Diary
日々の記録
 
 
 
 
km:砂漠の中の踏切
 
990103 日曜日
晴れ
 

 ホアンの家に昼食に呼ばれているので、ワインを手みやげに出かける。
 最初の頃、時間にルーズないいかげんなやつだという印象を受けたが、こちらの流儀に慣れてきたせいか、このところまあまあ「いいひと」かなあ、と感じるようになった。ちょっとぬぼーっとした男だけど、それなりに一生懸命やることに美意識を持っているようだ。
 食事はお母さんが作ってくれた。サラダの後、豚のステーキに野菜の炒めもの?それから白米。僕のためにわざわざ塩や油を使わないで日本風に炊いてある。ぱらぱらだけど、十分うまい。気持ちが嬉しかった。それに豚は今まで食べたことのないくらいおいしいもので、褒めちぎる。

 このあと自転車で出かけようと言ってくれたのに、昨日の日焼けが痛くて断わった。特に足がひどい。やっぱ、ここの太陽は日本とは違う。なめてたか?

 マーカーのインクが無くなって来たからスーパーで買う。扱う商品の住み分けが日本とは違うので、なんだか面白い。
 ジュキの家が近くなので寄って行き、新年の挨拶を述べる。案の定、他の住人とも挨拶の嵐。Feliz ano nuevo と言っては握手したりキスを受ける。でも日本ほど正月の挨拶はかしこまらない。
 暫くしてごっちゃんが来て、ここの家の長男のYerco(ジェルコ)と親友のフアンに車でラ・ポルターダに連れて行ってもらう。ジュキだけ行ったことがないと言うので。海沿いの道を行く。どこの浜辺も人でいっぱい。
 
 



 

990102 土曜日
晴れ
 

 遅く起きる。夜寒い程だったのが、日が昇ればまたぎんぎんの夏。
 波の音が絶えない。時にうるさく思ったりする。

 981230位から左の下腹部、というか、睾丸のあたりに鈍痛がある。なんだろう?動いているうちに痛みは無くなることが多い。変な病気でなければいいが。チリのグラマーな女性達を見て、反応してるのか?

 キミオの3人の小さな子供達の相手をしているうち、日はすぐに過ぎて行く。バカでかいバーベキューを食べ、スペイン語の会話集を読みつつ肌を焼いた。

 帰りにメヒジョネスに寄る。小さな町なのに、クリスマスからそのままにしてあると思われるイルミネーションは、アントファガスタよりもずっと美しかったし、何だか町全体も綺麗。リゾートで食っている町のようだ。

 12時頃帰宅。案の定、身体中真っ赤。たまらん痛いぞ。

 今日は親父の誕生日だ。53歳。5月には30になる僕の親にしては若い。親離れしてないわけではなかろうが、親が老いていくのがどうも悲しい、というか寂しいというか。おめでとうを言うよりも、とにかく健康でいて欲しいと思う。そして心配をかけたくないなあ、と思う。

 心配かけます。
 
 



 

990101 金曜日
晴れ
 

 真夏のチリから、皆さんへ、新年のお慶びを申し上げます。
 アントファガスタはとても快適。爽やかとは、この街にこそ相応しい言葉だと言いたい。
 どうぞ今年が、誰にとっても着実な手ごたえある前進の年となりますように。

 ある人が言った。今年も変わらず、よろしく、よい年であるようにというのは、正しくない。本当は物事は千変万化で、全ては良くなるか悪くなるかしかない。放っておけばいずれ良くなるものはなく、かかるところ、誰びとも努力なしには良い年には出来ないものだと。真実だと思う。
 強迫観念を伴うような前進志向は困りものだが、でもやっぱり単なる現状維持は困難だ。変転する時の流れの中で、どう泳ごうとするか。今の水はすぐに過去の流れとなって行く。もしも困難の只中にいるのなら、孤独を知るか、他者の差しのべる手の握りを見い出すかだと思う。

電車の中で広告を見た
子供が無邪気に見る夢を助ける仕事
少しの勇気に心が揺れる
立直る術のない国は困っている

何が私をこんなに動かすの?
会ったことなどない人なのに
一緒に泣いてあげたい
大地に還る門出を見る度に
力一杯握りあってる、人の手に気付く

切り替えられない自分の道は
数えきれない言い訳で、守られている
荷物を持って振り返ったら
眠れない夜に苛まれ、帰れないから

何が私をこんなに動かすの?
会ったことなどない人なのに
一緒に怒ってあげたい
大地に還る門出を見る度に
振り上げていた握りこぶしが、ハンカチを探す
大地に還る門出を見る度に
力一杯握りあってる、人の手に気付く
 

