Diary
    日々の記録



     
     



     

    km: アロンソとアニタ
    アロンソの誕生日に
    991010 日曜日
    晴れ
     

     朝7時、コンセプシオン駅着。夏時間の8時だ。
     ここはサンティアゴから南へ500キロ位のところ。第8州の州都。人口は約33万人。近郊の都市人口を含めると百万人を数える。
     ラフティングなどで世界に名を馳せるビオビオ川の河口に発達してきた町。33万では日本じゃ大したことのない規模だが、チリでは有数の大都市となる。実際ちょっとした都会。

     宿を決めて荷物を置いたら出かける。名物はここの国立コンセプシオン大学。チリでは3番目の名門というのは、ここで出会った先生による。彼は10年程前、筑波大学へ留学していたんだそうだ。非常にみんなから優しくしてもらった、いい思い出を持っていて、日本人と見れば、もう誰だろうと優しくしたいくらいらしい。見学中の我々を見つけると、ガイドを買って出てくれた。今日は仕事なのだそうだ。
     彼の案内で広く美しいキャンパスを歩く。ピノチェトによる軍事独裁時代の、学内の犠牲者のモニュメントが目を引いた。ここで銃殺にあったとのこと。今は平和で自由である。

     午後は北へバスを乗り継ぎ、海岸の旅。ディチャトという避暑の町まで行って戻る。途中の町では、カニを山積みにして売っていた。

     夜。同僚のアニタは、ここコンセプシオンの生まれ。帰省中で、彼のアロンソも一緒。夕食を我々3人と共にする。イタリア料理。
     そろそろ結婚かと噂をされてるぞ、とアロンソをつつく。
    「いや、明日、アニタの家族に言うんだ。それが緊張してね。あっちは待ってるのに、なかなか言えないんだよ」
    心臓をばくばくさせるゼスチャーを見せながら、照れていた。そうか。道理で最近アニタが「セニョーラ(婦人)」の風格を付けてきた訳だ。来年の1月、結婚するという。
     ごっちゃんは僕と同じ任地ノガレスの花卉隊員。花のアレンジもする。式にはブーケやコサージュ作りに活躍できるだろう。楽しみ。

     今日はMの30歳の誕生日。もりちゃんも、ついに三十代。おめでとう。

     今日からチリは夏時間に入った。時計は1時間進められる。日本との時差13時間は12時間に縮まった。これから3月まで、ちょうど半日の差となる。
     
     


    991009 土曜日
    曇り
     

     夜からサンティアゴを出て、旅行する。来週の火曜は祝日。月曜は市役所も休みになる。4連休になるというわけ。
     出発の前に、昼間はサンティアゴ市内をうろうろ。

    スリに遭った

     初めてのスリ体験だ。ついにやられてしまった。市内をうろうろ、なんてしなきゃよかったか。
     大統領府の隣のビルにあるファーストフードショップでおやつを食べている間にすられたと思われる。

     支払いを済ませてジャケットの胸ポケットへ財布を仕舞う。表通りに面して、人の少ない席で食べる。犯人はどこへ財布をしまったか見ていたのだろう。暑くてジャケットを隣のイスにかけてしまった。そのイスの後ろに背中合わせになった席へ、彼は座った。黒いジャケットを、僕と同じようにイスにかけた。ただし、彼の方は僕のジャケットにくっつくように自分のジャケットをかけ、自分もそこに座った。頭は薄かったと思う。覚えているのは、なんか怪しいなと思ったからだ。しかし、次の瞬間、僕は警戒するのを止めてしまった。財布も、どこへ入れたか、あんまり意識していなかった。
     かくして、僕は店を出て半時間ほど過ぎた頃、自分の懐の軽さ加減に気がついたというわけだ。いや、頭の軽さだと彼は言うかもしれないな。

