか・・・。煉瓦についての、永田先生の短い文章に感動した。大切に建築を作る心を、きっとたくさん呼び起こして欲しいと思う。小品ではあるかも知れないが・・・。

 「El Observador(える・おぶせるばどーる、観察者の意)」という名の地元紙がある。カメラを持った記者がやって来て、メロン広場の件で取材を受けた。模型の写真も撮っていった。顔写真を期待していたけれど、それはなかった。ちょっと残念だな。
 隊員のなかには新聞やテレビで活動ぶりが紹介される人もある。僕も、その仲間入りができるかどうか。

 夜7時半から、メロン広場の建設予定地そのものにある集会所で、周辺住民への説明会を行った。ルンゲと呼ばれる地域の住民自治会の人々が対象だ。延べ40人ほどが来たのではないか。フェルディナン市長、クリスティアン地域振興課長、アロンソ企画局長と共に。

 いつもながら始まりは20分程遅れてから。日本の役所が行う住民相手の集まりは、大抵なんとも気まずく重苦しい緊張感があるが、ここではそんなことはほとんどない。大変フレンドリーな雰囲気。市長からしてポロシャツとGパンという出で立ちだ。
 市長と自治会の役員と思われる男性から、この広場の計画の経緯などが語られた後、僕の方から設計者としてプレゼンテーションを行う。なにも固くなる必要はない。まるで結婚式に招かれたような、そんな柔らかに華やいだ場で、場を和ませつつ、みんなの心に沿ったように喋ればいい。分かりやすく、面白く。そう思って喋る。

「みなさん、こんばんは。日本から来ています、建築家のケンです・・・・かれこれ1年以上ここにいます・・・・さて、この模型を見て下さい。ほら、立って、そばによって下さって結構です。これがプラット通り、これがマグノリオス通り・・・・メロンは、みんなが集まれる場所を持っていませんし、楽しい催しをするに相応しいところにも不足しています。広場は、そういう場所にしたいですね、メロンが家なら、ここルンゲの広場はリビングルームです・・・・リビングは、何をする場所ですか?お喋りする場所、休む場所、集まる場所、それに、愛を語ったりする場所でしょう?」
「そうだとも、若い子が仲良くする場所だとも!」
 一斉に笑い声が起こる。
「そうですね。ほら、ここなんかいい場所ですよ。」
 そうやって、模型の上の人形を指さす。
「それに、このリビングは散歩もできますね・・・・真っ平らじゃないんですよ。ほら、レベル差があるでしょう?こっちは坂で、反対側は、野外劇場みたいになってる。」
「劇をするのね!」
「そう。何してもいいんです。普段はお喋りの場所でいい。ここは、舞台になるけど、ほら、この人形を見て。スケートボードやってるでしょ?・・・・上のレベルには、どこからでもスロープで登れます。車椅子でも大丈夫。」
「上と下で挨拶しとる」
「こっちおいでって、言ってるのよ!」
「もしね、もし政府がたくさんお金をくれたら、ここ、この下にはオーディトリアムを作りましょう。窓から池を見晴らすような・・・・それから、ここには子供のための遊具を置きます。でも、普通のじゃつまらないから、こんな風に彫刻みたいなのにしませんか?だからね、ほんとに作るときは、誰かアーティストを呼ばなきゃいけません・・・・」

 もちろん、こんなに流ちょうなスペイン語ではない。

 集会は、信じられないくらいに和やかだった。自賛だが、少なくとも楽しそうな施設になっているし、そういう風に模型もできている。誰もが綺麗だね。面白いねと口にした。そして、説明が終わったら、拍手さえ起きた。誰かが呼んでくるのか、あとからあとから人が見に来た。
 不思議と感無量という気分にまで高揚しなかったが、しかし、この日のことを、多分僕はずっと忘れないでいることになるだろうと思った。協力隊員としてというより、建築する人間として。
 ある程度、今日、僕はみんなに夢を与えられた。目の前にそれを現して、そしてみんなにそれは喜んで迎えられた。事業主となるはずの自治体の長にも安心を与えることが、まず一歩だが、できた。これから最低でも2年か3年、あるいはもっと多くの時間が実際の完成までには必要だが、その出発としては上々ではなかったか。

