|
Diary
日々の記録
1年ぶりに帰ってきたマプチェマン でも、ほんとはマプチェと別の種族のものです うーん、いつ見ても夢に出そうだな チリ国立自然史博物館蔵 晴れ 正午近く、起床。日曜とは、こんなに静かだったのかと思う。いつ起きようがここは静かなのに。 よほど外へ出ようか、買い物にでも他の町へ行こうかと思い、ついでに昼食をとろうかと考えたが、結局母が送ってくれたレトルトのカレーを食べた。 先週末から来週末まで、セマーナ・ノガリーナと題して、つまりノガレス週間ということで、家からそれほど遠くない市立スタジアムでサッカーの大会をやっている。自転車で冷やかしに行ってみた。無料ではなく、500ペソを入場券の購入にあてさせられた。スタジアムといっても、たいした施設ではない。しかし、階段席と、芝が整備されたサッカーコートと、コートを取り巻く金網だけはちゃんとある。どんなまちにも芝のサッカー場があるというのは、日本では考えられまい。
帰宅後、全くご無沙汰していた部屋の掃除をする。幾つも山になっていた紙の山も整理する。いつもながら、どうやったって整理のつけようがなく、部屋の外へ何か出さねばなるまいと思って整理を始めても、やってみると不思議になんとか収まるのだった。当然ゴミも出るのだが。 夜の来るのは早かった。満月が昇ってくるようだった。正確には、明日か。 なにやかやと作業しつつ、クラッカーとサラミとクリームチーズ等でいい加減な夕食を摂りながら、小説を読んでいた。今日からは下巻に入った。コーヒーも紅茶も飲まなかった。買い置きの紙パックの赤ワインを飲んだ。 小説を読んでいると、蓼科や霧ヶ峰のあたりは霧が多いとかいう描写があった。それで、いつかバイクであの信州の道を訪ねたときのことを思い出した。
あの道は、他にも数度通っている。下りの道として、自転車でツーリングしたときや、そして・・・・ 酒を飲むと、だらだらと思い出話をしたくなる。
2000.0318 土曜日
仕事ではないが、好きでパソコンで作業をしていた。何ページかに渡る文書を作るのだが、これを僕はページ・レイアウト・ソフトで作りたかった。
日本人からしたら、欧米の言語は大抵似たようなものだ。こちらの人間にとって全く違う言語の英語は、しかし、今日まじめに読んでみると、全くスペイン語によく似ているのだった。
夜出かける。くだけた、普通の言葉は聞きやすい。しかし、おそらく美しい言葉で話しているのだろう人の言葉は、分からないなと思う。
2000.0317 金曜日
昨日プレゼンテーションをやって一段落したから、一息ついた。
月が日に日に満ちてくる。いい時間に昇ってくるからよく分かる。小さくのっぺりした丸い天体が、なぜあんなに明るいのかと思う。
2000.0316 木曜日
ノガレス市役所には、小さいが芝生の綺麗な中庭がある。そこで陽光の下、完成した模型の写真を撮った。 JICA事務所から荷物が転送されて届いた。最新の「新建築」誌も入っていた。勤めていた永田・北野建築研究所の作品が載っていた。ああ、ついにこれ、完成したのか・・・。煉瓦についての、永田先生の短い文章に感動した。大切に建築を作る心を、きっとたくさん呼び起こして欲しいと思う。小品ではあるかも知れないが・・・。 「El Observador(える・おぶせるばどーる、観察者の意)」という名の地元紙がある。カメラを持った記者がやって来て、メロン広場の件で取材を受けた。模型の写真も撮っていった。顔写真を期待していたけれど、それはなかった。ちょっと残念だな。
夜7時半から、メロン広場の建設予定地そのものにある集会所で、周辺住民への説明会を行った。ルンゲと呼ばれる地域の住民自治会の人々が対象だ。延べ40人ほどが来たのではないか。フェルディナン市長、クリスティアン地域振興課長、アロンソ企画局長と共に。 いつもながら始まりは20分程遅れてから。日本の役所が行う住民相手の集まりは、大抵なんとも気まずく重苦しい緊張感があるが、ここではそんなことはほとんどない。大変フレンドリーな雰囲気。市長からしてポロシャツとGパンという出で立ちだ。
