シンプルなステンドグラスを触ってみて欲しい
チロエの風景へのまどになっている
990411 日曜日
晴れ
朝、敏子さんと出かけた。
このページのファイルをいじっている内、夜になる。桜井さんやごっちゃん、美香さんと一緒に食事へ。インド料理屋を見つけたからそこを目指したが、完全予約制。大変客筋のいい店だったのに入れず。
仕方ないからドイツ料理屋へ。病み上がりには、肉よりもヤシの芽やらが嬉しく感じられた。ビールを少し飲んだだけで辛くなった。まだ回復しているとは言い難い。
出していた南部への旅行の時の写真を受け取って帰る。チリの写真屋でも機械でプリントしているけれど、とにかく色が悪い。発色も明るさもだめだ。処理液の交換をけちっているのか、それとも調整が悪いのか。こちらで綺麗なプリントを見たことがない。日本へフィルムごと送ってしまいたいくらいだ。
今日もサンティアゴ。隊員連絡所泊まり。
990410 土曜日
晴れ
午後起きる。昨日からサンティアゴの隊員連絡所へ泊まっている。僕もごっちゃんも、まだ腹の調子が悪い。僕は下痢ではないのだが、下痢のような腹の痛みがある。で、お粥の材料やら果物を買いに出かけた。
グレープフルーツとアプリコットを食べる。滅茶苦茶うまくて、みんなで一気に食べる。この間の診療所の医者には、果物もだめだと言われているけど。
午後、千春さんの仕事の手伝いをする。きのこ小屋の図面。久しぶりのCADである。
夜は水炊きをする。白菜、大根が売ってたらしい。が、青い葉っぱを入れてみたのはいいが、クレソンではちょっとまずかったようだ。こちらで売ってる豆腐も味が変わってる上、濃いから、もうひとつ。
寝るまでだらだら過ごした。今日も連絡所泊。
990409 金曜日
晴れ
本棚が無いことを理由に、未だに船便の荷物を片付けていない。
午後、サンティアゴへ出る。JICA事務所に、同期の4人が集まった。A型、及びB型肝炎のワクチン接種のためだ。しかし、僕やごっちゃんは、食中毒からまだ間が無いので、とてもそんな注射を受ける気にはなれず、来週の月曜日にまわしてもらった。
夜、日智商工会議所で新隊員である10年3次隊の歓迎会がある。僕らはもう先輩になってしまった。スペイン語が話せない先輩。
この隊次には都市計画隊員のNさんもいる。環境関係の実務経験がある、ちゃんとした都市計画の人間だ。僕のようなインチキではない。
また村落開発普及員の志穂子さんは、僕の友人のK山さんの知人で、話に聞く優秀な人だった。共通の友人がいるとは、全く奇遇だ。
このアサードでは、思ったよりも食べることが出来た。もちろん食事制限なんて守っていない。しかし、養殖隊員達の持ってくる新鮮な牡蛎やホタテを、どうしても食べることが出来ず、悲しかった。食中毒のトラウマを、何時まで引きずることになるのやら。
990408 木曜日
晴れ
救急車デビュー
同居のアニタとアレハンドラが、起き抜けに紅茶を入れてくれた。もう少し寝ていろと言う。それもいいかと従った。
10時前、誰かがドアをノックするので開けてみたら、市役所のドライバーのカルロスが救急車を横付けして乗れと。アレハンドラも同乗して、近くの地域診療所へ。
生まれてこのかた、日本でも救急車なんて乗ったことなかったのに、まさかチリで救急車に乗り初めするとは。まだ下痢が続いてるだけだぞ。このおおげさな反応に笑いが止まらない。いい経験だ。
この公立の診療所では、IDカードがいるだけで無料のようだった。体重と血圧を計った後、医者に問診と聴診、触診を受ける。薬の処方箋をもらい、来週月曜までの食事制限を言い渡される。
診療所内の薬局で薬をもらうのは日本と同じだった。驚いたのは、注射するからと患者自身に注射器と薬を渡すこと。このあと別室で、お尻になんとも不快な注射をされた。腹痛止めだという。注射は上手。されるのは嫌い。
午前中、昨日のファックスの返事を書く。またプリント出来なくなっているので、明日、サンティアゴでやろう。
おかんはわかっとる!
