Diary日々の記録
km : negro, blanko, rojo y gris
981018 日曜日
訓練41日目 快晴、風
朝、台風が去っていった。見る見る晴れて行き、僕らは電車の窓から川の波を見て、残った風の強さを計っている。さて、まずまずの遊園地日和となった。気温が上がって行く。もうセーターを脱いで、くぐったゲートには「TOKYO DISNEYLAND」というサイン。
遊園地なんて、もう何年ぶりだろう。僕ら、と言っても、14人もいる。残念ながら、協力隊候補生の面々と初めてのディズニーランド体験だ。数日前に来い来いと言われて。
敷地は広く、それぞれのゾーンのバラエティも豊かなのに、どの建物、ストリートファニチャーのスケールも小さく、ヒューマンだ。音楽も途切れることなく聞こえてくる。それでいて過剰な演出で息が詰まることもない。遊ぶ人々の顔はのんびりと晴れやか。
並んで入ったアミューズの中は、あきることのないように工夫した順路となっている。行列を長いと感じさせない。懐の深いデザインだと感心。などなど。
7時半からの電飾のパレードを見て帰る。
美しかった。僕なりに楽しく、心浮かれもした。
訓練所に戻ってみたら、小笠原の海と、鯨、いるかの写真をS村さんが見せてくれた。昨日今日とダイビング仲間に会ってきたらしく、かなり御機嫌な酔い方。海面を見上げて頭上の海獣の踊る様を見る。青にはこんなにバラエティがあったか。
ほんの少し溜めた水を見て、小笠原の海を回想する。そして心安らかになるという話を何処かで読んだ。S村さんは、ボリビアに派遣されるシステムエンジニア。
ボリビアには海はない。心弱いとき、大きな白い船が静かに停泊している様を思い浮かべて、救われる日があると書いた詩人がいたのを思い出す。今日の遊園地行は、ちょっとしたボートにはなったかな?
彼が書いたのは、そうして救われる、心弱い日が、私にはある、ということだったけれど。明日も、きっと晴れるぞ。
981017 土曜日
訓練40日目 雨
東京の秋は雨続きだと思っていたが、今朝は止むことのない驟雨といった感じだ。ざあっと。
ひさしぶりの語学課業のように思う。まだ楽しいと思える。スペイン語は語感からして、なんとも言えず楽しく、味わい深い。
シエスタは夜まで続き、その後食べて飲んで歌って。冗談で入れた「真っ赤なスカーフ」が、胸に迫る協力隊員達だ。うはは。
帰った部屋が散らかっていて、どうにも気分が悪い。もともとルーズな俺なのだが、ここではきちんとしていたかった。このへんが分かれ目か。
母から、菓子と果物、若干の酒が届く。みかんと梨が入っていたのは、今が秋である故だ。そのうち崩れかかった柿が来るかも知れない。
981016 金曜日
訓練39日目 曇り
朝の集いは講堂にて。雨がある。
所外活動は今日まで。2日間。世田谷の「つどいの家」には、昨日と同じメンバーがやってくる。ひとりだけやって来ない人がいるのは、今日のプログラムの「施設見学」の一環で「自立」生活の実際を見せてあげるため、家で待っている人がいるから。彼はかなり重度の脳性麻痺だったはず。目と首だけしか自由に動かすことができないし、喋ることもほとんど出来ない。交代で介助のサービスを受けることで自立生活を維持している。
3名を残して他の利用者はその施設見学に出かけた。われわれ協力隊ボランティアは残り3名のお世話をする。半端な人数なので、今日も外出しようということで、電車に乗って初台のオペラシティー、NTTの美術館(Inter Communication Center = ICC)、新宿区民センターで弁当、都庁とまわる。
僕は今日もEさんのお伴。昨日で彼の姿には慣れているが、電車の中での他人のまなざしが気になってくる。ドアの横で、人が通る度に身を縮めているのは、車椅子者のマナーなのだろうが、分かってもらえているか?ICCでは体験型のアートが多く、皆さん楽しんでいたようだ。ちょっと有名な作品もあるし、感受性豊かなEさんなど、満足してもらえたのではないか?
