
990425 日曜日
曇り、時々雨
昨日も明け方まで起きていた。5時過ぎ、地震。震度は1ないし2。震災を思い出して、ドアを開けておこうかと思った。ちょうど日誌をまとめようとしていた時だった。2週間ほど前もサンティアゴで夜半地震があった。ここは地震国なのだ。
午後、カレラへ出て、友人達と会う。もっと話してスペイン語を上達させろと言われた。
帰りにスーパーで買い物。食料品を中心に8千ペソ程度。肉なんかは停電があるので、おいそれと買えない。今使ってる紅茶のティーバッグがとんでもなく安物でまずいので、違うのを買ってしまう。これでもまずいんだろうなあ。一体、チリの紅茶って、色しか付いてない味も香りもない、へんてこな物ばかりだ。日本の安売りの大箱のリプトンの方がよっぽどましだ。
帰宅。昨日に続いてメールを書いたり、手紙を書いたりして過ごす。夜食を食べながら、日本美術院百年記念展の図録の続きを読む。面白かった。
あまたのプロの画家たちが頭を悩ませるもののひとつは画題だ。何を描こうというのか、それを決定するのは難しい。およそ創作活動というものは、作りたいという衝動だけでは成り立たない。何を作ろうとするか、それはどうしても落ち着いた思索を経るほか難しいものだ。きっかけだけでもいいから、そういうものがいる。多少なりともしんどい思いをして作る、その最後の過程まで、自分を引っ張りつづけてくれるだけの吸引力をもつ何かを持っていること。表現技術の巧拙よりも先に、そんな大きな獲物を自ら探索できるか否かが、作家には要求されている。歴史的な題材であれ、日常の瑣事のようなささやかなことであれ。そしてその画題への洞察というハードルを、具体的な作品をもって、越えたことを示さねばならない。
う。夜食を作ってたら、ガスが切れた。明日絶対に買わねば。ちょっと途上国チックだなあ。雰囲気出てるぞ、停電といい。ガスといい。
あ、今日ノガレスに2年ぶりのまともな雨が降った。中庭のアボガドの木が喜んでいるのが分かる。と、ムツゴロウさんみたいなことを言いたくなるほど緑はいきいきしてた。テレビで雨がニュースになるのもおもしろい。
990424 土曜日
曇り、夜半雨
昨日だらだら遅くまで、というか、朝方までごそごそしていたので、起床は昼過ぎだった。3時は回っていただろう。
秋になって、洗濯物といっても下着くらいしか無くなってきたから、それを手洗いした。洗面台に水を溜め、一番奥の庭に面した部屋へと自室を移す作業の傍ら、付け置き濯い。雨が降りそうだ。中庭に渡した物干の番線(針金)に、せっかく洗った下着を干せず。廊下に干す。
僕の家はパン・アメリカン・ハイウェー沿いにあり、結構車の音がうるさい。日本の高速道路ほどは交通量は無いけれど、一番道路に近い部屋を使っていたのが、ちょうど一人暮らしになったので、奥の部屋に移ることにした。
家の間口は7メートル足らず。3メートルと奥行きの無い前庭を抜け、リビングダイニングに入る。そこから中庭まで廊下が抜けており、廊下の右側が台所、そしてふたつのバス・トイレが続き、さらに中庭に面してフリースペースがある。廊下の左側は3つの寝室。だから一番奥の部屋以外は外気に面した部屋がない。今までの僕の部屋には全く窓が無かった。まん中の部屋は廊下に面した窓がある。寝室はどれも8畳大といったところ。
停電がある。
8時前、松原さんが来た。昨日電話した時に、今日アサード(バーベキュー)をするからということでお誘いを受けていた。車には松原さんの知り合いのMさん母子が乗っていた。松原さんはアルゼンチン移民の2世なのだが、お兄さんもサンティアゴに住んでいて、兄弟ともども、知り合いがたくさんいる。通訳や語学の先生もしているお兄さんは、自然と日本の駐在員たちとのつながりも大きくなるようで、ノガレスで花の種を作る農場を経営する松原さんも、彼等とは付き合いが深い。
