Diary
    日々の記録



     
     


    991121 日曜日
    晴れ
     

     風があって最高に気持ちいい一日。

     午後、松原さんの車で出かける。ごっちゃんも一緒で、3人だ。車で1時間程度の海岸へ向かう。Zapallar(サパジャール)という別荘地である。

     ずっと以前、カルメンがパプードに連れていってくれた同じ道を走る。あの時は夜で道中景色を楽しむことができなかったが、今日は違う。最初から最後まで、ずっと魅力的な風景が連続していくのを楽しむことができる。大きな峠道あり、緩やかな谷筋あり、太平洋を望む海岸線の道あり。友人のくれたテープを聴きながら、シボレーのピックアップは信号の全くない道をひたすらに走る。

     松原さんの両親は滋賀の人。信楽の出身だそうだ。信楽は日本にいた頃、月に二度は車を走らせた場所だ。なにかしら悶々としているとき、あの辺りの道を走ったものだった。独りの時もあり、誰かと一緒の時もあった。昼でも夜でも。今もまた、ドライブが仕事や生活の緊張を弛緩させようとしているが、その車は信楽の人のもの。信楽とドライブが、僕のなかで更に強い結びつきを作ったような気がする。

     さて、サパジャール。以前からチリらしからぬ、金持ちの集まる優雅な景勝地だと聞いていたが、なるほど噂違わぬ場所だった。
     山の迫った入り江を取り囲むように、それぞれ趣味を凝らした見事な別荘が緑豊かな斜面に散らばっている。その数、2百程度か。トタン屋根なんか全く見あたらない。いずれもチリ南部のように木片で葺いた勾配屋根であったり、鉄筋コンクリートの陸屋根(平らな屋根)であったりする。入り江の奥には砂浜があり、脇に船の陸揚げ施設を備えている。
     感心したのは、浜を囲む一帯は、ほぼ車の通行を止め、歩行者だけに周遊を許す設計になっていること。石で飾られた縁石や斜面は、色とりどりの花や草々に埋もれている。それが実にゆったりとしていて、チリの強く透明な陽光の下に美しい。

     そうして彩られた入り江に打ち寄せるのは、見たことのないような美しい青い海。深い群青色なのに、透明感がある。チリ特産のラピスラズリに翡翠をちりばめたような、そんな色だと喩えてみたい。
     入り江の脇のオープンエアのレストランで海産物の料理を食べる。日本の海水浴場なんかも、こんな店を付ければいいのにねと話し合う。砂浜には、冷たい寒流をものともしない元気なチリ人の親子連れ達が泳いでいたり、肌を焼いたりする風景が見える。

     日射しは強く、すぐに肌が赤くなってくる。火照る腕や頬だが、寒流による冷たい風がそれを冷やす。日陰は寒い位なのだ。

     入り江をでたところの岩の突端まで歩いた。ごっちゃんも松原さんも花の専門家だ。歩く道々、あれが何々、これは何々と、僕にはとんと分からない花や草の名を呼んでは楽しんでいる。横で聞いていてもうきうきと楽しい。
     突端では、石を投げたり写真を撮ったり。

     ネルーダの書斎だったイスラ・ネグラの海は、また違った色なのだろうか。そのうち訪ねるゆかりの海の色を楽しみにしながら、今日はサパジャールの入り江を後にする。
     


    991120 土曜日
    晴れのち曇り、夜半より小雨
     

     正午前起床。土曜だけプラザに立つフェリア(市)へ行く。野菜を買う。
     ほとんどその足で、今度は髪を切りに行く。いつも行ってる「ネルダ」。

     やあ、さっぱりしたなと頭を撫でつつ歩いていたら、役所の連中に会った。調子のいい若者のマルセロと、おじさんのミゲロ、カルロス達。
    「おう、昼飯一緒にどうだ?」
    「いや、フェリアで材料買ったとこなんだ。」
    「えー?んじゃあ、ビール一杯いこうか?」
     断る由もなく、すぐそこのプールバー(?)へ。結局500ミリ以上は飲んだか?空きっ腹だったのでちょっといい気分になった。家でカリフラワーを食べて昼寝。

     夜、ここに入植してきている日系人の松原さんの家へ。アサード(チリ式バーベキュー)でパーティ。ごっちゃんや、松原さんの友人の男女二人と共に。
     アサードや、ごっちゃんのパスタ製焼きそばを食べ、飲む。パスタの焼きそばって・・・などと言うなかれ。あれ?と思うくらいにいける。

