Diary
    日々の記録



     
     


    991212 日曜日
    晴れ
     

     昼間は任国外研修旅行の計画を立てる。
     3月出発を予定している。規定で許される最大の3週間の旅程。
     チリからはボリヴィア、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルが旅行可能な国だ。「地球の歩き方」位しか情報が無く、建築・都市行脚にするには難しい。そんななかで頑張って建築を見たとしても、古代文明もあったとはいえペルーを欠いては、どの国でも移民史を辿るようなことにしかならないような気がする。
     近代以降の有名建築も、そう多くは知らない。ブラジルの首都ブラジリアは、南米の誇る巨匠オスカー・ニーマイヤーが丸ごと設計したもので、国際建築運動のなかでも最大の実験のひとつとされていたと思う。ここやサン・パウロ、リオ・デ・ジャネイロは、彼や他のモダニスト達、さらに最近の比較的元気な現代建築の作品が見られる場所だ。当たり前か。それで?あー、勉強が足り無すぎる!
     でも、とにかくまあ、4カ国まわれるのだ。計画していてあれもこれもと言っているうち、どこのまちにも3日程度しかいられないことになってしまった。ブラジルのビザは申請から取得まで時間がかかるというし、ちょっと頑張って計画せねば。チリや近隣諸国には建築・都市計画関係の協力隊員はほとんどいないのも、情報が集めにくく残念なことだ。

     今日はチリ大統領選挙の当日である。即日開票された。夜には各候補の支持者達が車で騒ぎ始める。クラクションがうるさいこと。
     選挙戦当初、断然有利だった中道左派連合コンセルタシオンの候補者リカルド・ラゴスだが、結局蓋を開けたら元ラス・コンデス市長、右派リベラルのホアキン・ラビンに追いつかれてしまった。総得票数にしめるパーセンテージの差は、なんと1%以下!両者ともに47%台である。チリの法律では、この場合決選投票となる。1月16日、新しい大統領が決定するということだ。就任は来年3月。任期は6年である。
     ちなみにラス・コンデスはサンティアゴの富裕層の居住区。そこの市長は、フランスでいえばパリ市長みたいなもの。背景的にラビンはフランスのジャック・シラクに若干似ているところもあるかも。

     1970年には世界初の選挙による共産政権が生まれ、1973年には軍事クーデター。以後軍事独裁政権が続き、90年に民政移管が完了したばかり。その国にしては、意外にも静かな選挙戦であり、当日だった。もともとおとなしく、国民性として、いわゆるラテンアメリカ的な激しさのない国といわれるチリ、なるほどな。そんな印象である。
     


    991211 土曜日
    晴れ
     

     この数ヶ月のうちに、2000年問題は、Y2K問題と呼ばれることが多くなったようだ。昔、米米クラブがK2Cというアルバムを出したことがあったと思う。なんかシンクロしておもろいな。

     チリではまあ特別困るような事はなくて大丈夫だろうと言われているが、在チリの日本人には大使館などから警戒の呼びかけが時折なされている。十分な現金やしばらく持ちそうな食料などの備蓄が骨子だ。で、水を少々買う。食べ物も月曜までの分を買った。これは明日日曜日のチリ大統領選で商店が閉まってしまうから。年越し用食料は後日。
     僕の個人的な印象で何の根拠も無いが、もしY2Kで問題が起きるとすれば、それは田舎の自治体のコンピュータではないかなと思っている。問題が起きれば起きたで、のんびり対処していけばいいやと職員は思っていそうだし。

     その他何事も無い、静かな休日を過ごした。
     


    991210 金曜日
    曇りのち晴れ
     

     午後、市役所の小さな中庭でホルヘ・ラドンドさんに呼び止められた。ホルヘさんは環境系の博士で、非常勤の顧問のようなかたちでノガレスと契約しているらしく、ときどきやって来る。JICAかどこかの研修で以前来日したこともある。で、僕にはとても親しく話をしてくれる。
     なんでも毎年4月頃に市長の施政方針演説みたいなのをすることになっていて、今回市長はData Showとかいうソフトを使ってインタラクティブなプレゼンテーションをしようと考えているとのこと。ホルヘさんはその原稿をまとめるだけでなく、そのへんのプロデュースを担当しているようだ。僕が技術の国日本から来ているということで、ひと味違うものにする手伝いをして欲しいという。いいよ、と返事はしたものの、普段パソコンでなにやら仕事をしている姿を捉えて、何かできるんじゃないかと考えるのは早合点というもんだ。まあ、街路整備とか広場の整備、ひょっとしたら市役所の新庁舎なんかを含めた箱物系の公共事業について、計画したり映像を製作してもらいたいと期待しているのだろう。
     大変おもしろそうな仕事で、久々に色気のあることができるんじゃないかとうきうき。でも、毎度の段取りの悪さのしわ寄せが怖い。

     夜、日記猿人の投票ボタンを付けたこのページのファイルを初めてアップする。
     


    991209 木曜日
    晴れ
     

     サンティアゴからノガレスへ着いた。ノガレスの空気は、やっぱりサンティアゴよりうまいと思った。

     この週末、日曜に大統領選挙の投票がある。チリじゅう、今はどこへ行っても賑やかな選挙戦が繰り広げられている。
     テレビでもラジオでも、オリジナルのテーマソングを流し、楽しげで垢抜けたイメージ戦になっている。