「みなさん、こんばんは。日本から来ています、建築家のケンです・・・・かれこれ1年以上ここにいます・・・・さて、この模型を見て下さい。ほら、立って、そばによって下さって結構です。これがプラット通り、これがマグノリオス通り・・・・メロンは、みんなが集まれる場所を持っていませんし、楽しい催しをするに相応しいところにも不足しています。広場は、そういう場所にしたいですね、メロンが家なら、ここルンゲの広場はリビングルームです・・・・リビングは、何をする場所ですか?お喋りする場所、休む場所、集まる場所、それに、愛を語ったりする場所でしょう?」
もちろん、こんなに流ちょうなスペイン語ではない。 集会は、信じられないくらいに和やかだった。自賛だが、少なくとも楽しそうな施設になっているし、そういう風に模型もできている。誰もが綺麗だね。面白いねと口にした。そして、説明が終わったら、拍手さえ起きた。誰かが呼んでくるのか、あとからあとから人が見に来た。
順序が逆になったが、参加した人々にアンケート用紙を配り、回答してもらう。印象や不備を問い、広場とは何か?個人的にどんな広場を望むのか?ということについて。
たかだか仕事の一つの山について、こんなに書かなくても良かったかも知れない。でも、こういう日も巡ってきたなということを、今日は留め記しておきたかった。 お祝いがわりに、ナスカさんの五目ご飯の素を出す。うまい。幸せ。
2000.0315 水曜日
メロン広場の模型に植える、かすみ草でできた木を作りに、ごっちゃんが来てくれた。近在の彼女の職場である農業学校には、たくさんかすみ草を育てているし、彼女は花のアレンジのプロでもある。
夕刻には模型は完成。夜半、ライティングを工夫して、写真を撮ってみる。 撮影の前に、フィルムを買いに自転車で少し出かけた。自分の町が、当たり前だが日本でない、外国であることには結構慣れたつもりだけれど、どうしても拭い去れない緊張感があるということを思う。子供が親元を離れてひとりで旅をしているような気分。それは意識の外へ追いやることができない。 夜更け。井上靖の小説「本覚坊遺文」を読み終えた。利休の最後の弟子の語る文章、という形をとった作品だ。
ふりむけばはなももみじもなかりけりこれ、うろ覚えだけれど、合っているだろうか。間違えていたら教えて欲しい。利休の歌で合っているのかも怪しいなあ。
2000.0314 火曜日
連日の快晴。しかし、今日は特に美しく晴れ上がった。風が弱いのか、湿度が高いのか、真夏並に暑い一日だった。 色つきの水彩紙を人型に切り、メロン広場の模型の上に遊ばせるため、張り付ける。また、かすみ草のドライフラワーの枝先を細い針金でまとめ、木に見立て、大量に作る。
カティはまだ22歳。いつも音楽を聴きながら調子よく振る舞っている大柄な女の子だが、3歳の娘がいる立派なお母さんだ。時々、僕のおかしなスペイン語の間違いを指摘してくれる。 時折、「ベルリン」と呼ばれるカスタードクリームを挟んだ揚げ菓子を少年が売りに来る。今日もひとつ買った。昼飯が豆のスープだったので、腹が減っていた。大抵ど甘いチリのケーキ類だが、彼のベルリンは甘いものが苦手な僕も大丈夫な、大人の味である。ひとつ100ペソ。約20円。
2000.0313 月曜日
メロン広場の模型製作の作業を続ける。
夜、友人に会いに出かけたりする。帰宅後、ひっくり返っている自室にうんざりしながら、しかし片づけずに読書など。
2000.0312 日曜日
モールへ買い物に出る。模型の材料で足りないものや、衣料品など。 ごっちゃんに、たまたま会った。つい先日任国外から帰ってきたばかり。楽しかったとのこと。特に、南米3大祭りの一つに数えられている、ボリビア、オルーロのカーニバルは、最高だったそうだ。
昨日で夏時間は終わった。時計の針を1時間早めていたのを、戻す。今日は、つまり1時間多い一日のように感じるわけだ。あ、起きたら11時だ!と思ったら、実は10時なのだ。
2000.0311 土曜日
疲れがたまっていたのか、首は凝るわ眠いわで起きる気がしない。夕食の買い物に出る以外、ほとんど寝て過ごした。 夜、任国外研修旅行で訪ねる都市について、若干調べる。調べるって、「地球の歩き方」で観光スポットを洗い出すだけだ。最初に降り立つアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスでは4泊するつもりだけれど、たしかに中3日を要するくらい、あれこれ楽しそうで大きな都市だ。 大統領の交代式があった。これまで6年を勤めたエドゥアルド・フレイ・ルイス・タグレ大統領が、バルパライソの国会でその役目を終え、赤白青の三色のたすきを後継者に渡した。新しくチリ大統領となったのはリカルド・ラゴス・エスコバル。これまで2代の大統領の閣僚を歴任してきた男で、社会主義者である。
