Diary
日々の記録
寝不足だと長くなる傾向があるようです
980709 木曜日
曇り
ちょっと久しぶりの京都市役所。またも徹夜で一般図を仕上げ、さらにそれを届出書類用に仕立る作業を大慌てでやったのに、施主側の方針がふらふらしていて、今日来た意味はほとんど無くなった。役所の食堂に打ち合わせに来たようなものだ。事務所としても、もう少し各フェーズで物事を明確にして、固めてゆくべきだ。まあここの食堂は、ちょっとかわいい女性が厨房にいるからいいところだけど。
寝てないから、昼であがって歩く。でももったいないから、どこかへ寄りたい。なんだか最近、寄り道日記とでもいったほうがいいような感じやなあ。逃避逃避。
あいにく今は面白そうな展覧会もギャラリーもやってないし、暑くてお寺さんもなあ。と考えていくうち、涼みに駸々堂へ。さらにはアーケードのある新京極へ。なんで今更?涼しいもんなあ。
9月に入ると協力隊の訓練で、東京に2カ月以上逗留することになるから、その間おそらく僕のデスクトップのMacは使えまい。どうも寄宿舎的なところに入るらしい。そこにだって知り合いはいるし、友人も出来るだろうが、しかし、もはやネット環境から離れがたいものがあるので、今風に藻場いる? モバイルしてみようと思っている。
新京極近くの電気街で、新しいパワーブックを見る。見やすく、打ちやすい。でも、欲しい!と思わせるほどのデザインではなかった。なるほどなかなかのものだが、Macのプロダクトデザインは、常に圧倒的であって欲しい。でないと、僕のような値段で二の足を踏んでいる人間はおとせない。
モノもヒトも、「欲しい」と「許す」で結びつくんだ。と、電気屋の兄ちゃんに見積をしてもらいながら、強く確信した。
結局望む環境では、最下位機種でも30万円台後半で納まって御の字のようだ。
電話と同じで、繋がりを作る媒体は、どうにも失いたくない。しかしネット環境は応分のお金が無いとまだ保証しにくい。でも、お金で済むなら安いのかも知れない。
しかしどうだ、この世の中って、繋がりにみちてるよなあ。視線、言葉、身振り、手紙、郵便、電話、ファックス、電報、そしてコンピューター通信。或いはまた一方的広域的なモノとして、放送や出版や劇場のメディア。(ヒエラルキー目茶苦茶)文化的な背景や、政治的な支配関係もいれると、ものすごいことになる。
インターネット的な特徴って、郵便・放送・出版を手法的に模倣しながら、双方向性と手軽さを同時に実現してることで、しかも利用者に情報の編集を課すという義務による刺激も持っている。(個人的見解)
ああ、だから、つまり、今更失いたくないものなんだな。何でも喪失したり、隔絶されるのは辛いものだ。
蒸し暑いので、ここまで話は深刻化する。
あのG3も、ある日突然はっとする横顔を見せてくれるかな。ここに惚れたがってる男がおるで。
祇園祭のポスターを良く見る。来週は宵山、佳境だ。
通りで見かけた荒縄屋では出入りが激しそうだったが、鉾や山を組むのに使う縄の発注に忙しいのだろう。
祭りの前のこの四条通りに、今年も組み立て現場がまず展開する。学生時代見学したが、それぞれのチームが美しい技を見せて組み上げるし、おっちゃん達は皆本当にいい顔で楽しげだった。
摺りきれた荒縄の塵で目をしぱしぱさせながら。
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