さて、さすがはアルゼンチン仕込みというべきアサードの作り方だ。薪を炭火になるまで落として、大きな肉を焼く。日本のバーベキューとはちがう、巨大なステーキだ。カレラのスーパーで見つけたいい銘柄の赤のワインを開けながら、みんなで喋る。大阪弁の僕は、喋るに滑らかで、笑いもとれるからいいねえと言われた。Mさんたちは東京の人。松原さんはどこだろう?朴訥な田舎の味のある言葉だ。
Mさんの娘さんは、松原さんがここへ移り住むようになったころから知っている。全くの手作りの家なので、チリの材木商とのやり合いがあったりしながら、苦労して建てたらしい。最初はテント暮しからスタートしたというから凄い。彼こそはパイオニアなのだ。今では最盛期には30人もの人を使って農場をやっている。これでまだ30歳なのだからやるもんだ。勇気があり、行動があり、そして全てが淡々として明るい。生活というものが、いきいきとして見える。彼は自分の生を、リアルにひっ掴んでいる。
990423 金曜日
曇り
昨日はいわゆる刷毛で掃いたような、てんでに無茶苦茶な方向を向いた薄い雲が出ていた。結構暖かかった。今日は曇りで、やはり同じように暖かい。
勤務中、わがノートパソコン、ミケランジェロ君はずっと調子がいい。治ったのだろうか?いいや、こいつにはもう騙されるものか。女の子の名前にすればよかったかな。肩すかしを喰らおうが、騙されようが、付き合いようがあるような気がするじゃないか。例えばあの子の名前の・・・・。
調子がいいからMiniCadで図面と立体の模型を作ってスタディする。更衣室のプロジェクト。マウスでモデルをくるくる回しながら、遊ぶ。かわいいなあ、小さくて。
役所で接続。早速新しいアドレス宛てにメールが届いていた。嬉しい。まだ同期の他の任国の隊員は、それほどこの日誌のことは知らないので、読んだ人の数は知れてるだろう。昨日送ったメールでは、初めて宣伝してしまった。僕はこういう形で記録(というより、なんだろう?)を残して公開しているが、他の隊員も定期、不定期でメールで報告してくれたりしている。
計画停電の午後6時からの2時間は、秋のチリでは真っ暗やみ。家々はろうそくを点している。車のライトだけが眩しい。この週末はノガレスにいるので、今日は明日のことなど気にせず、久しぶりに酒でも飲もう。懐中電灯片手に近所に買い物にでる。パン、ビール1リットル、ワイン1リットルを買う。これでも1,800ペソ程度。500円かかってない。
全くの田舎であれば闇は自然なものだけれど、エジソン以来、町中は夜でも薄明かりくらいはあることになっている。それが人もちらほら見かける、まだ夜も早い時間での闇。これがへんてこな雰囲気でおもしろい。貴重な体験だ。ゴーストタウンに住んでいるような錯覚を覚える。
食事の準備。大きいアボカド1個半と生のたまねぎ、生のニンニクを潰して塩やオリーブ油を入れ、フォークで練る。こうして作ったペーストをパンにたっぷり塗って食べ、ビールを飲む。実においしい。よくあるチリの夕食だ。
食べ、飲みながら本を読む。東京国立博物館の日本美術院百年記念展の図録。岡倉天心以来の日本の近代美術を俯瞰するような、実に贅沢な展覧会だったようで、狩野芳崖、菱田春草から横山大観などなど、スターの揃い踏みで解説を読んでいても楽しかった。解説を読まずとも、真剣な研鑽が無ければここまで画業は高められなかっただろうことは分かる。芸術って何?と思うことがあったら、またこの本を見よう。これこそは芸術だもの。これらの作品には卓越した芸と圧倒的な力、エネルギーが結晶している。にんにくエネルギーの匂いを発散させながら、うんうん唸って読んだ。バックグラウンドではビョークが昔いたバンドのシュガー・キューブズの曲をかけている。なんか、不思議と違和感がなかった。