     現政権を運営する、中道と左翼の連立「コンセルタシオン」の候補者リカルド・ラゴスに、リベラルのホアキン・ラビンが競り寄っている。大方の予想はラゴスで落ち着くというもの。ただ、僅差では決選投票になるらしいので、決着は来月2000年1月かも知れない。

     この選挙が終われば、やっとチリもクリスマス気分になれるんじゃないかと思う。日本と違って、商売で盛り上がるクリスマスではないのか、今月に入って、やっとグッズの販売が始まったし、人々の話題にも上るようになった。

     それにしても、年の瀬が夏に訪れるというのは独特だ。季節と共に、気持ちがどんどん開放的になっていくこの時期に、過去1年の評価なんてする気になれるだろうか。クリスマスは「陽気な家族のお祭り」。新年は「海で肌を焼きつつ迎えるもの」であったりする。NHKの「行く年来る年」的な、しんみりした年越しの発想が入り込む隙間もない。年が明けたら明けたでバケーションだもの。
     北半球のこの時期は、独り者に寂しさを与えるが、南半球ではかえって「わくわく」のもとをくれる。
     


    991208 水曜日
    晴れ
     

     僕はまっけんだ。<うそ!今日は協力隊派遣一周年記念パーティーをする。
     壁に「1er Aniversario 10-2 & MIKARIN」の文字を色紙で作って貼る。MIKARINというのはサンチアゴで活躍する日本人のアイドルだ。
     久しぶりにカレーを食べる予定で、楽しみだ。やはり気持ちの上で区切りというのは必要だ。もう派遣されてから1年もたつのか。思い起こせばいろいろなことがあった一年間だった。つらいこともあったが、楽しい思いでの方がたくさん出来た。ばかなこともいろいろしたなあ。ははは。最近のサンチアゴは日も長くなってきたし、晴れの日も多く、ずっと過ごしやすくなってきた。こういう日が続くと、僕は旅行に出かけたくなる。ということで、今週末はプコンという町にラフティングに行くことにする。チリは急な流れの川が多く、ラフティングにはもってこいの地形だ。みなさんもチリに来る機会があれば、冬はスキー、夏はラフティングをすることをお勧めする。乗馬という手もある。自然と親しみ体を動かすと言う意味で、どれも非常に健康的だ。というわけで、今日の日記は終わりにするのだ。さらば。

     脳天気な日記が乱入したもんだ。自称アイドルのミカリンは、協力隊と同じくJICAがやっている「日系社会青年ボランティア」でチリに来ている女性。酔っているのか、僕のパワーブックを取り上げて、文面を書いたと思ったらこれをアップせよと脅すので、仕方ない。載せてあげましょう。プコンのラフティング、気を付けてね。

     さても、日本を出発した日から1年が経ってしまった。任期は2年。今日が折り返しだ。今日を境に、派遣中僕に二度と同じ日付の日は来ない。どんなチャンスも1度しかないと思え。
     先輩隊員達はみな、2年目は1年目よりも早く過ぎていくように感じるという。
     計画力、行動力。どちらも乏しい僕なので、ここらでぼちぼち当初の目論見を思い起こして行かないと。

     まあ、1年経って、少なくとも僕は、ここへ来たことを後悔していないし、良かったなと言える。

     何事も、前半は流れでやっていけるが、後半は自分がその流れも作って行かなければならないものだ。日本へ帰った後に、力になる何かを掴んでいたい。楽しかったとか、そういうことではなくて、力となるものを。

     今日のパーティは予定通りごっちゃんご希望のカレーライスで。チリ産のシャンパンを開けた。うまい。
     


    991207 火曜日
    晴れ
     

     昼からサンティアゴのFundacion San Joseへ。サン・ホセ基金。ここは貧困者住宅への助成金を出している教会系の民間組織だ。地下鉄ロス・レオネス駅近くの本部を訪問する。このあたりは東京で言えば青山と言うところか。サンティアゴでも小綺麗で華やいだ雰囲気のある一角だ。
     今日は市長はじめ、県の住宅都市整備局長と秘書、住宅購入組合のリーダー達、市の担当者であるクラウディアや同僚のマキシモ、建築家のベルナルドなどなど、関係者全員で陳情団を構成してお参りである。

     感じのいい代表者と会談してチリらしくほんわか終了。一団は市長のおごりでハンバーガーショップへ。カンペシーノ(田舎者、農家)にとっては、アメリカ風のメニューの名前が分かりずらくて、おーい、スペイン語でたのむよ、なんて声も出ていた。

     仕事はこれでおしまい。ロス・レオネスには大きめの書店があるので、そこをうろうろする。

     Mathias Klotz(マティアス・クロッツ)の作品集がスペインの出版社GGから出ていたので買ってみる。GG Portfolioシリーズ。彼はチリの若手の建築家だ。GGのような世界規模で活動している出版社から本が出ている作家は、クロッツしか知らない。
     彼は1965年生まれでまだ若いので、まだ実作は住宅くらいしかない。計画段階では公共建築もあるようだが、チリ国内だけでは大した仕事もないだろうから中南米を股にかけた活動をして欲しいものだ。
     その他、サンティアゴの住宅施策関係の本、バルセロナのルイス・ファン・デル・ローエ財団によるラテンアメリカ建築賞の作品集、あとメキシコ製の絵本。
     任国外旅行ではボリヴィア、アルゼンチン、ブラジルの、渡航可能な3カ国を全てまわるつもりだけれど、「地球の歩き方」以外の情報源の、建築に関する資料を集めないといけない。
     


