Diary
日々の記録
 
 
 
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 km : la galeria
 
981122 日曜日
訓練76日目 曇り
 

 このところ結構寒くなって、晩秋というより冬に近いと思う。木々の葉色が変わるのは、多分こんなに寒くなったからもう緑のままでいられないからで、葉を落とす前のひとときだけに、僕らは秋を見ているんだと思う。

 朝、Kが大阪から出張して来ているので午前中だけあう。少し見ないうちに老けて太って見えた。あいつは同い年だから、俺も同じなんだろうかと考えてぞっとする。

 午後、先々週会ったMが訓練所まで来る。あれから早速パワーブックを買ったという。で、ソフトやコンテンツを分けて欲しいという。事務所ではMacは使っていないらしい。彼のG3は新しいもので、僕のより安い癖に14インチのモニターとモデムがついている。何か口惜しい。
 ひと仕事終ったら夕方になった。

 夕刻から池袋へ出る。先日退所したHさんが予想した馬券で3万円勝ったS藤さんのおごり。Hさんも、もちろん呼ぶ。
 2軒梯子したら恵比寿へ戻る。また一風堂でラーメンを食べる。満腹で戻しそう。
 とうに門限が過ぎているから、他の候補生に携帯でたのんで待っていてもらい、ある窓から侵入する。ここでも、もちろんHさんが同行している。あとは僕らの部屋で4次会である。

 3時くらいまで朦朧としていたが、気を取り直してひと仕事。原稿を書く。この間の所長代理さんからの頼まれ仕事。結局朝までかかってしまった。5分だけ横になって屋上へ上がり、訓練77日めの朝の集いへ突入する。

 訳もなく忙しい一日だった。
 
 



 

981121 土曜日
訓練75日目 晴れ
 

 語学発表会。8カ国4言語45名の候補生による、学習言語のスピーチ大会。司会は、それぞれの候補生の担当講師による。
 ラテン・アメリカの男性講師はとてもジェントルマンになってくれるし、東欧の女性講師は物凄くフェミニンに進行する。

 候補生達の職種は多彩だから、自然話題は豊富になる。
 声は暗めのNくんは、漁具漁法隊員。コロンビアの小さな漁村へ行く。彼は学生時代練習船でまわった世界の港の印象を述べて、なかなかに素敵だった。
 いちいち挙げるときりがない。自慢もの、任国での日本紹介もの、スポーツの指導、童話の語り(エプロン・シアター)など。我がパトリシア先生のクラスのO君なんかは、キング牧師ばりの詩のような呼び掛けの演説。
 僕はチリ派遣の隊員であることを述べ、歴史ある憧れの南米の、文化薫るチリで、そこへ住んで働けて光栄ですと、自己紹介兼任国紹介。確かにチリは戦後、ガブリエラ・ミストラルとパブロ・ネルーダの二人のノーベル文学賞詩人を出しているくらいの「詩人の国」だ。映画イル・ポスティーノの原作を書いたのは、ネルーダだったと思う。そのうち翻訳詩といわず、原詩を味わってみたい。

 夕刻からそのパトリシア・クラスの候補生全員と先生、それに語学スタッフのO津さんを加えて、恵比須のビアホールへ。先生は Estoy muy contenta(とても満足で幸せ)だそうである。デタラメに近いスペイン語で機嫌良く酔いながら、わいわいと話す我々は、これも結構目立っていたと思う。
 花束や記念のプレゼントをパトリシアに贈る。別れ際まで、何度も何度も頬にキスを交わす。楽しく、輝かな笑顔の挨拶。
 

 
 



 

981120 金曜日
訓練74日目 快晴
 

 この間まで、何故か朝の集いでチリの国旗が揚がらなかったので、ここ数日チリ国旗が毎日屋上にはためいている。我が任国、なんだかうれしい。
 体力測定の筋肉痛は、ない。

