Diary日々の記録
やっとチリへ上陸!
981220 日曜日
晴れ
午前中、チューターのホアンと僕、ジュキ、ごっちゃんの3人でセントロのアントファガスタ地方博物館に行く。建築はコロニアル風だが、大したこと無し。内容はエンターテイメント性に欠けているけど、なぜか楽しく見学できた。今日はタダ。
博物館を出たらすぐ海。木造の昔の桟橋を歩き、釣り人を眺める。みんな釣竿なしでやっている。
ここにはアザラシがいて、僕らも1頭だけ見ることが出来た。漁船のおこぼれ目当てらしい。少し歩くとLIDER(リデル)という大きなスーパーがある。かなり大きい。1階が何でも売ってるスーパーで、2階はホームセンター。まだ新しい。動詞の活用辞典だけ買う。安い。
昼食後、午睡。
夜クロアチア移民の主催するものか、彼等のオーケストラと合唱団が、ウアンチャカで野外コンサートを開くので、S井さんのところの一家と共に会場へ。1万人は下らない人手ではなかったろうか。派手にライトアップされた遺跡の下にステージが設けられ、次々とクリスマスを祝う音楽が披露されてゆく。
人口の98%がカトリックというこの国だ。ひとつの大きな文化の下敷きの上で、それぞれが思い思いの生き方をしている感覚は、想像できても理解するのは難しい。あるいは理解できると考えるなんて、おこがましいと言うべきかも知れない。
981219 土曜日
晴れ
いつでも晴れだけど、今日は特別良く晴れている。
昼前にまた家族達が来て、わいわい。起される。でも朝食は11時位。遅いなあ。歩いて5分で浜へ降りられる。海が本当に綺麗。日射しは刺すようで、数分で肌が痛くなる。サングラス無しにはしんどい。
ボディボードの見物をしながら波の音を聞く。微睡みそうになりながら、この海と、木一本生えていない砂漠の山脈を眺めて、今日初めてこの土地の美しさを知った気がした。確かにみんな、この土地を愛しているんだ。キアンシーは、夕方のサーモンピンクの山が好きだと言っていた。昼下り、キアンシーがドライブに連れて行ってくれる。家から少し南の斜面にある巨大な銀の精錬所あと。Huanchaca(ウアンチャカ)という。力強い大きな石造建築。立体的でリズムがあり、建築的に見てとても魅力的だ。よじ登って眼下の街を見渡す。
附近の高級住宅街にも行ってみる。あまり大したことはない。値段も日本と比べればまだ安いと思う。約3,000万円位から。それでもこちらの人には高いだろう。
海岸沿いに南へ行くと家は無くなり、娯楽施設ばかりになる。ディスコやモーテル(日本のラブホテルと同じ)、海鮮レストラン、キャンプ場、海水浴場など。夜、S井さんの下宿先のアルベルト・カタオカさんの家に隊員4人で集まって、アルベルトお父さんと一緒にお好み焼き&餃子パーティ。上手ではないけど、十分おいしく、楽しかった。彼はコンピューターの先生。48歳。
アルベルトさんに日系移民の歴史を聞いた。
維新以後の農村の「口減らし」のために始まったのが、南米への移住といっていい。チリには、最初ペルーやボリビアへ移住した人々が移って来たのだ。アントファガスタには鉱山労働や理容店を開業して生活したらしい。理容は都市への日本人移民が得意にしていた分野だと言う。
ジャジャの家にも立派な鏡がある。彼の夫やその兄弟達が営んだ店のなごりだ。
