Diary
    日々の記録



     
     


    991107 日曜日
    晴れ
     

     サンティアゴはヴィタクラのフェリアに行ってみた。裕福なラス・コンデスにあるだけあって、よくできた美しいところ。猥雑さに欠けて寂しいが、のびのび楽しい。
     家族や友人たちへのプレゼントを買おうと思っていた。次いで寄ったサンタ・ルシアのフェリアはより廉価に売られているだろうと目論んで行ってみたが、日曜で閉店が多く買い物ができなかった。来週の土曜にでも来ようか。

     夕食に麻婆豆腐を作った。食後の苺は味が薄く、いまいち。

     深夜、思いつきで昔やってみた性格判断(エゴグラム)を、もう一度やってみる。以前もひどかったが、今回はまた違った趣向で最低な評価。ここまで書かれたら、なんか落ち込んじゃうぞ。だからおもしろいんだよなあ。みなさんもどうぞ。

    エゴグラム






    991106 土曜日
    晴れ
     

     「国際 本のフェリア」なるものが明日まで行われている。
     サンティアゴ中央市場近くの旧マポチョ駅。パリのオルセー美術館のように、大空間を活かした展示会場として使われている。建築自体の計画や規模、さらに技術や年代・様式も、ほぼフランスのそれと同じに見える。現在の姿も、フランス政府からの援助でもあったのかなと思えるくらい、細部のリメイクがきっちり小粋になされていて、チリらしからぬ、いい建築になっている。そういえばサンティアゴ中央駅は、あのエッフェル塔を設計した、ほかならぬエッフェルの設計だった。ここも最初からフランスが関わっているのかな?
     ちなみに地下鉄はフランスの援助によるものだし、関係ないけどうちの市長、フェルディナン・ガチョン・ヘレス氏もフランス系だ。

     さて入場。厚かましく入場料をとる。割引券で牽制。
     会場はアルゼンチン、ボリヴィア、ベネズエラ、メキシコ、スペインなどからも参加して、たくさんの出版社のブースでいっぱい。
     目当てだった絵本は買えず。いいものに出会えなかった。ううむ。いつまで経っても、ともこさん宛に送るものが手に入れられない。いいものがないのではなくて、僕好み、日本人好みのものがないだけなのか?

     食事して、買い物。
     


    991105 金曜日
    晴れ
     

     サンティアゴ。快晴が続くと、快晴と書けなくなる。晴れ、とあれば、快晴と思って欲しい。快晴とあれば、それはもう、本当にいい天気なのだと思って欲しい。

     大統領府、モネダ宮殿近くの警察署に行く。先週金曜日に盗難にあったリュックに関する証明書を作ってもらうためだ。
     協力隊向けに特別な保険があって、任意に加入できる。幸い僕も入っていた。海外旅行保険みたいなもので、物品の盗難にも補償がきく。スペイン語ではあるが、失った物品について保険会社に提出するため、細かく書いてもらった。
     普通、こういう詳細な文書は出さないものらしく、若くてまだ融通の利かない警察官は何度言っても簡易の証明カードを作ろうとする。やっているうちに上司が助け船を出してくれた。結局約2時間かかってしまう。もうちょいでも言葉ができたなら。

     JICA事務所へ行って、保険の手続き。
     メールボックスには、訓練所で同室だったHさんの手紙が入っていた。都合で派遣にならなかった彼だが、まあまあ元気そうだ。好きな競馬で大穴を当てたとのこと。手紙の最後、同期のみんなが、無事に任期を終えて帰ってこれるよう祈っているとあった。無事に帰ったら、競馬で勝った金で酒でもおごってもらおうか。

     夕食はざるそば。うまい。うまいというしかない。ああ、ほっとする。なんか今日は疲れたな。
     


    991104 木曜日
    晴れ
     

     最近生活が乱れ気味。いけない。と思っていながら、昨日遅かったせいか寝坊。時計をおそるおそる見ると10時半。わっはっは。歩いて3分の勤務先でよかった。実はときどきやっているのだ。