夕方になると、利用者の方々が帰ってゆく。好きな子の写真を見せてくれたOくんが、さみしいよと言ってくれたのは、愛想ではないと思いたい。できるだけ感謝を込めて、厚かましくも握手などする。また手紙でも書きますよと言って。
夜は談話会。公式に酒を飲んでよい。わいわいと談笑するのを横目にしつつ、なぜか作業療法士のSさんEさんを囲んで、この2日の話をする。
その後は、また少しワインなど飲んで、寝る。
981015 木曜日
訓練38日目 曇り
台風が来るとか。昨日までの涼しさは何処かへ行ってしまい、異様なまでに暖かな朝だ。雲は各層、いずれも風が強そうで、変転に満ちている。ハンガリーの国旗が上がっていく。
所外活動として、都内いろんな福祉施設にボランティアとしてお邪魔する。今日明日の二日だけ。グループに別れて。僕はS藤さんと二人だけで、世田谷区肢体不自由児(者)父母の会「東北沢つどいの家」へお世話になる。
区から依託されたかたちで運営されている施設で、思ったより小規模だ。定員は12名。スタッフは若い方が多く、大変フレッシュな印象。他の大きな公立の施設へいった人に聞けば、スタッフの質に疑問を持ったという声も多い。ここでは全くそんな思いを抱くことはなかった。利用者は脳性麻痺の人が多いようだ。日中の活動の場所なので、夕方には皆さん帰宅する。こうした施設のお手伝いをすることは初めてで、大変勉強になった。使える運動機能を駆使して、ゆっくりと、なんとか会話したり。五十音表を指差したり、口で言ってあげて身ぶりで指定してもらったり。食事の介助をしたり。
午前はみんなでミーティング。午後はレザークラフト。一部は喫茶店に行く。僕もEさんのお伴をして、コーヒーを御馳走になる。
Eさんは重度の脳性麻痺がある。江戸っ子のくせして、大の阪神ファンで、しかも大阪が大好きなのだと言う。大阪人の僕を気に入ってくれたようだ。4つ年上。言葉での意志伝達はほとんど出来ないので、こちらで誘導してゆく。そんな中でも、かれの爽やかな人柄が伝わってくるので、感動する。〜アイスコーヒーを「れいこー」ていうんだろう?〜
話題は自然阪神のこと。喫茶店では野村の監督就任の話題をして、大喜び。〜「まえにいた すたっふも はんしんふぁん だった」〜
喫茶店から帰ると、もう帰宅の時間だった。なんと一日の短いことだろう!Eさんのひとことは、バカ話に当てるには惜しいくらい、重い時間の塊だったのだと思う。都市計画・建築計画の観点からは、施設のプログラムや規模、集中分散などの配置方式、管理運営、状況変化への追随性・拡張性その他、知りたいことはいっぱいだ。短時間でも現場の様子を体験できて、本当によかったと思う。
もしも困窮の中にある社会だったら、Eさんはどのように扱われていくのだろう?健常者との差異が、尊厳や可能性を損なうことにならないためには、どうすればいいだろう?Eさんはどうなっていくことがいいのか、周囲は?環境の整備は?結構疲れて、早く就寝。夜半日記の更新。
981014 水曜日
訓練37日目 曇り
エクアドルの国旗は、コロンビアのそれと良く似ている。紋章がついているほうが、エクアドル。都会の昼間、雨上がりの風景は何故かグレーのグラデーションなので、今日のような日には色鮮やかなこの国旗が引き立って見える。
午後まで、今日は語学の中間テスト。僕はスペイン語。ペーパーテストに関しては、70点をボーダーとして不合格者は追試の対象となる。即日結果発表、合格していた。ごく簡単な試験だ。
聞き取りとインタビューの試験もある。これもまあ、何とかなった。インタビューは「どちらの出身ですか?」といった、ごくごく基本的なものから、「南米で何をしたいですか?」「ボランティアに参加しようと思った動機は?」なんていうものまで。夜、みんな解放感でいっぱい。僕もお誘いを受けて、わいわいと。