どうであれ、チリの人々は、彼をもって政治の仕事を任せたのであり、もっと進んで国民統合の象徴ででもあるように迎え入れたように感じた。少なくとも、そうした気分を盛り上げるように、数々の行事が行われているように思えた。
2000.0310 金曜日
デジカメのデータを僕のパワーブックに直接に取り込むことができないため、大変不便である。首都の隊員連絡所のデスクトップのマックで作業する。
最初からデジタルデータの写真画像は、いざというときに消えていってしまうようで、なんとも儚い思いがする。高品質なプリンターもあるようだけれど、実際プリントして保管する手間をかけるには選別もしないといけないし、困難だ。
2000.0309 木曜日
模型の続き。本体の大切な部分はほぼ完成。あとは、木だとか人形だとかを付ければいい。
昼食は、今日は自炊。日本食を作ってみようかな、という気もしたけれど、めんどくさい。無意識のうちにパスタになる。で、めんどくさい。無意識のうちにオリーブオイルとニンニクと塩だけでいいか、そうなる。寂しいからバジルでも入れよう。やけくそみたいに入れる。半分ジェノベーゼみたいになった。結構うまかったな。
2000.0308 水曜日
昨日の夜更かしのおかげだ。寝坊する。やるべき仕事をしておけば、まあ、これくらい許してもらおうよと考えるのは、全く甘え以外の何ものでもない。しかし、素知らぬ顔をして役所へ出かけて行く僕の姿がある。 今日も夜半まで作業。メロンの広場の模型は、大体の姿を現すに至った。ここまで作る中で、もう少し、この辺りに工夫を要するなとか、こうしてみようかといった点を見つける。これも模型の効用のひとつだ。 ここ数日読んでいた小説「海岸列車」を夜更けの寝室で読了。いつも分かりやすいというか、作中の言葉で言えば「意気に感じる」ことが容易な彼の物語である。
今日も剣菱で晩酌。読書は、こいつが友だ。もう残り三合を切っている。
夜更けの部屋に無音では寂しいかと思って、適当に手に取ったディスクは、ドロレス・ケーンの「Solid
Ground」。もう一昨年の、これを買って聞いたときのこと(980611)を思い出した。
2000.0307 火曜日
昨日けっこう暑かったのだが、秋も春も大体分かったぞ。午前中曇るようなら、とても涼しくなるのだ。これは乾燥している空気のせいだろうか?日が差すかどうかがほとんど体感の気温を決めているようだ。 昨日から引き続き模型作り。明日を予定していた会議は来週の木曜になったとのこと。また延びたか。でもほっとした。 いつも昼食をとっているエルミニア婆さんのところには、ダニエラという2歳の孫がいる。教育熱心な母親のマリアは、今から英語を少しづつ教えているとのこと。もう10までの数が言える。 小さな子を毎日観察することって、僕には経験がなかった。この町に来た当初、彼女は1歳だったわけで、その頃からすると言葉は喋るようになってきたし、このごろはもう赤ちゃんの域を出たと言っていいくらいに自由に動き回ることができるようになった。そろそろ幼児と言っていい雰囲気だ。そのうち女の子らしくなってきて、10年かそこらもすれば、早熟なチリ娘のことだ。どことなく色気が出てきたりするんだろう。 帰国までに、彼女に言葉の成長を抜かされることが、目下、最も口惜しいことなのだ。ダニーに負けてたまるか・・・・。 帰宅後、昨日から読み始めた本を、今日も無分別な時間の過ごし方の下に、5時前まで読み続けた。
2000.0306 月曜日
メロンの広場の図面を、マキシモにプリントアウトしてもらい、段ボールで模型を作っていく。そういや、チリへ来て、これが初めての模型製作だ。「建築家」として、恥ずかしいことだ。これはつまり、模型を作って検討するとか、プレゼンテーションして理解や周知を促すという手続きを、僕はこの1年余り、やっていなかったということなのだ。まあ、事情が事情だから、仕方ないと思うが。 段ボールは、3ミリ厚のものしかなく、よってスケールは1:125という、少々変則的なものになった。
夜半まで作業。
recent |