Diary
日々の記録

 
  

南部パタゴニア旅行記は、2000.0210〜2000.0220です。

2000.0220 日曜日
晴れ
 

バカシオネス11日目:最終日

 昼までセントロで土産物を見る。結局僕は買わなかった。
 数えてみて分かったが、休みは11日間あったのか。

 宿で空港行きのトランスファーを待つ間、玄関にはひっきりなしに人が出入りしていた。みんな、この宿で週末だけ作っているエンパナーダを買いに来る人達だ。
 客の中に日本に住んでいたことがあるという年輩の男性がいた。

「ヨシダヒデタロウを知っているかね?君は京都の学生だったんだろう?彼は京都の大学の、スペイン語の教授なんだが。友人だよ。」

 こんなチリの田舎に、日本の滞在経験のある人がいようとは。そういや、もっと田舎の港町にも、以前技術者が来ていたよと氷河ツアーの客が言っていた。日本人は、ものを作り世界中に流通させているし、人間だって意外なくらいいろんなところを飛び回っているのだ。
(吉田秀太郎氏は、元大阪外国語大学のスペイン語教授である。帰宅後、愛用している白水社「和西辞典」を開くと、編者の一人としてその名があった。退官後に京都の大学におられたのだろうか?では、あのおじさんは誰なんだろう?)

 3:25pm バルマセダ発、ランチレ072便
 6:20pm プエルト・モンを経由、サンティアゴ着

 コジャイケは日に日に天気が良くなり、しまいにはなかなか暑くなっていた。気温は26度くらいまでだが、日射しはチリらしく強い。
 サンティアゴはしかし、いつものように少し蒸した。気温も30度近いし、南とは違う。とはいえ、何度もいうが日本の真夏に比べれば、チリの夏は至極快適だ。チリは暑い国じゃない。

 ちょこまかした旅が多かった僕には、今回なかなかに散財して行ってきた大旅行だった。それに、怪我、置き引き、食中毒もなく、何時になく平穏裏に終わった旅だったと思う。

 今日でバカシオネスはお仕舞いだ。役所の仲間も、協力隊の仲間も、入れ替わりでみんな今はどこかへ行っている。今度は土産話を聞くのが、まあ楽しみだ。
 


2000.0219 土曜日
晴れ
 

バカシオネス10日目:シンプソン川

 他のどこへも行く足がないから、コジャイケの中で遊ぶことにする。こういうとき、自動車やバイクの運転を原則禁止している協力隊の規定が恨めしい。

 シンプソン川は、コジャイケを通ってプエルト・アイセンまで流れる清流だ。それほど水質がいいとは言えないが、南部らしく、日本の川のように透明な、日本人には馴染みやすい美しい川だ。南部を除いて、濁った川は多いから。

 町の南側を流れるシンプソン川の方へ坂を降りていく。谷間には緑が一杯で、吊り橋を渡った河原で休む。サンドイッチを作って食事をし、裸足になって川に入り、そしてほかの家族連れの遊ぶのを眺めた。

 夕食はスーパーで買ってきたエンパナーダで済ませた。外食も続くと飽きてくる。レストランへ行くということ自体、飽きが入ってくるような気がする。

 満月。南半球では、月は北の空を動いていく。山の迫ったコジャイケでは、その月が少しばかり大きく見える。昨日に続いて、セントロでは若者のために音楽の催しをやっていて、月夜が更けても、いつまでも音が流れてきていた。
 


2000.0218 金曜日
晴れ
 

バカシオネス9日目:3人の自由人

 朝8時、氷河クルーズ船、エバンヘリスタがチャカブコ港に着く。下船。

 午後、再びコジャイケに。宿はどこも一杯。結局前に使ったところにする。

 ここから南部の町への国道沿いには、素晴らしい風景が広がっているというのだが、まだ町が小さくて交通網が発達していない。移動して帰って来られるバス便は、週に何本かという程しかない。残念ながら日程に余裕がなく、この町で数日過ごして旅を終えることにする。

