Diary
日々の記録
 
 
 
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980927 日曜日
訓練20日目 概ね雨
 

 昼に起きて食堂へ。まだ眠くて、結局夕刻までベッドの上。

 先週も飲みにいった小学校教諭のSさんと夕飯を食べる。久しく食べてないので、ラーメンが恋しくなったからということで。前にもいった近くの「支那そば屋」。醤油味で、綺麗なスープ。
 お互いの履歴を知った。

 帰るとテレビでK-1をやっていた。

 日記を先に書いてるが、このあと建築士の勉強と語学の宿題がある。
 いい生活だ。

今日初めてカーディガンを出した
 



 

980926 土曜日
訓練19日目 降ったり止んだり
 

 曇り空のしたで、コロンビアの国旗が日の丸とJICAの旗に並んで上がってゆく。
 語学の授業が3時に終ると今日は10時まで自由。

 4時前からドッジボール大会。候補生による独自の企画。できるだけ皆参加する。
 残念なことに、女性のMさんが怪我をしてしまう。左足のアキレス腱に近い靭帯を幾つか切ってしまった。準備運動もストレッチもしたし、彼女とはバスケットボールで遊んだりもした。それでも怪我はしてしまう。痛みに耐えながら、派遣を取り消されたり、遅れたりしないか、そんな不安が彼女と、僕らに覆いかぶさってくる。ストレッチを指導してくれた、体育教師で派遣されるKさんは責任を感じ、涙をうかべてうなだれている。
 緊急時の対応の仕方が複雑で、訓練所としての指示を仰ぐのに手間取ってしまう。今日はもう職員は全員帰ってしまっているから。
 手術などはしなくてもよいらしい。ギブスで足をかためて車椅子の人になってしまったが、昨日まで規則尽くめの訓練所生活に辟易して、候補生になったことを後悔するわ等と言ってた彼女も、明日からは大切に時間を過ごしていくだろう。

 大会は中断したが飲み会はやる。切り替えも早く、大騒ぎである。とても楽しかった。訓練所に戻ってからもギターの弾ける数人を囲んで皆で合唱。悪のりして背中にマジックで落書きをしあったり。関西3文字は書くなよなあ。
 部屋に戻ると同室のHさんはズボンを半分だけおろしたところで力尽き、よだれを垂らしてひっくり返っていた。広尾で酔っ払いの服を脱がせてやっているのは俺だけだろうと思いつつ、ちゃんと靴下までとってやった。寝ゲロは止めてね、Hさん。

 
 



 
 980925 金曜日
訓練17日目 晴れ
 

 そろそろ訓練所入所後3週間が経とうとしている。疲れの見える人が多くなってきた。朝の集いも出てくるのが皆遅い。けれど今朝の晴れた空は、久しぶりに胸がすうっとするような、気持ちのいい秋空だ。7時前の朝焼けの残る金色の厳しい光と、青い青い、空ばかりの空。南へ流れていく雲の行列は、変わり身の速い秋の天候を表わしてあっという間に飛んでいく。
 今日の国家と国旗はブルガリア。初めて聞く曲のように思う。2回目のはずだけど?

 語学を終えたら、昼から3時までチリへ派遣される隊員は課業なし。先日オリエンテーションが済んでいるから。
 3時10分から任国事情の講座。愛国大学という右寄り風な名前の学校の先生が来て、チリの一般的な事情について解説。この間まで総務庁の国際交流プログラムの団長を務めたとかで、中米から戻ってきたところ。チリは安定した、十分豊かな国なので、特に講座で根をつめて教えてもらうほどの事は少ないようで、この講師の方も、大使館が出している広報パンフで話をする程度。

 食い過ぎで太り出すと、決まっていつも満腹感が消えなくなる。気分が良くないから散歩する。夕食後、広尾から麻布のアリスガワ公園をなぞってうろうろする。ほとんど豪華マンションや、外国公館職員相手のスーパーを覗いて歩いたようなものだった。
 この間の日曜日歩いた恵比須の下町は割と面白かったが、今日歩いたところはそんなに綺麗でもないし、魅力的でもないように思った。

 夜更けの語学教室は今日も男女の話に花が咲く。こういう時、30をまわろうか、もうまわって久しいか、という人の話はおもしろい。俺はそういうネタは極端に乏しいので、気持ちだけ分かってニコニコ聞いてる。このまま坊さんになってもええと思ってるくらいやで、というと妙に受けていた。

