Diary
日々の記録

 
  

2000.0305 日曜日
晴れ
 

 久しぶりに国立美術館へ行ってみる。昨日延伸して開通した地下鉄5号線のベジャス・アルテス駅から行ってみた。大阪の鶴見緑地線を思い出した。綺麗だけど、なんか安っぽいな。

 めぼしい企画展はやっていなかった。なんとかという作家の個展を1階の展示室でやっていたが、延々同じ様なテーマの抽象パターンを油彩で描いていた。これをそれこそ何年も、何十年もやっているということに驚く。飽きないのかな?これで食えているから続けているんだろうか?色彩は卓越したものがあるとはいっても、そういうことばかりが気になってしまう僕だった。

 一日、メロンの広場の図面を描く。大体こんなのでいいかというレベルになった。あとは模型だ。
 


2000.0304 土曜日
晴れ
 

 チリの首都サンティアゴには地下鉄が3路線ある。そのうち、南北を走る5号線が北へ延長し、新たに二つの駅を新設して2号線と連絡するようになった。
 延長は、今までの終着駅を出ると、急激に西へ折れるようにして東西にトンネルをつける形で進められた。新設の駅は「Bellas Artes(べじゃす・あるてす、美術駅)」、「Plaza de Armas(ぷらさ・で・あるます、軍隊広場駅)」。美術駅は、国立美術館の近くにあり、広場の駅の方は、まさしく、首都サンティアゴの中心そのものの広場に作られたものだ。
 一番電車に乗りたいなあと思ってはいたものの、昨夜の帰宅は朝の4時。僕に午前中はなかった。

 夕食、昨日の仲間で韓国料理店へ行く。焼き肉やビビンバで、ミワコさんの最後の晩餐とする。ニンニクたっぷりだ。よかったね、ミワコさん。

 空港へその後見送りに。2年と数ヶ月の、長いと言えば長い、短いと言えばそうとも言える、そんな彼女のある期間が、ここで区切られる。
 活動もあったし、親友だってできた。それらには、一旦別れを告げなくてはならない。大人の彼女は、もうそんなことは片づけて、次の新しい生活へと歩き始めているように見えた。ふるさとの三浦半島がどんなところか僕は知らないが、遠くに船の行き来を眺める家で一息ついたら、微笑みながらひとあしをまた踏み出している。そんな彼女がイメージされた。

 今日の土曜日は、K山さんの結婚式でもあった。彼女のことは、前にも何度か日誌の中で書いたことがある。去年、結構ハードな変化を迎えたと思ったら、ついに結婚となったわけだ。
 祝電を打てないから、代わりにメールで送った。読んでもらえた筈だ。おめでたいことだから、ここにも載せることにする。

・・・・・(前文略)お二人の幸せが、桃の花のように馥郁と、かおりゆくことを思いながら、地球の裏側でもシャンパンをあけてお祝い申し上げます。
どうか、とこしえに、共にその歩みを分かち合われますように。
お二人に、乾杯。

 どんな男が旦那になったんだろう?帰って会うのが、今から楽しみだ。お幸せに!
 


2000.0303 金曜日
晴れ
 

 午後から、今日も首都に出る。水曜に会ったミワコさんを囲んで、デスペディーダ(お別れ会)、兼誕生日会。今日は彼女が大台に乗る日だ。
 プロビデンシア地区にあるスエシア通りは、洒落たパブやバーの多いところ。午前、ピノチェト元大統領が帰国して、セントロ(中心街、ダウンタウン)は、ちょっとした争乱状態だったというのに、ここは全く平和なにぎわいを見せている。

 ミワコさんは、明日帰国する。今日まで報告書作りや荷造りで忙しかったらしく、店に着いた頃には、疲れてすでに居眠りを始めそうだった。
 パブの次はサルサテカ。普通のディスコがディスコテカ(ディスコテーク)なら、中南米のサルサのディスコは、サルサテカと呼ばれている。
 もう深夜だというのに、このベジャビスタにある店の中は大盛況。古いレストランだったところを使っているようだが、みんな通り抜ける隙間もないくらいに肌を寄せ合って踊っている。その踊りも、見事なものだ。いずれも男女が組になって、柔らかく早いステップでめくるめく体を入れ替えながら続く。サルサの教室がたくさんあるけれど、なるほど、これはちょっと見まねではできない。僕だってやってみたけど、全然だめだった。二人でああして自在に踊れるようになるには、どんな修練か才能か、あるいは強いやる気が必要かと思う。
 こういう店に来ると、ああ、チリもラテンの国だなあと、改めて認識する。ここに来ている何組かを、渋谷の交差点にでも連れていって踊らせたいと思った。十分見せられる。