    991206 月曜日
    晴れ
     

     昼前からサンティアゴ中央部、旧国会議事堂にて、「国際ボランティアデー」に因む集まりがある。チリ国内のボランティアはじめ、僕ら国際ボランティア、チリ人の国連ボランティアなどが集まった。
     200人は越える参加があったと思うのだが、若い海外のボランティア達と会えるのを楽しみにしていたのに、ほとんどがご年輩。かなり残念だった。イタリア、フランス、バスクなどなど、いろんな国の人が来るよと聞いていたのだけれど、美人の友人ができないもんかなと膨らませていた甘い期待は、見事に裏切られた。まあ、仕事的にというか、恒常的に係わるボランティア活動なんて、本来はリタイアした年輩の人がやっていくもんなのかも知れない。

     帰り道立ち寄った日本レストラン「金太郎」で、みんなして昼食に定食を食べる。
     なかなかの繁盛ぶり。箸を片手に和食を楽しむ大勢のチリ人達がいる。なんか嬉しい。でも、なんで味噌汁を最初に全部飲んでしまうのかな。習慣の違い。

     連絡所を出る。この水曜にチリを発ち日本へ戻るトシユキさんとは、ここでお別れ。また日本で会おうと思う。ちょっと何か言いたげに別れを惜しんで見えて、こういうと変だが、送る方としては嬉しかった。
     帰りにはメキシコへ寄ると言っていた。いいなあ。中米の古代文明の建築や都市は、いずれも力強い魅力がある。数日後には彼の恵まれた体躯がピラミッドの上に乗り、神殿の向こうに広がるジャングルを見渡して目を輝かせていることだろう。
     2年ぶりに仕事が再開される。このラテンアメリカの土地で受けた感動は、彼を忙しさの中に埋没させないでいるように働くだろうか。
     


    991205 日曜日
    晴れ
     

     昼間、サンティアゴの国立美術館へ。絞り染め展と、ヴィトラ・ミュージアム「百の椅子」展を見る。

     絞り染めは世界中にあるらしく、古今東西の作品を集めておもしろかった。最近のものは素材的にバラエティがあって楽しい。日本の絞りは、しかし特に美しくて、技巧的にもデザインとしても最も目を引いていたと思う。展示面積は最大だったし、展覧会の名も日本語の「shibori」そのままだった。

     ヴィトラはイタリアの家具メーカーで、家具コレクションを展示するヴィトラ・ミュージアムの建築はフランク・O・ゲーリーの設計。彼は最近スペインはビルバオのグッゲンハイム美術館を設計している。そんなことはあんまり関係ない。ちょっと残念だったのは、展示が全て模型であったこと。ただ、それもイタリアの職人のこころを伝えるものとして受け止めることができる。それくらいにそれらの模型は精妙に出来ていた。実物を知っているものから言うと、微妙なプロポーションに違いがあったのが口惜しいところ。

    停滞感、羨望

     展示されていた椅子は、モダニズム以降のもの。ヴィトラは工業メーカーだから、もともとそれ以前のコレクションをしていないのかな。建築であれ椅子であれ、近代というものを語っているといえるもの達を一覧するときいつも感じるのは、技術的な部分で現代は停滞しているのではないか、そして技術によって左右される表現もまた停滞していないかということ。モダンというものが包含している「技術」の扱い方から、現代は少しも脱してはいないような気がするということだ。さらにいうと、それは要するに根本的には僕らの現在が近代やそれ以前の果実でこそあれ、未だに新しい概念、生き方や暮らし方を提案する段階にいるとは言えない、そういうことじゃないかという思いがする。現に有望な脱近代のモデルを見た記憶がない。
     僕は、近代がその中に乗り越えるべき問題をたくさん抱え、僕らの前に差し出しているとはいえ、それはそれでゆっくりとしか変わっていかないだろうと思っている。まともに考え、アクションを起こせるほどの力は僕にはないから、いずれ生まれてくる運動を評価したり追随したりできればそれでいい。それが大体困難だけれど・・・。それよりも、要するに、要するに僕が感じるのは、モダンの黎明期に、かくも多様でしかも既にして完成度の高いもの作りが出来ていることに対する羨望だ。あの時代には、可能性を感じ、開発し、実現し、当時における現在というものを作ったという力強い事実がある。しかし僕らの世代にはそこまでの熱狂を生み出せないだろうという、ほとんど確実な予想をするのが口惜しい。

    「建築家が名作を作る時代は終わった。建築家には、ほかにやるべき仕事がある。」
     事務所を辞めるとき、僕の師の永田祐三が言った言葉。
     近代の熱狂を再び求めないでもいい。しかし新しいものを切り開く喜びをあきらめるのは難しい。ほかの仕事とは何なのか。

