
990214 日曜日
曇りのち晴れ
昼から今日も桜井さんと出かける。国立自然史博物館。セントラル駅から北へ行った第5公園にある。ゆったりと広がる公園には、実に平和に憩う家族や恋人達や、老いた夫婦達の姿があった。
博物館は、古く大きく美しい建物なのだが、展示が中途半端で内容的に良いとは言えなかった。桜井さんと、この国は何でも中途半端だなあという感想で一致する。でも彼女は、チリ人の傾向として、生活が十分満足できれば、そんなに何でも一生懸命完璧にしていかなくってもいいと思っているのでは、と言っていた。実際僕もその通りだと思う。協力隊員として働いていく中で、遭遇しがちな非効率や無駄な風習、あるいは問題意識の欠落は、その問題の改善にとって変革を要する場合もあるだろうが、それをやるには非常に労力が必要になる。しかし、それがここではスタンダードで、それ以上のことこそ不必要だとされている社会なら、果たしてそこまでしなくてはいけないのかどうか。これからそんな判断をせまる問題が起こるに違いない。
今日はバレンタインデーだったっけ。チリではぜんぜん騒がないが、でも甘いものを送る風習はあるみたい。詳しいことは分からない。
僕の仕事机の置かれている床は、みんなが通るとよく揺れる。そのせいかどうか、液晶の調子が悪い。突然画面が乱れて白くなっていく。マウスやトラック・パッドの言うことを聞かなくなる。そのうち壊れてしまったらまずいので、サンティアゴへはパワーブックを持ってきていた。連絡所にもデスクトップのMacG3があるから、ソフトやコンテンツの一部をコピーした。
チリへ来てからも毎日日誌を付けてきたし、かなりの枚数の写真だって撮った。ここでこのパワーブックが使えなくなったら、もう泣くしかない。
夜、千春さんと大洋さんが、慌ただしくカレラへ向かう。千春さんのホームステイ先のお父さんが亡くなったのだ。僕もついこの間会ったばかり。最近倒れて療養中だった。75歳。
つい数日前の別れ際、いいですよと言うのにわざわざ立ち上がって固く両手で握手しながら挨拶してくれたのが忘れられない。
どういう方だったか僕は知らない。でもあんなに挨拶を大切にしてくれたのは、命を危うくさせたがゆえに、何もかもが大切なものに思われたからではないだろうか。
夜遅く、直毅さんと一緒にカレラに着いた。弔問に伺う。婦人のフロールさんは悲しみの中だ。気丈に、しかししっかりと悲しみを悲しんでいる様が、美しくさえあった、といえば失礼だろうか。
お茶を頂き、遅いからということで泊めていただいた。
990213 土曜日
曇りのち晴れ
昼に起きてサンティアゴの動物園へ行く。桜井さんと一緒。本当はビーニャ・デル・マルの音楽祭へごっちゃんも一緒に行きたかったのだが、テレビを見ていたら物凄い騒ぎだし、チケットもとれそうにないので止めにした訳だ。ごっちゃんもまだ視察旅行から帰っていない。
サンティアゴの動物園はサン・クリストバルの麓の斜面にある。子供連れが、やはり多い。東洋人はチリでは非常に少ないから、子供達には動物よりも僕らのほうが珍しいらしく、じいっと見られることが良くある。
夜、隊員連絡所は専門家を招いて仕事の質問をしたり、情報交換をしたりで賑わっていた。8人くらいいたのではないか。まだ隊員派遣が始まって間が無く、隊員数も少ないチリだが、更に増えれば、今の22人から40人位の規模になる。そのときは更に賑わうことになるだろう。お好み焼きとワインで遅くまでわいわい。
990212 金曜日
曇りのち晴れ
午前、メロンの教会の修復に関する報告書の原稿を書く。とりあえず箇条書きで。