 昨日仮装大会で出会った女性3人組もコジャイケ泊。夕食を一緒に。Casino de Bomberos、つまり消防団の食堂、というレストランへ。消防署の裏が、そのままレストランだ。

 彼女たちはいずれも二十代後半。
 二人は勤めを辞めて、もう半年近く一緒に旅しているそうだ。アジア、ヨーロッパと来て、南米に入った。このあとアルゼンチンを通って、ブラジル入りし、その後アフリカへ渡るという。
 もう一人は家業のお店が移転改装する間、南米旅行中だという。他の二人とはペルーで知り合って、今まで一緒に来た。
 これまでもたくさんの人と出会って、一緒に旅したことがあるという。話を聞いていても楽しかった。
 皆天真爛漫。ごく普通の娘さんだ。どこも変わったところはない。思うに、最近の若い女性は、結構こういう人が多いんじゃないか。ごくごく普通の、でもとらわれのない自由人だという人が。

 道中、無事故で。気を付けてね。
 


2000.0217 木曜日
晴れ
 

バカシオネス8日目:サン・ラファエルの氷河でロック

 朝になって目覚めたら、フィヨルドの中を抜けて海と繋がったサン・ラファエル湖へ入っていくところだった。湖の入り口は細い水道になっている。両岸は鬱蒼とした寒地の森だ。

 朝食後、ライフジャケットを身につけて、氷河の傍までボートで近づく。20名程度のボートを3艘。

 大きさから言えばこの間見たグレイ氷河と余り変わらないが、3度しかない水温の淡塩水に浮かび、ゆっくり流れていく氷塊の量は、こちらの方が断然多い。
 年々氷河は小さくなっているという。10年ごとくらいでどこまで氷があったかをペンキで岩壁に示してあるが、なるほど急速に縮小している。地球温暖化がどうこうという話は、しかし、解説してくれる船員の口から聞き取れるほどの語学力を持ち合わせていないので分からない。

 すぐに氷河の大きな壁まで行くのではなく、途中いくつもある巨大な氷塊に近づいていく。これらの氷塊は、当然ながら普段見かけるようなものではない。だから、目の前まで近づかないと、その大きさ、スケール感が分からない。遠目には小さな、といっても家1件くらいには見えるが、そんな氷でも、近づくと小さなビルくらいの大きさがあったりする。
 氷に含まれる空気の量から、その透明度や色が決まってくるらしい。白いのも、薄水色のも、そして全く透明で瑠璃色とも緑ともつかない色をしたものもある。大きなものは、たいてい長い年月をかけて雪から氷へ変成してきたことを示す地層のような縞が入っている。
 船はエンジンをかけて進むが、たまにアイドリングだけになると、湖面のちいさな波立ちに合わせて、氷がちゃりちゃり、しゃりしゃりと金属よりも鋭く硬質な音を絶えず立てていることに気づく。湖の面を撫でる風の冷たさ、氷の音。それだけは何時だってこの湖から消えたことはないのだろう。

 氷河のそばに近づく。ときどき鵜のような、ペンギンのような、しかし鴨のようでもある白黒の鳥が群をなして飛んでいる。さすがに彼らも、氷の上には降りていかないし、とまったりもしない。
 相変わらず氷河の巨大な壁面はスタイロフォームのようで、その硬さ、冷たさよりも、やわらかく、さくさくしたような、とても抽象的な物体にしか見えない。
 この氷河は、ここから南へと5,000平方キロをこえる大雪原の氷が移動してきて水辺にたどり着いた、そのひとつの終点に過ぎない。雪原は、飛行機から見ると、3,000メートル級の山に囲まれて大きく谷ごと全てを雪で埋もれさせた、いわばダム湖のように見える。