 午前、東宮御所へ向かう。皇太子夫妻との「接見」。僕はここでもどこでも右の左のと論争するのは好まない。ただ、とにかく「接見」した。
 厳重な警備の中をバスが入ると、二本松訓練所の150人あまりの新隊員も先に着いていた。彼等と広尾の全員で「日月の間」にて待機する。
 ボディ・チェックも何もない。二人はごく静かにわれわれの前に来ると、はっきりと大きな声で挨拶を述べ、次いでグループに別れた我々と、かなり時間を掛けながら順に会話を交わした。待つあいだ半数の隊員は庭へ出て飲み物をふるまわれる。
 「接見」は、形式と言うにはあまりに丁寧だ。確かにおしゃべりで意志の疎通を計りたいと言う気持ちがあるんだろうと思う。僕も雅子さんとはちょっと言葉を交わしたな。「さま」とは言いたくない。思ったよりもスラッとした体つきの彼女の目や表情は、かつてキャリアとして活躍し、またその前に思い切り楽しんだ学生時代があることを物語って利発さをたたえていた。皇太子というかたも、テレビで見るごとくおだやかで、全く特殊なふうはなく、なんだか安心感さえ与えてくれるひとだった。

 そう言えば今日からクリントンも東京にいるらしい。ここは首都やねんなあ、と関西出身の隊員と帰りのバスの中、話した。
 

 明日の語学発表会へ向け、最終調整するのが今日の語学。パトリシア先生は懇切丁寧に教えてくれる。僕は大した事を話す訳じゃないけど、それでもとてもほめてくれる。

とてもいいですよ。本当に美しい、いい内容です。
 誉めることは、実にいい教育法だ。
 

 夕食後、隊員報告書を読み、ローコスト住宅地の設計図書をカメラに納め、その後明日発送してしまう帰省の荷造りをする。っていうか、今からするのだ。いつ終るか分からない。

 荷造り用に段ボール箱を取りに行ったついでにCD機でお金をおろす。早いものだ。今日候補生として終了できると申し伝えがあったが、もう来年春までの費用が振り込まれていた。
 

 
 



 

981119 木曜日
訓練73日目 ?
 

 午後からは職種別情報収集。またも能がない。古書店街へ行く。もうちょいかっこいい情報収集をしてみたいのだが、実際のところストレートにぴったりくるようなところ、第三世界の小都市の都市計画・建築計画、産業振興をやってる組織や人は、JICA位しか知らない。コンサルタントは大きな仕事しか相手にしていない様に思う。また問い合わせも具体的でないと意味がないのだし、つまり今僕が情報を当たれるのは、本屋か、資料室の隊員報告書を読むことしかない。

 毎度、迷走の果てに買ったのはこんなの。

Harvey M. Rubenstein:環境計画と設計、誠文堂新光社、1974
鈴木昌道:都市と緑と景観構成、槙書店、1981
東京国立博物館編:日本美術院創立100周年記念特別展 近代日本美術の軌跡、東京国立博物館、1988
井上頼豊:カザルスの心、岩波ブックレットNo.212、岩波書店1991
吉岡実その他、大岡信・谷川俊太郎編:現代の詩人全12巻、中央公論社、1984ほか

 「現代の詩人」シリーズは、今となっては昭和の古典作家になった人達の作品を集めたもので、高校生の頃、暇を見ては良く読んだものだ。黒田三郎や川崎洋は優しくて、ナイーブな少年の僕は彼等の作品に癒されることがよくあった。そのうち萩原朔太郎や八木重吉、中原中也などの普通の古典を読むようにもなった。また原詩なんて無理だから、翻訳詩を漁ることもあった。中でもタゴールは飛び抜けて強い印象を与えて、未だに僕にとっても詩聖そのものだ。若干の童話、児童文学もこのころ好んで読んだ。
 長々と文を綴ることなく簡潔で、しかもしっかりした内容を孕んでいるこれらの小さな作品達は、落ち着いて文学を楽しむ素養のない僕には、有り難いものに思えたものだ。
 そしてつまり、今日はこれらの思い出を、なんだかもう一度呼び寄せてみたくなったのだ。

 帰寮後、所長代理に呼び出される。ちょっと頼みごとをされた。それについては、また後日。
 
 



 

981118 水曜日
訓練72日目 晴れかな?
 