引き続きアメリカの建築家、ルイス・カーンの作品集を見、読む。そこに見つけた屋外プールのための更衣室が目にとまった。こんな、たかだか知れた規模の建物にさえ、かれは少なからぬ苦労をしたらしい。カーンといえば、今世紀後半最大の建築家と言って異論の出ない偉大な作家だ。院展作品といい、カーンといい、こりゃマウスでこちょこちょやってる場合じゃないなあと、反省を迫られる思いだった。比べてどうすんの?とも思うけども。
990422 木曜日
晴れ
朝、昨日書いたメールを送信してみる。訓練所の仲間達へ。うまくいった。わがパワーブックの「ミケランジェロ」の調子は、今日も悪いのだけれど。
今日も更衣室のエスキース、それに隊員報告書の執筆で日が暮れた。同僚のアロンソに自転車を購入するのに同伴を頼んでいたのだが、チレーノ(チリ人)らしく昨日に続いて今日も忘れてしまったのか、仕事場に帰って来ず、また買い物はお預けになった。
終業前、マキシモが「CADのクラスはどうするんだ?せっかく教えてあげるのに、ね?」と言う。うう、めんどくさいばっかりに、なおざりにしてたんだよな。こいつ、チレーノらしくないぞ。きっちりしてるやないか。よし、明日からやろう、と応えた。
来週に、ノガレスの北隣の州のイジャペル市役所へ行く。ここで働いている協力隊員のノリヒコさんとトシヒコさんに会いに行くのだ。実質上の建築系隊員部会となる。それで上司のギジェルモ局長にお許しを請う書類を作った。アロンソに書き方を聞いて下書きをしたのだけれど、なるほど、こんな文章にするのかと感心する。文語は難しい。
帰宅後、寝る。昨日遅かったから眠い。
9時頃、引っ越したアニタとアレハンドラがやってくる。この家の備品のリストを持っている。皿の数まで書いてある。そんなのがあったのか。もし足りなくなっていたら、大家さんにお金を払わないといけなくなるのよ、という。俺は知らんぞ。
しばらくすると、今月末で任期を終えるアレハンドラの後任の女性が家を見に来た。彼女が新しい僕の同居人。まあまあいい感じ。名前は忘れてしまった。セルビシオ・パイースだから、1年はこの町に住むのだ。彼女が帰っても、僕はまだここへいることになる。2年の青年海外協力隊の任期はそこそこな長さだな、と思う。
いつも昼食をとる時に一緒になる、心理カウンセラーのブルーノからぼろのテレビを借りた。親切で真摯な彼。夜はつけっぱなしにしていた。UFOものの番組が、国営放送でやってる。人気番組だ。ミステリーサークルを久しぶりに見た。結構細かくて凝ったデザインのものもあるんだな。しかし、何やねん、これ?思わず突っ込んでしまう。スペイン語じゃ「ケ エス エスト?」だ。
990421 水曜日
晴れ
今日は少し気温が戻った感じがする。このくらいから寒くならないで欲しい。布団が無くて、毛布を重ねてごまかしているから。これが重い。布団、買いに行かなあかんなあ。
午前、受付に近い部屋で忙しく働いているマリア・エレナに頼んでネットに接続する。ここでないと内線システムでない回線に繋げない。この回線はやはりインターネットに接続されている。
格闘すること昼にまで及び、ようやくメールアドレスの設定その他を終えることができた。日本で引き続き使うことにしているプロバイダの3WEBはWEBだけに使うことにして、メールの方はチリのENTELに切り替える。新しいアドレスは
kmdesign@entelchile.net
になった。
サンティアゴのジュキに試験的に送ったメールを見てもらうよう、電話をする。長電話になってしまった。彼女も僕も、電話の時だけ思いっきり使える日本語にほっとしているのだ。と思うけど、違うか?