     被害はカルネ(IDカード)と銀行のカード、現金約9万ペソ。それから仮払いの領収書2〜3万ペソ分。併せて実質11〜12万ペソの被害。2.2〜2.4万円。もちろん財布も。いつもは入れているクレジットカードは、旅行には要らないかと家に置いてきていたのが幸いした。おかげでそれだけは被害を免れた。

     警察へ行き、被害届を出し、証明書をもらう。銀行のサービスへ電話をかけて、カードを止めてもらう。被害に気がついてからここまで2時間くらいか。
     少なくとも僕の使っているBanco de Chileのカードは1日20万ペソまでしか引き出せないシステムなので、最悪でも口座の全額を引き出される恐れはない。(被害発生時刻に遡って全ての口座の操作を無効としてくれるかは定かではない)ただし、このカードを止める申請をするには、当然身分の証明がいるわけだから、カルネやパスポートの番号の控えを持っていないといけない。僕の場合、手帳にそういったデータをみんな書いてあったのでできた。
     カルネの再発行には警察の証明がいる。再発行には2週間から1ヶ月必要。ただしこれは、国際協力関係者用のカルネの場合。

     今後被害に遭わないようにするには、財布はズボンの前のポケットに入れるという、チリの常識を厳守する事だ。財布に鈴をつけたりするのもいいかも知れない。

     かくして僕は、るんるん気分で旅路に就くことになった。午後10時半、中央駅から出る夜行でコンセプシオンに向かう。チリ南部最大の町。今回の旅はジュキ、ごっちゃんと共に。
     ジュキに借金して出発。貧乏旅行を地でいくことになるのか?
     
     


    991008 金曜日
    曇り
     

     午前、ホアン・カルロス・ポンセという建築家が、メロン地区の体育館の設計変更に関する助人としてやってきて打ち合わせ。
     州政府として、設計の意図、あるいは仕様について、質問ないし変更の要請をする文書が届いている。入札の前に対応しなくてはならないが、俺では役不足と見た役所側の措置として、彼カルロス氏はやってきたようだ。40がらみの、設計者らしい、どことなく「理系」的で硬質な、線の細さを持った男だった。話振りはとてもソフトで率直。やりやすい。
     はじめは役所から信頼されていないという気がして、なんだか気分が悪かったが、まあ入札が来月に迫っていることだし、こちらとしては同じ建築家の人と共働できたほうが勉強になるから、これは歓迎するべきだということにした。憮然とするのは、おのが分をわきまえぬ慢心だ。

     結局、州には設計の意図をしっかり伝えれば問題なかろうということになった。設計変更には及ばない。
     ただ、このプロジェクトに関する心配ごとはただひとつ、いまだに構造計算が、概算であれ、なされていないということだ。簡単な建築だけあって、構造的な部分の不具合はすぐに設計全体の変更に結び付いてしまう。僕にはそんな大切な構造の検討という作業が、入札のあとに回されるということが信じられないし、不安だ。

     午後、カレラ市へスポーツ公園の図面のコピー。

     ビクトル、パオラの残りのインターン看護士、看護婦も、今日で去っていった。3ヵ月の実習を終えて。来年の3月に最終試験を通れば、晴れて看護婦、看護士となる。
     思い出にと、折り紙で作った花をくれた。

     来週にも、新しいインターンの学生が来るとのこと。この国に滞在して10ヵ月になった。いつの間にか、送り出す立場になっている自分がいる。しかし、そのことと地元に溶け込んでいるかということとは別だ。僕は未だ、このノガレスの一員に成りきってはいない。

     いったい、現地に密着するのが協力隊の理想だというような考え方って正しいんだろうか?というより、あるべき姿なのかな?ともかくも、僕は僕なりの地域や周囲との間のとり方というものが、この辺で出来ていくような気がするし、どんな形であれ、それはそれでいいかなと思う。ただし一方では、都市や建築を扱うに当たっては、専門的な知識とか分析に基づいているというだけの仕事には魅力はなくて、やっぱりその土地や人々そのものを規定するような、そんなものは、本気でそれと向き合わないと出来ないな、とも思う。向き合って出来るものではないのだけれど。
     
