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Diary
日々の記録 2000.0109 日曜日
サンティアゴの空港でマキちゃんと別れる。今度会うのは、僕がボリヴィアへ行くときになるだろう。
マキちゃんのボリヴィアでの活動については、今回それほど聞くことができなかったが、印象に残った点について。
午後、知り合いのおばさんの誕生日のお祝いへ。ファナさん。愛称でファニータと呼んでいる。54歳になったという。旦那さんも同い年。なんだ、うちの親と同じじゃないか。
2000.0108 土曜日
ビーニャからサンティアゴへ、マキちゃんたちと移動。僕は一時別れる。 隊員連絡所へ。改めて書くと、これは上京時の隊員の宿舎である。なんのことはない、高級マンション。 次回4月に発刊予定の隊員機関誌。午後は編集委員会議の予定だったが、遅刻。骨子は既に大体決まっていた。申し訳ない。僕はこの間からお手伝いすることになった身である。 夜。半年の任期延長を終えて、遂に来週帰国してしまうトシコさんのデスペディーダ(送別会)。山と盛られた心づくしの料理、そして酒でお祝いをする。
置きみやげとばかり、彼女の自転車をもらえることになった。アルミの赤いマウンテンバイク。やっと自分の自転車が持てる。税金で買ったものなので、僕のものではないけど。 トシコさんはスポーツをする人らしく、ど、がつくほどさっぱりした人である。率直で元気一杯。僕は手放しで褒めたい。どうか、どこへ行っても太陽みたいなトシコさんであって欲しい。
2000.0107 金曜日
ビーニャ・デル・マルの広場で待ち合わせ。昨日から来ているはずの同期のボリヴィア隊員マキちゃんと落ち合う。ジュキとは相部屋だった訓練所で同室の仲間。親友みたいなものだ。また、日本から彼女の友人のIさんも来ている。長期でチリやボリヴィアなんかを旅するらしい。 これで任国外研修旅行の同期隊員をアテンド(世話)するのは、3度目になる。毎度、首都近郊ではビーニャ・デル・マルやバルパライソを案内しているが、案内している方としても、その度この町を知ることができてうれしい。やっぱり一人じゃ来なかったりするし、入る気にならない店もあるし。 海岸近くのレストランで海鮮料理を。パラグアイと同じく、海のないボリヴィアの隊員にとって、チリは憧れの海の幸のある国である。パイラ・マリーナ(ソパ・デ・マリスコス)は魚介のスープ、セビチェはマリネみたいなもの。その他もろもろのおいしい料理で遅い昼食。 ペンタブレットのためのアダプターをレストラン近くのコンピュータショップ、セルコで受け取る。この会社こそ、僕のパワーブックを修理預かり中に盗難で失って以来、今まで補償を終えることのできない会社。これで、あとは日本語のシステムの入荷を待つのみとなった。 バルパライソへ移動して青空美術館を見て歩き、港で風に当たり、海岸列車に乗った。Iさんは日本から着いたばかりで疲れだけでなく時差ボケで辛そうだった。時差ボケって、日本とは時差12時間(夏時間時)もある世界一遠いチリでは、さすがにしんどいものなのだ。加えて今日はバルパライソ、ビーニャに似合わずとても暑い日だった。Iさん、夕食をとりつつ今にも寝入りそうだった。 一年ぶりのマキちゃん。もっと太っているかと思ったが、かえって少しスリムになったのではと思うくらいだった。相変わらず明るい声の大阪弁で話す。チリでは関西弁を使う女性に出会ったことがほとんどなく、大阪人の僕は久しぶりにリラックスしてお喋りできる気分だった。ま、普段でも大阪弁だけど。 日記で共通語(あるいは文語体?)を使っているのさえ、もどかしく思うことの多い僕である。日本語を使えない時間は、慣れてきたけれど、僕にはまだ負担だ。 言葉を使う上で本当のカタルシスを得られるのは、べたべたできたない大阪弁(北河内弁?)を使える時だけのように感じる。それには、あと1年待つしかない。 みんなでホテル泊。
2000.0106 木曜日
調子が悪くなった昨日。起きてみたら、まあまあ良くなっていた。 週末など、何らかの用件があって、その日のうちに日誌を付けられないことがある。その日、その時のことを覚えていられるのは、3日のうちが僕には精一杯だ。今日の日誌は11日に書いている。で、手帳を頼りにすると、今日は市長の演説について話し合うはずだったが、来週に延びた。とだけしか書いておらず、何をしたのかよく分からない。
2000.0105 水曜日