     いいたいことだけ言ってしまう。
     実は世間というものは広い。発展途上や開発途上と呼ばれる「世間」は、たしかに開発を待っていて、そういう世間のほうが多数派だ。そして事実上、それらの地域は近代の発想で改善していけるものではない。限界がある。じゃあ、どうしていけばいいのか。どうしたいのか。もっとまともに生きたいと思っている世間は、どうまともになっていけるか。
     近代のやり方を変えていく圧力として、最近人気のあるキーワードは「環境」だろう。地球をまるごと生態系として考える。経済も何もかも。ローマ・クラブの「成長の限界」報告などなど、これまでも世間の作り方のオルタナティブを求める声はあったが、それに導くイメージとして「環境」は結構周知されるに至った考え方だ。ところが開発途上の地域には、それこそ近代が最後に作った足かせに思えてしまう。オルタナティブを求められているのは、方向転換しにくい先進国ではなくて、ただいまフリーハンドで開発の方向を探っていて、しかも影響力の大きい多数派の途上国である。僕にはこちらのほうに興味のある動きがあるし、近代への羨望を昇華させてくれそうな何かをできる気配を感じている。
     近代における建築は、近代的な世間の経済や産業構造を規定し表現するように、順番で言えば後追い的に作られてきた。それはきっとこれからでも同じだろう。ということは、力のあるオルタナティブの世間のモデルが見えない今、建築家がそんな世間を規定するようなもの作りをしていくことができるようになるのは、もっと後になるのだろうか?それでは、僕は余計に口惜しいではないか・・・。
     

     夜、トシユキさんのデスペディーダ(送別会)。チリで初めての都市計画隊員は、2年の任期を今週終えて帰国する。

     なにやかやと人望のある彼のために、連絡所は今夜豪華な手料理でいっぱい。楽しくわいわい。我が分科会としては都市計画の雑誌を贈呈した。

     パイオニアはどこでも大変なものだが、協力隊の場合ちょっと特殊な悩みがつきまとうもんだと聞いている。彼の場合、勤務先からの要請をJICAが十分にインタビューできなかったのか何なのか、とにかく着任しても仕事がなかった。そういうなかで彼はひとつひとつ自分の立場を作って来たのだ。チリに限れば、今はもうそんなことは無いようだが。
     しかし、彼にとってもっと大変だったろうと思うのは、チリの地方行政に「都市計画」の視点、概念そのものが無かったということではないか。単年度の事業の羅列を作り、予算の付いたもの順に実施していくことしか知らない現状のなかで、末端の市町村レベルで都市計画的な活動をすることは難行苦行というか、ほとんど無理だ。法整備と教育両面から変革していかなければこういう現状は変わらないだろうが、独断で言うと途上国とはこういうものなのかもしれない。その中で何をどうなし得るか。その辺を僕ら後輩は、彼の残したものから学ぶべきだし、またその辺が僕の興味がひかれる部分である。
     


    991204 土曜日
    晴れ
     

     紙パックの豆腐というものがある。キッコーマンなどから出ていて、韓国人のマーケットにおいてある。ちょっとそんなものを買ったりしてから、国立美術館の近くの公園で、休む。芝生の上に座り込んで、来年に行くはずの「任国外旅行」をどうしようかななどと考える。今日はサンティアゴに出てきている。
     「任国外旅行」は、青年海外協力隊におけるなかなか魅力的な制度のひとつで、任国の周辺諸国への研修旅行を旅費や宿泊費の援助を得て公的に行えるプログラム。チリの場合、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ボリヴィアが渡航可能な国。残念ながらペルーは大使公邸占拠事件以来、協力隊の派遣も、隊員が旅行で通過することさえも認められていない。そろそろ解禁かという噂もあるのだが。南米旅行における画竜点睛を欠く事態だな。

     公園に、道化師がいる。夫婦か。
     二人してロープを前と後ろで分かれて持ってぶら下げていた。声を掛け、練り歩くうち、そのロープにたくさんの子供達が捕まって、彼らの設営したミニシアターへ向かう電車のような行列になる。午後遅い時刻の傾いた日射しがやさしい。子供達の元気な返事や笑い声が時折響いて来る。
     背の高いアパルトメントが取り囲むこの公園は、日が翳るのも早い。肌寒くなって、やっと立ち上がり歩き始めることにした。
     


    991203 金曜日
    晴れ
     

     今日は仕事を休む。先週からだったかもっと前からだったか、ろくに寝ていなかったのでこの辺で体を休ませる。午後まで寝て、家も出ず。食って飲んで、また眠る。

     夜、友人2人の舞台を見に行く。大学の演劇のクラスの発表会だ。彼らは恋人同士。パトリシアがチリ人、ロベルトがペルー人。
     シナリオは新作だろうか?どちらにしても、言葉はほとんど分からない。でも、踊りあり笑いありで、意外なまでに高度な演技を見せてくれた。とても楽しい時間。

     打ち上げにも呼ばれた。パトリシアの家でアサードをする。
     芝居仲間の中には、来年三島由紀夫の作品をやるという人たちもいた。「あおい」「はんじょう」の2つだという。彼らの説明を聞くと、それらは源氏物語、若しくはそれに取材したもので、近代能(?)として描かれた作品だそうだ。知らないなあ。学が無くてごめんなさい。タイトルや登場人物達の名の意味を教えろと言う。漢字が分からないので、ちょっと難しかった。
     上演の際は招待してくれる手はずとなった。楽しみだ。でも、きっと何にも分からないだろうな。
     