     松原さんの友人は、カルロスとバルバラの恋人二人である。バルバラはドイツ人で、日本にも3年働いていたことがある。ドイツ語はもちろん、スペイン語、フランス語、英語を自由に操るという。なんでこんな人がこんな田舎にいるのかな、と考えるのはおかしい?
    「だって、ここの田舎好きなのよ。」
     仕事で時々はドイツに戻っているという。
     カルロスはトマトの種を作る会社へ勤めている。松原さんも種農家だ。このあたりの安定した気候が種に向いているそうだ。

     松原邸から程近いロデオ競技場へ。今日明日とロデオが行われていて、夜更けからは隣のラマダ(木の枝で葺いた大きな社交場)でフィエスタをやっている。クエカとクンビアのバンドに合わせて、踊り、飲む。気のいい親父のウアソ(チリにおけるカウボーイ)にいろいろおごって貰ったり、見知らぬ女性に誘われるまま踊ったり。ほんわか楽しい、田舎の祭りである。何気張らない雰囲気が好きだ。
     松原さんによれば、隣国のアルゼンチンでは、田舎でもこんな催しはそうはない。チリ独特のものじゃない?とのこと。

     アセンタミエントは、つまりこの近辺を指す地名。で、当然スポーツ公園のプロジェクトで見知ったおじさんにも会った。マヌエルさん。
     鉱山プラントの建設工事の監督をしていたが、失業してしまい、1年ぶらぶらして、いまはコレクティーボ(路線タクシー)のドライバーだそうだ。
    「いや、職に就くのも大変だよ、ケン。」
    「日本も景気が悪くてね」
    「おまえ、帰るときにはちゃんと声掛けてくれよ。みんな集めてな、お別れ会しないといかんからな。今から言っとくぞ。」
    気の早い話だな。しかし、ほんと気のいい人達だ。こんな彼らだからこそ、僕も安心して入ってゆける。外国人を遇するに当たり、一つのいい手本を見せて貰っている。機会があったら、僕も日本でかくありたいと思う。
     


    991119 金曜日
    晴れ
     

     明日から11月も下旬となる。早いものだ。あっという間に12月、師走に入る。そうすれば、この国へ渡って1年になってしまう。
     日本が暦の上で冬となってしまってから、もう半月ほど経ったと思うが、それではここも既にして夏なのだろう。日によってまちまちであるにしても、半袖の日が普通になった。気温は20度から25度を軸に上下している。

     昼過ぎまでキジョータへ出た。わが県都である。ノガレス市はキジョータ県に属する。いつかも書いたか?スペインの文化を色濃く残すという、結構古い町だ。それ以上は知らない。
     リュックを盗まれたとき、製図用のシャーペンも失った。そういうものを買って帰る。
     町はうちと違って、古いながらも活気ある都会だ。非常に農業の盛んなところで、郊外の大半は農地ではないだろうか?アボガドやチリモジャの、大森林といってもいい景観が続く。他にもトマトやなにやかや。貧しさを感じない、元気な農業立県といった風情である。

     帰り道、カレラへ食料品などを買い物による。スーパーで見知らぬ青年に呼び止められた。我が家に近い、消防団の一員だという。車に乗りなさい、送ってあげましょう、とのこと。サンティアゴでスリ、盗難に遭って懲りているが、いかにも風采のよい彼と、地元の暖かさに賭けてみた。クラシックカー並に旧式の、彼のルノーに乗り込む。
     彼の名はエリックという。法学の学生。弁護士を目指している。チリでは通常の消防を100%、ボランティアの消防団に頼っていて、消防団員であること自体、とても高いステイタスがある。彼も、その辺を考えて、僕にアピールしているのだ。安心せよと。
     缶ビールなどの重い物が多かったので、助かった。

