Diary日々の記録
km: En Museo de Arte
990131 日曜日
晴れ
昼に起きて、国立美術館に行った。桜井さんとごっちゃんと一緒。
国立美術館。まん中が天井全てをトップライトにしたホールになっている。イタリアの建築家パラディオの建築展が行われている。歴史上重要な作品の数々が、精巧な木製の模型で展示されている。幾つかは行って見たことがあって、なんだか嬉しい。クラシックギターの演奏もある。日曜日は無料。セントロを歩いて帰った。
先輩隊員達が帰ってゆく。俺も明日、赴任する。ごっちゃんの名刺をコンピューターで作ったのに、プリンターとの接続が悪い。ドライバーが悪いのか、印刷できない。残念。
就寝2時半。荷造りはまだだ。
990130 土曜日
晴れ
遅い朝食をとり、下手なテニスをし、シャワーを浴びたら昼になった。出発して別れれば、これで多くの他の隊員達とはしばらく顔を合わせることもない。
ジュキや他の数人の隊員達は、ある日系人の家庭へお邪魔すると言う。アントファガスタでお世話になったホームステイ先のお母さんのご姉妹がいるので、歴代そこで研修の一時期を過ごした人たちが遊びにいくのだ。僕と桜井さん、ごっちゃんはロス・アンデスの町を歩く。食事とビールを飲んでとりあえず歩く。この町は結構暑いと思う。日影が恋しい。
町の外れに背の高い教会の塔が見えた。ごく薄いサーモンピンクのレンガで仕上げられている。永田祐三が好んで使ったレンガに似ている。堂々たる教会だ。1939年の銘が壁に入っている。まだ新しいようだ。残念ながら土曜日なので開いていなかった。連絡所に帰り、豚汁で夕食をとった。桜井さんとごっちゃんが作ってくれた。とてもおいしい。
JICA事務所はプロビデンシア地区にあり、隊員連絡所はラス・コンデスにある。この二つの地区はサンティアゴでも新しく、美しいビルやアパートや公園や街路樹で埋められていて、日本なんかよりもずっと豊かで垢抜けていると思う。
普通に考えれば、そのうちにどこかに住まいを構えるなりして、仕事をし、生活をするようになるのだろう。でも、例えばどうどろう。この間まで少し生活したアントファガスタでは、自分が日常を暮らしていく様子は想像できなかった。また、この国の首都のこぎれいな新市街に住むことにも、やはりリアリティを感じることはできない。外国に住みたいという訳ではなく、働いていくフィールドの具体的な姿を描いてみたいだけなのだけれど・・・・
きっと今は延々続く非日常の中を生きているのだと思う。だからそのうち始まる日常を想像してみるのだが、それがどんなものであるかは、今は何一つはっきりしてこない。
生活の基点を定めるために錨を降ろす。この作業は今にしなければならない。それがどこであるかというのは、大事な問題なのだと思っているが、覚悟をきめて定めるというより、なんとなく始まってしまっているといったものなのかも知れない。
変な文章だ。来週から、ようやく赴任して仕事を始める。これからを期待してわくわくする時期はとうに過ぎて、はずかしながら少々不安なのだ。
990129 金曜日
晴れ
朝から長距離バスに乗り込み、2時間程揺られる。ほとんどの隊員が乗っている。第5州のロス・アンデスという町の郊外にあるコラソン温泉へ向かう。調整員の下藤さんや彼の下で働いているネリーさんも一緒に、親睦旅行だ。僕ら新入りの歓迎会も兼ねている。
この温泉地は保養施設が充実している。プール、ジャグジー、レストラン、テニスコートなど。ところが、僕はあんまりこういうところで遊ぶのは特に好きではない上に、昨日が遅かったので、おいしい昼食のあとは夕食まで寝てしまった。結局何もせずじまい。
ロス・アンデスというだけあって、アンデスの山々を遠く望めるのかと思っていたが、そうでもなかった。散策をするような道もないので、個人的には退屈な感じだ。設計に携わる人間としては、保養施設の計画は難しいのだなあと思う。夕食のあとは延々飲み、踊り、喋るという、チリ流のフィエスタの定式を楽しむ。僕は踊れないのだが、それではこの国ではだめだろう。この際がんばって覚えようかと思う。が、今日は飲んだ。
ベッドに入ったのは4時も近かった。
990128 木曜日
晴れ
サンティアゴも、アントファガスタに負けず劣らず良く晴れる。今年はラ・ニーニャで旱魃だそうで、例年どうなのか知らないけれど、ほとんど水が無い川も良く見る。まあ、チリでは夏は何時だって乾季なのだが。