     


    991007 木曜日
    晴れ
     

     午前、メロン地区西部の端、山裾へ行く。住宅地計画の敷地へ、総合担当のクラウディアと共に。これは、例の250戸のプロジェクトの方。Union(ウニオン)と計画名を呼び習わされていることがわかった。
     街区の配置や道路計画、緑地計画などは終わってしまっていて、それがまた退屈なものだということは以前書いた。ところが、敷地自体は素晴しいものだった。全体は緩やかで滑らかな斜面で、勾配は5%足らず。この付近の土地が全てそうであるように、木らしいものはほとんど低いアカシアの類だけ。西に低山、東にメロンやアセンタミエント、ガレトンの平野を見下ろした広い原野である。日本なら高級な部類の住宅地として開発されるはずだ。ウニオンは大所帯なので、まとまりに欠ける、仕事のしにくい相手だと総合担当のクラウディアはいうが、こと住むだろう場所に関しては、素晴しいところを射止めたものだと思う。

     先日やっと郵送されてきたインターネットの利用料金を、今日初めて支払う。町に一つだけある銀行の出張所で行える。
     同僚の協力隊員たちからもよくよく聞かされてきたように、やはり請求書に誤りがある。何と契約内容が違うのだ。パソコンで処理したと思われる契約書をもらっていたのだが、その内容と違う名のコースで利用したことになっていた。本来僕が契約したものとは違う従量制の半額のコース。結果として安くすんでいるからそのままにしておく。
     もうひとつ謎なのは、契約自体は3月で、ひと月の無料期間を考えても、今回の第1回請求が8月分からというのはどういうことかということ。どんな顧客管理というか、利用状況の管理をしているんだろう?

     この手の話はよく聞く。ひどいのは、誤った多額の請求額が記載されたものが来ることもあるってこと。抗議してもなかなか対応してくれなかったり、返事はいいのに翌月も同じ様なのが来たりというふうに、結構みんな苦労している。僕の場合はうまく転んだ。

     アセンタミエントのスポーツ公園の基本計画の平面図を夜半までかかって描く。週末は旅行だから、今のうちにやっておかないといけない。

     帰宅。同居していたベッツィとスサナのインターン看護婦ふたりは、すでに家を出ていったあとだった。
     
     


    991006 水曜日
    日が差すこともあり
     

     午前、午後とも、アセンタミエントのスポーツ公園のスケッチ。少し焦りながら。時間的にも、能力的にも。
     というのも、公共事業課のアニタ課長によると、近日中にうちの企画調整局へ新しく建築家が来るという。住宅地計画の住区計画をした人だ。あれはつまらない設計だったけど、ともかくチリ人の専門家が入るのはいいことだろう。だが、正直言って僕の位置付けがどうなるものやら心配になる。これは、全く卑屈な根性だ。

     スケッチをしつつ、自分の力量の無さにあきれる。なにかしらの案は作れるし、なんとか物事も進むだろう。しかし、僕だって一介のものづくりであるからには、「作り出す力」とは別に「ものを見る力」もあるつもりだ。それは、僕の場合作り出すほうの力よりも先行して育っていく。
     本当にものを見ることができる人は、何がどういいか、いけないか、どうよくなりうるか、などなど、そういったことをクリアにできる。建築の場合、少なくともそういうしっかりした目を持っていたいものなのだが、僕にはそこまでの眼力は無いのに、作るものにはまるで満足できない。このスポーツ公園のプロジェクトの全体計画が、どこまで有効に引き継がれながら実現されていくかは、非常に眉唾ものであると言い切ってもいいけれど、建築家がある種の夢を引き出し形にしていく職能だとするなら、今はまさしくそういう仕事を要求されているのではないか?

