Diary日々の記録
km: 砂漠のミイラ
990117 日曜日
晴れサン・ペドロ・デ・アタカマから100キロ位あるだろうか、トコナオへ向かう。テントはマリーにまかせて。この集落は白い石で作られた家々が美しい。いずれもここの特産の石。
へレス渓谷は美しいオアシスの谷。これで2度目。みんなの写真を撮ってあげる。小川の上をはだしになって歩いていく。地域によっては住血吸虫などの皮膚から入る寄生虫がいるので危険な行為だが、チリは全域的に安全とされている。嬉しい。
アントファガスタにもうひと月以上いるので、そろそろ緑が恋しくなってきたようで、こんなみずみずしいところでは「癒されている」ことが分かる位だ。今回はアルバイトでキアンシーはいないが、ガールフレンドのイーシャは来ている。彼女は緑の美しい南部の出身だから、嬉しい、と言っていた。帰り道、砂漠を戻っていく。昼下がりから後の厳しくもロマンに満ちた砂漠の太陽。全くの砂漠から土漠、ちょっとした草原というふうに、時々雰囲気が変わっていく。地質や地下水の水位によるのだと思う。
それにしてもこの最高のドライブコースはMに見せてやりたいと思う。
出来ることなら、僕だったらでかいデュアルパーパスのバイクに乗ってツーリングしてみたい。自転車でもいいが、死ぬかもなあ。
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夜になると星が今日も綺麗だ。昨日は寝る前に砂漠の中まで歩いていってひっくり返って星を見た。南半球の空は、当然北半球のそれとは違う。どうにも天球がひっくり返ったみたいで落ち着かなかった。双眼鏡でも覗いてみた。気温は低い。冬用のジャンパーを借りてきているけど、それでも寒かった。
小学校だったか中学校だったか、国語の教科書に司馬遼太郎の「モンゴル紀行」という、いや、「星の草原」だったか、そんな小文があって、モンゴルの星空では、実に星が「刺さってくるように」輝くんだと書いてあって印象的だった。それ以来、そんな星空を見たくて仕方なかったが、果たして今日はそれに近かったかも知れない。でも、刺さってくるとは思わなかった。多分この砂漠は砂塵がスモッグになっているのではないか。きっともっと見えるところがあるはずだ。同じくMはこの司馬の小品を未だに忘れられない一人。彼なら、これは違う、というだろう。
そんなことを思いながら、帰り道、車のウインドシールド越しに天の川を眺めていた。延々続く何もない砂漠の道。
帰着は12時。それからプロジェクトの原稿を書く。
990116 土曜日
晴れ
本当なら今日は頑張って、来週のプロジェクトの発表の原稿を書かなければならないのだが、書かない。今日から二日、また砂漠へ行く。今度はジャジャと次男のキミオの家族と一緒に。キミオの妻のマリーの両親も一緒に来ると言う。お父さんは90歳。お母さんも70位はいってるだろうに、元気だなあ。
前回は夜に出発したし、帰りは半分寝ていたから砂漠をおいしいとこ取りしていたようなものだった。今回は朝早く出発したので、延々続く砂漠を楽しめた。
サン・ペドロ・デ・アタカマの近くに小さなオアシスがあって、これがキャンプ場になっている。プールまである。水は地下水。飲めない。塩分が強い。多分いろんなミネラルが沢山入っているのだと思う。
例によって大荷物。でもその分食事が贅沢。ビールもワインも今日はちゃんと出る。昼間、小さな竜巻きが出来ているのを遠目に見つけることがあるが、今日は直撃を喰らった。竜巻きが来たと言うより、突然の砂嵐が来たように感じる。ある瞬間、突然に猛烈な風と砂塵と木の葉が叩き付けてくる。テントを押さえるので必死。見れば御近所さんのテントはあちこちでひっくり返っている。