 そういえば、やっぱり氷河といえばあれだ。その辺も、このクルーズは心得たサービスをしてくれる。
 船員が船を小さな氷片がたくさん浮かんでいるところに黙って船を止める。そしておもむろにプラスチックのコップを配り出す。そうしたら、最後に出てくるのはウィスキーである。
 少ししょっぱい湖水が氷には付いている。各自湖面から取り上げた氷を手のひらで溶かして、洗い落とす。冷たい。そしてグラスに入れて、スコッチをロックで飲む。最高である。この一杯が飲みたくて来ている人もいるだろう。その意味では、このジョニーウォーカーのロックは、僕の生涯最高額の一杯だ。
 どうにかして、この氷を持って帰ってみたいが、止めた。ここで飲めれば、それでいいじゃないか。
 グラスの写真を撮っておいた。それを見て、またあの味を思い出すこともできる。氷の音や、冷たい風や、周りの客の笑い声も一緒に。

 夕刻、ゆっくりと船はサン・ラファエル湖を出ていく。たまに氷塊に船体をぶつけて、鋼鉄の体を揺すぶって行くが、それもだんだん少なくなっていく。寒地の森の木立越しに夕日が沈む。デッキに登ってきた人達は、皆なぜか言葉少なだ。

 夜中、船倉で仮装大会。日本人女性が、ほかに3人乗ってきていた。彼女たちの出し物はもちろん(?)「芸者」。
 普段あーだこーだと物事を前に進められないように思ってしまうチリ人だけれど、こんな時には、ものすごい行動力。外国からの参加者も多いと思われるが、しかし、のりは全くチリのものだった。盛り上がりといい、参ってしまった。
 


2000.0216 水曜日
晴れ 移動後曇る
 

バカシオネス7日目:氷河クルーズへ

 バスでコジャイケを発って、午後1時、プエルト・アイセン着。プエルトとは港の意。
 アイセンからさらにバスで30分のプエルト・チャカブコにて、サン・ラファエルの氷河を訪ねるクルーズの受付をしてもらおうとしたが、夜8時でよいとのこと。おかげでこの寒い寒い風の吹く田舎町で夜までを過ごさなければならなくなった。
 コジャイケからの道中は、シンプソン川の清流を抱く峡谷。どこか日本のような、みずみずしい光景だった。

 4時間、アイセンに戻ってレストランで居座り続けた。さすがにウェイトレスに嫌がられてしまった。

 ここプエルト・アイセンは州都ではないが、アイセン州という名があるのを見ると、この州では最初期に開発された町なのだろう。しかし、賑やかで美しいコジャイケから来ると、そのプエルト・アイセンの町も、ただ寂しく感じる。

 午後8時過ぎ乗船。NAVIMAG(なびまぐ)という会社の「エバンヘリスタ号」が、これから2泊3日の船旅へ連れていってくれる。貨物船の改造船だ。
 キャビンはダブルとトリプル、それに4人部屋があり、その下のクラスにリクライニングシート席の大部屋が二つある。全部でおおよそ150名程度の乗客があるようだ。
 僕らはトリプルの部屋。相部屋になったのはフェルナンドさんというサンティアゴ在住の国会図書館司書のおじさんだった。彼もバカシオネス中で、4泊5日のコースでプエルト・モンから乗船してきている。

 食事中、9時過ぎに出航。魚介のホワイトスープのパスタなどを頂いた。キャビン客は大部屋客と違って、船首近くの食堂で食べる。僕としては、大部屋用のカフェテリアも楽しそうに思える。キャビンはちょっと高いので、年輩の人ばかりなのだ。
 


2000.0215 火曜日
晴れ
 

バカシオネス6日目:コジャイケ、緑の湖

 午前中、ほとんど寝ていた。実は2日目、3日目のトレッキングの筋肉痛が少し残っている。今日は膝の筋とくるぶしの下が痛い。
 その痛みを押して、これもCONAF(林野庁)の管理する国立公園へ行く。町中からずっと歩いて行くしかなかったので、かんかん照りで辛かった。今日は久しぶりに暑い思いをする。