     財布をスリにやられて以来、ずっと自炊をしている。そろそろ、またエルミニア婆さんのペンシオンの食事に戻していい頃かな。先日歯が欠けたし、栄養のバランス、特にカルシウムの摂取には、気を付けないと。牛乳でも飲むか。

     午後、前に農村観光と言ってたっけ?その関連で、キャンプ場を含んだ整備計画をデザインしたコジャウエへ行く。カルメン、マルタ、シンティアの女の子3人と一緒に車で。
     聞くとあの計画はおじゃんになったそうで、同じ敷地を、とりあえず植樹してきれいにしようとしているという。マルタ、シンティアは農学が専門だから、この計画の担当であるカルメンが助言を求めているというわけだ。そういういきさつは説明して欲しいもんだ。前の計画のことも今まで知らなかった。
     マルタに意見を求められた。
     植樹だけするにしても、最終的にどうしていきたいかが見えなくては、具体像がでてこないだろう。公園なのか、キャンプ場なのか、「目標」がない状態では。いきなり植樹する、その発想が分からない。
     日本なら、とりあえずの壮大な夢が想定されるもので、その内容についてあれこれ言われるものだが。一事が万事。チリじゃあ何事も場当たり的だ。なんか、情けないような気持ち。このところ日本だって、臨界事故や鉄道施設の工事不良、災害対策も含めようか、本質的には場当たりを繰り返してきたことを示す事件・事故が、種々露呈しているけれど。

     今日の僕の役目は、敷地の撮影。デジカメならお金がかからないので。

     コジャウエはノガレス北方の、緑が多い低開発な印象の、逆に言うと自然が豊かなところ。ほぼ平地である。
     よく晴れて乾燥した大気は、春の花々と青い草穂の上に木々のくっきりした陰を刻む。一緒のチレーナ(チリ女性)たちのことも美しく見せてくれる。背の高いアザミや荊、バラ、アカシアの棘が、いよいよ鋭くなっていく。春の盛り。夏がもう始まる。緑一色だった野原や山々が、少しずつ黄色く茶色くなってきた。汗が滲む。眩しさにしかめた顔に、車が巻き上げた砂埃が遠慮なくからんでくる。チリの香りがする。
     


    991103 水曜日
    晴れ
     

     汚い話、ここ最近バスタオルを洗ってなくて少々匂っていた。今日は日差しの強い晴れ。すかさず手洗いして奥のパティオに干す。手で絞っただけでも、こんな日なら乾燥したチリの大気が夕方までには乾かしてくれる。

     正午過ぎ、県の住宅都市整備局へクラウディアと出かけて打ち合わせ。ここ最近やってきた貧困者向け住宅の住戸を、顧問の専門家に見てもらおうというのだ。
     その顧問はマヌエル・バスケスというおじさんで、早口のチリ人には珍しく、非常に落ち着いて話してくれる人だった。

     彼の言うに、道路や下水道、電気等の街区全体の整備を含めて各戸220UF(約66万円、1UF=15,000peso)の負担で賄うつもりならば、後々の増築を視野に入れて、最もそれに素人が手を出しやすい木造で増築を見込む部分の周囲を作っておくのが、予算を圧縮するためにもいいとのこと。
     増築は、将来入居している人たちに財政的な余裕が生まれたら、より彼らの要求に合ったように住宅を改造するための一つの手段である。それくらいに最初は最低限の面積と設備しか備えられない。例えば台所には部屋だけあって流し等は一切ない。洗面室のシャワーには、温水を出すための湯沸かし器はない。寝室だってベッドを置いたらそれで一杯の面積しかない。こんなのがこうした住宅のスタンダードだ。壁に、塗装やタイルなどの仕上げをされないことも普通だ。
     つまり入居者による拡張や改善を見込むのが、こんな貧困者向け住宅を作る際のチリ的な解決の手法なのだ。

     僕の周囲はのどかな人が特別多いのか、このプロジェクトだって、まだまだ急がなくても良さそうな雰囲気だ。自己管理していかないと、全てはチリ風に遅れていってしまう。

     夜、カレラへ。

    地震

     日付が変わって午前2時39分、地震。縦揺れの数秒後、横揺れ。これは表のハイウェーのせいではない。震度は3程度だろうか。際限なく揺れが強くなっていった、あの震災のときの体験を思い出していた。ここ数日分の日記を入力中。書きながら手が震える。

