Diary
    日々の記録



     
     



     
    チリの小数民族マプチェの・・・なんでしょう?これは?
    マプチェ・マンとでも呼ぼう
    国立自然史博物館にて撮影
    ちなみに人形です
    動いたら恐い

    後日調べましたところ、これはマプチェとは違う民族による習俗でした
    上記、訂正します
    え?だったら何って?
    それはまた今度、調べます

    991221 km

     

    990328 日曜日
    晴れ
     

     連絡所へ泊まっている。またも同期の4人で近所の店へブランチをとりに出る。全く仲がいいのか、何なのか。
     新聞を買ってみた。チリの全国誌のトップは多分EL MERCRIOだろう。日曜日は政治、経済、文化など、テーマ別に分けられて、分厚いのが出る。内容はともかく、日本の新聞よりレイアウトは美しい。日本のは、味わい深いとは言えても、とにかく醜いと思う。
     今日は非常に静かに過ごした。なんにもしない。食事するだけだ。
     



     
     

    990327 土曜日
    曇り時々晴れ
     

     同期の4人でJICA事務所の前へ。午前8時集合でラフトツアーへ出発。JICAは関係者向けに、こうしたレクリエーションを企画する。今日のツアーは2,6500ペソもするから協力隊員は僕らだけ。はっきりいうとJICAが呼び掛ける企画は技術専門員や大使館のおじさま向けのなのだ、実際。

     貸しきりバスでマイポ川の中上流域へ。この間桜井さんの同僚に連れて行ってもらったところ。

     このあたりのマイポ川は、すでに薄茶色の濁流。今は水量が少ないらしいのだが、かえって楽しいらしい。日本の同程度の川とくらべると水量が多いのは、源流がアンデス山脈にあるからか。中上流域では個人的には四万十川に似ていると思う。

     ほとんど濡れる事はないと幹事役のS氏は言っていたので、おじさん方は屋形船にでも乗るような普段着。足下もそんな感じ。ガイドさん達からレクチャーを受け、出発する時には、しこうして「話がちがうぞ」「大丈夫かいな」といった声がちらほら。

     終点までは2級から3級の瀬が続く、御機嫌なコースだった。ラフティングにしてはやさしいけれど、やはり全身に水をかぶったり、落ちそうになる人は続出。でも川下りの楽しさは誰もが満喫できた様子だった。

     アサードでビールを飲み、ワインを傾けながら、あれこれ話す。今日は外務省から来ている国際協力活動の評価視察団の方もいて、お話も伺った。
     その方によると協力隊員の志望動機も変遷があって、以前の任国の発展に尽くしたい、というタイプから、自己実現の為、と言うタイプに主流が移ってきたという。僕は両方かなあ。

     夕食は、女性陣に肉じゃがを作ってもらった。御飯3杯を美味しく食べる。僕は毎度食器洗い。
     



     
     

    990326 金曜日
    晴れ
     

     午後から隊員の会合があるからなどと適当な事を言って、今日は出勤せず、午後からサンティアゴに出る。明日のJICA主催のラフティングの集まりが、朝早いから。

     午前、準備をしていたら、船便の荷物が届いた。家族からのEMS便ひとつを加えた11個の箱。大荷物だ。活字に飢えていたので、本が大量に届いた事が嬉しい。今日からサマセット・モームの「人間の絆」を読むことにしよう。家族からは僕のリクエスト以上の心づくしの食料品。言いもしない米まで入っている。

     船便では結局4ヶ月近くかかってしまったが、やはりと言うべきか、荷物の扱いは非常に悪い。ルームメイト向けにわざわざ信楽まで行って買った茶わんと湯呑み、計4個は、湯呑み一つが割れる結果となってしまった。スキャナーは外見上は大丈夫である。

     サンティアゴでは同期の4人でごっちゃんの誕生会がてら食事に出た。その前に2月生まれのジュキにはプレゼントを渡し損ねたので、今日手渡す。彼女の好きな青い色の額縁。ごっちゃんも額縁だった。桜井さんには違うものにしたい。

     パワーブックの故障以来、日記は手書きである。来るべきネットへのアップの為に、今日は頑張って隊員連絡所のデスクトップで入力するつもりだったのに、予想通りあんまり進まない。