 順序が逆になったが、参加した人々にアンケート用紙を配り、回答してもらう。印象や不備を問い、広場とは何か?個人的にどんな広場を望むのか?ということについて。
 大抵の回答は、あっけないくらいのものばかりだった。僕の設計案には全員が賛意を示した。不備は駐車場くらいだが、それはここの慣例として敷地内でなく道路にマーキングすればいいらしい。また、クリスマスの飾り付けはどうするの?なんていう楽しい問題も出ていた。それくらいだった。僕には、ちょっと物足りない声ではあった。

 たかだか仕事の一つの山について、こんなに書かなくても良かったかも知れない。でも、こういう日も巡ってきたなということを、今日は留め記しておきたかった。

 お祝いがわりに、ナスカさんの五目ご飯の素を出す。うまい。幸せ。
 


2000.0315 水曜日
晴れ
 

 メロン広場の模型に植える、かすみ草でできた木を作りに、ごっちゃんが来てくれた。近在の彼女の職場である農業学校には、たくさんかすみ草を育てているし、彼女は花のアレンジのプロでもある。
 彼女の口から心配なことを聞いた。僕も知っている、彼女の同僚が重い病気だとのこと。いい男なのに、なんということだろう。近々見舞いに行くことにする。

 夕刻には模型は完成。夜半、ライティングを工夫して、写真を撮ってみる。

 撮影の前に、フィルムを買いに自転車で少し出かけた。自分の町が、当たり前だが日本でない、外国であることには結構慣れたつもりだけれど、どうしても拭い去れない緊張感があるということを思う。子供が親元を離れてひとりで旅をしているような気分。それは意識の外へ追いやることができない。

 夜更け。井上靖の小説「本覚坊遺文」を読み終えた。利休の最後の弟子の語る文章、という形をとった作品だ。
 奥田瑛二が本覚坊を演じた、この小説を原作とする映画があって、それは見ている。たしか最初と最後のシーンは、同じ暗く冷たく、およそ比べるもののないほど寂しい河原の道を行く茶人の姿を、横からではなく真上から写した映像だったように思う。「海と毒薬」の演技でもそうだったが、内向的な人物の役をやらせると、奥田瑛二はうまい。映画の時の印象が、かなりの時間を経た今でさえ残っていて、読んでいても、本覚坊の言葉は奥田の声で語られたりした。
 秀吉からの賜死によって利休は茶の精神を貫いた、あるいは茶の精神は死をも貫くとする、そういう「道」を語る物語を読んで、しかし、今の時代は、死よりも、ほんとうに生ききっていくことで存在を賭けて貫くしかなく、それは実に難しいものだと思った。つまり、不可能性の中で譲れないものを浮かび上がらせ守るよりも、全く自由な、可能性ばかりがある状況の中で、同様に何かを貫くように生ききっていくためには、厳たる意志と哲学が必要になる。そして、その必要を意識することさえ普通は難しく、いわんや意志も哲学も保つことは難事中の難事だ。小説の中に描かれたのは、ほとんど僕の理解を超える世界のことだったが、しかし、それよりも、こういう現在に照らした、ある困難さのほうが僕には気になった。
 この作品の他にも、偉大な師、あるいは人間について、弟子や周囲の人間の立場から見つめた作品が井上靖の小説には多いと思う。あんまり知らないけれど、たとえば「天平の甍」や「孔子」はそうだといえる。
 

ふりむけばはなももみじもなかりけり
うらのとまやのあきのゆうぐれ

利休

 これ、うろ覚えだけれど、合っているだろうか。間違えていたら教えて欲しい。利休の歌で合っているのかも怪しいなあ。
 


2000.0314 火曜日
晴れ
 

 連日の快晴。しかし、今日は特に美しく晴れ上がった。風が弱いのか、湿度が高いのか、真夏並に暑い一日だった。

 色つきの水彩紙を人型に切り、メロン広場の模型の上に遊ばせるため、張り付ける。また、かすみ草のドライフラワーの枝先を細い針金でまとめ、木に見立て、大量に作る。
 これらの作業は、先月から実習で来ているカティが手伝ってくれた。実習といっても、事務の実習である。役所などで事務仕事するにも、ある資格が必要だそうで、その資格を認めてもらうには一定期間、実習をしなくてはならない。