     昼食後、自宅に戻って休んでいるとき、ふと手にとった「新建築」誌の9月号の記事がよかった。「連載 戦後モダニズムの軌跡・丹下健三とその時代 15」。建築史家の藤森照信氏の聞き手による、建築家、菊竹清訓氏へのインタビューだ。
     丹下も菊竹も、老いたとはいえ、とにかく偉大な建築家であることに異論をはさむ人はいまい。偉大とは、また下手な言い方だけれど、有能であるとか歴史に名を刻むなどというよりは的確だろうか?
     戦後、と冠した記事だから、話題は当然菊竹氏の駆け出し時代のことになる。日誌だし、詳細は書かない。評論などもできない。ともかくも、彼や彼の周囲の熱く真剣な当時の意気に触れて、反省した。と同時に、実に爽やかな気分になった。

     結論から言って、僕はこのプロジェクトに対して、本当の意味で望ましい設計をし得ないだろう。けれど、僕の今の立場を自覚し感謝もすると言うなら、なんとかもがいた痕跡くらいは残せるはずだ。この間のプレゼンテーションのときも会食を催し、苺をプレゼントしてくれた、あの心やさしいカンペシーノ達に報いたい。

     こう考え、決意するとき、新しい建築家が来るというのは、僕の立場うんぬんなど考えないで、よりいい仕事をしていけるチャンスにほかならないと思えるようになる。もし、彼がとんでもないやつでも、彼を通してこの町の、この国のこと、建築のことを知るチャンスになることは間違いがない。たかだか2年だ。なんでも実験のつもりでやっていこう。

     夜、買い物しておいた食材でカレーライスを作った。これまで3ヵ月ルームメイトだった4人の看護実習生達が、この金曜でプログラムを終えて大学に戻るから、お別れ会だ。
     うまくできたと自賛。みんなもうまいとほんとに言っていた。が、ジャワカレーの中辛は、辛いものに慣れていないチリ人にはきついらしい。日本人に対する、チリとチリソースが関係ないと分かってもらうための、ひとつのエピソードになる。

     芸者にみんな興味があるらしく、あれこれ聞くので、昌妓にまで時代を下って話す。杉浦日向子の漫画「ふたつ枕」をもってきて説明。接遇するためのプロということと、いわゆる売春、買春ということとの間の日本なりの距離のとり方というのか、そういうのを見てほしかった。ま、いずれにせよ僕だって理解してないけど。
     で、看護婦と看護士の卵の彼等、チリの避妊事情を教えてくれた。まとめると、ポイントは次の通り。
     

    • 男性(特に若い人)はコンドームを嫌う。
    • ピルはかなり普及している。
    • 男性は子を認知するのを嫌う。平気で「ちゃお(ばいばい)」だそうだ。すごい。
    • 子供がいらなくなったら、「T」と呼ばれる子宮内に挿入する避妊器具を利用する女性が多い。(子持ちの女性の90%位じゃないか?だって!)
    • カトリック教会が認めていなくても関係なく、普及するものは普及している。


     子持ちの女性が狙い目か?
     協力隊にあるまじき言動。撤回!とにかくびっくりしたのだった。
     
     


    991005 火曜日
    曇り
     

     太陽が恋しいよ。なんで曇りばかりなんだ?例年こうじゃないと思うが。今度聞いてみよう。

     午前、地域振興課のクラウディアの所へ行く。ふたつの住宅地計画の件を打ち合わせ。彼女はとてもいい人。僕より少し若いが、落ち着いた物腰で、ちゃんと人の話を聞ける。言葉が出来ない僕にはとてもありがたい。
     ピアスなどには、好んで太陽や月を象ったものを身につけている。前に聞いたら、それは彼にもらったとのこと。大柄で、明るく暖かな面立ちにとてもよく似合う。