 ひんやりした大気の町バルディビアにいたミワコさん。チリ滞在の最後は、ラテンの狂騒(?)で締めくくった。
 


2000.0302 木曜日
晴れのち、曇り気味
 

 のんびり仕事を終えて家に戻ったら、ここ数日続いていた屋根の修理が佳境に入っていて、やかましいことこの上ない。どんどん、がんがん、ばさばさ。トタンの屋根なので、職人のおっちゃんが歩くたび、金槌をふるうたび、凄まじい物音を立てる。その音のするなかで、アボガドのペーストを作り、パンに塗って食事する。

 なにやら昼のニュースから大騒ぎしていたが、ピノチェト元大統領が帰国するらしい。16ヶ月の英国の生活を終えて、やっと母国へ戻ることを許された。すでに彼を乗せた飛行機は出たようだ。国中大騒ぎになっている。しかし、それもテレビの中だけのことのように、ノガレスは静かなものだ。

 夜半。親に送ってもらった日本酒「剣菱」を、これまた送ってもらった「ほていの焼き鳥」の缶詰等でおいしく頂く。日本酒って、こんな味だったろうか?そして、こんな酔い方だったろうか?大げさだけど、懐かしく、嬉しい。

さらにこれまた送ってもらった宮本輝の小説「春の夢」を読了。久しぶりに、彼の作品を読んだなという思い。

 うーん。頭がくらくらしてきたぞ。
 


2000.0301 水曜日
晴れ
 

 もう3月。桃李の季節を日本は迎えているのだろうか。まだ寒さが続いているそうだが、みんな、元気でいるだろうか?

 今日はサンティアゴに残ったままで、パソコンで設計の作業を続けた。

 夜、今週末帰国するプログラム・オフィサー隊員のミワコさんを囲んで、食事に出かけた。大変素敵で、落ち着いた、しかも元気な人である。また週末に会う。今日は4人程の飲み会。

 9時半からの予定、まあ30分は遅れを見込んで、10時過ぎにプロビデンシア劇場へ。「インティ・イジマーニ」のコンサート。チリを代表するフォルクローレのグループのひとつで、同居のパウラが言うには、新しいアルバムでは港町バルパライソの人々を歌っているという。
 一緒に行ったのは、鍼灸マッサージ師として働いている隊員のナオキさん。彼はチリには旅行で来たこともあるし、インティ・イジマーニのことも日本にいたときから大変詳しい人だ。

 30年を超える歴史を持つ活動をしてきたグループ。かつての社会主義運動、共産主義運動、また革命のうねりの中で、彼らもまたそれを力強く支持してきたし、弾圧には自由を訴えて退かなかったという。そういう彼らも、幾人かのメンバーを変えて、少しづつ変身を遂げてきたらしい。今日は、新しいアルバムの曲をたくさんひっさげて、ときに甘く、ときに厳しく、しかしいつも哀切をたたえる独自のフォルクローレを披露した。
 僕は、クラリネットやバイオリンを加えた彼らのサウンドが好きだ。民族の色をことさらに強調せず、市井に生きる、普通のセニョールやセニョーラたちの顔の皺を味わい高く、しみじみ歌い上げるような、そんなスタンスがいいなと思う。そう思ったとき、他のサルサやメレンゲや、あるいはタンゴだってそうではなかろうかと思い至る。南アメリカの音楽には、庶民が生活を飾ることのできる精神が、たくさん詰まっている。
 普通だったらみんな手拍子さえ止めて、静かに聞き入りそうな、そんな歌のパートになると、しかし聴衆は一緒になって歌う。壇上の楽器を抱えた歌い手と同じ顔をしながら、情感を込めて合唱する。愛しさを呼ぶような、そんな声のうねりが起こる。

 ところが、帰り道のナオキさんの評価は厳しかった。グループとしてのまとまりに欠けた演奏だったという。本当は、もっと、もっとすごいんやで、と言った。

 インティ・イジマーニのCD、日本にも最近では売っていないものか?
 