    991202 木曜日
    晴れ
     

     昨日ひと仕事終わったところ。続いてほったらかしになっていたチリ隊員による機関誌「Cachai?(かっちゃい?)」の原稿を書く。僕の担当は「9月18日 チリ独立記念日の過ごし方」と題したもの。夕刻には出来上がり、データを編集委員の隊員の方に送信した。途上国ではあっても、こういうことはできる。

     以前、設計事務所の同僚のザイール人のLさんが言っていた。アフリカの寒村でも、携帯電話があったりするんだよ。上下水道を引いたり道路を整備するよりも、通信は、しかも無線によるものは、機材さえあれば手軽に安く実現できるからね、と。チリは中進国といっていい、ほどほどにあらゆるものが整備された国だが、改めて実感する。国により状況によって、技術の導入の順序や進み方は違うんだなと。

     先日「日記猿人」に登録したものの、更新も投票ボタンも設置もしていない。明日からはほんとにゆっくりできるので、ひまを見て作業しよう。

     午後から急激に気温が上がった。日射しによって暖められた地表が、フライパンのように空気を熱しているのだ。夜になればまた寒くなってしまう。夏には、その繰りかえしとなる。
     アロンソが忙しそうにオフィスを歩きながら言う。
    「ケン、あついよなー!でも、夏はまだなんだ。12月21日からだよ。これでもまだ夏じゃないんだ!」
     僕はよく人に聞く。もう春だねとか夏になったねとか。しかし、チリの人々はかたくなに彼らの暦に基づいて発言する。いや、それは何時いつからだ。まだだよと。
     思うに彼らは日本人ほど季節の風情に富んだ事物を持っていないので、カレンダーの方が大切な季節の指針なのではないか?きっとそうだと思う、怪しい仮説。では、日本よりも季節がはっきりした変化を持っている地域ではどうか?
     日本も南北に長いのだし、一様ではないな。
     


    991201 水曜日
    午前驟雨、のち晴れて澄む
     

     このひとつき来というもの、他の仕事もほとんどしないでやってきた貧困者住宅の設計は、今日でひとやま越えた。
     午前、住民の代表者達がやってきて会議。県の住宅都市整備局の局長であるエリカや秘書のシャルラも来ている。今日の成り行きを心配しているのか、うちの市役所の担当ソーシャル・ワーカーのクラウディアはなんだか傍観者的な物腰だ。住民代表の婦人達を警戒しているのだろうか?気持ちは分かる。なんといっても、今日の会議には彼女らのところへ売り込みに来た建設会社の人間まで連れてきているのだ。

     結論から言うと、僕の設計案は彼女たちに十分気に入ってもらえたようだ。予算的には、実際のところまだ少し設計を工夫してコストを抑える必要があるし、意匠的にも後ひと踏ん張りしたいと思っている。が、彼女たちはあれでも満足の様子。

     ・・・書くのが難しいが、日本人の僕にはあの婦人達の考え方には違和感がある。与えられることを前提に、与えられることを当然のように考え、そうして行政側の実際の窓口として世話をする人間を、まるで敵のように見ている。いかに最大の成果をもぎ取るかしか考えていないのではないか?通すべき筋のあることには、まるで関心がないようだ。多くの入居者たちの代表としてはぴりぴりするのも分かるけれど、サービスを使いこなす前に、あれでは要らぬ摩擦と無駄な軋轢を呼んでしまうのではないだろうかとさえ感じる物腰だった。

     エリカの進行で、案外と素直に事が進んで、じゃあ来週は助成してくれる基金のオフィスにみんなしていこうということになった。話が前に進むようで、彼女たちの顔が明るくなった。

     ともかく一旦休憩だ。ほとんど寝てない生活が続いたので、ほとほと疲れた。やっぱり寝てないとだめだな。自炊が続いてるし、気をつけること。
     明日から、ちょっと一休みモードだ。

     ともこさんから包みが届く。嬉しい。心づくしの品々。
     早速昼食後に送ってくれた佐賀のお茶を入れてみた。見てよし、嗅いでよし、味わってよしだ。久方ぶりにうまい茶を飲んだように思う。ここは水が悪いので大抵の茶はまずくなるものだが、その水に負けない茶葉だった。
     貧困者住宅もこうありたい。水に負けないお茶だってある。環境だけで定義されてしまうほど、建築は底の浅い世界ではないはずだ。歴史家のトインビーは「挑戦と応戦」が人間の歴史だと言ったが、少なくともチリ人も低価格住宅を安物住宅とは考えずに「挑戦」としてとらえたのだから、ともこさんのお茶よろしく「応戦」を見事にやってゆきたい。僕は、そんなことを派手にやれると思うほど馬鹿ではない。少しずつ、着実にやるんだ。
     なんちゃって、お茶一杯で燃える頼りない建築者の姿。
     


    991130 火曜日
    晴れのち曇り
     

     午前午後とここ数日といわず計画し書いてきた図面を編集して、プロッターで出力。
     フアン・カルロスに頼んでいた見積もりも上がってきた。260万ペソ弱、つまり180UF弱が住宅建設の工賃込みの費用だ。税金を足して建設会社の取り分を考えても、まあ200UFくらいだろうか?とりあえずなんとかなりそうな気がする。

