990228 日曜日
曇り
終日曇り日となったのは、チリへ来てから初めての事だ。きっと盛夏は過ぎて、チリの季節は秋へとその歩みを移したのだろう。肌寒い一日だった。
正午に起き。アニタと遅い朝食のような、昼食をとる。
午後いっぱいは、今度自作する部屋の書棚の設計をする。材料費は市が持ってくれるらしい。なるたけ小さい断面の角材と薄いベニヤで構成したので、作りやすく、しかも安くできるはずだ。
机と椅子は完成品を入れてくれるらしい。本当なら、製作はどこかの木工所へ出したいが。
夜、スペイン語の自習。接続法。なになにだったらなあ、というやつ。英語だと仮定法っていうんだったかな。難しい。
就寝前、平和学関係の論文、というか提言を読む。
990227 土曜日
晴れ
昼起床。マルセロ、アニタと近くの食堂で昼食。ここも、いつも行くエルミニア婆さんの家と同じ1000ペソ。安く、うまい。
アントファガスタのSECOPLAC局長のオスカル氏から紹介してもらっていた、ビーニャ・デル・マルにいる女性に電話する。ガブリエラという。ちゃんと僕の事を知っていた。嬉しい。
6時。待ち合わせていたビーニャの教会の前で落ち合った。ここまではコレクティーボで。900ペソ。80キロはあると思うけど、200円位ということか。ああ、安い。
時間があったから少し散歩して、手ぶらで会うのも何だからケーキを買った。
で、6時。目の前に現れたのはショートの金髪に灰がかった緑の目の、長身の女性。28歳というのに、物凄く落ち着いた大人だ。声が低くて、少しかすれているからか。堂々たる美しい白人。サンティアゴで保険会社の秘書をしている。オスカルの婦人のリリーの実家とはお隣さんだったので、子供の時からの付き合いだそうだ。毎週末はこうしてビーニャへ戻ってくる。
いとこのカタリナも付いて来ている。背は大きいが12歳。滑り台の大好きな子供だった。
車で海岸線を走る。北部のリゾート地、コンコンまで行く。
前回訪れた時は夜だったので何も分らなかったけど、ビーニャは昼間来てびっくりするくらいの美しい町なのだった。観光客が多いのも頷ける。歴史のあるパルパライソと、近代的なリゾート都市ビーニャ・デル・マルが隣り合っているのが、またいい。
海岸は砂浜と岩や断崖が続く。和歌山の海岸を思い出した。波は高く、白く大きく砕け散る。ただ、水は汚くはないけれど、都市排水の影響で濁っている。泡の帯も見当たる。南極からの寒流の海は、ほとんど冷水だ。こんな夏の日でも、足を漬けているのさえ辛いくらい。為に風も冷たい。いつだって爽やかで、夜ともなるとセーターやジャケットは必需品となる。
カタリナのお兄ちゃんとも落ち合い、4人でお茶を飲んで別れた。また会う事になるかどうか。
美味しい海鮮レストランやバーを教えてもらったので、また来ようと思う。
990226 金曜日
晴れ
11時過ぎ、JOCV機関誌、クロスロードの取材班が来る。
S編集長と、協力隊事務局のNさんの2人。2日前にニューヨークで一泊だけして着いたばかりという。昨日もすでに取材活動をしていたというからお疲れだ。婦人2人では辛かろうに。
協力隊関係者の中でも、世界中の隊員達の事情について、最も詳しい人のひとりである事は間違いないS編集長は、たぶん還暦目前ではないかと思われる。失礼だろうか?彼女はしきりに僕の職場の環境は恵まれていると言う。つまり、仲間に恵まれていると。僕もそう思う。
市長をはじめ、仲間を集めて記念写真を撮った。これが雑誌に掲載されるとは思わないけれど。
ごっちゃんの職場のIER、千春さんのカレラ市役所にも同行。
カレラ市役所の脇に青林という中華料理店がある。編集長は、赴任して半年ながら語学に堪能で奮闘している千春さんの話に聞き甲斐がありそうだ。
いやしかし、味が濃すぎて閉口した。なんだありゃ。
夜、マルセロとアロンソが家に来る。中華の残りをもらって帰っていたので暖めて出す。皆でビールを飲む。マルセロは2人の子供がいながら離婚した父親で、まだ若い。しかし恋人が途中参加して来た。なんだ、美人じゃないか。畜生、やるなあ。
990225 木曜日
不明
朝から終日概況分析報告書を読む。
990224 水曜日
晴れ
朝サンティアゴを出る。中央駅までは尚子さんも一緒。
正午、ノガレス市役所。市の概況分析報告書を読む。
午睡。