昼前に第7州で植林の隊員をしている大洋さんが我が市役所を見学に来る。今はバカシオネス。彼は千春さんと同じ、僕らの前の隊次の隊員。半年経って、他の隊員の働きぶりを見て回っている。僕はまだ2週間だから、何も参考にならないが、僕のほうは彼に話が聞けるので嬉しい。
フェルディナン市長がコーヒーでもてなしてくれた。
彼はもうすぐ電話が引けるかも、なんて話題が出てくるくらいの田舎に住んでいる。僕と違って、自分で仕事を作っていく必要があるとの事。精神的な負荷が大きいパターンだと思うが、砂防土木や植林をスリランカやインドネシアでも学んできたくらいの人で、いよいよ奮起してとりかかる気概があった。
夜9時半のカレラ発のバスでサンティアゴへ向かう。パブロも一緒だ。彼は今日で1ヶ月のボランティアの仕事を終えた。後は、月に2回だけプロジェクトの様子を見に来るだけだ。セルビシオ・パイースが1年任期のチリ国内版青年海外協力隊だと言うなら、彼はプラクティコ・パイースと呼ばれる短期実習プログラムだったようだ。他の隊員がそう言っていた。
サンティアゴへは2時間くらいで着いた。セントラル駅の巨大なバスターミナル。今日は隊員連絡所としているアパートへ泊まる。連絡所のあるラス・コンデスへは終電の早いメトロでは行けないから、バスへ乗る。いつもながら乱暴な運転だ。
隊員連絡所で桜井さんや大洋さんと遅くまで酒を飲み、語り合った。
990211 木曜日
曇りのち晴れ
午前、昨日の続きで、今度は教会内部の壁の面積の算出。こんなのは塗装屋さんがタダでやってくれないものか。
昼前、ギジェルモが呼び掛けて会議。我々の企画調整課と公共事業課の主要なメンバーで。メロン地区に新しく設ける診療所について。
一応その診療所に関する調査解答書の分厚いレポートに目を通してみた。眺めてみたと言った方が当たってるかなあ。それに寄ると、
1)既存の診療所では手狭である。面積に関する法規も満たしていない。
2)新しい総合診療所は1008平米。土地購入費、設計施工費一切を含めて4億2300万ペソ。約1億円。
会議は、要するに我々が監督して作るか、州政府に任せるかというものだった。公共事業課長のアニタ(同居のアニタとは別人)は州に任せよという反対派。他のメンバーは我々がやろうという賛成派。僕も賛成派。
いやあしかし、当然ながら会議なんて全然分からない。一応話題を追っていけるかなあという程度。このままではまずい。途中で英語で要約してやるけど、英語は分かるか?と聞かれた。でも英語だって分からない。今やスペイン語の方が分かるのだ。
午後、たらたら仕事をしていると、ハシカの予防接種があるという。君も受けろと。訓練所で受けたワクチンとけんかしてもまずいので、あわててサンティアゴへ聞いたら、受けてもいいけどねえ、とのこと。測量技師のアロンソと近くの地域診療所へ行く。そしたら君は必要無いとのこと。
ここの診療所は約400平米。平家建ての明るい建物。これで十分ではないかと思う。ノガレス市は人口18000人なのだ。
990210 水曜日
晴れ
午前午後とも、昨日の仕事の続きをする。教会の外壁の面積計算。退屈。
午前少しだけパブロと出る。灌漑施設の視察。非常に遅れている。
家に帰ってから、前から気になっていた自己紹介のページを作る。真面目な感じにした。
夜、家の大家さんが見に来る。イルダさんという。あんまり感じが良く無いぞ。彼女は犬嫌いで、アニタとアレハンドラが庭で飼っているプッピーが、そこら中を荒らしていないかと文句を言っていた。
寝る前には、パブロと映画を見つつ、ワインを飲んだ。
990209 火曜日
曇りのち晴れ
朝晩は結構冷えるのだが、今日の朝は特に寒い。湿度も関係あるかも知れないのだけれど、とにかく寒く、今朝は息が白くなった。これでも真夏なのか?