     地震が怖いのは、自分が揺れを感じた地域に被害がなくても、もっと離れた地域が壊滅的な状況になっているかも知れないことだ。ラジオを点けて、地元のFM局に合わせてみる。しかし、のんきな音楽が流れるばかり。
     また、地震の怖いもう一つの点は、小さな地震が、より大きな地震の予兆に過ぎないかも知れない点だ。
     いや、こういう書き方には問題がある。「かも知れない」ではなく、「ことがある」とするべきか。

     3時を回ったら、ここ第5州だけでなく、4州や首都圏州でも揺れを感じたという放送が入った。幸い揺れは小さかった。だが、大地震の予兆であるということがある。用心しなくては。
     


    991102 火曜日
    晴れ、時々曇り
     

     先週クラウディアと打ち合わせたように、貧困者住宅の案を出力。午後、この住宅地の街区割りをした建築家、ホアン・カルロス・ポンセを連れてクラウディアが来る。問題点が無いか、討議。

     「イル・ポスティーノ」を読了した。どこまでも素朴な主人公マリオは、本当にこの国の漁師の息子らしいと思う。
     エンディングが悲しい。

     これは、ちょっと感じ方がずれているかも知れない。ここに住んで、こっちの人間の雰囲気みたいなものを知らないとこう感じないかも知れない。僕はこの小説に、ある「軽さ」を感じている。あるいはこころもとなさ、あるいは虚しさみたいなものと言ってもいい。
     僕はチリ人に、アルミの鋳物の、いかにも軽く、決して長く熱さを保ってはいないだろうと思わせるような、そんなものを感じる。石のように、熱しては水を掛けても冷めず、冷えれば暖める術もなさそうな、何か確固としたものを与えてくれることがない。
     なんと言ったものか。今は、そうとだけ書いておく。

     結局のところ、なによりもその点を強く浮かび上がらせた点で、僕にはこの純チリ産の小説は印象的だった。ただしややこしいことは抜きにして、手軽な癖しておもしろい読書体験だったということは言える。チリを紹介する物として、どうぞ読んでもらいたい一冊だ。
     なんだかんだ言っていたのに、最後はこれだけだ。僕らしい。

     晩のオンセはパンにアボガドのペーストを塗って食べ、トマトを切って食べ、コーヒーを飲む。アボガドには、ニンニクのみじん切りを少し混ぜてある。実にフォーマルなチリのオンセ(軽い夕飯)。
     旅で疲れたのかあまりに眠く、珍しく11時くらいには眠ってしまった。
     


    991101 月曜日
    曇り
     

     午前、州都テムコへ向けてバスが出る。
     昼、テムコでバスの乗り換えまでの時間を散歩に当てる。ここは詩人パブロ・ネルーダが少年時代を過ごしたゆかりの町。しかし、ぱっと見ただけでは、なんの風情もない、チリらしい退屈な町だった。

     サンティアゴ着は日付も変わった頃になってしまった。渋滞のせいだ。南北に細長いこの国。渋滞でもされると、大概エスケープルートがないので、もう絶望するしかない。日本みたいに、車線が少ないなりにも縦横に張り巡らしてあるような道路網がない。鉄道網もほとんどない。でも、人口はたった1400万。これで十分なんだろう。

     菜の花なのか、昼間車中からたびたび見える黄色い花畑が美しかった。青い牧草地と黄色の花畑のパッチワーク。あのなかへ歩いて、入っていきたい。
     


    991031 日曜日
    曇り、小雨が降ることもあり
     

     プコンから隣のカブルガ湖までサイクリング。小雨模様である。幸いこの往復50キロの間、少ししか降られずに済んだ。ビジャリカ火山は雲に隠れている。

     大学ではサイクリング同好会で、ちょこちょこツーリングに出かけていた僕。健脚というほどではないまでも、人並みにどこでも元気に楽しく走っていたものだ。山も海岸線も。時には輪行(自転車をバッグに入れて鉄道旅行すること)もしたもんだ。
     しかし、久々にまともに走ってみると、腹が立つほど足が動かない。ひいひい走るサイクリングほど苦しく、思い出に残っていくものはない。この最高のサイクリングルートのことは、しばらく忘れることはないだろうな。

