Diary
    日々の記録



     
     



     
     km: ルーブルにて ニケ 
    過去の日記から 
    990926 日曜日
    曇り
     

     午後、国立美術館へ。ただ今の目玉は「ピカソのトロ」展。マグロじゃない。トロとは、スペイン後で「牛」のこと。牡牛だ。「牛で辿るピカソ」展。
     僕なりに言ってしまうと、「落書き」作品が多い。で、その分楽しい。スタイルの変遷を辿るのは、ピカソ鑑賞の楽しみの一つだろうが、テーマはとにかく「牛」ひとつなのだ。そこから、力強い多様な作品が、かくも多く執拗に産み出されていることにとにかく感嘆する。ミノタウロスよろしく筋骨たくましく、精力絶倫だったピカソらしい遺産だなあ。と、こう書いただけでは下衆に過ぎるか。

     夕刻、所用を住ませて食事。昨日の韓国料理に続いて、今日は日本食。夕飯は「納豆」づくしとなった。
     あ、昨日買ったカリフォルニア産の清酒も飲んだな。これはまずくないが、しかし何もうまくない酒だった。うま味が乏しい。辛口と表示された「白山」。次は甘口にしよう。幾分味があるだろうし。ワインのフルボトルサイズで4,500ペソである。900円。安い。
     
     


    990925 土曜日
    曇り
     

     サンティアゴの中心部、つまりセントロから真直ぐ北へ行ってマポチョ川を渡ったところは、パトロナトと呼ばれている。衣服や靴、鞄を売る店がかなりの数、軒を並べている。韓国系やアラブ系の移民の店が多いという。その中にある、韓国料理屋の一軒に入って石焼ビビンバ(ビピンパ?正しくはどういうのか?)等を食う。うまい。5皿も付け出しでキムチが出る。これはサービス。ビビンバ自体は3,500ペソ。約700円。
     中華料理屋よりも、食べていて喜びがあるのは何故だろう?単に好きだから?あ、そうかもな。とにかく「懐かしおいしい」のだ。韓国料理は。

     さらに韓国食材店へ。ここでみのべさんに送る韓国のインスタントラーメンを買う。ひとつは僕も食べたことがあるものを選んだ。これはラーメンとは言わないのだろうが、なかなかにうまい。なんて麺なんだろう?ラーメンとうどんの中間みたいなものだが。これらと、チリの産品を何か一つ入れて送るつもり。

     さらに歩いてサンタ・ルシアの工芸品市というか、蚤市というか、へ行く。

     夜、チリの友人の誕生日のお祝いへ。セントロの外れにあるバー。ギターと歌をやっている。ラテンの歌は味がある。時にクエカを弾き、歌い、踊る。僕も何故か踊った。
     今日の主人公、アレハンドラは静かでやさしい女性だ。三十路も半ばになった。ボーイフレンドのことをここじゃポロロというが、いないのかな。いい子なのに。それにしても、仲間たちは皆楽しく、優しいひとばかりだ。

     今日から、ちょっと元気になった。
     
     


    990924 金曜日
    曇り
     

     春分以来、曇り日が続く。寒い。陰気な春の始まりだこと。

     Kへの手紙は、同封用の写真のプリントアウトが遅れてしまい、今日発送した。僕の両親への礼状も出した。郵便局員は昼からメロン地区へと仕事場を移すから、急いで書き上げる。

     暇だ。仕事は手待ち。報告書の準備もそこそこで、時間になった。

     迷ったが、今週も家を空けることにした。落ち着かない気持ちでサンティアゴへのバスに乗り込む。

     夜早い時間の長距離バスは、帰宅なのか出稼ぎへ向かうのか、働き盛りの男たちで満員になる。明りが消された薄寒い車内は、一種荒んだ疲れが淀んでいる。荒い運転と、暴力的な響きのディーゼルエンジンの音。隣の男がでかいペットボトルのコーラを勧めてくれた。一口あおって礼を言う。
    「もういいのか?」
    「ああ」
     今日は眠れなかった。どこまでもつづく曇天の闇の下、あっけないほど真直ぐに伸びたパンアメリカンハイウェーを南へ走るバスの車内で僕は、ずっと宙を見つめていた。
     