友人の弟の猛に手紙を出した。元気にしているだろうか。30グラム位で700ペソ。
午後、昨日の仕事の続きは、教会の図面のコピーがまだなのでお預け。代わりに市役所の増築のための平面図をCADで描いた。建築家のベルナルドは公共事業課の所属だが、僕も一応関係があるということになっているので、彼のスケッチをまとめて図面にする。簡単なものだ。設計のための部屋を作ろうとしているようだ。
夜は2軒隣のカタリナの家に遊びに行って、日本語を教える。スペイン語を教わりもする。タコスを頂く。とてもうまい。みんなで会話。実にいい家族だ。
990208 月曜日
晴れ
午前、差し当たっての活動計画について、SECPLACの課長であるギジェルモと打ち合わせ。
1)教会の修復:
2ケ所いずれも市の文化財的価値があるとされている。強度的な補強とデザイン的な修復が求められている。
エル・メロン地区の教会
ラ・ペーニャ地区の教会
2)橋の修復:
15メートル程のスパンの吊橋の修復。
具体的な地区の名前は分からない。2ケ所。
3)市街地の都市計画:
作業途上にある。どのフェーズかは、具体的には分からない。
4)市役所の増築計画:
将来的な計画らしい。3)までの仕事の方が急務とされている。
午後、土木の実習学生のエリックとエル・メロン地区の教会を視察。
正式名称:Parroquia Santa Isabel de Hungria El Melon
指定:Declarada Monumento Historico National 1997(国指定史跡)
竣工:1922
主要構造:日干しレンガ(アドベと呼ぶ)、小屋組は木製
仕上げ:壁;内外装共漆喰塗、床;石(テラゾー?)、屋根;一部銅板、瓦様石綿セメント板葺

夜、千春さんと一緒に、カレラの一婦人を訪ねる。彼女の友人。どこでもお母さんは良く喋る。そして強い。そう思った。
特に夜、人の家を訪問すると、夜食を御馳走してもらえる。いつだってお茶とパンとチーズや何かは出てくるし、全くチリは食いっぱぐれが無い。でも、何度か訪ねる家は、果物くらい持っていった方が良さそうだ。
葉書を2枚出した。1枚300ペソ。100円位。
990207 日曜日
晴れ
今日も昼前に起きる。ペペロンチーノとトマトとアボガドをパブロと食べる。子連れのもう一人のパブロはバカシオネスに旅立っていった。
一日中手紙を書いたり、コンピューターを整理して過ごす。プリンター出力がうまく行かなかったのを治すことが出来て、ホッとする。
チリへ来てからというもの、ほとんど手紙を書いていないし、当然年賀状なんて出していないから、このへんでお知らせの葉書でもつくろうと思っていたのだが、そのうち夜になっていた。そろそろ家族にも電話してみたいし、早く電子メールが使えるようになりたい。
まあしかし、孤独で不安というのが正直な気持ち。でも帰りたいとは思わない。物事を始めるときの、緊張感があるからだ。
この数日で生活に慣れてはきたものの、この木曜くらいまでは変な夢を良く見た。日本を不安いっぱいで出発する夢を見て、なんで今頃また出発し直してるんだ?と疑問に思って起きたり。実際に日本を出るときは何の不安もなかったのになあ。要するに任地で活動を開始したことをもって、日本を発ったときの当初の目的が達せられようとしているというふうに、僕自身は解釈しているんだろうと思う。
990206 土曜日
晴れ
昼前に起きる。近くの広場では市が立っている。毎週土曜日。野菜が多い。アボガド1キロ500ペソ、トマト1キロ100ペソなど。100ペソは25円位。安すぎる!
(割合正確に言えば、単純レートで100ペソ=約25円です。2.5掛けですね。僕の換算は印象上位主義ですので、ちょっと注意して下さい)
午後は隣町のカレラ市へ行く。ここには村落開発普及員として派遣されている千春さんがいて、買い物がてらよってみた。
村落開発普及員は、僕には最も青年海外協力隊らしい職種のひとつだと言える。彼女の場合、女性問題や農業開発を手掛けている。僕は平成10年度2次隊だが、彼女は1次隊。語学に堪能で、フランス語もできる人。語学をはじめ、コミュニケーション能力が高いと言えるが、彼女の職種は、まさしく人付き合いの中にこそあるのであって、ひとり黙々と働いてよしとはされない。彼女に適正な職種だと思う。