苦しかった農村からの移民だったから、南米でも田舎もの扱いされて大変だったという。第二次大戦中は、さらにバカ呼ばわりされるに至った。アメリカで強制収容所があったことは良く知られているが、このチリに住む日系人達も連れて行かれたようで、アルベルトさんのお父さんはボリビアの田舎へ逃げたという。そんな事実があったなんて全く知らなかった。そう言えば僕らが出発した12月8日は日米開戦の日だ。今では勤勉さと正直さが評価されたうえ、戦後の経済発展で日本が一定の地位を得たおかげで、チリ社会では日系人は概ね歓迎される人々になった。僕らや三世、四世はそんな歴史の上に立っている。
981218 金曜日
晴れ
km: Una foto de La Universidad de Antofagasta
さて、お楽しみだった昼食は結構いけるもので、最初にコンソメポタージュ?を頂いて、セグンド(メインディッシュ)に鳥のオーブン焼きとパパ・プレと呼ばれるすりつぶしたじゃがいもにミルクと塩などを混ぜた、半分クリームになったもの(大盛り)、さらにミルクゼリーと飲み物を付けて1500ペソ(約500円)である。これでこんな値段とは。職員用のレストランだが、やはり値段は学食だ。午後、僕のチューターのホアンはやっぱり遅れて来た。1時間半遅れて出発する。でも他の3人の隊員達もうちに来て、ジャジャやその孫の美人のミツエちゃんやキヨシ君、キアンシー、イーシャ、キアンシーの母のハルミと一緒におやつを食べて楽しんだから、ちょうど良かったか。
今日はチリの電話会社兼プロバイダーのオフィスへ行って、料金の調査なり契約なりをしたかったのだが、ホアンの遅刻でオフィスが閉まるのでダメになる。代わりに工芸品店に連れて行ってくれると言う。他の女の子達は喜んでいるようなのでまあいいか。
銀山、銅山、金鉱がチリ北部にはたくさんあるので、銀細工はここアントファガスタの名物だ。ペルーにも近い方だからラマの毛のタペストリーやポンチョなんかが、土産もの屋にたくさん置かれている。
土地を楽しむのはいいことだけれど、どうも特定の目的無しには、ここの土産物屋を訪れることは、僕には物悲しく感じられる。でもこの気持ちってなんだろう?なんだか気持ち悪い。ホアンと別れた後、ごっちゃんも帰って行った。お酒の好きなS井さんと一緒にジュキを引っ張って居酒屋へ行く。めちゃくちゃ庶民的な店。豚肉はなんだか臭かったが、下宿先では酒がほとんど出ないし、買ってくるのも気が引ける感じのなので、ほんとにのびのび出来た。吉本新喜劇で昔、岡八郎と花木京が土方の親父の格好で飲んでる食堂みたいなところだった。もっとでかいけど。
帰ると、ジャジャの家族やなんかがわんさといて、またフィエスタだった。おっさんがこれだけいて、やっぱり酒は出ない。なんで?どうも日本みたいには酒は飲まないみたい。なにがカルチャーショックって、これが一番びっくりだ。
その家族達に混じって、ハルミのボーイフレンドも来ていた。男前とは言えないが、とてもいい人だと思う。けれど自らの家庭で安穏に過ごすことに失敗した母の、新しい男に対して、キアンシーはどういうふうに感じているだろう?あるいは母に対して。チリの社会ではどうやら在り来たりな事象のようなのだが、キアンシーにも、ハルミにも、それで済むことじゃない。
こんなことって、書いていいのか迷うのだけれど、人物が特定されてしまって迷惑をかける訳ではない。それにエンターテイメントで書いてるつもりじゃない。でも、正直に言えば、許しを得た訳でもない。聞けないけれど、書いておきたい、そんな欲求に負けているだけなのか?
