Diary
    日々の記録



     
     



     
    km: ラハの滝


    991024 日曜日
    晴れ
     

     買い物に出かける。しかし何も買わなかった。

     何度目にこう思うのか忘れたけれど、もはや夏だ。それくらい暑かった。なかなか気温が一定しないが、ときどき今日みたいに30度位まで気温が上がる。全ては、陽がさすかどうかにかかっている。曇り日はセーター。晴れたら半袖だ。

     このホームページを始めて1年半経ったが、今日初めて、当初目論んでいた途上国での建築活動を考えているという方からメールを頂いて、コンタクトがとれた。いやはや、何事も続けるもんだ。
     こんな日記でも、続けてりゃ少しは役にも立つようだ。仕事の面できちんとまとまったページを作るような力量はないし、そもそもその仕事からして出来ていないが、日記だとなんとか足跡は刻んでいける。今度は、僕が前を歩いている人を見つけないと。
     それにしても、そんな最初の目的の方が飛んでいってしまうくらい、別の部分でたくさんの人々と出会うことになってしまった。そのことも、かえって気がつくはめになった。
     


    991023 土曜日
    曇り
     

     昨日、JICA事務所に家族からの包みが届いていた。手紙やらのほか、米や本など。よほどゴマ好きと思っているのか、またスリゴマが入っていた。いよいよこちらから何か送らないと。この間大金を無くした、いや、すられたばかりで痛いが、どうせならいい買い物をして送ってあげるためにこそ金は使わなければ。

     小説「イル・ポスティーノ」は、A・スカルメタの作である。去年の日記に、ネルーダだったように思うなどと書いたのは、誤りだった。こちらから紀伊国屋のインターネット店で日本語翻訳版を発注したのだが、母親が読んでから、昨日やっとこっちに回ってきた。
     本はこれから読むけれど、このお話の顛末を作者自身が前書きに書いていて、それだけでも実におもしろい。それから巻末に映画評論家の田中千世子さんが解説を書いているが、それもこの手の文章では優れておもしろい。
     それらによると、伊映画「イル・ポスティーノ」の原作であるこの小説は、チリ人新聞記者のスカルメタが長年の取材と執筆の期間を経て書き上げた、ネルーダと「彼専門の」郵便配達夫をとりまくエピソードの小説化であり、まさに純チリ産のお話だ。もともとの題名は"Ardiente Paciencia"という。ardienteは「焼き焦がれる」ようなことを意味し、pacienciaは「辛抱、忍耐、我慢」位の意味だ。恋の、そして友情の小説だというが、どう訳されるのか。
     ここまで書いたけど、続きはやっぱり全部読んでからにしよう。まあとにかくこの本は贔屓じゃないけどおもしろいのではないか?

      アントニオ・スカルメタ作、鈴木玲子訳:イル・ポスティーノ 徳間文庫1996


     隊員連絡所では、隊員による機関誌の編集会議がリラックスした雰囲気で行われた。人手不足がそうさせるのか、僕も入れと言われてしまう。お手伝いくらいはさせてもらおう。
     僕の印象では、全般的に隊員機関誌はいいものが少ない。が、その中でチリの機関誌"Cachai?"は、ずば抜けておもしろいと思う。企画力と周到さが違うのだと思う。

     


    991022 金曜日
    曇り
     

     サンティアゴは暑い。気温はそれほどでもないが、今日は蒸す。朝方雨が少しあったようだった。聞いた話では一昨日など30度を超えていたという。

     午後JICA事務所の会議室で、土木・建築分科会の第2回定例会。関係職種の協力隊員による会合。

     第一部。土木・建築サロン。「チリおよび周辺諸国における建築事情」。だれでも参加出来る。職種をクロスオーバーして広がりのある話ができないかと期待している。
     先週末から準備していた写真を大型液晶モニターを使って映し出す。ノリヒコさんによるスライドショーとディスカッション。
     彼は任国外旅行でアルゼンチン、ブラジル、ボリヴィアの3カ国を回った。同じスペイン語圏の地域でも、歴史や文化、風土の事情は、当然ながら相当異なる。
     顔が違い、体が違い、訛が違う。食べ物が、住まいが、住まい方が、習慣が違う。価値観にずれがあり、生き方が別だ。まがりなりにも1年以上をチリで過ごしてきた日本人が覗き見た、お隣の姿形を写真で見、地図で見つつ、そこの味や匂いまでを語る。