     プコンはリゾートの町だなと思う。英語を話す人が多い。別荘も立派で、たくさんある。

     プコンからビジャリカへ移動。食事。宿はキャビンタイプのホテル。尻が痛い。疲れた。

     ビジャリカにチリのハーバードといえるカトリカ大学、というよりカトリック大学と呼ぶべきだと思うが、そこのセミナーハウスがあった。こちらの建築雑誌で見ていたが、偶然見つけた。
     低予算が常のチリ。でも、なんだかがんばって作ってある。珍しく作品性漂う現代建築だった。鍵が掛かっていて、中には入れず。

     夕食。ここはろくなレストランがない。残念。
     


    991030 土曜日
    快晴
     

     10時を過ぎた頃、第9州の湖畔の町プコンに到着。
     念のため、バスの乗務員にも協力してもらって、大型バッグの全てを開いて見せてもらった。やっぱり発見できず。きっとサンティアゴを発つ前に、窓から外へ渡したに違いない。グループによる犯行だろう。
     被害に遭った物。リュック、一眼レフカメラ、スケッチブック、手帳、セーター、ポロシャツ等の着替え、その他。誕生日にチリ人のおばさんからもらった、ネーム入りのTシャツも含まれていた。

     災難続き。財布をなくしたばかりだったのに。この間は歯も欠けたしなあ。
     よほどでない限り、バスでは荷物を手放してはいけない。少しの隙もなく見張っているのは不可能だ。手で、持つこと。自分が外国人で、泥棒のみなさんから注目されているという意識を、忘れてはいけない。

     さて、ここプコンはビジャリカ湖の東の畔にある小さな、しかし結構美しい観光都市である。北に湖、南にビジャリカ火山を望む景勝地。山の木々はしっかりしていて美しい。日本の信州のようだ。

     午後遅く、一つ南隣の湖の町、リカン・ライへ。ひとしきりぼーっと過ごす。こちらはカッコウも鳴かないような、ごく静かな湖畔である。
     夕食はユースホステルの自然食レストランで食べる。大変おいしい。ユースは客層が国際的で、金がない割に文化的な感じがして好きだ。
     


    991029 金曜日
    晴れ
     

     サンティアゴ、JICA事務所へ。1号報告書の提出と郵便物の受け取り。
     やっと報告書を出した。遅すぎる。関係の方々に申し訳ない。以後、がんばりますね。

     夜、23:10の便のバスで南へ。次の月曜は祭日だから旅行だ。

    リュックを盗まれた

     出発直前のバスで、全ての荷物を入れていた小さなリュックが盗難に遭ってしまった。頭上の棚に置いて数分しか経っていなかった。バスが動く前に確認したら、もう無かった。バスの中を、それこそ人の鞄の中まで見せてもらったりしながら探し回った。大騒ぎだ。
     


    991028 木曜日
    ?
     

     午後、貧困者住宅のプランを持って、クラウディアと打ち合わせ。来週、若干変更を加えた案も付けて、県のSERVIU(servicio de vivienda y urbanisacion 住宅都市整備局)へ出向くことになった。
     一号報告書を印刷。明日、提出する。まだ出していないのは、世界中の同期協力隊員を探したって僕くらいかも知れない。
     


    991027 水曜日
    曇り、時々晴れ
     

     クラウディアに、とりあえず作った貧困者向け住宅のプランを渡す。あーしんどかった。

     夜、アセンタミエントへ、スポーツ公園の件で話し合いに行く。敷地の未測量部分を測る。

     遅い夕食。食べながら、同居のパウラに、チリの国産の「イル・ポスティーノ」の映画があると教えてもらう。うちの町の図書館にビデオがあるらしい。テレビドラマかも知れない。見るぞ。