夜、JICA関係者を集めて日智会館にて安全対策会議。大使館の公安担当のM領事が大阪府警の出身らしくおもしろおかしく解説してくださる。
修了後、寿司やおでんなどが出て、立食パーティ。JICA専門家の方と普通に話ができる貴重な機会なので、酒を注いでは質問する。我々があくまでもボランティアであるのに対して、彼等はプロとして来ているから聞きがいがあるのではと思ったから。僕が話をできた方々はみな企業からの出向者だった。
990127 水曜日
晴れ
午後、JICAのチリ事務所で隊員総会。毎年1月におこなわれるようだ。1月と7月は健康診断のために、チリ全土の隊員が首都に集まる。その際、同時に総会を持つことになっている。
青年海外協力隊のチリ派遣が開始されたのは、1997年の日智修好100周年の年だったので、まだ丸2年といったところ。歴史は浅い。僕らを含めて22名の隊員がいるが、任期を全うして帰国した人はまだいない。
総会では連絡事項の伝達のあと、隊員連絡所の使用規則案や専門図書の利用のあり方の提案、また隊員の自治組織について討議された。全て決定をみたわけではないけれど、人数も少なく、仲もよいようで、概ね原案を発展させてゆく方向で了承を得た。
せっかくJICA事務所へ来たんだからとパソコンを借りてネットへつなげる。とりあえずお世話にもなり、応援もくださった美濃部さんの掲示板に書き込んだ。ふた月ぶりだ。日本は未明の時間。掲示板の反応を観察するにも、ここでは場所が悪いので書きっぱなしにせざるを得ない。皆さんどうされているだろう。
990126 火曜日
晴れ
午後2時。ジュキ、ごっちゃんと共に初めて任地のノガレス市へ向かう。調整員の下藤さんに伴われて。今週は他に日程が詰まっているので今日は挨拶だけ。
ノガレス市は第5州の中央の農村。第5州は首都圏州のすぐ北に位置する。このあたりの州をまとめてセントロという。北部のノルテ、南部のスールと比較していう言葉。
ノガレスのすぐ南隣のCalera(カレラ)市は少し大きな街で、ノガレスにはないスーパーマーケットや銀行が揃っている。ここの市役所で働いている隊員のFさん、ここからバスに乗って更に北のLigua(リグア)市へ戻るKさんを降ろして僕らはノガレスへ。
今日はうっかりして、カメラを忘れてしまった。
ノガレス市までは首都サンティアゴから2時間弱。この間までいたアントファガスタとは違って緑の多いところ。チリの中央部は、海岸ぞいの山地、国境ぞいのアンデス山脈とその間に挟まれて長く広がる中央大地の3つで構成されている。農村のノガレスはこの中央大地に位置しているので、自然川が通り水には困らないように見えるが、それはどうだろう。
ごっちゃんも同じこの街に赴任する。彼女はInstituto de Educacion Rural(IER:イエールと略称される)のノガレス校へ花卉の先生として働く。市役所は写真で見ていた通り小じんまりしたかわいいところ。応対には企画調整課の建築家Bruce(ブルセ)氏と総務のPatricia(パトリシア)さんが出てくれた。パトリシアさんは結構美人である。
多少スペイン語を分かると思われたのか、ばんばん遠慮なく話掛けてくる。気が付けば既に半分分からないので、はい/いいえ、で答えられない質問をされないかびくびくした。
勤務するその企画調整課には6人くらいいて、紹介してもらう。あと2、3人いるようだ。市役所がこざっぱりと明るく、田舎のいい風情があるうえ、みんなとっても暖かなので、うまくやっていけそうだ。パッと見の印象では十分に豊かな村、といった感じだ。市を調査した報告書によれば、周辺部では道路が未整備で、冬期の、特に貧困層の農業活動に支障があるというのだが。
以前写真で見ていた、同居するAnita(アニタ)は経済を勉強した女性で、思ったよりも理知的な人だった。二十歳そこそこには見えない。ほかにあと2人の同居人がいると言うが、1人はもうすぐここを出ると言う。
彼女を先頭に家へ。歩いて3分とかからない。3LDKの庭付きの平家。寝室は2つずつベッドがある。清潔で明るい、いい家だ。南北アメリカを縦貫するパン・アメリカン・ハイウェーに面している。騒音は知れたもののように感じられた。彼等と別れたあと、IERへ向かう。僕の家をでて、ハイウェーを渡ったところ。彼女の家は、校舎の向こう側にある職員用住宅。僕と同じくシェアの形態をとる。