     僕が受け取った素朴な印象と、これからその「任国外」に行く立場の人間としての期待はこういう風になるか。

    • アルゼンチン、特にブエノス・アイレスは文化レベルが高く、日本の都市を遙かに凌ぐかのようだ。
    • ブラジルは都市の規模が大きい。ひとびとの体もでかい。まちなかでカメラを出すことができないくらい、「怖い」ところらしい。しかし、文化の混交のおもしろさ、強さがある。
    • ボリヴィアは古い、汚い、臭い。その分豊かな何かがある。海のない、辺境の国は、意外なくらい旅したくさせてくれる役者が揃っている。ひとびとはつっけんどんで、きつい。


     第2部。技術用語、技術資料をみんなで持ち寄る。エクセルで取りまとめる。初めてなので蓄積はまだないが、そのうちそれなりの体裁になっていくだろう。

     反省会。調整員のS氏も一緒に地ビールのホールへ。第3回の定例会は、来年1月。今度のサロンはJICA専門家のU氏が担当してネタを振ってくれる。公共事業省の道路・橋梁の維持管理を通して、チリの仕事事情を多職種で話し合いたい。

     今回の定例会のコーディネートはトシユキさんが担当してくれた。彼の任期はこの12月までだから、今回が最後だ。彼にはあれこれ分科会を引っ張ってもらったし、同じ都市計画隊員として個人的に世話にもなってきた。
     率直であり、地道であり、明るく優秀。そして強引な彼。今時少ない大物タイプ。協力隊のいいところは、こういう風に偶然なのかなんなのか、おもしろい男に出会える機会がたくさんあることだ。
     


    991021 木曜日
    曇りのち晴れ
     

     分科会の定例会が明日に迫っている。慌てて持っている資料のリストを作り、和西用語集を作る。これで一日がおしまいになった。
     


    991020 水曜日
    曇りのち晴れ
     

     クラウディアを地域振興課に訪ねて打ち合わせなど。決して暇ではないはずの彼女なのに、いつだってたっぷり時間をとって相手をしてくれる。感謝する。

     勤務が終わって、リカルドとホルヘの二人とともにカレラへ出る。ビールでも飲もうやと誘われた。
     僕はフライドポテトとソーセージなどのつまみのセットで国産ビール「ロイヤル」を飲む。彼らはアンブルゲサ、つまりハンバーガーにフライドポテト。ただし、店によってハンバーガーはとても食いでがあるものを出すところがあって、ローストビーフにトマトやアボガドのペーストを載せて作ってあったりする大きなものだ。これをフォークとナイフを使って食べる。何故か彼らはビールを飲まず、コーラやスプライト。チリ人は酒を本当に飲まない。

     リカルドはノガレスから南へ20キロ程行ったLlayllay(ジャイジャイ)という町に住んでいる。風の町、位の意味の現地語らしい。ノガレスみたいな農村だ。彼はミスター市役所といって異論のない、ハンサムでおしゃれな男。仕事もしっかりやるし、遊びも出来る。ダンス教室でサルサを踊るのが、今は一番の楽しみらしい。昔はアマチュアで劇団をやってたといい、地元のラジオでレギュラー番組を持ち、コマーシャル・ナレーターもしていた。
     


    991019 火曜日
    曇り
     

     夕食に、ナスカさんから送って頂いた丸味屋「鳥釜飯の素」を使う。作りすぎた。4合近い。
     米は大好きなので、がつがつ食べる。材料を買わなかったので、おかずがない。栄養のバランスなど無視して、ではインスタントラーメンなど。これはみのべさんに頂いた「細打ち名人」を。ノンフライで、生麺のようだ。十分にうまい。

     明日も、鳥釜を食べよう。先週財布を失った(すられた?)ので、今週はエルミニアばあさんの家では食べないようにする。節約だ。
     


    991018 月曜日
    晴れ
     

     今日もサンティアゴ。JICA事務所へ。昨日スキャンした画像を、大型モニターに接続して見せることができるか試験。大丈夫だった。

     ここの事務所の休憩室に、全ての隊員や専門家のメールボックスがある。自分の名の付された小さな引き出しを引いてみる。なにかしらの便りが入っていないか、甘い期待がいつもこみ上げて来る。
     メールなどで、手紙を送った由聞いている場合など、そんな思いはひときわだ。手紙の予告をする時代になったか。
     今日は、何も入っていず。

     なかなかページを更新できない。画像が手軽に入れられたデジカメだったが、僕のG3の現行モデルとは、ポートのアダプターを介してもうまくデータ転送ができず、従ってタイムリーな絵を入れにくくなっているのも一因だ。いつも連絡所のデスクトップを中継してEther netでコピーしている。
     


    991017 日曜日
    晴れ
     

     サンティアゴ、隊員連絡所へ。午後からずっとノリヒコさんと分科会の定例会の準備作業。定例会は次の金曜日に迫っている。今度は「サロン」を開放して、誰でも参加できるように既に告知している。ネタはノリヒコさんの任国外旅行の取材記。建築隊員として。ほか、専門用語や所有資料のデータベースを分科会内で実際にとりまとめる作業をする事になっている。

     昼食は、久方ぶりに食べる桜井さんの手料理である。今日はパエリアなど。うまい。ビールも喜ぶ。最近、彼女の週末の料理は、チリ隊員の楽しみとして定着した感がある。と書いたらお叱りが来るだろうか?