     夜半、日誌を書いてたら、「巨大まるむし」が出没。体長約2センチ。足下を歩いていた。これだけでかいと、刺しそうで怖い。
     そういや以前、JICAチリ事務所の所長氏が話していたが、初めて海外生活したJICA専門家としてのボリヴィアでの滞在期間中、夜毎出るサソリや毒蜘蛛、蛇と文字通りの死闘を繰り広げていたとのこと。蛇の仕留め方を開発したエピソードなど、真剣そのものの面持ちだった。チリの丸虫にびびっとったらあかんな。
     


    991026 火曜日
    曇り
     

     今日の朝方まで貧困者住宅のデザイン。で、日が変わって水曜になったが、まだやっている。

     財布をすられてから緊縮財政を心がけて、先週から今まで、エルミニアばあさんのところに昼食に行っていない。ダイエットにもならないで、栄養が偏っているだけ。どうしても手軽に出来るスパゲティとかインスタントラーメンになる。みのべさんの細打ち名人が大活躍だ。
     で、ラーメンに入れる具も無いし、カレラで買い物。久しぶりに自分でアボガドも買った。そろそろシーズンになったか、少し安くなってきたようだ。

     生活が乱れてくると、部屋がひっくり返る。いつかも日記で書いた。昔Uが言ったが、部屋を相手にしてやらんと、部屋が自分から離れていくんよ。それそのものの様相だ。また、部屋は自分を表すとも言ったかな。
     机にいっぱいの本と書類の山、開けたままの色鉛筆の80色。傍らの茶碗やペンや箱のワイン、ネスカフェの缶、ナイフ、ラジオ。あっちを向き、こっちにひっくり返った靴・靴・靴。こんがらがったコード。辞書の横には耳掻き。寝ていないときは雑貨屋さんになるベッド。物が載ってないのは、もはや天井だけ。それに、床もそろそろ掃かないとなあ。
     これが、今現在の僕なのか?僕なのだ。
     


    991025 月曜日
    晴れ、夜から曇り
     

     暇を見つけて少しずつ「イル・ポスティーノ」を読む。チリの話だけあって、行ったことのある町や、知っている言葉、風俗が続々出てきて、本当に嬉しい。語り口もチリ人のそれである。訳者の鈴木玲子さんの力量のほどが伺える。
     これはちょっと言い過ぎだと言われるかも知れないが、こう感じて、今とてもうれしい。この小説は、僕にとって「外国文学」ではない、と。もちろん、少しばかりの理解があるだけだが、しかし、親近感が違う。我が事として追感していきたいという思いが違う。そういうことを体験できた事が、本当に嬉しい。
     関西人や北陸の人が宮本輝を読んでるのと同じ?和歌山の人が中上健次を読んでるのと同じ?どっちも関西圏だな、これは。

     旅行前や旅行後に、その土地を舞台にしたお話を読んだり聞いたりする。しかし、旅行するだけでは味わうことはできても、「わがこと」にはなりにくい。「わがこと」と感じられなくても、全然構わないのだけれど、本来別世界だったところが、いつの間にか自分の一部になってしまった、あるいは、自分がその一部となっている。そんなことに気付いたのは、僕には初めてで、それがとても新鮮だ。

     こういう経験は、突然の確認の機会によってなされる。それまでは当人には分からないものだ。
     以前、外国に住んでいたことのある友人が言ってくれた。半年を過ぎた頃から、その土地を愛し始めるのよ、と。僕は実際、半年を過ごした8月になっても、ノガレスを、チリを愛しているとはいえなくて、なんだか後ろめたかった。けれどこの小説を読むことで、いつの間にやら自分がこの土地にどうであれ帰属意識をもっていることを発見したのだ。

     新しい、新鮮な体験をする機会は、だんだん減っていくだろう。それは残念なことばかりでなくて、体験の豊富さを意味するかもしれない。けれど、新鮮で大切な出会いに無感覚になることはないように。
     

     夜、カレラへ。ネリーさんたちに会う。帰り際、深夜の街を歩きながら話をする。僕にはときどき、このネリーさんに呼ばれてチリへ来たんじゃないかと思えるときがある。そう思うのなら、しなきゃいけないことがある。動かない感傷主義者を、ネリーさんは嫌うだろう。
     



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