Inti-Illimani: Amar de nuevo(愛をもう一度), 1999

2000.0229 火曜日
晴れ
 

 仕事もそこそこにして、夜はサンティアゴへ。全くよく上京するやつだ。日本から協力隊事務局の方が来られているので、会食会なのだ。もちろん、日本料理である。
 前にも一度お誘いいただいたことがある。今日もそのときと同じ店、「あすか」。色々工夫していて、結構うまいと思う。地下鉄マヌエル・モン駅からすぐである。案内しても、仕方ないか。

 偶然といえば余りに偶然。そこまでいうと大げさかな。連絡所へ行ったら、訓練所で一緒だったパラグアイの栄養士隊員、曜子ちゃんに会った。1年3ヶ月ぶりの再会だ。
 ワインとチーズで積もり話を。彼女は孤児施設をやっているNGOで働いている。僕の印象では、NGOで働く人は、それぞれ自分の立場を作り、活動を自分でプロデュースしないといけないパターンが多く、大変だ。彼女もその例にもれない。しかし、外野から言うようで申し訳ないが、その分、大変たくましく成長したように感じた。
 


2000.0228 月曜日
晴れ
 

 昨日や一昨日で、模型製作の材料は揃った。今日からメロンの広場の模型を作ろうかと、気の遠くなる作業をイメージして暗くなっていたら、市長がやってきた。

「市長、集会は何時からですか?」
「何の?」
「広場ですよ。メロンの広場。水曜にするんでしょう?」
「ああ、あれね。どうかな。やらんと思うぞ。まあ、ゆっくり落ち着いてやってくれていればいいよ。それよりあれだ。市役所の新庁舎のデザインをやってよ。」
「?」

 地域振興課のクリスティアンに聞いても、君はいつがいい?等と聞く。いつの間にか、予定は変わっていたのか?結局1週間延びた。ああ、安心。しかし、いい加減だな。徹夜するところだった。
 


2000.0227 日曜日
晴れ
 

 昨日雨が降ったせいで、快晴の空の青さが格別に美しい。つややかといってもいい。見ているだけで、何か素晴らしく爽やかな飲み物を頂いた、そんな気持ちになる。

 あるモールで、昨日気に入ったものを見つけられなかったハイキングシューズを買った。結構高かった。5万ペソ余り。1万円少々が、チリでは大変高く感じる。アメリカの防水の靴。

 日本ではスポーツシューズは量販店で買うのが当たり前だった。ここにはそういう店がなくて、時に不便だ。ホームセンターくらいかな。反吐が出るほど物が並んでいるのは。
 


2000.0226 土曜日
曇りのち雨
 

 午後、買い物に出かける。モールで、ある誕生日祝いを買った。次いで、来月の末に出発する任国外旅行へ向けて、ハイキングシューズを買うつもりだったが、気に入ったのが見つからない。たまたま見つけた、アディダスの無駄のないデザインのものは型遅れでサイズが合わなかった。

 夕方になって雨。南部旅行中に降られた以外は、初めてだ。夏の内にこうしてちゃんと降ることは、このあたりでは非常に珍しい。秋になってきたということだろう。モールを出たのは、まだ9時になっていない頃だったが、すでに外は真っ暗。日は、はっきりと短くなっている。

 夕食は、ネットで知り合った友人、ナスカさんからの頂き物のラーメン「こむらさき」。前回同様、貪るようにして食べた。なんとうまいのだろう。
 ラーメンばかりは、ほとんど中毒。禁断症状が出る。ときどきたまらなく食べたくなる。しかし、信じられないことに、この1年3ヶ月、一度も店でラーメンを食べていないのだ。当たり前か。これはね、辛いですよ。

 ナスカさんに言わせると、一昨日の日記は、ちょっと気障だそうだ。そりゃそうでしょう。僕もそう思うよ。でもたまにはね、ああいうのもいいでしょう?ふふふ。
 


2000.0225 金曜日
曇りのち晴れ
 

 エルミニア婆さんの家で昼食をとっている間、一緒にやってきた同僚のエリアと喋っていた。
 エリアは、ノガレスから北へバスで40分程の町リグアから通っている事務員で、SECPLANの秘書と言っていい。40を少し過ぎた女性で、女の子がひとりいる。だんなの話は聞いたことがないから、いるかいないかは分からない。いないような気がする。いつも長めの黒髪をボブにしていて、黒目の肌によく似合っている。といっても、おばさんだ。意外なくらい的確に仕事をこなすので、僕は大変彼女を信頼している。

 今日くらい長く、ゆっくり彼女と話ができたことはなかった。彼女とはゆっくりしたペースで接することが出来るし話題も複雑にならないから、言葉の方も自分で思うのも変だが、十分に出来ていたように思った。