     


    990923 木曜日
    曇り
     

     協力隊員たるもの、半年ごとの活動報告書の提出が求められている。第2号報告書の作成にとりかかることにする。
     2号から、業務報告をすることになる。手探りから始めたし、生来無精なのも手伝って、それぞれのプロジェクトの管理をしているとは言えない。とりあえず手帳の記録と日記を手がかりに、小さいのも含めて、すべての仕事の流れを表にしていく。
     やってないようで、数だけはあるなあ。仕事。しかし、あれからどうなったんだろうか?というような計画の多いこと多いこと。パソコンで一覧にしたら、企画調整局長のアロンソに、全ての計画についてその現在の状況を書き込んでもらおう。

     数ヵ月ぶりに日記を更新するが、何故か文字化け。あーあ。なんで?

     夕刻、散髪。ネルダという、前も行った店だ。おばさんが一人でやってる美容院。覚えていてくれた。ペソが弱いからか、物価はことごとく上昇しているが、ここの料金は前のままだった。1,300ペソ。約240円である。最近円高でペソ安だから1円はほぼ5ペソになってしまった。

     夜、カレラの友人宅へ。とある用件のため。おばちゃん二人と、工作の時間になってしまった。楽しかった。

     心の弱いとき、穏やかでないときは、静かにしているのもいいかもしれない。けれど、より前向きでありたいなら、進んで人と会うことだ。元気をもらうというよりも、自分を引き上げるために。
     世界が個人の中にちじこまって行こうとするときに、それを反転させてみる。自分のことを励ませないなら、他者を励ませ。手伝え。そのほうが、よっぽど自分の為になる。いつか近隣のHさんが、「嫁さんにそう言われたけどほんまやで」と言っていたが、僕もほんまそう思う。僕も奥さんに倣って、今日のような日はそうするようにしている。
     
     


    990922 水曜日
    曇り
     

     昨日に続いてどんより、そして寒い。

     午前、クラウディアのいるDIDECO(ディデコ、地域振興課)へ。住宅地計画について打ち合わせ。
     まったくあきれたことに、住区計画は既になされていたとのこと。市長だって知っていたようだが、この間の会議ではすっかり忘れていたらしい。みんな口を揃えて、退屈な貧困者向け住宅地を、ケン、なんとかしたいんだ。新しいアイデアを吹き込んでくれ、そう言っていたのだが。
     とにかく、その図面をもらって、市長に変更の可能性はあるのか、その点重要だから確認しようということにした。
     どんなに住戸を工夫しようと、せっかくの住区の計画をいいかげんにしていたら、町の魅力も何もあったもんじゃない。いや、実際、最低な設計だったのだ。
     最悪の場合、僕が担当できるのは住戸だけとなる。片手落ちになりそう。しかし一方では肩の荷が降りたようなほっとした気持ちがあって、我ながら情けない。

     午後遅く、調整員のS氏が来訪。出張のついでにと郵便物を置いていった。9月初旬からのものが溜まっていた。
     母から書籍、手紙、新聞の切り抜き、それから煎り胡麻!すごい匂いをさせている。恥ずかしいが、うまそうだ。
     親からの手紙はいいものだと思う。一般に若い人は親の話をしたがらないが、異郷で手紙を読みつつしみじみするのは、なんかたまらんいいね。両親ともに元気。なかなかの溌剌ぶりのようだ。僕はあなたがたの永遠の子供。あなたがたは僕の、目にいれても痛くない、そんな親ですよ。

     母から送ってもらった雑誌を読む。朝の一件とは関係ないが、僕には珍しく心穏やかになれないでいた今日だった。なにか心新たにするためには、これを読むのがよかろう。タイミングが良かったと思う。そんな雑誌である。

     Kからの葉書2通、手紙1通も入っている。どうにか回復してきたようだ。相変わらずの汚い字は、さらに乱れていたが。
     彼への恩義に報いたい。夜、手紙を書く。今の僕には、それくらいしかできることがない。郵便がほぼ間違いなく届くチリで良かった。一度行方不明になったことがあったが、今度はたのむぞ。
     