僕が職員官舎住まいなのと違い、彼女はホームステイ。婦人会の会長さんの家で、お母さんは世話好きの元気な方。僕にも何やかやと世話を焼いてくれる。いい人だ。
市内で足りない食料品やヘヤドライヤー、サンダルを買う。1万ペソは使わなかったと思う。カレラは十分大きな町だ。でもこの間行った、更にノガレスから隣のキジョータ市の方が、この辺りでは中心都市の県都だ。
夜、2人のパブロが料理を作ってくれた。おいしい。近所の若い友人達も来る。僕のパワーブックに興味しんしん。チリでは学校で十分なコンピューター教育がなされているようで、思ったより知識は豊富だ。
ベッドで千春さんに借りた本を読む。気が付いたら朝の4時になっていた。
990205 金曜日
晴れ
午前午後共、パブロのプロジェクトの為に基本設計の図面を描く。彼の作った報告書に、僕の撮ったデジタルカメラの写真と一緒に添付する。
午後、パブロがチリの法規制や事情に詳しい人にも見てもらおうと、公共事業課の建築家ベルナルドを呼んで、一緒に行く。
環境担当のホルヘ・ラロンドが、JICAに協力をしてもらえないか、と話を持ちかけてくる。なんでも、昨日行ったキジョータ市にあるオゾン工場から排出されるNOxの、ノガレスでの大気中の濃度の計測をしたいが、必要な機器が無いという。
JICAへ問い合わせれば、以前国立環境センターへ供与したらしいので、そこへお願いせよとのこと。
同居しているアニタがバカシオネスに出かけていった。バケーションを、そう呼ぶ。2週間、南部を旅行する。市役所のカルメンやマルセロと一緒に。来週はパブロやアレハンドラも居なくなるので家には僕だけになる。
上司のギジェルモが言うには、僕の部屋は二人部屋だが、将来的にも一人で使えるらしい。机と椅子が無いので、入れてくれるように頼んだ。必要があれば、何でも言ってくれという。実に協力的。
夜、パブロの友だちのパブロ夫婦と子供のガラ、それにもう一人の友だちのパブロがやってくる。パブロだらけ。飲み、歌う。ギターも弾いてくれる。Mがくれた1カートンのピース・ライトを、初めて出した。僕も吸ってみる。
990204 木曜日
晴れ
午前、手持ち無沙汰なので、建築用語を調べたり、今後のスケジュールの為に、今のうちにすべきことを考えたり、あるいはサンティアゴの事務所に参考文献の請求法を聞いたりして過ごす。
上司のギジェルモに呼ばれて付いていったら、市長や議員の居並ぶ会議で紹介された。準備していなかったので、ろくなことも喋れず、ちょっと口惜しかった。
午後、今週は市内の探索だけを、といっていたので、ちょうどいいからパブロの頼みを聞いた。彼のやっている農家の共同経営の会社の予定地の細かい見聞や、二つ隣の大きな農業の町のQuillotaの参考事例を見学に行く。
事務所の帰りにパンを6個(230ペソ)、トイレットペーパーの4個分のパックひとつ(880ペソ)を買う。
夜2軒隣のカタリナの家に遊びに行く。朝、彼女の姉のカロリナにばったり会って、呼ばれているから。御飯を当然御馳走になった。チリでは食いっぱぐれる事はない。
京都の建築マップと山頭火の句集、それに東山魁夷の画集を持っていった。話の種だ。彼女は勉強した日本語を忘れないように、練習したがっている。また来てね、だって。姉妹とも可愛い子たちだ。
父親は製図を仕事にしていて、結構絵が好きらしい。魁夷の絵について良く聞いてくる。唐招提寺が遠い昔、一人の中国の高僧のために開かれたこと。魁夷の絵は、国法を破り数度の失敗による犠牲や失明を乗り越えて、伝教のために命を捧げた彼をたたえ、捧げられたものであることを話した。桂林の絵は二度と祖国の地を踏むことのなかった彼をなぐさめ、悼むために。打ち寄せる波の絵は中国との間にはだかった海を描いて、彼の遺業を偲ぶため。山林の静けさは、日本の山のもっとも美しくある瞬間を捉えて、鑑真のこころを映したものであること、しかし実際は、激しく、強い意志の持ち主であったろうこと等を話した。面白く!でも、これらは全て僕の見解で、こんなドラマがあることを知って欲しいという思いから話しています、と断わりもいれた。
井上靖の「天平の甍」はとても好きな小説で、全編鑑真和尚の伝記でもある。正確には彼を招聘した学僧の話だ。映画の方も好きで、何度かビデオで見た。決然とした生き方がいい。古臭いと言う勿れ。現代日本に必要なもんじゃないの?