夕方、ともこさんにもらったスケッチブックにリカンブル山の絵を描く。「地球の歩き方」によると5916メートルあるそうだ。日が沈んでいくと、瞬間ごとに変わっていく色の美しさに釘付けになる。荘厳と言うよりも、冷たいロマンティシズムの顕現というふうにいいたい雰囲気。
夜、実に星がきれいだ。砂漠に寝そべる。ブライアン・イーノの「アポロ」が聞きたいと思う。
990115 金曜日
晴れ
七面鳥をpavo(パボ)という。今日の昼食。コニャックとオレガノ、塩だけ?でもおいしい。でかいんだなあ、知らなかった。
午後、市役所のSECOPLACへ行く。エンジニアのペドロに頼んで建築家のホルヘがいる現場へ連れていってもらった。なんだ、家の近くのplaya(プラジャ:浜)じゃないか。
来週から1週間、TVN(チリの国営放送)の朝の人気番組Buenos Dias a Todos(おはよう、みなさん)の中継が、ここアントファガスタになるとかで、砂浜に仮設のステージが作られている。柱の上から噴水まで出す装置をつけたりして、かなりの懲りよう。ホルヘも自らローラーを持って、ペンキを塗っている。
鉄骨の作業を請け負っている(と思った)カルロスさんが、ちょっとロデオを見に行こうと誘ってくれた。彼のピックアップで向かったところは、ウアンチャカの南。おお、確かにロデオの競技場だ。
彼が言うには、ロデオはチリの国技みたいなもの。北米のロデオとは違って、多分に乗馬技術を競う。二人の馬上のカウボーイが1頭の牛を追って、直径約30メートルの競技場の両端にあるゴールクッションへ牛をぶつけさせる。牛を往復させながら、ぶつけたポイントを競う。かなり難しそう。明日からの2日間、土日に行われる。普通建国記念日と市の記念日、それからもう1回あるということで、年に3回くらい。カメラを持ってこなかったのが惜しまれるが、僕の任地の第5州ならまた見れるぞとカルロスさんは言ってた。後日、カルロスさんは実はとても偉い人だったことが分かった。
990114 木曜日
晴れ
授業中、大学の車でラ・ポルターダと、リデルという大きなスーパーへ行く。
昼食をごっちゃんの家で取る。隊員全員揃って。サラダ、米、鳥と野菜。まあまあの味。
彼女の部屋でお喋りした後、セントロが近いから歩いてゆく。ジュキは両替えしないとお金がないとかで帰っていった。残りの3人、僕とごっちゃんと桜井さんでカフェテリアへ寄る。ピザをとり、ビールを飲んだ。ついでに中華料理屋にも寄って、春巻きとシュウマイを食べる。なんか日本とは違う味。まずくはない。
飲んでる間、話題に登ったのは、こちらの人の愛情表現のこと。子供は大きくなってもまるで幼稚園児なみに親に甘えてべたべたするし、家でもどこでも恋人を連れて来ては物凄いべたべたようだし、男はもう裏声で囁きながら恋人に話しかけるし、そういう部分、日本とは違う文化なのだなあと感じるのは、みな共通している。逆に彼等が日本に来たら、きっとつまらないを通り越して悲しくなるだろう。余りに冷淡に感じて。
990113 水曜日
晴れ
夕食をみんなで作る。フアンの家で。せっかくだからマリスコス(貝類)を食べようと、夕方連れ立って買い出している。フアンと僕、それからごっちゃんと桜井さん。ジュキは家の都合で来れない。
日本の手軽な料理もと、お好み焼きも作る。マリスコスも入れる。フアンは貝のスープも作る。余った大量の骨付きの豚肉はアサード(鉄板焼と言おうか)にする。日本では、貝はまず生きているもの以外は買わないし、食べないが、チリではそうではないという。前に家で食べたチョロという二枚貝は、生だったけど、新鮮で全て生きていたので、全く臭くなかったが、今日は半分以上が死んでいて、僕ら日本人にはかなりヤバいと思われた。結果、煮て、焼いてしたけど、やっぱり臭い。しかし、フアンや彼の母親は平気のよう。でも、チリ人はみんな平気で食べられるかというと、それは違うだろう。