 ラグーナ・ベルデは「緑の湖」の意。大きさ、雰囲気から言って「緑沼」というところかな。ここで昼食。芝生で雲を眺めながら昼寝。あとは体力に自信がないのでルートを省略して帰った。

 毎日夕食を奢っていては胃腸も疲れる。今日はサラダと水だけ。セントロのプラサ(広場)に面した、リセルという店で。出す料理もサービスも、外国人が納得するレベルだった。

 おとなしく寝るつもりが、買い置きのハーフの赤ワインを空けた。Torreon de...なんと言ったかな?97年もので、チリワインにしては珍しく渋い、けれどこれまた絶品のワインだった。こういうワインを日本で作れないものか?

 夜半、雷鳴。驟雨。この春から半年ぶりに聞く雨音だった。
 


2000.0214 月曜日
晴れ
 

バカシオネス5日目:コジャイケ

 8:00am プンタ・アレナスからランチレ094便
 10:10am プエルト・モン(第10州)着
 1:40pm プエルト・モンから、ランチレ073便
 2:40pm バルマセダ(第11州)着。

 プンタ・アレナスからバルマセダ空港までは直行便がないので、仕方なくずっと北のプエルト・モン経由で入る。
 バルマセダ空港はアルゼンチン国境に近い平原にある。州都のコジャイケは山の中なので、州都へのアクセスは平原の空港から車で1時間程を走らねばならない。
 トランスファー(空港からのコミューター)の運転手は、田舎らしく優しい物言いの人だった。彼に聞くと、この時期の客で最も多い外国人はアメリカ人だそうだ。

 安めの宿へ荷物を預けて出かける。

 チリでは、どこでも東洋人は珍しがられる。しかし、ここコジャイケは特別だ。子供という子供はみんな僕らのことをじっと見る。ほとんど驚愕の目で凝視してくる。異星人でも見るようだ。そして一緒にいる親に、なにやらこっそり告げる。

「ママ、見て。ほら、チニートだよ!」

 彼ら白人にとって、黒人でなければ、明らかに外国人と分かる人種は黄色い肌をした我々だ。チニートは、中国人の意だ。僕らが日本人以外を「ガイジン」と呼ぶのと同じ様なニュアンスだと思っている。あまり気分のいいものではない。
 ただ、珍しがられるのと差別されるのとは違い、実際のところ、ここでもどこでも、外国人として、あるいはチニートとして僕が差別されたことがあるかというと、それはない。

 ラ・オージャ(鍋の意)というレストランで夕食。安めでおいしかった。チリの電話会社CTC(現在はTelefonica)の出しているガイドブックでは、扱いが軽かったのだが、いい店ではないかと思う。

 宿へ帰る道々、体育館でバスケット・ボールの練習風景を眺めたりしてゆっくり過ごした。

 コジャイケは南緯46度近く。涼しいくらいで、最果ての寒さはない。まるでスイスかどこかのような、美しい山並みと草原と林に囲まれ、川も流れる、美しい背景をもった町だ。
 


2000.0213 日曜日
曇り
 

バカシオネス4日目:プンタ・アレナス、ブルネスの砦

 早起きして午前中にプンタ・アレナスまで戻る。
 午後早く、同行者のひとりと別れる。空港まで見送った。

 プンタ・アレナスの実業家ブラウン・メネンデスの邸宅が、資料館になっている。プンタ・アレナスの町の歴史が分かりやすく展示されている。チリにしては美しい展示だと思う。
 サロンや食堂だけでなく、玉突き場まで備えた屋敷は、当時大統領だったピノチェトと当時の知事の提案で資料館となった。そのように銘板に刻まれてあった。