山頭火の方は、酔っ払いで女好きの、どうしようもない人が・・・とおもしろおかしく話して大受け。俳句を説明するのも楽しかった。
お母さんは勿論、みんなでもてなしてくれた。洗濯の心配までしてくれる。長男が今、大阪の松原市へ留学中だから、余計に面倒を見たがっているのだろう。
(数年前に留学していたのであって、今はビーニャにいることが後日判明した。)
その洗濯は、近所のおばさんのところでやってもらえるらしい。1週間分で1000ぺソから1500ペソ。安いと思う。
990203 水曜日
晴れ

赴任3日目
さて今日は市内の探索。と称して、昨日行った周辺地域の周りの山にみんなで登る。Manuel(マヌエル)さんのところで馬を2頭と、ムラと呼んでいるロバと馬の交配種を3頭借りて、それに乗って!マヌエルさんは昨日の貧農の家の若主人。彼はガイドになってくれる。
参加したのは他にパブロ、アニタ、カルメン、エリック。カルメンを除いて全員市役所の職員ではない。
それにしても僕は恵まれている。いい仲間に、そして得難い経験を得る機会に。今日は馬上の登山だ。
2時間程で峠の広場に着いた。片道15キロあるか無いかだろう。天然の広場。市ではここを小さなキャンプサイトにしようとしている。それもこんなホース・トレッキングの、である。今でも2日に一度は客があるという。アニタとカルメンは、そのプロジェクトを担当している。
山は乾燥しているとはいえ、森もある。岩や石が多いのは道中ずっとだし、森の中でさえ土というより砂だ。砂埃が凄い。
乗馬の経験はほとんどない。子供のころ、ちょっと乗ったくらい。パブロはできるが、馬が珍しくないチリでもさすがに乗馬ができるのは彼くらいだ。でもやってみれば簡単。僕はムロではなく馬に乗ったが、至極素直で扱いやすくてびっくりしてしまった。
実に楽しかった。馬はめちゃくちゃ汗かきなのに、一度も水を飲まなかったのには感心した。
昼食の後、建築家としてキャンプ場でのトイレや調理場の位置や規模について意見を求められた。エリックが実習中の土木の学生なので、彼が主役だが。
マヌエルさんの家に着いたのは5時をまわった頃。彼の家族の人たちと話した。料金はひとり5000ペソ位。全身砂埃にまみれたが、これもカウボーイらしくていい。チリのカウボーイはHuaso(うわそ、ぐあそ)と呼ばれる。アルゼンチンではガウチョだ。
夜は市役所の職員のマルセロに連れられて隣のCarela市内で飲んだ。アニタも一緒。カレラはいい町だと思う。
マルセロが2人の男の子の父親で、しかも離婚してしまっていることを知った。老成して見えるはずだ。
こっちに来てからさすがに緊張しているのか、夜、わけの分からないスペイン語の夢を見る。寝てるときくらいゆっくりしたいぞ。
990202 火曜日
晴れ
赴任2日目
午前中はパブロ、アニタ、カルメン、マルタと一緒にジープに乗って、ノガレス南東部の辺域へ。Chamizal(チャミサル),
Garreton(ガレトン), Ex-asentamiento El Melon(元アセンタミエント・エル・メロンとでも言っておく)の3つの地域。

僕が知っているサンティアゴの豊かな地域とアントファガスタに関する限り、日本にくらべれば貧しい人も多いが、どうしようもない貧困とは無縁のように感じた。けれど今日訪ねたノガレスの周辺地域は、はっきりいって前時代的と言えるくらいの生活をしている。不自由をしていなければそれでもいいのだが、明らかに不自由な環境だと思う。例えば急病の時の助け、電灯なしの生活。
我慢するのは、日本人には難しいだろう。保健衛生的にはどうか。
それらの地域が山際にあることと、乗馬には適しているのを利用して、乗馬関連の観光開発を市は目論んでいるという。もしこのプロジェクトが実現したら、この地域の住民も潤うから一石二鳥だ。前時代的なところは、開拓時代の旅情を誘う材料となる。
午後、僕が所属する企画調整課SECOPLACの課長のGillermo Pino(ギジェルモ・ピノ)に呼ばれて少し話した。今週は同僚の女性と一緒に町の探索に費やすこと、来週から具体的な仕事にかかること等。更に食事の世話までしてくれた。更に更に、女性も紹介するよと冗談も飛ばした。言葉の上達には彼女を作るのが一番だよと。ギジェルモ課長は快活で明晰だ。同僚をカウンター・パートとするよりも、こんないい上司を窓口にするのがもっとも賢明で間違いないと思う。