だるまさんがころんだ、のことです
 
 



 

980924 木曜日
訓練16日目 曇り時々雨
 

 今日の国旗と国家は一巡してボリビア。ラジオ体操のお兄さん役は俺。

 外側から想像していたように、ここはかなり学生のりである。訓練所のシステムも、候補生達も。もしも一般企業からの出向者で全員を占めたら、こういう雰囲気にはならないだろうと思うことが良くある。

 語学課業を終えたら、公用旅券のオリエンテーション。旅行業者に委託している。

 建築士試験の勉強。というか、製図試験の練習。とりあえずトレース。今年は多目的ホールのついた事務所ビルの設計が課題。10月11日が試験なので、もう半月と少ししかない。諦めが悪いのが俺のとりえだと思って、今までのところ何とかなっているので、今回も足掻くのだけは止めない。

 研修所は禁酒が徹底しているので、仕方ないから缶ビールを持ち込んで、部屋で飲む。同室のHさんに誘われて。寝る前に空けるつもりが、やっぱりすぐ飲んでしまった。しかも3本全部。さすがにほろ酔い。彼は語学の宿題に追われているはずなのに、寝てしまった。俺は何とか持ちこたえて風呂へ入り、語学教室へ。やっぱり頭に入らず。
 このクラスでは、毎日スペイン語の日記をつけて、提出することになっているのだが、日頃日本語でさえ拙いのに、習いたての外国語では大変辛い。限られた能力で表現できるように考えるのが難しい。

 日付けが変わる頃、語学教室にM君がやって来た。明るく話し好きな彼、かなり若いこともあって、勉強中の女性を捕まえ、恋愛の相談とも感慨の表明ともつかない話題へと流れていった。面白い話なのに、すごすご逃げ出してこうして日本語日記を書いてるとは、俺も彼のようには若くないのだなあ。

 運動不足で食い過ぎ。最近腹がつかえるような感じがするようになった。やば。
 

 
 



 
 980923 水曜日
訓練16日目 曇り
 

 春分の日。訓練所は休まない。ちゃんと6時25分から朝の集いが始まる。祝日は君が代が流れる。

 語学授業はまだ楽しく続いている。このまま、ちゃんと実力がつけば良いが。まだ簡単な会話もおぼつかない。

 講座授業は横国大の田口定則氏を招いて、国際関係と日本の国際援助。
 第二次大戦からの国際の現代史。このあいだの講座とも重なる部分がある。憲法の前文をあらためて読むと、この国の国際援助の方針の理想が見えてくる。これからは国家のパラダイムばかりにこだわっていられない時代だろうが、それにしてもODAは税金から拠出されていることだし、莫大な資金なので監視も評価も積極的にされていかねばならない。
 僕の印象を言えば、日本は援助と特需とその他の助けで戦後の発展を遂げた。現在も多方面で他者に依存している存在である以上、他者も巻き込んだ全体の環境をどうしていくかという視点から、避け難く国際援助は浮かび上がってくるものだ。また、個人のスケールでも、他人や外のコミュニティーを関心から外すのは当然かも知れないが、どこからを他人ごととして切り捨てられるかは、個人差が甚だしい。特に関わるなかに喜びを感じる人なら、それはどこまでいってもおせっかいではないはずだ。

 朝の集いでは、S氏が昨日の長女の出産のお祝に対し、謝辞を述べた。人の親として、子はいつでも心配の種だと知っている者から言わせてもらえば、皆さんも親には手紙の一枚でも送ってやるのが子のつとめだと。いいこと言うなあ。ひでえ親父を自認する彼のアドバイス。
 僕は昨日手紙を出した。面倒だから、この日記の最近分を送ってやった。うちは気楽な親子関係なので、構わない。暇つぶしにくらいはして欲しいなあ。他人でも読んでるんだから。
 

さすがに恥ずかしいね
 
 