協力隊では、すすめられても断わる勇気を、と教えているが、実際それは難しい。幸いここは少しくらい残しても悪い気にはならないようなので、スープは箸をつけてポーズを取ったら残した。箸じゃなくてスプーンか。お好み焼きは結構食べたが。
990112 火曜日
晴れ
授業でエル・ニーニョ、ラ・ニーニャのテレビプログラムのビデオを見る。チリではエル・ニーニョの時は雨が多くなり、ラ・ニーニャでは逆に旱魃に見舞われる。今年は2年めのラ・ニーニャ。
途中雨降りの画像が出て来た。久しぶりに雨を見た。ごっちゃんが授業にかなり不満げだ。ある程度同感でもある。ただ、具体的にどうすればよいかを提案しなければ、文句だけ言っても始まらない。実際、語学教習所だって、自習している人が練習しに行くところなのだし、教室で新しいことを覚えようと言うのは、ちょっと虫がいいはなしだ。 どうしようか。
スペイン語は、優しい言葉ならなんとか分かるレベルになった。でも、知らない単語や言い回しばかりだし、使うことはさらに難しい。聞いて分かることも、自分がしゃべれるようになるには、当り前ながら、自分で喋るほかない。分かることと、できることとは違う。
電話したらホルヘも、同じく建築家のシルビアもいないので、今日はSECOPLACへ行くのは止めにした。小1時間昼寝をしたあと、専門用語の一覧を作る。今日は設計図書を基準に。要するに図面関係の言葉。彰国社の用語集から。
夜、今日もチューターのホアンの家へ行く。彼の家まではバスで10分とかからない。坂を斜めに登っていく。南へ。この時間には、ちょうど日没を見ることができる。太平洋を見渡しながら、多分中古と思われるオンボロバスに揺られている。
ちなみにバスは平日172ペソ。約70円。休日は180ペソになる。一律料金。もう少し安い路線もある。路線ごとに番号がついている。路線図も時刻表も無い。バスの便数は多く、5分くらいで次のが来るのだが、路線を確かめようと思ったら他人に聞くしかないのが不便。好きなところでブザーやら身ぶりやらで運転手に意志を伝えれば、降りることができる。乗るときも同じ。大抵は交差点が停留所みたいなものになる。運転はかなり荒い。ドアも開けっ放しのことが多い。
990111 月曜日
晴れ
クラスは主に試験に費やされた。とても簡単なもので、拍子抜けするくらい。担当の教官としてはある程度いい成績を生徒がとったという実績が欲しいからではないか?そんな邪推も浮かんでしまう。まあでも試験勉強なんて、今やったって仕方ないから、実際的で簡単な試験のほうがためになるか。
クラスの後半、助手のジェルコと一緒に学内を散歩して花卉栽培の農場も見る。この街に限らず、北部はどこも砂漠で、土らしい土なんて無いに等しい。目にする大地はことごとく岩か石か砂だ。農業関係の仕事はなかなか困難があるはずだと思う。
午後3時。みんなと大学の先生達で家から歩いて10分位のところにあるTELETON(テレトン)へ行く。ここは同名の民間基金が運営する障害児施設。作業療法士の桜井さんの研修先のひとつでもある。
僕だけ正装でネクタイ着用。他の隊員達はみんなまともな服は持って来ていないと言う。そんなにお洒落に気を使わない人たちではない。この研修期間にフォーマルな服が必要になるなんて思っていなかったという。僕は協力隊員は学生のりの若者達だと思われるのが嫌で、どこででもそれなりの格好はできるようにしている。そもそもフォーマルとは、自分の都合のためではなく、相手に対する敬意の表現ではないだろうか?招かれるならそれなりの、迎えてくれるならそれなりの応答を形にしていきたい。それも誰もが納得できる共通のコードに乗った服装で。この施設は予算が潤沢に用意されているようで、僕が見たところでは、建築的にはアントファガスタでは最も気を使って作ってある。とても気の効いたいい建物だ。理学療法室、作業療法室、装具製作室、食堂、そしてそれらに囲まれた中庭。全て赤いレンガで化粧されている。