 ツアーのバスに参加して、2時間近く海岸沿いに車を走らせる。ブルネスの砦がマゼラン海峡を見渡して、岬の高いところに設けられている。現在は、その寒々と粗末な遺跡が残っているだけだ。こんな雨の多い場所でも木造の軸組に日干し煉瓦を合わせた建物を建てていたのがおもしろかった。
 砦といっても、寒いだけで何もない。昔ここに赴任した軍人のことが、ちょっとかわいそうに思えた。冬はそれなりに雪が降るらしく、胸まで積もったこともあったよと、頬まで眉毛が生えている運転手が語っていた。
 帰り道は長い夕日を見ながら。マゼラン海峡は今日も静かで、対岸のフエゴ島を遠くに浮かべている。空は、これまで見たこともないくらいに広い。その空の大気をまるごと染め抜くように強いオレンジ色の光を放ちながら、南の果ての太陽はなかなか沈もうとしない。

 夕食はバスク料理店で。うまいが、注文した料理はちょっとくどかったかな。
 カウンターに「いいちこ」や「薩摩白波」の瓶が置いてあった。

「それは日本の酒でしょう?」
「そうですよ。日本から遠洋漁船が来るんでね、日本人の友人が置いて行くんです。」

 いずれも焼酎。九州からやって来るのだろうか?
 宿で飲もうと買ったワインは、なんだか疲れたので飲むのを止めた。
 


2000.0212 土曜日
曇り気味
 

バカシオネス3日目:パイネを後に

 今日はスケジュール上、プエルト・ナタレスに戻らなければならない。日に2便しかないカタマランの時間に合わせて、8時にレフヒオ・グレイを発つ。少々足が痛む。息も上がる。
 昨日は出会わなかった日本人ハイカーにもたくさん出会った。少しルートが短縮できた所為もあり、3時間半でペオエのカタマランの発着桟橋に着いた。

 今日も最後までパイネの峰々は、雲のベールを取ってはくれなかった。昨日に比べれば若干薄くなったそのベールは、しかし、尖った山巓の群を一層厳しく冷たく見せて、僕には魅力的だった。

 国立公園から帰るバスが、管理事務所に差し掛かった。が、数日前に受付を済ませたばかりの、その管理事務所は変わり果てた姿になっていた。バスが突っ込んで、斜面の方へへしゃげている。どうしてこうなったか知らないが、旅客バスでもしょっちゅう事故があるチリらしい出来事だと思う。幸い死人は出なかったとのこと。

 プエルト・ナタレスで宿を決めて食事。Ultima Esperanza(うるてぃま・えすぺらんさ、最後の希望を意味する。第12州の、この県の名前)というレストランで。こんな田舎町の割に綺麗でいいレストランだった。しかも安い。

 この旅には二人同行者がいる。今日はそのうち一人の誕生日の祝いをする。食事だけの地味な祝いではあるが、松葉ガニだか高足ガニだかを頼んでみたりして、それなりに良かったんではないだろうか。もちろん、ちょっと高めのチリワインも注文する。

 そういえば、いままで外国のワインを置いている店に出会ったことがない。それくらい国産で満足できるし、価格的にも輸入物は太刀打ちできるところではないということなんだろう。

 2月なら日本では冬生まれ。しかしここチリでは夏の生まれだ。ところがこんな南の、最果ての町だと、やはり旅行者には冬のようにしか感じられない。店を出ると、すっかり暮れた街路に、また冷たく寂しい風が吹いていた。
 


2000.0211 金曜日
曇り 大変寒い
 

バカシオネス2日目:トーレス・デル・パイネ、グレイ氷河

 7:15am プエルト・ナタレスの町をバスで出る。3時間と少しでパイネ国立公園の入り口のゲートをくぐった。
 入園料をとる。チリ在住者と旅行者で料金が異なる。幾らだったか覚えていない。旅行者でも日本円で千円少々だったと思う。
 ここで南緯51度付近。道中はビロードのようになめらかな草原地の続く、大きな谷間だった。
 グアナコは、リャマ(ジャマ)に似た動物で、公園内の草の生えている所にたくさん住んでいる。ピューマ(プーマ)も見られるというが、出会えなかった。