     毎日少しは変化があるせいか、短くともそれなりの思いを書くだけの余裕が生まれず、どうしても記録だけになりがちなのが気にくわない。果して他人が読んで面白いかどうか。僕としては、どこか面白くないなあ、と思う。
     



     
     

    990325 木曜日
    晴れ
     

     午前と日没後の冷えること。どうか、早く船便がつきますように。秋、冬物はまだ持って無いのだ。買うより、やっぱり送った方が安いからなあ。

     午後までに、ホース・トレッキング用のキャンプ施設の備品のイラストを書く。ベンチや椅子付きのテーブル、かまど等。
     ベルナルドと体育館の打ち合わせ。

     僕への電話。船便がついたと言う知らせ。JICAから。良かったあ。

     夜、ごっちゃんの家へ、彼女の誕生日のパーティーに行く。彼女には知らせないで準備してある。散歩に連れ出されて戻ってきたら、派手な飾り付けと巨大なケーキ、そして仲間達が待ち構えて歌を歌う。彼女は大感激だ。なんて素晴らしい仲間達だろう!実に幸せなごっちゃんだった。
     後半は踊りまくり。若い男は僕だけだから、引っぱりだこ。若い女の子は、ごっちゃんと、彼女の同僚のロレーナだけ。あとはおばさんやおじさんだらけ。ロレーナは、なかなか可愛い子である。
    「あなた、シンパティコね」
    などと言ってくれるので、その日は僕も幸せだった。
     



     
     

    990324 水曜日
    快晴
     

     日中、真夏並に強い太陽とスカっとした青い空になった。ただ、空気はどうしてもひんやりしたままだった。

     朝、僕の所属する企画調整局SECOPLACでは、机をくっつけてお茶を並べ、ケーキを運び入れている。僕が同居しているのはアニタだけではない。もう一人の同居人のアレハンドラの、今日は誕生日だ。happy birthday to youならぬcumplean~os felizを歌う。彼女はアングルの肖像画か何かに出てきそうな、なかなか綺麗な顔立。今日で28歳。

     昨日まで忙しかったので、今日は反動のサボリモード。隊員報告書1号には業務報告書をつける必要はないけど、着任早々の動きこそ候補生のときは最も知りたかったことだ。だから、簡単に書くことにした。まだパワーブックが修理から戻っていない。書きながら編集できない手書きでは、不便に感じる。僕ももうワープロ派になってしまったのか。

     昨日から読んでいる「建築マップ 京都」のコラムなどを読む。なかなか面白い。気持ちが建築に向いているところで、僕らチリ隊の建築系隊員部会について、草案を作ってみる。次の隊次の都市計画隊員を入れて4人になるから、いい機会だ。派遣が始まって、まだやっと2年しか経っていないチリなので、全てはこれから作っていかねばならない。建築事情や環境事情の調査とか、ニュースレターの発行などが出来ればいいだろうなあ。意見交換したり、酒を飲んだりするだけでも、十分意義があると思う。来月には先輩隊員を訪ねてみるつもりだから、それまでにまとめておこうと思う。