その足でSECOPLACへ行く。担当の建築家のホルヘが今日は休み。ノートパソコンも持って来たけど、あんまり役には立たない。自己紹介用だ。
構造担当のフアンと、土木エンジニアのペドロを相手に、この間見た体育館の屋根の鉄骨のジョイントのデザインについて話しあう。事例があれば簡単至極なのに、彼等には何のノウハウもない。僕でも幾つかの案を提案できてしまった。この調子では、このプロジェクトの前途は多難である。
でも、とにかく建築の仕事は、ここチリでも同じように楽しい。事務所の雰囲気だってよく似てる。夜9時から、フアンの家でプロジェクトの作成。でも学祭のビデオを見てるほうが長かったか。スリップドレスあり水着ありで、玄人はだしの悩ましいダンスをしながら踊る女子学生のコンテストがえんえん続く。わが桜井さんのチューターのアンドレアはなかなかのプロポーションだが、まさかのまさか、彼女も出てる。かなり際どい絡みのあるダンスまで。あるいはバストだけのダンスとか。チリの人々はいわゆるラテン乗りが薄いと言われているし、事実そうだと思っていたのだけれど、このビデオを見る限り、やっぱり南米だなあと思う。ここでは、セクハラなんて言葉は永久に使われないと思う。
990110 日曜日
晴れ
朝10時から近くのファティマ教会のミサに、ジャジャと一緒に出かける。僕は仏法者だけど、こっちの人たちの宗教に対する気持ちやなんかを知りたいので、ミサくらいは出ようと思った。
教会の建物は十分大きいと思う。多分150人から200人位は来ていたろう。南米の情緒たっぷりな賛美歌が、ギターに合わせて歌われるのが良かった。のりが良かったり、あるいは哀切漂う曲だったり。
参加者はほとんどが女性だ。それも中年以上のお母さん達。男性も、その夫達だろう。若い人は誰ひとりいない。僕だけだ。母親に連れられた子供もちらほら。ミサは日曜日は何度も行われるけれど、青年層の参加者がいないとは。もう少し熱心な信仰があるかと思っていたのに、なんだか残念な気持ちになる。教義上大事な日の夜のミサには、若い人も来るんだろうか?午前中、ジャジャ達ナイトウ家の墓のある墓地を見に行く。前から連れていってくれと頼んでいたので、今日キアンシーが車を出してくれた。アントファガスタの公共の墓地のようだ。宗教は問わない。
こちらの墓地は、ともかく高い塀で囲まれている。がさつな仕上げの多い街のわりには、綺麗に仕上げてある。キアンシーに何故塀があるのかと聞いても、保守と安全のためという以外の答えは無かった。日本の墓地には塀が無いことが結構多いのと比較して、死者や墓に対する考え方、あるいは墓地という空間と周りの環境との関わり方が、日本とは異なるはずだと思ったのだが、ちょっと分からない。とにかく日本とは何かが違う。
墓地はアントファガスタのセントロをまっすぐ山へ向かっていった斜面にある。
悪い趣味と思われたくないけれど、墓の写真も撮る。
基本的には、お金持ちは家族単位で墓を持っていて、その点日本と変わらない。ただし、小さな霊廟という佇まいで、かなりでかい。ここのは縦横高さとも3m位か。デザインはそれこそ千差万別。賑やかこの上ない。
普通の墓はキリスト教圏によく見られるアパート型のもので、一人ずつ棺が納められている。割とまめに花を添えてあったりする。造花が多い。また、墓碑名の前に鉄格子の扉が見られるが、供えた花やら写真やら、あるいは墓碑名そのものを守るためだという。ちょっと日本では考えられない。