「ケン、あなた、サッカーはどこのファン?」
「そうだね、まあ、コロコロかラ・ウー(チリ大学)かなあ。」
「あなたの前に来てた、アメリカのボランティアのジョンはね、コロコロが好きだったのよ。でね、この間彼から贈り物が届いたでしょう?覚えてる?彼の子供の写真もあったわね。でね、今度こっちから彼と、ちびちゃんに、コロコロのユニフォームを2着送ってあげるのよ。いいでしょう?」
「ほんとに?いいなあ!」
「だってね、手紙には、コロコロは今どんな調子か?なんてことまで書いてあるのよ。送らなくっちゃ。」
「子供は、もう何歳?」
「そういえば彼はねえ、カレラに来てた女性ボランティアとは夫婦だったのよ。でね、任期途中で妊娠しちゃったのね、奥さん。だから、2、3歳かなあ。」
「そうなの?そんなこと、知らなかったなあ。」
「ケン?あなた、他にもボランティア呼ぶの?」
「ノガレスに?」
「そうよ。」
「エリアは、要ると思う?」
「そうねえ、ボスのアロンソ次第よね。要るんじゃないの?」
「その辺り、市長にも聞いてるんだけど、未だに返答がないんだよ。アンケートを渡してあるのにさ。」

 等々。

 夕刻、サンティアゴにて、家族からの小包を受け取る。でかい。注文していた本の転送だけでなく、あれこれと細かい日本食の材料や菓子などが詰まっていた。うれしい。しかし、こっちでも売っている物がたくさんある。それがおかしく思えたりもした。
 忘れず入っていたのは、ペットボトルに詰め直した「剣菱」。僕の好きな酒だ。大吟醸だのなんだのと言ったって、結局これが一番。特上を頼んでいたが、極上が来た。少し濃厚で甘めの、御神酒のような酒だ。久方ぶりに、まともな酒を飲むことが出来る。素晴らしい。
 ラーメンもそうだが、日本酒も禁断症状が出る食品である。
 


2000.0224 木曜日
曇りのち晴れ
 

 午前、オクタビオやギジェルモ達の仕事先の学校を訪ねる。トシコさんにもらった自転車で、メロンまでの5キロ余り、パン・アメリカン・ハイウェーの直線をとばす。とばしてるのは、気分だけかも。トマトの種の収穫と処理をしている風景に出会ったりする。

 実は昨日が彼らの仕事の総仕上げの発表会で、来てくれよと声を掛けてもらっていたが、どうにも行けなかった。ただ、美術の展示はこの正午まではやっているからと、昨日、再度ギジェルモに誘われたわけだ。

 学校は小学校相当の学年を受け持つ「コレヒオ」と呼ばれる種類で、夏休み学童保育では最年少で2歳から受け入れていたとのことだ。まだ夏休みの明けていない小さな校庭では、子供達が遊び回っていた。

 ギジェルモの案内を受けて作品を見て回る。が、それ以上に子供達に質問やら自転車貸してのお願いやら、写真撮ろうの誘いを受けるやらで、僕のクラスの始まりか?という様相になった。気のいい僕は「こんにちは」「さよなら」に、要望に応えて中国語の「にいはお」まで教えた。
 子供が群れる粗末な教室は、それでも明るい。みんなで作った大きなお面がいくつも掲げられ、人形があり、コラージュがあり、ちぎり絵があり、木にぶら下げられたたくさんの折り鶴がありしている。

 ファビアンはまだ小さい男の子。5歳くらいだろうか?言うことをなかなか聞かず、授業中もじっとしていられない。そのくせ、みんなからは「じょらろん(泣き虫)」と呼ばれている。いじめられっ子?そんな感じの、いつも困ったような顔をした子だ。
 別段彼と交流できたわけじゃない。でも、いつか小さい頃に、ファビアンと同じ顔を見たことを思い出した。ファビアンと同じように汚れた頬も。ファビアンみたいなかすれた声も。幼い頃、僕のそばにもいたファビアン。僕もいくらかはそうだった、そんなファビアン。彼を見て、記憶と言うより幼児の時の情動の痕跡みたいなものが、鼻の奥から何か匂いを感じるみたいに、少しだけ思い出された。

 ここにくる子供達の家庭環境は千差万別だが、ギジェルモから聞けば、服をずっと着替えない子や、離散家族の子、アルコールや薬物中毒の親を持つ子などが含まれている。ただそれでも、大抵の子はファビアンと違って伸び伸びして見える。

 ちょっと辛いとき、どこかの綺麗な南の島では、こんな僕に関係なく白い波が飽くことなく打ち寄せて、雲だって美しくうかんでいる。そうイメージして、苦しい思いを相対化させようとしたりするときが僕にはある。けれど、そんな同じ夜に、親子でいることが歓迎されないような、そんな子供が、ノガレスの、この天の川のいつでも見えている空の下にたくさんいるということを、これからイメージするようになるかも知れない。そう思った。