981217 木曜日
晴れ
スペイン語のクラスで明日の昼御飯を一緒にとることにする。大学のキャンパスの最も海側にはなかなかに素敵なレストハウスがあって、そこからは海が一望できる。楽しみだ。今日の昼食は、鳥の胆入りのコンソメスープのあと、サルサソースのパスタと鳥の蒸し焼き。今日もおいしい。ごっちゃんの下宿先は、でかいステーキに山盛りのポテトフライみたいなメニューばかりで辟易しているらしい。うちもシンプルだけど、気が効いてて飽きない。
km: ファティマの丘から
昼寝した後、今日もホアンの電話がないので散歩に出る。家からすぐ北には「ファティマの丘」と呼ばれる岩山の展望台があって、脇の教会と頂上の十字架がなんともいい感じだ。誰もいない丘のてっぺんでアントファガスタの街を見下ろす。冬にさらさらと雨が降ることもたまにはある、という程度なので、屋根はトタン程度の粗末なものばかり。上から見ると、とても貧しく、美しいとは言えない家ばかりだ。それでも正面から見れば、それなりにペンキが塗ってあって、日本の標準的な住宅よりはずっと洒落て見える。こちらの人は外出がよっぽど好きなのか、夜は出かけっぱなし。ジャジャは77歳とは思えない活発さで、今日も11時近くまでお出かけ。食事はそれから。子供の声もその時間くらいまで聞こえる。夜は夜食程度しか食べない。これを「オンセ」という。11、の意味だが、11時に食べるからか?
水曜日に洗濯をし、木曜に返してくれる。パンツに至るまでアイロン掛けしてあって驚いた。たたみ方も綺麗。ちなみに毎日のベッドメイクもしっかりしてくれている。ジャジャお婆ちゃん、いつもおおきに。
981216 水曜日
晴れ
アントファガスタの朝は、決まって曇っている。それが昼までには快晴に変わる。サマータイムの9時頃に日が暮れるが、その頃にはまた曇っていることが多い。昨日はそこそこの夕焼けが見られたが、今日は厚い雲で空が被われている。
11時半までジョイシー先生の授業。昨日の続きで終ってしまった。教材が難しすぎたせいだ。今の僕らにいいかどうか知らないけれど、同義語、反意語を沢山例に挙げて、なんとか言葉の概念をうえつけようとしている。
ジョイシーの次はYasna(ジャスナ)の授業。彼女は助手。まだ21歳の幼児教育の学生。上半身だけ良く太っていて、元気いっぱい。大きな声で、イラストを描いたりして楽しく授業してくれる。基本的な挨拶を通して、時にスラングも教えてくれる。あほ、うんこの類いから、もっとヤバいのまで。他の隊員達も昨日辞書を買っていたが、とにかく僕だけ高かった。みんな半額程度。ぼられたか?チューターのホアンも一緒だったのに、口惜しいもんだ。まあ、とにかく店によって値段はかなり違うのは確か。日本とは本でも何でも価格体系が全然違う。
家に帰る。豆ととうもろこしのポタージュを食べると、次はボリュームたっぷりのサラダ。これにはいつもレモンとオリーブ油、それに塩をかけて食べる。酢は最初にあえてあって、これでなかなかうまい。実際、いままでの食事は全て満足している。凝ったものは出ないけど、とにかく爽やかでおいしい。昨日の残りのワインも飲む。
チリでは一般に昼食が1日のメインで、一番豪勢になる。この家では2プレート制。ちゃんと給仕してくれる。その後シェスタ。こっちにはそんな習慣はないけど、良くやるみたい。
夕方(といっても7時過ぎ)、チューターが電話してこないからかける。明日、試験があって、今日は勘弁してくれだと。なんだ、電話で今日の予定を決めようと言ってたから、下宿の人からの誘いを断わったのに。最初から言えよなあ、と言いたいが、それがスムーズに言えない。チューターとのつきあい方が、だんだん分かって来た。ちなみに彼等はちゃんとバイト料を貰っている。今日の分はまる儲けにはさせられない。