981013 火曜日
訓練36日目 曇り夜半雨
コロンビアの国旗は黄色が強い。きっと黄色が似合う風土なんだろうなあ。明日が語学の中間テストで皆遅くまで勉強するから、このところホントに集まりが悪くなってきた。寝坊が多発。かく言う俺も隣室のUさんに起してもらう毎日だ。
そう言えば、昨日ワクチン摂取があった。ポリオと破傷風の2回目。それで若干しんどそうに語学に参加する人もいる。
Mさんは明日帰る。語学は同じクラスだから、これから淋しい授業になるなと思う。人一倍賑やかな人だったので。
訓練所としてとりあえずの説明があって、そこで触れられたように、まず身分や怪我の治療に関しては手厚い保護を受けられるようなので、その辺の心配はいらないようだった。明日は我が身。誰もが不安を覚えた一件。協力隊事業の運営側も最も気を使う事項。
まあとにかくしっかり治して、必ず派遣先でいい仕事をしてきて欲しい。出発は来年の夏になったらしい。医療関係の個人的情報をこうしてネットで公開するのは良くないのかも知れない。個人の名を伏せて、なおかつ回復が見通せる外傷なので、当人だけの事故でなく、協力隊の候補生として誰もに共通した事件という側面から書いているつもり。
また、身分措置の具体的なことは、ここには書けないし、書くに馴染まない。個人的な記録で済まないし、参照資料としては杜撰に過ぎるから。どこからが守秘義務のあることなのか、分からないこと。後で分かること。後でまずいと分かること。結構難しい。今のところ、まずいことは書いてないと思っている。
ただし、派遣されたからの仕事に関しては慎重にしなくては。
本当に書きたいのは「仕事の」日誌と「暮らしの」エピソード、その両方だ。しかし、それは難しい。日記のつもりでも、第三者があらかじめいるのなら、限界がある。
私はこんど改めてノートを読み返してみて、自分の作品が詩というより、詩を逃げないように閉じ込めてある小さい箱のような気がした。
井上靖:詩集「北国」あとがきここは、カギのない下宿部屋だ。何でもかりそめのまま、誰咎めることもなく、訪れる友人の手にとるにまかせたがらくたの置き場所。
借り物の又貸しはしません
981012 月曜日
訓練35日目 晴れのち曇り
朝の集いは、いつも屋上。広尾はたいして大きな建物がないので、この訓練所の屋上でも空は大きく見える。羊雲か綿雲か、やわらかな塊に、明るい空が覆われている。今日の国歌と国旗はブルガリアだったような気がする。
語学を終えてすぐ復習する。その後、班長会議。毎週月曜に集まる。今日の夕食は、また格別のうまさ。で、そのあとすぐ班を集める。
あまりの眠たさに、ダウン。結局夜中まで寝る。騒がしいので起きてみれば、同室のHさん、Yさんを誘って飲んでいる。二人でこの間の1升を空けた。
夜中、ビール片手に語学の宿題の為、下の階へ。3時を過ぎているのに、がんばっている奴がいる。
夕刻は外出して、ちいさな本屋へ寄った。文庫は買いだめ状態なので、実家から送って貰えば良いのだが、買い物するのも気がまぎれてよい。パッと見が綺麗だったから、一冊買ってみた。
Free but lonely.
実際、二つの言葉のどちらを最後にもってくるかで淋しさの質が違ってくるのであった。
Evelynなら確実に Lonely but free と言うであろう。
水村美苗:私小説 from left to right , 新潮文庫一日の最後にひとくち飲もうと思って、ビールの缶を手にとると、既に空だった。これでは but lonely である。
last recent
-Essay- -kmdesign home-