一昨年の春、会社をやめる時に新しい作業環境を作ろうと利用し始めたインターネット。メールアドレス、これが分かりやすいものは全て使われてしまっていて、まあいいやと決めたのが「kmdesign」だった。「なんとかデザイン」って響きは、フリーで働いていた当時、事務所の名前を兼ねているようでいいんじゃないかと思った。ただ頭についてるのがイニシアルとは実にかっこわるかったのだけれど。しかし使っているうちに他人から認知されるようになると、それはそれで使い続けたいと思うようになった。で、またもや「ケイエムデザイン」なのだ。「キロメートルデザイン」と読むのもイカレた感じがしていい。
更衣室の建物のデザインがまだ決められない。ごく小さな施設だけれど、あのすっからかんでちっぽけな運動公園に、なにか宝石みたいな建物が出来たなら。ところが施工技術が思ったより低いのだ。首都なら精度のことを気にしない限りなんでも出来るのに、こんな田舎では構造や構法、納まり(ディティールのまとまり)の選択肢がないのだ。アスファルト防水のコンクリート屋根なんて予算的にも技術的にも難しい。こちらでほぼ全てとさえいえるトタンを使っても、屋根に谷ができると雨漏りが避けられないだろう。シャープな見栄えなんて望みたくても恐くてできない。設計がどこまで尊重されるかも怪しいと思う。
計画停電の中、母が送ってくれたコシヒカリを鍋で炊く。約2合。今日はうまく出来た。日本の米は世界一だとつぶやきながら、これも送ってもらった貴重な「カレーマルシェ」のレトルトを開ける。うまい。勢い、余った米でお茶漬けをする。
こちらの米は全て長粒種。Banquete(バンケテ)という銘柄などは日本の米に近い香りと粘りがあるが、やっぱり日本風に炊くには違和感が拭えない。
渡航前から興味があったのは、果たしてどんな風に日本食への飢餓感が起こるかということだった。今のところ、お茶を飲むこと、米を噛むこと、この2つが一番大きい。特に、何かのおかずで米を食べる、という行為はチリにはないので、重要だ。メインディッシュがパンのおかずなんて考え方は、西洋ではしないだろう。
990420 火曜日
晴れ
昨日から非常に冷えるようになったノガレス。家も職場もまだ暖房してないから寒いことと言ったら。朝など冬用のマウンテン・ジャケットを着込んでいる。風呂が辛い。やっぱりシャワーはだめだ。肩まで湯舟に漬かりたい。
思うに壁はレンガやコンクリートブロックで出来ているから断熱はそこそことれるだろうが、屋根がいけない。トタン屋根の下はいきなり小屋組(骨組みのこと)だし、天井も板が一枚だけ。夏暑くなかったのは、この乾燥した空気のおかげとしか思えない。
午後、プロバイダのエンテルのおばちゃんがやって来て、めでたく契約。接続キットを置いていった。ユーザー番号とかパスワードを書いたカードと、CD-ROM、マニュアルが入っている。明日、接続してみよう。
夜はゆっくり過ごした。5月までは一人暮らしだ。
990419 月曜日
晴れ
朝の9時半までサンティアゴのラス・コンデス地区は停電。半ちょうどに勤務先に電話して、今日はコンピューターの調子を見てもらいに行くから、仕事は昼からだよ、と言う。しかし、出発を前に我がパワーブックのミケランジェロ君は調子がよろしい。予定変更。やっぱり修理には出さずに様子を見よう。