 語学が終ったら体力測定。訓練開始当初もあったから、比較できる。僕にとって明確に変わったと言えるのは多分、体重くらいのものだろう。うう。2キロくらい増えたと思う。ああ、握力も減ったぞ。激減。
 明日、というより明後日の筋肉痛が恐い。歳とったもんだと思う。まだ早い、と言いたいけどホントだ。
 
 



 

981117 火曜日
訓練71日目 晴れ
 

 長谷川さんが去っていった。先日特別に貰った隊員のブレザーを着て、みんなと握手して。

 2年分の薬を貰う。専用の青いバッグに入っている。思い付く薬は何でも入っていて、虫下しやら抗生物質もある。ちょっと荷物だ。チリ隊員としてはかなりヘビー。

 夜更けからダーツをやって、流星群を見て、Aさんとしゃべった。彼女の部屋は5階で、比較的星が見やすい。ダーツの的は、以前僕が工夫して着脱出来るようにしてやったものだ。
 Aさんは3つ年下の保母。実家も僕と近い。南米でも貧しい部類に入るボリヴィアに行く。時々流れて行く星を見たり、見なかったりしながら、窓辺の空調機の上にふたり座り込んで、彼女の来し方やら、子供達の親の話を聞く。僕にあれこれと話すことが、彼女にとって良かったならと思う。

 寝たのは5時半。でも昼寝してたから、まし。

 日中珍しく気分が良くなかった。風邪気味なのもある。長谷川さんがいなくなるのが、未だに許せないのか?誰を許すというような事じゃないのに。
 
 



 

981116 月曜日
訓練70日目 曇り夜半雨
 

 語学の最終試験がある。これに落ちても追試などの救済措置があるから大丈夫。午前、筆記とヒアリング。午後口頭試問。相変わらず大したことも話せずにいるが、訓練所としてはごく普通のレベルだからよしとする。もうちょっと危機感を持ったほうが赴任後のためかも知れない。

 試験後、次のオリエンテーションまでの間、訓練所長からHさんの退所の件について説明があった。これは所長と候補生代表の両方から本人に了解を得たうえで行われるものだ。また、彼、および一般の候補生の現在と退所後の身分についても解説してもらった。質疑応答もあった。概ね納得もし、スタッフ側の協力的な姿勢も伺えた。

 候補生一般、あるいは今後協力隊に参加する人々にとって大切な確認事項は、僕の思うところでは次の様になる。
 青年海外協力隊の選考は2次に及ぶ試験と結構詳細な健康診断を経て行われるが、それをもって派遣までの身分が保証されるものではないということ。そのあたりは、はっきりと入所時の誓約書に書いてある。訓練所を修了するには心身の健康と、隊員として必要な専門知識や語学能力を備えること、訓練所での生活を円満に過ごし切ることが必要だ。でなければ、隊員にはなれない。逆に言うと、何かが起きて訓練が修了出来なくなったり、今後隊員生活が危ぶまれると予想されたら、すぐにも退所となってしまう可能性があるということだ。退職して参加してきた経緯があっても、再就職の応援が頼めるくらいのもので、別段何の補償もない。また、訓練所入所後に健康に関する特別な検査が必要と判断されても、これまでの選考に誤りがあったとか、チェックが甘かったということではないと考えなければならない。
 だから、もし協力隊に応募する気なら、そのために退職したり恋人と別れたり、結婚してて親類を説得したりといった努力や犠牲の類いは、無駄になっても文句は言えないと覚悟することだと思う。
 もちろん、隊次の変更や任国の変更でなんとかなる場合はある。

 修了まで実質の選考が続いているような候補生の特殊な身分について、所長は訓練のはじめに説明すると約束してくれたが、本当なら募集の時に明確に示すべきであると思う。とはいえ、一般企業だって同じかなあ、と言う気もする。それでも身分の不安定が心配なら、「協力隊参加保険」でも作るしかないか。

 課業が終ったら、夕食後談話会。スタッフも交えての飲み会である。食堂にて。3回目。Hさんの送別会を兼ねる。一人ひとりカードを書き、前も歌ったオリジナルの歌「47本のクレヨン」を歌った。Hさんが謝辞を述べる。口下手だと思われていた彼が、優しく穏やかに、夢を大切にせよと語ったのにはみんな驚き、心を打たれていた。
 その後は、部屋へ移って別れの盃をみんなで、大変おとなしく?交わしあった。
 

 
 



 

981115 日曜日
訓練69日目 晴れ
 

 秋晴れが続く。このまま訓練が終ったら、東京は実に爽やかなところだったと記憶に残るのではないか。

 友人に会えなかったので、昼に起きてパワーブックを訓練所の借り物のデイパックに詰めて外に出る。昼下がりのマクドナルドで食事をして、有栖川公園を抜ける。幸せで蒸せかえるような、楽し気でのんびりした日曜日がここにはあった。
 都立図書館が休館だったので、仕方なくベンチでメールを書いた。
 5時を過ぎたら日が暮れて来たのでこぎれいなマーケットの本屋で立ち読みする。STUDIO VOICEのグラムロック特集のデビッド・ボウイは、綺麗だった。ブライアン・イーノの髪の毛がある写真を見たのも収穫か。
 