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ナイトウ家の始祖、エミリオ・ナイトウの墓に参る。墓碑名を見ると漢字も書いてある。内藤太市之墓、と。実は今日の墓参の主な目的は、キアンシーや他のナイトウ家の人々にとっては、エミリオの日本名を知ることだった。日本や中国の移民達はみんな名前をチリらしくスペイン系のものに改名しているので、漢字の読めないナイトウ家の人たちには彼の名前は長いこと謎だったのだ。だから僕が読めばすぐ分かることでも、墓碑名の日本の文字が何を意味しているのかさえ彼等は知らなかった。
彼等は続いてエミリオの出身まで知りたいらしい。JICAはその前身のひとつが移民促進の特殊法人だったという顔をもっているから、戦前とはいえ、彼のルーツを探る手がかりが何か得られるかも知れない。僕は関係者なので一役買うことにした。午後、イーシャも一緒にもうひとつの墓地に向かう。市の北部の平地にあるサン・クリストバル墓地。こちらは私営。ずっと綺麗な雰囲気だ。彼女は一昨年母親を亡くしたばかり。これはカメラを出している場合では無い。ひとり墓の前で長いこと佇んでいる彼女の肩が、ときおり震えているのが分かる。脳溢血だったという。家族というものを何より大切にするこの国の人にとって、肉身の死なんて、考えられないくらいの悲しみだろう。
きみがもし死んでもたまたま昨日読んだ宮本輝のエッセイ「命の器」のなかの「瞬間と永遠」に、こんな詩があったのを思い出した。悲しいことと、寂しいこととは違う。本然の部分で、僕にはまだ理解できていない。本当の喪失を、翻って尊さも、本然の意味でまだ知らないのだ。
べつにかなしくはないのだと―
ただ
さびしいのだと
だから生きつづけてほしいのだと―
真夏の息たえだえの日
それ以上の強烈な
生きることへの願望をかきたてる
伝言は
またとは
ありませんでした
徳本和子:伝言帰り道、キアンシーの叔父に当たるオズバルドの家に寄る。彼は実にsimpatico(シンパティコ)、いいひとで、僕に長時間チリの住宅事情や国の施策について、それから建築行為の組織や商慣行、あるいは用語まで、幅広く楽しく熱く教えてくれた。僕は彼を大好きだし、尊敬もする。彼の持っている徳目をひとことで言うなら、それは「真摯」という言葉に尽きるだろうか。
時間を食ったのでそのまま家へ帰る。本当は車で一番貧しい地区へ連れていってもらうはずだったが。キアンシーによれば、貧困地区の一番の問題は麻薬等の薬物だと。つまり荒廃しているのだと。それは、車でちょっと見たって分かるものじゃない。そう繰り返していた。
990109 土曜日
晴れ
僕ら隊員4名、それに先生達とチューター全員、クラスの助手総勢12人がトヨタのワンボックスに乗り込んでアタカマ砂漠へと向かう。真夜中の12時集合。
夜明け前、Valle de la Luna(月の谷)へ着く。火山性の固い鉱石で出来た奇観だ。月探検の舞台と言えば、まさにぴったり。まだ暗いし、寒い。星が綺麗。
サン・テグジュペリの「人間の大地」は、僕の好きな一冊だ。彼は砂漠を最大に賛美して止まなかったが、そんな砂漠に本当にこれたことが嬉しい。果たして僕もその魅力の虜になるのかどうか。
Salar de Atacama(アタカマ塩湖)へ。ボリビアの塩湖に次いで世界第2位の大きさ。見渡す限り塩の砂漠。なめれば塩辛い。国立公園で、フラメンコとスペイン語では呼ばれるフラミンゴがいる。日射しが強い。照り返しも凄まじい。塩のかけらをもって帰る。
Toconao(トコナオ)の集落を通り、近くを流れる小川のオアシスQuebrada de Jerezまで。イチジクや梨の一種など、いろんな果樹が栽培されている美しい谷だった。