遅くまで宿題の文を読解。なんだか実力がついた気がしてくるから不思議。
981215 火曜日
晴れ
午前8時半、クラスが始まる。昨日に続いてお茶とサンドイッチが休憩用に運ばれてくる。食べると一部、変な味がした。勝手知らぬ外国なので、当たらないか不安に思ってしまう。
授業内容は昨日のテストの解説。第1問がいきなり週刊誌の切り抜きからの長文読解だったから、これでほとんど全部を費やした。
しかし、こちらに構わずぺらぺら喋るものだ。それでも先生は、こちらが求めれば丁寧に説明をしてくれるから、何となく分かってくるのが不思議。でもこちらが話せるようになるとは、まだ思えない。バスで戻って、家で昼食。4時に図書館でチューターのJuanと待ち合わせてセントロへ。この人、まだ教授と話があるから等といって、ちょっと待っててねと言ったかと思うと、そのまま5時まで帰ってこなかった。これがチリ人か?家の人によると、まあ30分はおくれるのが当たり前。約束は大体の時間を言っているに過ぎないのだという。でも1時間はなあ。
セントロのLibreriaでLarousseの辞書を買う。同義語・反意語辞典と西西辞典。合わせて6.600ペソ程度。約2.200円。他にシャーペンの芯。日本式の本屋もあるが、一般にリブレリアは文具屋が主で、この街ではカウンター越しに商品を見て、伝票を書いてもらい、CAJA(カハ)でお金を払って引き換え票をもらって、EMPAQUE(エンパケ)で商品を受け取る、と言うスタイル。イタリアのピザ屋を思い出した。
彼と別れたあと、アントファガスタのメインプラザのコロン広場へ。ここにあるカテドラルは工事中で入れず。他にも何か面白い建築はないものかと探すが、いずれも大したこと無し。それでもなかなかの人手で、下宿周辺とは訳が違う。小さいながらも賑わっている都会だ。サンティアゴはやばそうな人が結構いるが、ここはほとんどいない。共通しているのは、日本人などの東洋人、黒人がいないこと。韓国車や日本車がこれほど走っているのに、何で?
下宿に戻るとジャジャの息子のキミオが来ていて、ワインを御馳走してくれる。久しぶりだ。グラス2杯で酔ってしまう。
宿題は9時のニュースを見ること。何の話題をしているか、位しか分からない。
981214 月曜日
晴れ
午前中曇っていたのに、午後は快晴。
今日からスペイン語の現地語学訓練。朝からアントファガスタ大学へ。バスで15分位。
今日は実力テストと教授陣の紹介のみ。アントファガスタ大学は町の南にあり、海岸から続く緩やかな坂に校舎を並べている。海が本当に綺麗だ。ジャジャの家の周りは貧しい感じだが、このへんは何とか豊そうな雰囲気になっている。「何とか」というのも、鋪装したり、水を撒いて芝生を作ったりしていなければ、完全に砂漠の地面が露出するし、そんな隙間みたいな空間がたくさんあるので、どうしても荒涼としてしまうのだ。構内の歩道さえ分厚いコンクリート。おそらく街ごと砂と岩盤の上に浮いたような構造になっているのだろう。
キアンシーが言うには、90年に住宅地へ岩盤が地滑りして来て、沢山犠牲者が出たんだそうだ。
教育学部が僕ら4人の語学訓練の受入先。担当教官はYoicy(ジョイシー)という女性教授。カスティリヤ語が専門で、こちらのニュアンスでは要するに国語らしい。39歳の小柄でちょっとツンとした雰囲気の人。放っておくとこちらに構わず、ぺらぺら喋る。
先生とは別にtutor(チューター)もひとりづつ付けてくれる。僕には(Juanフアン)という情報センターで働いている理学療法の学生が付いた。36歳。大人しいようで、なかなか要領を得た対応をしてくれる。まともなMr.ビーンという印象。放課後、いろんな日常の事を教えてくれたり、専門のことにもあれこれと相談に乗ってくれることになっている。こちらは食事の時間が一定しない。そういうことに頓着しないのか、3時頃昼食をとったり、9時10時に夕食も普通。遅くはなっても早くなることはない。スペイン語圏らしく、昼は家に帰って食べる。