 
 980922 火曜日
訓練15日目 雨、風強し
 

 守衛さんが寝坊したのか、朝の集いに使っている屋上のカギが開くのが遅れる。今日の国旗、国歌はチリ。僕の任国だ。国歌はちょっと凝ったマーチ風。国歌なのだから、それぞれどの国も歌詞がついているのだろうか?多分無い国も多いと思う。
 語学授業は、ほぼ毎日担当主任等の管理者が見回りに来る。僕ら候補生が授業についていけているかもそうだが、先生の雰囲気やすべての小テストを先生がレポートしなければならない決りになっていることからして、教授する側への管理も厳しい様子。

 午後、授業を中断して狂犬病の予防接種の1回目。2回実施する。他に黄熱病なんかもやる予定。

 毎日3時からの講座授業は保健。今日は2回目になる病気の話。熱帯熱や食中毒系の講座はこの間終わったから、今日は性病(STD)や地域に特有な疾患について、スライドを見ながら。エイズを除く性病は治療法もだいたい確立しているから、意識が高ければ問題ない。エイズにしても、20年程度の延命がいわゆる先進国では可能になっているらしい。
 それぞれの地域の風土によっては、例えばボリビアに多いサシカメムシのように、原虫を媒介するものがいて、疲弊した社会経済のもとでは断ち難くはびこっている。また住血吸虫病はそんな社会的な側面は比較的薄い病気であるが、川などの淡水から健康な皮膚を突き破って侵入するありふれた病気。ともかく隊員としては感染の経路をカットして、危険から離れた生活習慣を守ること。できれば現地にも教育してゆきたい。
 チリは一人当りの所得が年間5000ドルを越えている富裕な国であることもあって、特に危険は無い。破傷風、狂犬病、チフスくらいか。

 このところ夕食後眠くなって、2〜3時間寝ることが多くなった。そんな安眠を破る館内放送。
「候補生の皆さんにお知らせがあります。・・・S候補生に赤ちゃんができました!・・・」
 あの、良く気のつく小学校の先生の(別の)Sさんの独断放送である。訓練所中が歓声に包まれる。

 Sさんはこれで2児の父親となった。自己紹介でも出産が近いと言ってたけど、勇気や覚悟ということばで理解し難い協力隊参加だと思う。聞けば、なんにしても彼の生き方なのだと言う。自分自身に引き寄せて考えるなら、つまり僕には出来る・出来ないの問題でなく、生き方としてそうか、どうかの話である。
 赤ん坊を2人抱えて、夫婦は2年間別れて過ごす。それだけの形の捉え方では、彼と奥さんの家庭の有り様は語れないのに違いなく。
 おめでとう。

 乳児平均余命では心配の少ない日本だ。最貧国では2年後愛児に会える可能性は圧倒的に低くなる。豊かさが与える安心とは、なんと素晴らしいものだろうか。
 
 



 

980921 月曜日
訓練14日目 午前雨午後晴れ
 

 雨の為、朝の集いは講堂で。
 語学課業のあと、3時から体育講座。講師はラジオ体操でお馴染みの青山敏彦氏。たいへん爽やかな体操のおじさん。グループでやる楽しい運動のメニューを次々と。最後はやはりラジオ体操の第一で締める。なんだか感激。
 夕食後建築士の試験勉強。そこそこにして寝てしまう。
 語学教室にて自習を始めたのは10時から。そろそろ覚えるべき項目がたまってきたので、しんどいなと思う。

 うつつから離れたような合宿生活でうれしいのは、メールや手紙だ。何かをすり減らすように働いていた頃もそうだったし、いつだってそうだけど、とにかくいまもうれしいものだ。筆まめでもない俺や友人の間では行き交うものはないから、どうしているかと気にかけるだけなので寂しいような気もする。それもまたひとつだ。
 そのうち10年ぶり20年ぶりの交流というふうになる奴も出てくるのだろう。それが誰かはわからない。でも誰かとの長い別れの期間のカウントは、いつの間にかはじまっている。

 6時の夕食から就寝まで6時間以上何も食べないので、ハラが減る。で、今日は昨日の写真の梨に犠牲になってもらった。
 ビールも飲みたい。凄く飲みたい。

 「うわのそら」さんからライブの告知が届いた。縦書きで素敵に仕上がっている。いつか俺が撮った畳のうえのぶどうの写真を使われている。打診があったときから、きっとこれを選ばれるのだろうと思っていた。
 肩の力の抜けた豊穰の世界。どうぞ成功しますように。
 
 


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