km: Quebrada de Jerez
San Pedro de Atacama(サン・ペドロ・デ・アタカマ)へ。このあたりで最大のオアシス。博物館もよいが、僕には何よりArtesania(工芸品)の市場が美しかった。えんえん車で走る砂漠は、歩いたり、佇んでみたりすることがなく、物足りなかった。地元のチリの人には、砂漠自体はじっくり味わうものではなく、オアシスや奇観景観のあれこれの方が魅力的らしい。
990108 金曜日
晴れ
大学から家に帰り着いたら、ジャジャの次男のキミオの家族がやってくる。ちょうど今、キミオの奥さんのマリーの両親がサンティアゴから来ていて、そのふたりもいっしょ。お父さんなんか、90歳だ。よぼよぼしてるけど、頭ははっきりしているし、体だって十分元気そう。
昼寝して、夜セントロに出る。昨日行ったSECOPLACから、ある職員の誕生日に呼ばれている。しかし、3分程遅れたのが悪かったとは思えないのだけれど、どうも職場でやってる様子は無いし、待てど暮らせどみんなは来ない。あきらめて帰った。
夜中12時。家から近くのアントファガスタ大学の本部に、僕ら青年海外協力隊の面々と、先生達、それに助手とチューター達が集合する。これから山を抜けて東へ向かい、砂漠の中へと遠足だ。
990107 木曜日
晴れ
授業後、急いで昼食をとる。久しぶりにシャツを第一ボタンまで留めて、ネクタイを締め、黒のジャケットを着て出る。午後3時、Corazon de Maria 教会で待ち合わせ、教育学部教授で僕らの語学研修を担当しているマガリ先生とSECOPLACへ出向く。
語学研修の後半は、専門別にそれぞれ適したところを紹介してもらって、任地での活動へ向けた、より実際的で専門的な語学を修得し、仕事のありようを体で体験するプログラムになっている。すべて授業後。でも、この研修も22日で終るので、2週間だけだ。
僕はSEcretaria COmunal de PLAnificacion y Coodinacionというアントファガスタ市の一部局へ行く。SECOPLACが略称。建築・都市計画事業局といったところか。日本の企画調整課とはかなり違う。
アントファガスタ市 新都心計画 模型
局長のOscar Morales Nito(オスカル・モラレス・ニト)氏に会って都市計画と建築とどっちが良いかと尋ねられ、どちらかと言うと建築だと答えると、すぐ担当のボスを呼んでくれる。そのボス、Jorge(ホルヘ)さんに案内されて、この専用の事務所を一巡する。オスカルさんは紳士風だが、日本もチリも田舎の役所は同じで、実務のホルヘさんはノーネクタイだった。北の地区に建設予定の市民体育館の設計が進んでいる。去年の10月に設計を始めて、この3月に工事が始まると言う。ほんまかいな?めちゃくちゃ早い。完成予定を聞くと、予算次第だと言う。そんな事業計画ってあるか?構造計算も全て終った訳ではなかったのは、構造のエンジニアと話して分かったし、材料やディティールの納め方もまだ未決定の部分が多かった。積算(見積もり)もまだなのに、なんで工事が始められるんだろう?不思議。作ってる間にやろうということか?物凄く途上国を感じる。ただ、やり方が日本とはかなり違うのかも知れない。
担当は僕くらいの年かさの女性で、彼女の説明を受ける。基本計画は悪くない。デザインもそれなりのものだ。でも、彼女とあと二人のエンジニアで作業を終えるのだと言う。雨の無いアントファガスタだから、あれこれ思い悩む種は少なくて済むとはいえ、どうも外注に出している様子もない。設計段階での不備が起こるのは、この人手ではやむを得ないと考えるのは、まさに途上国ではないか?
