Diary
日々の記録

 
  

km: 仲良し

猫に触って、どくだみ荘へどうぞ


2000.0206 日曜日
晴れ
 

 遅い目覚め。いくつかのメールを書いたりする。若干は設計の作業。

 ゆっくり考えると、やるべきことがたくさん見えてくる。まえまえから気になっていることばかり。そのうちの多くは、このチリでの生活の中であるからこそやっておかないといけないというクチだ。
 振り返って、その先の生活へと直接に繋がっていくようなことって、あんまりないのではないか?眼前の物事を処理していくことが、断絶のない未来に繋がっているようでありたい。せめて幾つかのことは。そしてまた、この刹那だけの物事達もまた、その刹那刹那、尽きないで湧いてくるようであればいいと思う。
 


2000.0205 土曜日
晴れ
 

 午後、パルケ・アラウコという大きなショッピングモールへ。長期旅行に便利なザックを買う。64リットルのものを。ベトナム製。フランスのDoiteというメーカー。

 道々デジカメで写真。去年帰国した都市計画隊員のトシユキさんがなにやら講演するらしく、不足の資料写真をおくってあげるのだ。わが土木・建築隊員分科会としては、全面的に協力する。
 もうしばらくお待ちを。トシユキさん、見てる?

 夜、連絡所に居合わせた隊員や、任国外中の看護婦さんと共に、食事。ちょっとしたアサード。アルミの樽で買った、ドイツビールがうまかった。

 締め切りが気になって仕方ないタイプ。あー心細い。そんな僕だが、今日はいいや。

 おなかの虫疑惑だが、痩せは止まった。自炊を止めたからかも知れない。ただ、腹部の違和感はなくならない。下痢も何もなく、支障はない。早いところ検査を終えたい。ただ、もし虫じゃなかったら、なんだろうかという心配もする。
 


2000.0204 金曜日
晴れ
 

 昨日、午前中に現場を見に行った、とりあえずの名称「芸術文化センター」計画のスケッチをする。これも、FEMAGRIと同じく、この11日までに予算申請をする。
 語学が出来ないと、簡単なこともやりとりするのが億劫になる。申請の仕方に関するミーティングをやったのは先月で、それから慌てて懸案をあげて、いくつかの計画の企画設計を僕に言ってきたのは、すでに締め切り一ヶ月前を切っていた。
 慣行はどうなのか、日本の現状もそうは変わらないかも知れないけれど、なんともやっつけな段取りだ。

 前にも書いたろうか。この申請の後、4月11日には基本設計を添えて詳細を報告(?)しなければならない。僕らの部局に、設計が出来るのは僕だけ。製図のできるマキシモと作業するのも、まだ早いかも知れない。間にバカシオネスと、任国外旅行を挟んでしまったので、まずいなあと思う。任国外に出かける3月末には、隊員報告書の2号、3号も出したいしなあ。これは、いままでのさぼりが良くないのだな。

 午後、サンティアゴ。パウラに捨てられた検便容器を、また受け取りに往く。

 隊員連絡所には、義肢装具士のヒロカズ君がいた。サッカー選手だった彼と、近くのブラッスリーへ。サッカー五輪予選のチリ・ブラジル戦の中継を見る。みんなその目的で詰めている客ばかり。サッカー好きのナショナリスト達が揃っているが、さすがに対ブラジル戦とあって、半数は投げ気味。先制点は、それでもチリが決めた。

「ち、ち、ち!れ、れ、れ!びーばー、ちーれー!」

 度々みんなで叫ぶコール。相席の青年と歓談。しかし、どうしてもボールはブラジルの支配するまま。結局3−1で負けてしまった。
 現在南米の序列はブラジル、アルゼンチン、ウルグアイと来て、次にチリが並べるかな?という感じなんだそうだ。

 これ以上は書けないなあ。折角南米にいながら、サッカーを知らないというのは、なんとももったいない話だな。

 電気製品とか、車とか、そういうものばかりでない部分で褒めてもらえるとき、なんだかうれしい。ナカタは、むい・ぶえのだ!ええ選手やで。というのは、どのチリ人も言っている。
 