ノガレスに着いたら、エルミニアばあさんの所へ直行して昼食。家に帰って相変わらず散らかったままの自室を見てがっくりし、ひと休みしてから出勤。事務のエリアには、最近チレーノ(チリ人)らしくなってきたじゃないの?と冷やかされた。つまり、時間にルーズになってきたといいたいのだ。実は元からそうなのだ。
夕方までなんて、たかが知れた時間だ。せいぜい、この間もらった仕事の更衣室でもスタディして過ごす。その間、やはりミケランジェロ君の調子は悪く、ときおり画面が真っ白になっていたのだった。ああ、萎えるなあ。もう。
今日のノガレスの停電時間は午後6時から8時まで。ちょうど暗くなった頃で、困る。街灯も何もかも真っ暗。カレラに出かけたら、こちらは煌々と明かりがついていた。
カレラの友人達と話をする。いつものことだ。もっとスペイン語を勉強せねば。そう決意だけはして帰る僕であった。一応かっこだけ勉強して寝た。
990418 日曜日
晴れ
サンティアゴにいる。午後遅く起きる。こういうぐうたらが、ほんとうに好きだ。結局いちにち、一度も外に出なかった。食べて飲んで喋っただけ。
昨日パルケ・アラウコで買ったCD、イエスのベストアルバムを聞いた。ちなみにチリ人は意外にプログレが好きである。ニューエイジも好まれる。しかし近郊バスのミクロに乗ると、大概かかっているのはクンビアだ。たぶんこれを聞いたらチリを思い出すようになると思う。いかにも南米風で、しかも垢抜けない音楽だ。僕は音楽的な知識に乏しいので、なんとも説明しにくいのだけど、こういう、こちらの典型的な音楽を聞けば、チリの雰囲気を味わってもらいやすいんだろうなあと、いつも感じている。どうやって紹介したらいいのやら。
今日も隊員連絡所泊まり。
990417 土曜日
晴れ
サンティアゴの朝が開けていく。もう何回大富豪(大貧民)をやったろうか。結局徹夜。この後朝飯にお好み焼きを作る。なんで朝からお好みやねんな。うまかったけど。
昼から買い物に出た。パルケ・アラウコというショッピングモール。ジュキは寝てないのに、全く元気だ。驚嘆に値するタフさである。
書店がある。チリでは、本を手にとって選べる書店は珍しい。書店自体も珍しい。普通の人はあんまり読書をしないようだ。で、僕はパブロ・ネルーダの詩集とノイフェルト(ネウフェルト?)の建築資料集成のスペイン語版を買う。ごつい本で4万ペソ以上(1万円以上)するので、貧乏協力隊員には辛かった。支援経費で、つまり公費で落とせないものかと思う。
夕食。トマトソースとバジルペースト(ジェノベーゼ)のパスタを食べる。チリではバジルを見ることが少なく、久しぶりで嬉しかった。うまい。ちなみにチリではオレガノを何にでも入れて食べる。
990416 金曜日
晴れ
この2週間くらいだろうか、計画停電がある。1日2時間の停電。ラ・ニーニャの影響で、チリは2年続きの旱魃。水力発電に電力を大きく頼るこの国は、只今、危機的な状況だとニュースでも毎日やっている。この停電、地域ごとに時間帯をずらしながら順番に電気を切るものだから、ノガレスでは先週は夜はろうそくが必要だったし、今は午後3時から5時の仕事が一番のりそうな時間に役所のコンピュータも何もかも使えなくなる。驚きは信号まで止まってしまうことで、おまわりさんはおおわらわだ。
いつまで続くか同僚に聞くと、雨があるまでだ、という。冬は雨期でもあるけれど、まあ大して降らないだろう。ということは、冬の終わりまでやってるのだろうか、この停電。