     明日は、手強い入居者の代表達との会議。

     大体かたがついたところで、今度は隊員機関誌の原稿をつくる。これがまた明日中だ。こっちのほうはいままでさぼっていたツケのためにしんどくなっている。楽しく書けばいいだけだから、どちらかというと楽しい作業だ。しかし、こんな簡単で短い記事にさえ結構な労力がかかるものだ。K山さんはこの間まで某有名雑誌の編集者として働いていたけれど、彼女の仕事の過酷さなど僕には想像も出来ない。またその楽しさの真骨頂というものも。

     今日やっとベルナルドに会った。
     つい1週間ほど前、JICAの土木行政セミナーで行っていた北海道から戻ったところだった。僕と時間帯が合わなかったせいか、帰国の挨拶をしてくれていなかったが、きょうやっと話が出来た。
     2ヶ月の研修は、日本各地への旅行も含めたプログラムで、大学までをアメリカで過ごした彼でさえいい海外経験になったようだ。他の参加者もアフリカやアジアからの国レベルの専門家だったという。かねてからこの土地の教育のある人に、西洋以外の文化圏を訪ねて欲しいと思ってきたので、とりあえずひとつ仕事ができたようで嬉しい。僕は然るべき研修コースを見つけて推薦したに過ぎないが・・・。

     彼が興奮しつつ語ってくれる中で、日本人として、建築するものとして、痛いなと思ったのはこういうこと。
     あれほど歴史ある伝統文化を持っていながら、どうして日常の生活にはそれが尊重されていないのか。世界的にも優れた建築家がたくさんいるといわれる日本のまちが、なぜあれほどに醜いのか。サンティアゴでさえ、豊かな地域はデザイン(計画)されているというのに。
     こう答える。戦争で都市部が灰燼に帰してしまってから、まだ半世紀。復興と成長が何にも増して重要な指針だった日本。同時に教育の内容も変わった。長短あるが、美意識や生活の中の哲学といった部分の教育はまるでほったらかしで、都市環境も建築も、創造や評価をしっかりできる人間が実に少ない。そういうことが土地や住宅政策の失敗よりも大きく影響していると思うと言いたかったが、2割も言えたかな。後日、彼にはアンケート形式で質問を投げ、意見を聞いてみたいと思う。
     ベルナルドは福岡が気に入ったそうだ。北海道から九州まで、日本の主要都市を回った結果とのこと。あそこが一番きちんと計画しているし、魅力があったよ、ケン。茶色い瞳が輝いていた。

     ・・・そういやベルナルド、なんか忘れてない?お土産は?
     


    991129 月曜日
    晴れのち曇り
     

     朝まで貧困者住宅の設計作業。大体の目鼻がついて、一安心したところで床に就く。起きたら11時。
     午後、MinicadからAutocadへフォーマットを変換してデータを移し、プロッターにて出力してみた。結構綺麗。
     フアン・カルロスと打ち合わせ。チリ人らしく、概算見積もりの締め切りを明日に延ばしてきた。

     以前も少し触れたが、この辺でこの計画の大枠について、自分で確認するために書く。

     この貧困者住宅プロジェクトでは250戸が計画されており、今やっているのはうち152戸分の「vivienda progresiva(ヴィヴィエンダ・プログレシーバ)」と呼ばれるものだ。「発展住宅」くらいに訳されそうだが、語意としては「進行形住宅」である。いわゆる貧困者住宅といっても、「基本住宅」であるとか「カセタ(カセット)」などいろんなカテゴリーがあって、入居者の所得やプロジェクトの特性に合わせて適用が違う。これらのカテゴリーは住宅・都市省によって定められている。
     「進行形住宅」は、その名の通り、入居者が手を加えながら漸次完成させていくことを念頭に置いて、究極のコストダウンを図るやり方。壁は煉瓦や各種のボードのまま、床もコンクリートのままだったりする。台所には流しが無く、蛇口と排水用のパイプだけといった具合。シャワーは水だ。湯沸かし器は後日、入居者が付ける。足りない寝室があったら、これまた後日増築する。まさしく進行形。

     今回はなんだかんだと補助金を集めまくって、入居者の出資も合わせた総合計の資金は進行形住宅1戸あたり220UF(330万ペソ、66万円)。円換算で概算総事業費は1億6500万円。ほんとにできんの?と思う。
     これには、土地の造成や道路整備の費用までが含まれる。電力と上下水の整備も当然やるので舗装なんてできない。
     しかし、驚くなかれ。入居者の負担は15万ペソ、約3万円だけなのだ。ほとんどただで家と土地が手にはいるのだから凄い。このくらいの低負担でないと家が手に入れられない人が多くいるということか?