昼、晩共に母が送ってくれたコシヒカリのお粥で過ごす。おかんは、わかっとるなあ。腹の具合は悪いままなのに、珍しく甘いものを食べたり飲んだりしたくなる。回復基調にあるからか。これもおかんは偉いもんで、ちゃんとビターのアーモンドチョコレートが入ってる。不二家の見たことも無いのやけど、おいしいがな、これ。俺はマザコンか。
食事中、割れなかった湯飲みにもヒビが入っているのを発見。がっくり。おかんに送って貰お・・・
来週早々にも同居のアニタ、アレハンドラが引っ越すという。5月と聞いてたけど、急だなあ。あなたも引っ越ししたいなら言ってくれという。下宿(ペンシオン)という手があるよ、と。
夜、とにかく日記を入力しまくる。修理中に手書きで作った分がちょっとした束になっているのだ。物書きか、俺は。
今日は救急車が来るぐらいの特別な日。ちょっとおかしくなっておりました。
ひとついいニュースがあった。ガレトンにホース・トレッキングのキャンプ施設を開発していいというOKが出たそうだ。詳しくはまだ良く聞いていない。地権者の合意が得られたということではなかろうか?アニタが歓声を上げていた。
990407 水曜日
晴れ 雲多し
ちょっと甘えて午後から久々のノガレス市役所。チロエ島にはこの間行ってきた人がいるから、そこの土産は無い。代わりに船便でついた日本のおもちゃをみんなに配った。コマ、竹とんぼ、千代紙人形など。かわいいものばかり。千代紙人形はいいなと思う。
サンティアゴのJICA事務所から、ファックスが届いていた。技術顧問の岩田氏から。先月、メロン地区の教会の修復に関して、過去の類似事例その他の資料を頂きたい旨、隊員技術支援依頼書なるものを視察結果の報告書と写真を添付して送ったのだが、先月23日受け取られて、今月1日にファックスで対応の方針を届けてくださっていた。その文面である。非常に早い対応に頭が下がる。早速受け取りの返事を書くが、今度はパソコンもあるし、FAXで送れるよう、ワープロ打にしたい。発送は明日か。
簡単な文書なら、どうもhtmlで書くのが最もファイルサイズが小さくなるようだ。行間が詰まって見えるのは、おそらく小文字混じりの欧文を想定した設計になっているからだろう。これが気にくわないけど、できるだけhtml書きで行こうと思う。ソフトのバージョンアップにも耐えやすいのではないか。
帰宅後すぐ寝てしまう。夜半、読書や日誌書き。スペイン語の勉強はせず。
990406 火曜日
晴れ?
昼に起きる。まだ本調子でない。今から帰るのも、無駄。で、今日も休んだ。ごっちゃんは朝のうちに帰ったらしい。お粥を作り置きしてくれている。ありがたい。
午後、先輩の建築隊員であるノリヒコさん、工芸隊員のアヤさんが連絡所に来たので、一緒に昼食をいただく。ノリヒコさんにチロエ以外の南部チリの旅情報を聞く。
送信メールの代わりに、最後の手段とばかり、特定の個人だけの閲覧を想定したページを作ることにした。気になっている幾つかのメールに、なんとか反応をしてみたい。ネットだからって、公開しなきゃ悪だってことにはなるまい。つまらない覗きにあっても構わないようにはしないといけないが。また、無料のホームページや掲示板では、かえって危なそうだし、そこまで出来ない。
夕方、洗濯にジュキがやってくる。ついでに軽い夕食を作ってもらった。いつも作ってもらってばかりの僕だ。システムエンジニアの彼女に、メールの送信不具合の事を相談するも、設定に異常があるわけでなく、とにかく3WEBに聞いたら?ということで、これは彼女のバイオを借りて送ってみる。
メーリングリストやら参加型のページの管理者の言では、ドメイン名の変更・削除で、若干の混乱が起こっているらしい。僕の場合、送信サーバーだけ登録が削られたりしているんだろうか。そんなことってないかなあ。自分自身宛てを除いて、どのメールも宛名を訂正せよと警告されるということは、間違っていない場合、何を意味しているのか。
ふたりパソコンを並べて、遅くまで何やらカチャカチャやっているのは、なんだか滑稽でもある。彼女が何をしているかというと、カードゲームだった。
今日も泊まって帰る。だって、帰りのバスで下痢を我慢できなくなったら、もう帰国したくなるでしょ。
990405 月曜日
午前中ぱらぱら
死にそうな気がした症状も、下痢以外は割合沈静化の傾向になってきた。朝8時前、出発したサンティアゴのアラメダ・バスターミナルに到着。ジュキだけが元気である。凄いやつだ。ちゃんと派遣先へ出かけていった。当たり前か。
今日はもう隊員連絡所で寝ていることにする。とてもノガレスまで帰ることができそうにない。桜井さんも結構疲れているのだが、僕や、僕に続いて具合の悪くなってきたごっちゃんの為にお粥などを作ってから出勤して行った。