 12:00am頃 パステルグリーンに冷たく濁るペオエ湖のカタマラン(小型フェリー)に乗る。湖面の向こうに、全体これ奇岩のTorres del Paine(トーレス・デル・パイネ)が聳えている。氷河に削られたのだろう、ダイナミックなえぐられ方をした山々だ。黒曜石の石器の鏃(やじり)を並べて立てたような姿の山巓を、今日は雲の中に隠している。地質が異なるのか、黒い岩肌の中程を揃って白くしている。この姿を見たくて、欧米や日本からパタゴニアへ多くの人が訪れる。ためにこの公園内は外国人の占める割合が5割を越えているのではないか?とさえ思えるほどに国際的だ。

 12:30am ペオエ湖の対岸、ペオエに到着。山小屋とキャンプ場があるのみ。食料を少し買い込んで、トレッキング開始。
 相変わらず風は冷たく、止むことがない。ベテランの登山者達は皆薄着になって歩いているが、僕はしばらく綿入りのゴアテックスのジャケットを脱ぐことが出来なかった。ジャケットを脱いでも、フリースのセーターと綿のトレーナー、Tシャツを着ている。ちょっと厚着だが、じっとしていると寒くなる。下はジーンズ。先日買った64リットルのザックを背負っているけれど、周りの、ストックを手に歩いていくようなドイツやフランスの人達から見ると、何ともカジュアルな格好である。

 ペオエからグレイ湖のレフヒオ(山小屋)を目指し、谷間を上っていく。特に難しい道ではないが、気軽なハイキングくらいのつもりで来たので、早くも後悔し始めた。
 食事を含め2時間ほどで峠に出た。ここからはグレイ湖を望むことが出来る。この湖には、グレイ氷河がその冷たい舌を差し込んでいる。峠からその氷河を見ることはできないが、流れてきた氷の塊が湖岸に滞っているのを眺められる。

 峠から少し行くと、はじめてグレイ氷河が姿を現した。白い雪の背の手前、その薄青く切り立った氷の壁を湖面に映している。荒涼とした山地の、厳しい岩肌の色と、足下の植物相の地味な色合いの中で、氷河はひときわ美しく冷たく光って見えた。

 ガイドマップによると、グレイ湖の山小屋までは3時間半の行程だったが、整備されてはいても結構ハードな山道は湖岸の急斜面の林の中。たびたび見え隠れするグレイ氷河に、あのそばまで行けば山小屋は近いと言い聞かせるものの、なかなか辿り着けない。結局4時間半かかった。僕のような素人には、これ以上長い道のりは難しい。

 グレイ氷河に触れるには、プロのガイドを付けたツアーに参加せねばならないので、僕は遠慮する。その代わり、氷河から200メートルと離れていない湖の突端の岩に登ってその姿を堪能した。時々雲間から指してくる日の光で、氷河は一層美しく見える。氷の断崖は最高50メートルくらいありそうだ。崩れていく様は、そうそう見れるものではないようで、ただ写真を撮りまくった。

 遠目に見る氷河の色や質感は、建築関係者なら誰でも分かる「スタイロフォーム」に似ていると思う。薄水色の断熱材の、あれである。憧れの氷河も、現場や模型製作で慣れ親しんだ「断熱材」に似ているとあっては、実は少々がっかりもしてしまったのだった。
 ただ、湖面に流れ着いた氷の欠片を手に取ると、中には気泡がほとんどなく、鑿で穿った硝子の塊のように見える氷もあった。このような氷の大きな塊は、普通より青かったり冷たく深い緑色をしていたりする。そしてとても重い。
 グラスもウィスキーも持ってこなかったことを後悔する。悔しさ紛れに、両手で氷塊を持ち上げてかじった。澄んだ水の味がした。手先の感覚がなくなって痛くなるまで、しばらくその鑿の痕のような、美しい氷の肌目を楽しんだ。