ここは教会系の全寮制農業学校で、月500ペソ程度で生徒を受入れてくれる。貧困層の子弟に教育あるいは職業訓練を施す学校だ。全国に13校持っている。ジュキはサンティアゴの本部へ、システムエンジニアとして赴任する。学校は今休み。職員が案内してくれた。どの先生も感じがいい。ここなら安心して仕事をしていける、そうごっちゃんは言って、嬉しそうだ。
エピソードはまだあった。
帰り道、ノガレスからそう遠くないガソリンスタンドで、日本語を話せるチリ人の女の子と知り合った。偶然だ。Catalina(カタリナ)という。去年までの1年間、新潟へ留学していたそうで、今は休み中のビーニャ・デル・マルの学校へ通っている。日本語を練習するために、また連絡してね、と電話番号を教えてもらった。家は僕の家の並び。下藤さんが、君は女性に恵まれてるなあ、と言ったのがおかしかった。La primavera de mi vida. 我が世の春よ。途中、市役所の人に聞いたニュースが気になっている。エクアドル国境に近いコロンビアの街が大地震で壊滅的なダメージを受けたと言う。大阪に住んでいた僕には、まだ神戸を中心とするあの地域の惨状は記憶に新しく、ひと事には思えない。
990125 月曜日
晴れ
午前、下藤さんに伴われチリ国際協力庁へ。サンティアゴのセントロにある。秋冬用の協力隊の制服しかないのでさすがに暑い。ほかのジャケットは別便で送ったので仕方ない。僕はあんまりこの制服のジャケットが好きではない。
午後、桜井さんはサンティアゴにある病院のリハビリセンターが勤務先なので、挨拶に行った。明日から勤務だ。僕は日記を書きながら他の先輩隊員が見ているビデオを見たり見なかったり。
午睡。夕食。買い出した食材で桜井さんが親子丼を作ってくれた。焼きなすも。
隊員連絡所はLas Condes(ラス・コンデス)地区にある。ここはごく近代的な美しいところ。連絡所は高級なアパートの一室で、寝室が2つ、居間が続きで2つ、バス・トイレが2つ、台所、ユーティリティ、シャワーとトイレ付きのメイドの部屋がひとつある。家賃はかなりの高額になると思われる。
ここは地方から所用で首都へ出てきた隊員の宿泊などの厚生施設。至極快適な家だ。
990124 日曜日
晴れ
あ。サンティアゴも晴れ続きの街なのだった。真夏だけど、日本程蒸さないから暑さも知れている。いい感じだ。
昼からバスでValparaiso(バルパライソ)へ。他の3人と一緒に。明後日には桜井さんは仕事先に住むから、今日くらいは観光しようと。いつもしているが。
ここは海の街。首都からは2時間位。平地に乏しいが、良港で人口も多い。従って湾を取り囲む山々に、人々は張り付いて生活している。移民が最初期にやってきたところ。石畳が多く、歴史を感じる美しい街。アントファガスタは永住したいとは思えなかったが、ここならいいとさえ言える。それくらいパッと見で魅力ある街。
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アセンソールの運転台歩いたり、アセンソール(エレベーター)と呼ばれる小さな急傾斜ケーブルカーに乗ったりしながら、Cafe Turri(カフェ・トゥリ)へ。「地球の歩き方」を見ながら観光するのだ。この店で、貝のスープを食べる。穴子みたいな魚のクリーム焼き?も。勿論ワインも飲む。ハーフボトルを2本、桜井さんと飲む。ジュキもごっちゃんもほとんど飲まない。ああ、もったいない。
味もサービスも、景色も大変よろしい。満足。海沿いを走る電車でビーニャ・デル・マルへ。ここはバルパライソから10分くらいだ。あちらが大作りな港町なら、こちらは落ち着いた生活が伺える住宅地といった風情。いい街だ。
ここは散歩程度。この間のオスカル氏から紹介された彼女が育ったところ。オスカル氏もここの大学を出たのだと言っていた。バスでサンティアゴへ。ターミナルから、今泊まっている隊員連絡所へもパスで。こちらはかなり遅くまでバスがある。タクシーの様に沢山走っている。帰着は1時を過ぎていた。
990123 土曜日
晴れ
こうして「晴れ」と、何も考えずに書き込めるのも今日までか。アントファガスタを発つ。
頑張って起きて朝身支度をする。重い本は、全てトランクへ入れてバス便で送る。サンティアゴまで7000ペソしない。45キロあるのに。安い。