EPO:見知らぬ手と手、Wica、1994

 慌てることはない。辛いときも、いつかは終る。けれど、幸せも、放っておくと必ず終る時が来る。大切なことは、不運の只中で境遇を憎むことなく、勇気や希望を失わない強さを持つことだ。多分、それだけが幸せを保証するし、僕は、それが幸せの本体そのものだと思っている。

 波浪は、障害に会うごとに、頑固の度を増す。
 波浪は、障害に会うごとに、頑固の度を増す。

 時に穏やかに、時に激しく、倦くことなく打ち寄せる波のようであれ。
 けれど、実際は何の不自由も無い生活。現在の僕の、この恵まれた境遇に感謝せずにおれない。

 一年の計は、元旦にありというので、計ってみました。


km: La playa de Hornito

............Entonces,

 ジャジャの次男のキミオの家族、それにキミオの妻のマリーの姉夫婦と一緒にキャンプに出る。この間行ったメヒジョネスよりも、更に北のHornito(オルニト)というところ。町はない。断崖と砂浜が50キロに渡って続く、黄色い巨大な海岸だ。見上げた断崖の向こうには、赤い山々が聳えている。ここは南回帰線を越えて赤道に近いところにある。従って夏至を過ぎたばかりの今頃は、太陽が真上まで来る。南中前後の数時間というものは、肌を焦がさんばかりに強い光だ。

 マリーの姉の夫であるOsvaldo(オスバルド)は、空軍の軍人。とてもいいおじさん。威勢が良くって人なつこい。僕を捕まえてあれこれ話し掛けてくる。話題は結構真面目。宿題で会話を録音して何度も聞いてこいというのがあったので、これ幸いとレコーダーを持ってくる。
 建築をやるものとして、この地域の抱える問題点は?地震は?原爆で今も苦しんでいる人はいるのか?地下鉄サリン事件って、どんなんだったの?第二次大戦では、山本将軍は開戦に反対したと言うが?
 なかなかにシリアスな話が多い。日本に対する認識は、彼の場合、おおよそ的確なものと思った。対して日本人が南米やチリや、あるいは他の国に対して持っている認識は、どれくらい正しく、豊富だろう?自国の歴史、特に現代史を通して、しっかり現在と言うものを掴んでいるだろうか?
 彼と話していて、幾度か反省させられた。
 後日、家に帰ってテープを聞いたら、スペイン語のあまりの稚拙さに更に反省させられた!
 
 



 

981231 木曜日
晴れ
 

 いつもは1時半まである授業が、今日は12時まで。一般にチリでは年末は休まない。今日をはんどんにするのみ。明日はさすがに休み。

 大学からセントロまで直接出る。郵便局が入っている、この街一番の立派で古い石造りの建物には、長距離用の電話もある。カウンターで番号を告げて、繋がったらボックスに移動して話す。終ったらまたカウンターに戻って清算する仕組み。

 家に電話する。母が出る。正月は妹と中国に旅行すると聞いていたので、てっきり父が出るものと思っていたが、3日からとのこと。さすがに地球でもっとも日本から遠いチリだ。対話するには長いタイムラグがある。近況を伝え、皆によろしくと言う。

 既に日本は紅白も終って、元日の静寂の中。
 明けましておめでとう。大抵が不況のただなかの日本だ。今年こそ生活に安心が戻りますように。

 夜、またジャジャの次男のキミオの家にナイトウ家が集まる。食べて、飲んで、踊る。僕はヒデキの娘のミツエちゃんと踊った。ああ、幸せ。ほんと彼女は美人で、将来が恐いくらい。
 もっとみんな踊るものかと思ったが、それほどでもない。