午後、マキシモを伴い、公共事業課へ。建築家のベルナルドと話し、先日あげた、スタジアムの再整備の図面と書類にサインする。「計画・設計者、国際協力家」と肩書きがある。照れるなあ。漢字で堂々サイン。やっと、まともな一仕事を終えた。あとは工事だ。
つづいて、オヒギンスの体育館の図面および仕様書をベルナルドにチェックしてもらう。役所のCADは使えないし、僕のMacは調子が悪い。大体、チリの図面の標準のわきまえが、僕には無い。だから、マキシモが清書した図面に不備が散見されていても、それは今のところは細かいこととして目をつぶらないと仕事が進まなくなる。それが残念だ。ベルナルドやマキシモも、僕には言えないことが多くて困っているだろうからお互い様か。
案の定、今日契約書にサインをしてくれと、やってくるはずのプロバイダのENTELが来ない。来週に持ち越しだ。パワーブックを修理に出そうか、と思っている位なので、まあいいけど。
夜、サンティアゴへ出る。いつもの同期の4人と、日系社会青年ボランティアの美香さんで出かける。今日は桜井さんの誕生日。インド料理屋に行った、のだが、そのつもりがターバンの人にサービスしてもらうだけの、フランス料理屋だった。カレーを期待していた我々、少々残念だった。でも料理は満足。
その後、夜通しのカードゲーム大会になった。僕はセブン・ブリッジがなかなか覚えられず、お笑いの種になってしまった。あ、桜井さんには、プレゼントとしてお気に入りの信楽焼の茶碗をあげた。惜しかったんだけどもなあ。料理好きの彼女のためだ。割らないでね。
990415 木曜日
晴れ
昼食をとりにエルミニアばあさんの家へ向かう道の途中、liceo(リセオ)がある。日本の小学校と中学校をくっつけたような、8年の初等教育、つまり義務教育の学校なのだが、定員オーバーが原因らしく、交代制だ。だからエルミニアの家に行くまでには、リセオの前の公園にわいわい群れている午前の部を終えた子供達に、はやしたてられなければならないはめになる。
「チノ!」
「チニート!」
「アマリージョ!」
などなど。つまり、中国じーん!とか東洋じーん!黄色いのー!くらいの意味だ。
実際、彼等が人種差別の意識があるというわけではない。昔、まだ西洋人が珍しかった頃、僕だってガイジン!ガイジン!とやったものだ。あの子供達も、少人数のときなら、何と言っていようが、「オラ!」と挨拶してやれば、嬉しそうに返事してくれるし、「名前はなんて言うの?」と聞いてきたりもする。けれど、あの時間はそうはいかない。へたをするともう10人以上で大騒ぎだ。
「違うよ。僕は日本人だ。君たちはアルゼンチン人じゃないし、ボリビア人でもない。チリ人だろう?僕も中国人じゃなくて、日本人だ。顔はそっくりだけどねえ。ケン、っていうんだ。よろしく。」
などと、そのうちあのガキ共にまとめて自己紹介してやろうか。余計に悪くなるかな?日本の子供だって、ラテンアメリカの人を見て、どこの国や地域の出身かなんて分かる訳がないし、だいいち子供達にはどうでもいいことなのだ。でもこの際学習してみてもいいんじゃないか?そんなことをエルミニアのパステル・デ・チョクロを食べながら考えていた。
修理から戻って早速おかしかったパワーブックの画面が、更におかしくなった。この分ではまた真っ白な画面になって、コントロール不能になるだろう。この間、ガンマ補正と再現色数の加減で、取りあえず色がずれていない画面の作り方を見つけたところだったのに。明日修理に出す訳にもいかないので、月曜にでも、またミクロケア社へ行くことにしよう。全くどうなってるんだ!