4時に大学の図書館へ行き、フアンと待ち合わせるが、来ない。広いから分からないのかな。彼は約束は多分守る人だと思うので、逆にこちらが来ていないと思ってないかなあと不安になる。洒落じゃない。
ここの図書館は半分閉架式。雑誌類は係員と一緒に入って検索する。一般図書はメモした本を探してもらって受け取る。いずれも書庫は無く、カウンターで書架と閲覧室を隔ててあるだけ。閲覧室はこの金曜日の最終試験に向けて勉強する学生で一杯。帰って寝る。同期の3人は昨日一昨日は、寝て過ごしていたという。僕もさすがに疲れがたまって来たのが分かる。片言のスペイン語で24時間過ごすのは、ほんと大変。早く普通に喋れるようにならないものか。
981213 日曜日
晴れ
アントファガスタでは、一年中ほとんど雨が降らない。
午前中はこちらへ来てからの日誌をまとめる。
午後、ジャジャと一緒に彼女の息子のヒデキの家へ向かう。ヒデキはミツエとキヨシの二人の子供がある。ヒデキもその子供達も、どう見たって日本人じゃあない。ミツエちゃんはかなりの美人。まだ13歳だけど、ちょっとドキドキするくらい。キヨシは9歳。今日はキデキの勤め先のビール会社「クリスタル」の主催する子供の為のクリスマス・フィエスタへ行く。大きく美しい社屋の前庭に色とりどりのテントを並べ、沢山の家族が集まって来る。ステージでは次々と出し物が行われている。僕は子供の世話と、ヒデキの同僚達への自己紹介に忙しい。いい練習になる。子供達も言葉を教えてくれる。代わりに柔道を教えてやったりする。
フィエスタが終ったのは9時位だろうか。まだ少し明るい。
キヨシの家は4LDKの平家。ここではどの位のレベルの家なんだろうか?そう貧しいことはない。キヨシの部屋は「ドラゴンボール」の人形で一杯だった。
ありがとうと何度も言って家を出る。今までジャジャが留守番していた。ヒデキパパに送ってもらってジャジャの家に帰る。黄昏のアントファガスタは暗い紫色のバリエーションだけで包まれて、街灯だけが黄色かった。
明日からはアントファガスタ大学の教育学部で授業が始まる。
981212 土曜日
晴れ
朝帰りして荷物をまとめ、空港へ。連絡所へ置いて行く荷物を選る時間がなく、持って来たものを全部持って行く。重量超過で50,000ペソとられた。16,000円位か。リミットくらい教えておいて欲しかった。ああ。まあいいや。飛行機で4時間程度の街、アントファガスタへ。アントファガスタはチリ北部の砂漠のなかの海岸沿いにある。第2州(アントファガスタ州)の州都でチリ北部では最大の都市。ここのアントファガスタ大学で6週間の間、現地語学訓練を行う。宿泊は日系人の家に一人ずつホームステイする。とはいえどの家庭でも日本語は通用しない。ここを出て任地へ向かうことになっているが、その頃にはまずまずの語学力が付いているものらしい。協力隊では大抵何処の任国でも最初はこういうシステムだ。
空港を降りると既にホームステイ先の家族達が待ってくれていた。僕はBerta Guajardo(ベルタ・グアハルド)さんの家に世話になる。77歳のお婆さん。Yaya(ジャジャ)がニックネーム。孫のアントファガスタ大学生のQuianshi(キアンシー)と一緒に住んでいる。恋人のIcha(イーシャ)ことMaria Alicia(マリア・アリシア)も来ている。キアンシーの母親が日系人。父親は中国系。しかし、どう見てもラテンの顔だ。みんなとても優しくて親切。
空港から砂漠を抜けて市内へ。少し坂を上がったところにあるアパートが住まい。この街は交易と鉱山で食べている。