     新しい知り合いは、彼のようなノーブルな人だけで終わらない。仕事を終えて家に戻る道中、今度はボラチョ(酔っぱらい)に捕まった。
     あしもとも目つきもやばそうなので、避けていたのに、おお、アミーゴ(友)!とばかりに話しかけて離さない。聞けば彼の住まいは結構近所ということで、邪険にもできず、ちょっと相手をした。
    「いつからここに住んでんだ?おまえ、英語しゃべれんのか?俺はあ、ひっぴーでえ、はっぴい、はっぴい。アレックスっていうんだ。おまえは?
     そーなんだよ。70年代ってやつよ。知ってる?ディープパープル。(?)ヒッピーだよ。
     おお、そうだ。おれんちへ寄って行けよ。おまえ、日本人か?マミーに会ってくれ。喜ぶんだよう。な、な、な。」
    「いや、私は帰らねばならない。約束があるのだ。すまないが、これで。知り合えてうれしいよ。」
    「いいから、ちょこーっとだけ。な。」
     しょうがないと付いていく僕も僕だ。田舎のご近所とあれば、次しらふで会ったとき気まずい思いをさせないためにも、とりあえず行っておいたほうがいいのかな、そんな感じで彼の家へ。サンティアゴだったら、走って逃げる。

     家には期待の母親はいなかった。なんとかすぐ辞去したが、しかしこんな明るいうちからどうしたんだろう?酔っぱらいほどこの国で馬鹿にされる物はないというのに。アル中なのかな?仕事はあるそうだ。今度30日ほど仕事で帰らないと言っていたから。ハードロッカー並の長い髪とアナーキーな顔つき。何してんだろ?30過ぎと見えるけどなあ。

     1年経つと、いくらなんでもそこの人間模様が見えてくる。仕事場の仲間達にかんしても同じだ。ちやほやしてもらって、何にも分からなかった昔とは違う。みんなそれぞれ、日本と同じようになんだかんだあって暮らしてる。そういうことがちょっとずつ見えてくる。
     


    991118 木曜日
    晴れ
     

     爽やか。暑くなく寒くなく。風は穏やか。
     雲が出ている。刷毛で掃いたように、というのではなくて、こういう風だ。青い硝子器の筆洗にためた水へ、白い絵の具を含ませた絵筆をそっと落として水を撫でる。ノガレスの広い空が、今日はそんな子供の遊戯に似たのどかさを浮かべている。

     今日は家じゃなくて、オフィスで貧困者住宅のスケッチ。やっと以前の計画を練る感覚が戻ってきた。なんか嬉しい。ちょっと自信を取り戻す。

     夕方6時から、市長や上司のアロンソ、そしてこの住宅地の担当ソーシャルワーカー、クラウディアに同席して、入居者の代表達との会議に出る。
     クラウディアからさんざん脅されていたように、なかなか、この代表のセニョーラ(婦人)二人は強者だ。というよりも、普段のチリ人が穏やか過ぎるんであって、懐を痛めながら、何年もかかって家を手にしようとする、それぞれ50世帯の入居者達の代表ともなれば、このくらいナーバスで当然だと思う。日本なら、もう大変だ。僕のような青い外国人はハナから信用されないだろう。

     市役所側がみんなして驚いたのは、彼女たちが自前で建設会社に設計をしてもらい、さらに見積もりまでやっていることだった。
     この事業は公共事業省はじめ、幾つもの機関から補助金を受けて行われる。日本であれば、市が面倒をみながら進めている以上、勝手に民間の会社に仕事を任せていくことは、少なくともすぐ認められるものではない。チリはピノチェト以降、行政のスリム化を断行してきたので、これくらいは当たり前だろうか?あるいは、だらだらした市側の進行に業を煮やしたのだろうか?
     ここ最近、この計画に張り付いていた僕にも、全く寝耳に水というのか、何というのか。ほな止めまっさ、とはいかないし、落ち着け、落ち着けと言い聞かせた。

     市長は、建設会社の使い回しそのもののプアーな設計案を指摘しながら、ケンに設計して貰うのは、こういう典型的な貧困者住宅の型を破るためなんです!と力説。嬉しい反面、何を根拠に、担保にこの僕のことを買ってくれているのか?とも思う。とにかく責任重大だ。

     で、結局来月あたまにもう一度会議をする。それまでに僕の設計案をまとめておくことになった。彼女たちの持っている図面は、なんかスケールの大きい、書き込みの多そうなものだ。較べて見劣りしてはいけない。何が何でも、彼女たちに納得と安心を与えるか、若しくは努力を認め、信用して貰うかしなければ。