     昨日出した写真の受取と図面の青焼にカレラへ行く。写真は数こそあるが、もうひとつ。トリミングなしで、いい写真というものを撮ってみたい。

     午後、先月設計案を決めたフアン・ルスケ学校(義務教育)の、modificacion、つまり設計変更に関する会議。校長など関係の人々が集まって、選定案に対する変更の要望を設計者に伝える。今の時点で、教室数や視聴覚室を付け足すなどの意見が出て、通ってしまうのが分からない。入札の要項を定める時点で固めるべきかと思うが。柔軟なのは見上げたものだ。予算や工期は大丈夫なのか?そのあたり、これから観察していかないと分からない。説明を求めても、何故僕が疑問を持ったかが理解できないだろうし、それを説明できる語学力が僕には無いから。

     友人からのメールを読むのは楽しみだが、今日は心配な、残念なものも入っていた。ちょっと出すぎと思ったけど、横について歩いているようなつもりで、励ましの返事を書いたつもり。

     夜。やはり曇っている。昨日書いた手紙、出しそびれてしまった。不覚。Hさんは、日本で祝いの名月を眺めることが出来たろうか?
     ああ、残念な。

       
      月いづこ鐘はしづみて海の底 (芭蕉)


     月は昼間にでていたのだろうか?影さえ見えず。昼に出ていたのなら、ほんとうに「海の底」だ。今ごろ地球の反対側で輝いているのだろうか?
     こちら、チリ中部の田舎町ノガレスは春の初め。誰も月を愛でる人はない。
     
     


    991004 月曜日
    曇り
     

     建築の、あるアイデアコンペの登録証が届いた。国際コンペだ。請求していた。
     時間的に苦しいが、なんか挑戦してみたくなったので。苦しいのは時間じゃなくて実力かも。

     これまでやってきた仕事のリストを書き出した。いつまでかかってるんだ。まあええやないの。どう表にするか。局長のアロンソに、それぞれのプロジェクトの様子を聞く書類を作らねば。

     夜はカレラへ。今日はリディアの家へ行く。ネリーとはいいコンビのおばさん。最近アリシアの姿を見ない。仕事が忙しいせいもあるが、心配な状況だ。
     ネリーさんはよく喋る。でも、なかなか透徹した考えをもっていて、話を聞くのは楽しい。

     就寝前、訓練所で同室だったHさんへ、手紙を書いた。去年の明日5日は彼の大切な記念日なのだ。残念ながら派遣にならなかったが、今はどうしているだろう?手紙を書きつつ、彼と日本酒を酌み交わしたくて仕方なかった。
     去年のその日は中秋の名月、その日でもあって、いや毎年そうなのか?知らない。とにかく曇りだったのだ。明日は晴れるだろうか?
     
     


    991003 日曜日
    曇り
     

     午後、買い物。ジーンズを買う。リーバイスの505。この数年、インディゴのジーンズを履いていない。薄い黄色とか、薄いローズだったので、久しぶりだ。できればボタンフライの501がよかったんだけど、色が好きなのが無かった。

     今日はそれだけ。もう少し有効な休日の過ごし方をせねば。
     
     


    991002 土曜日
    曇り
     

     それほど寒くないいちにちだった。Tシャツにトレーナーで出かけた。サンティアゴのラス・コンデスに、アプマンケというモールがある。見て回った。比較的古く庶民的な雰囲気だが、書店が多いのがいい。ここには昨日行ったデザイン関係の書籍を扱う店のコントラ・プントもある。買い物する。

     なんか煮つまらない休日の過ごし方だな。生活費がもっと支給されないものか。で、レンタカーなんか借りて出かけられればいいんだが。協力隊は、規則でそれを禁じている。ああ、暇だよ。
     
     


    991001 金曜日
    薄曇り
     

     隊員連絡所で隊員報告書づくり。しかし忘れ物をしてしまい、今日狙っていた提出ができず。間抜けな。

     仕方ないから書店へ。今度住宅を設計しないといけないからそういう関係の本を探す。
     プロビデンシア通りにコントラ・プントという書店がある。小さいが、建築を初めデザインに関する書籍を揃えている。最近の日本人は本を読まないと言うが、チリに比べればまだまだ。こっちは本当に読まないのだ。そんな状況では、ここは非常に貴重なスペースである。