 コレヒオから出て、その足でプラサの予定地を見ていく。その場でイメージし、スケッチする。何かできそうだ。

 仕事を終えて帰ったら、もうギジェルモは荷物をまとめて出ていった後だった。ダイニングのテーブルに、僕が一番気に入ったと褒めた子供の作品が、書き置きと共に置いてあった。紙いっぱいに色彩が飛んでいる。

「ケン、君のだ。」

 うれしかった。
 


2000.0223 水曜日
曇りのち晴れ
 

 どうもパブロンを飲んでも風邪が治るわけでもないから、やはり今のうちに寝ておくのが良かろうと、役所には電話して一日寝込んだ。鼻水と咳が程良く出る、正しい風邪だった。
 午後遅く目覚めたら、結構調子が良くなっていたので、パタゴニアの旅行記を書く。仕事はどうした。まあいいじゃないか。
 役所にはアップだけしようと行ってみる。サーバーの都合で、日本のコンピューターが繋がってくれない。今までの努力が徒労に終わる。

 10時を回ったころ、遅くに訪問者。この間誕生日の祝いをうちでやった、アンドレアだ。アレハンドラと言うとばかり思っていたが、覚え間違いを指摘された。アンドレアね。

「ギジェルモ、帰ってない?」
「いや、今日は戻るの?」
「そう言ってたから来たんだけど、ここで待ってていい?」

 家には僕しかいないし、まあビールでも飲んで喋っていようかと誘う。
 11時頃、更にイフィサがやって来る。彼女はごっちゃんの勤務先の同僚で、ギジェルモやオクタビオ、アンドレア達の夏休み学童保育のディレクターを臨時でやっていた。二人の女性を相手に、世間話。

 イフィサが待ちかねて帰った頃、ギジェルモが、これまた同僚のグラシエラを連れて登場。それまでに、アンドレアは僕の指導で箸の使い方をマスターし、めでたく竹の箸のプレゼントまで受けていた。彼は二人で何をしていたんだろうか?
 その後は、遅くまで、またお話。マリワナの話、男女の話、その他であった。
 


2000.0222 火曜日
曇りのち晴れ
 

 来週水曜日、メロンの広場について、フェルディナン市長やクリスチャン地域振興課長とともに、地域住民相手にプレゼンテーションをしにゆかねばならない。まだ予算云々ではなくて、なんらかの提案を示せばよいだけらしい。

 勤務時間中ではあるが、旅行中の日誌をまとめたりする。まとめているのではなくて、とりあえず書いているといったものでしかないか。
 近所の市立図書館にも初めて行ってみた。旅行の関係資料を借りるだめだ。ビデオコーナーには、チリ版の「イル・ポスティーノ」である、「アルディエンテ・パシエンシア」があった。これがスカルメタの原作小説には忠実に作られたものだ。

 明日、所定の教育プログラムを終えてこの家を去る教師のオクタビオやギジェルモのために、カレーライスを作りビールを飲んだ。都合4人で食べるはずだったが、オクタビオと二人だけのディナーになってしまった。
 オクタビオもギジェルモも楽しく真摯な男だったので、大変寂しいことだ。一緒に騒いで警察を呼ばれたことも、ついこの間だったのだが、いい思い出だけ置いてさっさと行ってしまう。
 


2000.0221 月曜日
晴れ 夜半より曇り
 

 バカシオネス明けの久しぶりの出勤なので、ちょっとフォーマルに、女性には頬へキスをしながら挨拶をする。男性は握手で。

 日が短くなったと思う。日の長い南部から帰ってきたのだから、余計にそう感じる。日中の暑さも、今日はたまたまそうなのか、さほどでもなかった。昼食後、旅で貯まった洗濯物を洗ってしまう。下着の資源を確保するのだ。

 JICA事務所の現地スタッフNおばさんによると、旅行前に受けた検査の結果は異常なしだとのこと。少なからず関係者に期待を持たせた寄生虫疑惑は、「シロ」で終わった。そういや、旅行中はほとんど大丈夫だったな。ストレスから来るんだろうか?などと都合のいい想像を働かせてみる。

 今日は休み明け。仕事はそこそこ。なんにもせず。
 来月、また分科会でサロンをしようと思う。関係者と折衝。

 夜半、家に戻ったら、オクタビオやギジェルモが仲間を呼んで楽しそうにやっている。この水曜日に仕事を終えて、この家を出るのだという。今月末までと聞いていた。早まったのか。残念だな。いいやつらだったのに。
 明日、またカレーライスを振舞うことになった。

 風邪が本格的になってきた。普段飲まない風邪薬を飲んでみる。パブロン。意外といいな、これ。
 



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