     日記の友人へ昨日、日記調でメールを送った。以下、許可の上引用してみる。
     

       僕のほうは元気でやっている。同期の仲間もそのようだけれど、まもなく渡航して以来10か月。中弛みにもなりがちだ。もう一度仕切直すように、ひとつひとつ大切に始め直したいと思う。健康であり、しがらみもほとんどない今を、悔恨のなかに捨てるようなことはしないように。

       ここで見聞きしたことについて、また仕事だのについては、あくまで個人として好きなように「日記」に書いていけるけれど、結局のところ僕は僕のために書いているつもりで、そうなると、ほんとうにごく私的なことについて、あるいは他者との様々な繋がりについて、もっと突っ込みたいという衝動にかられてしまう。永井荷風などは、日記「断腸亭日乗」を私生活を含め記述して世間に出しているが、僕はプロの物書きじゃない。なんだか憧れてしまうが、もとより出来ないはなし。素人のネット日記書きの、幼いジレンマだろうか?

       いろんなことが、振り返れば大切なことが、日々の暮らしのなかでたくさんあって、それらのごくあたりさわりない一部を、後日自己を辿りうるように編集して書いていく。そうするなかで分かったのは、こうして日記をまじめに作っていくという作業は、書いたことはもちろん、書かなかったことについても、日々確認し、見送る作業を兼ねているということ。見送るには惜しいことが、ここ最近多かったからよく分かった。

       少なくとも、僕の日記の書き方ではそうだった。


     こう書いたら、今日、なんか元気ないみたいだぞ、との指摘が返ってきた。
     自分じゃ分かりにくいけど、沈んだトーンは伝わるものだ。文章でさえそうなのだから、声には、表情には、よりはっきりと現われているのだろう。
     僕は繕わない。こんな時もあるさ。が、ちゃんといい顔に戻って見せる。それは、戻すのは顔だけじゃあないってことだ。

     こういう感じでどうでしょうか?>ナ
     
     


    990921 火曜日
    曇り
     

     寒い一日。もう寒の戻りはないと思っていたのは間違いか。もう冬のそれではないけれど、低く垂れ込めた雲と、薄くかかる霧。日本の春のそんな様相よりも単純で、しかもさむざむとしている。
     今日が春分だという。

     終日仕事らしいものはない。全て手待ちだ。メールなど書いて過ごす。

     先日のトルコの地震に続くように、今度は台湾中部で強い揺れ。日本は、マイアミと同じく秋の台風。チリから見ても、今年は災害が目立っている。東チモールの情勢はどうなったろう?キルギスタンの邦人ら致事件のその後は?気になる事件、情勢も、遠いチリでは当然普段のニュースにはあんまりでてこない。
     そのうち、ここにもなんらかの天災が降りかかるかも知れず。「人災」という言葉はチリにはないのか、ここの市は備えが無さそうでどうにも不安だ。なにかしなければという思いと、なにも出来ていない自分がいる。

     我がノガレス市役所の建築家ベルナルドが、夜遅くの便で北海道へ旅立って行った。JICA研修へ参加するためだ。約2ヵ月間、県庁関係の一部署が行う南米向けの土木行政セミナーを受ける。定員は5名だった。いずれも国ごとに1名ずつしか割り振りのない、なかなか凄そうなプログラムだ。自分で推薦しといて何だが、よくうちのような田舎の役所から出られたものだと思う。これには、東京、京都などへの旅行もある。ひょっとしたら、僕らもやった協力隊の語学交流会への参加もあるかも。
     彼は学校時代、大学も含めてアメリカで過ごしているが、そんな教育のあるチリ人に、是非、東洋的な文化に触れてきてほしかった。たとえ半端な日本でもいいから、世界は多様だなあと感じてきて欲しい。
     昨日いなかったせいで、見送りの挨拶が出来なかった。ああ。なんかメッセージくらい置いていってもいいんじゃないの?彼も推薦してもらっといて、寂しいぞ。土産に期待してるからな、聞いてるかあ?ベルナルド。
     
     