 チリの年越しは、こんな感じ。
 mono(モノ)と呼ばれるカカシ様の人形を家の前に建てる。古着を着せて、新年が明けた瞬間に燃やす。何だか凄惨。除夜の鐘が、煩悩を浄めるのに似て、不幸を持って行ってもらうような意味あいがあるらしい。デザインは、家ごとに違う。全ての家が作る訳でもない。それでも街のそこここに見られる。時にはタイヤも一緒に燃やす。主にチリ北部の風習。
 家族でカウントダウン。シャンパンを開ける。皆でひとりずつ抱擁しあっておめでとうを言う。クリスマスはあくまで静かに。新年は賑やかに迎える。西洋の文化圏は、みんなこうなのか?
 面白いのもまだある。椅子と鞄を用意する。鞄を持って、それぞれが3回づつ椅子の上に登る。幸せな新年へと旅立つようにとのおまじまいらしい。結構奇妙で、面白い。
 それから豆。豆をポケットに沢山入れる。お金やなんかが、もっと豊かになるように、という意味があるらしい。ヒデキの長男のキヨシは沢山欲張ってこぼしてた。欲張りはだめだよと、忠告でもして笑わせたいが、言葉がついていかない。

 



 

981230 水曜日
晴れ
 

 午後4時。チューターのホアンの家。今日の宿題でもしようかと言っていたのだが、あれこれ質問したり話したりしているうちに時間は過ぎて行った。そうだな、今度からノガレス市の概況分析の報告書を持っているので、それの解説でもしてもらおうか。自分で読むには、大部に過ぎるから。聞いてもわからへんかなあ・・・・。

 彼の家は大学の上を登ったあたり。ウアンチャカを更に行ったところで、途中の坂道からアントファガスタを見渡すことができる。バスの中から、この砂漠と太陽と海岸の街を見る。空気は日本とは比べものにならないくらい澄んでいて、とおくラ・ポルターダや、もっと遠くまでを見通せる。軽く50キロ以上は綺麗に見ることができる。大阪から京都だったら余裕だろうか。でも、星はそれ程見えない。砂漠は星が綺麗だと言うから楽しみにしていたが、都市部ではだめか。

 数日前にダニに噛まれたのか、腰回りを10箇所ほど。めちゃくちゃ痒くてたまらない。協力隊でもらっているバッグひとつ分の薬の中には、抗ヒスタミン剤もあるので塗ってみる。でもやっぱり痒いよ。たまらん。どこでもらったのか、とんと分からない。ベッドかも知れないので、虫除けスプレーまで腰に塗ってみた。それでも腕を1箇所噛まれてしまう。
 榎孝明(俳優)がインドを旅したテレビ番組を以前見たことがある。彼は大のインド好きで、何度も旅行しているらしい。その彼が、安宿に泊まるときはシーツやブランケットをを外でよくよく叩いて、ナンキン虫に用心しろとテレビで言っていたのを思い出した。
 
 



 

981229 火曜日
曇りのち晴れ
 

 ごっちゃんが授業に出て来た。下痢だったらしい。それもかなりきつかったという。ジュキと二人目。僕と桜井さんは元気なものだ。そろそろみんな体を壊す頃だと、昨日調整員の下藤さんも言っていた。

 それにしても講師のジョイシー先生は分からない。多分妙にきちんとした人で、融通が効かないんではないか。面白いのは教科書に載っているからといって、否定文の作り方をしつこく教えて「分かりますか?」と聞いてきたりすることだ。普段僕らに話し掛けるときなんて、理解してるかどうか構わずばんばん話し掛けてくるのに、今さらなんでそんな簡単なことを教えるんだ?と思う。そんなとき、こういう授業をしてくれ、と掛け合えばいいのだが、どんな事をしてもらいたいんだろう?分からない。

 ともかく、折角の語学研修なのだし、個別にチューターまで雇ってるんだから、ちゃんと利用しなければ。僕らの、彼等の使い方がなっていない。というより、僕の、かな。
 ごっちゃんが授業中、消極的なのが気になる。 この授業ではいたしかたない。

 昼御飯までの間、ジュキとセントロに行ってインターネットのサービスのお店でこのMacを繋がせてもらう。お店のコンピューターでHotmailを使うとちゃんと日本のサーバーに繋がったのだが、日本語が読めないから今度は僕のへ繋ぐ。どうもうまく行かない。アクセスポイントの番号を教えてもらったから、家で何とかしたい。
 仕方ないからジュキのでホームページを見せてもらう。一級建築士の合格発表。果たして不合格のようだった。ああ、やっぱりなあ。がっくり。

 本当ならもっと落ち込んでしかるべきだが、そうでもない。もし合格してもそんなに嬉しいとは感じなかったろう。ほっとしたというところか。けれどそれは建築士の免許が無くてもいいんだと思っていると言う訳ではない。実際協力隊の任期を終えてからの身の振り方を考えれば、結構な制限になるに違いない。ここでちゃんと合格してないといけなかったのだ。
 単に落ち込んでいても仕方あるまい。さあ、どうしよう。再就職か、進学か、何らかの協力事業への参加かを決める、そういうことと、建築活動をして行くために対外的にはやっぱり一級建築士をとることと、全てが同時になされねばならない。それを思うと、ちょっと頭が凍ってしまう。
 