なんとしたことか、引き換え票と領収書を何処かへ失ってしまった。
空港までの道で、もう一度バス便のオフィスへいって、オリジナルのコピーをもらった。キアンシーは不機嫌だ。真面目に心配しているのだろうか。ジャジャは前にパスポートを失くした人がいたよと笑っている。砂漠の中の空港には、そのうち着いてしまった。見送りの、心暖かな家族達。泣くな泣くな。子供が見てる。僕は泣く訳じゃないが。そういや実家の父や母や妹は、出発の日、ごく日常のいってらっしゃいを言ってくれただけだった。ある朝の風景だ。チリでは特別なものは特別に考える。
ジャジャ、キアンシー、清、キミオ、キミコ、ハツコ、タケシに見送られ、他の家族に見送られ、ジョイシーに励まされた。
離陸し、上空から見たアントファガスタのある第2州は、やっぱり砂漠の街だった。本当に赤い。僕の人生にとってこれ以上ない程、贅沢な6週間を与えてくれた人びとに、支えてくれた人びとに感謝申し上げる。
さて、サンティアゴ。ちょっと暑い。夜は調整員の下藤さんに夕食を御馳走して頂く。日本食だ。そろそろこういうのが嬉しくなってくる頃だ。
この1週間は隊員連絡所へ泊まる。この地区は実によく整備された近代的なところ。日本なんかよりずっと垢抜けている。ここだけ見たら、誰もこの国が途上国とは思えまい。僕も思えない。
990122 金曜日
晴れ
昼前に大学へ行く。サン・ペドロ・デ・アタカマやプロジェクトの発表のビデオを見る。
午後から修了のセレモニー。大き目の教室で。
来賓はオスカル・モラレスSECOPLAC局長と桜井さんが世話になったTELETONの作業療法士のかた。スナックやアルコールを囲んで語らう。正直に言えば、大学での語学研修を終えたものとしては、カリキュラムや教員の能力の改善を望みたい。内容的には、もう少し実際的な会話や読み書きをレッスンしたいと思う。文法や正書法も大切だが、多くは日本で既に学習済みだった。ただ、講師の話す言葉を聞くこと、ホームステイ先での会話、あるいはチューターを付けてあれこれやってみたことは、贅沢すぎるくらいの学習環境だった。
他の任国ではまた違った実情があるだろう。次の隊次では、予算の問題で研修先が変わると言う。吉と出るか凶と出るか。大学側の2年の経験が勿体無いとも思うけれど。
修了後、そのオスカル氏の自宅へ。昼食を頂く。このチリ北部の第2州では高価とされている木材をふんだんに使った素敵な邸宅。70年代アメリカの雰囲気を感じる空間の設計で、若干古びているけれど、趣味よくこざっぱりと家具や調度を整えてあって、彼の建築家としてのセンスの確かさを伝えていた。
婦人と次男の大学生も同席。ワインも当然頂いた。ヤシの芽とハムのサラダ、セグンドには鳥の胸肉にホワイトクリーム、それにパプリカなどを若干混ぜた米。おいしかった。
婦人はとても世話焼きの方。挙げ句、僕の任地の第5州の美しい港町、Vina del Mar(ビーニャ・デル・マル)に週末は帰ることにしているという女性を紹介してくれた。僕のスペイン語の聞き取りに間違いがなければ、彼女の父は日本人の医者で、母親はイタリア系の人だと言う。きっと電話しなさい、連絡をとっておきますからね。彼女にビーニャを案内してもらうんですよ。お礼を述べて家を辞するまで、もう10回以上は言われたんではないか。我が世の春だ。わくわくしないほうがおかしい。感じがいいとか、親切でいいひとだとかいうことをスペイン語ではsimpatico(シンパティコ)と言う。全くチリ人は一般に言って、シンパティコそのものだと言い切ってしまおう。他の隊員達もその点、同感のようだ。
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km:ジャジャと夜から、ジャジャも一緒にジュキの下宿先へ。みんなで、本当にみんな集まってのフィエスタ。中庭へ出て、肉を焼き、ワインを次々と開け、喋り、笑い・・・・・
990121 木曜日
晴れ
朝8時半から最後のクラス。各自のプロジェクトをオーディトリアムで発表する。去年の9月からの派遣前訓練の開始を思えば、実に5ヶ月めにして全ての研修を終える行事と言える。