で、今日は食事を近所のエルミニアお婆さんの家で食べた。量も多く、おいしい。昼食が1回で1000ペソ。約250円といったところか。安い。
午後は今日撮った写真の整理。全てデジカメだ。買ってて良かった。パブロがやっている農家の共同出資会社の候補地の写真もとってある。
夜、パブロの誘いで農家のリーダー達の会合に出る。収穫を増やす方法について専門家を呼んでレクチャーがあるが、全然分からず。農家のおっちゃん達の言葉は更に分からず。それでも勉強になった。
長くなったが、これもパブロやみんなのおかげだ。滑り出しにしては良すぎて恐いくらいだ。僕はつくずく周囲の人間に恵まれていると思う。感謝せずにおれない。
ビールを飲みながらパブロと宗教、思想談義もした。仏教とは?など、難しいことを聞いてくるが、ともかく現実の生活のための哲学と内発的なものを重視するのが仏教であり、そして与えられることを期待するよりも自ら開発し、相互に交歓できることを目指すのが賢明だと思う、などと語った(つもり)。彼は敬虔とはいえないカトリックだが、こういう話題を好んでしてくる。
仕事の担当や分担に関して特徴的なのは、かなり学歴重視で、学校での専攻によって決まる資格で立場が確定しているところだ。日本が年功序列ではあるにせよ実力本位なのとは違う。(僕には日本は比較的実力本位主義に見える。収入は比例しないけど。)
990201 月曜日
晴れ
ようやく赴任だ。
出発までの時間を、たまたまあったビデオの「おもひでぽろぽろ」を見て潰す。心はどきどき。言葉の不安でいっぱい。
サンティアゴの隊員連絡所まで、勤務先の市役所の人が迎えに来てくれた。赤いピックアップ。職員のMarcelo
Chacara(マルセロ・チャカラ)と、チリの国内ボランティアであるServicio Pais(セルビシオ・パイース)のPablo
Rosser(パブロ・ロセール)。両方とも24、5歳だけど、マルセロなんか僕より年上に見える。
マニュアルのピックアップに3人も乗るのは辛かったが、1時間半もすれば到着。ほかの同居人は昼食中だった。まとめると、今現在の同居人は以下の3人になる。
Pablo Rosser(パブロ・ロセール):(24)農学と経済学の学生。サンティアゴのUniversidad de Mayor(マジョール大学)。学生会?の代表でもある。ワシントンへ1年留学していたこともあり、グァテマラとエル・サルバドル以外の全てのアメリカの国を旅した経験を持っている。勉強熱心で協力的で本当にいいやつだ。
Anita Correa(アニタ・コレア):(26)経営工学の専門家。彼女もセルビシオ・パイース。6月10日生まれ。 22歳というのはガセネタだった。
Alejandra Mora(アレハンドラ・モラ):(26?)彼女もセルビシオ・パイース。専門は不明。
マルセロの紹介で市長のFerdinand Gachon(フェルディナンド・ガチョン)氏に挨拶。役所をまわった。
マルセロとパブロ、総務課のパトリシア(彼女は26歳の子持ちの美人)で昼食をとる。隣のカレラ市のクラブ・メロンの高級レストラン。この田舎にこんなところもあるのかと驚く。鮭と貝のクリームの料理。なかなかうまかった。
次いで市役所の会議に顔を出す。僕の所属するSECOPLACの課長のGillermo Pino(ギジェルモ・ピノ)さんもいる。
今日の仕事はこれで終り。
2軒南隣のカタリナの家へ遊びに行く。洗濯でも何でも遠慮なくいってくれたら貸したげるよといってくれる。彼女はこの間知り合った学生で、日本語が少ししゃべれる。彼女のお兄さんも今留学中で、大阪の松原市にいるらしい。珍しいところにいるなあ。彼のホームステイ先は奥村さんというそうで、前にノガレスまで遊びに来たこともある。そのときの写真を見せてもらう。
夜、女の子の部屋で映画「ザ・マスク・オブ・ゾロ」を見る。スペイン語では「ラ・マスカラ・デ・ソロ」となる。とても面白かった。あのくらい凄い殺陣をやれば見甲斐があるというものだ。