 前に勤めた永田・北野建築研究所の作品が、先月の「住宅特集」誌に載っていたので、今月号は作品評がある。ジャーナリズムにのせるには、永田祐三の作品は馴染まないのだろう。要するにそういうことだと、その評論を読んで思った。あるいは、施主の思いが馴染まなかったのかも知れない。それほど不評というか、通常の論評の仕方はされていなかった。

 「絶対建築」は無い。法律や思想みたいに、だれしもに関わるような、一種の普遍性を体現するような建築は出来ない。また住宅ともなれば、あつらえた洋服と同じで、個人的な世界を超越することはそれほど意味が無いというのが、実際のところだろう。
 僕としても、永田作品を語るとき困ってしまう。
 協奏曲のように、美しいさざめきのなかで時にソロをとって演奏するピアノが、作品性を備えた建築であり、町並みはオーケストラのようであって欲しい。おそらく彼の理想はそんなところにあると思う。単体の建築が社会のコードを読み取って、全体をリードできる政治性を持つなどと言うのは明らかな幻想だと、彼は言っていたと思うし、僕もその通りだと思う。

 いつか見た美しい北イタリアの都市群のように、何処をとっても粒よりな街は、制限は厳しくとも、作品を作ることは街の文脈への新しい参加として意識できるだろう。つまりそこでは協奏曲が成り立っている。けれど、日本ではまあそうはいくまい。そこにどんな建築が出来ようと、まず作品は「孤独」から逃げられない。協奏曲のソロではなく、歓楽街で聞こえてくるカラオケの音と同じく、分解され、ごった煮にされた音のひとつになってしまう。だから、結局そんな陥穽から抜け出す方法を提示できたかどうかが、いまどきの建築家の評価を決めているというのが現状だ。けれど、それが生活のなかでどんな価値をあたえてくれるだろうか?文学やファッションと違って、暮らしのリアリティーの表現そのもののような建築の場合、どうなんだろう?ま、そんなのばかりでもないけども。

 僕は永田のような、既に去った幻想を追うような態度を批判しない。むしろ「オーケストラ」を夢見ていたい。彼は孤独な指揮者に成り下がっているし、多分ずっとそのままだろう。彼も、普通の作家も、今時の建築家は苦労が多いと、つくずく思う。
 

 夜、またもSさんとふたり、夕食。今日は彼の好物のカレー。
 オーストラリアを放浪中の「命からがら危機一発話」を聞く。めちゃくちゃおもろい話。僕らの大阪弁は結構目立っていたと思われる。
 

 
 

 

981114 土曜日
訓練68日目 晴れ
 

 来週の月曜日は語学の最終試験。今日はそのための最後の語学課業となる。70点以上が合格。大体の勝手は掴んでいるから、僕を含め、さぼり好きな連中は気楽にしている。
 

 3時半、この広尾訓練所の向かいといっていい近所のオープンカフェ、デ・プレで待ち合わせて、どくだみ荘の?人たちに会う。8月に横浜で会って以来。こんなにすぐ再会するなんて。
 みのべさんを取りまく仲間と会うと、これをいわゆる「オフミーティング」と呼ぶのは不粋に思える。

 店の中央の廻り階段の脇の席をとって店先のテントの下を伺っていたら、すぐにみのべさんがやって来た。前回より体調は良さそう。
 てるぼーと、ともこさんも間もなく現れた。前回主賓のナスカさんは来れなかった。身替わりに小さな「招き猫」がともこさんに連れられて来た。挨拶代わりにそれで遊んでみたのが、結構本人には好評だと聞いている(?)。そのナスカさん、電話もくれたから僕も話してみる。目の前に、いつも読む日記の当人がいるのも面白いが、その場で電話だけするのも楽しい。最初のひとことを交わすときの、何とも言えない当惑のような空気が記憶に残ったけれど、それは、日記やメールで普段ないくらいの深いかかわりをしていながら、むしろリアルな会話や対面を通じた時間の共有のほうを、このひとときだけにしなければならないという逆転現象があるからだ。
 彼等は誰もが知っている作家だというわけじゃない。でも僕にとって、ときにはそれ以上にいい書き手となる友人だ。いわゆるアーティストの人々の間の付き合いが、作品を通じて普段交流しているのと何処か似ているが、そんなに「ぶった」関係じゃないのが、「どくだみ荘」のいいところ。
 それでも、これは一面的なものなのだ。それは、しかし、残念なことでしかないのか?そうじゃあない。