各自OHPやノートパソコンからのプロジェクター投影といった方法でプレゼンテーション。<僕もHTMLで書いた>のだが、プロジェクターとの相性が悪いのかパソコンは使えなかったので、予備のOHPを使う。たった4人なので短いものだ。専門的な内容が少しでも入ってしまうと、自分の専門外の話題は追ってゆけない。分からなくなってしまう。まあ、短い準備期間の割にはみんな良く出来ていたのではないか。僕は喋りの練習が甘かったのだけれど、適当にお茶をにごした。それなりの出来である。と、自分では思っている。
午後、SECOPLACへ行く。局長のオスカル・モラレス氏に挨拶。建築家のホルヘも来た。お偉いさんなのに、とても率直で親切だ。最初にあった時以外にもどこかで見たことのある人だなあと思っていたら、この間ロデオの会場に連れていってくれた人だった。この間はネクタイもないし、サングラスだったし、帽子を被っていたしで分からなかったんです。その節は大変失礼しましたと言ったつもり。
明日の修了式に来てもらえることになった。更に、昼食にも呼んでくれると言う。夜、クラス担当のジョイシー先生のうちへ行く。彼女の家族もみんな来る。僕ら4人で食事を作り、ワインをふるまってもらった。でも費用は持ってもらった。ごめんなさい。
メニューは、手軽な日本食ということで、鳥の竜田揚げとお好み焼き。おいしい。彼等にも概ね好評だった。こんな献立を前に、ジョイシーは真面目な顔で「これは特別なときに食べるのか?」と聞いてくる。知らないから当然だろうけど、何だかおかしかった。彼女の家を辞したのは、もう夜も更けて2時位になっていたように思う。
990120 水曜日
晴れ
授業は全てプロジェクトの添削に当てられた。ジョイシー先生は何時もくそ丁寧なのはいいのだが、どうにも段取りが悪い。僕が思うに、学習計画をしっかり立てて、それを履行していこうという気持ちが薄いのではないか?近視眼とはこのことか?この当り、改善されないと絶対にいけない。
昼食はほかの3人の隊員も呼んでうちで食べた。みんな満足していた。ジャジャの料理は実にうまい。ここにホームステイ出来たのは幸運だった。
午後も大学へ行くことになった。プロジェクトの発表のリハーサル。午後も課業があるなんて予定外で、なんで前もって言わないかと憤慨する。信じられん。この手の段取りの悪さがたびたびあるので、そろそろ僕でもいらついてしまう。先生は人はいいのだが、カリキュラムやプログラムのマネジメントに疎すぎるのではないか。改善を要求するにももう遅い。
これがチリでは一般的なのか、彼女は特別なのか、よく分からない。どちらも間違いではないように思うが。僕のプロジェクトの原稿は、半分以上はフアンに作ってもらったようなものだ。スケッチは自分で書いたものの、少しずつ意図からずれているから修正したい。
990119 火曜日
晴れ
夕食をアルベルト・ショウゴ・タカオカさんの家で食べる。桜井さんのホームステイ先。前にもみんなで食事を頂いた。今夜は料理好きな桜井さんが、うどんとぜんざいと、そしてまんじゅうを作ってくれた。久しぶりの純日本食はなかなかの味。嬉しい。近所のリタ・カタオカさんと御主人もやってくる。さらに彼等の娘とその彼も。
それから、今バカンス中のふたりの先輩女性隊員も来る。どちらも言葉はかなり達者だ。暇があるとよくやってしまうのだけど、帰ってからの深夜、過去のこの日誌を読んだ。自分でも気に入っている文章というのはあるもので、若干自慰的な楽しみの時間を過ごした。
私小説でもありがちな自己聖化は避け難いのだろうか、文章が「嫌われたくない」と言っているような気がする。まああんまり反省するようなことはしていないつもりの僕だし、落ち込んでいたり、荒れてたりなんてこともない。が、もっと素直な気持ちをストレートに書いていくほうがいいには違いない。でなければ、しまいめには、仙人みたいなことしか書かなくなってしまう。
990118 月曜日
晴れ
午後、SECOPLACへ行く。先週聞いたら、今日はいるはずの建築家のホルヘが今日もいなくて残念。結局今までに彼に会えたのは2回だけ。他の職員達は忙しそうで、下手に声を掛ける訳にもいかなくて困った。測量のセサル君が相手をしてくれた。建築の専門家ではないので、いかんせん質問をするにも要領を得ない。でもとても親切な男だ。話が進んで日本のことになると、戦争のことについて聞かれることが多く、彼も原爆の話やアメリカを恨んでいないのか等と質問してくる。
夜、フアンの家でプロジェクトの原稿の作業。
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