 カティはまだ22歳。いつも音楽を聴きながら調子よく振る舞っている大柄な女の子だが、3歳の娘がいる立派なお母さんだ。時々、僕のおかしなスペイン語の間違いを指摘してくれる。

 時折、「ベルリン」と呼ばれるカスタードクリームを挟んだ揚げ菓子を少年が売りに来る。今日もひとつ買った。昼飯が豆のスープだったので、腹が減っていた。大抵ど甘いチリのケーキ類だが、彼のベルリンは甘いものが苦手な僕も大丈夫な、大人の味である。ひとつ100ペソ。約20円。
 


2000.0313 月曜日
晴れ
 

 メロン広場の模型製作の作業を続ける。
 事務所で働いていた頃は、こういう仕事は数日で一気に仕上げてしまうことが多かった。数人で取り組むのが普通だったし、大抵はクライアントその他へのプレゼンテーション直前に開始されることだったから、その期間は全ての手を止めて、不眠不休で作ったものだ。だが、今は一人だけだし、誰も仕事を詰め込んでせかす人もない。こんなに長い間模型ばかりやっているのも珍しいことだ。
 この木曜日にはお披露目となる。

 夜、友人に会いに出かけたりする。帰宅後、ひっくり返っている自室にうんざりしながら、しかし片づけずに読書など。
 友人からもらった、使い古しのこの国の小学校の教科書を読む。国語だ。6年生のは、とても難しい。なぜここに、この前置詞が入っているのか?なんだ?この単語?などなど。3年生のも、結構難しい。
 つくづく言葉は学問じゃない。語学というなかれ。そう思う。言葉。話されている言葉の、見えないルールや習慣を身につける。単語という単語を、聞き覚えがあるなら覚える。そして意志を伝え合ったり、冗談を言ったり、励ましたり、罵ったりする。そういうことをするためにあるものだ、そう思う。
 しかし、喋ってれば身に付くかというと、そんな甘くはない。やはり、地道に勉強しないと全然伸びないのは確かなのだな。僕には、とてつもなくめんどくさい仕事。だから、ほとんど上達していない。
 


2000.0312 日曜日
晴れ
 

 モールへ買い物に出る。模型の材料で足りないものや、衣料品など。

 ごっちゃんに、たまたま会った。つい先日任国外から帰ってきたばかり。楽しかったとのこと。特に、南米3大祭りの一つに数えられている、ボリビア、オルーロのカーニバルは、最高だったそうだ。
 このカーニバルは水掛祭りでもあって、水風船を誰彼構わず投げつけていいことになっている。その気で盛り上がっていないと、腹の立つ思いをすると聞いている。やりやがったな!てなことになるのだ。そういや、リオのカーニバルは始まっていたが、もう終わったのかな?

  昨日で夏時間は終わった。時計の針を1時間早めていたのを、戻す。今日は、つまり1時間多い一日のように感じるわけだ。あ、起きたら11時だ!と思ったら、実は10時なのだ。
 チリに時刻設定を合わせておいたパワーブックが、自動的に夏時間を終わらせていたのには驚いた。
 


2000.0311 土曜日
晴れ
 

 疲れがたまっていたのか、首は凝るわ眠いわで起きる気がしない。夕食の買い物に出る以外、ほとんど寝て過ごした。

 夜、任国外研修旅行で訪ねる都市について、若干調べる。調べるって、「地球の歩き方」で観光スポットを洗い出すだけだ。最初に降り立つアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスでは4泊するつもりだけれど、たしかに中3日を要するくらい、あれこれ楽しそうで大きな都市だ。