午前、SECPLAN(企画局)で集まる。2001年度の事業の予算申請に関する説明があった。ひきつづき、みんなが抱える、あるいは暖めているプロジェクトについて話し合う。僕のような外人には難しい事柄だ。ただ、後半はおもしろく聴いた。 午後、担当する貧困者住宅地では一番新しくかかわった「サンタ・マルタ」の予定地を見に行く。これも、前に訪ねたルネサンス地区と同じく、ポリゴノ地区に張り付く形だ。ただし、サンタ・マルタは傾斜地ではあるがごく緩やかで、まあまあの条件だった。ここもウニオンやルネサンスのように草と灌木が少し生えているだけのステップだった。
連れていってくれたソーシャルワーカーのクラウディアの車。止めていたら、ホイールのキャップが盗まれていた。遠目に自転車に乗った少年が二人うろついているのは見えていて、彼女も気にしていたが、全く油断も隙もない。あんなもの盗ったって金になんのか? 下痢気味。どうも風邪みたいだ。就寝前、こうして日記を書いていたら熱っぽくなってきた。やばい。
2000.0104 火曜日
去年から作りかけのまま、結局やらず仕舞いだった市長へのアンケートを午前中に慌てて完成させ、午後、市長とSECPLAN(企画局)局長のアロンソ二人との会談(?)に望む。これは昨日突然に市長に呼び出されたものだ。 新しい年に入り、日本から呼んだボランティアの建築家は勤務10ヶ月を過ぎた。そろそろ勝手も分かってきただろうから、彼なりの忌憚のない意見というものを聴いてみよう。話し合ってみよう。そういうことらしい。
さあ話せ、話せとしつこい。いきなりそんなこと理路整然と語り出せるほどの度量はないのだけれど、ここですっこんではつまらない。 まちづくり、道の駅 都市計画、あるいは広義にまちづくりについて。30年程度まで視野を大きくもったまちづくりの具体像と、10年、5年、3年といった単年度のプロジェクトの規範となる中期整備計画なんていうのは、いくら貧しいとはいっても、そろそろチリの農村なら作ってしかるべきではないか。それがないからちぐはぐで思いつきばかりで、行き当たりばったりの整備状況になる。
まえまえから、ノガレスの中央部を通る、チリ最大の幹線道路国道5号線、別称パン・アメリカン・ハイウェーが、なんら経済利用されていないのが気になっていた。ちょっと枝葉末節に飛んでしまうけれど、具体像を得やすいからここで市長にネタを振っておく。日本でそこそこ定着した「道の駅」を作ってはどうだろうか?田舎へドライブに行くとよく目にする、あのサービスエリアみたいなやつだ。
また話を続けようと言う市長。あんまりええ加減なことを言うのは感心しないけれど、まあいいや。楽しいから好きに提案書をあれこれ作ることにした。
いろいろあった一日。忙しく、嬉しい一日だった。一念が大切だ。道を歩いても、声を掛けてくれる顔見知りが多い。早足で手を振り笑顔で「オラ!」と挨拶するのが気持ちよかった。こういうリズムを続けたい。
2000.0103 月曜日
本日初出勤。誰彼構わず「ふぇりす・あにょ・ぬえぼ〜」と言って、おっさんでも抱き合わないといけない。もちろん、女の子もだから、文句はない。 ときどき役所にやってくるホルヘさんと話す。彼は4月(ほんとかな?)の市長の演説の原稿を作ることになっていて、先日書いたとおり、僕も一枚噛むことになっている。その辺の話。
昨日までいたビーニャ、バルパラと比べ、やっぱりノガレスは暑い。日本よりまし、と言っていたけれど、今日は暑かったな。汗が滲む。もちろんクーラーなんてものはない。無くても、なんとかなるものは普及もしないが、ちょっと暑いなあ。そういえば日本並に冷房の効いたオフィスは、僕が知っているのは唯一、サンティアゴのJICA、国際協力事業団だけである。
2000.0102 日曜日
パラグアイのふたり、マユミちゃん梅ちゃん、それにチリの同期のみんなでバルパライソへ。
港は他、アントファガスタやサン・アントニオ、タルカウァーノなどを見たことがある。数値的に言えないけれど、神戸や横浜といった巨大な港湾地区を知っているだけに、バルパライソの港でも大きいとは思えないというのが僕の印象だ。それは、都市にしても同じ事で、日本から来た僕にはどの町も小さく見える。この国では10万人を越えればそこそこの都会と見なされている。
バルパライソも、ビーニャも、海に冷やされて空気は冷たいくらいだ。日陰では寒い。馬車に乗ってみたのだけれど、僕だけ座れなくて御者席に乗って風に吹かれていると夏とは思えないくらいに涼しかった。 明日から出勤。まだ三が日も終わってないのに。で、パラグアイのみんなと別れた。
今日は、親父の誕生日だった。54歳になった。おめでとう。祝ったるから、日本酒送ってくれ、おとん。どうせワインなんて洒落たもん、いらんやろ?