一人で散歩してみる。お世辞にも豊かには見えないし、美しい街ではない。ごつごつした岩の海岸、砂漠の平原、木一本生えていない低い山々の連なり。寒流によるのか時に冷たい風と、強い日射し。建築や道路はことごとく粗雑だと感じる。けれど、光と影と鮮やかなペンキが交歓し、吹き抜ける風がチレーノ達の髪をとかすとき、羨ましいくらいゆったりした雰囲気を見せてくれる。暑いサンティアゴと違い、ここは真夏でも25度位までしか上がらない。至極快適。
部屋は6帖大で、ベッドと脇机、机、洋服用の小さな引き出し、椅子、スツールがある。十分清潔。
チリの地方では一般にそうなのか、プライバシーは尊重しているとは思うけれど、この家では皆ドアを閉めない。Quianshiは熱心にいろんな言葉を教えてくれる。彼は22歳。鉱山学をやっている。鉱業国チリらしい学問。
昼食は鳥の蒸し焼きとガーリックライス。それに胡瓜のサラダ、トマトのサラダ、あとはパンとジュース。
夜はチリでは軽食。ソーセージとガーリックライス、パン、カフェ。乾燥していてのどが渇く。水道の水で十分だという。たしかに日本よりうまい。サンチアゴ同様、石鹸の泡がたちにくいから硬度は高そう。あんまり飲むと結石になるかも。
981211 金曜日
晴れ
朝早く起きてサン・クリストバルの丘に登る。気のいいタクシーの親父が旧式のLADAで連れて行ってくれる。野良犬と一緒に頂上へ。ここからはサンティアゴの街が一望できる。しかし、今日もアンデスは見えない。
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午前中のみオリエンテーションで、今日も産業ビルへ。隊員支援経費の説明など。これは、要するに比較的大口の設備投資の為の手続き。
午後、今日も街へ出る。みんな元気だ。明日からは語学研修で北部のアントファガスタに移るので、サンティアゴは一旦お終い。とりあえず観光に、セントロに向かうことにする。
中央市場は、全ての食料品が揃い、カジュアルなレストランがぎっしり詰まった楽しいところ。スチールのクラシックな大ホール。日本語で客引きをする大男にほだされて、生ウニ、ムール貝、蟹、海老の大皿とパン、白ワインのボトルを頼む。あれこれソースが付いてくる。これで円換算ひとり\1,200程度だから安い。流しの音楽も聴けて、雰囲気がいい。結局ここが一番の観光名所ではないだろうか?4人とも大満足。でも先輩の隊員によれば、ここは観光の色合いが強いところで、もうひとつ近くにある市場の方が安いらしい。
S井さんだけ住むことになる部屋と職場を見に行くため別れて、僕ら3人は更にセントロ散歩へ。人の多いところはいつだって危険で、特にカメラなんかはあんまり見せない方がいい。そういって注意してくれたおばさんがいたくらい。
歩行者天国を抜けてゆく。美しいカテドラルがある。建築系隊員らしくみんなを誘って入る。大きい。
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地下鉄のある通りを西へ行く。旧市街の中を歩いて行く。かなり柄が悪くなって来たので地下鉄に乗る。またJICA事務所へ戻り、先輩達と隊員連絡所へ。これが、かなり高級なマンション。金の使い方が間違ってないかなあと思う。新市街のまん中。とても途上国とは思えない。ただイギリス大使館が近くにあり、このところのピノチェト逮捕問題で夜間危険なところになっている。
トバラバ駅近くのパブで新隊員歓迎会。
二次会は僕以外は疲れて帰ってしまう。僕だってかなりしんどい。とにかく眠い。これが時差ボケか?遊び過ぎなのだ。二次会は隊員連絡所で。泊まって帰る。
981210 木曜日