     新建築2月号の月評に、1月号掲載の「静岡グランシップ」に触れた文章があった。グランシップは磯崎新設計の演劇のための総合施設。総工費は400億円を超える。磯崎氏は以前、東京五大粗大ゴミなるキャッチフレーズで、無駄な箱もの建築のことを取り上げた文章を発表しているが、グランシップは、果たして粗大ゴミとはならないのか?という趣旨。
     この手の話はいつでもありそうだ。
     僕の住んでいた関西で言えば、JR京都駅のことを思い出す。これは公共建築ではないけれど、大きく、記念性もあり、公共性が高いことでは、グランシップの比ではない。箱ものの建築行為とは離れるけれど、僕には、建築の作られ方の流れが同じものとして感じられる。
     つまり、このような大きく、お金のかかる、また出来た後のお金の流れの大きな建築には、その企画段階におけるプログラム作りに建築家はどこまで関われるか、ということは設計について考える時には重要なことだ。京都駅の場合、JR等の事業主が既に設計時には要求条件を作っていた。次点で採用されなかった安藤忠雄の案だけが、それを無視して都市の文脈の方を主に置いていたのだが、当然蹴られてしまった。
     磯崎氏が粗大ゴミとして指摘せねばならなかった巨大建築たちも、見識と実力のあるプランナーとしての建築家が、企画から関わることが出来ていたなら、応分なプログラムを与えられた、都市にとって適当なスケールの建築となり、またそのような施設として運営されていったろう。そのあたりの仕事の流れを置いてしまって、最終的な具体的施設の設計だけを取り出してあれこれ言っても始まらない。
     社会的な存在としての建築づくりを考えるなら、その辺のことを含めなければ、いつでも建築家は難解なコンセプトを語っては、形の成り立ちだけに人々の目をそらさせる、ずるい作業から逃げられない、と思う。さもなければ、正直にその辺をことわってから語るべきだ。僕はプログラムの具体化から関わったのだ、と。プログラムには合意したものの、プログラムの作成者達の代弁は出来ないし、責任も持てないよ。分かってね、と。
     実際、そうはいかないか。食べていけなくなるから。でも、こんな仕事に携わりながら、都市にとって不適切なプログラムの建築が計画されようとしたとき、それが事前に分かるのは、やっぱり主に建築家なのだ。けれど、それを大々的に指摘していくことは難しい。その辺り、商売人としての建築家の辛いところだ。そしてまた、彼等の話す言葉が、純粋に論理的でなくならざるを得ない部分なのだ。商売の論理をからめることは難しいからか?社会的、経営的、歴史的、その他、あれこれの、建築するためのいろんなこと共に対して、できればひとつ残らずすっ飛ばさず、議論できたらいいだろうなあ。ゼネコンやら大手設計事務所がもてるのは、その辺に対して、一定の水準のコンサルティングの能力があるからだと思う。
     



     
     

    990323 火曜日
    快晴
     

     気がついたら、21日は秋分の日だった。チリでは休日ではない。ただし、夏時間を元に戻す日でもある。ところが今年はラ・ニーニャで旱魃だ。電力を水力発電に頼るこの国では、少しでも節電するために、もう暫くの夏時間の延長を決めている。

     朝食もとらず、急いで家を出ようとしたら、アニタが言う。
    「今日の説明会は6時からになったのよ。急がなくっていいわよ。」
    午後だというから急いでいるのに、はよ言わんかい!僕のコミュニケーション能力の問題ではあるだろうが、言うくらい言ってくれ。6時でも午後ではあるけど。

     で、忘我の境地で描きまくり、5時半に完成。これだけの大きさの絵を2日で2枚描いたんだから、我ながら大したもんだと思ってしまった。パースは鳥瞰だし、建物の絵でもないから、ほとんど風景画である。素人目には十分見栄えがするはずだ。

     脱力。帰宅後、腹が減るからパスタとアボガドとオイル・サーデンでビールを飲み、読みやすい本を読む。「建築マップ 京都」TOTO出版。大学時代の同級生のKも執筆していることを今日初めて知った。研究職って、厳しい世界なんだろうなあと思う。

     アニタが帰ってきた。あのガレトンの説明会に行っていたのだ。パースは好評だったらしい。が、肝心のプロジェクトは賛成派と反対派が綺麗に分かれて大変だとのこと。ピノチェト時代からの農地解放策でガレトンの土地の所有権には、不平不満がいろいろあるらしい。つまり、俺はあそこの土地をもらうべきだった、いや、ここはうちのもんだ、といった具合。このプロジェクトだって、利益が地区全体に行き渡るわけではないから、自然、もとから不満のある人は、何かのチャンスに出来ないかと考える訳だ。

     近所の中学生のアンドレスの技術の宿題を手伝ってやった。ゴミ箱の図面。めざとく飾り棚のピースライトを見つけてせしめていった。
     



     
     

    990322 月曜日
    晴れて綿雲 羊雲
     

     まるで俳句の、今日の天気よ。たまにはいいかも七五調。

     ほんとに変な夢を見た。朝食をとりながらアニタに言うと、嬉しそうに夢占いの本を持ち出してきた。

     家の表のパン・アメリカン・ハイウェーから、でかいトラックにヒッチハイクで乗せてもらう。北へ行った町、リグアへ。途中あるトンネルが、鉄道用だった。とても恐い思いをする。
     いつの間にかトンネルは抜けていた。気がついたら、なんと出前の板前さんの自転車の後ろに座っているではないか。見回せば、そこは阪神高速の高架が見える、神戸。三宮ではなく、もう少し東の繁華な通り。なんだ?どうした?と困っている僕。