 大統領の交代式があった。これまで6年を勤めたエドゥアルド・フレイ・ルイス・タグレ大統領が、バルパライソの国会でその役目を終え、赤白青の三色のたすきを後継者に渡した。新しくチリ大統領となったのはリカルド・ラゴス・エスコバル。これまで2代の大統領の閣僚を歴任してきた男で、社会主義者である。
 式典はこの日いっぱい続いた。国会を出て、南部の大都市コンセプシオンで絶大な支持を受けた演説をしたあと、首都の大統領府モネダ宮殿に入り、宮殿前の群衆へ向かい、声を発した。続いて、旧マポチョ駅へ向かい、新大統領の誕生を記念する盛大なセレモニーを大鉄傘の下で行った。
 道中、また会場では国旗を振り、紙吹雪を散らす人が絶えなかった。歓声もあがる。直接国民から投票を受けて過半数を獲得した国家元首として、彼は迎えられたわけだ。

 どうであれ、チリの人々は、彼をもって政治の仕事を任せたのであり、もっと進んで国民統合の象徴ででもあるように迎え入れたように感じた。少なくとも、そうした気分を盛り上げるように、数々の行事が行われているように思えた。
 どちらが良いというわけではないかも知れない。しかし、日本の首相が、あまりにも国民から間接的に存在する政治のプロとして考えられていて、しかも無関心を誘う魂胆でもあるかのように、決意表明の機会に乏しいなと思えたのは確かだ。少なくとも日本も首相公選制を導入してはどうだろうか?
 


2000.0310 金曜日
晴れ
 

 デジカメのデータを僕のパワーブックに直接に取り込むことができないため、大変不便である。首都の隊員連絡所のデスクトップのマックで作業する。
 渡航した当初と比べ、日常デジカメを携帯しては気が向いたものを何でも撮るということをしなくなっている。しかし、それでもフィルムを使ったカメラよりは、写真点数は多い。整理整頓が苦手な性格なので、時系列的に画像のフォルダーが増えていく。そろそろ、整理していかないといけない。

 最初からデジタルデータの写真画像は、いざというときに消えていってしまうようで、なんとも儚い思いがする。高品質なプリンターもあるようだけれど、実際プリントして保管する手間をかけるには選別もしないといけないし、困難だ。
 せめて数十年は持って欲しい画像なら、今のうちに残せる工夫をしたいと思う。
 


2000.0309 木曜日
晴れ
 

 模型の続き。本体の大切な部分はほぼ完成。あとは、木だとか人形だとかを付ければいい。
 うちの部局のボス、アロンソは、この模型が大変気に入ってくれた様子。
「め ぐすと〜。め ぐすと〜。」
何度もそういっている。えーなー。すきやわー。そんな感じ。素直に嬉しい。

 昼食は、今日は自炊。日本食を作ってみようかな、という気もしたけれど、めんどくさい。無意識のうちにパスタになる。で、めんどくさい。無意識のうちにオリーブオイルとニンニクと塩だけでいいか、そうなる。寂しいからバジルでも入れよう。やけくそみたいに入れる。半分ジェノベーゼみたいになった。結構うまかったな。
 バジルといえば、figaro77さんが、「ざくざくバジル」と題して書いていた日記系の文章の題を思い出す。料理することと、食べること。二つのよろこび。もう、本当に楽しそうだったので、覚えている。
 今日の僕のスパゲッティは、べとべとバジルだった。
 


2000.0308 水曜日
曇りのち晴れ
 

 昨日の夜更かしのおかげだ。寝坊する。やるべき仕事をしておけば、まあ、これくらい許してもらおうよと考えるのは、全く甘え以外の何ものでもない。しかし、素知らぬ顔をして役所へ出かけて行く僕の姿がある。

 今日も夜半まで作業。メロンの広場の模型は、大体の姿を現すに至った。ここまで作る中で、もう少し、この辺りに工夫を要するなとか、こうしてみようかといった点を見つける。これも模型の効用のひとつだ。

 ここ数日読んでいた小説「海岸列車」を夜更けの寝室で読了。いつも分かりやすいというか、作中の言葉で言えば「意気に感じる」ことが容易な彼の物語である。
 宮本輝というひとは、会ってみれば、きっと作品そのものの、ちょっと「いけず」な、それでいて激しいおっさんか、それとも、とても僕など口をきけないような、孤高の内向のひとか、どちらかだろう。
 彼が書いた、意味ありげな言葉の端々について、いくらかは汲み取ることのできた思いがあった。それをもってとくとくとしているだけでは、愚か者とのそしりをまぬかれまい。今、そこにいることを受け入れ、引き受けながら、真剣にものを始めよ、生きて行け。彼がそういうのではなくて、それしかないやないか。下手な幻を相手にすんなよ。そういう、至極当たり前な、正直な気持ちにさせられた、そういう思いがした。