    990920 月曜日
    晴れ
     

     今日も快晴。書店にて資料書籍を購入。ついでにチリの建築作品集を買う。近代以降のチリの教会建築に関するもの。それからさらについでに、ケネス・フランプトンの近代建築史の本を。GGから出ているスペイン語版。英語の原書よりもあえてこちらを買う。首都にはこういう本もちゃんと売っている。

     午後、久しぶりにサンクリストバルの丘に友人と登った。冬の間濃かったスモッグは、だいぶ薄くなったと思う。
     月曜だというのに、意外なくらい静かな下界。日本なら、ごおっという都市の音がするはずだ。

     明日は天気が崩れる予徴か、夜から少しずつ冷えてきた。春だというのに心寒い。
     
     


    990919 日曜日
    晴れ
     

     めちゃくちゃいい天気。半袖でないとだめだ。
     昨日が独立記念日なら、今日は軍の日。サンティアゴのオヒギンス公園で軍事パレードがある。出店も多い。友人達と繰り出す。

     午後2時からのはずだが、進行が冗長で、大統領が何千かの兵士の前を馬車で通って席に着いたのは、もう3時くらいだったか。
     気温は27度くらいはあったろう。日焼けが痛くなってくる。日射病か、倒れる兵士がいた。同情するよ。

     謁兵の空間の後ろに鉄の網のフェンスがあって、観衆を隔てている。フェンスを境に、僕のいる側は、もう秩序なんてない、てんで好きなことをして遊んでる万を数える人々。これだけ混みあっているのに、凧がまた数え切れないくらい上がっているのだった。そしてフェンスの向こうは整然の極致。対比がおかしい。

     今の政権はコンセルタシオンと呼ばれる中道と左翼の連立・合同によって運営されている。先代の大統領エイルウィンの功績だ。彼が1973年以降続いていたピノチェトの軍事独裁政権を国民投票で不信任にした。
     ただ今、ピノチェト元将軍、現終身上院議員は、スペインから追われてイギリスで囚われの身である。今日は軍の日だから、観覧席の招待された人々は当然ピノチェト派が多くなるようで、イベント中、時折ピノチェトコールを起こしたり、横断幕を張ったりしていた。その度、フェンスのこちら側は、激しい口笛を返す。これが楽しげなので、賛同やらブーイングやら判然としない。
     どうも、なにかの抗議とおぼしい煙も、すぐ近くから上がった。ちょっと不穏。

     夕刻、ベジャビスタへ行って食事。
     
     


    990918 土曜日
    晴れ
     

     全チリあげて、今日はお祝いの日だ。1810年のこの日、チリはスペインから独立したからである。独立の日、祖国の日、などと呼ばれる。さらにディエシオチョとも呼ばれることが多い。18日、ということだ。
     日本でいえば、正月に当たるようなお祝いムード。で、世間はとても伝統的なもので溢れる。凧を上げ、こまを回してというとまるで日本だが、どっこい南米もこんな風俗があったのだ。同期のコロンビアやボリヴィアの友人からも、同じ話を聞いている。

     午後、メロン地区の東のアセンタミエントへ。ここに、メディア・ルナがある。半月という意味。ようするにチリ式ロデオの競技場だ。
     先日も来たけれど、やっぱりこの日に行われるロデオは特別だ。
     今日は、ごっちゃん、ゆきえさんと一緒。同じノガレスで働くごっちゃんは、今年は地元でお祝いしたいという。僕も同じだ。ゆきえさんは赴任して間もない上、田舎過ぎてあんまりいいイベントが無いらしいから誘ってあげた。

     ロデオの競技中のウアソ(カウボーイ)達は、本当にかっこいい。男、を感じさせる。

    (後日画像)

     夜まで食事したりロデオ見物したり。ちなみに今日のロデオは有料。800ペソ。200円である。
     夜からクエカが始まるようだった。食事と踊りの空間には、葉っぱで屋根が葺いてある。ラマダという。ここで食べ、飲み、しゃべり、踊るのだが、帰らないといけなかったのが残念。
     
     