     彼女の図書館から借りた、その占いの本によれば、トンネルは仕事難の相を示すという。その通り、今日はちょっと大変だった。

     午後、しばらくすると、ガレトンのキャンプ場の整備計画の説明会に使うイラストを書いてくれとのこと。アニタとカルメンからだ。なんと説明会は明日だと。普通に考えれば、出来ないと言って断わるところだし、そうすべきかも知れないが、しかし引き受けた。なんでもやる課、の精神だ。はよ言わんかい!
     1メートル四方のクラフト紙に書く。ホース・トレッキングの出発点であるガレトンのキャンプ場の鳥瞰図を1枚、それからトイレと洗い場だけのイラストの計2枚。明日までにできる?
     先週から、いつ説明会があるか、早めに言ってくれと伝えておいたのにこれだから、先が思いやられる。具体的なマテリアルがない住民への説明会なんて、紛糾を呼ぶためだけにやるようなものではないか?僕には絵がないばっかりに説明会が失敗するなんて考えたくないし、用意は周到にやりたいと思うのだが。カルメンには、先日僕が撮影した現地の写真をプリントしておくよう言っておいたが、やっていない。嘘の絵は書きたくないのだけれど、記憶に頼る以外になくなった。
     次からは、仕事の段取りを、もっとしっかりやってもらうことにしよう。

     水場の絵は、8割がた終らせた。明日は早出だ。

     千春さんから電話があって、明日から家の工事が始まるので、至急図面をくれとのこと。急すぎる。図面もないのに明日から工事?8時までがんばって、なんとか格好をつけて出かける。
     カレラで、また別の用を済ませたあと、千春さんの家へ。セニョーラ・フロールは、夫を亡くしたショックからようやく回復したようだ。すっかり元気。とくに僕のような若い男の子が来ると喜ぶらしい。図面を渡し、ウマというとうもろこしのちまき?みたいなものを頂く。うまかった。
     お金を払うわね、と初めて言ってきてくれたが、当然お断りする。言ってくれれば十分で、僕は今、どこを切ってもボランティアなのだ。喜ばれることなら、なんだってやる。だって、生活は保証されているのだ。金のために働く必要は無い。代わりに、完成のお祝のアサードには呼んでね、と言っておいた。

     千春さんは、今週、身も縮むような、大切な会議を控えて不安いっぱいの様子。これまでの努力がプロジェクトとして実るかどうかが決まるのだ。どうぞ、がんばって。
     



     
     

    990321 日曜日
    晴れ、雲多し
     

     昼に起き、何も食わずカルメンの家へ向かう。
     今日は我が同僚のカルメン・グロリアの26回目の誕生日。色黒で太い眉、長いまつげに強い瞳のこの女性、凄いグラマーである。チリではいわゆるminaと呼ばれるくちだ。とても親切な彼女には、いろいろと世話になっている。
     今日で3日連続のアサード。かなり太ったように思う。ええ加減あきるで。これは。市役所の顔見知りや彼女の友人達が集まっている。昼下がりの陽光の下、それはそれは和やかだった。
     この彼女の家も、正面を走るパン・アメリカン・ハイウェーの拡張工事のため、立ち退きになる。歩いてすぐの所に新居が完成していた。珍しく2階建てで、なかなかのお屋敷だ。ちょっと構造的に弱いのではないか?と思った。もし良かったら、ここへ下宿してもいいわよ、家族はパプードに出てることが多いし、などと言ってくれる。ちょっとどきどき。

     家に帰ってからアントファガスタのジャジャ達に手紙を書き、アニタにチェックしてもらう。オンセをとりつつ、アニタの将来設計について聞いた。
     彼女はあと1年延長するセルビシオ・パイースの活動を終えたら、スペインへ留学してマスターを取り、帰国後は公務員として働くつもりだ。もしも留学のための奨学金がとれなくても、サンティアゴで大学院へいくのだと。スペインには、学生時代の恩師の影響で大変な憧れがあるらしい。たしかにスペインは学問の国でもある。なんといってもラテン語を親に持つ、ロマンス語の国なのだから。
     



     
     

    990320 土曜日
    晴れ
     

     昼に起きる。なんだか軽油みたいなにおいがすると思ったら、アニタがリビングと自室の大掃除をしている。床にワックスをかけたらしい。感心。僕はといえば、出かけるので手伝わなかった。ごめん。