     武者震いと、まずいことになったな、という思いが同居する。こんな、勝ち負けのはっきりする形に持ち込まれるのは辛いものがある。でも、いい機会じゃないか。
     チリのぬるま湯、とこの間言った。そのぬるま湯は、今急速に熱くなっている。自信も実力も経験もない僕だが、望み叶って与えられ、支えられた立場だ。いつまでも生のままでいないで、今こそ、熱湯の中でうまい料理に化けないと。
     協力隊は、しかし、失敗しても所詮生活に響かないボランティアなのだ。その大きな担保を頼りに勇気を出すか、のらりくらりするか。そのあたりが生き方の現れる部分になるかも知れない。入居者にとって、話は夢のマイホームそのものだ。のらりくらりでは済まされまい。

     長いが、もう少し書くことにする。

     帰宅後、建築家ルイス・カーンの仕事についての記述を読む。彼が無名時代(十分高名だったが)に、数多くの貧困者や労働者向けの住宅を手掛け、アメリカの住宅政策にも関わってきたことは知っていたが、末端とはいえ同じような仕事をできるとあって、実におもしろく読んだ。
     彼がもともとエリートで、僕とは出自からして違うという点はどうしようもない。しかし、世界恐慌のなかでの失業を初め、彼にも辛い青年時代があったようで、恐れ多くも親近感など持ったりする。
     彼の件の住宅作品だが、残念ながら技術的に今のチリは戦前のアメリカの足下にも及んでおらず、参考にしにくかった。ともあれ、発奮の材料には十分である。

     ここ数日晩酌続き。国産のビール、「クリスタル」を飲む。
     


    991117 水曜日
    曇り
     

     気温は20度を超えず。肌寒い。

     そういや、昨日は双眼鏡で星を見たっけ。夏を迎えようとする今の時期、ようやく見やすい時間にオリオン座が出るようになった。南半球らしい。牡牛座の釣り鐘星や、昴も見える。
     もともと星には詳しくないのに、この南天のほしぼしは、僕には全く馴染みがない。北半球よりも明るい星は少ないらしいが、大阪から来ている僕には、かえってこのチリの空の方が賑やかに思えるときもある。ただ、やはりメリハリには欠けるように思う。ちりぢりに、暗いというのではなく、小さな星をばらまいたような感じだ。
     南半球用の星座早見が欲しいな。

     クラウディアと打ち合わせ。彼女も懲りないようだ。この僕に、また新しい貧困者住宅のプロジェクトをやろうよと持ちかけてきた。これで3つ目。具体的に動いているのは、まだひとつに過ぎない。
     新しい計画は、町の名前をとってVilla Renacer(ビジャ・レナセール)という。ルネサンス町、と訳そうか。再生、蘇生の町。凄い名前だな。計画戸数は40戸足らず。

     最近煮詰まり気味。いつも明るく行けるといいが、そればかりでも気味が悪いと考えて、とことん煮詰まってやれ。そのうち時は過ぎる。煮詰まり方を良くするように工夫することだ。そうしよ。

    地震

     今日も地震。午後2時13分頃、震度は2程度。ラジオ・テレビで報道があったかは確認できない。ドン、という縦揺れ。間隔を空けず5秒ほど微振動が続いた。
     縦揺れと横揺れの間隔は、稲光と雷鳴の関係と同じく観測地点と震源の距離、地核の状況等に依存すると学校で習ったように記憶している。ということは、さっきの震動は震源がごく近いということなのか?阪神・淡路の震災は、活断層による直下型の強震の惨事だった。ここは大丈夫かな?
     ノガレスは、ほぼ全ての建物が平屋である。壁は煉瓦か木造。屋根は木小屋組にトタンか石綿セメント板の、ごく軽い構造。おそらく大地震が来て倒壊する家屋が出ても、死者が出ることはまれではないかと思う。
     メロンの体育館のスタンド下部には、救援物資用に当てられるように倉庫を大きくとって設計してある。仕事でやった災害対策は、これだけだ。

     日本では動物占いが人気らしい(ネットだけの情報だとなんか信じられないけれど)。僕のキャラクターを動物に当てはめると「オオカミ」になるそうだ。ちょっと当たってるなと思う。相性判断なんかもやっている。良くできた、おもしろい企画だな。やってみますか?
     