 そのてるぼーは、ちゃんと仕事で認められて来ているみたい。彼女の一貫したところが、信頼を呼ぶのかなあ?やはり忙しく働いていた女友だちが彼女くらいの時期に体を壊しているから、どうぞ健康でバリバリやって欲しいと思う。洋梨のシャーベットを食べていたが、綺麗な赤が、若い彼女に良く似合っていた。

 素敵な絵のカレンダーやカードをくれたのが、ともこさん。平山郁夫展のあとだそう。平山郁夫よりも東山魁夷が好きだと言う。僕も好きだ。でも、平山作品も結構好きなのがある。彼の作品は、多く、物語を含むことがあり、一種語り手として素晴らしいと思う。仏教伝来しかり、ロマンを誘うことに彼の作品の真骨頂がある。
 ともこさんは、スケッチブックも餞別にくれた。「いいスケッチで埋めてゆきたい」と、帰ってすぐに、裏表紙に書いた。少々気恥ずかしい。
 家庭を持つと、生活に幾重ものレイヤーがかかる。未だ僕には、彼女やナスカさんや、あるいはみのべさんのことは、そのレイヤーのいくつかしか想像できないと、いつも思う。

 今日はネコを始め、本気の作品を撮るときのカメラを持って来ていたみのべさんは、とにかく、前回よりも明らかに健康そうに思える。いつの日か、大阪に移るかも知れないという件は、まだ分からないらしい。あのみのべさんが、こてこてになるとは思えないが、大阪へ仕事場を移すのは悪くないはずだ。風土として大阪は、人に自由と元気をくれる場所だと信じているから。

 まともなお礼も、出来なかった。ありがとう、楽しかったです。

 ナスカさんからは、こんなのをもらったので、忘れる(?)前に、ここに残すことにする。
 
 

勇気
 
 
氷の上を おそれずにゆきたまえ
いちばん 勇敢な向こう見ずでも
まだこころみぬような コースを見つけたら
じぶんで それをやってみるがよい
 
愛するひとよ あわてないことだ
みしっと 音がしても 氷は われない
たとえ われても きみはおちないよ
 
ゲーテ:星野慎一訳
 
 
ほんまに?
 
 

 

981113 金曜日
訓練67日目 晴れ
 

 昼休みになって、良くない知らせがあった。夕方には大体の全貌が分かるようになって、候補生達の顔は一様に曇っていた。本人にとっても、候補生にとっても、あるいはまた、スタッフにとってさえ晴天の霹靂以外の何ものでもなかったろう。我が同室のHさんが、来週にもここを去ることになったという。

 僕はここにしか日誌を書いていないので、できればすべてを、とりあえず書き留めておきたいと思う。しかし、それはWEBの性格上かなわないと考えるから、これ以上は書くまい。
 彼は今、本当にしっかりと現実を受け止められているだろうか?今後どうするだろうか?家を継ぐにしても・・・・そうじゃない、柔道家としての道はどうなっていくのか?8年越しの夢は、どうなるんだ?

 もう、どうにもならない。
 ・・・そういうことも、実は大抵何もかも、じゃあ今どうするか、どうしていこうとするかが大切なのだ。しかし、やぶれた夢をきちんと悲しみ踏み越えるには、時間や他の何かが必要だし、他方では差し迫った現実は猶予を与えてはくれないことがある。

 一昨日、肉離れが回復してきたということで、松葉杖がとれて喜んだばかりだった。
 宿業というべきかどうかは分からない。ともかくも、もう彼には昨日まであった道は無くなったのだ。いつかしてきたように、また新しく自らを始めるだけだ。大病や重傷を負った友人は他にもいる。同じくHさんが、そんな経験や成長をこれから生かしていくことを、願う。

 他方で僕、あるいは他の候補生は、感傷するよりほかにすることを探っている。既に幾つかの出来得ることはした。しかし、それらも今後の為にはなっても、目前の彼には足しにならないことが多い。