2000.0203 木曜日
晴れ
 

 勤務が終わって、リグアに向かう。リグアは、我がノガレスの北隣。第5州の北の端の内陸の町。人口は8万人程度と見た。
 リグアには花卉(かき)隊員のヒトシさんがいる。バスで40分程度のこの町。まだ来たことがなかった。
 先月帰国したトシコさんは、リグアから海に出た美しくかわいい町パプードにいた。自転車を僕に残していってくれた。ヒトシさんはそれを預かってくれていたのだ。

 日暮れ近いから、いまから出かけるのは止めた。彼のペンシオン(下宿)の中庭で過ごす。ペンシオンのおばさんがオンセ(軽い夕食、あるいは午後にとる軽食)を出してくれた。客を迎えるチリの流儀だ。おいしかった。

 ヒトシさんは農家を廻って、ともに働きながら意見交換しつつ、生産技術の向上にむけて何が出来るかと奮闘している。いろんな部分での困難さがあることを聞く。生活に結びついている農業の技術に、変更を迫るのは大変に難しい。

 夜半近く帰宅。

 ギジェルモは、今週からうちに住んでいる美術の教師。まだ23歳といったか。先月から来ているオクタビオの同僚だ。
 彼やオクタビオやパウラ、そして僕。一緒に住んでいるが、一堂勢揃いということは希。今日は、その珍しい一日で、朝4時くらいまで話し込む。音楽や美術の話に始まって、若者らしい、温かく、甘く、酸っぱいような時間になっていった。
 


2000.0202 水曜日
晴れ
 

 今日も深夜まで役所で作業。
 概算見積もりをどうやるかがネックだが、マキシモに任せることにした。時間がないので、最終の図面の編集も彼に任せる。CADの利点だ。
 僕の使っているCADソフトのVecter Worksは、MiniCadのバージョン8だが、このバージョンからAuto Cadとのデータの受け渡しが、かなりやりやすくなって助かる。

 実習に来ているアレハンドラがコンピュータの順番待ちで手持ちぶさたな間、いろいろ話した。相手が建築の学生で、しかもかわいいので、いくらでも相手になる。
 任国外旅行でブラジルを訪れることにしている。多分もういけないが、サン・パウロから内陸へ車で9時間ほど行ったところにある、Ouro Preto(おうろ・ぷれと)という町がおもしろいよとのこと。宝石や金のでる町だったそうで、大立者達がこぞって建てた小さくてきらびやかな教会が何十もひしめき合っているそうだ。
 彼女、実家は結構裕福と見えて、チリ人には珍しく、いろんな国を知っているようだった。
 


2000.0201 火曜日
晴れ
 

 FEMAGRI(地域共同青果市場)の施設の設計。2月11日には、企画設計と概算見積もりを出して、FNDR(Fondo Nacional de Desarrollo Regional、国有の地域開発基金)に、2001年度の公共事業として認めてもらうため申請する。

 全く時間がない。残業する。一人で午前様まで作業。日本で、事務所で作業していた頃を思い出す。
 設計するには、僕は夜が合っている。静かで落ち着いた時間帯。空気までが、何らかの創造を待っている。
 ただ、そんなかっこいいことを言っても、僕の創造力は貧しいものだ。

音楽するスーパーマン

 ほんものの建築家は、すべからくスーパーマンでなければならない。短時間であろうと、チャンスは逃さない。数多くとも、実現化するのはどのプロジェクトかは分からないからだ。また、土地にとって大切な建築であれば、なおさらいい設計をせねばならない。

 いい設計、デザイン、ものづくりとは、建築の場合、その目的や建築を求める気持ちを、ただ要求条件というだけではなく、汲み取らなくてはならない。そしてまず最初に、それを求める人に対して、彼らの持っている既成のイメージを捉えつつも、できることならそれを遙かに凌駕した卓越したビジョンを与えなくてはならない。
 そして、さらにその魅力あるビジョンを、相応の魅力ある実体の建築のイメージとして立ち現し、その実現まで人を心待ちにさせなくてはならない。