     結局作業は夜中までかかった。なにせ160枚を越える写真や図版のスキャンをしたのだ。

     実際に建築設計をしている、また過去にしていた国内の隊員は僕とノリヒコさんだけ。彼も僕も、この機会を逃すまいと建築談義など。互いに分かり合える喜びだ。

     昨日暖かかったが、今日はもう夏のようだった。猛烈な日差し。
     ノリヒコさんによると、ボリヴィアは更に日差しが強いのだという。ご近所のペルー近辺は「太陽の子」と言う意味のインカがいた。なるほどと思う。
     


    991016 土曜日
    晴れ
     

     サンティアゴの南東部に、マイポ川が流れている。この川の中上流部にある集落、サン・ホセ・デ・マイポへ。サンティアゴのセントロからバスで1時間半位。550ペソ。ここには前に二度来たことがある。
     アンデスの入り口に位置していて、川は大きな谷を作っている。岐阜や長野の風景にも、同じようなのがある。
     昼食をとり、ぶらぶら歩き、そして公園の芝生の上に寝転んで昼寝。連れと、スケッチブックなんか持ってきたらよかったなあと話す。芝生の上にはサッカーゴールが幾つも散らばっていて、みんな熱いゲームを楽しんでいた。誰も彼も、なかなかにうまい。どんくさい僕が仲間に入るためには、数年の修行が必要だ、いや無駄だと言い合う。

     夜、El Otro Sitio(ほかの場所)という名のペルー料理屋へ、チリ人、ペルー人の友人と出かける。とっておきの場所、というくらいの意味があるのかどうか?ペルー料理は初めてだ。高級料理として位置付けられていて、普段あんまり気軽には口に出来ないから。

     セビチェは、マリネみたいなものだが、もう少し素朴。しかし、油、レモン、スパイスと塩だけで、こんなに生の魚がおいしくなるのかと思った。チリにもセビチェはあるが、今まで食べたうちでは、ここが最もうまかった。これは前菜である。
     メインは、くるみのソースで食べる鶏を選んだ。ペルー人の彼によると、国民的な料理とのこと。なんて名前だったっけ?かすかな甘さと不思議なスパイスの魔法で、やさしくおいしい。何故かみんなワインをオーダーしたくなさそうなので、クスコ産のビールを飲んだ。

     今度、家で手製のセビチェや、お好み焼なんかのお国料理を作ろうということになった。楽しみである。
     
     

    km: アラメダ通りを行く左翼デモ

     そういえば今日はピノチェト元チリ大統領が捕えられて1年。セントロ(市中心部)では、左翼系のデモを見かけた。JICAからは注意を促す連絡があったので、小競り合いに巻き込まれないようにしないといけない。が、近くへ寄って、写真を撮った。
     


    991015 金曜日
    晴れ
     

     夕方まで、ノガレス北東部にある銅鉱山の見学ツアーに行く。一同、市役所の職員たち。
     19世紀中頃に開かれた銅山で、20世紀初めからはフランスの資本で開発が進められた。70年代からアメリカのエクソンによって運営されている。現地法人はDisputada(ディスプターダ)という。
     チリは言わずとしれた銅をはじめとする鉱業の盛んな国。ここは、国内でも中くらいの規模か。結構な割合のノガレスの住民がここで働いている。数値は略。

     JICAの国際協力プロジェクトでも鉱山の公害対策に関するものが多いように、この国は平均的にはそのあたりの整備が遅れている。作るばかりで、後始末しない。ごみのポイ捨てをよく見るが、観念としては同じなのではないか?
     ただしディスプターダの鉱山は、公害対策や生産技術はもちろん、安全管理も含めて総合的なレベルが高いように感じた。アメリカのスタンダードをそのまま入れているのかも知れない。

     今日からまた新しい同居人達が来た。今日は二人。フェルナンダとエステルという。来週月曜にまた二人。みんな、この間と同じ看護婦のインターン。今年の末までいることになっている。
     