    991116 火曜日
    晴れ
     

     ほとんど一日、家に籠もっていた。貧困者住宅のデザインの案を更にいくつか練っていた。
     市長は、日本から来た建築家に、ひと味違うものを求めている。応えなくては。しかし、これほど予算と技術の制約があると、本当に難しい。

     こういう状況下で「それなりのもの」を越える建築をやることは、だからこそ優秀な建築家にしか出来ない仕事だ。こういうプロジェクトをこそ世界中のアーキテクト達は進んでやってもらいたいと思う。
     次々と醜く退屈な環境が生みだされている、この途上国の現状。先進国の豊かな環境が少数派だということが明らかなら、世界全体ではなんだかんだ言って、建築的な状況はむしろ悪化の一途であるといえるのではないだろうか?
     資金の援助ではない。経済の貧しさが、社会や住環境や、文化の貧しさに直結している現状に、どう抗っていけるかということだ。
     飯さえ食えれば、建築家にとって、都市計画者にとって、なかなかおもしろい仕事だと思うんだけどなあ。

     明け方までやった。「それなり」の壁は、僕には厚すぎる。が、まだあがくぞ。
     


    991115 月曜日
    晴れ
     

     「新技術導入による企画調整課の業務環境の改善」と題した計画書のもとに、機材の購入申請をしたのは9月。一昨日、土曜日にJICA購入によるプロッターが市役所に運び込まれた。僕は今日初めて現物を確認したわけだ。
     あくまで「援助」ということだから、計画に記載された、全予算の半額を充当された残りの機材群は、市役所の負担となる。プロッターはもう一方の半額に当たる物品だったということだ。時期は未定だが、今後市はCD-Rライター等を順次購入していくことになっている。
     これは、CAD化、コンピューター化が進んだ現状の当部局の業務環境を、外注コストを抑えたり、データ保管の安全性を高めたりする方向で強化・改善していくことを趣旨とした計画だ。

     日本だって、庶民は結構苦しい中を暮らしている。その税金で買ったプロッター。大切に使って貰いたい。
     直接使うのはマキシモ。新しい子馬を買って貰った子供みたいに、彼はプロッターを大事にしてくれている。彼の仕事を応援したいのが半分で買ったようなものだった。大変よかった。
     


    991114 日曜日
    晴れ
     

     今日もサンティアゴ。おでかけ。
     連絡所へ帰った後、手持ちぶさただった。
     


    991113 土曜日
    晴れ
     

     今日は朝からサンティアゴ。隊員連絡所へ行き、たまった洗濯物を片づける。
     今日も何人か連絡所に来ているようで、午後、専門家のプロジェクト調整員のT氏と共に夕食の買い出しへ韓国食材店に向かう。ここには、日本の食材や代替品が結構置いてある。気温はそこそこ。もう半袖でいい。しかし、日差しは日本の真夏並。紫外線もさぞかし強いだろう。
     T氏に、進路のことで、道すがらあれこれ相談させてもらった。

     帰りは、サンタ・ルシアの丘の近くで降ろしてもらう。フェリア(市)へ行く。親や友人たちへのプレゼントに、アルパカのセーター等を買い込む。値段も、日記なんだし書いておこう。アルパカの純毛のセーターが8500ペソ。2000円しない。20%化学繊維混で、5000ペソ程度。安いもんだ。セーターは夏でも売っていると言うのだが、冬の方が品揃えはよかったかな。また、妹にマプチェ族のピアスを買う。ピアスは1000ペソ位から。妹には5500ペソのものを。ラピスラズリも沢山売っている。これはまた今度にしよう。
     昼下がりのこのフェリアは、風通しがあまり良くないのか、暑くてたまらなかった。真夏はもっと暑いだろう?と、店のおばちゃんに聞いたら、ああ、もっとね、との答え。

     立ち疲れたのとトイレに行きたいのとで、フェリアの向かいの国立図書館に入る。非常に立派な建物。これ、なんて様式だったろう。ようするに19世紀のボザール(beaux arts)のスタイルだ。
     もともと図書館で時間を過ごすのは好きだったことを思い出した。高い天井の下、「チリの近代建築」という本を読む。大変静かで、こころ落ち着く。
     この間チジャンに行ったけれど、あの町にかんする記述もある。チジャンは1939年の大地震で、2万を越す死者の出る壊滅的な被害を受けたが、復興の際、都市計画をフランスの建築家ル・コルビュジエに依頼しようという機運があったという。結局、彼を招くという計画をチリ人たちはまとめることができなかった。が、まあこのチリでも、そんな華やかな建築シーンがあったのだということを知った。インドのチャンディガールと並ぶように、チリのチジャンがコルビュジエの手になる都市として残っていたらどうだっただろう?