晴れ昼過ぎまでオリエンテーション。JICAは昼休みが長く、午後1時から3時まで。その間タクシーで足を延ばし、百貨店で食べ、見物する。そこの本屋では日本人建築家の作品集は安藤忠雄しかなかった。午後のオリエンテーションは鈴木氏から安全管理について。麻薬の汚染が進んでいるとのこと。
午後みんなでマプチョ川に沿って彫刻公園を見る。
繁華な通りを歩く。お酒の好きなS井さん先頭にバーのテラスでくつろぐ。値段は日本と変わらない位高く、よって大人ばかり。知らなかったが、チリでは家庭以外では女性は酒を飲まないものらしい。S井さん、結構いってたなあ。夜はBaquedano(バケダノ)駅からSan. Cristbal(サン・クリストバル)の丘へ行ったところのレストランで飲む。このあたりは若向けの歓楽街。日本と違ってぐっとハードな印象。ちょっとここのパブには気楽に入れない。
981209 水曜日
晴れサンチアゴ着。朝9時。こちらはサマータイムなので、日本より13時間遅れのチリは、1時間早まって今は12時間遅れだ。
空港は十分立派だ。周辺にはほとんど何もない。中心部までは30分とかからない。新市街はかなり美しい近代都市だが、周辺は結構貧しそう。でも、自由で何も構わないおおらかな雰囲気。他の隊員達は「南米らしさ」「チリらしさ」はあんまり感じられないので、少々期待外れだという。高度資本主義社会のチリならば、都会は日本もアメリカも、どことなく似ているものだと思う。農村部はどうか?
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午後、調整員の下藤氏に連れられて食事。Baquedano駅近くのJICAチリ事務所へ。マプチョ川とSan. cristbalの丘を見下ろす産業ビルの27階。隣にはJETRO(こんな綴りだったか?)も入っている高級なビル。
981208 火曜日
曇り派遣第1日。東京の箱崎シティエアターミナルで、明日出発する同期のメンバーに見送られ、チェックインし、成田へ。渡航は療養帰国していた日本語教師の佐藤さんも一緒。彼女は来年の7月までだったか。
平成10年度2次隊のチリ派遣隊員は以下の4名。
kmdesign/都市計画/第5州ノガレス市/市役所勤務/内務省配属
ごっちゃん/花卉/第5州ノガレス市/農村教育センターノガレス校勤務/教育省配属
ジュキ/システムエンジニア/サンティアゴ/農村教育センター本部勤務/教育省配属
S井さん/作業療法士/サンティアゴ/ペドロ・アギレ・セルダ国立リハビリセンター勤務/厚生省配属午後8時15分、アメリカン航空ダラス行き。さあ、チリへ。
この数日準備が込んでろくに寝ていなかったから、非常に眠い。情動さえ鈍くなっているのだろうか?この間まで、日本を離れるときはどんな感慨を抱くだろうかと楽しみにしていたのに、なんだ?隣街へ買い物にでも行く程度の気分だ。
霞ヶ浦上空から大平洋へ抜けて行く。漁火が点々と見える。しばらくすると高度が上がり、そのうち何も見えなくなった。
故郷から離れて暮らす人はたくさんいる。いつまでも大阪にいる僕は、時々そんな彼等彼女等の強さ、寂しさを想像してみる。それに較べれば、たかだか2年、とりあえずまた帰ってくるのだから全く旅行にでも出る気分だ。
期待していた星は見えない。残念。機内で映画「アルマゲドン」を見る。得した気分。
乗り換えのダラスで乗り合いタクシーに乗って、ケネディ暗殺の現場を見に行く。女性陣はそういうのが大好きらしい。夕方過ぎて夜になったダラス。ちょっと退屈な街に思えた。
ドライバーの黒人青年はまだ24歳。奥さんがなかなかの美人で自慢していた。写真を見る。確かに綺麗。ムスリムの彼等。お金に狂うより正直に生きたいという。5時間弱でまた機内へ。次はサンティアゴまで。
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