 一応の仕事の終わりを見る竣工と引き渡しのあとには、日々その建築と付き合っていくひとびとが建築家によって与えられたイメージを確認する、厳しいテストが待っている。現実の建築は、与えられていた魅力あるイメージを、実際に統合して目の前に存在するだけでなく、できるなら、使うほどに新たに発見されるような、何らかのプレゼントを備えているべきだ。そうして、愛されていく建築は、関係者個々の個別の歴史と共に、時間を経ていくことができる。
 本当に難しいのは、こういう経緯を経つつ、そののち幾年もの間を耐えていくことの出来る時間的存在としての建築を、建築家は設計の時点で見通していなくてはならないことだ。

 良い種からしか良い木は育たない。良い木は良い実をつける。建築家はあたう限りの確信をもって、苗を提供する。苗は、多くの理解者と職人達の精魂の結晶そのものだ。そうして苗は、育てられていく。よい実を結ぶまで。なかには毎年枝を張って、幾世代もの人々に恵みを与える幸せな木も出てくるだろう。

 建築は、その作られる課程において、音楽にも似ている。人の望むものを、譜面にするのは設計だ。また彼は初演までを頑張らねばならない。聴衆の期待を育て、それに応える演奏をリードする。初演が成功して、以後楽曲が愛されて行くには、相応しい演奏者達が息を合わせなくてはならない。土を掘り、釘をうち、こてや刷毛が動いていく、そのひとつひとつの動きは、最後に観衆の感動を呼び、記憶に止まるか否かを左右する一音一音である。

 (少し話がずれたが、でも、ここで職人の話も書きたい。)

 初演演奏者達は、建築の場合礼服を着ていない。彼らの作業服は、各人の職能に集中するために、危険を防止し汚れに煩わされないためにある。仕事について、一分の隙をも恥として恐れている彼らは、ミスのないプロの演奏者達と変わらない。一方の建築家は、そんな居並ぶプロ達が陶酔しつつ演奏できるものを与えなければならない緊張感がある。それは聴衆に対するものとは違う、同志との間の心地よく、激しい緊張感だ。

 「・・・でなければならない」というフレーズが、ほとんど強迫のように並んでしまったけれど、怠惰と無能力を嘆くよりは叱咤するものとして、自己を鼓舞するものとして、僕はそういう風に言う。建築者達は、きっと多分だれもがこんな思いをしているんじゃないだろうかと思いながら。
 


2000.0131 月曜日
晴れ
 

 もう今月も終わりか。

 サンティアゴから戻った。もよおしたので、検便の容器を取り出そうとする。あれ?無い。冷蔵庫に入れて置いたのに。
 同居のパウラが週末に掃除をして、なんでもかんでも、いらなさそうなものは捨てたという。彼女に付いてきてもらって、ノガレスの診療所で同じものをもらえるか聞いたりしたが、結局またサンティアゴのクリニカ・アレマナにいかないといけないことになった。全く。
 同じように、飲みかけだった僕のとオクタビオのワインもなくなっていた。夜、オクタビオとビールを飲んで、サッカーの中継を見ながら、こまるよなあと笑い合った。
 


2000.0130 日曜日
晴れ
 

 午後、サンティアゴの地下鉄サンタ・アナ駅を降り、ノルテ・スールの大通りを跨ぐ斜張橋を見に行く。これは、完全な人道橋だ。先日の土木・建築分科会のサロンで見た橋である。

 歩いて程近いところに大統領府がある。すぐ傍の空き地で、ただいま芸術のパフォーマンスが行われている。チリ大学その他が行っているもので、柵で囲った空き地の中に、硝子の小さな家を建て、そこに住むという実験だ。ワンルームで、もちろん中は全部丸見え。女性が住んでいるようだ。先日来ニュースでよく取り上げられていた。芸術というより、のぞき見趣味を満足させてくれる、おもしろい事件といった風だ。夜にはちょっとした騒ぎが起きて、警察が出てくる一幕も見られた。チリらしい。騒ぎすぎだ。
 残念ながら、ちょうど誰も入っていなかった。男どもだけが柵にへばりついていた。僕もその一人になってみる。
 


2000.0129 土曜日
晴れ
 

 午前中、掃除。

 午後は夜まで寝る。

 夜、レストランで食事。ちょっといい店に行く。ノガレスじゃない。サンティアゴだ。ベジャビスタという界隈は、バーやディスコ、レストランがたくさんある。レストラン街は、なかなかの雰囲気だ。大人っぽいのである。
 イースター島付近で捕れるという鱒様の魚などを戴く。ワインはシャルドネといきたかったが、ハーフボトルがなかったのでカベルネ・ソーヴィニョンとする。さっぱりしてて、これもいいな。
 


