2004年01月25日

2001/02/04の日記から覚書として再掲。後日手直しと追記予定。
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底冷えのする日だった。藤沢から乗った江ノ電は民家の軒先を舐めるように走り、腰越を過ぎたあたりでとつぜん視界が開けた。渋滞しているR134の対向車線を暴走族のバイクが何台も逆走していき、オイルの焼けた匂いが電車の中まで漂って来る。その向こうには藍とも緑ともいえない二月はじめの海が広がっていた。

極楽寺の駅から地図をたよりに歩く。小路を折れ、さらに細くなった九折の路を進むと山肌に吸いつくようにしてその家はあった。玄関の戸は壊れ、瓦は苔むしていた。人が住まなくなってずいぶん長い時間が経過しているようにみえた。破れた玄関のガラス戸に首を突っ込んで家の中を覗くと、すでに屋根に穴があいていて一条の光が射しこんでいた。和室とおぼしき部屋には古めかしい和机が置かれ、その上に散乱している本を照らしていた。台所だったであろう場所には丸みを帯びた旧式の冷蔵庫が放置され、つつましい生活をしていたことがみてとれた。

祖父の前妻であるその人は4人の子供を授かった。3男1女である。そして1女はやがて私を生むことになるのだが、その前の戦後の混乱期にヒロポンに体を侵され、心を病んでしまう。そして精神科医の世話になる。

精神科医とペイシェントは信頼関係が築けないと治療が思うように進まない。そして異性の場合、信頼関係は恋愛感情にも似た感情をもつことがあるという。私の母もまたそういう感情を持ってしまったらしい。そして悪いことに付き添いで行っていた「その人」までもがその精神科医に恋をしてしまった。母娘の間に確執があったことは容易に想像できる。

やがて「その人」は3男を引き取り、祖父が1女を引きとる形で決着を付け、離婚して精神科医と暮らすことになる。一生涯籍を入れることはなかったが「その家」で静かに一生を終えたという。

「その家」を通り過ぎ、九折の急坂を登りきると眼下に稲村ガ崎の海が見えた。潮騒が微かに聞こえ、トンビが二羽頭上で舞っていた。

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2004年01月12日

20040112.jpg

12月の墓参りで石屋さんを出るときに段差で下回りを擦ってしまい4WSの異常を示すランプが点灯しっ放しになっていた。
ディーラーに部品を頼んでいたのだが、リアのエンコーダーユニットが入荷したとの連絡があったので入庫して修理してもらう。

修理を終えてクルマを出そうとすると、シートの前後調節ができなくなっていた。
よく見るとシートのレールに口紅がひっかかっていた。
それは古ぼけて傷だらけだった。
いったいいつからそこにあったのだろう。
記憶の糸をたどると、3年ほど前の夏の夜に彼女がバッグをひっくりかえしてしまったことがあった。
いずれ手厚く供養しようかと思う。

礼状、寒中見舞い。済み。

投稿者 dokudami : 19:44 | コメント (0) | トラックバック