 



 

981228 月曜日
晴れのち曇り
 

 ごっちゃんが腹痛で授業を休んだ。胃が痛いらしい。精神的なものでなければいいが。悩んでいることを内に溜め込んでしまっていないだろうか。単なる食あたりくらいであって欲しい。

 午後セントロにでてホアンと待ち合わせる。ENTEL(エンテル)という電話会社がやってるインターネットサービスへ申し込むためだ。結論から言って、IDカードがないうちは契約出来ないとのこと。CTCという会社も同じ。クレジットカードがありゃいいと思うんだけどなあ。これまでの隊員達はカードができるまでに契約するために、チューターや現地人の友人に頼んで名義だけ借りたりしてたらしい。そこまでするのも煩わしいから我慢しようかと思う。来月の終わり頃には契約できるだろうか。

 サンチアゴのJICA事務所へ電話をし、挨拶する。こちらのJICAでも日本国内の官公庁と同じく、明日から休みだ。
 郵便局はセントロにしか無いらしい。この間だし損ねた手紙を出す。家族当てのと、金谷へも。正月明けには着くだろうか。年賀状なんかも全然書いてない。書かない訳にもいかない人はいるので、考えないと。

 夜、桜井さんに髪を切ってもらう。手馴れたものだ。彼女は10年前にタンザニアへ協力隊として行っていて、そのときから散髪はしていたらしい。曰くエイズの感染を恐れて、みんな店には行きたがらなかったので、髪は切り合いっこして凌いでいる人が多いのだと。
 この半年程誰かに切ってもらっている。はたしてなかなかの腕前で、綺麗に短くなりました。ああ、よかった。いや、失礼。ありがとう。今度ワインでもお礼するか、酒をおごろう。
 ちなみにこちらでは普通のカットは、男で3,000ペソ、1,000円位とキアンシーは言っている。
 
 



 

981227 日曜日
曇りのち晴れ
 

 昼御飯の前に、ジャジャの長男のヒデキが仕事から帰って来た。大手ビール会社のCCUに勤める彼は、クリスマスと年末の今が一番忙しい。
 彼が帰りにチョロと呼ばれる二枚貝をたくさん買って来た。ナイフを突っ込んで貝柱を切ると綺麗に開く。レモンをぶっかけ、そのまま食べる。生きていたから新鮮そのもの。牡蛎をさっぱりさせたような感じでよく似てる。うまい。どんどん食べる。当たったらどないしょうかなあと思いながら。1キロ1,000ペソ位だそうだ。300円位?バカみたいに安い。地域によるともっと安くなると言う。

 午後、遅い昼食の後にMegillones(メヒジョネス)へ、キアンシー、イーシャと共に。車で1時間ほど。遠くにはげ山を見晴らす砂漠を延々と走る。キアンシーはどうだとばかり「気に入ったか?」と連発する。

 メヒジョネスはこの内藤家の始祖の内藤◯◯さんがチリへ来て住んだ場所。彼の名はエミリオと改名されている。元の名は分からない。みんな日本名を知りたがっている。

 この街は今は2万人しかいない落ち着いた田舎だが、何時も穏やかで大型船も入港できる深さの湾を持ち、しかも陸は全くフラットな砂漠の平原であるため、今大きな港を建設中だ。日本の三菱などが主な出資者だという。太平洋貿易にとってここから陸揚げできるようになれば、ペルーやボリビア、北部アルゼンチンやブラジルへの陸路輸送に絶好の位置にあるメヒジョネスは、将来有望な一大交易都市となるに違いない。ひょっとしたらアントファガスタよりも大きくなるかも知れないと思う。

 美しい砂浜で3人して寝そべって焼いた。
 
 



 

981226 土曜日
曇り
 

 珍しく一日中曇りだった。午前中ここアントファガスタのシンボルである名勝のLa Portada(ラ・ポルターダ)へキアンシーが彼女のイーシャと一緒に連れて行ってくれる。延々10キロは続く白い砂岩様の断崖の海岸。でかい。綺麗。他に何にもない。レストランが1軒だけ。

