2004年08月22日

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世界の中心で愛を叫ぶ

昨日は新宿で食事をし終えて、ふと横を見ると映画館では「世界の中心で愛を叫ぶ」をやっていた。時間を見ると、あと5分で次の上映時間だった。いまさらとも思ったが、何かの啓示じゃないかとチケットを買って中に入る。

原作を読んではいないのたが、あまりにもヒットしたのでおおよそのストーリーは知っていた。映画がはじまってすぐに、主人公のサクと17歳の私が重なった。ずっと心の奥に押し込めていた感情に灯りがともった。

この映画の見せどころのひとつは、アキを失ったサクの大人になってからの感情も表現していることだろう。年月を経て昇華される愛する人の死。生きることの意味。

どこかの投稿BBSに、同じような体験をした人がこの映画をどのような感情を持ってみるのだろう、といったことが書かれていたが、私もその一人。感情移入しまくりで最後まで観てしまった。ラストシーンにかぶさる平井堅の「瞳を閉じて」がまた泣かせる。

以下は1998/08/10の私のweb日記よりメモとして再掲載

首都高速5号線上り。午後2時。都心に向って走るでもなく、さりとて止まるでもなくゆるゆると流れるクルマの中で、一人の少女のことを思いだしていた。少女の名は美穂。当時の私と同じ17歳だった。顔は知らない。それは会ったことがないからだ。

 会ったことはないが電話では毎日のように話していた。かけてくるのは彼女から。いつも病院の公衆電話だった。どういうきっかけで知り合ったのか今となっては定かではないが、異性の友達のまた友達だったと思う。なにせその頃は夜になるとひっきりなしに異性から電話がかかってきて、飯を食う暇もなかった。人生、線香花火みたいに一瞬ちりちりっと輝く瞬間というのが誰しもあるものだ。まぁ、あとで考えてみると、わずかに屈曲した私の青春に彼女たちが思春期特有の興味を示しただけかもしれないが。

 彼女もそんな大勢の中の一人だったが、話している時は彼女がいちばん楽しそうだった。3ヶ月ぐらい、いろいろな話をした。他愛のない話だったり、時には生き方の話だったり。
ところがある時を境にぴたりと電話が来なくなった。そしてしばらくして彼女の母親から突然電話をもらい、彼女の死を告げられた。白血病で闘病中だったこともこの時にはじめて知った。そして形見分けに彼女のハンカチと私に渡せなかったバースデー・カードが届いた。
それには「ありがとう」と書かれ、少しインクが滲んでいた。

 彼女は17歳のまま私との思い出を道連れに旅立ち、私はといえばそれから20数年だらだらと生き、家庭の真似事も一度し、道無き恋に堕ち、インドで屁を放き、白髪が増え、どうにか生きている。それでも彼女のことを思い出し、想いの中で巡り合う時、私は17歳の少年に戻るのだ。

投稿者 dokudami : 18:48 | コメント (4) | トラックバック

2004年03月18日

DVDで「コンセント」を観る。
既に映画化されてから2年余。主人公の朝倉ユキの兄が真夏のアパートで腐乱死体で発見される。そのアパートの撮影ロケに以前住んでいたおんぽろアパートが使われた。なつかしいので、ロケ当日の日記を再掲してみようかと思う。


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2001/05/26
映画の撮影隊がどくだみ荘へやってきたのは朝の7時だった。サイレースが血液の中にまだ少し残っていた。あと少し覚醒したくなかった。ポストに投函されたチラシでは8時からのはずだったのだが。

田口ランディの著作「コンセント」が映画化されるらしい。物語は主人公ユキの兄がアパートで餓死し腐乱死体で発見されるところからはじまる。そのアパートにどくだみ荘が使われることになった。正確には私の隣の空き部屋が撮影現場に選ばれた。アパートの庭には2tトラックが大道具を運び込み、2箇所にヤグラが組まれた。早朝からすごい人数のスタッフが動き回る。

のそのそと起きだして珈琲でもいれようかと思っていると、隣の部屋から「本番行きマース」という監督の声。遠慮してやめる。やがて出かける時間になったので、撮影の間合いをはかってアパートのドアを開ける。

視界には巨大なヤグラの上のカメラ。変わり果てた景色に思わず「おわっ」と声をあげてしまった。監督と目が合う。「お邪魔してます」と監督。「いえいえ、ごゆっくり」と連れこみ宿の慇懃婆ぁみたいな意味不明な挨拶を、卑屈な笑みに添えて退出する。駐車場は機材や人の搬入車や仕出し弁当屋のクルマまで入っていて自分のクルマは出せそうもない。簡易テーブルや椅子がところ狭しと並べられ、まるでキャンプ場状態だ。あきらめて電車で出かけることにした。

平和島のTRCで開かれている表面処理技術展。見積りしてもらいたい物件があるという旧友の依頼で京浜東北線、モノレールを乗り継ぎたどり着く。食券(職権?)でサボテンのトンカツをご馳走になり、ささっと仕事を済ませて帰途に着く。肌にまとわりつく湿気が不快で、MDのボリュームを少し上げた。