 彼は、潔かった。潔さが、かつて美徳として大きかった時代を思う。
 

 語学課業を終えて、午後皇太子夫妻との「接見」のオリエンテーション及び練習がある。事業団から派遣される専門家達が皆、接見の機会を持つ訳ではない。一般に広く参加を呼び掛ける協力隊としての、デモンストレーションのようなものだろうか?普通は青年海外協力隊参加者だけらしい。
 国の行う国際協力が、外交のひとつのかたちであるということを考えてみる。手段としての外交技術の巧拙は、日本のような国際関係上、外部依存型の国にとって、生命線だったし、これからもそうだ。

 
 

 

981112 木曜日
訓練66日目 晴れ
 

 朝の集い、体操をする。今日ほど東京の空が澄み切っているのを見たことがない。すべての建物の輪郭がはっきりして、光と影のコントラストは厳しいくらいだ。

 黄熱病のワクチン摂取。これは2回目を任地で受ける。かなりきついらしく、日をあけてからでないと出来ないからだ。みんな痛そう。
 
 



 

981111 水曜日
訓練65日目 曇り
 

 訓練も終盤。語学は今日は午前で終り、午後からオリエンテーション。青年海外協力協会と協力隊を育てる会の事業説明等。どちらも隊員活動中の支援や帰国してからのケア、あるいはOB・OGとしての活動をリードしている。

 昨日の続きで隊員報告書を見る。
 平成2年度から6年度までのレポートは光ディスク化されている。それ以前はマイクロフィルム。7年度からあとは、原本のまま。原本でないと、コピーできないのでしんどい。

 今日は僕の事実上の業務となる建築についてレポートを読んでいく。建築隊員たちの文章は全く千差万別。その中でケニアの隊員の緻密で詳細な報告書を見つける。任期を延長している人は多いが、彼ほど充実した3年を過ごす隊員は少ないと思われる。仕事を良いものにするには、個人の資質と赴任先の環境の両方に恵まれなければならない。
 このケニアの隊員は、担当プロジェクトの概略や行程表などもつけて、任国でどのように仕事がすすめられるものか、僕ら後続の人間に具体的に教えてくれている。予算も潤沢で、頓挫・撤回が比較的少なかった様だ。

 報告書とはそういうものだと思うのだが、実際しっかりした仕事をしても、事務局への報告だからと適当にあしらって済ませることが多いようだ。新任の隊員達が触れられる仕事の資料は報告書しかない。僕はできるだけ読んでもらって値うちのあるものを書きたいと思う。
 教科書代わりにしようと、昨日のようにケニアさんの報告書をデジカメで撮って、WEBのファイルにした。ブラウザーで簡単に見られるので。
 
 



 

981110 火曜日
訓練64日目 晴れ
 

 語学のあと、安全管理講座。要するに危機管理講座。どろぼー、ごーとーの話。
 あと、指導相談課のオリエンテーション等。
 図書資料室の過去の隊員のレポートを読み、デジカメで写真を撮ってWEB形式にする。コピーできないから、苦肉の作だ。
 
 



 

981109 月曜日
訓練63日目 快晴
 

 徹夜が効いて眠いこと甚だし。風邪で咳がひどいこと甚だし。ああ、つらい。

 語学クラスで、昼から誕生日のお祝をする。看護婦でボリビアの地方都市(日本で言えばかなりの寒村)へ派遣されるHさんのお祝。他のクラスのみんなが先に来て、歌を歌ってくれた。僕らも花とカードとケーキを出して、歌う。

Cumpleanos felis

Cumpleanos felis

Cumpleanos Akemi

Te deseamos a ti

(Happy birthday to you)
文字化けさせずにスペイン語を打ち込むのって、どうするのかな?ちょっとスペルが違います。

 福岡からやってきた彼女は、博多っ子らしい純真無垢で気丈な性格。協力隊では看護婦は高倍率で知られていて、6回目にして初めて合格したのだという。童顔の僕でさえびっくりするくらいの幼顔だが、同い年の彼女。今日何度喜びで泣いたろう?これからみんな、最低2回は向こうで誕生日を迎えるんだなあと、拙いスペイン語で語り合う。
 8月の技術補完研修でも一緒だった彼女。将来は助産婦として働きたいのだという。最初の誕生日を保証する仕事。ボリビアの幼児死亡率は1000人中67人に達する。日本は4人だけだ。

 午後の体育の講座の後、ダウンする。課業が終ったら、寝てた方がましだった。火曜の未明目が覚めて日記を更新する。
 

 
 


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