ちょっと起きているとすぐ悪寒がしてくる。全く風邪のようでもあるが、これも食中毒なのか?今日は仕事を休むことにした。
夜、少し良くなったので、先週末接続可能なことを確認したインターネットへ、このページの、実に4ヶ月ぶりの更新をする。2月中旬からは編集が終っていないから、とりあえず1月末までのふた月分の日誌と、新しく作っておいた気恥ずかしいプロフィールやら協力隊の報告書のページをアップする。
アクセスしてくれる人は、ごく限られたものではある。それでも、以前は毎日のようにアップすることが日課のようなものだったし、暖かく反応を頂くことが励みになっていた。分量としても、あと数カ月で1年分に達するだけに、個人的にはちょっとした資料、あるいは資料や記憶へのカギになってきた。そうして続けていく中で、やっていくことの値うちが重層的になっていくのは新しい喜びだ。
これまでホームページのアップはもちろん、メールのやりとりまで出来なかった原因を、改めてまとめてみる。
990404 日曜日
降ったり止んだり
今日から夏時間は終って、通常の時刻に戻る。
朝、ペンションを出て、眼下の風景を楽しむ。急坂の階段を登ったところにあるから、細く入り込んで運河のようになった海と、その向こう、なだらかに重なりあう丘の構成を見下ろせる。
チロエを離れ、プエルト・モンへ。そこから長距離バスに乗り換えて、明日の朝まで車中の人だ。
が、ここで死ぬ思いをした。初めての「食中毒」。悪寒、高熱、吐き気、下痢だ。下痢は回数的には少なく、また吐くこともないのだけれど、寒さと熱がひどい。しかも、明日は勤務を控えているから、バスをおりる訳にもいかず、朦朧とした意識となんだか止まりそうで不規則な呼吸におびえつつ過ごす。全く他の3人には世話になった。しかし、食中毒というより風邪ではないかとみんなで思っていたから、たいそうな心配の仕方はしない。運の悪いことに、帰りのバスは往きよりもグレードの落ちるもので、トイレがかろうじてついているだけ。寝ていてもつらかった。ほかの乗客が寝静まるなかを、よたよたとトイレに走り、ふうふう言いながら座席に横たわる。風邪だと信じたいけれど、昨日むやみやたらに食べた生ウニが原因だとも分かっている。訓練所の講座で習った腸チフスだろうか?などと考えながら、とにかく早くサンティアゴに着いて欲しいと祈った。
隣の席のごっちゃんも調子が悪そうだった。
990403 土曜日
晴れ
セマーナ・サンタの3連休の中日。今日が旅のメインの日。ツアーに申し込むのもいいけれど、ちょっとした費用もかかるし、ここはのどかな牧歌を風景の中に楽しもうとすべきだということで、バスでうろうろすることにした。
今回我々は、ジュキがフェリア(露店)で買ってきたチリ国旗のTシャツやらトレーナーを着ている。恥ずかしいこと甚だしい。ジュキとごっちゃんは平気なようだ。4人揃えば変なガイジンである。デザインはええねんけども。僕は上からセーターを着たりしてる。
バスで更に離島にある町Achao(アチャオ)へ。渡しのフェリーは無料。風景と海産物以外は、町にある教会位しか、観光の要素は無いチロエのように思えてきたから、このアチャオの木造の教会には期待がかかった。
残念ながら今日訪ねた時間帯は扉を閉ざしたままで、内部は見られなかったけれど、18世紀に作られた屋根まで全て木製のシンプルな寺院は、チロエの他の地域の教会とは違って、うるさい塗装をされることもなく、質素な美をそのままにしていた。
夜、またもマリスコス(貝類)の料理を堪能すべく、昨日とは違った店に入る。我々は生ウニの大盛りと白米を頼み、持参の醤油とわさびを取り出して、おもむろに「大盛りウニ丼」を作り出した。なんという幸せ。僕らは、まさしく日本人なのだ。チリでは、生ウニはたまねぎのみじん切りとパセリとレモンで食べるのだが、それでは風味が消えてもったいないな、と思ってしまう。
もちろん良く冷えたチリワインとあれこれの料理も楽しんだのだが、今日はともかくウニ丼で、幸せ。食べ過ぎて、しばらくウニは見たくもなくなったくらいである。
明け方まで、ペンションでカードゲームをする。翌日は寝不足になってしまうが、すぐ帰途につくんだからいい。バスでは寝るしかないから。
990402 金曜日
晴れ
バスの窓から明け方の南部チリが見える。小説に書かれるような乳色の靄を地表面に溜めて、ゆるい起伏と草原と針葉樹の林が続く。美しい。大森林ではない。牛、羊もときおり見かける。
プエルト・モンへ着く。結構大きな港町。分からないけど、30万人くらいの人口はありそうだ。