17:30にどくだみ荘へ戻るとまだ撮影が行われていた。17時までとチラシには書いてあったのに。とても部屋に帰れる状態ではないので、庭の隅に座り込んで待つことに。大家のおばあちゃんが傍に来て「いつまでかかるんだろうねー」と言うと、スタッフの若い女性が飛んできて「声が入るので静かにするように」とたしなめる。ばあちゃんは興奮気味に「もう金輪際映画に部屋は貸さん」とか「礼儀を知らない連中だ」とたたみかけるように言う。

けっきょく彼らが撤収したのは18:30頃。手際よく機材を積みこみ風のように去っていった。漏れてきた会話から、明日は石和あたりでロケらしい。たぶん主人公「ユキ」の実家の収録だろう。それにしても、一言「ご迷惑をお掛けしました」ぐらい言っていけないのか。西陽だけが当たる部屋。眩暈がしそうな夏の暑さ。物語のエッセンスを伝えるのにこのアパートは最適だと思う。いいところに目をつけたねと。その嗅覚の鋭さには敬意を払うけれど、映像の世界に携わることで世の中を支配しているかのような奢りのようなものを感じてしまうのは私の考え過ぎだろうか。

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2001/05/27
閃光のあとややあって雷鳴がした。雨音が急速に近づいてきて黄昏を夕闇に変えた。

コインランドリーで洗濯乾燥の週次処理をし部屋に戻ったら、固定電話のディスプレィに元配偶者からの着信履歴が残っていた。コールバックしてしばらくとりとめのない話をする。そういえば昨夜長いメールをもらっていたんだっけ。

なにかの縁だろうと、田口ランディの「コンセント」を読む。日記のネタにでもという軽い気持ちで読み進めるうちにすっかりはまってしまい、いっきに読了してしまった。こんなしけたページでもネタバレするとこれから読む人にわるいのでストーリーは書かないが、ストーリー展開に唸ってしまった。これを綿密なプロットを立てて書いたとしたら、こりゃすごいと。幻冬社のwebを見るとプロットなしでいきなり書きはじめて、何を書くかわからないまま書き終えていたと著者は書いている。自動書記のようなトランス状態で書いているとしか思えない。

この小説の中でキーワードとなっているひとつに「匂い」、それも「死臭」がある。夏の暑いアパートで腐乱死体となって発見された兄の、強烈な死臭を主人公の朝倉ユキが嗅ぐ。そこから話がはじまり、やがてユキの内面世界へとストーリー展開していく。

「匂い」にはどくだみ荘で遭遇したことがある。ネットに書いたか現実世界の卑近な人に酒の席の与太ばなしとして語ったかはもう記憶にないが、たしかにその「匂い」を嗅いだことがある。

業績が悪く、社長から経済制裁をくらってこの安アパートに越してきた当時のこと。深夜のある時間になるとどこからともなく漂ってきた。毎日というわけではなくて天候とも関係はなさそうだった。最初は以前住んでいた住人の匂いかと思ったが、もしそうなら四六時中匂っていてもよさそうである。獣のような匂いとでもいおうか。表現しにくいが有機的で不快な匂いであることはたしかだった。どこかで嗅いだことがある。しかし思い出せない。死臭? 一瞬そんなことが脳裏をよぎり、あわてて否定した。たまたま嗅覚が鋭敏になっていたか、さもなければ低級霊が通過中なのだということで自分の中では完結した。いったいあれはなんの匂いだったのだろう。

投稿者 dokudami : 22:56 | コメント (0) | トラックバック

2004年02月08日

ラウンド・ミッドナイト (1986 アメリカ) 

題名の「ラウンド・ミッドナイト」は同名のジャズの名曲からとったもの。主役のテナーサックス奏者デクスター・ゴードン演じるデイル・ターナーがいい味を出している。全編に流れる本物のジャズにもそそられる。それもそのはず、音楽はあのハービーハンコックが担当している。

舞台は1950年代のパリ。ジャズの名スポット「ブルーノート」を中心にくりひろげられる。酒と麻薬に体を蝕まれながらもジャズに魂をささげるターナーの姿を浮き彫りにする。

シーンは一転してリヨンの海岸になる。波の音のバックにテナーサックスの音が流れる。そしてターナーがこう呟く。


魂と心は人間の中にある
赤ん坊は母親の胎内に
魚は水の中に
だが世界は周りになにもない
いいことか悪いことか覚えておこう

投稿者 dokudami : 16:30 | コメント (0) | トラックバック

2004年01月18日

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飛雁有紀さんのblog「Asymmetry」の切なさ全開「風の絨毯」を読んで、DVDを観てみた。

主人公の少女さくらとルーズべ少年の切なさあふれる物語。
文句なくじわっとくる。
ストーリーに大きな仕掛けはないのだが、この主人公たちのやりとりを観ているだけで切なくなる。
とくにルーズべ少年役のファルボー・アフマジューがいい味を出している。
お勧めの一本だと思う。

投稿者 dokudami : 18:45 | コメント (2) | トラックバック