夜、9時半から、カレラのサッカー場でエル・シンボロのコンサート。千春さんがタダ券をもらったから一緒に行こうと誘われた。こちらでは非常によく流行っているアルゼンチンのグループ。男性ボーカルと女性ダンサー、男性キーボードの3人組。クンビアみたいな、明るい、簡単でのりのいい音楽。
前座や漫才があるけど、当の本人達が来て始まるまで30分位間があった。チリらしいなあ。
終了1時半。もうバスは無い。コレクティーボを拾って帰る。500ペソ。
アニタとアレハンドラは、今日もいない。
990223 火曜日
晴れ
いよいよパワーブックの画面が真っ白になってだめなので、ちょっと阿呆らしいけど午後からまたサンティアゴへ出る。昨日帰ったところじゃないか。バスで2時間の距離では、こういうことも、してしまえる。
ミクロケアという会社で、地下鉄マヌエル・モン駅とサンタ・イサベル駅、どちらから行こうが3キロも離れたところにある。歩いていく。落ち着いた、大きな建物のない地域。見るからに安全な平和な町を行く。暑い。
ここはアップルの正規の修理代理店で、なかなかリッチな社屋である。それだけで安心できた。1週間から10日程でお返し出来ると思いますよと、調子のいい窓口の男の言葉でほっとする。来年8月までは補償が効く。ハードは補償対象だが、ソフトは有償とのこと。
夜はアルゼンチンから日系社会青年ボランティアのYさんが旅行に来ていて、連絡所に泊まっているので、たまたま居合わせた桜井さんともども飲みに行った。
日系・・は、青年海外協力隊と同じく、JICAがやっているプログラム。協力隊の2年と違い、任期は3年。日系人社会への支援が目的なので、協力隊のいないアルゼンチンやブラジルも派遣国になっている。
990222 月曜日
晴れ
昨日はノガレスには戻らなかった。今日はサンティアゴのJICA事務所へ行きキャッシュカードを受け取る。
これは以前申し込んでいたチリ銀行(中央銀行ではない)のもので、ニューヨークへドル立てで入金される生活費(海外手当という)を移す口座のカードだ。田舎では自分でお金の移動をするには時間もかかるから、JICAのほうでやってもらうことになる。ちなみに僕らの海外手当は、月に530USドル。チリでは実際のところ半分しか使わない。住居費は受入先の負担だし光熱費も大抵は同様だから、小口の交通費や飲食、衣服等だけを手当から出せばいい。
ついでに、プロバイダもやっているエンテルという電話会社にも寄ってみたのだが、希望していた格安のコースが法人ようだったことが分かり、加入は見送った。
ごっちゃんは、今日着任した。不安いっぱいのようだったけれど、彼女の事だから、また淡々と慣れていくんだろうなあ。
今日はノガレスへ帰った。
990221 日曜日
晴れ、雲多し
午後、じゅきと桜井さんと3人で出かけた。サンタ・ルシアの丘へ行く。セントロにある小高い丘で、その昔要塞だったという美しい公園だ。眺めも雰囲気も、僕は好きだ。
その足で国立美術館へ行く。まだパラディオの建築展が続いていた。2階のギャラリーでぼうっとしていたら、アートの実演が見られた。床に白い粉を撒いてパターンを描くのだが、自ら全裸になって、身体の型をとったりしていた。あそこまでやると、雰囲気は出るなあ。ただ作品としては、?だったが。
990220 土曜日
晴れだったと思う
昼起床。
外に出たのは、近くのスーパーに買い物に出た時だけ。
買い物には半年先輩のナオキさんと一緒に出る。紀州人らしい人。鍼灸マッサージ師として、教会がやっている老人ホームに勤務している。仕事をしていくとき、上司や組織の雰囲気が大事なのは、チリでも日本と変わらないようで、ここでもそのあたりの苦労を強いられる環境にある。ここらが踏ん張り時か。
夜、任国外研修旅行中のパラグアイ隊員の二人が、わがチリの隊員連絡所に泊まるため、やって来た。向こうの様子を聞く。
飲んでいると、技術専門家関係のT氏が、吉本新喜劇のビデオを持って現れた。この間、ノガレスでの窒素酸化物計測について問い合わせをさせていただいた方。骨のある人だと思う。
990219 金曜日
曇りのち晴れ
昨日引いた風邪で、今朝も辛い。午前中だけ休む。
夕方みんなは早く帰っていった。