 今日も剣菱で晩酌。読書は、こいつが友だ。もう残り三合を切っている。
 肴は、鰹節一掴みに青海苔をぶっこんで、酒を垂らし、しょうゆを少し掛け、さらに松の実を突っ込んで掻き混ぜた、そういうものだ。結局、何もなかったら、そういうものが一番うまいと思う。ほんの少しの木の香りを滲ませた剣菱の芳香が、口の中で、そんな粗末な「あて」と解け合って、プラスチックの椅子に凭れた貧しい僕を、それだけで満足できる一人の世界へ連れてってくれる。

 夜更けの部屋に無音では寂しいかと思って、適当に手に取ったディスクは、ドロレス・ケーンの「Solid Ground」。もう一昨年の、これを買って聞いたときのこと(980611)を思い出した。
 


2000.0307 火曜日
曇りのち晴れ
 

 昨日けっこう暑かったのだが、秋も春も大体分かったぞ。午前中曇るようなら、とても涼しくなるのだ。これは乾燥している空気のせいだろうか?日が差すかどうかがほとんど体感の気温を決めているようだ。

 昨日から引き続き模型作り。明日を予定していた会議は来週の木曜になったとのこと。また延びたか。でもほっとした。

 いつも昼食をとっているエルミニア婆さんのところには、ダニエラという2歳の孫がいる。教育熱心な母親のマリアは、今から英語を少しづつ教えているとのこと。もう10までの数が言える。

 小さな子を毎日観察することって、僕には経験がなかった。この町に来た当初、彼女は1歳だったわけで、その頃からすると言葉は喋るようになってきたし、このごろはもう赤ちゃんの域を出たと言っていいくらいに自由に動き回ることができるようになった。そろそろ幼児と言っていい雰囲気だ。そのうち女の子らしくなってきて、10年かそこらもすれば、早熟なチリ娘のことだ。どことなく色気が出てきたりするんだろう。

 帰国までに、彼女に言葉の成長を抜かされることが、目下、最も口惜しいことなのだ。ダニーに負けてたまるか・・・・。

 帰宅後、昨日から読み始めた本を、今日も無分別な時間の過ごし方の下に、5時前まで読み続けた。
 いったんは閉じた本と、パワーブックだったが、就寝前にトイレに立った時目にした靴の所為で、またもう一度開く羽目になってしまった。
 靴とは、この間買ったばかりのトレッキングシューズのことで、グレーの皮で仕上げられた地味な靴だ。それがなにか、僕自身にとても似ているような気がしたのだ。どうでもいいような話だが、きっとさっきまで本を読んでいたので、その所為で敏感になっているんだろう。
 今、ここでその靴がどんなであるのかとかいうことを書くことは意味がないし、つまらないから書かない。でも、靴が僕ににているなんて、ちょっと変わってるから日誌に書いておきたくなった。
 というわけで、横目でその靴を眺めながら、今はキーを叩いている。
 


2000.0306 月曜日
晴れ
 

 メロンの広場の図面を、マキシモにプリントアウトしてもらい、段ボールで模型を作っていく。そういや、チリへ来て、これが初めての模型製作だ。「建築家」として、恥ずかしいことだ。これはつまり、模型を作って検討するとか、プレゼンテーションして理解や周知を促すという手続きを、僕はこの1年余り、やっていなかったということなのだ。まあ、事情が事情だから、仕方ないと思うが。

 段ボールは、3ミリ厚のものしかなく、よってスケールは1:125という、少々変則的なものになった。
 日本では頻繁に使用されるゴム系スプレー糊は売っていない。
 いろいろ勝手が違うし、道具もあんまり揃えてないから、なんか不便だ。

 夜半まで作業。
 なんだか目がさえて、自分の時間を貪るように楽しみたい。そんな気持ちだった。それで、朝方まで本を読んだ。どうも、いつまで経っても、いくつになっても、そういう分別のない時間の使い方をしているなと思う。
 



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