体育館の図面を、未だにベルナルドに渡していない。これは急ぎの仕事のはずで、マキシモをせかしているのだが、なかなか全部が仕上がらない。本来彼には手伝ってもらっているのだから、強くも言いにくい。逆に、僕だけでやるべきことでないのも事実。ちゃんとスケッチなどで伝えているのに、まだ構造上重要な部材の記入が抜けていたりしていた。ただし、文面での仕様書を作成してくれていたりもする。
とにかく、明日、ベルナルドと図面を見つつ、打ち合わせだ。これで一旦終わりにしたい。
990414 水曜日
晴れ
朝食は、日によって違うのだが、どうやったってパンかクラッカーに、トマトソースのビン詰めかアボガドのペーストを作って塗り、チリ特有?の色しかついてない安物のティーバッグの紅茶を飲む、という食事になる。今日は塗り物がないからひどいもので、紅茶とクラッカーだけ。クラッカーには塩さえついていない。時間がないからいいや。
シャワーを朝浴びることも、住人が僕しかいない今の家では可能になった。いつ切れるか分からないプロパンガスのお湯である。ボンベをもう1本買わないと。
午前午後とも、パワーブックで隊員報告書1号を書くことに費やした。隣の机の上では、何処かの知らないメーカーのデスクトップ・パソコンに繋いだアンプ・システムのCDサウンドが鳴っている。僕の好きなスティーリー・ダンのベストをかけている。このアメリカのユニットはとうの昔に解散して、今ではドナルド・フェイゲンが時折アルバムを出すくらいになっているけれど、洒落た曲とうまい演奏は、いつまで経ってもいいなと思う。おかげでCDで出ているおそらく全てのアルバムや、良く分からないデモのコレクション・アルバムまで持っている。
午後、少しだけ市役所を出た。カルロスの運転するピックアップで、マキシモと共にサン・ホセ・コートへ向かう。これはメロン地区にある小さな運動場で、今度多目的コートとして整備する。今は慣らしただけの土に砂利が運ばれたまま放置されていて、傍らにブランコや鉄棒があるだけだ。今日の視察は、ここへ建てる便所・更衣・シャワーのための小さな施設を設計することになったから、取りあえず見ることが目的。たった52平米の要求だが、大体こちらの事情がつかめてきたので、ちょっとデザイン的に凝ってみようと思っている。
夜、家のリビングを自分用に少しだけ模様替えした。全くの一人暮らしも、今月いっぱいまでだ。来月には数人の看護婦達が、新しい住人として加わることになっていると聞いている。それまで、せいぜい使い込んでやる。
今日から腹が痛くなくなった。嬉しい。
990413 火曜日
晴れ
朝6時半からサンティアゴの地下鉄は動き出す。僕とごっちゃんは、それに合わせてノガレスへの帰り道につく。
先週はろくに働けなかったし、僕が腹を壊したということはみんなが知っていたので、出勤すると会う人会う人、みんな「調子はどうだね」「なおったの?」と聞いてくる。ああ、ばっちりさと、親指を立てながら回復を強調する。しかしまあ、食中毒って大変なのね。今日も、起き抜けにはきゅうっとした痛みが腹部に走った。モノは固いのが出るんだけれど。それにまだ、体じゅう力が入らない感じがとれない。
チリ第2の電話会社で、プロバイダもやっているENTEL(エンテル)に、ネット加入の申し込みをした。全部電話でOK。1ヶ月はお試し期間で無料。金曜には、契約書を持ってきてくれて、サインすればいい。これでやっとメールの送信が出来る。
昨日は遅かったので疲れている。で、帰宅後ばったり寝てやった。気付いたら、晩飯も食わずに朝だった。
アニタとアレハンドラは、先週末、既に新しい家に引っ越してしまった。とても静かだ。
990412 月曜日
晴れ
サンティアゴに、まだいる。このページの更新をする。
午後、JICA事務所へ。担当のネリーさんはアントファガスタへ行ったとか。で、我々同期の4人は、ワクチン接種に手間取ってしまった。連絡の不行届きは、何だかチリでは良くあること。それにはもう慣れつつある。
今日はアレマナ病院にてA型、B型肝炎のワクチンを摂取する。2本だから両腕に1本ずつ。肩の三角筋に針を刺すのだけれど、日本と違って垂直に刺す。さらに針の根元まで入れてしまう。ところが、全然痛くない。チリの看護婦さんは注射がうまいのか。
アレマナ病院、クリニカ・アレマナとは、ドイツ病院ということなのだけれど、ともかく非常に立派で綺麗なところだったなあ。
明日帰ることにして、夕食を4人で作って食べる。野菜炒めと風呂吹き?大根、そして御飯。ああ、日本の味よ。次はアジの開きが食べたいなあ。
明日からまた仕事だ。出来得る限り、今夜はだらっとしていよう。遅くまで桜井さんと話し込む。