同居のアニタとアレハンドラが飼っている犬のプッピーは、顔の皮膚が荒れている。バカシオネスで旅行中の彼女達に代わって、中学生の友人のアンドレスが薬を塗りにやって来た。時間にルーズなチリ人には珍しく、6時ちょうどに彼は来た。
たびたびやって来ては、僕が日本から持って来たたばこをねだるので、厚かましいやつだなあなどと思っていたが、たばこをくれというのは、こちらでも日本でもよくあることだと最近気がついた。僕はたばこを吸わないから、そんなやりとりには慣れていないし、吸わない僕がたばこをあげるときは、箱単位になってしまうので、余計に彼を厚かましいやつだと思うようになっていただけだ。(チリでは、中学生程度の年令になれば、たばこは当たり前のようだ)
その彼は、今度家に御飯でも食べに来いよという。長距離トラックのドライバーをしていた彼の父は、職業病で数年前亡くなっている。お母さんには、彼だけが残った。父親に付いて、アルゼンチンやパラグアイに行ったことがあるそうだ。なんというのかな、鉄工エンジニア?になりたいんだと。素直で、利発な、ふつうのノガレスっ子だ。
夜9時の便でサンティアゴに出る。隊員連絡所泊。今日はJICAの専門家で来ていた玲子さんの送別会。三十路半ばの彼女は大のフォーク好きで、みんなでギター抱えて遅くまで歌った。
ごっちゃんから、僕らの同期の隊員が一人、すでに帰国してしまったという噂を聞いた。詳細は分からないが、訓練所では僕も少なからず知っている人だけに、とても心配だ。
990218 木曜日
曇りのち晴れ
朝食を千春さんのところで頂いて出る。うっすらと霧雨。今日はバスのガラスが濡れている。降水量の記録は0かも知れないくらいの小雨だけど。それでもチリへ来てから初めての雨だ。
昨日読んだ学校の仕様書を引き続き読む。単語が難しいから進まない。
風邪がいよいよ本格的になってきた。家に帰って体温計で計ったら微熱。日本からの封筒にウィルスが潜んでたのではないか?とにかく寝る。
公共事業課長のアニタによると、のどにはにんにくがいいらしい。元気も付くだろうし。夕食はアボガドににんにくのみじん切りを混ぜたペーストをパンに塗り、トマトスープに野菜を入れてにんにくも一緒に煮込んだものをとる。ビールも飲む。
ちなみにこっちに来てからというもの、ほぼ毎日アボガドを食べている。日本じゃ食べたことなかったけど、柔らかくなったアボガドに塩やオリーブ油をかけて食べると実にうまい。日本人好みの野菜(果物)だと思う。ただしチリではアボガドはパルタと呼ぶ。アボガドとは弁護士のことなのだ。
990217 水曜日
晴れ
朝、もやが出ている。ごく微量の霧雨があるように思う。
夕方まで昨日もらった学校の新築工事の仕様書を読む。細かく読む。同義語をとにかく避けて書いてあるから、僕にとっては新語の嵐だ。今は暇だからこんなことが出来るのだろう。でも辞書と首っ引きにならないと分からない。
ノガレス市役所は2棟に分かれていて、僕らのいるところは一番のんびりしている。年間で忙しくなるのはだいたい9月から12月とのこと。予算が下りてくるのがその頃だからだ。
風邪を引いた。熱も咳もまだない。でも非常に疲れた感じがするから4時で帰った。
7時半にカレラの千春さんの家に行く。なんでも日曜におじいさんが亡くなってフロールお婆さんだけになったので、家に2階を建て増しして息子夫婦や孫も一緒に住むという。 僕が「建築家」なので相談にのってくれと。
当の家族の帰りが遅い。みんなで100キロも北の町へ行ったとのこと。おじいさんの年金からお婆さんの未亡人年金に切り替える手続きを早くしてくれるのはそこの役所なのだ。他だと何ヶ月も待たされてしまう。
千春さんが語るところでは、お婆さんはうちにお金がないからおじいさんは死んだのだと言っていたらしい。入院するにも、10日分の入院費を前払いするか、白紙の小切手を渡さなければならない。金がない以上、いくら急を要すると訴えても冷たい対応しか返ってこないのだ。救急車を呼んだときも、脳溢血の可能性があると知っておきながら、既往症がありますか、などと延々のんきに質問してきたらしい。日本でも救急車のたらい回しが問題になるけど、こっちはもっと杜撰だ。具体的に挙げていくときりがない。比較的豊かなチリでさえこれだ。例えば貧しい隣国ボリビアの医療隊員達は、サービスを提供できない沢山の人達を見ながら、どんな思いをするだろうかと想像してみる。