 今日の昼御飯は後藤さん(以下、ごっちゃん)のチューターのマリエルの家で食べる。桜井さんも。もちろんごっちゃんも。
 マリエルの家はうちから海へ降りたあたりで、つまり海がすぐそこ。高層のアパート。かなり豪華。お金持ちだ。彼女のお姉さんは京大の大学院へ6年留学して、今はハワイにいる。もう結婚して子供が出来たところ。農学部で水産の研究をしているらしい。来月帰ってくるという。そういうわけで、マリエルも家の人たちも結構な親日派。
 パスタとワイン、ビールを頂く。桜井さんと一緒に買ったお礼のワインを差し出した。

 ウアンチャカへまだ行ったことのないごっちゃんのために、マリエルと彼氏が車で連れて行ってくれた。

 まだ夕方になったところだから、オンセまでは間がある。3人してジュキの家に行く。彼女がホームステイしているリタ・カタオカさんの家にはほかにも2人ほど下宿していて、更に3人の子供がいるので大変賑やかな様子。ジュキはだれそれが格好いいとかなんとかと喧しい。ごっちゃん、桜井さんはうらやましそうだ。

 そのジュキはここ数日のひどい下痢が良くなったところらしい。散々なクリスマスだったようだ。見るからにげっそりしていた。でも痩せた訳じゃないんだと。・・・・ここまで書いていいのかなあ。

 AOLをプロバイダーに使っているジュキが、最近取り込んだメールを見せてくれる。エクアドル隊員のN君のメールには向こうの生活事情が書かれていて面白かった。断水続きということでトイレの水も流せずに、清潔好きな彼でなくても大変そう。シャワーも滴る程度だそうだ。僕らは恵まれてるぞ。

 カタオカ家のお手伝いさんのルス・ミラーさんとケーキを囲んでわいわい話す。

 家に帰る。夜の食事はまた親戚一堂勢揃い。賑やかだ。
 
 



 

981225 金曜日
晴れ
 

 昼御飯を今日もキミオの家でとる。昨日良く飲んでいたヒデキはひどい二日酔い。日本人ならあのくらい大した量じゃないと思うが、週末に少し飲むだけのチリ人にはきついようだ。平均してみたら、チリ人は日本人よりずっと弱いに違いない。白人は酒に強いといっても、飲みつけないと弱いということだろう。せっかくワインの国の人たちなのに、もったいない。
 
 



 

981224 木曜日
曇りがち
 

 クリスマスイブだ。さすがカトリックの国だけあって、町中がクリスマス一色になる。プレゼントも、うちの家族などでは、大人はほかのひとりひとりのために用意しているし、包装だって紙を買って来て自分で包む。僕は失礼ながら日本から持って来た和凧を家族向けに包んだだけ。包装に要る紙やリボンはセントロのそこここで売られている。

 午前、クラスを中断して教育学部の教授達のクリスマスフィエスタ。わいわい喋って大合唱する。僕らもクリスマスソング2曲を日本語で披露する。

 午後、チューターのホアンの家へ行く。チリについて彼なりの観点からいろいろ教えてもらう。現代史的な話になると、どうしても自然ピノチェト関係のことや政治について話すことになる。こんな機会でなければ、外国人が政治について自由に発言できるなんて難しいから、好きなことを質問する。
 彼がこういう話題を細かい点まで一生懸命話してくれるとは思わなかった。
 多くの人は今の政権の政策に満足しているようで、現状の維持を望んでいると言う。軍や右派の抵抗も無視できないが、ピノチェトのスペイン・イギリスによる逮捕は大多数の人が歓迎しているらしい。当のチリ人から軍政時代の恐怖政治の話を聞けば、経済的な利益が大きいものであったとしても、やはり自由のない社会は耐え難いものだったことがよくわかる。
 また、チリの軍政は、東西冷戦や中ソ関係の枠組みの中で出て来た産物という側面もあったらしい。アルゼンチンも同時期に軍政だったが、同じような背景を持っていたのだろうか?
 現在のフレイ大統領はまだ任期を残しているが、先立って来年に選挙がある。首都ほどではないにしろ、きっと僕の任地でも選挙戦で盛り上がることだろう。楽しみだ。
 