    990917 金曜日
    快晴
     

     おお、寝坊。起きると10時を過ぎていた。

     明日は独立記念日。チリの正月。あさって19日の「軍隊の日(JICAの訳、無粋だなあ)」と続いて祝日にもなっている。で、今日は11時から当市のスタジアムにてパレード。スタジアムといっても階段席があるくらいのもんだが。
     役所も今日は正午までだし、行ってみる。

     こんなに人がいたんだなあと感心するくらいの人出。ノガレスとラ・ペーニャ地域の全ての学校の生徒が行進する。
     メンバーを選ぶのか、そういうクラブがあるのか、ちゃんと組まれたマーチング・コーもある。バトンを降る姿にはいつもののんびりした雰囲気は無くて、なかなか凛々しいものがあった。
     その他、小学生相当の子供たちによるダンスがあり、大人はクエカの楽団付ダンス、また消防団、馬に乗ったウアソ(カウボーイ)達の行進などがあった。結構楽しかったなあと思う。

     おもしろいのは、行事中の子供達。日本だと、まあ日本人だってどうかと感じていると思うが、気味の悪いくらいちゃんと整列しているものなのに、こっちはもう全く自由で、なんとなく固まってるだけ。動いてない子は出しものを見ているからで、そのほかの子は走り回っている。これでちゃんとマーチングみたいな、軍事教練的なことをすることもできるのだから、日本とは何かが違う。

     少なくともチリの場合、いわゆる不良グループは日本よりも割合としては少ないと言えるだろう。網の目のような常識や規制やなにかの制限の中で反抗して見せるのが日本の不良の典型だとすると、チリではそういうものが元から「ざる」みたいにすかすかで、しかも個人によって幅もばらつきも甚だしいから、若者はのんびりしていられるのではないかと思う。僕の経験では、チリでは一度も「暴走族」「やんきーの兄ちゃん」的な(日本的な?)若い人を見たことがない。「パンク」はちょっといるが。
     ただ、それだけでは済まない。どんな小さな子でも(3歳くらいでも)夜中まで外で遊んでいて普通なくらいの「ざる」にも、問題はある。他の、いろんな要因をさておいて断言するのもよくないけれど、例えば実際若年層の妊娠のケースは多い。「ててなしご」の問題は、中絶を支持しないし積極的な避妊も忌む宗教的な土壌も影響しているだろうが、僕にはそういうものを離れて、ただ彼等の生活のスタイルや、まあ平たく言えば「しつけ」と「じょうしき」に問題があると思える。

     何事も長短ある、なんていうのはこの場合ただの短絡だ。のびのびした彼等の環境を維持しつつ、人生を浅はかに誤らないで済むような「空気」も、作れないわけがないと思う。

     あ、あれは嫌だな。これは感覚の違いから来るのか、「物乞い」。地下鉄の駅、バス停で、
    「お金ちょうだいよー」
    と来る奴がやたらめったら多い。個人的に、これは物乞いに対する感覚よりも、「施し」に対する感覚が、僕のような日本人とは違うところから来る不快感かと思うけど、まあしかし、その「施し」の心に平気で付け入って、奇麗な服着た少年少女が金くれ、なんて言っているところは、無性にいらいらさせる場面ではある。

     ごめんなさい。トシくったら、遂にちょっと説教になってしまった。「お説教日記」なんてのがあったら、なんか読んでみたいと突然思ったなあ、今。
     
     


    990916 木曜日
    晴れ
     

     昨日くらいからだったか、暖かくなったと思ったら早速おでましあそばしたのが、pulga(プルガ)だ。
     このプルガ、スペイン語で女性名詞だけど、全く昼ももちろん、夜も待ってくれない。突然足元とか下着の下へ遠慮なく入ってきては寝かせてくれない。今日は勘弁してくれ、なんて通用しない。で、翌日は、いや、最中だってそうだな。もうこれが痒いの痒くないのって、ちょっとあなた、チリへ来て見なさい。田舎に住みなさいっていうんだよ。この、この、この。どこにおるんや、蚤め!