     家を持てない人へ、家を。
     こんな具合に低予算なので、一般に貧困者住宅の街区は見るからに貧しく、寒々している。このような住居群がチリの郊外部に散見される状況は、歓迎されるものではないと思うし、土地や住居が資産的な価値を生みにくい住宅施策は、日本のような金回りのいい経済環境を作れない一因でもあるようだ。日本は失敗ともいえる極端な例なので参考にすべきではないかもしれないが。これは、同じくチリの都市計画隊員のトシユキさんの指摘だ。
     しかしそれでもなお、こういった住宅をこそ必要とする人は多い。事実、彼らのほとんどは肉親のところへ身を寄せている。小さな家に、望まない大家族が仕方なく入居している姿をイメージしてみて欲しい。スペースの問題よりも、むしろ精神的によくないかも知れない。

     僕などは、こういう住宅の貧相な見かけがどうにも許せないのだが、日本並に高信用社会でないから、多額の借金をしてもうちょっとまともな景観の住宅地にするということができない。世界的にはごく普通か幾分いい方ではあるが、仕事の少ない不活性な経済状況では、もうばらまき式で住居を「与える」しかないのだろう。国はどこからそんな金をひねり出しているのか?
     プログラムについて改革していくことも重要だし、また実際に居住環境をデザインするさいには、こういう厳しい環境だからこそ一層の創意が要求されている。協力隊にいる間に、見習いうる成功例を見ておきたい。協力隊で働きに来たのは手本に学ぶためでもある。まだ僕は経験が少なく、今すぐ成果を期待できるほどの度量はないのだから。
     しかしまた、いまだチリではこういった貧困者向けの住宅地について、瞠目するような成果を見たことがない。経験上、どんな厳しい条件でも、人はなんらかの見るべき建築環境を作り出してきたと僕は考えているが、ことこの件についてはなんだか期待薄だ。すでになんだか宝探しにも似た気持ちになっている。もしもないというなら、なんとこの国は貧しいことかということになる。日本も、住環境が貧しいということでは、未だに問題だらけだが。
     


    991128 日曜日
    晴れ
     

     今年5月の僕の誕生日に、胸に「KEN」と刺繍を入れたTシャツをプレゼントしてくれたのはアリシア。今日は彼女の53歳の誕生パーティー。
     このところ、読む方も疲れそうな位に、息詰まった空気が日記にも現れているだろうが、いやはや仕事が忙しい。あんまり寝ていない。そして今日も休めない。でも、彼女の誕生日のフィエスタには、絶対に出たかった。

     チリでは、フィエスタ、つまりまあパーティーといえばアサードをすることに決まっている。炭火の上に金網を載せ、巨大な肉塊を載せ、延々塩だけで焼いていく。彼女の友人は当然ながらご婦人方が多く、アサードは男が焼くものとされているようなので、自然僕が担当になってしまった。カンカン照りで風が少ない午後。全身を煙で香ばしくさせて、汗を拭いながら丹誠込めて焼いた、つもりが、焦がしてしまうこと数度。くそう。ああ、早くビール飲みてえ。

     母が先日送ってくれた石川の竹細工の船をプレゼント。大層喜んでくれた。
     近所の人か、親戚か、狭い彼女の家が人でいっぱいになる。皿一杯の肉とサラダと、そして葡萄酒、ビール。アリシアは赤ワインに目がない。

     彼女の家はカレラ市の西部、ポブラシオン・パブロ・ネルーダにある。ネルーダ町位の意味。そこの典型的な貧困者住宅に彼女は住んでいる。
     身なりなどは毛筋ほども貧しさを見せないけれど、住居のほうはぎりぎりのものしかない。2階建ての小さな家は、コンクリートブロックがむき出しのままだし、台所は無く、裏庭に屋根をかけて自作している。2階の床もやっと架けてあるだけで、天井はない。面積は最小限で、全部足しても40平米無いだろう。
     チリのいいところは、そんなことも惨めったらしく感じさせないおおらかさみたいなものを、みんなが持っていることだ。

     アリシアが54になったら、その頃僕はチリを後にする準備をしているはずだ。彼女は、同じカレラに住んでいるネリーさんとは親しい友人だ。僕にとって母親のような年代の彼女たちには、それまでいろんなことを教えて貰いたい。
     


    991127 土曜日
    晴れ
     

     こちらの時間の未明、まだ2時。貧困者住宅の図面を描く手を休めて、日記猿人に登録。

     日記猿人というのは、日記ばかりのリンク集だ。監理がしっかりしているうえユニークな日記が多い。まえまえからたくさんの人にこのページを読んで貰うには、ここに登録するのがよかろうと思っていたが、結局今日になってしまった。
     登録はナスカさんと同時だった。連番である。彼女が先の番号になったのは、レディーファーストであって、当然だ。なんて、ずっと手を引いて貰っていたのだが。

     日記の読まれ方は、読む人に全く依存している。書かれるものが筆者に全く依存するように。本来私的なものとして装っているのだから。
     初めてWEBで日記を読んだときのことを思い出す。なかには優れたページも多く、これはこれで可能性のある表現のかたちだと思った。そのことを人に語るとき、ときとしていぶかしげな顔をされることもあったが、大概は実際に触れてみればその人なりの理解をするのだった。

     勤めを辞めて、人との繋がりが特に大切に感じたあの頃。仕事やそういう枠を越えたところの情報交換の場を確保するためなら、なんだってやろうと思っていた。そうしてとにかく作ってみたこのページだ。1年半以上続けてきて、友人もできたし、幾人かには会いもした。これは全然素直で爽やかでさえある出会いだった。そんな出会いの機会が、この先一層広がっていくことを期待している。
     