2000.0128 金曜日
朝のうち曇り、のちやわらかに晴れる
 

 リカルドが言うには、ただいま日本は寒気団の下。最低気温はマイナス35度。いんくれいーぶれ!(しんじられん!)だと。ほんまかいな。友人からのメールによると、先日大阪も冠雪したらしい。近年では珍しいな。鹿児島でも雪化粧したらしいし。暖冬などと、ちょっと科学的な雰囲気の言葉を使っていたとしても、僕なんか、ちょっと寒ければ今年は寒かったなというふうに思ってしまう。印象優位なのだ。

 今日のノガレスも涼しい。真夏なのに、午前中はトレーナーを着ていた。

 FEMAGRIのスケッチを描く。道の駅としても機能できるんじゃないかな。

 そろそろバカシオネス(バケーション、長期休暇)である。マキシモは今週いっぱい休みだ。職員は年間15日とれるから、週末の土日を入れて最大3週間休めるらしい。
 僕は2月10日から20日までのつもりだ。チリ南部、南緯50度付近へ行く。サン・ラファエル氷河へのクルーズとか、パイネ国立公園のトレッキングとか、ペンギンと遊ぶとか。協力隊員としては、結構な豪遊だろう。しかし、ここで「しぶちん」になっててもしゃあない。やることやって、みるもんみて、くうもんくうて・・・。
 


2000.0127 木曜日
晴れ
 

 午後のぼさっとした時間帯。実習に来ているアレハンドラを連れて、近所の売店までアイスキャンディーを買いに行き、そのままぶらぶらする。今日はいつもほど暑くない。むしろ涼しいくらいだ。街路樹の木陰はさらりとして静かで、目の前の真っ白な街路は、夏らしい強い照り返しに輝いている。日本なら、口で空気を吸うと、からいくらいに暑苦しいものだが、ここはあきれるくらいに気持ちのいい夏である。毎日毎日、それこそ毎日、また日本の夏に適応できるのかと心配になる。

 夏至をもうひと月過ぎて、暮れていくのが早くなったと思う。とはいっても、9時までは、まだ明るい。家に近いプラサ(広場)は、緑陰濃い憩いの場。夜は裸電球のイルミネーションと、多分市役所が持ってきているスピーカーから大音響のロックがかかっている。11時過ぎまでそれは続く。歩けるようになったばかりの幼児も、タバコを吹かした男も女も、ごっちゃになってプラサは毎晩賑わっている。

 夜、帰宅したら、10人ほどで酒宴の最中。今月からのルームメイトであるオクタビオの同僚達だ。誕生会だという。ポリネシア風の、情熱的な顔立ちのアレハンドラという女の子の祝い。アレハンドラって、全くたくさんいるな。クラウディアもだ。ほとんどは20代。
 自称絵描きのギジェルモはちょっとした日本通。信仰も、俺はタオだという。海苔の話をするので、出してやった。これはいつも好き嫌いがはっきり別れる。
 僕は桃とアロエと白ワインのカクテルをもらう。自然な味だ。
 酔うと必ず始まる「ちすて」が、やっぱり分からなかった。「冗談」のことであり、猥談の一種である場合も多い。落ち着き払った顔して、ちびちび飲んでいたが、みんな楽しく酔って大笑いしているのに、自分だけ着いて行けてないのは、どうしようもなくむずがゆいものだ。ところがこの「ちすて」って、日本語でちゃんと理解しても、何がおもしろいのかさっぱりという場合が多い。笑いのセンスが全く違うとしか思えない。
 ただし、逆に大阪の笑いはチリにも通用する。これは前にも書いたと思うが、重ねて強調したい。ほんまやで。
 


2000.0126 水曜日
晴れ
 

 サンティアゴのクリニカ・アレマナ(ドイツ病院の意)へ行く。昨日書いたように、どうも調子が悪いから。十二指腸辺りがしくしくする。潰瘍だったりしたら、ひどく痛むはずなので、もっと別の原因だろう。
 問診触診。お医者さん曰く、多分腹の中に寄生虫を飼ってますな、とのこと。チリじゃよくあるんですよ。という。なんだ、そんなことか。また検便の容器を3つももらった。

 任国外研修旅行の届けを、JICA事務所へ行って出した。頃合い良く、昼食の時間。調整員のS氏におごってもらう。もちろん、日本料理店。
 ご飯にマグロとチーズを合わせてアボガドで巻いたものを、この「寿し花」ではカリフォルニア巻きと呼んでいる。うーん、外人好みだな。こりゃ、寿司じゃない。面白かったのは、天丼に、茶碗でご飯がついてきたこと。天丼は、それでちゃんと完結してるのに、これはおかずだと思ったのだろうか?