2000.0101 土曜日
昨日から今日に代わった。更に今日、年が明けた。日本的には去年は大晦日に一年が締めくくられ、また新たなページをめくるように物語は進んでいくのだが、なんかどうもここにいると夏に浮かされていけない。新年を迎えるといっても、バケーションへ向かう楽しい行事の一つくらいにしか、みんな思っていないような気がする。 しかしそれでも、やっぱり気持ちは改めたい。
ビーチでミニテニスなどして過ごす。
あけましておめでとうございます。
991231 金曜日
水産加工のJICA専門家、ミツヒロさんの所へ昨日の仲間でお邪魔する。年越しは彼の豪華コンドミニアムで他の隊員や友人と過ごすつもり。なにしろ12階のテラスからは目の前にビーチを見下ろし、太平洋に沈む夕日を毎日眺めることができる。また南にはビーニャやバルパライソの市街を見渡し、夕日の後は金色に輝く夜景を見渡す素晴らしいところだ。書いてるだけで溜息が出る・・・。こりゃ僕だったら永住してもいいなあ。
ビーチへ出てひとしきり遊んで、同じく同期隊員の桜井さんの料理をみんなで頂く。 カウントダウンは、もちろんビーチへ出て。バルパライソは毎年チリナンバーワンの花火で新年を祝う。ここビーニャの波の音を聞きつつ、時間を待った。いつの間にやら通りもビーチも人で埋まっていた。
去年を除いてここ数年、ひとりで年越しするパターンが多かった。今年、そんなしんみりさは欠片もない。3年前など、大好きな奥琵琶湖で雪景色の湖面を見つつ年明けを待ったこともあったっけ。周りを見ても、ひとりでキャンプしている奴は誰もいなかった。というか、誰もいなかった。また、もう一度位そういうのもいいかな。でも、年越しじゃなくてもいいな。そりゃさみしいわ。 きっとよその南米諸国、ラテンアメリカの人々、あるいは同じキリスト教圏のところに比べたら、チリの新年の迎え方はおとなしいだろう。素直に「わーい」と騒いだら、みんないつものように家に帰って、家族や仲間で寄り合ってフィエスタだ。今頃シャンゼリゼはシャンパンの瓶のかけらで埋まっているだろうな・・・。それから・・・、いや、大抵どこもとっくに新年を迎え終えているのか。今頃日本は、きっとどこの道路もひっそりと静まり返って、おせち料理をつついているか、初詣への人手で、これまた「静かに」賑わっているかなんだろうな。 あ、紅白見たかった。特に西条秀樹がエンリケ・イグレシアスの「バイラモス(踊ろう)」、郷ひろみがリッキー・マーティンの「アッチッチ(じゃなくて、題名を知らない)」をカバーすると聞いていたから。どうでしたでしょうか?
991230 木曜日
バスにてカレラを経由してビーニャ・デル・マルへ向かう。今日が仕事納めのうちの役所は年が明けて2日まで休み。今日は一足先に休みをもらった。 ビーニャ・デル・マルは、葡萄農園・の・海、ということであり、海の葡萄園の意。いわれは知らない。古い港町バルパライソに隣接して発達してきた比較的新しいまちだ。ここばかりは、チリらしくないほどお洒落で美しいところである。ちなみにバルパライソとは、天国の谷、を意味している。 先日やって来たしげやんと同じパラグアイから、またふたりの同期隊員が任国外研修旅行でやってきた。マユミちゃんと梅ちゃんの女性二人。ビーニャで待ち合わせ。
梅ちゃんの1年切らずにいた髪の長さが、時間の経過を物語っていた。マユミちゃんも髪をそめたりピアスを開けたり。日本じゃ公立中学の先生だから、ここだけの楽しみなのだ。
991229 水曜日
お昼を食べにエルミニア婆さんの家に向かおうと役所の外へ出たら、なにやら行列が練り歩いている最中。先頭は御輿に載ったヴィルヘン、つまり処女マリア。今日は役所の斜め向かいに新しくできた養老院(というのか?)の開所式のようだ。めずらしく正装した市長も慎妙な面持ちで加わっている。 夕刻散髪。正月頭になる。いつも長めなので、今回はさっぱりと男らしく短めに。
991228 火曜日
郵便物の梱包をする。めんどくさいけれど、始めてみると嬉しく楽しい作業だ。
昨日のさだまさしじゃないけれど、その気になれば手紙やメール、プレゼントを送りつける相手を持ち得ていることに、感謝してしまう。 昨日今日と、仕事らしい仕事はせず。
991227 月曜日
さだまさし 先週末届いた家族からの包みの中に、さだまさしのCDが入っていた。いわゆるベスト版で、いずれも彼の代表曲ばかり。母親が最近買って気に入ったのだという。今日初めて聴いてみた。おもわず、しみじみさめざめしてしまった。 さだまさし。フォークは聞いていて嫌いではない、いや結構好きなのだけれど、CDは一枚も持っていなかった。なんかかっこよさそうな音楽ばかり、好んで聴いていたように思う。さだまさしは、その「かっこよさそう」な音楽のなかには入っていなかった。でもなあ、やっぱりいい音楽だなあと思う。 以前、ある作家のエッセイに、「神田川」にまつわる思い出を書きつづったのがあったのを思い出した。
推敲というものについても、なんか考えてしまった。さだまさしの歌詞カードを見ながら、ちょっと変えた方がいいところがないかどうか見たのだが、無かった。あたりまえか?「防人の歌」などに至っては、シンプルで強い歌であり、どこも動かしようのない完成度だ。(戦争を扱った映画の主題歌だったか?聴きようで、右っぽく聞こえなくもない。でも、ええ歌やなあと思う。) さだまさしを異国で聞くと、全く見事に望郷の念に襲われる。それは、日本にいようが故郷を離れ、馴染んだ仲間と離れていれば同じ事だ。
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