 レフヒオ・グレイ(グレイ・ヒュッテ)泊。シャワーや食事のサービスもある。ベッドに寝袋で就寝。寝袋の貸し出しもある。
 


2000.0210 木曜日
晴れ、曇り、そして晴れ
 

バカシオネス1日目:パタゴニア、最果ての町、ペンギンコロニー、パンパ

 今日から休みだ。土日と8日間の休みを付けて、10日のバカシオネス(バケーション)。全てをチリ南部、つまりパタゴニアの旅行にあてる。パイネ国立公園へのトレッキング、サン・ラファエル湖の氷河を見るというのが、この旅行の眼目だ。

 8:10am サンティアゴから空路。ランチレ281便。
 12:20am プエルト・モンを経由し、プンタ・アレナス着。

 機中では日本からのツアーのグループに出会った。通路を挟んで隣り合った婦人から羊羹などの日本の菓子を頂く。南部チリとアルゼンチンを回るとのこと。アフガニスタンなどにも行ったことがあると言っていた。

 プンタ・アレナスは第12州の州都の港町。チリ最南端に位置する州で、この州都はマゼラン海峡に面している。マゼランは、スペイン語ではMagallanes(まがじゃねす)と言い、数字を用いないときは、この州はマゼラン州と呼ばれる。
 「砂の岬」を意味するプンタ・アレナス。パナマ地峡に運河が開発されるまで、マゼラン海峡の中程に位置するこの町が、大西洋と太平洋を結ぶ重要な航路を中継していた。かつての繁栄を残して、市中央には豪奢な屋敷や事務所建築がたくさんある。

 空港から町まではタクシーで30分余り。雨が降ったばかりだったようで、未舗装路が多い所為でどの車もどろどろだ。
 それにしても寒い。真夏でこの気温だ。まるで冬である。気温は最低5度前後。最高15度程度。統計では2月の平均気温は8.8度とのこと。風が強く、体感温度は更に低い。それもそのはず、ここは南緯53度である。

 3時発のツアーのバスに乗る。ペンギンのコロニーを訪ねる。
 いわゆるパンパと言っていいと思う。草が生えているだけのステップの果ての海岸に、CONAF(Corporacion Nacional Forestal、林野庁とでもいうのか?)の管理する自然公園がある。ここまでの道でも、小型のダチョウのような「ニャンドゥー」を時折見かけることができる。

 公園内。遊歩道に誘導されて歩くと、人間を見てもあえて逃げようとしないペンギンたちがいる。解説によると、今は雛を育てている時期。で、夕刻近くに漁を終えて親ペンギンたちが戻って来るという。僕らはちょうどその時間にやって来たわけだ。
 なだらかな草原がどこまでも続き、ペンギンたちが思い思いにくつろいでいる。いつの間にか空は晴れて、広い広い空に雲を長く引いて見せている。小さな湖沼にはフラミンゴの姿もあった。冷たかった風も、こんな場所なら優しく感じられる。
 実家の近所の幼い友人達への土産に、雛ペンギンの抜け落ちた羽毛を拾った。

 移動。南緯52度付近の町、プエルト・ナタレスへ。アルゼンチン国境をなぞるようにパンパを果てしなく抜けて行くバスに乗った。旅行中のオーストラリアの学生と隣り合わせた。ハープを学んでいると言った。

「ボリビアにも行ったのよ。」
「知り合いが言うには、ボリビアの人は無愛想だというけど。」
「いいえ。ボリビアのミュージシャン達は、ほんとにいい人達だったわ。楽しかったわよ。」

 南部パタゴニアは昼が長い。サマータイムとはいえ、10時近くまで明るかった。暮れていくパンパにはひたすらに何もなく、夏でさえ枯れきったような琥珀の光を映す草穂の群に覆われていた。