    991014 木曜日
    曇り
     

     寒い。冬のような気温だ。

     朝、パンを食べていたら、いきなり下の前歯が欠けた。痛みや凍みはないけれど、気になって仕方ないので歯医者へ行く。うちの田舎じゃ不安だから、サンティアゴのJICAや大使館お勧めのところへ。
     午後の診察と治療。JICA事務所の協力隊担当現地スタッフのネリーさんが付いて来てくれた。この歯科医院の先生はわかりやすく話してくれるし、きちんと了解を得ながらすすめてくれるので、幾分かは不安だったコミュニケーションは、結局問題なかった。先週末に盗まれたか落としたかした銀行のカードが出来るのは来週で、治療費の立て替えが出来なかったのだが、JICA事務所の方でなんとかして下さった。
     治療の方は、削るのを最小に抑えて樹脂で付け足すだけにした。初診料12,000ペソにあれこれくっついて、しめて49,000ペソ余り。1万円近い。高いな。が、仕上がりは驚くほど良好。色も全く違和感なし。よかった。

     誰だかのビデオカセットが、連絡所にある。数年前の日本のドラマ「ロングバケーション」。隊員の間で、最近ちょっと流行っていた。僕はこのドラマ、見たことが無かった。仕事で遅かったから。
     筋としてはありきたりで、新しさは無い。が、細かな展開の飛躍に、登場人物たちの新人類らしい振る舞いや常識みたいなものが伺えて、同じく若い僕ではあるけれどなんだか新鮮だった。
     ともかく、山口智子の魅力が光ってた。僕には。最終回は来週見よう。

     ノガレスへ戻るバスで、井上靖「おろしや国酔夢譚」をひきつづき読む。深夜読了。
     江戸時代の商船漂流民が、ロシアからいかに帰還してくるかを描いている。映画にもなっていた。これは日本に帰ったら見よう。
     未知の世界、異文化のなかで適応し渡り合っていく様。そして、帰還後の理解されない孤独や、受け入れられることのない世界での生活。生き様に見る真理というような大層なものよりも、彼等の生きた現実そのものが、ともかく重い。
     僕は、比較するのもおかしいが恵まれている。僕のケースでは、「未知」とは全く個人的な事象で、なにもかもが理解しあうのを待っているような、そんな環境だ。国と国。人と人。見てはならないものもなく、してはいけないこともほどんどない。知ることの怖さもない。「未知」は好奇心や経験への欲求の源泉であれ、恐怖のもとではない。
     


    991013 水曜日
    曇りだったかな?
     

     サンティアゴ、JICA事務所にて、先週末すられたIDカードの再発行の申請手続き。それに銀行のカードの手続きも。で、仕事は出来なかった。
     今日はそれくらい。
     


    991012 火曜日
    晴れ
     

     午前中、チジャンのフェリア(のみの市)を見る。大変なにぎわい。ちゃんと建物のあるフェリアで、周りは祝日の野菜のフェリアが開かれている。どれも新鮮。ここはなんだか何でも小綺麗で、トマトでもきちんとピラミッド型に積んである。磨かれてぴかぴか。見ていてうきうきする。
     工芸品の店がまた多い。品質も高い。サンティアゴのものよりも、どこかあか抜けているように思う。ほんの少し高いが、いい物揃い。

     呼び込み合戦が凄まじい市場の食堂で昼食。サービスがたくさん付くけれど、席に座ったら呼び込みのおばちゃんの笑顔が消えた。ほとんど囚人扱い。この現金さを見よ。

     夜までかかってバスでサンティアゴに向かう。よく晴れて緑のまぶしい景色が続く。美しい。が、延々同じような風景だ。

     首都帰着。ジュキの家で、ごっちゃんと3人して食事。

     もともと一人旅の好きな僕だが、こうしてわいわい行くのも気軽でいいな。以前なら一人の方が気楽だと言っていたけれど。
     


    991011 月曜日
    晴れ
     

     海沿いのコンセプシオンから内陸へバスで向かう。ロス・アンヘレスの手前、パンアメリカン・ハイウェー沿いに「ラハの滝」がある。ラハ川の清流は、水量が多く、幅のある綺麗な滝に迫力を加える。

     次は北上してチジャンへ。ここにも二人の隊員がいる。人口は10万人を越えるくらいだが、結構な活気。楽しげで、しかも落ち着いた町だ。ここからアンデスへ行けば温泉リゾートあり、スキー場ありのいいところである。

     チジャンのカテドラルが、珍しくまともなモダンなので写真をたくさん撮った。これと同じアイデアのものが日本にもあったっけ。有名なのに思い出せない。

     夕食はこの町のアラブ人クラブでアラブ料理を。ビールによく合った。
     



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