     またキンカンのお世話になる季節が来ましたよ。こわいよう。

     昼食。今日はエルミニア婆さんのところではなく、ある食堂にいく。ここのメニューも千ペソが基本。
     そんなことはいいか。今日はアロンソの誕生日だから、お祝いなのだ。ちょっとしたご馳走が出る。
     彼は先月突然の人事劇があって、今や我がノガレスの企画調整局長なのだ。僕の直接の上司にあたる。年なんてひとつ下なんだけどなあ。で、ご機嫌取りというわけではないけど、前から誰にあげようかと考えあぐねていた、母から貰った美人画ののれんをプレゼント。

     既に半年は越えたかな。アロンソとアニタの付き合い。秘書のエリアによると、あと半年以内に結婚するんじゃないか、とのことだ。チリには珍しいくらいに仕事が好きなカップルである。

     4時から集会所兼議会の「文化の家」にて、役所の人達が集まる。18日のチリ独立記念日のお祝い。エンパナーダとビノ(ワイン)、あるいはchicha(チチャ)と呼ばれる若いワインが振る舞われる。たまたま、ごっちゃんも同席している。

     今日はパジャマにしていたチリ国旗のシャツの上からセーターを着ていたのに、ぐんぐん気温が上がってしまったのがいけない。この場所でセーターを脱いで「チリ男」になっていたうえ、なぜか椅子が壁際に寄せられていて、かかっている音楽はクエカである。周りからはやされるまま、あるご婦人をエスコートして、知らない間に僕はハンカチを振り回してクエカを踊っていたのだった。
     チリの、ノガレスの人は暖かい。大喝采。盛り上がると嬉しいのは、大阪人の血か。
     
     


    990915 水曜日
    晴れ
     

     なんか今週は仕事らしい仕事なんてない雰囲気。隊員報告書を書かないといけないか。赴任3ヵ月目の1号報告書、6ヵ月目の2号報告書の期限が過ぎている。パソコンの故障を理由に延ばしていたが、それも出来なくなった。
     ここへ来るまでは、おもしろいとか為になるような、あるいは書きたいことをしっかり書いた、そんな報告書をちゃんと、いやがらずに書こうと思っていたのだが、これだけ期間が過ぎてしまうとねえ、さすがにおっくうになる。気負いだけが先行してしまって。何たいしたこともしていないし、うまい書き方も出来ないしなあ。そんなこと、どうでもええんやけどな。

     夕刻からプラザで独立記念日関係のイベントがあるので、役所の仲間たちと行ってみる。18日の独立記念日、19日の軍隊の日をはさんで、たくさんの催しが企画されている。チリの正月だ。

     Concurso de Empanadas y Misteros
     これが今日のイベントの名前。ようするに、手作りエンパナーダとミステロのコンクール。全然要約してない。そのうち食べもののコーナーでも作ろうか。
     エンパナーダは各種あるが、エンパナーダ・ピノがスタンダード。炒めた牛肉、玉葱にゆで卵、黒オリーブなどを詰めてオーブンで焼いた巨大なギョーザ。おやつやオンセ(軽くとる夕食)にちょうどいい。今日はコンクールだから、特別肉が多くておいしかった。
     ミステロ。これは嫌いだな。あんまりうまくないと思う。agualdiente(アグアルディエンテ、スペル違うかも)という、ピスコより強い、おそらく一種のぶどうの蒸留酒に砂糖を加え、さらにcanelo(カネロ)やmenbrillo(メンブリージョ、カリン)の木の皮や枝を漬け込んで風味を増して、それからそれから、水?で割った酒。うまそうに聞こえるかもしれないが、うーん、古き良き開拓時代の味がするって感じかなあ。僕と同じく仲間のチリ人には、これが好きだというのはいなかったが。