 サンティアゴ行きのバスの中で、灰谷健次郎の「太陽の子」を読み終えた。沖縄風にいうと「てだのふぁ」と読むらしい。
 消えることのない悲しみや、今現在の苦しみというものが、登場人物達の出自と引き離しがたく、ある。けれど、また故郷の美しさ、人々のやさしさ、強さといった出自そのものが、同時に彼らの頑張れる根拠になってきた。だったら、今に生きる人間は、その美しい自然を、文化を失うわけにはいかない。もしもそれらをも失ってしまったら、彼らは漂流するしかなくなってしまう。苦しみを抱えたまま漂流することほど、辛いものはない。

 この小説(?)に、わざとらしさを感じたと以前書いた。今は、少しその印象が変わった。教育とか反戦とか児童文学といったことは置いて、こういうものを書いた作家の勇気とエネルギーにうたれた。
 教師をしているMが、沖縄に行ったときに感じたことを、珍しいくらいに饒舌に伝えてくれたことを思い出した。沖縄のこと、それだけではなく、人間として大切な何かについて。
 


2000.0125 火曜日
晴れ
 

 FEMACAL(ふぇまかる)は、カレラ市のバスターミナルに隣接する私営の青果市場だ。FEMAGRI(ふぇまぐり)と称して、ノガレスにも同様の市場をつくることになり、その視察に訪れる。Feria Mayorista Agricola Interprovincialの略である。
 大小合わせて300のブースを備え、他、事務所はもちろん、レストランや駐車場、乗り合いタクシー乗り場とかFlete(ふれて)と呼ばれる、レンタ・ピックアップトラック(?)にも場所を与える。
 敷地はパン・アメリカン・ハイウェーからノガレス・プチュンカビ線を少し入った工業地区の中だ。今はだだっぴろい空き地である。

 最近、まわりに痩せたぞ、病気じゃないか?などとしょっちゅう言われるし、どうも腹にしくしく傷みがあるので、なんかとても気になってきた。明日は病院にいくことにする。
 


2000.0124 月曜日
晴れ
 

 汗の滲む、暑い一日。

 ノガレス市は、二つの市街地を核として持っている。南にノガレス。北にメロン。5キロの距離を、パン・アメリカン・ハイウェー(国道5号線)が繋いでいる。ノガレスは、貧しいながらも、ひと揃いの当たり前な施設を備えている。広場であるとか、集会所とか。しかし、計画の追いつかない膨張を続けてきたメロン地区には、チリの市街地として持っていて然るべきまともな広場を、未だに持っていない。その広場を、やっと整備しようかという計画があり、僕と実習生の建築学生アレハンドラとで、スケッチを描いてみようということになった。
 現場へ、うちの局長のアロンソに連れられていく。3人して敷地を測量する。50メートルのメジャーで測るだけだが。

 さらに、チレバリオのプロジェクトということで、再びメロンへ。斜面に住んでいる貧困層の住民向けに、もう少し下った場所に住宅地を作るという。僕は住居の設計にかかわる。ただ、それでも結構な傾斜地。
 チレバリオは、政府系の貧困層向け各種プロジェクト実施機関で、産業振興からこうした住宅地開発まで、なんでもやっているようだ。

 1週間ぶりの役所のオフィスには、頼んであった住宅地の敷地模型が置いてあった。段ボール板でできた、等高線模型だ。アレハンドラは、ちゃんと作ってくれていた。これから、区画の計画をせねばならない。頭が痛い。

 それにしても、アレハンドラは健康的なチリ娘である。ほんま、かわいい。そのうち写真でも撮って、記念にここへアップしようかな。
 



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