10時過ぎから目測で家の平面図を描き、さらに2階の計画案をスケッチし、立体的なパースも描く。みんなには見る間に具体的な図面や絵が出来あがっていくのが面白いらしい。相手がここまでするのかと思う位のことを「具体的に」やると、とりあえず物事は前に進むものだという当たり前の事を、僕は事務所時代に学んだ。
しっかりしたレンガ造の平家だから、木造の2階を載せても多分大丈夫だろう。スケッチはたたき台にはなると思う。
夫を亡くして以来、笑顔の無かったお婆さんが、今日はもとの様に笑えるようになった。
「21までは親と一緒だったけど、あの人とは40年連れ添ったからねえ・・・・」
しっかり悲しむことも、新しいことを始めることも、「愛別離苦」を乗り越えるためには必要だ。
今日は、もちろんボランティアである。が、また当然一宿一飯のお世話になった。
990216 火曜日
晴れ
2週間に一度つくという郵便物が来た。技術専門誌として毎月配達される「新建築」誌と緊急連絡網の最新版、他の事務連絡関係書類、それから手紙や葉書の類い。実に嬉しいものだ。
母親が目下の日本の話題を書いたのを読むと、世の中の動きは思ったよりも遅々としたものに思えたが、日本のことは確実に遠い国の出来ごととしてしか捕えられなくなってきている。こちらの事もあんまり分からないから、なんか中ぶらりんだ。鎖国状態。
手紙によると日本では流感が猛威をふるっているとか。親戚の人が亡くなっていたり、かく言う母もひどい目に会ったという。また、近所のおばさんが急病でなくなっている。
今日から上司のギジェルモは2週間のバカシオネス。とても静かで暇。
午後、公共事業課長のアニタと建築家のベルナルドに呼ばれて、新しく作る学校の事を説明してもらう。ベルナルドは貫禄十分だが、それでもまだ30歳だから、僕と同じく経験が十分とは言えない。
3月から工事なのに、まだ図面が上がっていないという。大丈夫か。どうやって予算が決まるんだろう。
夜、カレラ市へ出る。千春さんのところへ、市役所で貰った梨を届ける。アジアの経済危機の影響で出荷できなくなった梨だ。みんなは日曜に亡くなったフェルナンドさんの墓参りに出ているとのこと。梨は預けてきた。
日本は今水曜の朝。母が水曜は休みだからカレラから日本へ電話する。ノガレスでは国際電話のできる電話屋さんがない。
食べ物を送ってもらえることになった。僕はそれほど日本食が恋しくなっていないのだが、やっぱりうれしいものだ。また母にすれば、息子と話ができるのがなにより嬉しいはずで、家族には何も送るものはないけど、1分500ペソの国際電話で十分か。12分、6000ペソ払った。2000円位。
僕はいたって健康。楽しく、ぼちぼち働いている。目下、言葉を鍛えるのが課題だ。みんな寛大で陽気で社交的なので、人付き合いでも問題ない。大体こんなところ。なんだ、つまんないの。
990215 月曜日
曇りのち晴れ
最近、朝のうちは曇っていることが多くなってきた。半袖ではいられないくらい涼しい。日本の春分はちょうどこちらの秋分。あとひと月で夏が終るのか。
教会の修復の報告書を書いたり、あるいは日記を書いたりして午前が終る。昨日連絡所でMac版のマイクロソフトのワードを入れたので、ここの市役所のウィンドウズとの相性を考えて、それで報告書は書いている。
午後会議。フェルディナン市長はじめ、公共事業課長や我が企画庁政局SECPLAC、弁護士も入って。いたって気楽な雰囲気なのだが、やっぱりというべきか、何を言ってるのか全然分からず。話題しか追えない。せっかくこんな場に混ぜてもらっているのに、口惜しい。勉強するぞと決意する。今まではしていなかったのか?そのとおり!
議題は先日も話し合ったメロン地区の診療所のこと。このプロジェクトは概ね市が責任をもってやっていくことになった。州政府に任せるべきだと言ったのは、公共事業課のアニタだけだった。僕はできるだけ市でやりたいと思う。なぜならわが町にできる診療所は地元の手で作りたいからだ。その能力は十分あると思う。ま、設計も何もかも外注で、監督するだけだけれど。
帰って昼寝するも、うちはパン・アメリカン・ハイウェーに面していて、車がうるさく寝付きずらかった。
近所の酒屋で店員の気のいい女の子達と友だちになった。なんか嬉しい。