    991126 金曜日
    晴れ
     

     午前、サンティアゴ。大統領府であるモネダ宮殿の地下にあるオーディトリアムにて、内務省関係隊員の表彰が行われた。僕もその一人として盾を頂いた。
     セレモニーとしてはごくごくシンプルで、拍子抜けだった。うちの市長はじめ各隊員を抱えている自治体などの長が集っているというのに、もう少し交流の場にするなどの工夫があっていいのではないか?まあ、我々を大切にしてくれているというしるしにやっているんだから、これでいいのか。
     


    991125 木曜日
    晴れ
     

     昨日から2日で仕上げてアニタに渡す一仕事。なんとかいう田舎に2ヶ月だけ建てる仮設の工芸品のお店。地元の木工品や焼き物などの産品を並べる。頭は住宅の設計で一杯で、時間も無いのだが、おもしろいから頼まれるまま図面とCGパースを作った。この夏にも作るとか作らないとか。
     こんなんだったら、予算もなんとかなるんじゃないかな?という案。この国へ来て1年近くなる。そろそろ、こんな仮設でも良いから、ちょっとした実作の成果が見たい。
     


    991124 水曜日
    晴れ
     

     おっと、昨日は勤労感謝の日だった。キンロウって、響きが古いなあ。僕らの世代には、しかし大切に思い起こすべき観念を含むと思う。

     昨日のフアン・カルロスに続いて、貧困者住宅の担当ソーシャル・ワーカーのクラウディアも、今日一緒に行くはずだった住宅都市整備局へは、向こうの局長の都合で行けなくなったと言う。当日こちらから聞く前に、分かった時点で連絡しようとは思わないかな?まあいいか。
     ただ、今週末に予約しましょうというのには参った。そこで検討した結果を2・3日で詳細な図面にすることが可能だと思っているんだろうか?
    「いくらなんでも、そりゃ無理だ。君がひとりで行くんだ。遅いけど、念のため行くことは大事だもんな。」

     僕は僕で、彼らに何かしらの心配ややきもきを抱かせているはず。それを知ることは難しく、それゆえ心配だ。おおむね何とかなっているからいいけれど。
     


    991123 火曜日
    晴れ
     

     午前、今月の11日にやった、仕事にかんするコミュニケーションの改善を目的とした、わが企画調整課SECPLACの集まりを今日もやる。第二段だ。
     今日は少し突っ込んで、一人一人の持っている当部局の役割のイメージについて考えた。
     司会は前回と同じく同居のパウラ。家では洗い物や片づけが苦手な女の子だが、仕事のときは頭脳明晰なお姉さんになる。

     そういや、前回アロンソは来年の3月からSECPLACの名称が変わると言っていたのだが、どうも既にSECPLANになっているらしい。Coordinacion、コーディネーションの仕事が無くなったということ。

    非を責めないこと

     このところ出入りしている建築家のフアン・カルロスと、住宅資材の視察に行くはずだったが、来なかった。チリ人らしい。
     よほど業務に差し障らない限り、チリではどんな人も約束を守ってくれるかどうか分からないというのが、僕のこの1年の結論だ。日本人は約束に忠実で、信用というものをこの辺の誠実さで計る。チリ人はどうかというと、どうかな。みんなの評判と肩書きかな。そんな気がする。信用って、あんまり大事じゃないみたい。倫理や規範が異なるというのは、こういうことだ。このことをしっかり記述するのは難しい。結局比較しつつ述べるのは無理というものだ。理解するより慣れるしかない。でも、こういうことは言えるかも知れない。

     僕の印象では、日本人的に約束を守り、なんでもきちんとしていることは評価の対象にはなるが、相手にもそれを求めたり不誠実を批判することはほとんどタブーですらあるようだ。
     日本では非をなさないことが互いの関係を円滑にさせるが、この土地ではやってしまいがちな非を攻めないことがつき合いの上で肝要である。これは本当だ。では、仕事など、利害に絡むことはどうかというと、その辺の折り合いの付け方は日本と同じく不透明である。

     この辺りのことが、日本が画一的にまとまっていく傾向を持っているといわれるひとつの理由かも知れない。各個人が、他人の評価基準から外れないように配慮することが重要だと考えているから、全体としてまとまっていく。
     逆に自己の基準に他人が漏れることを当たり前だと考える社会は、良くも悪くも多様さを生む。しかし、それは寛容というよりも、自分が非難されないためのルールなのだ。これは僕の個人的なチリ社会を通した印象だ。
     チリ人に、本人の非を攻めないまでも指摘してみるとよく分かる。懇願するような目で、ありとあらゆる言い訳をして罪繕いというより、見逃しを請うだろう。謝らない文化、というが、こういうところに根があるように思えてならない。
     


    991122 月曜日
    晴れ
     

     この水曜に、貧困者住宅の一般図を持って県の住宅都市整備局へチェックしてもらいにいくことになったので、最終的なプランを練る。
     面積は予算からいって40平方メートルまで。構法(作られ方)的な制限も多い。なにがあっても、彼女たちが持ってきた企業の使い回しのプランよりはましなものにしなければ。
     そして来月1日には、1/50から1/30程度の図面をプレゼンテーションせねばならない。今週は眠れないぞ。

     アロンソから新しい仕事の話。
     まず、メロン地区の広場の設計。それから市内の各集会所(SEDE、セーデーという)の標準設計。おお、なんかいい仕事だな。今日のところは、そういうのがあるからね、という話のみ。
     



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