     今日の連絡所はいつになく近隣からの旅行隊員が多かった。コロンビアからの、帰路変更隊員の話がおもしろかった。
     まもなく彼は数年ぶりに先進国日本へ戻っていく。成田へ降り立って、さて新しい生活を切り開いていこうというとき、開けざるを得ない玉手箱を開ける思いになるのではないか?

     語るにはおもしろい、至極協力隊らしい話だが、ときに日本は転換期。不況のどん底だ。おじいさんになって引退するのも難しいご時世。介護保険や年金のことも気になるけど、ようわからん。帰国した元隊員にきいたら、日本は暗いよ、チリの方がいいよ、という意見が帰ってきた。
     まだ任期を一年残して、何泣き言を言うのか?そう言わないで。結構な隊員が、このような心配を抱えつつ日を送っているということを、ちょっと書いておきたかったのです。
     


    991112 金曜日
    晴れ
     

     午前、州政府の体育施設担当者のおじさんがやってきて、メロンの体育館の変更について打ち合わせ。あんまり問題なかった。
     この計画の設計は、妙にスムーズに進んでしまった。今ならばこうはしないのに、という部分がたくさんあって、ここまで来てしまった。できることなら、もっと練ったデザインをしたいのだが、もう叶わない。今後の戒めにするのみ。

     今週から元通りエルミニア婆さんのところで昼食をとっている。サラダの分量が減ったのが気になるな。
     


    991111 木曜日
    晴れ
     

     パウラを呼んで、市のコミュニティーセンターへ。集会所だ。彼女に司会して貰ってゲームしつつ、SECPLAC内の仕事のやり方について考える。誰がどんな仕事をしているか相互に確認しながら、今後の仕事を、どうチームワークで乗り切るか、考えるきっかけにする。
     来年3月から、我が部局の名称が変わる。コーディネーションの仕事はDIDECO、地域振興課に移るので、SEcretaria Comunal de PLANificacionとなる。よって略称はSECPLAN、セクプランと読む。

     警察署の図面作成のため、マキシモと実測に行く。警察に最近よく行くなあ。
     署の裏には厩舎がある。馬が二頭。雰囲気出てるぞ。

     夜、ネリーさんちへ。ほかのみんなが来ないうちは、二人してレコードを聴いたり。孫たちとも遊んだ。いい子たちだ。

     一昨日だったか。ネリーさんの来し方というか、身の上話を聞いたのは。鉄のごとき63歳。しかし、さしもの彼女も悩み事は沢山抱えている。一番の悩みは家族のことだろう。それも、夫婦の間に関することだ。
     結局、経済的なものを繋がりの中に求めるほどには貧しくはない。けれど、ふとしたひとときに、パーティーや旅行という、喜びを分かち合いたいときに傍に誰かいてほしい。そういうことなのよ、という。夫とは正式に別れたわけではなく、むしろ向こうはよりを戻したがっている。彼女ははねつけるわけでなく、受け入れるわけでもない。少し困った顔を見せる。あなた、どう思う?と問われて、僕はなんと答えたらいいか、いや、何も答えられるわけがなかった。
     問題をひきずったまま、よりを戻すよりは独りで前へ進めと言っても、それは全くつまらない意見だ。意見も、答えもいらないのだ。まず、本当に彼女のことを理解しているかどうかを問われたのだ。そして、僕は経験に若すぎたということだと思う。
     

     日記を追補して書く。
     後日、今日11日をいろんな人々が記念日にしていることを知った。友人M脇も、この日僕に歳が追いついた。おめでとう。
     


    991110 水曜日
    晴れ
     

     書類を読む。ここ最近ずっとかかりきりでサボりまくりの貧困者住宅のプロジェクトだが、参考資料は足りないなりに貰ったりコピーしてあって、なんとか読まないといけない。ただ、慣れがあって、まあ読まなくてもなんとかなると見ると、辞書を片手に目を三角にして取り組む気力が湧かなくなってしまう。幼稚園児並の集中力しかない僕だが、このときばかりはなんとか優しいお姉さんの先生を心の中に同居させて、なだめすかしつつガキに文書を読ませないといけなかった。