 
 夜、ジャジャの末の息子のキミオの家に親戚が集まる。毎年この本家で聖夜を祝い、過ごすのだそうだ。砂漠の山を少し登ったところ。
 僕はホンマもんのカトリックの人たちのクリスマスは厳かなものだと思っていたが、どっこいここはやっぱりラテンなのか、太鼓やラッパ、民族衣装の賑やかな、滅茶苦茶騒がしいパレードがある。ひとしきり見物する。
 御馳走を皆で食べる。でもみんな酒をあまり飲まない。女性なんかひとくちふた口だ。これがワインの国の人たちかと、未だに不思議に思う。ジャジャの長男のヒデキは僕を気に入ってくれたのか、つかまえて放さない。この人は良く飲む。ワインの次はピスコというワインの蒸留酒を出してくる。専らコーラと割って飲む。イタリアのグラッパ?に似ているけど、あれほど強くなくて、柔らかい味。結構好きだ。

 プレゼントの山を25日に日付けが変わったときに、みんな揃って配る。僕にもたくさんプレゼントがある。ホームステイしているだけの他人にたいして、よくもここまで家族付き合いできるものだと思う。嬉しいと言うか、居心地がじつにいい。いい家族だなあ。
 近所の幼馴染みの家にヒデキが連れて行ってくれる。既に酔っぱらっていて、饒舌なことこの上無し。そのアミーゴ達もとっても感じがいい。おまえもアミーゴだと。彼等の子供の頃、誕生日ごとに撮った写真を出してくれた。今日いるみんなが、モノクロームの一葉の中に、行儀良く楽しくおさまっていた。この写真をとってくれたお父さんも健在で、一緒に見る。

 さて、ジャジャのナイトウ家は、ジャジャ以外は誰も信心深くはないようで、お祈りする訳でもないし、ミサに行くこともない。これでいいの?って感じ。
 まあしかし、プレゼントの数や尋常でない。この時期の物品の購買で動くお金は、キリスト教の国じゃ、結構な割合だろう。お金の話で今日の日誌を締めるとは、僕も日本人らしいなあ。

 帰宅は朝の3時をまわってた。
 
 



 

981223 水曜日
晴れ
 

 クラスではこのところ単語の音節とアクセントについての話が続いていて、かなり退屈だ。分かっているつもり。でも結構できないものだ。このへんで発音と表記について、ちゃんとやるのは無意味とは僕は思わないから、特に先生に意見するつもりはない。でもそれも今日で終ったようで良かった。
 先生には、形容詞や冠詞の遣い回しの常識的なこと、あるいは基本的な文章や大事な動詞について、どんどんやって欲しい旨言った。了解してくれた。もともとそういうプログラムでもある。

 午後遅く、教授達との集まりに参加するため大学へ行くが、連絡の行き違いか、どうも実はないらしい。皆で無駄足を踏んだとがっくりして帰る。

 そのまま桜井さんとセントロのバーへ飲みに行く。家族当てに手紙とこのページのプリントを送るつもりが8時で郵便局が閉まってしまう。一足遅かった。
 

 
 バーはクリスマスで賑わう通りを2階から見下ろす落ちついた店が見つかったから、そこにする。カクテルが日本のホテルのバー並みに高くてびっくりするが、どっこい、ビールと食事が異様に安い。小ジョッキ4杯、鳥のオーブン焼きの大きいの、山盛りのポテトフライ、ソーセージ1本が約2,600ペソ。2人で900円しない!これはいいところを見つけたと、大喜び。
 毎日の勉強、チューターとの約束、ホームステイ先の人やその親戚とのつき合いなど、楽だけど一人になりにくい環境なので、気の許せる人とのこんな休息が嬉しいと思う。
 
 



 

981222 火曜日
晴れ
 

 午後、大学のコートを借りてチューターのホアンとテニスをする。じゅきも一緒。彼女のチューターも見物してる。
 じゅきはとにかくボールが好きで、訓練所でも毎日みんなとバレーボールをしていた。彼女も退職参加で、職場でかどうだか知らないけど野球をやっていた。なかなか運動の得意な女の子だ。女の子と言うには既に微妙な年令になっているなあ。早生まれで僕と同学年だから。

 果たしてテニスは2回めなので、まともにラリーするなんてとんでもない有り様。じゅきやホアンにラケットの持ち方から教えてもらう。それでもたのしかった。
 
 



 

981221 月曜日
晴れ
 

 外を出歩くと言っても、たかが知れた時間なのに、最近結構焼けて来たなと感じる。まわりからも黒くなって来たなと言われる。こちらでは黒い方が格好いいし、男は毛深い方が男らしさがあっていいとされているという。

 午睡。夕方から4時間近く寝た。時々こういうことができるのが幸せだ。全くいい身分。
 


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