     所用でカレラへ出る。帰りに明日のカルメンの誕生日のためにプレゼントを買う。彼女は写真を撮るのが好きだから、額縁でよい。4800ペソ。アントファガスタのハルミとフアンの写真を入れて送るために、小さい額縁も買った。
     ついでに家に久しぶりに電話してみる。父親が出た。元気そうだ。母は能登へ旅行へ行ったとのこと。
     スーパーで買い物して帰る。

     帰ったら、松原さんが来てアサードに誘ってくれた。サンティアゴに住む彼の兄夫婦と子供さんも来ている。更に友人の石原さん、渕名さんも。けれど、いわゆる日系人でないのは僕と渕名さんだけ。ほかのみんなはアルゼンチンでの幼馴染みだ。
     アルゼンチン人でもある、あるいはあった、彼等はスペイン語も日本語もほぼ完璧だ。親のなまりをそのまま受け継いでいるのが面白い。彼等だけの会話では、ときどきスペイン語にスイッチすることがある。そんなとき、この僕には未だに慣れない言葉が、強い土の香りに包まれた、人間臭い方言の様に聞こえてくる。

     松原さんのお兄さんが持ってきた、あるBodega(蔵元とでもいうの?)のワインの、飲みやすく、しかも深い味わいに唸った。さらにその後の梅干しとお茶漬けには感動した。

     彼等に聞いた、アルゼンチンの習慣のひとつ。大学の卒業式のあと、卒業生はお祝代わりにいたずらの餌食にならねばならない。かなりひどいもので、裸にされてはりつけになって、更に市中引き回しなど。ほんまかいな。チリでは卵やメリケン粉をぶっかけたりする程度で、かわいいものだ。
     



     
     

    990319 金曜日
    晴れ
     

    ほんとう の さよなら は
    ながい とき を こえて
    おもいで に かわる とき
    やってくる の ね
     

      サイレント・メモリー:大貫妙子
     同様の歌詞は、何度も聞いたことがある。
     こんな、楽しく美しい経験も、いつか思い出に変わる。それが虚しいことだとは言えない。忘れてしまうようなことがあったとしても、血の中に生き続けるような、そんな言い方がぴったりくるような気がする。

     今日は、ベルナルドの実家でアサードが催された。
     聞き取りがちゃんと出来なかったのだけど、どうも勤務1周年のお祝らしい。

     半年程前、きっとチリで日本の歌を歌う機会もあるかと思っていた。今日は、その日だ。「上を向いて歩こう」「ふるさと」「ソーラン節」等を歌う。とくに「上を」は誰でも知っている名曲らしい。もちろん日本語で歌った。
     アサードやパンや、サラダに誘われ、ワインを飲み、ピスコをなめして、歌い、喋り。何の無理も無く、美しいくらいリラックスして楽しんだ。こういうものをこそ、日本人は求めているのではないか。なんて思ってしまうくらいだった。
     



     
     

    990318 木曜日
    晴れ
     

     昨晩のパスタにはニンニクを丸まる1個入れたので、今朝は異常に目覚めがいい。

     最近髪が伸びたのに整髪料をつけないから、だらしないこと甚だしい。日本人はみんなこうかと思われるぞ。

     午後2時半から、プラン・レグラドール会議。「文化の家」で。集会所だ。議会もここでやっているようだ。市長、ギジェルモ企画・調整局長(SECPLAC局長)、公共事業課の建築家ベルナルド、 SECPLACのアロンソ、そして僕。計画図を持ってきた具体案の策定者は、チリ大学のアルベルト教授。
     どうも図面を見ていると、単なる都市部の道路計画図である。それ以外の物ではない。プラン・・が何ものかは、きちんと質問してもいいが、中途半端だと余計に分からなくなるので、法令集を当たることにしている。

     会議には、何の進展も無かった。途中作業フェーズの合意にずれがあったようで、2ヶ月遅れだ、などと応酬する場面もあった。チリらしい?
     昨日書いた意見書は、マキシモとカルメンが午前中を使ってチェックして、パソコンで清書までしてくれた。全く頭が上がらない。誠意があるのだ、彼等には。で、会議前に、ギジェルモだけに非公式に提出する。今日の会議は座っていればいいよ、と笑われたが、そのうちきちんと意見交換すればいい。1日で準備したことは、熱意としてくらいはアピールしたろうか?