どうも僕が主に関わるのは、このプロジェクトみたい。締め切りも近いのに、邪魔して悪いなあ。ホルヘが同僚と一緒に車で現場へ連れていってくれる。急坂を昇った診療所の改築。貧しい人が多いところ。
施工は最低と言っていいレベル。精度の問題じゃない。安全な建物とさえ言い難い。上に増築するから、余計に心配。僕は構造に弱いが、どう見たってあんなデタラメな鉄骨の工事はないと思う。アントファガスタだけでなく、チリは全国的に鉄骨造の実績に乏しく技術がないと、さっきのエンジニアも言ってた。彼でさえ、簡単な鉄骨のジョイントについて質問してきたくらいだ。夜、ジャジャの長女でキアンシーの母親のハルミの家に行く。新しい彼との生活の為に、増築しようというのだ。僕が建築をやっているから、相談に乗ってくれと。今は人に貸している。お邪魔して写真をとり、実測する。1階がリビングと台所と浴室及び洗面所、2階は寝室だけ。リビングと寝室を拡大したいらしい。
990106 水曜日
晴れ
後半の授業は週3回、助手の人が担当する。まだ学生だけども、助手として。
今日はテープレコーダーを手に、キャンパスを歩いている人を捕まえてインタビュー。午後、フアンの家へ。3時間近く、プロジェクトのプレゼン原稿の作成の為に時間をとる。
夜、9時から、近くの海岸の野外劇場で芝居がある。桜井さんと彼女のチューターのアンドレア、それにアンドレアのアミーガのジュリーも来る。有名な出し物だそうで、貧しい鉱山町の売春宿が舞台。La Reina Isabel cantaba rancheras という題名。筋はつかめるが、言葉が一向に分からなかった。ネイティブの言葉だけで作られているせいだ。観客がどっと沸く度に、歯噛みする思いになった。よっぽどおもしろいんだろうなあ。
990105 火曜日
曇り
授業が終って、家に戻り、昼食を食べ、遊びに来ていたジャジャのかわいい孫達の相手をし、日記を書いて、そして午睡。
夕方、目が覚めて宿題やら何やらをしているうち、桜井さんとごっちゃんが来る。さらにジュキの家に寄る。彼女達が良さげな店を見つけたから、飲みに行こうと言う訳だ。
全てががさつな、というと言い過ぎかも知れないが、そんな印象のこの町では信じられないくらい整って、そして大人っぽいレストラン・バー、というのかな?高い天井の英国風な、しっとりと落ち着いた店。ワインやビールを、ビーフストロガノフやなんやかやをつまみながら飲む。Pub Wallysという。
なかなか上達しないスペイン語にちょっとイライラしているのは、みんな共通している。なんだか訳もなく日本語をたくさん喋れることが嬉しかったりする。スペイン語は「誰が、何を、誰に」したのか、その関係が分かりにくい。はっきりしないのではなくて、ルールが複雑なのだ。みんなも言っている。そのうち勘違いで仕事でトラブルを起してしまわないか心配だ。
990104 月曜日
雲がある 晴れ
正月明けの授業。挨拶もそこそこ。日本は特別に正月を大切にするのだろうか?中国などはどうか?
ものはついで。チリ北部には中国人が多いという。キアンシーの父親も中国系だ。けれど、チリでは一般に中国人は嫌われている。戦後、残留孤児を育ててくれたたくさんの中国人がいることを話して、人によりけりなんだと、何人に話したろう?でも、僕も直接知っている中国人はほとんどいない。どうしても一般的な話になってしまう。
先生の話によると、新しい年を迎えたときの風習はほかにもある。例えば葡萄を12個たべるとか、お札を身体中に擦り付けるとか。いずれも日本の年越しそばに似て、無病息災や長寿祈願の類いだ。
4時からフアンの家。昨日預けたノガレス市の調査分析報告を解説してもらう。
夜、ジャジャの長男のヒデキの家へ。今日は彼の39歳の誕生日だ。お馴染みの親類一族が集まってお祝い。スペイン語の教科書なんかに「誕生日を迎えた本人が周りをもてなす習わしがある」等という記述を見たことが何度となくあったので、プレゼントの申し出をジャジャ達に断わられたのをいいことに、なんにも持っていかなかったが、なあんだ、日本と全く同じ。みんなプレゼントを持って来てるじゃないの。格好わるいというか、僕の気持ちが足りないのだろうかと、ちょっと自己嫌悪。
日焼けがひどい僕の足を見て、美人のミツエちゃんがクリームを塗ってくれる。まだ中学生なのに、ほんまに嬉しいと思うのはロリコンかいなあ。
帰ったのは日付けも変わる頃。宿題もそこそこにして寝た。
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