     その住宅地の敷地の測量データを僕のminicadで読み込んでみる。ちゃんと3Dで入力されていた。ケブラーダ(干上がった川筋、小さな谷)もしっかり入力されていて、くっきり分かる。これを無視して造成しようとしているが、日本人の土木の専門家に見て貰ったら、ちょっとまずいとのこと。すでに金を払って設計して貰っている。変更の必要を市長に勧告しないと。

     米が切れてしまった。チリ米でも買うか。
     


    991109 火曜日
    晴れ
     

     今日も雲一つない。爽やか。

     クラウディアのところへ行って、貧困者住宅の仕事の進め方について、あれこれ話し合う。もっと言葉が出来たらと口惜しい思いをするひととき。
     想定している予算は、全くの総額で、そのうちいくらが住宅建設用で、いくらが道路整備や電気・水道等の整備用かということは、まだ決まっていない。せめて街区の計画が終わっているなら、その分だけでも概算見積もりをとって、どのくらいの予算を住宅用に振り向けられるか知りたいのだが、全く予定は立っていない。クラウディアは僕に住宅の設計を急げとは言うが、こうしたごく基本的な事項を横に置いては前に進む勇気も湧いてこない。少なくとも、今後の流れくらいは知りたいが、どうやら彼女も五里霧中の様子。一口に言って、僕も彼女も、経験不足なのだ。初体験同士。一生懸命書いて話してを繰り返すが、出口が見えない。
     金曜日、県の住宅・都市整備局長が来るから、その時彼女に二人して聞いてみようか、ということになった。

     大変中弛みな僕である。生来の怠惰が、もう背中やら首にしっかりまとわりついて、離れる気配がない。今までも、というより本来、建築はグループでやっていく作業かと思うのだけれど、これだけ自由にしてくれると、課題に立ち向かう気力よりも、そのぬるま湯のなかで安住しようとする怠け心が仲間になってくれる。それが僕という人間なのだ。

     もう十数年来の、途上国の貧困層と建築活動をするという夢、それそのものを扱うというのに、この無力感、無気力は何だ?僕の性質というものを、実に雄弁に語っている現象じゃないか。

     どうでもいい。自己嫌悪もしなくていい。今という時間、しかも本当に特別な戻らざる今を生きられないのなら、それは、今後ずっと後を引く悔恨となって残っていくだろう。
     生っちょろく孤独を嘆くな。
     実際こんな、チリの春のような、のどかで生暖かな状況の中で、怠惰と眠りに捕まえられたままになるのかどうか。結局そのへんが、僕にとって乗り越えるべき最大の山かと思う。勝負なのだ。負けるつもりがないなら、勝つまでだろう?

     夜、スペイン語で書き物。楽しい物になったかな?それにしても、稚拙な台詞、恥ずかしいばかりの表現力、乏しい語彙力であること。
     


    991108 月曜日
    晴れ
     

     よくは知らないが、南フランスは光が違う。色が鮮やかで、ものがはっきりと浮いて見えるなどということを聞いたことがあった。
     いつだってチリはそんな風だなあと、日本と比較しては思うのだけれど、そろそろ夏が近づいたようで、その傾向がまた一段と強くなってきている。まだ夏至まで日があるというのに、目もくらむ日差し。ところが透明感がある。全ての物は、はっきりした色彩と輪郭を与えられている。
      今日は、風が涼しい。しかし日なたは暑い。

     書類を読んで日が暮れた。

     いや、暮れてなかった。最近は8時半迄は昼だ。9時で真っ暗になる。暗くなる前にカレラのアリシアさんのところに遊びに行く。50歳くらいの彼女。母親や妹さんも来ていた。お母さん手製のドーナツを頂きつつお喋り。土産に持っていったのもドーナツだったが。

     夜、ノガレスに戻る。星が綺麗だ。あれは土星か木星か。ひときわ強く輝く星がある。
     とても冷える。なんだか冬のように寒い夜だ。日本は異常に暖かいというが、南米は総じて異常に気温が低い状況が続いている。

     安物の箱の白ワインが、今持っている唯一のアルコール。一月近く前に開けて冷蔵庫に仕舞っていた。蓋は付いているが、酸化が進んでいるのか気のせいなのか、どうもうまくない。我慢してグラス一杯分を飲んだ。
     



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