     夜、ごっちゃん家へ旅費を預けに行く。オンセを頂いた。相部屋でプライバシーが護られない彼女は、結構気疲れしているようだ。引っ越すしかないよなあ。それまでがんばれ!

     帰り道の暗がりからは、南半球の天の川が良く見えた。南十字星も、実際に見ると、そう大したものとは思えないというのが実感。北半球にくらべて星が少ないからか、カトリックの信仰が深いのか、割合綺麗にラテン十字の形の星があったので、そう名付けたのだろうか。そういえば、こちらでは夏の星座のオリオン座の三つ星は、Tres Marias(三人マリア?いい訳し方が見つからない)である。

     全く、全くいわれもないけれど、こんな疎な星空を見ていると、島国日本の、あの大量、多様、複雑、雑多、短小、高速・・・な、あれこれとは正反対の、こちらの世の中を思う。チリが単純だというとお叱りがありそうだけど、やっぱり日本よりは単純だ。くらべるのがおかしいのだ。でも、日本語の語尾変化の多様さにみるような、言葉の豊かさは、スペイン語には少ないのも事実で、直截で素直なこの世界が、どうしても疎、に思えて、ぎちぎちに詰まった日本のことを思い返してみたくなったりする。恋しいのではないが。
     でも、語彙の豊かさでは、スペイン語はかなりのものだろう。隠語も多いし。何よりお喋りが大好きな人ばかりだ。人付き合いを実は結構していながら、それをうっとおしく思っている人が日本には多いと思う。チリは人付き合いに疲れない人ばかりに思える。それはこんなふうに、疎、だからだ・・・。違うかな?
     ただしかし、チリと日本の人間達は、結構似ていると思うことも、とても多い。人間って、ひとりひとり違うけど、集合的には驚くほど似ている。逆も言えるように思うけど。何が言いたいのかな?
     



     
     

    990317 水曜日
    晴れ
     

     朝、快晴。しかし正午を過ぎれば、夏とは違って綿のような雲が出て、もう抜けるような青空は見られなくなった。秋が来る。

     昨日もらったメロン地区の診療所関係の資料を読む。特に入札の規定は、チリにおける公共事業の進め方を知る上で格好の材料だ。今回は見積もりを含めた設計の入札である。
     僕がこれを読む間、マキシモは体育館の図面の清書を進めている。
     隣の第4州にいる建築隊員のノリヒコさんは、既にひとつ体育館の基本設計をやった実績がある。同じ職場の都市計画のトシヒコさんもいるし、来月くらいには話を伺いに行こうと考えている。二人とも日本にいる時から何度かメールで質問させて頂いた人達だ。

     ジュキから電話がある。
     来月4月2、3、4日は祝日が続く。イースターのお休み。聖週間と呼ばれる、日本で言えばゴールデン・ウィークか。これを使って、同期の4人でチリ南部のプエルト・モンかチロエ島へ行こうと言っている。もともと旅慣れている上、既に南部を知っている彼女がバスの手配をしてくれたので、その知らせだ。
     30分も話したか。日頃なんでもテキパキしている彼女なので、長電話は嫌いかと思っていた。僕?嫌いでもない。
     まだ本格的に仕事が始まった訳でもないし、やっとこの生活に慣れてきつつある今だから、人恋しくもなり、物思いにも耽りがちだ。この電話は、そんな状況の表れだろうか。

     今日は久々に終業後、家に帰ってじっとしていた。
     明日、Plan Reglador(プラン・レグラドール)の会議があるという。行政が行う都市計画的な仕事のひとつだ。法的にどんな意味があるのか、まずそこの辺りから分からない。さすがは協力隊員だ。直訳すると「規制計画」くらいの意味だけど、具体的にはよう分からん。出ればそれでいい。
     が、そうもたびたびない機会なので、この際何かの意見書を投げてみよう。あんまり意味は無いし、軽率な行動だと認める。でも、何らかの決定をみるいつかの瞬間、僕の視点が少しは影響するかもしれないし、意見を考えておくということは、何にせよ、ものを喋ることが困難な僕には大切な行動だ。で、がりがり書く。和西辞典と首っ引きだ。
     主に都市防災とスプロール対策、パンアメリカン・ハイウェー利用策としての「道の駅」の提案である。明日の会議と関係があるとか無いとか、そんなことはいいのだ。