 夜遅くプエルト・ナタレス着。今日はここへ泊まる。
 


2000.0209 水曜日
晴れ
 

 昨日から二日酔いの中やってきた作業も、午前中で終了。
 芸術文化センター、およびFEMAGRI(青果市場)の各施設(卸売市場、小売り市場、カフェ・展示広報・管理棟、公衆便所、ゴミ置き場)と、その全体配置図を作った。いずれも練れていないのだが、たたき台にはなるか。これをもとにマキシモが概算で予算を算出してF.N.D.R.(Fondo Nacional de Desarrollo Regional)に2001年度の事業として申請する。

 午後、サンティアゴへ上京。クリニカ・アレマナへ検便を提出し、採血する。ここは日本と比べても遜色がないどころか、より立派な病院である。

 夜、エクアドルからの帰路変更隊員と共に地ビール屋へ。政情不安で落ち着いて活動できないところで、いろいろ苦労していたようだった。聞く分には面白いのが申し訳ない。
 ダーウィンやイグアナで知られるガラパゴス諸島は、エクアドル領。いやいや行ってみても、着いた瞬間大好きになる位、いい島なんだそうだ。そういう話もたくさん聞いた。
 


2000.0208 火曜日
晴れ
 

 二日酔いだ。二日酔いだよ。だからいわんこっちゃない。あー、これで今日は徹夜すんの?うー、いやだいやだ。なんだこれ?こんなんで企画設計行っちゃうの?すっげー普通やんか。ステレオタイプそのまんまやないの。これ、ほら、もうちょっとがんばりいよ。うー、時間あらへんしなあ。ま、今はこれで行っとけ。あー、しんど。

 独り言が多くなるのは、夜更けに独りいるオフィスが寂しいからだ。
 なんかカラオケ行きたくなってきたな。でっかい声出して、すっきりしたいぞ。
 


2000.0207 月曜日
晴れ
 

 締め切りを気にしながら、夜10時に役所を出る。今日は、まえまえからオクタビオが酒を飲もうといっていた日だ。

 メロン、それもプリンスメロンだろうか?つるっとした皮の方のあれである。へたの付いていたあたりを少し落として、種を取り、中身をほじくって果肉をばらす。そこへ甘めの安い白ワインと砂糖を入れてかき混ぜる。特に名前はない、チリの夏の飲み物。

 オクタビオにギジェルモ、そしてパウラの3人の同居人達に、オクタビオの同僚フランシスコ(パンチョ)を加えて、即席のフィエスタの始まり。
 メロンは常に新しいワインが注がれている。回し飲みは誰にも止められない。そのうち会場はリビングから奥のパティオへ。裏庭だ。冷えるから上着を着込みながら大騒ぎになる。

 午前3時。サイレンの音が断続して近づいてくる。次いで激しいノックの音。
「からびねろ(警察)だ!」
「えっ?ぱこ(警察官の蔑称)?」
「電気消せよ!」
「しー!」
「おい、声がでかいぞ!」

 去年救急車を呼ばれて乗ったことがあった。あれも初めてだったが、警察を呼ばれたのも初めて。
 幸い静かにしていたら、しらを切り通せた。僕は、チリではいつでもフィエスタはお咎め無しなのかな?と考えていたのだが、それは甘かった。でも、週末はいいみたい。

「明日、誰かに聞かれたら、パンチョの誕生日だったってことにするんだ。おっけー?」

 オクタビオによると、途中でメロンの果肉を食べると酔いが早いんだそうだ。結構食べたな。ひっく。

 そういえば、新聞を覗き見したら、我がチリのサッカーチームはシドニー五輪の参加を決めたのだそうだ。おお、めでたい。それもアルゼンチンを破ってである。おお、素晴らしい。さる〜!さる〜!かんぱ〜い!
 



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