     チリにも建築雑誌がある。そのひとつがCA (ciudad/arquitectura 都市と建築)である。日本にA+U (architecture and urbanism 建築と都市)というのがあるが、同じようなタイトルでおもしろい。チリ建築家協会の機関誌ということだが、枠にとらわれず国内の建築シーンを広く取り上げている。少し薄いけど、内容はまあまあか。
     今日はバックナンバーから、チリの建築ビエンナーレ特集号と集合住宅の特集号を買った。経済力の無い国なので小品が自然多くなるが、この雑誌を見る限り、それなりに現代建築の作品として見るに耐えるものはある。というより、ああ、チリにも建築してる人達がいるんだなあということに安心と喜びを覚えた。と同時に、僕の働いている地域のような一般的な所には、そんな建築家達も、評価できる人もいないというアンバランスさが意識された。日本だってそうは変わらないけど。でも、数的なレベルが違うからなあ。
     
     


    990930 木曜日
    曇り
     

     寒い曇り日の下、午前中はカレラへコピーをとりに行く。ついでに買い物して帰る。

     午後、先日来のとは違う、もう一つの住宅地プロジェクトの件で、DIDECO(地域振興課)のクラウディアのところへ。打ち合わせ。
     こちらは40世帯で、街区や道路の計画から取り組むことができるが、どのみち大変厳しい予算の貧困者用住宅地である。このような住宅はvividenda progresivaとかvivienda basicaなどと呼ばれる。
     今日打ち合わせた計画も同じく組合を作って運営させていくもので、コミテ・サンタ・マルタという。土地の購入時のトラブルで、今日まで8年間足踏みをしてきた。地主が条件に合わないことを隠して売ったことが原因らしいが、それは買う側の確認が甘かったのではないかと思う。ともかく代わりの土地が手に入ったから、計画は動き出した。

     夜からサンティアゴへ出る。
     
     


    990929 水曜日
    快晴
     

     日差しが強い。服の上からじりじりと焼けるようだ。チリ上空のオゾン層は薄くなってるという噂は本当か?紫外線など、エネルギーの高い光が多く含まれていそーな雰囲気はある。しかし、大阪と太陽高度がほとんど同じでもこうも違うとは。おそらく湿度の差だと思うのだが。

     午後、2軒隣のカタリナの家へ、ごっちゃんと訪ねる。一昨日、月曜日、27日はカタリナの誕生日だったことを知ったので、二人でプレゼント。あいにく不在。

     そのカタリナの父親ラモンさんから、今日も頼まれごと。彼や彼の一家は熱心なエバンヘリコ、つまりプロテスタントなのだが、今度ポリゴノ地区にプールのある公園を教会で作ることになったのだそうで、そのデザイニングについて何か手伝って欲しいとのこと。
     宗教の、公益に資するところの活動に関しては、ことチリのプロテスタントなら協力してもいいと思う。別に宣伝の為でなし、僕も仏法者らしい精神で手伝おうか。なんて、おおげさか。

     この調子で安受け合いを続けないようにしないといけない。ないようで仕事はある。あんまり忙しくては協力隊らしさに欠けるではないか?

     夜、アセンタミエントのサッカークラブへ。集会。9月8日の集会でプレゼンテーションした、クラブの全体整備計画案について、一定の周知期間を置いたので、ここで地元のクラブの人達から意見を聴取。次は更に練った案を見せる。2週間後とのこと。
     ひとしきり話したら、前回に同じく、またアサードとワイン。昨日から二日連続だ。アサードはてきめんに太る。すでにズボンのボタンが苦しくなっているもの。明日が心配。

     それにしても、みんな気のいい人ばかりだ。なんと暖かだろう。見習うこと多し。

     小箱いっぱいのいちごをもらって帰る。春だ。
     
     


    990928 火曜日
    曇り、後快晴!
     