     安物のパスタで作ったペペロンチーノがまずかった。

     辺見庸の「もの食う人びと」を読了。
     丁寧に書かれているとは言い難い。しかし、ことごとく具体的な実感のみに支えられた、素直な言葉で語られている。我が興味が、ときに触れ難い部分に向けられることを感じたら、彼は勇気と技術で進んで取材する。一貫、手目耳鼻口舌・・・、感覚器官を通じて書いている。それらは彼の目標だったとのこと。そこそこの成功を納めた結果が、かつてのセールに結びついたのか。
     記憶に残ったのは、ポーランドの炭坑のスープのうまさ、そして朝鮮人従軍慰安婦の話の重さ、ごまかしようの無い記憶の巨大さ、だった。
     とくに慰安婦として生きた時期をもったまま、半世紀以上を凌いできたおばちゃん達に対しては、歴史観とかなんとかいうことはいいから、目の前の悲しみをどうしよう、そんな動きがなんと弱かったか、日本政府は生身の人間を擁護するよりも、結局原則にかしづきつづけたのか、と悶々してしまった。僕みたいな人間は、実際のところ何も動けまい。動くべき、力も資格もある人間の無感覚?怠慢?その人の、人間よりも組織の方を向きたがる勘違いが、「悲しい歴史」を乗り越えさせないのだ。多くの人が、その「立つべき人間」を特定できないのをいいことに。多数の、個々の人間が何らかの行動をとっていく中で、この問題を動かすことが出来るというふうに考えるのは、この場合違うような気がする。現実的に、問題が動くのは、「立つべき人」が立った時だけだ。

     いちにちの後半を通して、ヨーヨー・マのバッハのソロを聴いて過ごした。事務所の先輩から貰った、新しい全曲集。もう1枚持っているソニーの旧版とくらべて、余りに饒舌な気もする。でも好きだ。作曲家さえ全く思いもよらなかった音楽の輝きを、きっと演奏家はとりだして見せることに成功していると思う。
     バッハはこのチェロ・ソロにおいて、第5番でさえ哀しみを描かなかったと思う。どの楽曲も、自然の見せる姿のように、解釈を待ち、批評する余地を残した現象のようなものに感じられる。演奏家はそれがいかに美しいかを教えてくれている。彼は詩人なのだ。バッハは創造主ではない。現象は、捧げものとして作られたそれらの、たくまずしてとった姿なのではないか、と思う・・・思う・・・・

     今日の日記は、長かった、と思う。
     



     
     

    990316 火曜日
    晴れ、雲も多い
     

     朝は冷える。息が白い。紺のパンツに白い長袖のシャツ、ジャケットで外へ。

     午後いっぱいまで、マキシモにCADで清書してもらう為に、体育館の図面をしっかり描き直した。

     上司のギジェルモ局長が、メロン地区の診療所の資料をくれた。いずれも設計入札の資料だ。建築の設計と総工費の見積もりを提出させるもののよう。頭に入れるべし。

     「夕方からパプードに行くけど、一緒に来ない?」
     カルメンが誘って来る。パプードはノガレスから北西100キロの大平洋岸にある小さな町だ。もちろん行く。

     パンアメリカン・ハイウェーをそれて西へと茫漠たる平原を行く。すでに日は暮れてしまった。カルメンと父親、そして彼女の弟が一緒。別荘的に空家を1軒借りる交渉がついているから支払いに行くのだそうだ。

     お婆さんの大屋さんについて家を見る。張り出したテラスを持った家が多く。瓦屋根も見かける。小さいながらも豊かな町のようだ。人口はノガレスと同程度の2万人弱だろうか?ここにも協力隊員がいる。

     帰りにはカルメンの自宅でオンセを頂く。彼女は僕を気に入ってくれているのか、何かと親切だ。今日は他の町を見せる機会を作ってくれたのだろう。楽しかった。彼女の父親はセメントメロン関係の鉱山の重機のオペレーターだ。東洋的な顔立。
     



     
     

    990315 月曜日
    曇り時々晴れ
     

     午前、訓練所を退所したHさん、Mさんへ葉書を出す。どうしているだろう。Mさんは4月からの訓練を終えたら、11年一次隊として赴任する。

     午後、体育館の図面を描く。

     カレラへ出かけた後、家でスペイン語の勉強など。
     



    recent

    -kmdesign home-