     更に、チリの民族舞踊といえるcueca(クエカ)が披露される。このひと月くらいの間行われたクエカ教室の人達。といっても素人はいないようで、同好会みたいなものか。
     男は乗馬の正装姿、女も花柄のかわいいドレス。夫婦や恋人同士で腕を組んで現われる。離れて向かい合い、見つめ合いながら、三拍子の明るいクエカの曲に合わせて手拍子を打ち鳴らす。お互い手にした白いハンカチを振りながらにじり寄りつつ、踊りが始まっていく。なかなかに華麗なのに野趣というのか、田舎のカウボーイ(ウアソと呼ぶ)の雰囲気が良く出ていていい。
     老いも若きも、喜びに満ちた顔、顔。出会った頃の、うっとりするような輝いた顔が、振るハンカチの群れの向こうに見え隠れする。
     多く、踊りは恋にもとづくものと思っている。チリ中部の春は緑が目に染みるようだし、夏の頃の青い青い空が帰ってくる。そんな舞台の、土の上で踊られるクエカ。

     危なくなった二人に、お勧めだ。
     
     


    990914 火曜日
    晴れ
     

     午後、ノガレスに帰ってきた。夜まではメールを読んだり、必要な連絡を書いたりしていた。

     寝るまでスキャナーのソフトを入れたりといった作業を行う。こういうことをして、この数日は過ごすんだろうなあ。
     パソコンがあると、何をするわけでなくとも時間が潰れてしまう。全く、いいおもちゃだ。気をつけないと、無為に過ごすぞ。せいぜい内容のあることから順にやるように心がけよう。

     さすがに夜は冷え込んだものの、日中はぽかぽか。今日初めて地元の人達の口から「春が来たね」という言葉を聞いた。
     
     


    990913 月曜日
    晴れ
     

     サンティアゴからビーニャ・デル・マルへは約2時間の長距離バスに乗らないといけない。春が近い。雨が何年かぶりでよく降ってるから、灌木だけの山々に草がよく伸びてきて、目に痛いくらいの緑だ。日本ではこんな鮮やかな緑色は見たことがない。

     ビーニャには、コンピュータの受取りに来た。
     3度目の修理にパワーブックを出したのは7月19日。画面の異常が直っていなかったからだった。で、先月8月11日、業者から盗難に遭ったという連絡があった。で、含まれていたソフトや接続ポートの変更に伴うアダプターなんかの周辺機器全部を、新品で受け取る。全て補償内。
     2月23日に修理に出して以来、実に半年以上もの間、パソコンを使った仕事も、満足な通信も出来なかったことになる。ああ、辛かった。

     で、担当者のAlvaro Leiva君から、PowerBook G3 333/14"を受け取る。二度目の修理からのつきあいの業者だから、保証期間はそのときの残り3ヵ月を引き継ぐ。
     メモリーは前と同じ容量にしてもらい、Strata Studio Proなんかも含むソフトは以前よりも新しいバージョンの英語版。ワープロで使ってるワードは偶然スペイン語版だったから、スペルチェックも簡単になった。
     新しいパワーブックにはFDディスクドライブがつかないので外部接続型のアクセサリーを付けてもらった。さらにマウスもポートが変更になって使えないからUSB用のをもらう。前のが使いやすかったけどなあ。
     システムが英語なのだが、来月日本語の専用システムCDが来ることになっている。後で改めて全て入れ替える。もう待ってられないから。

     サンティアゴの隊員連絡所へ。ここの隊員共用のデスクトップに置いてあったバックアップのデータを入れる。
     続いて日本語の表示、入力ができるよう、前のパワーブックのシステムCDから、それこそ手探りで必要なファイルを探して移していく。業者がこの作業をやると言うからCDを預けていたのだけれど、やっぱり出来なかったのだ。
     格闘するまでもなく、1時間足らずで日本語が表示されるようになった。以下、移したファイル

    • キーボード配列
    • ことえり関係ファイル(ことえり自体は既にインストールされていた)
    • 日本語フォント


     いじった設定は、コントロールパネルの「アピアランス」くらい。

     ふた月ぶりのメールは80そこそこ。こんな僕にも送ってくれる人が結構いてうれしい。もっとないのかと思う贅沢なわがままもあったけどなあ。

     医療の顧問の先生と看護婦の方が来智されているとのことで、サンティアゴ内の日本料理店の中では評判のいい「飛鳥」で食事会がある。本来首都圏州の隊員が参加の対象なのだが、仲間に入れてもらった。刺身や天ぷらを、チリワインで楽しむ。



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