     正午前から快晴。またもとの青空に戻っていってくれるのか。

     いやはや、この国へ来て10ヵ月目。この町に来て8ヵ月目。なんだかそろそろ故郷が恋しくなってきたか、このところ何かあると心弱くなりやすい。天気がまた、てきめんに来るのだな、精神的な部分に。
     外面のいい僕は、自分では外に出さぬようにしているつもりだし、耐えられぬほどの辛さでもないから、どうであれ迷惑もかけずに過ごしていけるのだけれど、この辺で鍛えられる時が来たかというところだ。
     単調でなく、しかし大抵の日が晴れやかであるようなら僕は元気でいやすい。お天気の神さん、どうぞよろしく。

     午前、カレラの友人、ネリーおばさんのところへ行く。いつも行く家。今日は、彼女の相談にのってあげるために来た。
     彼女の家は決して裕福ではないが、いろいろと訪問客が多い。そこで敷地の奥に「ゲストハウス」を作りたいのだそうだ。「建築家」として、いわゆる「間取り」程度の基本計画を考えて欲しいとのこと。
     敷地は間口6メートル、奥行き30メートル程度の細長いもの。表は大通りのJ.J.Perez(ホタ・ホタ・ペレス)通りで、息子のホルヘが菓子屋をしている。店を抜けると、次は娘のモニカが「ウオノメ、タコ」の治療院をしている部屋。さらに奥にダイニング・キッチンとバス・トイレ。その奥は庭、いわゆるパティオだ。
     パティオの真ん中に2階建の寝室棟があるが、ゲスト・ハウスは一番奥に作るという。
     こう言うと、立派な家かと思うかもしれないが、非常に粗末な家である。ゲストハウスをデザインするといっても、その辺をわきまえて考えなければならない。

     簡単な計画をしてあげれば、後はなんとか自分で誰か雇って作るそうだ。タイルなんかは、今までも自分で張ってきたのだと。「私、こういうの大好きなのよ!」と元気に言っていた。

     ここでコピー屋へ寄る。大型コピーなど何でもできるみたい。本の複製を作ることにかんして、この国はよく発達している。住宅地計画の資料を複製する。いずれも、貧困者向けの住宅プロジェクトに関するもの。日本ではちょっと貴重ではないか?

     昼食はカルメンの家で。今日は我が企画調整局の秘書、エリアの誕生日のお祝いだ。41歳になった。豚のアサード(巨大バーベキュー)は僕が庭で面倒を見て焼いた。
     プレゼントは、カレラへ行ったついでに買った小さな熊の人形。彼女には小さな娘がいたから、彼女が喜ぶかと思う。革の飛行服を着た、なかなかかわいいやつだ。

     夜、ご愛敬で買ってみた、少年版の「ドン・キホーテ」を読む。なんかおもしろい。さて、最後まで読めるか?
     
     


    990927 月曜日
    曇り
     

     まだ仕事は手待ち。メールなどを書いて時間を潰す。

     夜、カレラの友人宅。

     深夜まで日記書き。
     ネットにアップした分の文字化けを直さないと。みのべさんの教えをもとに、なんとかしたい。

     家には電話が無い。いつも役所か隊員連絡所から繋いでいる。
     日本じゃ電話無しなんて考えられないが、協力隊ならよくある話だ。これがどういうことを意味するかというと、それは人によりけりだろうが、僕の場合、チリ人の友人が少ないということにつきるだろう。あらゆる意味のしがらみが無い。日本語が周囲に分からないのをいいことに、時々くらいは役所からの私用電話は許されると思っているので、日本人の仲間との連絡はなんとかなっている。
     ここは、日本ほどではないにしろ携帯電話がかなり普及している。その気になれば使ってもいいのだが、踏み切れない。
     



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