チリ南部はドイツからの移民が多かったという。その特徴は僕には一目で分からないが、この周辺の小都市では、明らかにサンティアゴ近辺とは違う雰囲気があるし、建物の外装の仕上げをみると、概ねこの10州では木材のうろこ壁がふつうだ。中部に良く見られる羽目板は少数派といっていい。しかし、どちらにしても簡単な作りであることには大差ない。
人に聞いた話では、町によっては未だに家庭内でドイツ語が話されていると言い、これから行くチロエ島でも、何度かドイツ語を耳にした。観光客かどうか分からないけど。
今回の旅は時間が無いから、チロエを楽しむことを第一として、さっさと移動する。バスを乗り換え更に1時間ほど南下して船ごとフェリーでチロエに上陸する。さっきまで遠くにオソルノ山の、富士山にそっくりな姿が見えていたのに、それはもう見えない。ここからはもうすべてフィヨルドである。フィヨルド的な特徴は、地図を見る限り、ひとつ南の11州から更に顕著になるように思われる。が、入り組んだ湾が多いのはこの辺りも同じだ。
チロエ島は、南北約200キロ、東西約100キロの結構大きな島だ。(同200キロ、50キロとした地球の歩き方の記述には、間違いがある)フェリーから見たチロエと陸地に挟まれた海域は、とても静かで、全く凪いでいる。海岸で波を見ることも無い。小魚やアザラシが、透明度の高い海水の中で遊んでいる。
チロエ北部の町アンクーはほのぼのした町。ここでバスを乗り換えチロエの中央部、内海に面した中心都市のカストロに向かう。
バスターミナルにいた呼び込みのおばさんについて、安いペンションに入る。トイレやシャワーが共同のこういうタイプはhospedaje(オスペダヘ)というようだ。朝食込みで1泊3500ペソ。細く運河のように入り込んだ海を見下ろすいい場所にある。北米からの旅行客の声でいっぱい。ここまで来たら、もう4時を回っていた。
夜、散歩して見つけた良さげなレストランで、お楽しみのウニを、持参のワサビ、醤油、海苔で食べ、蟹、アワビ、ムール貝、等などの料理を楽しむ。最高に幸せだ。めずらしく酒の進む人もでた。
990401 木曜日
晴れのち雨
ナッチョに仕事の仕上げを任せて昼からサンティアゴへ出る。地下鉄マヌエル・モン駅から3キロ、ミクロ・ケア社で我がパワーブックを受け取る。ついに修理が終ったのだ。補償が効いた。
メールの受信をする。4ヶ月ぶりだ。300通を超えるメールが入っていた。半分以上はメーリングリスト関係ではあるが。たくさんのひとから、それこそ様々な内容のものが届いている。これまでにないものといえば、やはり訓練所時代の友人、つまり同期の隊員達からのものと言える。日本語で南米や東欧から届いており、とても面白い。ゆっくり読む時間が今はとれないので、緊急の連絡のみ通読する。
残念ながら、心配なメールも入っていた。短いメールを送信するが、出来ない。原因が分からない。ただし、僕はプロバイダ契約したわけではなく、人のパスワードを借りてネットに入っている。その辺に問題がありそう。
更に残念なことに、このパワーブック、液晶の異常が治りきっていない。以前のように真っ白になってしまわないにしても、1時間も使うと、赤と緑がずれているような、いかにも目に悪い像になってしまった。ええかげんにせえよ、ミクロケア。
午後7時15分、地下鉄サンティアゴ大学で降りたアラメダ・バスターミナルで、今日も同期の4人が集まる。ホンマに仲のいい、遊び好きな仲間達。明日3日からの金土日の3日間はセマーナ・サンタと呼ばれ、イースター関係の3連休で、土日に重なったとはいえ、ちょっとした旅行ができる。僕らはこれからチリ南部のチロエ島へ向かう。第10州の州都プエルト・モンからそば。サンティアゴからは1100キロ程度南で、南緯42度から43度くらいに位置している。日本で言えば、北海道くらいの緯度になるのではないだろうか。なんとなく風景も似ているけど、土質が若干違うのだろう。もっと乾燥して、痩せた雰囲気だった。
ともかくバスへ乗り込む。14時間乗りっぱなし。鉄道の輸送網が未発達である分、バス輸送が発達している。日本のバスよりは客室のグレードは高く、軽い食事や飲み物のサービスもある。シートのクラスによって、車両も変わってくる。今回桜井さんとごっちゃんがサラ・カマと呼ばれる3列シートの高級車(2万ペソ)。僕とジュキはセミ・カマという4列シート(1万5千ペソ)。それでも通常よりもいいシートである。
連休に当たらなければ、どうも3割くらい安いようだ。東京からなら九州へ届く距離。先輩隊員の話では、時期を外した安い車両は4千ペソ。約千円である。
乗り心地は十分良い。ジュキとあれこれ語る。彼女とは、訓練所の語学クラスも一緒だったのだが、意外に二人だけになったことがなかった分、今夜は他の客のことは忘れて話し込んだ。ひとつ分かったのは、彼女が僕以上の真正の夜型人間だったということだ。それ以上はここへ書くまい。