Diary
日々の記録



過去の画像を軽くしました




980706 月曜日
晴れ


 この間、雑記のほうで合歓木のことを書いたら、やっぱり見たくなった。昼までに用を済ませて、今日は午後から自由に過ごしてやろう。この間までの忙しさはもう、ひと段落ついたのだから。

 のんびりと走ったら、ちょっとばかり時間がかかった。1時間半ほどで満開の合歓木の下に着く。今年は暖かいから、下手をするともう散ってしまっているかと心配したが、良かった。まさに今を盛りの満開。
 本当は酒でも飲みつつ居たかったが、今日は泊りはかなわない。お茶とスナックとコンビーフ(?)で本を読む。学芸出版社、アラン・ジェイコブス著「サンフランシスコ都市計画局長の闘い 都市デザインと住民参加」

 実録奮闘記であり、かつプロジェクトの策定・実施の資料としても良い本ではないか。シスコにいった人は皆その街の虜になる程らしいから、参考モデルとしても持ってこい。読み物としてもまあまあか。俺は読むのがかなり遅いので日没までの時間では、大して読めず。

 帰りはオムニバスのケルトものと、この間買ったウェイン・ショーターのNative Dancerを聴きつつ。

 合歓木もよかったが、多雨のおかげだろうか。木津川がこんなに美しく見えた日はなかった。





980705 日曜日
晴れ


 夕方から友人のMWと待ちあわせて、参院選の不在者投票に行く。係の若い女性職員にきくと、この期間は休み無しだという。御苦労さんだなあ。

 腹が減ったし京都までラーメンなど食べにいこうということに。かれは結構なラーメン好きだから、単に京都に行ったからというだけでは満足しない。ネットで見つけたガイドのサイトで調べていた店、「しるそば たか」に向かう。そのサイトの作成者の評価では10点満点で8点。噂にも聞く店だ。
 食べてみるが、俺としては同じ京都駅近くの新福菜館によく似てて、6点かなあ。醤油系ではやっぱり前にいった堀川紫明の万来軒を超える店はないなあ。

 堀川今出川に「いわしや たもん」という料理屋がある。男同士、この夏の間に寺社巡りでもしてから飲みにいこうやと相成った。

 ついでだから北大路東大路の丸山書店に寄っていく。学生時代よくいった24時間営業の書店。今どきではそう大きいとはいえなくなったが、色々工夫してて好きな本屋。
 ワンコーナーが哲学書になってて当世風だが、ゲーデルの解説本だけを10冊近く平積みにして、さらに店員の手書きキャプション付き。京大のその筋の学生でも雇ったか。鬼気せまる感じで面白い。ゲーデル、知ってます?数学者の。哲学書ってほんまもんそうなのって、格好良いから買ってはみるけど、やっぱりわからんのよなあ。

 今日はそれだけの日だった。ワールドカップを観にいった、事務所のH岡さんの土産のワインでも飲みながら、せめて何の本を読もうか。
 独り者的生活とは、大概こんなふうかという見本みたいな、一日。





980703 金曜日
晴れ


 下半期の始まり。今日も芦屋の事務所で作業。
 後輩所員のY君が2階のバルコニーへ出てたばこをすっている。
 「松岡さん。もう夏ですねえ。めちゃ気持ちいいですわ。」

 午前中でも結構な気温になっているが、もう梅雨のあけてしまった空だ。それに蒸し暑さが当たり前のような真夏の日々にはまだ間がある。Y君は事務所の向いの公園をながめながら、実にうまそうにたばこをすう。
 僕はたばこをやらないが、こういうところを見るとさすがにうらやましいと思う。


 宮沢賢治の童話に「虔十公園林」というのがある。

 ****風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑えて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした****

 無能で無欲な虔十は、痩せた土地に杉林をつくって死んでしまう。僕には虔十の感受性の表現が、なんとも印象深い作品だ。

 生前そんなだった彼はかなり馬鹿にされていたが、同じほうけたような笑い顔で杉林を眺めているとしても、彼がたばこを片手にしていたなら、虔十の姿を通りすがりに見る人たちの印象は、すっかり違っていたことだろう。もっとも、お話自体のイメージが違ったものになってしまうが。


 脈絡のおかしい話になった。ただ僕自身、ちょっとドライブにいったり、そこらへんを散歩しているときでもいい。しばらく足を止めて風景を楽しんだり、物思いするときに、たばこという小道具がないばっかりにほとんど虔十を演じなければならなくなることがよくある、という話。
 木陰で佇みながら、幼子と若い母親が歩いていくのを、見送るように眺めやる。何の小道具もなければ、そういうひとりで楽しむ優しさも、かなり怪しい行動になる。だから折角そんな光景が目の前にあっても、あえて害のないように、足下をうろつく鳩のほうに目をやってしまったり。あるいは海岸の路肩に車をとめて海を見ていても、それだけだったら、何か思いつめたふうにも見えるだろう。あの小さな火と煙があるだけで、彼や彼女は安心してひとりになれる。そうなんじゃないかな。たばこはやらないがそんな憧憬を感じるというひとは、結構いると思うのだが。

 ひょっとすると喫煙は、どこでもその人個人の世界へと誘うことができる為に、例えばロマンチストを育てるのではないだろうか。人によれば、つべこべ回想を反芻するだけの退廃も招くかも知れない。でも内省を能くするのは、それだけですばらしい。

 きのうもきょうも快晴。そうこうしてるうちに日付も変わった。実はまた徹夜したのだ。気分転換に間を見て書いてきたんだけれど、早くあがってゆっくりしたい願望がたばこと宮沢賢治に繋がってしまった。単に頭が往かれてきたのかも。「往かれる」っていいね。ああ、いかれた。


 こんな調子でなかなか更新もままならず。いいか、試作だもの。
 Minobe<どくだみ荘日記直行>さん、すいません。そしてリンク、ありがとうございます。


 4時前。帰り際に友人の建築家の現場を見て帰る。高台のスタッコ仕上の邸宅。スタッコ職人はイタリアから呼んでいる。かっこええがな。
「チャオ。ワールドカップやってるで。こんなときに日本で仕事とは、難儀やねえ」
とはうまく言えないが、片言であれこれ。向こうの職人さんは意外と物静かで真面目だった。





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